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クエリ検索: "躑躅ヶ崎館"
2件中 1-2の結果を表示しています
  • 池田 幸弘
    ファルマシア
    2021年 57 巻 5 号 404-405
    発行日: 2021年
    公開日: 2021/05/01
    ジャーナル フリー
    電子付録
    甲府駅から武田神社に向かう。武田通りと呼ばれるこの道は、まっすぐ神社まで続いており、まことに気分がいい。それもそのはず、武田神社が立地するのは戦国時代には躑躅 ヶ崎館と呼ばれた武田氏の本拠があった場所であり、この通り沿いに武田二十四 将をはじめとする諸将の居館が立ち並んでいたという。神社の宝物館には武田家に伝わる武具などが展示されており、実際の戦場において活躍したものだからであろうか、展示品の品々からは殺気が感じられた。
  • 松本 豊寿
    地理学評論
    1963年 36 巻 9 号 536-552
    発行日: 1963/09/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    「内山下」は城郭の一部であるが,同時に城下町最内側部の侍屋敷である.城郭内に集落の一部又は全部を包含する現象は,都市出現の歴史と共に古い.それにしても城下町内山下はいうまでもなく封建的領主制を背景とし,その直接の起源を中世豪族屋敷にもつ.「内山下」は城館の大型化と複雑化に対応して発達し,やがて城下町の発展に伴いその重要なる部分域を形成するにいたる.城下町内山下は城郭の形式に従つて平城系,平山城系,山城系内山下に分類されるが,もつとも良好な発達と持続をみせるのは平城系内山下である.「内山下」は中世前期における豪族屋敷の家父長的,家政的内山下より出発し,第2, 第3駿階の城下町内山下に発展する.中世後期における第2段階の施政中枢的,武装的内山下は,更に近世におよんで第3段階として新らたに街区的内山下の性質を加えてゆく.これは城下町自体の発展充実過程に照応するもので,第1段階では中世豪族屋敷の下人所従屋敷域として成立する。この期は城下町萠芽期に当ると共に,「内山下」といつても実はその祖形にすぎない.第2段階では初期城下町の給人屋敷,第3段階は近世城下町の侍町といつたそれぞれの城郭内延長部分域となるのである。つまり内山下は城内屋敷より城内町へとそれ自体の構造的変化をとげるのである.ここにいたると内山下は城と町を連鎖接合すると共に,又結果として両者の地域分化の強化をもたらすこととなる.城下町の都市的発展とその過程は,内山下そのものの中に極めてよく集約化されているといえよう.
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