Africa Report
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The Transformation of International Refugee Regime?: A Critical Analysis of Somali Refugees’ Repatriation from Kenya
Akiko SUGIKI
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2023 Volume 61 Pages 71-80

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要約

第一次世界大戦以後、国際難民レジームが徐々に形成されてきた。しかし、庇護申請者や難民の増加とそれに伴う負担から多くの国は難民の受入に消極的であり、国際難民レジームが揺らいでいる。それを象徴する事象のひとつが、人権侵害や迫害が行われている地への難民の送還を禁止する、ノン・ルフールマン原則に対する違反である。同原則は難民条約・難民議定書や様々な国際条約に明記され、国際慣習法として広く認知されてきた。本稿は、規範論争理論を援用し、ソマリア難民の帰還を事例としてノン・ルフールマン原則の履行状況を分析し、国際難民レジームの変容を考察する。

はじめに

国連難民高等弁務官事務所(United Nations High Commissioner for Refugees: UNHCR)によると、2021年末の時点で世界には約2710万人の難民と約460万人の庇護申請者がおり、その数は10年前の2倍に達した[UNHCR 2022, 121。難民数の増加と受入に伴う安全保障、経済、社会的負担から、多くの国は難民の受入に消極的であり、国際難民レジームの危機や限界を指摘する論調が目立つようになってきた[Betts and Collier 2017; Ferris and Donato 2020]。それを象徴する事象のひとつが生命や自由が脅かされかねない人々の入国を拒否したり、それらの場所へ送還することを禁止するノン・ルフールマン原則の違反である2。同原則の違反はふたつのタイプに大別できる。第1は、安全でない出身国や第三国へ難民を送還/帰還させることである。第2は庇護希望者の入域・入国を阻止するための警備を強化する、「押し戻し(push back)」政策などで、「コンストラクティブ・ルフールマン(constructive refoulement)」とよばれる場合がある[Mathew 2021]。

一般的に国際難民レジームは「難民問題に対処するためのアクターの期待が収斂するような明示的あるいは暗黙の原理、規範、ルールおよび意思決定手続きの総体」と定義されている。国際難民レジームの中心となるのは「難民の地位に関する条約(以下、難民条約)」、1967年「難民の地位に関する議定書(以下、難民議定書)」と難民保護を主な任務とするUNHCRである。ノン・ルフールマン原則は、難民条約・同議定書や様々な国際条約に明記され、国際慣習法として認知されてきた、国際難民レジームの核となる規範である。本稿では、国際難民レジームの変容を捉えるために、難民の帰還を考察する作業を通して、ノン・ルフールマン原則の履行状況を分析することにしたい。

帰還は多義的な概念であるが、ここでは難民およびその子孫が、出身国(または自らのルーツがある国)で定住することを目的として移動することを意味する3。帰還のパターンは多様であるが、ふたつに大別できる。第1は、難民自らのイニシアティブで出身国へ戻る、自主的帰還(spontaneous returnまたはself-repatriation)とよばれる非公式な帰還である。第2は、UNHCR、難民受入国、難民出身国が三者間協定を結んで実施される公的な帰還である。本稿は後者のタイプに焦点をあてる。国際レジームの変容には、レジームの核となる規範自体が変化又は消滅する、「レジーム自体の変容」と、規範自体は変化しないものの、アクターの行動ルールが変化する「レジーム内の変容」がある[山本 2008, 195]。国際難民レジームの変容を把握するには様々な事例から総合的に分析することが必要である。紙幅の都合上、ここではケニアの事例を分析することで、国際難民レジームの変容を考察する一助としたい。

1. 分析の視角

一般的に規範は「特定の社会のアクター間で共有される、適切な行為の基準」と定義され[足立 2015, 17]、国際レジームの本質をより強く規定すると考えられている[服部 2021, 14]。そこで本稿は、国際難民レジームの核となる規範であるノン・ルフールマン原則に焦点をあて、履行状況を考察する。従来の規範研究では、フィネモアとシキンク[Finnemore and Sikkink 1998]が提示した「規範ライフサイクル論」が主流であった。しかし、規範の拡散や受容のプロセスは単線的で不可逆的でなく、様々な障害が生じることから、「規範論争理論(Theory of Norm Contestation)」が多用されるようになってきた。

本稿は、規範論争理論を援用し、規範が誕生し、拡散し、内面化される過程において、規範をめぐる論争や対抗などが生じたり、規範の内容が変化することを想定する。始点となるのは「規範起業家」による新たな規範の提案である。「規範起業家」は規範に対する支持を得るために様々な活動を行い、規範を支持するアクターが増加することで、規範が拡散する。その過程で閾値を越えるアクターから支持が得られるならば、「ノームカスケード」が起き、新たな規範が支配的になる。しかし、新たな規範は「規範アンチプレナー(又は規範抵抗者)」によって規範の拡散が妨害されたり、「規範守護者」が既存の規範を守るために新たな規範の受容を阻止する活動を行う場合がある。その活動が一定の支持を得られるならば、規範の「逆カスケード」が起き、新しい規範は消滅・衰退する。また、規範がひとたび内面化され、規範が履行される段階へ到達した場合でも、規範をめぐる論争や抵抗が生じ、規範が衰退・消滅するかもしれない。規範の存続は、「規範アンチプレナー」の強さ、アクターの規範の受容の程度、規範内面化の強度、規範不履行に対する処罰や制裁の有無などによって異なる[McKeown 2009, 11]。

ここで留意しておきたいのは、規範に対する論争や対抗は、必ずしも規範の弱体化や消滅をもたらすのではなく、むしろ規範を強化する可能性があることである。ヴァイナー[Wiener 2007, 56]は、規範の論争によって規範の意味や対象範囲が明確になり、論争を通じて規範の存在意義が確認されることで、規範が強化されると論じている4。ダイテルホフとツィマーマン[Deitelhoff and Zimmermann 2020, 52-59]は、規範をめぐる論争をその内容に応じて2つのタイプ(「適用をめぐる論争」と「有効性をめぐる論争」)に区分して、検討することを提案している。前者は、規範の解釈や適用をめぐる論争であるため、規範の弱体化を招かない可能性があるのに対して、後者は、規範の正当性を問うため、規範が弱体化する可能性がある。現実には、論争の内容が適用をめぐる論争であるか、有効性をめぐる論争であるか明確に線引きすることは難しいケースが多い[阿部 2020, 17-18]。また「適用をめぐる論争」である場合でも、適用範囲や解釈をめぐる論争が続くうちに、規範の妥当性自体に疑問が生じる可能性がある[Panke and Petersohn 2016; McKeown 2009]。本稿では、ノン・ルフールマン原則の違反を認めつつ、例外的な措置として釈明する場合は、「適用をめぐる論争」が生じていると捉え、政府が釈明せず違反行為を継続する場合、「有効性をめぐる論争」が生じ、規範が挑戦されているとみなす。

2. 難民の帰還をめぐる規範

(1) 難民の帰還とノン・ルフールマン原則

難民の帰還には様々な規範やルールが絡んでいるが、ノン・ルフールマン原則と関連しているのが、以下の3つの原則である。第1の原則は自発的帰還の原則である[Adelman and Barkan 2011, 4-7]。難民条約にはノン・ルフールマン原則が記され、1950年に制定されたUNHCR規程や1969年に制定された「アフリカにおける難民問題の特殊な側面を規律するアフリカ統一機構(OAU)難民条約(以下、OAU難民条約)」には、自発的帰還を規定する条項がある。それらの兼ね合いから、非自発的帰還は強制送還に等しく、難民の自由な意思にもとづいて帰還が行わるべきであると理解されてきた。自発的帰還の自発性に関しては様々な解釈があるが、一般的に出身国に関する十分な情報と帰還以外の多様な選択肢が与えられたうえで、難民がいかなる身体的、心理的、物理的圧力をうけることなく、自らが帰還を決定することと考えられている[Long 2013, 158-164; UNHCR 1996]。

第2は、安全で尊厳のある帰還という原則である。UNHCR[1996]が刊行した帰還に関するハンドブック(以下、1996年ハンドブック)には、難民の帰還は、安全かつ尊厳ある帰還でなければならないと記載されている。1996年ハンドブックでは安全は幅広い概念でとらえており、法的、身体的、物理的安全が含まれている。尊厳ある帰還とは、難民が粗略に扱われることなく、無条件で帰還することができ、家族から恣意的に引き離されることなく、敬意ある処遇を受け、完全に権利の回復がなされて迎えられることと理解されている。

第3に、UNHCRが帰還を奨励するタイミングは、難民出身国において根本的な変化が起きたことが目安となっている。出身国の根本的な変化とは、政治体制の変化、民主的な選挙、国連平和維持活動の実施、法の支配の回復などが想定されている[Crisp 2019]。

(2) 帰還の規範をめぐる論争

難民の帰還に関する原則に対して様々な論争があるが、紙幅の都合から特に重要な論争をみていきたい。「適用をめぐる論争」としては、主に3つをあげることができよう。第1は、安全保障上の理由によるノン・ルフールマン原則の違反行為の正当化である。国際自由権規約、拷問禁止条約ではノン・ルフールマン原則は逸脱不可能な強行規範になっている。しかし、受入国の安全保障に脅威となる者、犯罪者、人道に反する罪を犯した者はノン・ルフールマン原則の適用から除外される、除外条項が難民条約第1条F(C)項やOAU難民条約第1条5項に明記されている。これまで安全保障上の理由から除外条項を適用することに対しては、慎重な対応が求められ、2003年のUNHCRのガイドラインでは、除外条項は常に制限的に解釈されるべきものであると記されている[UNHCR 2003]。 EU司法裁判所も除外条項の適用に関しては慎重な姿勢を示してきたが、近年はテロリストおよびテロ組織への資金供与や渡航支援を行った者に対して除外条項の適用を認める判決を出し5、難民認定を取り消された人が出身国へ強制送還されるケースが増加した。

第2は、難民の帰還における難民の自発的意思はどこまで尊重されるべきなのかという問題である。難民出身国において治安や安全が確保されていないなど帰還難民の受入体制が整っていない場合でも難民が望むならば、帰還を認めるべきという主張には、肯定的な見解と否定(懐疑)的な見解がある。鍵となるのは、難民出身国の安全保障や政治情勢が改善していないにもかかわらず、難民が帰還を望む、その理由である。しばしば難民キャンプの閉鎖、食糧援助などの難民支援の縮小または停止、難民受入国における治安の悪化や人権侵害などにより難民が帰還をせざるを得ない状況に追い込まれている場合がある。また資金、教育や職業訓練の提供等が帰還を促す手段として用いられていることが多々みられる。難民が出身国へ戻り、新たな生活を開始するために不可欠な資金や支援を提供すること自体は問題ではない。だが、帰還を躊躇する難民に対して、資金を渡し6、帰還後の安全や基本的な人権が保障されていない出身国や「第三国」へ帰還することを合意させ、自発的帰還という体裁を整えること道義的に問題があり[Gerver 2018, 124-140]、ノン・ルフールマン原則に反する。

第3は、難民が帰還に合意しなくても、難民出身国の安全が担保できれば難民の帰還を推進すべきであるという見解である。国際難民法の第一人者であるハサウェイ[Hathaway 2005, 919-920]は、ノン・ルフールマン原則に付随する基準は安全であると論じている。難民の法的地位が付与されるのは、個人が紛争や人権侵害により迫害を受けている、またはその恐れがあることが根拠となっており、その状況が変化した場合、難民として保護される必要はない。したがって難民の出身国で紛争が終結し、平和になったり、政治状況が変化したならば、難民の法的地位は消滅するため、難民の意思にかかわらず、難民は帰還すべきだと論じている[Hathaway 1997, 551-552]。この主張は難民受入国や難民出身国から支持されている。難民条約第1条C項の終了条項には、難民の地位が消滅する理由が記載されている。その適用に関しては、出身国の変化が持続性を有するものであることを含めて、慎重かつ公正に評価が行われることが求められている。だが、現実には、難民受入国、難民出身国、UNHCR等の交渉で政治的に判断され、難民の意向は軽視され、その基準は恣意的である[Siddiqui 2011]。政治指導者や統治エリートと個々の難民が抱く安全に対する認識は異なる。難民の出身国が安全であるか、否かを難民受入国、出身国、UNHCR等が判断し、難民が帰還を拒否した場合でも、安全性が確保されたことで、帰還を推進することは倫理的に問題がある[Long 2013, 166]。チムニ[Chimni 1993, 454]は、国家や国際機関が難民の代わりに帰還の是非を判断することは難民に帰還を強要することであり、ノン・ルフールマン原則に違反すると批判している。

「有効性をめぐる論争」に該当するのが、2000年代以降に提案されてきたノン・ルフールマン原則に反する難民の帰還である。UNHCRは帰還難民の安全が確保され、持続的な帰還が可能であるという見込みが客観的に判断されることを難民の帰還を進める条件にしてきた[UNHCR 1996]。しかし、2004年のUNHCR執行委員会では、帰還する権利を妨げないように、難民の出身国の政治状況や治安の改善を難民の帰還の条件にしなくてもよいという考えが提示された[UNHCR 2004]。同様の見解は、2016年の難民・移民に関するニューヨーク宣言[UN 2016]や2018年の難民に関するグローバル・コンパクトに記されている[UN 2018]。

3. ケニアにおける難民の受入とソマリア難民の帰還

(1) 自発的帰還プログラム(VRP)とソマリア難民の帰還

1980年代後半以降、内戦の激化にともない、多くのソマリア人はケニアへ移動し、最も多くのソマリア難民がケニアに居住している。ケニア政府は、ソマリア難民の送還をしばしば行ってきた。2013年9月に少なくとも72名が死亡し、240名が負傷したウェストゲート・ショッピングモール襲撃事件がナイロビで発生すると、同年11月、ケニア政府はソマリア連邦政府、UNHCRとの間で三者間協定に調印した。2014年末から自発的帰還プログラム(Voluntary Repatriation Programme: VRP)が実施されることとなり、UNHCRは帰還を希望するソマリア難民の登録を開始した。VRP開始直後に帰還したソマリア難民は2014年が486人、2015年が5679人であった。だが2016年にケニア政府がダダーブ難民キャンプの閉鎖を発表すると、帰還難民は急増し、2016年に3万3792人、2017年には3万5409人、2018年には8万2840人、2019年は2295人に及んだ7

VRPによるソマリア難民の帰還は、多様な選択肢から難民が帰還を決意した自発的帰還であるとは言い難い。2016年半ばに行われたUNHCRの調査では、ダダーブ難民キャンプに住むソマリア難民の約74%は帰還を拒否しており、国境なき医師団の調査では約86%が帰還に躊躇していた[IDMC 2017, 19-22]。それにもかかわらず、VRPでソマリア難民が参加した理由は主に2つある。第1は、ケニアに2カ所ある難民キャンプが閉鎖される可能性とキャンプでの難民に対する支援の縮小である[AI 2017, 19-22]。UNHCRや難民支援団体は資金難に直面し、難民に対する様々な支援を削減または停止している。2017年10月に世界食糧計画は難民キャンプでの食糧援助を30%削減し[WFP 2017]、教育や職業訓練などのプログラムも停止または縮小されている。2018年8月にダダーブで行われた調査では、約80%の難民は援助団体から支給される食糧に依存しており、約30%の難民が自立的な生活をおくる生計手段がないと回答していた[REACH 2018]。第2に、帰還時に提供される支援が難民の帰還を決断する誘因になった。VRPではひとりにつき1回限りで200ドルが提供され、世帯ごとに6カ月間生計支援として毎月200ドルが支払われ、6カ月分の食料購入代金、および就学児童ひとりにつき25ドルが1年間提供される。その他に条件付きであるが住宅資金や自立・生計手段プログラムなども用意されている[UNHCR n.d.]。

ソマリアでは帰還難民を受け入れる体制は整っていない。現在のソマリアは、1991年に独立宣言をした北西部の「ソマリランド共和国」(国際的には未承認)、1998年に自治政府の樹立を宣言した北東部のプントランド、および中・南部という3つの政体に分かれている。2005年に誕生した暫定連邦政府とそれを継承して2012年に発足したソマリア連邦政府(Somali Federal Government: SFG)は合法的な中央政府として国際社会から認知されているが、SFGは全土を実効支配していない。現時点でSFGが実効支配しているのは中・南部の一部であるが、それらの地域でもテロや武力衝突が頻発している。ケニアから帰還した難民の多くは、中・南部の出身者で、治安が不安定である出身地へ戻ることができない。また中・南部へ戻った場合でも、移動前に住んでいた土地や不動産の所有権を奪われていたり、不法占拠されているため、移動前の居住環境を確保できない多くの帰還難民は国内避難民(Internally Displaced People: IDP)になっている。ソマリアではIDPの数は、2006年末は約40万人であったが、2007年以降急増し、ケニアからソマリア難民の帰還が始まった2014年末には113万3000人、2018年末には過去最大の264万800人になった8。IDPキャンプは過密状態で、特例を除き、新規のIDPはキャンプに住むことはできないが、キャンプ自体も安全な場所ではない。中・南部に比べ、ソマリランドやプントランドの治安は安定しているが、多くの中・南部出身の帰還難民が現地社会へ統合することは難しい[杉木 2019, 217-2219。ケニアから戻った帰還難民の多くは帰還を後悔し、再び国外へ移動している[Onyulo 2018]。

(2) ノン・ルフールマン原則の履行をめぐるアクター間の論争

ケニアはこれまでに難民条約・議定書、拷問禁止条約、国際自由権規約、OAU難民条約などに加入している。また2010年憲法にはケニアが批准又は加入した条約や協定は国内法として直接適用される国際法一元論の立場が明示されている。さらに国内法としては2006年難民法と2009年難民規則が制定されており、就労の権利や移動の自由など一部の難民の権利を除き、難民保護に関する規範は内面化されている。しかし、ケニア政府は、難民保護に関する規範を遵守せず、上記のようにノン・ルフーマン原則に反するVRPを行ってきた。

ケニアにおいてノン・ルフールマン原則を拒絶したり、それに代わる新たな規範は提示されていない。これまでケニア政府はノン・ルフールマン原則を遵守していない理由として、主に安全保障問題、帰還の自発性、難民の受入に伴う負担を掲げ、釈明している。それに対してケニア高等裁判所(以下、高裁)は政府の掲げる安全保障上の理由によるノン・ルフールマン原則の違反行為を是認せず、除外条項の適用に慎重な立場を示している。例えば、高裁は2016年10月10日に発表されたダダーブ難民キャンプの閉鎖とソマリア難民の帰還は違憲であるという判決を出した。高裁はノン・ルフールマン原則が国際難民法の核であり、庇護希望者・庇護申請者、難民へ適用されると述べている。またノン・ルフールマン原則の除外条項に関しては、その対象者は個別に審査すべきであり、特定の集団へ適用することや除外条項を一般化することを回避するべきだと主張している。ケニア政府が難民を公共の治安を脅かす存在であると主張したり、難民キャンプが犯罪の温床になっていると表明していることに対して、高裁は、個々のソマリア難民が犯罪に関与したり、難民キャンプが犯罪の拠点になっている明確な証拠がないまま、政府がソマリア難民のテロや犯罪への関与を主張していることを非難した[RoK 2017]。

ケニア政府はソマリア難民のVRPを継続し、ノン・ルフールマン原則を遵守していない。このような状況が続く要因として3つの点があげられよう。第1は、国内で同原則の遵守を政府に促すアクターや制度が脆弱であることである。ケニアでは、多くの一般市民がソマリア難民の安全保障上の脅威とみなし[杉木 2018]、ソマリア難民の帰還を支持している。ケニアでは難民の参政権や政治的活動は認められておらず、難民が市民権を取得できる可能性はほぼない。ソマリ系ケニア人はソマリア難民に同情的であり、ソマリ系ケニア人議員の中には、ソマリア難民の弾圧に抗議し、難民政策の変更を求める人もいる。だが、ケニア政治においてソマリ系ケニア人は周辺化され、政治的影響力は弱い。非ソマリ系ケニア人の中には、市民社会組織、教会、モスクなどのメンバーとして難民を支援している人もいるが少数派である。

第2に、地域または国際レベルにおいて、規範の実効性を確保するための法的拘束力が欠如している。難民条約やOAU難民条約が制定された際、条約の履行を監視したり、違反行為に制裁を科す専門機関は設立されなかった。UNHCRの活動資金の約9割は寄付に依存しており、難民支援活動を継続するために、UNHCRは各国政府と直接的に対立することを回避する傾向がみられる。1981年に採択されたアフリカ人権憲章の監視機構として設立されたアフリカ人権委員会は、2015年にケニア政府が行ったテロ掃討作戦の際、ソマリ系ケニア人やソマリア難民に対して行った深刻な人権侵害を憂慮し、ケニアが加入する難民条約や人権条約を遵守することを求める決議を出した[ACHPR 2015]。だが、アフリカ人権委員会は準司法機関であり、同委員会の勧告に法的拘束力がない。アフリカ人権委員会の決議後も、ケニアでは治安維持機関によるソマリア難民に対する人権侵害は継続し、人権侵害の加害者が処罰されることは皆無であった。

第3に、ケニアに対して一定の政治的影響力を有する有力な欧米諸国、アフリカ諸国などが規範の違反を黙認し、VRPの資金援助を行っていることである。このように、難民保護に関与する諸アクターはケニア政府に対して規範の遵守や政策転換を促すだけの影響力を有していない。

おわりに

本稿ではケニアにおける難民の帰還政策を分析し、ノン・ルフールマン原則の不履行が常態化している実態と違反行為が続く要因を明らかにした。ケニアではノン・ルフールマン原則が法制度されているが、ソマリア難民の帰還において同原則は遵守されていない。ケニア政府は同原則からの逸脱行為を安全保障上の理由を掲げ、釈明してきた。またVRPでは、難民に対する情報提供や意思確認などのプロセスが導入されており、帰還が難民の自発的な意思に基づく選択であるという体裁を整えられている。そのことは、難民支援に関与するアクターの間で自発的帰還という原則が共有されていることを示している。ケニア政府はノン・ルフールマン原則を否定しておらず、同原則が記載されている様々な国際条約から離脱することも表明していない。2022年に発効した新難民法にもノン・ルフールマン原則が記されている。したがって、ケニアではノン・ルフールマン原則の「規範の適用めぐる論争」は見られるが、「有効性をめぐる論争」は生じていない。しかし、ノン・ルフールマン原則の履行を政府に促すアクターの政治的影響力は弱く、同原則の不履行に対する処罰や制裁がないため、規範の弱体化や消滅の可能性がある。このようなノン・ルフールマン原則に反する帰還が常態化されていることは、ケニアに限定される問題でなく、多くの国に共通する問題である。今後、様々な国でノン・ルフールマン原則の履行状況を検討し、国際難民レジームがどのように(どの程度)変容しているのか(あるいはいないのか)を検証していく必要がある。

謝辞

本研究は日本学術振興会科学研究費補助金19H043634および20H01467の助成による研究成果の一部である。

本文の注
1  本稿では便宜上、庇護希望者、庇護申請者を含めて難民と表記する場合がある。

2  本稿ではある国の出入国管理法などの法律に違反し、当該国が退去強制の事由に該当する認定された人を出身国または第三国へ送り返すことを送還と記述する。難民が出身国へ戻ることを帰還と表記する。

3  ブラッドリー[Bradley 2014]の提案に基づき、本稿の帰還の定義は、難民・強制移動研究において難民が出身国へ戻ることを指すふたつの用語(repatriation とreturn)を含意している。

4  例えば、ジョージ・ブッシュ政権期のアメリカでは、拷問禁止条約に違反する行為を正当化し、拷問の禁止という規範は弱体化したと考えられた。しかし、中国やロシアなどが、アメリカを批判する機会として、国際人権規範を支持する立場を表明したために、むしろ拷問禁止の規範が国際的に強化された[Keating 2014]。

5  例えば、B and D事件判決を参照[European Union Court of Justice 2010]。

6  例えば、2007年にスウェーデン政府はアフガニスタンへ帰還することを合意した場合、1世帯当たり7150ドルを提供することを約束した。2019年にドイツ政府は母国へ帰るアフガニスタン人へ7000米ドルを支払い、オーストラリアはロヒンギャ難民がミャンマーへ帰るならば、2万米ドルを払うと約束した。

9  ソマリ社会では父系性血縁関係に基づくクランが相互扶助や社会的ネットワークの基盤である。主要な5大クラン・ファミリーは、ラハンウェイン、イサック、ダロッド、ディル、ハウィヤであり、中・南部出身者は主にクランラハンウェイン、ハウィヤ、および少数派のクランに属している。ソマリランドではイサック、プントランドではダロッドが多数派である。これらの地域で同じクラン・ファミリーに属する中・南部出身者はクランのメンバーから支援が得られるが、それ以外の人々の立場は脆弱である。

参考文献
 
© 2023 Institute of Developing Economies, Japan External Trade Organization
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