1930年代後半の日本における選挙粛正運動は,単なる選挙腐敗の防止を目指す官製の啓蒙運動ではなく,内務省や軍部が主導する政党排撃を意図した一大国民運動であった。そのねらいは非常時に即応した,政党内閣にかわる新たな政治体制の構築にあったが,新しい受け皿を提示し得なかったために貫徹できなかった。だからこそ,更なる非常時に即応する翼賛議会構築のための翼賛選挙が準備されたのである。以下,次の点が明らかとなった。(1)粛選で政党の地盤は崩壊したとは言えず,地盤を有権者と政党の固定的な関係とするならば,そのような地盤は存在しなかった。(2)棄権率の増大は1票の有効性を保障する議会政治•政党政治に対する軽視ないし否認と,その一方で選挙の神聖さ及び棄権の防止を説く粛選の自己矛盾による。(3)選挙の神聖さを強調するために神社参拝や国旗掲揚が強要され,国民統合的な運動の色彩が濃厚となった。
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