およそ、都市の発生とその発展は、その都市の位置的立地条件と自然的環境条件に基くものを基盤としている。しかしながら、各都市の持つ性格やその独特の形態に関しては、人為的な施策の経緯が深く関与していることも事実である。
福岡市は九州北部にあって、昭和47年に政令都市に指定された人口120万を超える西日本第一の都市であるが、この福岡市の中心市街地区の都市形態は甚だ特異なものであり、全国的に見ても極めて珍しいタイプの様相を示していると思われるものである。それは、町人町として独特の発展過程を辿った「博多」と、城下町として形成された「福岡」とがドッキングする形の、所謂「双子町」的な形態によるものである。
福岡市の発生の歴史は極めて古いが、その繁栄の発端は平清盛による「袖の湊」の築造であり、次のエポックは豊臣秀吉の「博多再興 (町割り)」であり、次は筑前・黒田藩の初代藩主・長政の「福岡城下町」の建設であった。いずれも名だたる武将であり、かつ土木的技術集団とその組織を駆使し得た人物の事跡である。
本論は、この福岡市の発生とその発展過程について、主として土木的視点から考察を試みたものであるが、城下町建設以後については (その2) で述べたい。
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