2025 Volume 63 Pages 34
「移動」を分析の軸とする「モビリティーズ・スタディーズ」は、イギリスの社会学者ジョン・アーリが提唱し、日本では本書の編者のひとりである吉原直樹がおもな紹介者となって、近年、注目を集めてきた研究領域である。本書は理論編にあたる第Ⅰ部とケーススタディを集めた第Ⅱ部の二部構成となっており、第Ⅱ部の各章がいずれも非西洋圏の事例を扱っていることが特徴的である。
第Ⅰ部では、吉原によるモビリティーズ・スタディーズの系譜の解説(第1章)に続き、第2章(伊藤美登里)と第3章(伊藤嘉高)で、他の有力な社会理論(具体的にはウルリッヒ・ベックの「メタモルフォシス理論」とブリュノ・ラトゥールらの「アクターネットワーク理論」)との関連で、モビリティーズがどのように位置づけられるかが論じられる。そして第Ⅱ部への橋渡しの役割を与えられた第4章(山岡健次郎)は、国家と国民の結びつきを自明視する西洋中心主義的な近代性(モダニティ)言説を相対化し、グローバリゼーションとモビリティーズをキー概念として現代世界をとらえる視点を提示する。
第Ⅱ部に収録された5つのケーススタディのうち3つはアフリカの事例である。ここでは紙幅の制約によりアフリカ関連の章に絞って紹介したい。第6章で武内進一は、コンゴ民主共和国とルワンダの事例をもとに、グローバリゼーション下のアフリカ国家の、国境をまたぐ物資や人の移動への課税を存立基盤とする「ゲートキーパー国家」としての性質を論じる。第7章で松本尚之は、ビアフラ分離主義運動の事例に即して、デジタルメディアの発達に伴い活発化するディアスポラによる政治運動の特徴を明らかにしている。そして村橋勲は第8章で、アフリカの難民キャンプを「移動と停滞がせめぎ合う〈場〉」(p.174)ととらえ、難民キャンプと周辺地域とのあいだの曖昧化された境界を日常的に往還する人々のモビリティーズを、多彩なエピソードを引きながら生き生きと描く。いずれの章も、グローバリゼーションやモビリティーズの理論に引きつけ、自身のこれまでの研究内容を再構成して新たな論点を提示しており、読みごたえがある。
従来のモビリティーズ・スタディーズの西洋中心主義への批判から、非西洋社会の文脈に根ざした「オルタナティヴ・(イン)モビリティーズ」(p.208)の探究がすすむ近年の研究潮流が、本書では強く意識されている。移民・難民はアフリカ地域研究でも盛んに研究されてきたテーマだが、アフリカのフィールドからの知見が理論研究の新たな地平を切り拓きうることを、本書から改めて実感することができた。
牧野 久美子(まきの・くみこ/アジア経済研究所)