関東・中部地方を中心とした地域では縄文時代中期後葉期の竪穴住居址内に祭祀的な遺構・遺物がしばしば検出されるという特徴を有している。なかでも注目されるのが,石柱・石壇と呼ばれる,石を用いて構築された祭壇状の施設である。この特異な遺構については,これまでにも多くの研究者によって注目され,しばしば論じられてきたが,こうした施設を有する住居址を他の一般的な住居と区別して特殊な祭祀家屋であるとか司祭者家屋とする見方が一般的となっている。
そうした観点とは別に,筆者は中期終末期に忽然と出現をみた柄鏡形(敷石)住居の出現過程を探るうえで,とくに屋内敷石風習の開始時期とのからみにおいて,この石柱・石壇をもつ住居址に注目して,柄鏡形(敷石)住居の初源段階に位置づけてみたことがある。
その後,資料の増加とともに,中期後葉期から終末期に至る過程の中で,柄鏡形(敷石)住居の成立のありかたをより細かく検討しなおす必要性が生じてきた。そこで,本稿では,石柱・石壇をもつ住居址例を再度分析することを通じてその特性を明らかにさせるとともに,この種の住居址を特殊視化する傾向に対してあらためて反論を試みることとした。
検討にあたって,事例の集成を行ない,とくにその変化のありかたを中心に論じてみることとした。その結果,石柱・石壇をもつ住居は,中部山地を中心とした地域の中期中葉に初源し,中期後葉にその盛期を迎え,中期終末期に衰退するという変化のありかたがとらえられること,他の石柱・石壇をもたない住居と比較して,石柱・石壇をもつ以外にその差異を見出すことは困難であることを明らかにさせた。こうした時空的分布の特性からするなら,石柱・石壇をもつ住居址を特殊な祭祀家屋であるとか司祭者家屋であるとするような位置づけは困難なのであり,ごく一般的な住居としてとらえるべきであることを再確認した。すなわち,特殊であるのはその住居にあるのではなく,石柱・石壇という祭壇状施設を住居内に設置したという時代の特性にあると考えられるのである。
抄録全体を表示