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クエリ検索: "若江城"
4件中 1-4の結果を表示しています
  • 戦国期天王寺瓦工の特質解明に向けて(2)
    岡本 健
    大阪歴史博物館研究紀要
    2022年 20 巻 41-54
    発行日: 2022年
    公開日: 2022/05/07
    研究報告書・技術報告書 フリー
    本稿では、従来「四天王寺系」の瓦工により生産されたと考えられてきた阿波地域の瓦のうち、代表的な資料と位置付けられる勝瑞城館跡の出土瓦を分析した。その結果、勝瑞城跡出土の軒平瓦は、14世紀から15世紀初めに比定される群と、16世紀後半に比定される群の2 群から構成されることが明らかになった。さらに、16世紀に比定される群と同笵・同文関係を有する瓦は阿波・淡路の諸遺跡から出土していることが明らかになった。摂津・河内と阿波・淡路の両地域のなかで同笵・同文瓦がまとまる傾向があり、両地域における造瓦活動は、技術導入の可能性は否定できないものの、基本的に別々に展開したと考えた。
  • ~八尾市久宝寺地区を対象として~
    平田 和寛, 山村 和也, 岩崎 義一, 山口 行一
    日本都市計画学会関西支部研究発表会講演概要集
    2014年 12 巻 29-32
    発行日: 2014年
    公開日: 2018/03/31
    研究報告書・技術報告書 オープンアクセス
  • 上田 實
    名古屋文理短期大学紀要
    1995年 20 巻 45-54
    発行日: 1995/04/01
    公開日: 2019/07/01
    研究報告書・技術報告書 フリー
    百貨店「松坂屋」は, 平成5年度の売上高4,594億円, 従業員7,797名, 10店舗を有する業界第4位, 我が国の代表的な百貨店である.江戸時代に創業して今なお百貨店として発展を続けているのは三越(創業1673)大丸(1717)高島屋(1831)松坂屋の僅か4店に過ぎない.なかでも松坂屋の歴史は最も古い.初代伊藤源左衛門祐道が慶長16年(1611)ささやかな呉服店を創業.爾来伊藤次郎左衛門家の家業として, 仏教の精神を経営理念とし, 御用商人として尾張藩主の愛顧をうけ, 緊密な主従関係, 信用と名声を得て発展して来た.明治時代に入って伊藤銀行を設立して経営に成功.地方財閥としての姿を整えた.小論では伊藤次郎左衛門家の家業について, 生成から明治期の地方財閥の形成に到るまでの, 当主の企業者活動を展望し, 連綿として維持・継続させた来たその要因を明らかにするものである.
  • 亀井 明徳
    日本考古学
    2003年 10 巻 16 号 129-155
    発行日: 2003/10/20
    公開日: 2009/02/16
    ジャーナル フリー
    本稿は,日本出土の鉛釉陶について,個々の出土品と遺跡の性格,唐三彩陶に関してわが国出土品の特徴,入手経緯とその将来者などについて考察したものである。
    (1)唐代鉛釉陶のわが国出土遺跡数は,2003年1月現在,40個所(内,盛唐以前の三彩陶は35個所),遺構数は52である。
    (2)盛唐以前の三彩陶(唐三彩陶と表記する)は,a.寺院跡・11,b.古墓・祭祀遺跡・3,c.官衙跡・9,d.住居跡・12の各遺跡から検出され,1遺跡1片程度が大部分を占めており,これらは貿易陶瓷ではなく,将来陶瓷であることを示している。
    (3)その器種は限定されており,陶枕・碗(杯)の小型品が多く,三足炉・長頸瓶などの中型品は主に寺院跡から発見されている。この他に,晩唐・五代期の三彩・二彩釉陶の小型品が検出されている。
    (3)唐三彩陶の生産開始時期は,紀年銘共伴資料では670年代であるが,白瓷竜耳瓶など隋代から連続する器種の編年から考えると,遅くとも650年代,おそらくそれを遡上する7世紀第2四半期に出現した可能性がある。
    (4)わが国への唐三彩陶の将来は,7世紀後半に廃棄された遺構が確認できるので,生産開始時期からほど遠くない時期に始まり,遣唐使節構成員によってもたらされた蓋然性がもっとも高い。
    (5)寺院講堂跡付近などから三足炉の出土が多く,長頸瓶・火舎とともに寺の必需品であり,遣唐使関係者によって,意識的に将来されている。大安寺の大量の陶枕も目的的に将来されたものである。
    (6)わが国出土品のうちで多くを占める陶枕・杯などの小型品は,1遺跡1点程度と少なく,唐三彩陶は偶然的・非目的的・単発的な要素が強く,単に「珍奇」・「珍異」な唐物であるにすぎない。
    (7)郡衙など官衙跡の出土は,政庁域の周辺部の居住域からが多く,唐三彩陶が公的な所有物とは考えがたく,農山漁村の住居跡出土品と同様に私的な所有物とおもわれる。
    (8)西国および東国に多い郡衙周辺の竪穴住居跡などの出土品は,水手・射手など,遣唐使節構成員のなかでの下級者が揚州などの市場において,土産物の一つとして購入したものと推測する。
    (9)都城域の出土品については,盤など上層貴族への寄贈品と,小型品は史生・画師・けん従など遣唐使節の下級者の将来と考える。
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