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クエリ検索: "2010年代の日本"
39件中 1-20の結果を表示しています
  • 石原 俊, 有田 伸
    学術の動向
    2022年 27 巻 12 号 12_9
    発行日: 2022/12/01
    公開日: 2023/04/28
    ジャーナル フリー
  • *神田 竜也
    日本地理学会発表要旨集
    2018年 2018a 巻 311
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/12/01
    会議録・要旨集 フリー
    2010
    年代の日本
    の農業をみると、戸別所得補償制度の開始、経済連携協定による農産物・加工品の対日輸出圧力、40年以上続いた減反の廃止など、農業者や生産組織がその対応に迫られている。地域農業では、2000年代以降、農家の減少と同時に農業の法人化や集落営農組織が増加傾向にある。神田(2017a;2017b)は、岡山県津山市および久米南町の中山間地域を例に、集落営農組織の特質を明らかにし、組織のかかえる問題点や支援の方策、米価低迷の対応を検討した。
     本報告では、岡山県奈義町を例に、集落営農の地域的展開を明らかにし、さらに組織間の農業の連携と支援の可能性を検討する。奈義町の集落営農組織は、県北各市町村のなかで法人化率の高さが特筆される。また、町では組織経営体や農業者の交流・連携を図る組織が結成され、事業・運営の活性化や農業の支援がすすめられている。
     奈義町は、岡山県の北東部に位置し、町域面積69.54k㎡、人口は約5,900人である。行政区域は19地区(大字に相当する)。那岐山麓は緩やかな傾斜が続き、南側は長くのびた台地と平野が広がる。農業構造改善や土地改良事業が1960年代からすすめられ、圃場整備は現在農地面積の98%が完了している。地域的には、県北の主要都市である津山市への通勤がみられ、また町内には東山工業団地(1992年完成)があり、兼業機会に恵まれた地域である。
     2015年の農業センサスによると、農業経営体は485、単一経営は339、このうち販売金額の第1位が稲のものは292(85%)である。借入耕地のある経営体は193、借入耕地面積は271haで、借地経営がすすんでいることがうかがわれる。おもな農畜産物は、米、黒大豆、サトイモ、白ネギ、生乳があげられる。経営面積別では、1~2ha、0.5~1ha規模層が全体のそれぞれ35%前後を占め、経営規模10ha以上の層は集落営農や個別の法人経営である。
     奈義町の集落営農組織は2017年現在11あり、このうち10組織が法人である。法人設立年をみると、2005年の1法人を嚆矢として、2007年、2008年、2009年、2010年、2012年、2015年、2016年に各1~2法人が成立している。集落営農への参加数は28~82戸、経営耕地面積は0~20ha、作業受託は多い法人で40haとなっている。また、新規需要米として飼料用米や飼料稲、他に園芸品目の導入による多角化がみられる。
     調査した西原営農組合、高円営農組合、中島西営農組合の3法人では、オペレーターが少なくとも5~6人程度確保され、そのオペレーターを中心にすえながら、人手を擁する作業には地元消防団やパートを利用するなどの対応がみられた。生産面では、食用米のほか新規需要米を導入して政策対応を図っている。また、勝英地域で広く生産奨励されている大豆や、町特産のサトイモなどの生産もみられた。出荷については農協主体で、一部の作物は直売所などへ出荷される。機械については、法人がその一式を装備するのでなく、地区内の他組織からリースしていた。各法人は、近年の米作付助成の減額、米価下落により減収減益を経験したが、その後西原では地代の見直しをおこなった。集落営農の現段階は、法人への利用権設定、オペレーター中核方式(中島西では専従オペが農作業を行うが)、作業出役に労賃を配分、などが特徴で、やはり地域から自立した経営体となることは想定されていない。
     地域農業の問題や政策への対応において、その情報の共有や組織間の連携も重要である。2014年6月に設立された奈義アグリネット(集落営農10法人、個別経営体23)は、水田農業の維持・発展のため、栽培技術の提供、組織間の連携を図ってきた。集落営農においては、オペレーター・機械の相互貸し借り、地元消防団への意向調査と農業への参加などを検討したり、実施したりしている。事例とした法人も、アグリネットとかかわるなかで新たな事業を参考にしたい意向をもつ。また、アグリネットがモデルとなった外部の組織とのネットワークのなかで、新たな情報を得たり、学習したりする点は非常に興味深く、今後の地域農業のあり方にも一石を投じるものである。
  • 金井弘夫
    植物研究雑誌
    2016年 91 巻 2 号 131
    発行日: 2016/04/20
    公開日: 2022/10/20
    ジャーナル フリー
  • 有末 賢, 大山 小夜
    社会学評論
    2015年 66 巻 4 号 446-459
    発行日: 2015年
    公開日: 2017/03/31
    ジャーナル フリー
  • 不可視の存在の階層的把握に向けて
    *桂 悠介
    日本文化人類学会研究大会発表要旨集
    2023年 2023 巻
    発行日: 2023年
    公開日: 2023/06/19
    会議録・要旨集 フリー
    本発表では、不可視の存在と人々との関わりの多様性と共通点について、アブダクションを中心としたオートエスノグラフィー用いて記述することの意義と可能性を示す。発表者の日本や西アフリカでの経験やムスリムの自然科学者の議論を通して、ジン(妖霊)や放射性物質という一見異なる不可視の存在と人々の関わりの類似点について論じることで「他者」と「われわれ」双方の存在論の階層的把握の起点を提起する。
  • —個人戦略と公共政策の狭間で—
    武川 正吾
    家族社会学研究
    2013年 25 巻 1 号 43-51
    発行日: 2013/04/30
    公開日: 2014/11/07
    ジャーナル フリー
    この報告は,家族戦略論のなかに公共政策を新しい変数として導入することを提案する.家族戦略の「構造的諸条件」の多くが公共政策の決定の結果として生み出されているからである.他方で,個々の家族戦略の集積の結果として,これらの「構造的諸条件」は単純再生産されたり,拡大再生産されたり,構造自体が変化する場合もある.日本も他の先進諸国と同様,グローバル化と個人化の影響を受けている.しかしその影響が他国と同様に純粋的な形で現れないのは,日本では「家族」が緩衝地帯としての役割を果たしているからである.このようなことが可能となった背景には,日本の福祉レジームの存在がある.しかし,その家族そのものの数が現在減少しつつある.家族変動に対する公共政策の影響は,これまで十分に評価されてきたとはいえない.しかし,公共政策の最初の一撃は,家族変動を含む社会変動にとって重要である.家族戦略と公共政策との間の正のスパイラルを確立するために,現在の日本では「公共政策による最初の一撃」が求められている.
  • 浜島 幸司
    子ども社会研究
    2018年 24 巻 272-275
    発行日: 2018/06/30
    公開日: 2023/02/26
    ジャーナル オープンアクセス
  • 永江 雅和
    歴史と経済
    2013年 55 巻 3 号 1-2
    発行日: 2013/04/30
    公開日: 2017/08/30
    ジャーナル フリー
  • 金井弘夫
    植物研究雑誌
    2016年 91 巻 2 号 131-132
    発行日: 2016/04/20
    公開日: 2022/10/20
    ジャーナル フリー
  • *鄭 響, 安齋 利典
    日本デザイン学会研究発表大会概要集
    2021年 68 巻 2B-05
    発行日: 2021年
    公開日: 2022/02/23
    会議録・要旨集 フリー

    現代社会における電子書籍などの台頭に伴い、ユーザーはデスクランプを利用する意識がますます弱まり、利用率は継続的に低下している。 近視は年々増加している。 この研究は現有のデスクランプの造形を変えることにより、デスクランプの魅力を上げ、デスクランプの利用率を高めるように、人々の生産と生活を促進するが目的である。 本研究では、人間中心の理論と実践方法で研究し、市場調査やユーザー調査を通じて、情報を手に入れる。ユーザーニーズに応じるデザインを行う。

  • 海野 敏
    日本図書館情報学会誌
    2015年 61 巻 4 号 263-264
    発行日: 2015/12/31
    公開日: 2017/04/30
    ジャーナル オープンアクセス
  • 10年間の歳月を通して
    苅間澤 勇人, 河村 茂雄, 森本 晋也, 熊谷 圭二郎, 根田 真江, 藤村 一夫
    日本教育心理学会総会発表論文集
    2021年 63 巻
    発行日: 2021年
    公開日: 2021/08/25
    会議録・要旨集 フリー
  • 富田 芳生
    計測と制御
    2022年 61 巻 12 号 918-920
    発行日: 2022/12/10
    公開日: 2022/12/23
    ジャーナル フリー
  • ─農民・労働運動の消滅と焼畑型ジェントリフィケーション
    中澤 秀雄
    学術の動向
    2018年 23 巻 9 号 9_40-9_46
    発行日: 2018/09/01
    公開日: 2019/01/18
    ジャーナル フリー
  • 飯笹 佐代子, 渡辺 愛子, 川村 陶子, 坂井 一成, 岡 眞理子
    インターカルチュラル
    2018年 16 巻 50-58
    発行日: 2018年
    公開日: 2023/11/01
    ジャーナル オープンアクセス
  • カンギレムからフーコーへ
    松野 充貴
    日仏社会学会年報
    2022年 33 巻 43-60
    発行日: 2022/11/30
    公開日: 2024/02/12
    ジャーナル フリー

    The purpose of this study is to interpret Michel Foucault's theory of power in relation to the philosophy of Georges Canguilhem and to show that power in Foucault can be interpreted as a model for Canguilhem's life and society. First, I focus on two normativities of Canguilhem. In biological normativity, norms are intrinsic, created by life. In social normativity, on the other hand, they are extrinsic ends that are assumed as a result of the demands and coordination of rationalization in various domains. The discussion of social normativity is based on the replacement of the object-measure relationship, and normalization is positioned as a technology. This theory of technology is interpreted in terms of Canguilhem's original theory, organology. According to Canguilhem, the mechanism of life's organs is produced by life itself and has a purpose intrinsic to life. Even though each organ of life has individual purposes, those purposes are aimed at the maintenance of the living system, i.e., homeostasis. In other words, each organ of life must be considered in relation to the overall purpose. In contrast, the mechanisms of social institutions, which are produced by society, have only extrinsic purposes. They are said to have no overall purpose but only individual purposes. Starting from the above interpretation of Canguilhem, I discuss Foucault's theory of power with a focus on norms and mechanisms. First, I explain that in The History of Sexuality I: The Will to Know, strategy and tactics, the central concepts of power theory, are discussed from the perspective of means-object relations, and that power, like life, is characterized by homeostasis. Next, I examine the “prison failure” discussed in Discipline and Punish: The Birth of the Prison, namely, that in order to solve the problem of the inability to correct prisoners, power creates a mechanism consisting of police, prisons, and delinquents. This mechanism is intrinsic to power and can be understood in relation to the organs of life as well as interpreted as maintaining a discipline-training society. Hence, the mechanism of power aims to make itself function like an organ of life. Finally, we examine the paradoxical feature of power that the intrinsic purpose of power is extrinsic to the person exercising it, which was not explained in Discipline and Punish, but can be explained in terms of the desire for survival when we look back from the lecture on bio-power at the Collège de France.

  • 木下 芳一, 石原 俊治, 石村 典久
    日本消化器病学会雑誌
    2017年 114 巻 10 号 1765-1773
    発行日: 2017/10/05
    公開日: 2017/10/05
    ジャーナル フリー

    GERDの病態と診療に関しては多くの研究が行われ,その病態がほぼ明らかとなり,治療法も確立されたと考えられてきた.ところが,実際には胸やけや呑酸が一般的な胃酸分泌抑制療法に反応せず,治療に困難を感じることは少なくない.最近,このようなGERD例には食道の知覚過敏が存在していることがあると考えられている.知覚過敏として,中枢性の知覚過敏とともに食道粘膜局所の炎症が末梢性の知覚過敏を引きおこしている可能性が指摘されている.食道粘膜の炎症が知覚神経系に及ぼす影響を詳細に検討するとともに,食道粘膜局所の知覚過敏をターゲットとした治療法の研究と開発が望まれる.

  • 仁平 典宏
    年報社会学論集
    2022年 2022 巻 35 号 38-47
    発行日: 2022/08/26
    公開日: 2023/08/30
    ジャーナル フリー

    In this paper, how the concept of neoliberalism has been accepted in Japan is analyzed, and then the extent to which it fits into Japanese society is examined using data on four issues: economic policy, social policy, governance, and subject. Subsequently, by using articles on education, ways in which the neoliberal concept is used as a comprehensive description of society is examined. Finally, consideration is given to how we should deal with the neoliberal concept.

  • 2000 年代後半の社会調査の統計分析から
    寺沢 拓敬
    関東甲信越英語教育学会誌
    2014年 28 巻 97-108
    発行日: 2014年
    公開日: 2017/07/20
    ジャーナル オープンアクセス
    This study aims at revealing how Japanese people’s needs to use English have changed in the late 2000s by statistically analyzing Japanese General Social Surveys. The analyses revealed that the number of Japanese users of English generally decreased from 2006 to 2010. In particular, significant decrease was found in the use of English in the workplace and the use of English for entertainment. This general decrease in 2010 was probably yielded by the global recession which started in 2008, because large and significant decrease in the number of the users was recognized in a specific type of workers on whom the global recession had a strong impact. These workers included (1) male workers in their 30s and 40s, (2) workers engaged in restaurant industries and transportation industries, and (3) those working for a middle-sized corporation (i.e. a corporation with 30-299 employees). The opportunities to use English among these types of workers were likely to be strongly influenced by decrease in the number of foreign visitors, trade slumps, and structural changes of international transactions, all of which have been caused by the global recession. Based on these findings, this paper discusses the necessities of critical examination of a variety of discourses articulated by business communities and the government, which mistakenly assume consistent increase in the needs to use English in current Japanese society.
  • ──グローバル市場主義に侵食される日本企業──
    *上林 憲雄
    經營學論集
    2019年 89 巻
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/26
    会議録・要旨集 フリー

    日本的経営はグローバル市場主義によって著しく侵食され,もはや風前の灯火の状態にある。日本的経営の要素として今日まだ辛うじて残っている特徴は「人材の育成志向」くらいである。また,日本的経営として取り上げられる要素では必ずしもないものの,評価基準を自国や自企業(己自身)にではなく諸外国や他企業という「外」に置く点も変わらぬ日本的特徴である。今後,ますますグローバリゼーションが進展する中,日本企業が世界に伍していくためには,外部に基準を求めそれに合わせようとするのではなく,自らで納得する基準を作り,それに沿ってユニークな人材を育成していくことである。加えて,グローバル市場主義が日本企業や社会に対しもたらす負の側面にも十分配慮する必要がある。

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