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クエリ検索: "誕生日"
5,181件中 1-20の結果を表示しています
  • 久松 敬弘
    軽金属
    1978年 28 巻 12 号 575-576
    発行日: 1978/12/30
    公開日: 2008/07/23
    ジャーナル フリー
  • 植松 英穂
    科学史研究
    1992年 31 巻 182 号 115-
    発行日: 1992年
    公開日: 2021/04/03
    ジャーナル フリー
  • 山口 彰
    日本原子力学会誌ATOMOΣ
    2018年 60 巻 2 号 122
    発行日: 2018年
    公開日: 2020/04/02
    解説誌・一般情報誌 フリー
  • 内田 すゑ
    東京人類學會雜誌
    1905年 20 巻 226 号 195-197
    発行日: 1905/01/20
    公開日: 2010/06/28
    ジャーナル フリー
  • 緒方 省吾
    情報管理
    1962年 5 巻 12 号 25
    発行日: 1962/12/20
    公開日: 2016/03/17
    ジャーナル フリー
  • 根本 泰行
    風力エネルギー
    2011年 35 巻 1 号 67-70
    発行日: 2011年
    公開日: 2014/02/01
    ジャーナル フリー
  • 中室 嘉祐
    ファルマシア
    1983年 19 巻 2 号 199-200
    発行日: 1983/02/01
    公開日: 2018/08/26
    ジャーナル フリー
  • 岩月 善之助
    蘚苔類研究
    2003年 8 巻 6 号 198-
    発行日: 2003年
    公開日: 2018/07/03
    ジャーナル フリー
  • 小竹 佐知子
    日本家政学会誌
    2020年 71 巻 3 号 163-181
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/03/25
    ジャーナル フリー

     『アンネの日記〈研究版〉』に記載された「隠れ家」住人8人の

    誕生日
    の贈答品における食べ物の内容を分析した. 「隠れ家」生活期間におとずれた16回の
    誕生日
    のうち, 11回の日記記載が認められた. 「隠れ家」生活初期には, 新しく始まった共同生活を享受して食事会も催されていた.
    誕生日
    プレゼントにおける食品の割合は, 「隠れ家」生活初期に比べて中期・後期は高くなり, その内容は, 保管できる缶詰類や配給切符で占められるようになった. それに伴い,
    誕生日
    プレゼントの楽しみの一つである菓子類の割合は低くなった. そして非食品では生活必需品が用いられるようになっていった. 終期には, 戦下の物資不足により, 思うように品物が入手できない状況になっても, どうにか贈り物を調達して誕生会が開かれていた. 閉塞空間の中で
    誕生日
    を互いに祝う事が, 「隠れ家」の住人にとって憩いのひとときを提供していたと考えられ, そのため「隠れ家」外の協力者たちも, 誕生会開催に向けて協力を惜しまなかった姿が見られた.

  • 大災害の当日生まれの青年の苦しみと回復過程
    舩木 伸江, 矢守 克也, 中村 翼
    質的心理学研究
    2021年 20 巻 1 号 224-236
    発行日: 2021年
    公開日: 2021/04/12
    ジャーナル 認証あり
    本研究は,阪神・淡路大震災当日生まれの青年の「苦しみ」とそこからの回復プロセスについて考察したもので ある。震災の発生当日に生まれた青年に直接的な被災体験はない。しかし,本来喜ばしい日である自身の「
    誕生日
    」 が多くの人の「命日」であることを知った青年は,独特の苦しみを抱える。
    誕生日
    の話題を避け,
    誕生日
    が近づ くのを恐れたのである。一般的に,被災者が災後ストレスから回復するプロセスでは被災体験を語ることが重要 な役割を果たすが,この青年の場合,
    誕生日
    を語れないことが最大の苦しみであり,特に,遺族の前で話題にす ることをタブーと考える点が特徴的であった。その青年が,現在,震災遺族も所属する語り部団体で活動をして いる。「
    誕生日
    」が,「語ってはいけない日,話題にしてはいけないらしい日」から「誇らしい日」に変わるまで の変化を促したものは何か。それは,青年の両親,および,被災者(特に,遺族)との交流を通して徐々に獲得 された,この青年なりの「表現活動」であった。本論文では,青年の苦しみ(ストレス)とそこからの回復過程 をパーソナルヒストリーとして描き,分析する。
  • *富永 しのぶ, 片寄  眞木子, 坂本 薫, 田中 紀子, 原 知子, 本多 佐知子, 升井 洋至
    日本調理科学会大会研究発表要旨集
    2012年 24 巻 1P-19
    発行日: 2012年
    公開日: 2012/09/24
    会議録・要旨集 フリー
    【目的】日本には伝統的な通過儀礼があり、各々にふさわしい食物が用意されて来た。近年簡略化、外部化の進行にあり親から子への伝承の機会が減少している。学生と親世代での通過儀礼の認知・経験・喫食経験を調査し、兵庫県の現状を把握することを目的とした。【方法】調査は「平成21・22年度日本調理科学会特別研究」として、全国統一様式の調査により実施した。対象者は兵庫県在住の学生世代379人、親世代212人のデータを用い解析した。出産、七夜、百日、初誕生、
    誕生日
    、七五三、成人式、結納、婚礼、厄払い、長寿祝い、葬儀、法事の13儀礼の儀礼食について、世代間の比較を中心に解析した。統計学的検定はSPSSver19を用い、カイ二乗検定・正確確率により有意差検定を行った。【結果と考察】両世代共に認知が高い行事は、
    誕生日
    、七五三、葬儀、成人式(93~100%)、次いで婚礼、出産、法事、結納(81~99%以上)であったが、経験が高い行事は
    誕生日
    と七五三で(85~99%)、認知に比べ両世代が経験している行事は少なかった。両世代間には
    誕生日
    を除いて認知、経験共に有意差(p=0.000)が認められた。学生世代で七夜、百日の認知が50%以下と低かったのに対して親世代は七夜86%、その他は90~100%といずれも高かった。学生世代の
    誕生日
    と七五三の経験は85~95%と高いが、葬儀72%、法事57%、その他は6~40%と低いのに対して、親世代のこれらの行事の経験は高い、しかし七夜53%、厄払い59%、長寿祝い66%は、その他の行事84~99%に比較して低かった。通過儀礼食で両世代共に喫食経験が高いのはケーキと千歳飴で、餅類は低かった。学生世代は誕生頃の行事は記憶が不確実であり、未経験の行事も多く親世代との間に顕著な差が認められた。
  • *橋詰 富博
    表面科学学術講演会要旨集
    2013年 33 巻 26Cp06
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/11/26
    会議録・要旨集 フリー
    ハインリッヒ・ローラー博士は80歳の
    誕生日
    をまたずに2013年5月16日に逝去されました。ローラー博士の偉大な功績を偲び、STMの発明、発展、STM余話について話します。
  • *島村 知歩, 太田 暁子, 喜多野 宣子, 志垣 瞳, 冨岡 典子, 三浦 さつき
    日本調理科学会大会研究発表要旨集
    2012年 24 巻 1P-23
    発行日: 2012年
    公開日: 2012/09/24
    会議録・要旨集 フリー
    【目的】近年、伝統的な行事食の伝承が少なくなっているといわれる中、平成21、22年度の日本調理科学会特別研究として実施した「行事食調査」より、通過儀礼の認知と経験、通過儀礼に関わる食事について、奈良県の現状を把握し、学生とその親の世代間による違いについて明らかにすることを目的とする。
    【方法】平成21年12月~平成22年3月、日本調理科学会「行事食調査」の全国統一様式の調査票により、大学生およびその家族にアンケート調査を実施した。そのうち、奈良県在住者の子世代(10・20歳代)150名と親世代(40・50歳代)114名について、出産祝い、百日祝い、初
    誕生日
    、七五三、成人式、婚礼、長寿の祝い、葬儀などの13の通過儀礼の認知度、経験、儀礼食の経験について検討を行った。
    【結果】通過儀礼の認知度は、子世代では
    誕生日
    、七五三、成人式、葬儀が高く、お七夜(33%)、百日祝い(41%)は低かった。親世代では、初誕生(78%)お七夜(75%)以外の通過儀礼は高かった。経験では、子・親世代ともに
    誕生日
    が最も高く95%以上が経験していた。子世代では、七五三、葬儀、法事、成人式(50%以上)以外は低かったが、親世代では、いずれも50%以上が経験していた。儀礼食では、
    誕生日
    のケーキが子・親世代ともに最も高く、ほぼ100%が経験していた。子世代では七五三の千歳飴・もち等の喫食経験が高かった。親世代では、24種類の儀礼食のうち、婚礼料理、七五三の千歳飴、法事料理、百日祝いの赤飯など半数が50%以上の喫食経験であった。祝いの行事には欠かせない赤飯では、親世代では通過儀礼により喫食経験に違いがみられた。
  • *小西 春江, 石井 裕子, 栗本 麻衣子, 高橋 ひとみ, 中平 真由巳
    日本調理科学会大会研究発表要旨集
    2012年 24 巻 1P-21
    発行日: 2012年
    公開日: 2012/09/24
    会議録・要旨集 フリー
    【目的】近年、伝統的な行事食が親から子へ伝承されない傾向にあるといわれている。本報では、平成21、22年度の日本調理科学会特別研究として実施した全国行事食調査から、滋賀県の現状を把握し、通過儀礼の認知や経験、喫食経験の世代間による違いについて明らかにすることを目的とした。
    【方法】平成21年12月~平成22年3月、日本調理科学会特別研究の全国統一様式の調査用紙を使用し、近畿2府4県の大学・短期大学に在籍する学生及びその親、その他近畿在住者を対象にアンケート調査を行った。そのうち、滋賀県出身の子世代(10~20代)、親世代(40~50代)、その他高齢世代(60代以上)を解析対象とし、通過儀礼に関する認知・経験および喫食経験の世代間比較をおこなった。
    【結果】認知度は親世代、高齢世代に比べると子世代は低いが、
    誕生日
    、七五三、成人式、婚礼、葬儀の認知度は子世代、親世代、高齢世代とも高く、お七夜は子世代、親世代、高齢世代とも低かった。
    誕生日
    、七五三、葬儀、法事を学生は経験し、他の経験度は低かった。親世代と高齢世代はお七夜と厄払い
    以外の経験度は高く、
    誕生日
    、法事、葬儀、婚礼は90%以上の人が経験をしていた。喫食経験は
    誕生日
    のケーキ、七五三の千歳あめは子世代、親世代、高齢世代ともに80%以上あった。赤飯・小豆飯、尾頭付き魚も儀礼食としての喫食率は高かった。子世代は認知はしているが経験や喫食経験が低く、前回の行事食同様、通過儀礼の伝承力も低下しており親世代が子世代に伝承していく必要性を感じた。
  • *沼田 貴美子, 坂本 美代子, 秋吉 澄子, 柴田 文, 小林 康子
    日本調理科学会大会研究発表要旨集
    2013年 25 巻 2P-21
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/08/23
    会議録・要旨集 フリー
    【目的】「調理文化の地域性と調理科学―行事食・儀礼食―」の全国の調査概要は報告書に,九州他各支部の概要は日本調理科学会誌に掲載された。今回,熊本県で調査した通過儀礼食について詳細に分析を行ったので報告する。
    【方法】調査対象者は,学生とその親の世代間による比較検討を行うために親子間で回答が得られた者各82名であった。学生は熊本市内の短期大学1年生,親は40~50歳代であった。通過儀礼の出産祝い,お七夜,百日祝い,初誕生,
    誕生日
    ,七五三,成人式,結納,婚礼,厄払い,長寿祝い,葬儀,法事で供される食べ物の認知度や経験度などについて分析し,熊本と全国や九州各県の結果を比較検討した。
    【結果】通過儀礼食は出産祝い・お七夜・百日祝い・初誕生の出産関連(A),
    誕生日
    ・七五三・成人式の誕生関連(B),婚礼関連(C),厄払い・長寿の祝い・葬儀・法事の長寿法事関連(D)の4群に分類でき比較検討した。Aでは認知度・経験度ともに親世代が学生より有意に多く,Bでは学生・親ともに認知度・経験度が多く世代間の差は認められなかった。Cの婚礼,Dの長寿祝い,葬儀,法事の認知度は学生でも高く親世代との間に有意な差は認められなかった。通過儀礼食の食経験とその時期及び調理状況や食べ方について,親世代の食経験時期は1984~2003年が最も多く,葬儀と法事も2004年以降の食経験が多かった。A,Bでの赤飯は家庭でよく作られ,実家・親戚などで食べるも多かった。買うが多かったのは,
    誕生日
    のケーキ,七五三の千歳あめ,長寿祝い他でのもち・饅頭であった。外で食べるが多かったのは,婚礼や長寿祝いの日本料理他、葬儀や法事の精進料理であった。学生は
    誕生日
    ,七五三,葬儀,法事の食経験が他項目より多かった。
  • 世代間の比較
    *阪野 朋子, 間宮 貴代子, 松本 貴志子, 小出 あつみ, 山内 知子
    日本調理科学会大会研究発表要旨集
    2013年 25 巻 2P-8
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/08/23
    会議録・要旨集 フリー
    【目的】日本には古来より通過儀礼があり、儀礼毎にふさわしい食物が用意されてきた。近年、人々の意識や社会構造の変化と共に食の伝承がされない傾向にある。本研究では、通過儀礼の認知・経験状況を女子学生とその母世代及び祖母世代の3世代間で比較した。【方法】平成22年1~3月にかけ日本調理科学会の調査用紙を用いて留め置き法により調査し、1週間後に回収した。対象者は、本学女子学生の子世代(435名)、母世代(378名)及び祖母世代(197名)で、得られたデータはエクセルで集計してχ2検定を行った。統計的有意水準は5%で示した。【結果】認知はお七夜、百日祝い、初誕生、結納、婚礼、厄払いが世代間で有意差があり、比較すると子世代ではお七夜、百日祝い、初誕生が低かった。質問した13項目の儀礼全ての経験と世代間に有意差があった。経験度を比較すると、3世代共に
    誕生日
    、七五三は80%以上経験していた。子世代では経験していないと思われる結納、婚礼、厄払いと経験した記憶がない出産祝い、お七夜、百日祝い、初誕生で低かった。母と祖母世代では共に50%以上が経験していた。儀礼食では、祝いの儀礼に用意される赤飯の喫食経験と世代間に有意差があった。赤飯の喫食の子世代では、七五三で50%を超えたが、その他では低かった。特に
    誕生日
    では、祖母世代で53%、母世代で33%、子世代で15%と世代が若いほど低下した。
    誕生日
    のケーキ喫食率は3世代共に約90%以上であった。また、七五三の喫食率も、赤飯より千歳飴の方がどの世代でも高かった。以上の結果から、
    誕生日
    や七五三は受け継がれている儀礼であることが示されたが、儀礼に伴う食べ物の変化や赤飯の伝承がされない傾向を認めた。
  • *三浦 加代子, 橘 ゆかり, 青山 佐喜子, 川原﨑 淑子
    日本調理科学会大会研究発表要旨集
    2012年 24 巻 1P-24
    発行日: 2012年
    公開日: 2012/09/24
    会議録・要旨集 フリー
    目的】平成21・22年度日本調理科学会特別研究として実施された「行事食」の調査結果のうち、平成22年度の本大会では、年末年始の現状を親子間の伝承の観点から、また、平成23年度は年中行事の認知・経験を世代間比較し、行事と行事食の現状と世代間の伝承について報告した。さらに本年度は通過儀礼とその食事の認知・経験を世代間比較し、世代間の伝承の現状を明らかにすることを目的とした。
    方法】平成21・22年度日本調理科学会特別研究の全国統一様式の調査用紙を用いた。対象は和歌山県に10年以上在住している大学生・短大生とその親、また和歌山県福祉保健部、教育委員会ならびに関係機関の協力を得、食生活改善推進協議会会員を中心に食育関係団体会員、地域の研修会等に参加した市民とした。若年層(20歳未満・20歳代)182名:Y群、中年層(40・50歳代)240名:M群、高齢者層(60歳以上)266名:O群に分けて分析し、SPSS(Ver.18)でχ2検定を行った。
    結果と考察】三世代とも認知度の高い通過儀礼(90%以上)は
    誕生日
    、七五三、成人式であり、特に若年層(Y群)の認知度が低い通過儀礼(50%以下)はお七夜、百日祝いであった。経験では、三世代とも高かったのは
    誕生日
    であった。認知・経験ともに
    誕生日
    と七五三以外の通過儀礼には世代間の有意な差が認められた。通過儀礼の食事として、三世代とも高い喫食経験があるのは
    誕生日
    のケーキで、行事の認知と経験だけでなく、世代を超えて定着していることがうかがえた。一方、赤飯・小豆飯、紅白餅、お頭付き魚、精進料理等の喫食経験は、世代間の伝承がなされていないことがうかがえた。特に成人式や長寿の祝いの紅白餅・紅白饅頭、法事の精進料理は三世代とも喫食経験が低かった。
  • 渡部 清
    日本科学教育学会研究会研究報告
    2007年 22 巻 4 号 15-20
    発行日: 2007年
    公開日: 2018/04/07
    研究報告書・技術報告書 フリー
     学校で学ぶ算数・数学が日常生活でどのように活用されているのか、自分の将来の職業にどのように役立つのかといったことが具体的にイメージすることができないため、学ぶ意欲がわかないという子どもが多くいることが近年言われるようになり,算数・数学を日常生活の問題解決に利用する力を重視するといった傾向が近年見られるようになった。  数学は,現実場面では金融計算,統計,シミュレーション,物理などの他教科など,幅広く利用されている。しかし,現実に扱われる数値には,計算が非常に困難なものが多く存在し,数学の授業で扱う問題としては不都合が生じるケースが多い。  そこで,コンピュータの利用により,手計算では扱えないような数の世界を子ども達に体感させようと考えた。本研究では,表計算ソフトである Excel を利用して,そのような日常生活にかかわる数学を体感させることを目指す教材を開発していき,手計算では味わえないような数学の世界に触れることができるものを作成することができた。
  • ~看護師の価値観に関する若手看護師の気づき~
    山川 (木村) 華瑠佳
    日本救急医学会関東地方会雑誌
    2020年 41 巻 3 号 377-379
    発行日: 2020/06/30
    公開日: 2020/06/30
    ジャーナル フリー

    入院した患者や家族にとって, 病院で迎える

    誕生日
    が, 本当におめでたいことなのか疑問に思う出来事があった。この出来事を通して, 患者や家族に対して最善の看護を提供するには何が重要なのか, 考える機会を得たためここに報告する。 当病棟看護師が, 病院で
    誕生日
    を迎えることをどのように捉えているのかスタッフ同士で意見交換を行った。その結果,
    誕生日
    をお祝いすることに(1)賛成(2)反対(3)患者や家族の意見を聞き尊重していくといった3つのカテゴリーに分けられた。国際看護師協会の看護師の倫理綱領では「看護師は, 看護を提供するに際し, 個人, 家族, および地域社会の人権, 価値観, 習慣および信仰が尊重されるような環境の実現を目指す」といわれている。看護師個人の価値観や習慣だけでなく, 他の看護師, 患者・家族の価値観を知り, そのうえで話し合い, 看護を提供することが患者や家族に対して最善の看護を提供するうえで重要だと考える。

  • 園田 健二
    英学史研究
    1990年 1991 巻 23 号 83-97
    発行日: 1990年
    公開日: 2009/09/16
    ジャーナル フリー
    Since MacDonald was first introduced here in Japan, it has been said over and over again that he was born on February 3, 1824. It is no doubt that he was born in 1824, but it is highly doubtful whether he was born on February 3. Though much evidence suggests that he was not born on February 3, the most persuasive seems to be the deposition he gave to Commander Glynn and other high-ranking officials on board the Preble on April 30, 1849 after the warship left Nagasaki Harbor. He said to them, “I was born at Astoria, in Oregon; I am twenty-four years of age....” If he had been born on February 3, he should naturally have said then and there that he was twenty-five., That he did not say so confirms the fact that he was born in May or June, and not on February 3.
    Then why did he choose the date February 3 as his birthday? It is because he came to know, perhaps later in life, that Horace Greeley, an American journalist, whom he seems to have respected, had been born on the day. His choice of the date shows nothing but his vanity. And at the same time, it is interesting to note in connection with his birthday that his father, Archibald McDonald, had also been born on February 3. But it seems that McDonald did not know about his father's birthday.
    It has also been said again and again that McDonald died on August 5, 1894. Yet one cannot accept this to the letter, for there is an obituary notice that he died on August 24, and not on August 5. The obituary was written just when he died and just where he died. His half brother also said that he died on August 24. And even now, in his home state Washington, there sometimes appear newspaper reports that he died on August 24. Then, when did he die? On August 5 or on August 24?
    In the Eastern Washington State Historical Society at Spokane in Washington, there is an affidavit that tells the exact location where McDonald was buried after he died. The affidavit bears the signature of Jennie Lynch, MacDonald's niece. It should be remembered that she is said to be the very woman in whose arms he breathed his last. She is testifying here that MacDonald was buried on August 7, which means that MacDonald died probably around August 5. Since she is the only woman that knew at first hand the circumstances in which he died, one cannot but conclude that MacDonald died on August 5. But even then, some mystery still seems to remain.
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