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797件中 1-20の結果を表示しています
  • 山崎 彩夏, 鈴木 樹理, 上野 吉一, 武田 庄平, 黒鳥 英俊
    日本家畜管理学会誌・応用動物行動学会誌
    2008年 44 巻 1 号 58-59
    発行日: 2008/03/25
    公開日: 2017/02/06
    ジャーナル フリー
  • 有本 寛, 中嶋 晋作, 富田 康治
    農業経済研究
    2014年 86 巻 3 号 193-206
    発行日: 2014/12/25
    公開日: 2016/03/26
    ジャーナル フリー
    本稿は,区画交換による農地の団地化がどの程度可能かを,シミュレーションによって検証する.まず,現在一部の農家で行われている個別・分権的な相対交換では,自発的な交換に必要な「欲求の二重一致」が少なすぎるため,団地化の進展が困難であることを示す.次に,Shapleyらのtop trading cycleアルゴリズムを援用し,複数の農家が区画を一斉交換する集団・集権的な方法を提案する.これは,「欲求の二重一致」の制約を緩和するため,個別・分権的な交換に比べて倍以上の集団化率を実現できた.また,より多くの農家が交換に参加するほど,集団化率も劇的に高まった.多くの農家の参加を募り,集団・集権的な配分を行うことが農地の団地化にあたって有効である.
  • 近藤 誓
    日本体育学会大会予稿集
    2016年 67 巻
    発行日: 2016年
    公開日: 2017/02/24
    会議録・要旨集 フリー

     近年、プロ野球選手が野球賭博に関与していたり、バドミントン選手が違法カジノに出入りしていたりして、スポーツと賭博に関わる出来事が社会問題となっている。しかし、同じ賭博行為でも、競馬、競艇などの4種目は「公営ギャンブル」と呼ばれ、特殊法人や地方公共団体による施行が許可されている。その中でも競馬については、戦前から行われていた実績や欧米を中心に国際的にも広く行われていることもあり、日常生活の中に溶け込むとともに現在も大きな人気を有している。競馬については、これまで公営ギャンブル(賭博)の賭け容認過程やギャンブル(賭博)の社会的影響、さらにはスポーツのルールとギャンブル(賭博)の関係などについての研究がなされてきた。こうした研究の成果を捉えつつも、しかし、いわば社会に飼いならされ「飛び地」として合法化された「賭博」は、なぜ競馬という対象の中に成立し、またそれは、例えばニュース番組などでは決まって「スポーツコーナー」で取り上げられるように、どうして「スポーツ」との関係を強く示唆されるものとなっているのだろうか。競馬、スポーツ、賭博の関係を、現代社会が写る鏡の一つとして本研究では明確にしたい。

  • 山本 順之
    日本体育学会大会号
    2003年 54 巻
    発行日: 2003/08/26
    公開日: 2017/08/25
    会議録・要旨集 フリー
  • 桐村 喬
    地理学評論
    2006年 79 巻 4 号 154-171
    発行日: 2006/04/01
    公開日: 2008/12/25
    ジャーナル フリー
    本研究は,人口分布の変化による公立小学校通学区域の再編に焦点を当て,通学区域の最適化モデルを提示するとともに,その効率的解法として,遺伝的アルゴリズム(GA)に基づいた新たな解法を提案する.モデルでは総通学距離の最小化を目的関数とし,最大通学距離,児童数による適正規模,飛び地発生の抑制,公共施設との対応維持を制約条件とし,それらに時間軸を設けて,長期的に通学区域を維持できるようにした.また,GAを区割り問題に適応させたアルゴリズムを開発し,従来の同問題に対する解法と性能を比較した.その結果,従来の解法よりも効率よく問題を解くことができることがわかった.このアルゴリズムを用いて,児童数の変動の激しい大阪府吹田市立小学校の通学区域に対してモデルの適用を行い,その結果,(1)吹田市全域に対しては適正規模を維持して通学距離を減少させることができ,(2)市による通学区域再編案にっいてはこれがおおよそ最適解と一致することが明らかとなった.
  • 住川 鞆子
    美学
    1987年 38 巻 3 号 62-
    発行日: 1987/12/31
    公開日: 2017/05/22
    ジャーナル フリー
  • 勝又 済
    都市計画論文集
    2005年 40.3 巻 775-780
    発行日: 2005/10/25
    公開日: 2017/07/01
    ジャーナル オープンアクセス
    既存小規模敷地において相隣環境の保全に配慮しながら居住面積を拡大するには、隣接敷地の買い拡げによって敷地規模を拡大する方法がある。東京都江戸川区では、一定規模以上への敷地の隣地買い拡げや土地の新規購入に際し低利融資を行う「街づくり宅地資金貸付制度」を創設し、運用を行っている。本稿では、同制度の適用事例の特性を分析し、敷地規模拡大の効果と今後の制度運用上の課題を整理し、低利融資による既存小規模敷地拡大のためのインセンティブ手法のあり方について考察している。分析の結果、持家1次取得層による土地の新規購入事例が多く隣接地買い拡げ事例は少ないこと、隣接地買い拡げ事例においても購入後の実質的な一体的利用は進んでいないことが明らかとなった。同制度の運用改善策として、隣接地買い拡げ後の敷地の一体的利用実現に期限を設ける、隣接地買い拡げ事例を増やすため需給のマッチングに向けた公的支援を行う(供給敷地のリザーブ、半隣地買い・1/3隣地買いの支援、土地税制の優遇、土地売却時の事前相談)、「面」的整備につなげるため地区計画や密集事業の補助ツールとして地区を重点化し本制度を活用する、等を提案した。
  • 野坂 正史, 吉川 徹
    日本建築学会計画系論文集
    1999年 64 巻 525 号 201-208
    発行日: 1999/11/30
    公開日: 2017/02/03
    ジャーナル フリー
    The aims of this study are to estimate the necessary number and to decide the optimum location of hierarchical day facilities for the elderly in Suwa-Nagayama district, Tama New Town. The population of this area is estimated to be about 20,000 in 2020 and a large number of day facilities should be needed; the upper level -3.7, the middle -12.3 and the lower -18.2. Provided we plan to utilize the existing facilities for children on locating day facilities, the latter facilities should replace almost all the former. Fixing capacity of facilities causes split of the service area of them.
  • 河野 正
    アジア研究
    2011年 57 巻 4 号 52-69
    発行日: 2011/10/31
    公開日: 2014/09/15
    ジャーナル フリー
    Much research has been published on the subject of rural villages in north China, which describes a village as a non-community, borderless group. Because previous works have mostly been interested in the traditional village, they did not fully analyze the transitions that these villages underwent in the 1950s. In particular, these works are mainly interested in whether or not north China villages are closed communities, but are not interested in the requirements of villagers, and their sense for village land. However, these are issues that must be analyzed before considering whether or not north China villages are closed communities.
    In section 1 I briefly marshal the views on north China given in previous works, and in section 2 I analyze the problem of village land. It has been proven that north China villagers did have a definite border-consciousness concerning land reform. I have also undertaken some analysis of crop-watching practice, traditionally called kanqing, in section 3. Because village borders in north China are generally considered to be same as the borders of crop watching, any changes in the village border imply changes in crop watching. In section 4, I analyze the requirements for being a villager and the peasants’ sense or awareness as villagers. When the Chinese Communist Party (CCP) executed land reform in rural villages, specific distinctions were drawn between insiders and outsiders. Such distinctions had some influence on the distribution of land and properties. Although such distinctions were strengthened when the CCP executed land reform, during the time of collectivization such distinctions weakened because land ownership had lost its significance.
    This sense of village did not help the CCP to promote the execution of its policies such as land reform and collectivization, but rather hampered this process. At the time of higher-level collectivization, because every village had its own village consciousness, it was not easy to form a higher-level co-op. These difficulties reduced higher-level co-ops to smaller entities of similar size to primary level co-ops.
  • 林 和眞, 城所 哲夫
    都市計画論文集
    2013年 48 巻 3 号 567-572
    発行日: 2013/10/25
    公開日: 2013/10/25
    ジャーナル オープンアクセス
    本研究の目的はイノベーション・ネットワークの空間構造の特徴を分析し、その概念的空間モデルを検討することである。その際、重要なパワーノードとサブグループである、コミュニティの空間特性を明らかにした。 分析の結果、ハブの空間的な分布としてハブとなる企業が3大都市圏と東海道コリドーに集積していることが分かった。また、コミュニティ分析を通じて、全時点において広域に及ぶネットワークコミュニティが形成される一方で、地理的な近接性のもとでの強い結び付きもみられることが分かった。とりわけ、そのネットワークは名古屋圏と大阪圏、九州圏において発達している。このような空間分布をもとにイノベーション・ネットワークの空間モデルを提示すると、いくつかの都市を核とする広域的な地域で展開していることが指摘できる。このような核となる都市のハブとしての位置づけが高まる一方で、それぞれのハブから伸びる飛び地が相互に重なり合うように分布する傾向が高まることもみてとれる。
  • 杉浦 奈実, 齊藤 陽子, 黒河内 寛之, 湯 定欽, 井出 雄二
    日本森林学会大会発表データベース
    2015年 126 巻 P1B066
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/07/23
    会議録・要旨集 フリー
    イチイガシは日本、中国大陸、台湾島に分布する。日本では長期にわたる伐採や生育地開発により個体数が減少しているが、社寺林に多く残るなど、古くからの人間との関わりも伺われる。本研究では、葉緑体DNAシーケンスにより本種の系統地理学的構造を、核SSR解析により保全上特に重要である集団の遺伝的特徴と地域内での花粉流動を明らかにし、本種の保全に関わる遺伝的背景の解明を目指した。
     日本25集団、中国大陸1集団、台湾島5集団の計31集団の葉サンプルを用いて葉緑体DNA計1815bpを読解し、置換・欠失変異に基づいて10ハプロタイプを検出した。一部に飛び地的なハプロタイプ分布が認められたものの、全体としては明瞭な地域性がみられた。イチイガシは長期に渡る個体数の減少を経験したが、遺伝構造の乱れにつながる人為影響は限定的だったと推察される。更に、希少なハプロタイプを持ち集団の個体数が少ない3集団の成木と種子の核SSR解析を行った。成木・種子の近交係数は低かったが、集団外との遺伝子流動は少なく、これらの集団の孤立が裏付けられた。集団の分断化と集団内の個体数の減少は大きな問題であり、遺伝的背景を考慮した積極的な保全対策が必要である。
  • 杉浦 奈実, 井出 雄二, 齊藤 陽子, 湯 定欽
    日本森林学会大会発表データベース
    2014年 125 巻 P1-120
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/07/16
    会議録・要旨集 フリー
    イチイガシは日本、中国大陸、台湾島に分布する。日本では長期にわたる伐採や生育地開発により個体数が減少している。また、社寺林に多く残るなど、古来からの人間との関わりが伺われる。本研究では、葉緑体DNAシーケンスにより本種の地理的な遺伝構造を調べ、その分布における人為影響を考察した。
     日本での分布域全体をカバーする、千葉県から宮崎県にかけての23産地に中国大陸1産地、台湾島5産地を加えた計29産地の葉サンプルについて、葉緑体DNAの4領域、計1800bpを解析した。
    その結果、置換・欠失変異に基づき10個のハプロタイプを検出した。一部に飛び地的なハプロタイプ分布が認められたものの、全体としては明瞭な地域性がみられた。日本では静岡県から九州中部にかけての広い範囲で同じハプロタイプが優占していたが、分布の端ではそれとは異なったハプロタイプが見られた。また、中国大陸・台湾島で採取されたサンプルからは日本のものとは異なるハプロタイプが検出され、共有はなかった。
     イチイガシは歴史的に長期にわたって個体数を減らしてきたと考えられるが、遺伝構造の乱れに繋がるような人為影響は限定的だったと推察される。
  • 湯本 太郎
    安全工学
    1993年 32 巻 4 号 280
    発行日: 1993/08/15
    公開日: 2017/07/31
    ジャーナル フリー
  • 中村 登流

    1981年 30 巻 2-3 号 57-74
    発行日: 1981/12/25
    公開日: 2007/09/28
    ジャーナル フリー
    (1)霧ケ峰コジュリンの局地個体群の1961年から1971年までの年変動と分布様式について述べた.調査期間中,その個体群と分布範囲は増大し減少する一周期を示した.
    (2)コジュリンの分布は草原内でいちぢるしくパッチ状であり,植生的に複雑で推移帯的な湿原べり又は窪地に関係している.分布パッチは不安定である.或る場所は長期間使われ,他は1-3年だけである.
    (3)分布パッチは番い雄と独身雄のいくつかのテリトリーの集合である.その大きいものは,長期的に使われ,小さいものは1-3テリトリー位で,短期間のものである.八島湿原東岸のパッチが範囲を拡張したとき,いくつかのテリトリー集合ができた.その高い利用場所は場所から場所へ変っている.
    (4)個体数の年変動は,1969年まで平均23羽レベルで,のこぎり歯状を示した.1970年から減少し,1976年と1978年との間で消滅した.この局地個体群は前年の個体数にかかわりなく,前年の気象条件に関係して大幅の変動をする.
    (5)部分パッチの消滅が見られる.パッチにおける実際の消滅は雌の減少からはじまり,番い雄に対する独身雄の増加がある.1970-1971年の異常な減少もまた同じであった.
  • 根本 俊男, 堀田 敬介
    システム/制御/情報
    2005年 49 巻 3 号 78-83
    発行日: 2005/03/15
    公開日: 2017/04/15
    解説誌・一般情報誌 フリー
  • 広田 純一
    農村計画学会誌
    1989年 7 巻 4 号 38-48
    発行日: 1989/03/30
    公開日: 2011/04/13
    ジャーナル フリー
  • 古谷 知之
    都市計画論文集
    2004年 39.3 巻 787-792
    発行日: 2004/10/25
    公開日: 2017/08/02
    ジャーナル オープンアクセス
    最近,ベイズ推定による回帰分析,とりわけ MCMC法を用いて誤差項の分散を標本毎に設定した回帰モデルの頑健推定が有効であると指摘されている.本研究では, MCMC法の代表的手法の一つである Gibbs sampling法を用い, LeSageの提案したベイズ地理的加重回帰( BGWR)モデルを地価モデルの推定に適用し,ベイズ推定モデル( BGWR)と回帰モデル( GWR,OLS)の推定法の違いによる,回帰係数などの分析結果への影響について,社会資本整備に関連した実証分析を通じて検討した.推定法の違いが地価モデルを用いた分析結果に及ぼす影響を考察したところ,外れ値や飛び地を持つ標本地点が存在している場合,モデル全体の回帰係数の推定結果が異なる点や, GWRでは外れ値・飛び地の属性が周辺標本に過大に影響する可能性がある点などが示された.これらの点から,推定方法の差異がヘドニック・アプローチなどを用いた政策判断に重大な影響を与えうることが示唆された.
  • 瀬川 秀樹
    プロジェクトマネジメント学会研究発表大会予稿集
    2009年 2009.Spring 巻
    発行日: 2009/03/10
    公開日: 2017/06/08
    会議録・要旨集 オープンアクセス
  • 会誌編集委員会
    日本物理学会誌
    2016年 71 巻 4 号 208
    発行日: 2016/04/05
    公開日: 2016/06/03
    ジャーナル フリー
  • 水田 義一
    日本地理学会発表要旨集
    2017年 2017s 巻 S1401
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー


    明治初期の三重県と和歌山県の境界画定の結果、北山村は村全体が飛び地となった。なぜ熊野地方の中心都市である新宮市の都市圏を無視した県境が施行されたのであろうか。この地域は古代の国の境界が不安定で、帰属する領域は志摩国、伊勢国、紀伊国と変遷してきている。発表では国境の画定の経過と境界が移動した要因を探るのを目的とする。

    1 熊野国

    熊野国という地名は、平安時代の『先代旧事本紀』10巻「国造本紀」に「熊野国 志賀高穴穂朝御世、嶢速日命五世孫、大阿斗足尼定賜国造」と出てくる。また『続日本紀』に「従四位下牟漏采女熊野直広浜卒す」とあり、熊野国造の系譜をひいた有力者が牟婁郡にいたことを示している。ところが、『日本書記』は「紀伊国熊野之有馬村」「熊野神邑」「熊野荒坂津」「熊野岬」と記し、熊野国と記すことはない。木簡史料も牟婁郡と記して熊野とは記さない。近世の地誌書『紀伊続風土記』は、大化の改新によって熊野国は紀伊国の牟婁郡に改称されたという説を記し、この説が今も継承されているが、記紀はがなく、行政的な熊野国は存在しなかった。

    2 古墳の欠如と郷の分布

    紀伊半島の先端部では、考古学的な調査事例は少ないが、分布調査から、縄文土器が出土し、弥生土器はほとんどの浦や河口の低地で発見されている。次に古墳の分布をみると、枯木灘から熊野灘にかけて、150kmの海岸には古墳の見られない地区が続く。僅かに周参見と那智勝浦町の下里(前方後円墳)に2基みられるに過ぎない。9世紀の『和名抄』に記された郷の分布をみると、紀伊国の三前郷(潮岬)と、志摩国英虞郡二色郷(錦)まで、100kmの海岸部は、2つの神戸郷と餘部郷記されるが、その所在地も曖昧で、紀伊・志摩国の国境の画定は難しい。実態は未開地が広がり、それが自然の国境をなしていたのではあるまいか。

    3 伊勢国の拡大

    南北朝期に北畠氏は南朝の主力として戦い、南北朝合体後も伊勢国司として代々国司職を継承した。その勢力範囲は伊勢南部、志摩国全土および牟婁郡(熊野地方)に及んでいた。各地に親族を配し、在地の武士を被官化して戦国大名化していった。熊野灘沿岸の旧志摩国英虞郡をその領域に組み込んでいるが、いつ伊勢国度会郡となっていったか、その時期は確定できていない。

    4 紀伊国と伊勢国の国境

    至徳元年(1384)に、北畠氏の家臣加藤氏が、志摩国に進出して長島城を築いて伊勢北畠領の拠点とした。その後2世紀にわたり、尾鷲、木本一帯で紀伊国の有馬氏・堀内氏と合戦を繰り返した。最後に新宮に本拠を置く堀内氏善が天正10年(1581)、尾鷲において北村氏を討ち、荷坂峠までを領国とした。堀内氏は天正13年の秀吉による紀州統一に際して、大名として領域を認められた。その結果、紀伊と伊勢は荷坂峠が国境と定まった。

    まとめ

    古代の国境:尾根(山岳)による境界と河川を使った境界があるが、尾根を使った大和・紀伊と大和・伊勢さらに伊勢・志摩の国境は、現在まで安定した境界であったと推測される。河川や浦が卓越する紀伊・志摩間の国境は無住の空間が広がり、自然の境界となっていたと考えられる。古墳は那智勝浦町の前方後円墳1基をのぞくと、すさみ町から紀伊長島町の間120kmは古墳が存在しない。10世紀の「和名抄」の郷名を見ると英虞郡二色郷(錦)と牟婁郡三前郷(潮岬)の間には、2つの神戸郷と余部郷が見られるに過ぎず、50戸に編成できない分散的な集落が見られるに過ぎない。半島の先端部は、居住者の少ない辺境であったことを示している。中世の南北朝期の合戦や戦国期の戦乱によって、戦国大名の領域が定まり、それが近世初頭に国境となった。紀伊国牟婁郡が大きく東北へ広がり、伊勢国が志摩国英虞郡を取り込んだ。大和の南端部と紀伊国が河川を境界としているのをのぞくと、いずれも山の峰を利用した安定した境界線である。明治初期に県域の設定が行われたが、近世には紀伊半島を取り巻く紀伊・伊勢国は紀州藩(徳川藩)であった。紀州藩を分割して和歌山県と三重県に分割するとき、安定した自然境界、県庁所在地からの距離を考慮して、熊野川が県境に選ばれたと推測している。
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