2020 Volume 58 Pages 54-66
サハラ以南アフリカでは、NGOに対して規制的な法制度が2000年代以降制定されている。本稿では、エチオピアとケニアの二カ国を事例とし、NGOに関連する法規制の比較検討に基づき、NGOと政府の関係性と現在の市民社会スペースの状況を明らかにすることを目的とする。両国ともに、政権に影響があるような、人権やガバナンスなどに関連する活動を行うNGOの活動領域の縮小化を政府は試みているが、ケニアの場合はそのような活動を行うNGOをおもな対象としているのに対し、エチオピアの場合、2009年の「慈善団体および市民団体に関する布告」のもと、NGO全体が対象となったことが大きく異なる。さらに、エチオピアにおいては、国際NGOを含め国内で活動するNGO全体の活動領域が縮小化された一方で、ケニアにおいては、政府の規制的な対応にもかかわらず、NGOは人権やガバナンスに関連する活動を継続している現状がある。
2016年に合意された「持続可能な開発目標(SDGs)」のゴール17には、持続可能な開発の達成のために、政府、市民社会、民間セクターとのパートナーシップの重要性が含まれており[UN 2015]、非政府組織(Non-Governmental Organization、以下、NGO1)は市民社会の一部としてその役割を期待されている。このような国際的な期待のもと、NGOは、貧困層などの支援が必要な人びとに対する食料などの物資の支援、教育などのサービスの支援、そしてガバナンスや人権の保障などにその活動領域を拡大している[Paulos 2005]。
NGOに対する期待が高まる一方で、NGOに対する法規制が各国で策定されている。サハラ以南アフリカにおいては、2000年代から多くの法規制が定められている2。そして、その内容が、NGOの活動領域を含む市民社会スペースの縮小につながっていることが指摘されている[Dupuy, Ron and Prakash 2015; ICNL 2016]。外国からのNGOに対する援助が増加するなかで出現している「ブリーフケースNGO」といわれる、自己利益の追求のみを目的とするNGOの活動の規制は必要である[宮脇・利根川 2018]。しかしながら、支援を必要とする人びとのために、使命をもって活動する多くのNGOが、規制的な政策のもとで、困難な状況に面している可能性がある。
本稿では、東アフリカに位置するエチオピア連邦民主共和国(以下、エチオピア)とケニア共和国(以下、ケニア)の二カ国に注目する。エチオピアでは、2009年に「慈善団体および市民団体に関する布告(Charities and Societies Proclamation No. 621/2009)」(以下、旧布告)が制定された。旧布告の内容は抑圧的であるとして、国内外から多くの批判を受けた一方で[Ashagrie 2013など]、旧布告は、ウガンダやケニアなど近隣諸国のNGOに関連する法律に負の影響を与えたといわれている[Mwesigwa 2015]。そして、旧布告制定から10年後の2019年3月にエチオピアでは、抑圧的な旧布告から一転、NGOに対して寛容とされる「市民社会組織に関する布告(Organizations of Civil Societies Proclamation No. 1113/2019)」(以下、新布告)が制定された。このようなエチオピアにおける変化の時機を捉え、本稿では、エチオピアとケニアにおけるNGOに関連する法規制の変遷に注目し、両国のNGOと政府の関係性と市民社会スペース、とくにNGOの活動領域の状況の変化を、法規制の観点から明らかにしたい3。
NGO全般の活動領域に関して、Korten[1990]はNGOの世代論により四分類して説明している。第一世代のNGOは、受益者の人びとの不足を補うサービスの直接供与を行う。第一世代の活動は、1970年代以降広まったベーシック・ニーズ・アプローチ(Basic Needs Approach)とも重なる。このアプローチでは、食糧や水、教育など、最低限必要なものがない周縁化された人びとに対して、サービスを提供することに重点を置く[Jonsson 2003]。第二世代のNGOは、受益者が自立できる能力を高めるためのエンパワメントの活動を行う[Korten 1990; 三宅 2016]。そして、第三世代のNGOは、政策や制度を変革するための活動を行う。この活動には政府への提言活動も含まれ、啓発活動が重要となり、人権、民主主義やガバナンスといった考え方が重視される。第四世代のNGOは、国を超えて地球規模の視点を有し、制度や地域住民の生活の変革を促す。ただし、一団体が複数の世代の機能を有している場合もあり、必ずしも第一世代が第四世代より劣るというわけではない[三宅 2016]。第一世代には災害時の緊急支援も含まれ、迅速な支援ができるNGOの役割は大きい。NGOの活動領域は、サービスの供与といった一時的な活動領域から、自立、政府への提言、啓発活動などの長期的な活動領域へと進展している[Korten 1990]。
エドワーズ[2006, 98]も、NGOは単なるサービスの提供者ではなく、柔軟で革新的な存在であるべきであり、「NGOは考える者、人を動かす者、革新する者、主張する者」でなけれなければならないと論じ、Korten[1990]の議論と重なる。エドワーズ[2006]は、政府には、国民に対して必要なサービスへのアクセスを保証する役割があり、NGOには人びとの声を集約し、変革へ向けて政府に圧力をかける役割があると論じ、政府とNGOの役割を分けて議論した。そして、NGOがその役割を果たすためには、NGOが「必要なときは介入できるように、法律と社会政策の枠組みを作る責任」を政府が負うと議論している[エドワーズ 2006, 204]。しかしながら、多くの国々において、NGOがそのような役割を果たすための法制度は整備されておらず、NGOによる政府への圧力に対して寛容でない状況がある4。
エチオピアは、イタリアによる占領期間があるものの、独立を維持した国である。1974年まで続いた帝政下、および1991年まで続いた軍事社会主義政権下においては、NGO数は限られていた。しかしながら、1973年と1984年の大干ばつが起こると、多くの国際NGOが緊急支援を開始し、この動きが国内の現地NGOの設立を促した[Kassahun 2003など]。Korten[1990]が示す、サービスを直接提供する第一世代のNGOがこの時期に活動を始めたことになる。しかし、当時の軍事社会主義政権はNGOの活動を積極的に認めたわけではなかった[Campbell 1996]。1994年に樹立された連邦共和制政権は、民族自治に基づく連邦制であるが、前政権を打倒したエチオピア人民革命民主戦線(EPRDF)が過去5回の選挙において勝利し、EPRDF一党による統治が続いている[児玉 2015]5。政府は2000年代に入るまでNGOに対する規制を緩めることはなく[Dessalegn 2008]、1990年代のNGOは、第一世代のNGOの特徴を有し、物資やサービス提供に限定した活動を中心に行った。
しかしながら、2000年代に入り、政府はNGOとのパートナーシップを配慮した政策に初めて転換した[Dessalegn 2008]。この背景には、重債務貧困国であったエチオピアが債務救済を得る条件として、貧困削減戦略書の策定が必要となり、その戦略書で市民社会との良好な関係性を示す必要があったという指摘がある[Dessalegn 2008]。そのような状況から、1994年には70団体であったNGO数は、2007年には1976団体まで増加し、2009年に約4000団体まで急増した。2000年代に、エチオピアでのNGOの活動環境が好転し、多くのNGOが第二世代のエンパワメントに基づく活動を行い始めた。さらに、2005年の選挙では、選挙管理委員のトレーニング、主権者教育、啓発活動などを実施する第三世代のNGOが現れた[Paulos 2005など]。このように、現地NGOが活動領域を拡大していた最中、2009年に旧布告が制定された。
(2) 「慈善団体および市民団体に関する布告」(旧布告)制定の背景2009年の旧布告制定まで、NGOに限定した法制度はエチオピアには存在しなかった[Ewing and Beyene 1972など]。そのため、旧布告が制定されると知った多くのNGOは、政府によるNGOに対する公的な認識を大いに喜んだ6。実際に、旧布告の目的は、憲法第31条に示されている、結社の自由の権利の実現であり[Federal Democratic Republic of Ethiopia 1994]、エチオピアの人びとの発展のために、NGOを支援および促進することを目的としていることが明記されている[Federal Democratic Republic of Ethiopia 2009]。しかしながら、旧布告の内容は規制的であったため、多くのNGOは落胆した。明記されていないが、旧布告の目的には、NGOによる反政府活動の規制が含まれていると考えられている。前述した2005年の国政選挙の際の、複数のNGO団体による選挙管理委員のトレーニングや、民主主義に関する啓発活動が影響していると推測されている。NGOによって実施される予定だった、約3000名の選挙管理委員へのトレーニングは、国家選挙委員会によって突如中止された。その後、この不当な扱いに対して、裁判ではNGO側が勝訴したが、裁判結果が投票日直前に出されたため、選挙管理委員を結局投票所に派遣することができなかった[Paulos 2005など]。このような政府側による選挙時のNGO活動への妨害はあったものの、2005年の選挙では、野党が躍進した。この選挙結果の背景には、長期政権であるEPRDFに対する人びとの不満や都市での失業を理由とした若年層の不満があるという[西 2007]。しかしながら、選挙後には、多くのジャーナリストが逮捕され、NGOに対しても、秘密裡に野党へ資金提供を行い、野党と共謀したと認識した政府が、NGO職員の逮捕や活動停止の警告7を行っており、NGOの国政介入に対する政策として旧布告が制定されたという指摘がある[Ashagrie 2013]。
そのほかにも、2007年に修正された選挙法(Electoral Law of Ethiopia Amendment Proclamation No.532/2007)は、選挙にかかわるNGOの活動を制限する内容が含まれた[Jalale 2019]。このような動きは、2010年の選挙に向けた動きとも推測されている[Amnesty International 2012]8。選挙や民主主義に関連するような、第三世代の活動をしていたNGOはごく一部にすぎなかったが、次項で述べるように規制的な内容を含む旧布告の成立によって、多くのNGOの活動領域が狭められたのである。
(3) 「慈善団体および市民団体に関する布告」(旧布告)の規制的な内容9旧布告には、NGOの年間支出に占める管理費の割合を30%までに制限するなど(第88条)、いくつかのNGOから批判された規定があるが、そのうちのひとつは、資金源によるNGOの分類とそれに基づく活動制限である(第2、3条)。現地NGOは国外からの支援金が全資金の10%以下の団体と10%より多い団体に分けられ、子どもの権利や障害者の権利、人権や民主的権利などに関連する活動や啓発活動などを行ってよいのは、国外からの資金が10%以下の団体のみとされた。エチオピアの現地NGOの約95%は、国外からの資金が全資金の10%より多いというデータもあり[OMCT 2009]、エチオピアでは多くの現地NGOが、外国からの資金援助によって運営されている。そのため、現地NGOの多くは、第三世代の活動のみならず、エンパワメントの考え方に基づく第二世代の活動までも実施できなくなり、ベーシック・ニーズ・アプローチに基づく、サービス提供中心の第一世代の活動に制限されたのである。また、同様に国外からの資金によって活動する国際NGOも人権や民主的な権利に関する活動などを実施できなくなった。旧布告によって、多くのNGOが活動の縮小や閉鎖を余儀なくされるなど、困難に直面した10。旧布告の内容はNGOに対して弾圧的であるとして、国内外から多くの批判を受けた[Ashagrie 2013など]。
(4) 「市民社会組織に関する布告」(新布告)による今後のNGOの活動領域の行方旧布告によってNGOの活動領域の縮小が進んで10年、2018年に就任したアビイ・アハメッド・アリ首相11は、国内外での和平や民主化に向けた改革のなかで、旧布告を修正した新布告を2019年3月末に制定した。新布告の目的は、「憲法およびエチオピアが批准している国際人権条約に基づく、結社の自由の完全な保障」(第86条)と明記があり、国際的な視野が含まれると同時に、これまで旧布告で制限してきた人権分野への寛容さも示した。また、新布告には、「国家の開発と民主化において、市民社会組織の役割拡大を可能にする環境を整備することが必須である」[Federal Democratic Republic of Ethiopia 2019, 11006]として、民主主義にかかわる活動への寛容さを示している。さらに、「旧布告における欠点を補うためにも、新布告の制定が必要とされた」という言及もあり、旧布告の欠点を認めている。実際に旧布告において批判された、資金源に基づく活動内容の制限などが、新布告では削除された。また、新布告には、「市民社会基金(Civil Society Fund)」という政府の補助金などからなる基金の設立が含まれており[Federal Democratic Republic of Ethiopia 2019, 11055]、今後の運用が注目される。
一方で、新布告にも「説明責任を果たし、公益の最大化のためには(NGOを含む)市民社会組織は規制(regulate)される必要がある」[Federal Democratic Republic of Ethiopia 2019, 11007]12という言及もある。この「規制」の程度や方法は、執筆時点(2020年4月)では明らかでない。旧布告には、具体的な実施ガイドラインがあり、新布告に関しても今後ガイドラインが示される予定である。その内容がNGOの実際の活動に大きく影響する可能性がある。また、エチオピアは2020年に統一選挙を控えており、その際の政府によるNGOへの対応に注目する必要がある。
新布告の制定後、NGOは再登録をすすめ、新布告に基づいて活動を始めている。2020年2月に筆者が行ったエチオピアの現地NGOへの聞き取りによると、新布告に基づく再登録手続きは大変順調であり、新設された担当庁もNGOに対して好意的な態度を示しているという。また、これまで制限のあった人権に関する活動や啓発活動を積極的に実施し始めているNGOもあった。新布告では、前述した管理費の上限が30%から20%に下げられたものの、以前は管理費に含まれていたプロジェクトスタッフの給与は、新布告では事業費として認められることになったため、状況は好転したという。新布告によって、第二世代のNGO活動である自立を促す活動や、第三世代の活動である政策や制度の変革のための活動を再度実施できることになったのである。このように、聞き取り調査を行ったNGO4団体すべてが、新布告に対して肯定的な意見を述べた。ただし、そのうち一団体によると、地方自治体の職員(とくに年長者)は、NGOに対する否定的な印象を持ち続けており、現在も風当たりが強いという点も述べられた。これまでの旧布告をとおして10年にわたり醸成されたNGOに対する否定的なイメージを改善するには、まだ時間が必要だろう。新布告の実態はNGOが今後活動するなかで、より明らかになっていくと思われるが、現段階では、エチオピアはNGOの活動領域の拡大に向けて動き出したといえる。
1963年のイギリスからの独立前から、ケニアには民族を中心とする青年協会や労働組合などが存在し、そのような市民社会組織はケニアの独立に貢献したといわれる[CSRG 2014; Wamucii 2014]。1968年に設置された結社法(Societies Act)によって、NGOは登録と活動が管理されるようになった[Wamucii 2014]。ジョモ・ケニヤッタ初代大統領の共和制時代の1974年時点でNGO数は125団体であったといわれている[Brass 2012]。
1980年代に経済状況が悪化した際、貧困に苦しむ人びとを支援するために多くのNGOが設立された。当時は、NGOはサービス提供を中心とする、Korten[1990]の第一世代のNGO活動をおもに行っていた[Wamucii 2014]。しかしながら、そのなかで民主主義や人権、政府のアカウンタビリティなどを求めるような第三世代の活動をする少数のNGOが現れると、一党制時代(~1991年)のダニエル・アラップ・モイ第二代大統領は、第三世代のNGOに対する統制を行った[Mwakisha 2015]。1980年代末頃から、とくに現地NGOが活動を拡大し、NGOの多くは、このころには自立の考え方に基づく第二世代の活動を中心に実施していた。また、同時に少数であった第三世代の活動を行う現地NGOが、モイ大統領の一党独裁制に対し、複数政党制を求めた啓発活動を積極的に行うようになった[ICNL 2019]。そのようななか、NGO側との十分な議論がないまま、モイ大統領は1990年にNGO連携法(NGO Coordination Act)を成立させたのである[CSRG 2014]。
NGO連携法は、NGOの活動の監視と統制が真の目的であったともいわれている[Mwakisha 2015; Wamucii 2014]。現在においても法律として効力を有するNGO連携法は、詳細な説明が欠落しており、曖昧な点が多く、とくに、NGO登録認可の基準の不透明さと、登録の審査期間の不明確さが指摘されている[Kelly 2019]。同時にNGO連携法によって設立されたNGO連携局(NGOs Co-Ordination Board)がNGOに対して差別的であり、大きな権力を持つと批判されている[OMCT and FIDH 2018]。たとえば、NGO連携法によれば、NGO連携局は、NGO登録の申請却下の理由や根拠を示す法的義務がないため、多くのNGOは理由が不明のまま登録申請を却下されているという[Ager 2018; Civicus et al. 2019]13。NGO連携局は、NGO連携法を都合良く解釈し、とくに政治にかかわるような第三世代の活動を行うNGOを厳しく取り締まっている状況がある。NGO連携法制定の直後、国内NGOによる複数政党制を求める運動とともに、国際的な民主主義推進の圧力もあり、モイ大統領は1991年に複数政党制を再導入したが、その後も政治に関連する活動を実施するNGOの代表や関係者が逮捕され[Wamucii 2014]、第三世代のNGOに対する管理統制は継続された。
(2) 新たな法律:公益団体法複数政党制の復活をそれまで後押ししてきた先進国諸国は、今度は市民社会スペースを拡大するよう、ケニア政府に盛んに要請した。同時に、先進国諸国は、人権やガバナンスに関する第三世代の活動をするNGOに対してより積極的に支援するようになった[Wamucii 2014]。このような外国からの支援もあり、1997年には836団体であったNGO数は、2006年には約4500団体にまで急増した[CSRG 2014]。国内のNGOの拡大、そして民主主義の拡大を求める国際的な圧力よって、政府はNGOと良好な関係性を構築する必要に迫られていったのである。さらに、2010年に新憲法が制定されると、新憲法に基づく言論の自由や集会の自由を反映した法的な枠組みを作ることが国内外から求められるようになり[CSRG 2014]、NGO連携法に代わる新しい法制度構築のために多くのNGOが議論に参加した。その後、2012年に法案が作成され、議会を通過し、ムワイ・キバキ第三代大統領が、2013年1月に公益団体法(Public Benefit Organization Act)を承認した[CSRG 2014]。
公益団体法は、6つの附則を含めて全62頁から構成され、NGO連携法と比較して頁数が5倍近くに増加し、詳細にわたる内容となっている。これは同時にNGO連携法が大掴みな法律であったということを示している。公益団体法は、NGO連携法と比較すると、大きく3点の違いがある。具体的には、①NGOに期待する役割の拡大、②人権や政治にかかわる活動の強調、③政府とNGOの協調体制の重視である。一点目は、NGOに期待する役割の拡大である。公益団体法では、NGOが国にとって重要な役割を果たしていることが全体として強調されている。NGO連携法において、NGOは「Non-Governmental Organization(非政府組織)」とされていたが、公益団体法においては、NGOは「Public Benefit Organization(公益団体)」とされた14。NGO連携法においては、NGOとは、「社会福祉、開発、慈善活動や研究など促進する」15活動を行う団体と説明されているのに対し、公益団体とは「公益のために活動し、開発、社会的結束、社会的寛容を促進し、そして、民主主義を促し、法の支配を尊重し、ガバナンス向上に貢献できる説明責任を果たす構造を有する」組織と説明され[Republic of Kenya 2013a, 425]、その役割は大きく広がっている。
二点目は、一点目とも関連するが、人権や政治にかかわる活動の強調である。公益団体法では、NGOが従うべき15項目の活動指針が示されており、そのうちのひとつは、「ケニアの全国民のために民主主義、人権、法の支配、グッド・ガバナンス、そして正義を促進すること」と示されている。政策決定の場へのNGOの参加を促すことが、政府の役割とする一文もある(第65条)。さらに、NGOは、政策や政府の活動などに対して、公共の利益に影響するものであれば批判してもよいとされ、NGOは政治的なキャンペーンや選挙のなかで議論されている政策について意見を表明してもよいことが明記されている(第66条)。つまり、公益団体法では、民主主義やグッド・ガバナンスなどの観点が加えられ、NGOが第三世代の活動を担うことが期待されていることがわかる。そして、三点目は、政府とNGOの協調体制の重視である。公益団体法制定の目的として、8つの観点が挙げられているが、そのなかには、「国際的に認識されている表現の自由、結社の自由の保障」に加え、政府とNGOやその他のアクターとの協調の促進が挙げられている(第3条)。また、先述の15項目の活動指針のなかにも「NGO、民間セクター、ドナー、そして政府とのあいだの相互的な信頼関係とパートナーシップの促進と維持」(第27条)が示されている。なお、「協調(collaboration)」という表現は、附則も含め同法のなかに、計32回使用されている。附則1には、「政府とNGOとの効果的な協調のための指針」が設けられ、政府との共存、協調、対話、関係性の強化、お互いの補完的な関係性の構築が強調されている(第1条)。
さらに、NGO連携法で批判されていた点については、「登録手続きに透明性を持たせて、NGOの設立を促す」(第3条)ことが公益団体法の目的のひとつに含まれている。NGO連携局に代わる新たな担当機関が「NGO登録を拒否した場合には14日以内にその理由も示すこと」(第16条)が加えられたほか、担当機関の決定を不服とする場合には決定の30日以内に、決定の見直しを要求することができるとし(第17条)、NGO連携法から大きく改善された。公益団体法は、法案作成に至るまでNGOと十分に議論され、NGO連携法における批判点を修正したのみならず、NGOにとってよりよい活動環境を約束したため、多くのNGOから支持を得た[Mwakisha 2015]。しかしながら、公益団体法は簡単には施行されなかったのである。
(3) 未施行の公益団体法:政府によるNGOに対する抑圧的な姿勢2013年1月に公益団体法がキバキ大統領によって承認された後、3月に大統領選挙が行われ、初代大統領の息子であるウフル・ケニヤッタが第四代大統領に就任した。ケニヤッタ大統領は、就任直後から、とくに人権分野で活動するNGOなどに対して公に敵意を示しているという[OMCT and FIDH 2017]。その背景のひとつには、2007年の選挙後のNGOの活動との関連が推測される。当時選挙で勝利したキバキ大統領側が不正を行った可能性があるとして、若者を中心におこった抗議運動が暴動に発展し、その後死者1000人以上、数十万人に上る国内避難民を出す国内紛争となった。その後鎮圧されたものの、暴動を扇動した疑いで、当時副首相であったケニヤッタを含め6名が国際刑事裁判所に2011年に起訴された。ケニヤッタに対する訴追は2014年に取り下げられたが、この国際刑事裁判所へ判断を促す働きかけに、人権分野で啓発活動を行う第三世代のNGOなどが大きく関与したといわれている[Otieno n.d.]。
そのような背景をもつケニヤッタ大統領の就任後、そして、多くのNGOが公益団体法の施行を待っていた最中、2013年10月に公益団体法の68カ所の加筆・修正案を含む成文法案(The Statute Law Bill)が提出されたのである。そのなかには、海外援助など外国からの入金には政府機関を通す仕組みや、特別な許可がないかぎり、国外からの資金は全資金のうち15%を上限とする内容も含まれている[Republic of Kenya 2013b, 980]。この外国からの資金に上限を設ける方法は、エチオピアの旧布告に倣ったといわれている[Mwakisha 2015; Otieno 2016]。この法案は新憲法に反するとして、NGO側は抗議し、政府に対する不信感を高めた。NGO側は、議員への働きかけやメディア、ソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)により、法案の抗議活動を行った[Houghton and Muchai 2014]。短期間の抗議運動であったが、積極的な活動が実を結び、12月に法案は撤回された。
しかしながら、その後も政府は4度にわたり公益団体法の修正を必要とする法案を提示しており、2014年には、54カ所の修正箇所を上程したという報告がある[OMCT and FIDH 2017]。そして、その修正内容は、NGO活動の制限を目的としているという[OMCT and FIDH 2018]。公益団体法の未執行に対して、NGO側は高等裁判所に訴えている。高等裁判所は、NGO側を支持し、政府に対して公益団体法の施行を2度にわたって期限付きで命令したものの、政府は近年では、2018年に公益団体法に代わる規制的な法案を示しており[Civicus et al. 2019]、2020年4月現在においても公益団体法の施行に至っていない。
それどころかNGOに対する規制が強まっているという。2017年の選挙が近づくとガバナンスやアカウンタビリティなどの啓発活動が、選挙に関係した違法な活動に当たるとして、NGO連携局から少なくとも6団体がNGO閉鎖の警告を受けた。さらに、選挙に関連したNGOの活動は違法であるという印象を与えるようなネガティブ・キャンペーンを政府が行っていたという[Civicus et al. 2019]。公益団体法では、政治や民主主義に基づく活動が奨励されているが、現行のNGO連携法にはそのような記載はなく、NGO連携局は政治に関連するNGOの活動を取り締まっている様子がわかる。
2018年から2019年の政府の開発計画(The Third Medium Term Plan III)において、ケニアの社会経済の発展におけるNGOとの強固なパートナーシップの重要性が示されているものの[NGOs Co-Ordination Board 2019]、とくに人権や政治に関連する活動を行う第三世代のNGOに対する干渉、公益団体法施行の先延ばし、法律の規制化が政府によって継続的に試みられている。Mwakisha[2015]によるNGOに対するインタビューにおいても、公益団体法の修正法案は、啓発活動や人権に関する活動をしている第三世代のNGOに対する圧力であることが言及されている。公益団体法によって、NGOの活動範囲が人権や政治関連に拡大することを、政府が積極的に支持しない状況があると考えられる。また、筆者の聞き取り調査によると、NGO連携局は、政府が脅威や不快に感じるような政府批判や活動を行うNGOに対して、登録解除という手段で威嚇していると現地NGO代表は指摘した。さらに、NGOが政権に対抗する反対勢力になる可能性を、政府は脅威として捉えている点も述べられた。このような状況は、公益団体法で述べられているような、NGOの役割の拡大を期待する姿勢はおろか、政府とNGOの協調体制とはかけ離れた現状がうかがえる。
2009年に成立したエチオピアの旧布告がNGOに対する規制的な内容であったのに対し、ケニアにおいて2013年に大統領によって承認された公益団体法は、NGOの役割を期待し、NGOの活動環境の向上を目指し、政府とNGOとの良好な協調関係を強く打ち出しており、旧布告とは正反対の性格を有している。しかしながら、公益団体法は、規制的な法律への修正が複数回にわたって試みられ、施行されないまま、7年が経過している。国外からの資金の上限を全資金の15%に設定するといった、2013年以降提出されている修正法案は、エチオピアの旧布告の規制的な要素と類似点がある。ケニアでは、1990年に制定されたNGO連携法という比較的大掴みな法律のもとで、NGO連携局によって、とくに人権、民主主義やガバナンスなど、政治にかかわるNGOの活動が制限され、Korten[1990]のいう第三世代のNGOの活動領域に対する規制がみられる。さらに、高等裁判所による判決に対する軽視から、NGOに対する政府の強硬な態度がうかがえる。エチオピアにおける規制的な旧布告の成立と施行が、ケニア政府による公益団体法の未施行という強硬姿勢と第三世代のNGOに対する規制的な対応を後押ししてきた可能性はあるだろう。
(2) エチオピアとケニアのNGOの活動領域の変化エチオピアとケニア両国において、第三世代の活動、つまり人権や政治にかかわるような啓発活動を行うNGOが出現し、NGOの活動領域は拡大していた。ただし、両国ともに、多様な活動を行うNGOが存在し、すべてのNGOが第三世代の活動を行っているわけではない。エチオピアでは、第三世代までの活動を行っていたNGOはごく一部であったが、旧布告の制定後、多くのNGOの活動は第一世代の活動、つまり物資の提供や建設などの行政サービス提供の補完が中心となり、NGO全体の活動領域が急激に縮小した。
他方、ケニアにおいては、エチオピアのようなNGO全体の活動領域を縮小させるような法制度はない。ケニア政府は、公益団体法の修正によって、エチオピア同様NGO全体の活動領域の縮小を試みてはいるものの、NGOの抗議運動などにより修正案はこれまで撤回されている。そのような状況において、政府は、とくに人権やガバナンス、民主主義など、選挙や政治体制に影響を及ぼす可能性のある活動を行うNGOに焦点をあて、NGO連携法のもと、第三世代のNGOの活動領域の縮小化を図っていることが推察される。
また、現在のケニアのNGO連携法には、エチオピアの旧布告のような活動の制限や資金源の上限などは含まれていない。エチオピアにおいては、旧布告によって、人権や民主的権利に関する活動や啓発活動を行うためには国外からの資金を全資金の10%以下に抑えなければならず、現地NGOのみならず、それまでエチオピアで活動していた国際NGOや現地NGOを支援していた外国の援助団体はエチオピアでの活動を大幅に縮小した。それに対し、ケニアでは、NGOの人権や政治関連活動への政府による取り締まりがあるなかでも、2018/19年のNGOによる分野別プロジェクト予算額をみると、ガバナンス分野は約1730万米ドル、人権分野は約140万米ドルであり、人権分野については、前年と比較して120%増というデータがある[NGOs Co-Ordination Board 2019, 25]。ケニアでは、NGOの活動領域について、第三世代の活動を継続しているNGOが存在しているとともに、外国の援助団体が継続してケニアのNGOを支援し、さらにはその支援を拡大していることが推測される。また、アムネスティ・インターナショナルなど多くの国際NGOがケニアで継続して活動しており、国際NGOや外国支援団体が活動を縮小化したエチオピアとは大きく異なる。
上述したように、ケニアでは修正法案の提出のたびに、NGOによる抗議運動が起き、そして法案が見送られるという、政府とNGOの攻防が続いている。この状況は、エチオピアのような抑圧的な旧布告の一方的な制定といった、NGOに対する圧倒的かつ強硬な政府の姿勢とは異なる。ケニアでは歴史的に独立時そして独立後においてもNGOを含む市民社会組織が政治的な影響力を有してきた。前述したように、複数政党制の復活の際も、国際NGOだけでなく、現地NGOの啓発活動の影響の大きさが指摘されている。Wamucii[2014]も、ケニアにおけるメディアの自由化に対するNGOへの貢献など、NGOの政治的な啓発活動の影響力の大きさを指摘している。NGO数においても、ケニアの人口はエチオピアの人口の半数であるにもかかわらず、ケニアで正式に登録しているNGOは1万1262団体にまで増加しており(2019年6月30日時点)[NGOs Co-Ordination Board 2019]、エチオピアのNGO数の約3.6倍である。公益団体法が大統領によって承認されるまでに至ったことも、ケニアのNGOの影響力の大きさを示しているといえよう。つまり、エチオピアと比較し、ケニアにおいてはNGO全体の影響力が大きく、政府による規制的な対応のなかでも、NGOが第三世代の活動を継続していることがわかる。
本稿は、エチオピアとケニアのNGOに関連する法規制に基づき、NGOと政府の関係性、そしてNGOの活動領域を考察した。その結果、ケニアの公益団体法自体はエチオピアの規制的な旧布告とは性格が大きく異なるものの、公益団体法の未施行や、政府のNGOに対する規制的な態度は、エチオピアの旧布告の成立によって後押しされてきた可能性を示した。両国ともに、政権に影響があるような、人権やガバナンスなどに関連する活動を行う第三世代のNGOの活動領域の縮小化を政府は試みているが、ケニアではそのような活動を行うNGOがおもな対象となっているのに対し、エチオピアではNGO全体が対象となったことが大きく異なる。さらに、エチオピアにおいては、国際NGOを含め国内で活動するNGO全体の活動領域が縮小化された一方で、ケニアにおいては、政府の規制的な対応にもかかわらず、NGOは人権やガバナンスに関連する活動を継続している現状がある。
今後、新布告に基づいて、エチオピア政府が良好な関係性をNGOと構築できるのか、エチオピアのNGOを支援する外国支援団体が再び増加するのか、そして、これまで規制されてきたNGOの活動領域はどこまで広がるのか、という三つの観点の分析は、今後の研究課題としたい。さらに、エチオピアの新布告の成立が、ケニアの公益団体法施行を促進するのか、そしてケニアを含めた東アフリカの国々にどのような影響をもたらすのか、という点にも今後注視していく必要があるだろう。