本稿は、これまで『社藝堂』に発表してきた相⽶慎⼆の映像について、その1990年代における転換、あるいは連続性の意味を、主にこの時期の代表的な映画とされる『お引越し』と『夏の庭 The Friends』を軸に記述するものである。そこでは、ワンシーン・ワンショットを駆使し、思春期の欲望をフィルムに結実させていたそれ以前の相⽶とは異なった、⼩学⽣を主⼈公とした⼤⼈との視線の差異をきわだたせる映像が特徴をなし、『お引越し』のクライマックスシーンや『夏の庭』のハンディカメラなどにみられるように実験映像が折り込まれる。タナトスへ的な雰囲気はより強固なものとなる。
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