Africa Report
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Review of the 2023 Nigerian Presidential Election: Prelude to New Politics?
Shuhei SHIMADA
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2023 Volume 61 Pages 27-33

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はじめに

ナイジェリアでは1999年の民政化後、第7回目にあたる大統領選挙が2023年2月に実施された。4年に一度の大統領選挙は2023年2月24日と25日の二日間にわたり実施され、上位3名の得票結果はのとおりであった。過去2回の選挙では全進歩者会議(All Progressive Party: APC)と人民民主党(Peoples Democratic Party: PDP)の2政党で96%を超える得票率を獲得していた。当初は過去2回の選挙と同じようにAPCのティヌブ(Bola Ahmed Tinubu)とPDPのアブバカル(Atiku Abubakar)の争いになるものと予想されていたが、今回は労働党(Labour Party: LP)のオビ(Peter Obi)が得票率25%を占め2大政党体制を揺るがした。

(出所)“Presidential Election Results By States (As Announced by INEC).”Vanguard, 1 March 2023(2023年5月6日最終アクセス)をもとに筆者作成。

今回の大統領選挙をナイジェリア政治に画期をもたらす変化と捉えて良いであろうか。本稿では選挙期間中に新聞やテレビで報じられた政治的話題に焦点を当て、この選挙が今後のナイジェリア政治にとってどのような意味を持つのか考えてみたい。

1. 人々の主要関心事:日々の安全と経済問題

今回の選挙で国民が高い関心を持っていたのは日々の安全と経済問題であった。人々の安全を脅かしているのはボコハラムだけではない。2010年代以降の南部では牧畜民が農民を襲う事件が増え、北東部でも武装集団による誘拐や襲撃事件が多発した。安全を求める人々の声は切実なものになっており、南西部の5州では州政府が独自の自警組織「西部ナイジェリア安全ネットワーク」(Western Nigeria Safety Network: WNSN)を設置した[島田 2020]。

経済問題も深刻さを増している。2010年に日産250万バーレルを超えていた原油生産量はブハリ政権誕生の2015年以降200万バーレルを下回ることが多くなり2021年には160万バーレル台まで落ち込んだ。80%を原油生産に依存する政府歳入は原油価格の上昇に助けられ増加してきたが、政府の歳出増大のため対外債務は2015年の73億ドルから2020年末の285億ドルへと急増した[Adegboyega and Izuaka 2023]。失業率は2018年の23%から2020年の33%へと急速に悪化してきた。こうした状況下での選挙戦であった。

(1) 各党、各候補者の主張

APCのティヌブが考える安全対策の基本は既存の治安組織の強化であった。警察官を10万人増員し、軍と警察を統合した特別テロ防止隊の設置を提案していた[APC 2022]。WNSNについては、自らの地盤である西部州の地域自警組織であるにもかかわらず、その強化には積極的支持を表明していない1。経済政策では、ブハリ(M. Buhari)政権が進めている「官と民とのパートナーシップ」(Public and Private Partnership: PPP)を、自由化の速度を上げるために見直す必要があると述べている。しかし、毎年300万人の雇用創出を目指すにあたって公共事業を想定しているところをみるとPPPの抜本的改革が想定されているようには思われない。

PDPのアブバカルは安全回復に向けた具体策は提案していない。牧畜民による農民襲撃事件が多発するミドルベルト(北部中央部)に近い州の出身者であるが、地域自警組織の設置に積極的とは言えず、警察官の質の改善が必要だと述べるにとどまっていた[PDP 2022]。彼が自らの強みとしてアピールするのは経済政策であった。彼は早期の市場自由化を訴え、国際投資を呼び込むことで電力、道路、鉄道、水資源開発などのインフラ整備を進めることを主張した。土地譲渡を容易にするための土地法の改革も掲げた。

LPのオビは安全問題に関し最も積極的な意見を述べていた。安全問題の根源にある警察や軍の質の悪さは人権意識の低さや司法の独立性の欠如にもつながっており、憲法改正も必要だと述べていた[LP 2022]。「強盗対策特殊部隊」(Special Anti-Robbery Squad: SARS)の廃止を求める#EndSARS運動[島田 2020]に参加してきた学生や都市の若者たちはオビを熱烈に支持した。経済問題に関してオビは、一人当たりGDPが自分たちと同じレベルにあったアジアやアフリカの国々が今やナイジェリアを上回っているのはなぜか、産油国であるナイジェリアが世界有数の貧困者を抱えているのはなぜかについて統計数値を用いて分かりやすく説明した。それは「開発経済学入門」の名講義のようで主に大学生の間で好評を博した。また市場の自由化には慎重な姿勢を示し、世界銀行や国際通貨基金からの支援や海外からの民間投資に対しても自国の利益にかなうかどうか精査が必要であると述べた。

市場の自由化政策に関する限り、アブバカルが最も積極的、オビが最も慎重、ティヌブがその中間である。

(2) 新札切り替え騒動

選挙戦も終盤に入った2022年11月に驚くべき政策が中央銀行から発表され、他の選挙公約への関心を吹き飛ばす大問題となった。12月15日から新札への切り替えを開始し翌年1月31日をもって旧紙幣の流通を取りやめるというのである。人々は銀行に殺到し、換金の現場は大混乱となった。市中に退蔵されている紙幣の回収が主目的だと中央銀行は説明したが、事態の鎮静化を図る政府は選挙での不正(小額紙幣による買収)防止も目的だと正当性をアピールした[Adegboyega 2022]。

与党の候補でありながら事前に何も知らされていなかったティヌブはこの事態に困惑し、この愚策は選挙を妨害しようとする野党の策略に政府が踊らされたのだと述べ、政策の見直しを迫った[Akinbovo 2023]。対照的に野党のアブバカルとオビは、選挙買収を防ぐためには効果的であるとブハリ政権のやり方に一定の理解を示す態度を表明した。政府の方針に対する候補者の立場が与野党で逆転することとなったのである。

2. 予備選挙と候補者の資質をめぐる話題

ティヌブの欠席で3候補がそろう公開討論会が開催されず2、政策論争は盛り上がりに欠けた。その一方で党内の政治的対立や候補者の言動などがマスコミを賑わせた。

(1) ティヌブをめぐる話題

与党APCの綱領に大統領の地域輪番制(ローテーション)の規定はなかったが、北部出身のブハリ大統領が8年間続いたので次は南部から候補者を出すことに大きな異論はなく、2022年6月の党大会で南部出身の元ラゴス州知事ティヌブが大統領候補に選出された。

彼は2015年のブハリ政権誕生の立役者の1人で2019年の再選にも尽力した党内の実力者である。ブハリ大統領との間で約束があったかのようにヨルバ語で「次は自分の番だ(Emi lokan)」と発言して党内外から批判を受けたが動じなかった[Akinlotan 2023]。

彼の過去には疑惑がつきまとっていた。総額140万ドルにのぼる彼の預金が麻薬取引と資金洗浄に関係した疑いがあるとして1992年にシカゴで差し押さえられたのである[Majeed 2022b]。結局資金洗浄と麻薬取引の疑いは不起訴となり46万ドルの没収だけで1993年には決着をみていたのであるが、この事件は選挙中に新聞紙上を賑わした3

彼の健康問題も話題になった。2021年3月の公開討論会での13秒間フリーズ[Olayinka 2021]、2022年9月の立候補者による公正選挙協定会議欠席4、12月4日の公開討論会欠席などが彼の不健康説を拡大させた。さらに彼の職務遂行能力に疑問符を投げかけたのが12月5日にロンドンのチャタムハウスで行われた講演会である。短い講演の後の質疑で彼が質問に的確に答えられない様子が顕わになった[Babangida 2022]。これに追い打ちをかけるように、翌年正月に元選挙参謀の口から彼の認知能力を疑う発言が飛びだし[Oloniniran 2023]、与党の中からも彼の健康問題を危惧する声が上がった。

さらにティヌブが注目を集めたのは副大統領候補指名の時であった。ナイジェリアでは正副大統領を南北で振り分け、地域的バランスをとることになっている。それは通常南部のキリスト教徒と北部のムスリムとのコンビを想定している[Johnson 2022]。しかしティヌブは南部の少数派ムスリムである。彼は北部の少数派キリスト教徒ではなく同じムスリムで北部ボルノ州元知事シェッティマ(Kashim Shettima)を副大統領に指名した。正副大統領がムスリム同士(M-Mコンビ)になったことに対しキリスト教徒らは猛反発した。しかしティヌブは能力主義で選んだのでありM-Mコンビ批判は宗教に固執する因習的意見であると一蹴した[Majeed 2022a]。

このM-Mコンビに反発する意味もあってか、キリスト教徒の多いヨルバの民族主義団体アフェニフェレ(Afenifere)の代表(代行)がヨルバ人のティヌブではなくイボ人のオビを支持することを表明した5。「真の連邦制」(true federalism)維持のためには一度も正副大統領を輩出したことのない南東地区から大統領を出すべきというのが理由とされた6。さらにヨルバ人の元大統領オバサンジョもティヌブではなくオビ支持を表明した7。彼もオビ氏の能力の高さに加え、南東部地域に対する政治的配慮の必要性に言及した。

暗い過去や健康問題、さらにはM-Mコンビの選択で支持が減ることが危惧されたティヌブの得票数は、1位ではあったものの前回のブハリ大統領よりも大幅に下回った。

(2) PDPの予備選挙での対立

PDPの内部分裂が、APCティヌブの勝利に貢献したひとつの要因となった。PDPは党の綱領で大統領候補者の地域輪番制を規定しており、1999年から2015年までの間、2期(8年)を上限に南・北の地域から交互に大統領を選出してきた(参照)。

南部出身のオバサンジョ(Olusegun Obasanjo)が8年間大統領を務めその後に北部出身のヤラドゥア(Umar M. Yar’Adua)が大統領となった。ところがヤラドゥアは就任3年後に任期途中で死亡したため、副大統領だった南部出身のジョナサン(Goodluck Jonathan)がその残任期間、大統領職を代行し、その直後の選挙で勝利して引き続き4年間大統領職に就いた。北部党員の間には南部出身者の在任期間がアンバランスに長くなっていることに不満が募っていた。そうした中で2022年4月に開催された党役員の地域別配分を決めるゾーニング委員会で、次期大統領予備選挙では地域輪番制はとらないとの決定がなされた。北部出身者にも立候補の途が開かれ、北東部出身のアブバカルが選出された。

南部の党員たちは、2015年以来大統領職にあるブハリは政党こそ違うとはいえ北部出身であることから次の大統領候補者は南部から出すべきだと考えていた。アブバカル371票に対し237票で惜敗した南部リバーズ州知事ウィケ(Nyesom Wike)は、南部の3知事と北部中央のベヌエ州知事とG5と呼ぶグループを結成し、大統領選挙でアブバカルを推さないことを表明した8

アブバカルとG5との対立が解決しないまま投票日を迎えることになった。このためアブバカルは前回の大統領選挙でPDPが最大の票田とした南部とベヌエ州で首位を守ることができず、北部で善戦したにもかかわらずティヌブに敗れることになった。

(出所)筆者作成。

(3) LPの躍進に関する話題

南東部地区の元アナンブラ州知事オビが2022年5月にPDPを離党し、LPから大統領選挙に出馬することを表明した。ビアフラ内戦(1967~70年)以降一度も正副大統領を出していない南東部からの立候補とあってこの地域のイボ人にとって待望の候補者となった。

ティヌブ(71歳)やアブバカル(76歳)と比べオビは61歳と若かった。彼は民族的・宗教的対立を超克した近代的民主政治の実現や、人権擁護を訴えディアスポラの間でも高い評価を得ていた。一方でイボ人ディアスポラの一部が強く支持する旧ビアフラの独立を目指すビアフラ地元民(Indigenous People of Biafra: IPOB)からは距離を置いていた。

政治の近代化を目指すオビであったが、副大統領の指名では地域的・宗教的バランスに配慮し北部出身のムスリムを選んだ。彼は、前回の選挙で惨敗したディアスポラ候補者[島田 2019]とは違い、国内政治の現実を知るタフな政治家であった。

しかしながら投票結果を見る限り、彼が2大政党に勝る票を獲得したのは南東部と南南部のイボ人地域のみであった。彼が期待した近代的民主主義の実現を求める若者たちの支持は連邦首都地域とラゴス州で限定的に確認されるのみにとどまった。脱民族・脱地域主義を唱えるオビを支えた主力は皮肉にも彼の同胞だったということになる。

おわりに

マニフェストを十分に理解していないと言われるティヌブであったが、国民感情の理解や票読みには長けていたようである。彼はレトリックを使って聴衆を魅了する演説の名手だと言われる。そうした彼にとって、マニフェスト政治は自分の良さを削ぐ西洋的政治スタイルだということなのであろう。「政策は当選してから考える」と言って憚らなかった。

新札切り替えで現政権を批判した彼の行動にはAPC内部からも批判の声が上がったが、国民の側に立つ政治家を自負する彼にとって、これは現政権との違いを印象付ける絶好の機会と捉えたと思われる。南部のキリスト教徒の反感を買いながらもM-M コンビで選挙に臨んだのは、北部のムスリム票をアブバカルに蚕食されることを防ぐことの方がより肝要だという政治的読みが働いたからであろう。

しかしナイジェリアの選挙戦を見る時、個人的魅力や政治センスだけでは超えられない強固な制度的枠組みがあることを見落としてはならない。選挙中にマスコミを賑わせていたPDPの党内分裂、APCのM-Mコンビ批判、アフェニフェレのオビ支持などの話題の背後には連邦制に関わる地域的平等の思想が横たわっていることが明らかである。PDPの地域輪番制やAPCのゾーニングの取決め、さらに政党の全国的性格規定、大統領の当選規定や組閣の全国的規定[島田 2023]などは、地域的平等を具体的に保障するための制度的枠組みである。この枠組みを無視して選挙に勝つことはならないとする地域的平等への思いが国民に広く共有されており、政治家もそれを無視することはできないのであろう。

数々の不安要素を抱えたティヌブを大統領に押し上げた理由のひとつに、この制度的枠組みを挙げなければならない。同時に、大都市の若者たちの強い支持を得ながらもオビを第3位に押しとどめたのもこの諸制度が持つ拘束性に原因があるといえるであろう。しかし強力な全国組織をもたないオビが25%を超える得票率を得たことはこの制度的枠組みに揺らぎをもたらす効果はあったと思われる。その意味で、今回の大統領選挙はナイジェリア政治の変化の予兆を示すものと言えるのではなかろうか。

本文の注
2  討論会での失言を警戒したのかティヌブは公開討論会を避けていた[Ajayi 2020b]。

3  小説『半分のぼった黄色い太陽』で有名なアディーチェはバイデン大統領あての公開書簡で今回の選挙の不正を訴え、その上この事実も伝えた[Majeed 2023]。

4  “Why is Bola Tinubu Hiding in London?” Tribune, 1 October, 2022.

6  これにはすぐに内部から反対意見が出てアフェニフェレ全体がオビ支持にまわることは無かった。この内部対立は選挙後も続いた。Ajayi[2022a]および以下を参照。“Afenifere Wailing over Loss of Investments on Obi – Lai Mohammed.” Premium Times, 6 April, 2023.

8  予備選挙で北部出身者が大統領候補となったので党代表は南部出身者に代えなければならないとしてウィケは北部出身の党代表の辞任を要求した[Alechenu 2022]。しかしアブバカルはこの要求を拒否したばかりか、党内の喧騒をさけるように中東や英国の旅にでかけ副大統領候補の選考に入った(“Atiku Travels to UK as Continued Stay Abroad Worries PDP Leaders, Stakeholders.” Vanguard, 9 July, 2022)。

参考文献
 
© 2023 Institute of Developing Economies, Japan External Trade Organization
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