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クエリ検索: "軍人"
11,337件中 1-20の結果を表示しています
  • 木村 美幸
    史学雑誌
    2019年 128 巻 11 号 1-26
    発行日: 2019年
    公開日: 2021/09/02
    ジャーナル フリー
    本稿では、海軍志願兵募集や「海軍と地域」研究の課題に大きくかかわる海軍と在郷
    軍人
    の問題について、海軍の在郷
    軍人
    会に対する姿勢に注目して検討した。
    海軍は、一九一〇年に在郷
    軍人
    会ができると、財源の問題と在郷
    軍人
    統制に対する立場の違いから不参加となった。不参加としたものの在郷
    軍人
    会に加入する海軍
    軍人
    もおり、制度上陸軍のみの団体である不都合を改善するため、一九一四年に在郷
    軍人
    会へ正式加入した。加入後に出された勅語には田中義一の影響などがあり、海軍の反対にもかかわらず「陸海一致」の文言が盛り込まれ、これ以降在郷
    軍人
    の「陸海一致」の根拠として使用された。
    在郷
    軍人
    会に加入したものの、陸軍中心の状況は変わらなかった。一九一九年頃には第一次世界大戦の影響によって海軍も在郷
    軍人
    統制に力を入れることになり、在郷
    軍人会からの分離を含めて海軍在郷軍人
    の立場向上が模索された。一九二一年になると、各地に海軍在郷人の私的団体が結成されていく。これに対し海軍省人事局は、海軍在郷
    軍人が少数であり在郷軍人
    会に加入しなければならない地域を考慮して否定的な態度をとるが、志願兵募集状況を勘案した結果、在郷
    軍人
    会から分離しない形で事業を行う海軍班を、一九二五年に設置した。
    海軍班は各地に設置され、海軍志願兵募集活動や宣伝活動などを地域で担った。しかし、海軍
    軍人は陸軍軍人
    と合同の分会の事業も行う必要があり、海軍
    軍人
    の不満が高まった。このため、海軍
    軍人
    のみで事業の出来る海軍分会を一九三六年に設置した。しかし、陸軍中心の状況は変わらず、海軍関係の事業のみでなく通常の分会としての活動も求められたため、海軍在郷
    軍人
    の不満が解消されることはなかった。
    以上のように、海軍は独自の在郷
    軍人統制組織を持たず在郷軍人
    会に加入し続けた。ただし、これは決して在郷
    軍人
    のことを軽視していたからではなく、地域における在郷
    軍人
    の立場に配慮した結果であった。
  • ─傷痍軍人とその妻に求められていたもの─
    高安 桃子
    ジェンダー史学
    2009年 5 巻 51-65
    発行日: 2009年
    公開日: 2010/11/02
    ジャーナル フリー
    This paper discusses the measures taken to assist disabled soldiers in finding marriage partners from the outbreak of the war between Japan and China to the Pacific War. I will also consider the role that disabled soldiers and their wives were expected to play during wartime. During the war years, the numbers of disabled soldiers increased dramatically, and measures were taken to help these disabled soldiers find marriage partners.
    This program to aid disabled soldiers began in 1938 when an organization of women took the lead in efforts to introduce future partners to disabled soldiers. In response to a request from the government, the activities were extended to the whole country in 1941.
    A number of goals lay behind the program including: a desire to assist in the rehabilitation of disabled soldiers so that they might comeback to serve the nation; a desire to secure manpower; and bestowing honor on the soldiers. Disabled soldiers needed a strong commitment if they were to complete rehabilitation, and also needed to have a sense of their own identity as disabled soldiers. Thus it was important to draw a distinction between those with congenital disabilities, and the disabilities of the soldiers who were wounded in combat.
    The movement sought Japanese woman who were willing to marry disabled soldiers. Women did not normally join the military services, but marrying a disabled soldier and relieving him of despair was promoted as a way for a woman to serve the nation. In the training schools set up to support the brides of disabled soldiers, women were taught useful vocations so that they would be able to earn a living instead of their husbands.
    The disabled soldier's wife was also expected to be a caregiver. The wife's most important role was to support the rehabilitation of her husband so that he could again serve the nation. She was supposed to be strong enough to bear the burden in her marriage. We can imagine that it must have taken a very strong resolve for a woman to decide to marry a disabled soldier.
  • 工藤 晃
    地学教育と科学運動
    2004年 46 巻 39-46
    発行日: 2004/07/29
    公開日: 2018/03/29
    ジャーナル フリー
  • アメリカ在郷軍人会による西部戦線巡礼と「聖地」創出
    望戸 愛果
    社会学評論
    2013年 63 巻 4 号 569-584
    発行日: 2013/03/31
    公開日: 2014/03/31
    ジャーナル フリー
    G. Mosseの歴史社会学的議論において, 戦間期における戦場観光旅行の流行は, 現実の戦争を矮小化する「戦争の平凡化」の過程として捉えられ, 従軍体験のある退役
    軍人
    はもっぱらその流行を嘆く反対者か, あるいはその流行に抗いがたく追随する消費者として描かれてきた. 一方で, このような議論においては, 戦争の記憶の大衆消費の拡大過程において退役
    軍人
    自身が果たす役割は等閑視されている.
    本稿では, アメリカ最大の退役
    軍人
    組織であるアメリカ在郷
    軍人
    会 (1919年創設) による, 戦間期における西部戦線巡礼事業の変遷を論じる. 在郷
    軍人
    会による巡礼者の選抜・募集方法, 旅行会社・船会社との契約関係のあり方, さらに実際に巡礼に参加した退役
    軍人
    の所感は, 報告書, 書簡, 機関誌, 議事録等の一次資料から析出することができる. このような分析から明らかにされてくるのは, 従来の研究において想定されているように「平凡なるものの侵略から神聖なるものを防衛」せんとする退役
    軍人
    の守旧的態度ではない. むしろ, 船会社との独自契約によって生み出された利益構造を組織運営に取り込み, 大衆娯楽小説や観光ガイドブック上のイメージを退役
    軍人
    向けに巧みに加工・流用し, ついには戦場・墓地巡りに特有のものであったはずの巡礼の「神聖性」の定義までをも大幅に変化させていく最大退役
    軍人
    組織の戦略的事業展開なのである.
  • 松瀬 真壽美, 賀来 満夫, 渡辺 講一, 古賀 宏延, 猿渡 勝彦, 中里 博子, 伊藤 直美, 藤田 紀代, 重野 芳輝, 植田 保子, 鈴山 洋司, 広田 正毅, 山口 恵三, 斎藤 厚, 原 耕平, 山本 秀満
    日本胸部疾患学会雑誌
    1983年 21 巻 12 号 1222-1227
    発行日: 1983/12/25
    公開日: 2010/02/23
    ジャーナル フリー
    A fatal case of nosocomial Legionnaires' disease with primary lung cancer was reported here. A 79 year-old male with primary lung cancer (squamous cell carcinoma) was admitted to Imari municipal hospital with cough, fever and an abnormal shadow in the upper right lung field on chest X-ray film. The patient was treated with various kinds of antibiotics such as piperacillin (4g/day), amikacin (400mg/d.), cefmetazole (6g/d.), lincomycin (3g/d.), sisomicin (150mg/d.) and minocycline (200mg/d.) in various combinations, and antituberculous drugs (rifampicin, ethambutol, isoniazide and streptomycin). Despite these treatments, his fever continued and no causative organism was obtained from intrabroncheal aspirates, sputum or pleural effusion.
    On the 70th hospital day steroid therapy was begun because of the persistent high fever, and the general condition improved slightly. Twenty days later the patient had a high fever up to 38.5°C and had increasing respiratory distress during steroid therapy. Chest X-ray showed diffuse homogeneous infiltrates in both lung fields.
    At postmortem examination lung tissue and pleural effusion were obtained for pathological and bacterial examination. Severe bacterial pneumonia and squamous cell carcinoma were diagnosed histologically.
    Pleural effusion was inoculated to bacterial media including B-CYE agar and B-CYE broth. Legionella pneumophila was isolated from B-CYE broth to be subcultured to B-CYE agar. No other bacteria was obtained from the other culture media. Legionella pneumopila isolated was determined to be serogroup 1 by the method of direct immunofluorescent antibody (DFA) technique.
  • 鈴木 貞行
    日本放射線技術学会雑誌
    1955年 First10Anniv 巻 49-
    発行日: 1955/03/10
    公開日: 2017/06/17
    ジャーナル フリー
  • 仙崎 武, 亀山
    軍人
    , 本田 和雄
    日本教育学会大會研究発表要項
    1961年 20 巻 58-
    発行日: 1961/08/30
    公開日: 2018/04/20
    研究報告書・技術報告書 フリー
  • 軍人勅諭を中心として
    桑原 作次
    教育学研究
    1943年 12 巻 2 号 126-154
    発行日: 1943年
    公開日: 2009/01/13
    ジャーナル フリー
  • 坪井 永保, 成井 浩司, 中谷 龍王, 中森 祥隆, 中田 紘一郎, 武藤 良和, 杉 裕子
    日本胸部疾患学会雑誌
    1992年 30 巻 12 号 2112-2117
    発行日: 1992/12/25
    公開日: 2010/02/23
    ジャーナル フリー
    骨髄異形成症候群 (以下MDS) 患者に発症したレジオネラ肺炎の1治癒例を報告する. 症例は40歳, 男性で高熱, 咳嗽を主訴に入院した. 左中下肺野末梢の浸潤影が急速に拡大し, それに伴い血液ガス所見も悪化した. 当初 Cefmenoxime, Piperacillin, Minocycline による治療を行ったが奏効せず, レジオネラ肺炎を疑い Rifampicin を開始した. しかし陰影拡大するため, 抗真菌剤, ST合剤も加えた. その後徐々に病状改善したが, 入院4日目の喀痰より Legionella pneumophila が入院10日目に分離され本症と確診した. 以後 Rifampicin 内服と混合感染予防の目的で Cefmenoxime を併用して良好に経過した. 本症例はMDSに対しステロイド剤が投与されており, compromised host に発症したレジオネラ肺炎である. 肺炎治癒後, 結核性胸膜炎, ニューモチスティスカリニ肺炎を発症し, それぞれ抗結核薬, ST合剤にて治癒した. しかし, その後急性肝炎から肝不全となり入院121日目に死亡した.
  • ―神戸市職員時代に焦点をあてて―
    中根 真
    保育学研究
    2016年 54 巻 2 号 18-27
    発行日: 2016年
    公開日: 2017/03/22
    ジャーナル フリー

    本稿の目的は,昼間保育事業の先駆者・生江孝之の神戸市職員時代に焦点をあてて再評価することである。

    まず,神戸市婦人奉公会発足の経緯,児童保管所の運営について要約し,生江は当初,保育事業のために神戸市に採用されたのではなく,救済事業の企画・立案者として採用されたことを明らかにしている。加えて,生江の保育事業構想は,市長と生江の採用交渉を行った留岡幸助によって鼓舞されたことを明らかにしている。すなわち,非行予防は彼の保育事業の主要目的であった。

    本稿は,今日的にも非行予防が保育事業の役割の 1 つとして認識できると結論づけている。

  • 福井 直秀
    笑い学研究
    2009年 16 巻 42-48
    発行日: 2009/07/11
    公開日: 2017/07/21
    ジャーナル オープンアクセス
    近代日本には、「とんち」表現を好むという伝統があったのではないかという観点から、明治期に創造された「とんち話」を紹介、検討した。今回は、「一休」「大岡」などの人口に膾炙した話を除いた「
    軍人
    」、「政治家」、「商人」とした。いずれも、「とんち」が必要とされた職だった。だが、「
    軍人
    」には「とんち」が不可欠とされたが、「政治家」、「商人」は、「とんち」概念が広く、本来職に必要な能力を「とんち」と名づけた場合もあった。
  • ――坂口安吾「真珠」における〝抵抗〟の方法について――
    山根 龍一
    日本近代文学
    2016年 94 巻 77-91
    発行日: 2016/05/15
    公開日: 2017/05/15
    ジャーナル フリー

    一九四二年前半は、アジア・太平洋戦争で日本軍が制圧地域を拡大した時期である。と同時に、論壇に〝

    軍人
    を藝術家と見なす論調〟が目立ち始めた時期でもあった。このような論調に異議を唱えることは、いかにして可能だったのか。本稿は、この問いを念頭に置く。そして、〝
    軍人
    を藝術家と見なす論調〟に〝抵抗〟する作品として、坂口安吾の小説「真珠」を読み変える。具体的にはまず、作品の前半部から、海軍
    軍人
    である「あなた方」と文学者である「僕」の対照的な関係を抽出した。次に、後半部から、両者を関係づける言語戦略を抽出した。その上で最後に、分析結果を同時代状況に接続した。そして「真珠」が、「
    軍人
    は藝術家である」という判断の妥当性を、揺さぶり、突き崩す可能性を持つ作品であることを結論づけた。

  • 岡田 長三郎
    日本循環器病學
    1943年 9 巻 4 号 151-152
    発行日: 1943/07/20
    公開日: 2019/02/05
    ジャーナル フリー
  • 岩崎 秀之, 金澤 一雄
    日本循環器病學
    1943年 9 巻 2 号 75-76
    発行日: 1943/05/20
    公開日: 2019/02/05
    ジャーナル フリー
  • 岩崎 秀之
    日本循環器病學
    1942年 8 巻 4 号 172-
    発行日: 1942/07/01
    公開日: 2019/02/05
    ジャーナル フリー
  • ―― 軍人未亡人の家 ――
    北川 扶生子
    日本文学
    2015年 64 巻 12 号 38-48
    発行日: 2015/12/10
    公開日: 2021/01/08
    ジャーナル フリー

    『こゝろ』の「奥さん」は、先生が〈家庭〉を学び、Kの力から逃れるための指導者の役割を果たしている。しかしそのことは、「先生の遺書」では抑圧されている。当時のメディアにおける

    軍人
    未亡人のイメージを参照すると、奥さんが
    軍人
    未亡人であることで先生の自殺は大義に接続されるが、一方で、
    軍人
    未亡人は経済的・性的側面からも注目されており、その点から見れば『こゝろ』は、戦死者遺族女性の生き延びる努力の物語になる。

  • 比嘉 太, 斎藤 厚
    ファルマシア
    1992年 28 巻 1 号 39-40
    発行日: 1992/01/01
    公開日: 2018/08/26
    ジャーナル フリー
  • 濱里 雄次郎, 乗松 敏晴, 藤田 雅章, 牧野 佳朗, 原 真一郎, 吉田 伍一, 松坂 誠應, 鈴木 良平, 前原 洋二, 弦本 敏行
    整形外科と災害外科
    1986年 35 巻 2 号 473-476
    発行日: 1986年
    公開日: 2010/03/16
    ジャーナル フリー
    Tow cases, which might have been opportunistic infection in the early post-operative state, are reported in this paper.
    Case 1, a 60-year-old male, developed spticemia on the 22nd day after a synovectomy for suppurative arthritis of the left knee. He had a 13 years history of steroid medication following pituitary adenoma resection.
    Case 2, a 60-year-old, female, developed pueumonia 4 days after T. K. R.. The bacillus involved was strongly suspected to be a Legionella pneumophila. This patient's basic disease was rheumatoid arthritis.
    These two cases had similarities of situation, for example their general condition before the onset of infection and antibiotic medication after the operationo; these infections took a similar course. The number of aged patients who have complications following operations for basic diseases has been increasing in the orthopaedic field. We must always, therefore, pay attention to the possibility of the opportunistic infection in the management of such cases.
  • 民族學研究
    1943年 New1 巻 10 号 1023-
    発行日: 1943/10/05
    公開日: 2018/03/27
    ジャーナル フリー
  • 森 喜兵
    日本消化機病学会雑誌
    1943年 42 巻 7 号 388-391
    発行日: 1943/07/15
    公開日: 2011/06/17
    ジャーナル フリー
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