2020 Volume 58 Pages 91
19世紀後半のキンバリーにおけるダイアモンド、続くウィットウォータースランドにおける金の鉱脈の発見が、南アフリカ近代史の幕開けとなったことは有名である。それから100年余りを経た20世紀末のアパルトヘイト終焉に至るまで、南アフリカの鉱山で働く労働者の相当な部分を南部アフリカ諸国出身の男性移民契約労働者が占めていた。なかでも最も大きな存在感を放っていたのがモザンビーク南部出身者である。本書は、20世紀前半において、ポルトガル領植民地モザンビークから南アフリカの鉱山地帯へと労働者を運んだ鉄道に焦点を当てた歴史書である。
だが、本書に描かれているのは鉄道の歴史そのものではない。労働者にとっての列車旅の経験に加えて、旅の起点であるモザンビーク南部の農村が住民男性を南アフリカへと駆り立てた理由や、目的地である鉱山での劣悪な労働及び住環境とその結果としての疾病など、モザンビーク人労働者が出身地・移動過程・移動先で経験するさまざまな状況が丁寧に描写されている。20世紀前半という時期を扱っているために、その時代を実際に生きたモザンビーク人鉱山労働者の生の声が直接、引用されることはない。鉄道会社の白人オペレーターや労働者斡旋会社職員の証言、鉄道会社と鉱山会議所の間での文書のやり取りなど、記録として残された文書や声から、記録として残されなかった人びとの声と経験を歴史家が想像力を用いて再構成しているのである。
本書を通じて、20世紀初頭にモザンビークから南アフリカの鉱山へ労働者を運んだ列車が客車ではなく貨車として位置づけられていたことで、座る場所もないほど大勢の人びとが、十分な飲み水や適切なトイレ設備のない列車での長時間移動を強いられていたことを知った。12~18カ月の契約期間を終えた労働者を運ぶ帰りの列車には、常に一定数の精神的・肉体的疾患を抱えた労働者がおり、病人専用車も設けられていた。途中の停車駅のプラットホームでは、給料を故郷に持ち帰る労働者相手の商売人や荷物を狙う泥棒が待ち構えていた。
歴史書である本書を読みつつも、私自身の想像力は、今日、サブサハラ・アフリカの各国からバスや長距離トラックを乗り継いで南アフリカを目指してやってくる男性、女性の移民労働者や難民の人びとの旅路へと向けられた。渡航書類を持たずに国境越えを試みる人びとやその過程で命を落とす人がいる。祖父の代から数世代にわたり、南アフリカへの出稼ぎを繰り返してきた男性たちがいる。いつか彼(女)らの旅路と移住経験について、本書のように読者が追体験できるようなものを書きたいと願う。
佐藤 千鶴子(さとう・ちづこ/アジア経済研究所)