此の報告は岩手県のりんご生産諸地域の性格を概述したものである。生産量は日本の5.0%を占めるに過ぎないが1949年の1818町から1955年には3590町と2倍の面積増加を示す程岩手県における戦後のりんご生産の発展は著しい。然らば岩手県のりんご栽培は, 複雑な自然環境と個性の強い特有な土地利用や農業組織の中で, どの様にして導入され発展して来たか? そしてどの様な多様なりんご栽培諸地域が現出され来たか? 此の様な実態の把握によつて, 新たに農業地域が形成される場合の2, 3の問題点考察の資料を準備し, 足がかりを見出すことが出来よう。
I. 岩手県は東西を夫々北上山地及び奥羽山脈によつて占められ, 中央部では北部は馬淵川流域, 中南都は北上川の貫流する北上河谷盆地となつている。盆地西側には扇状地群が発達し, 北上山地の中南部では侵蝕小盆地や丘陵性地形が展開する。太平洋岸は複雑な所謂リアス式海岸である。
りんご樹の生育期間の気候は青森地方と類似するが, 内陸部は気温較差が大きく, 果実の着色を容易ならしめ, 海岸部ではガスや潮風の為薬害を起す事もある。
花崗岩安山岩石灰岩の崩解土が多く, 排水良くりんご栽培に適する。
りんご園は北上盆地中部, 馬淵川上流域, 遠野盆地に主に分布し, 丘陵地の緩傾面や自然堤防, 扇状地などが利用される。
II. 岩手県のりんご栽培の起源は青森県と同じく1875年に政府より苗木配布を受けた事に始まる。その後諸条件の整備によつて発展を見たが, 病虫害発生の為1905年以降衰微し1920年代には50,000本にまで樹数の減少を見る。此の際青森県と異り岩手県では適切な技術的対策が施されなかつた為, 復興はおくれた。1922年以降栽培者有志が毎年青森県の栽培地を視察して技術の導入普及を計つたので再び隆盛に向つた。彼等のりんご栽培に果した役割が非常に大きかつたので, 現在でもりんご栽培地域は彼等の住む地域を中心に展開されている。農業地域の砲立過程に於ける栽培技術の果す役割は大きい。1925年以降は不況や凶作を契機にりんご導入は更に促進され, 栽培地域も北上盆地の中南部や遠野盆地に拡大されて行つた。
III. 郡別の量的消長とりんご園分布, りんご栽培農家数の割合, 1戸当りの栽培面積を参考にし, 具体的調査によつて性格を別けて, 次の如くりんご栽培地域を設定する。
IV. 1. 青森県に隣接し, その影響を強く受けた馬淵川上流地域
2. 北上河谷盆地内の栽培地域
A. 滝沢峡谷以北のりんご栽培地域
B. 盛岡周辺の集中的りんご栽培地域
C. 盆地西側扇状地群の栽培地域
D. 南東部丘陵村の栽培地域
E. 盆地中南部沖積地の栽培地域
3. 北上山地内のりんご栽培地域
A. 北上山地中部北部の栽培地域
B. 遠野盆地のりんご生産地域
C. 北上山地南部の地域
4. 海岸地帯のりんご栽培地域
A. 米崎のりんご栽培地域
B. 大部分の沿岸栽培地域
5. 奥羽山脈の地域
V. 之等の区分は, 特定な或は一律な指標を用いてなされたものではない。地域の産業特に農業の組織の中にりんご栽培が如何に組合わされているか, 如何なる段階で如何なる実体を示しているかの考慮に差いた区分である。
かくして岩手県のりんご栽培地域は多様な性格を示す。地形や気候の複難さ, 交通条件の便否, 冷害水害の影響の程度の相異と共に, 従来おかれて来た地域の産業の性格や農業の発展の過程にも夫々特色がある。従つてりんご栽培が導入されそれが発展して形成した栽培地域も多様な性格, 多様な発展段階を示す。
此の研究から演 され得る問題が2つある。1つは新しい農業地域が形成された場合のその発展段階についてである。夫々の性格を持つた地域で, 新しい農業を導入する仕方, 導入する農家の性格, 及び経営方式が具つているのを見る事によつて, 時間的流れの中でのその発展段階を知り, 次の段階を推察して行く事が可能である。之は新しい農業地域の形成及びその発展を考察する場合の不可欠な側面である。
他の1つは, より有利且先進的なかゝる農業地域が形成され発展するに際しての, 栽培技術の重要性についてである。日本農業で一般的に見られる労働集約的な手労働を必要とする段階では, 新しい栽培技術の収得及びその伝播は新しい農業地域形成に於ける必須の要件である様に思われる。此の事は岩手県のりんご栽培の発展及び現在の分布地域を調べる事によつて知り得た一つの事実である。之に関しては他の実例と併せて理論的吟味を別途に意図している北上市の商店街
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