生の技術、自己の配慮の技術としてのパレーシアは、ソクラテスに由来し、その後1〜2世紀のヘレニズム・ローマ期の哲学に受け継がれ、やがて3〜4世紀のキリスト教において、自己の欠陥についての自伝的告白へと、その意味と機能を切り詰められていく。この種のパレーシアは、まさに技術として、
霊操
ないし魂の鍛錬と不可分の関係にあった。室井氏は、報告論文において、ヘレニズム・ローマ期のパレーシア、とくにストア派のセネカに見られるパレーシアの特徴をルソー『エミール』の内に見出し、それによって『エミール』を
霊操
のテクストとして再解釈しようと試みている。これまで室井氏は、
霊操
の観点からのルソー再解釈を目指して二つの論文を提示している。この司会論文では、これら二つの論文にまで遡り、本誌掲載の報告論文を、室井氏のこれまでの研究の発展系列の中に、そしてさらに教育思想史研究の中に位置づける。
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