近年注目を集める多文化教育は, 日本社会では, 定住外国人の集住地域を中心として, 一部地域でしか行われていない。こうした多文化教育が, マイノリティの子どもたちにいかなるインパクトを与えているのか。本稿は, このような問題設定から, 以下の2点を考察する。第1に, 多文化教育が行われている空間において, マイノリティの子どもたちはいかなる生き方を可能にしているのか。第2に, 多文化教育が行われていない空間に移行することで, 彼らはいかなる問題に直面するのか。筆者は, 考察のために, 在日韓国・朝鮮人の集住地区であり, 人権尊重教育と呼ばれる多文化教育の要素を持つ教育が行われているM地区を選定し, 聞き取り調査を行った。
考察の結果, 以下の点が明らかになった。第1に, 人権尊重教育が行われている空間において, 在日韓国・朝鮮人の子どもたちは, 自己のエスニシティを肯定的に捉える生き方を可能にしていた。その反面, 人権尊重教育を通じて, 生徒たちに在日韓国・朝鮮人に関する知識が伝達されても, 学校内の友人関係において, 在日韓国・朝鮮人としてのエスニック・アイデンティティが他者と共有されないとき, 自己のエスニシティを肯定的に捉えることが困難となることが示された。さらに, 人権尊重教育が暗黙のうちに前提とする固定的な在日韓国・朝鮮人像は, 日本名を身体化した子どもたちを抑圧する可能性も示唆された。第2に, 人権尊重教育が行われていない空間への移行にともない, 子どもたちは在日韓国・朝鮮人という存在が社会的に承認されていないと感じていた。そして, 「他者化」される視線を受けることで, 彼らは, 自己をスティグマを負う存在として認識するとともに, 自己のエスニシティを自覚的な管理の対象としていた。
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