類書
は、魏晋南朝時代に新たに出現した書籍であり、経史子集の各文献から網羅的に集めて抄撮配列し、テーマごとに纏めた、百科全書のような資料集である。本稿では、知識の資料庫という役割を担った
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の発展経緯を考察することで、初期
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がもつ意味、編纂される契機と背景を検討し、漢唐間の知識の整理と受容のあり方を考察する。
目録に収録された
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を見ると、唐代までの
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の範囲は限られており、『皇覧』を強く意識した一連の書籍を指している。この理解から
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の発展を見ると、曹魏の初期に編纂された『皇覧』は、後代
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の規範ともなった南北朝末期の梁・北斉編纂の『華林遍略』『修文殿御覧』との間に、二五〇年ほどの開きがある。この空白期間は『皇覧』と斉梁
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の内容と歴史背景の差異を示す。
唐代では、内容を選別せずに政治に無益な見聞を幅広く収録する初期
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の性格が批判された。初期
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と直接に書承関係を持つ『藝文類聚』の引用書の分析から、かかる
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には魏晋以後の雑伝·地理書を大量に収録する特徴があることがわかる。これは唐代が批判した「政治に無益な見聞」にあたる内容である。曹魏初期に編纂された『皇覧』がこれらの書籍を収録することは不可能なため、『皇覧』と梁代
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との間に大きな差が認められる。帝王に必要な知識を纏める
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の発展には、斉梁代を境に、経書を中心とする『皇覧』の通行する時期と、魏晋以降の史書を多く収録する新型
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の通行する時期という、二つの段階が認められる。
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が、漢代以前の知識を主とする『皇覧』から、魏晋知識を「典故化」した斉梁
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へと変化した背景には、知識の整理と体系化における当時の王朝の需要と、文化を経由して政治的地位の上昇を求める下級士族の動きがあった。
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