2025 Volume 63 Pages 70
著者は、自分が大学生だった頃から「『公式の歴史』のなかに自分の居場所を持たなかった人びとに惹かれた」という(p. v)。本書は、町の名士の「奴隷商人」性、アイルランドのジャガイモ飢饉、大西洋奴隷貿易・奴隷制、カリブ海域の先住民絶滅説、イギリスによる植民地支配で横行した略奪をあげ、これらがいずれも21世紀前後に「突然思い出された過去」だと述べる。その上で本書は、「なぜ今、唐突に『その記憶』が思い出されたのか。そうやって想起された過去は、今の私に、私たちに、何を伝えようとしているのか」と問う。本書が見せてくれるのは、この「現在と過去の不断の対話」による「知の脱植民地化」である(pp. viii-ix)。著者は「学術、学問こそ、植民地化と無縁ではなく、欧米中心の植民地性を二一世紀に持ち越すことに大きな力を与えてきた。……アフリカ諸国やブラジルを含む中南米諸国、グローバルサウスの知が対等に扱われているとは言いがたい」と現状を批判し、「知の脱植民地化」とは「こうした知の体系の偏りを意識し、正そうとする認識であり、運動だ」とする(pp. 242-243)。
こうした厳しいテーマであるにもかかわらず、世界思想社ウェブマガジンの記事をもとに編まれた本書は、読者を限定しないわかりやすさ、読みやすさを特徴とする。第1章は米国発の「ブラック・ライヴズ・マター」運動のイギリスへの広がりを取上げ、「地域の慈善家」の銅像を2020年になって若者たちが引き倒したことの意味と背景を活写する。第2章は、2011年にカナダで発見された遺骨を契機として、19世紀半ばのアイルランド大飢饉の記憶が現在の世界各地で辿られる様子を描く。第3章「レディ・トラベラーへの旅」は、帝国主義時代のイギリスに抗ったある中流階級の白人女性の生に迫る。第4章はすこし趣が変わり、読者はカリブ海諸地域を回る著者の調査に同行しながら、先住民の歴史や奴隷制の過去と現在を辿りなおすことになる。第5章は現ナイジェリア南西部、かつてのベニン王国からイギリスが植民地支配の過程で奪った品々を取上げ、入手の経緯や近年の返還・博物館での展示見直しの動きを追う。「おわりに」で著者は、「大日本帝国」という過去を持つ日本の私たちにも脱植民地化という課題の存在を突き付ける。本書で辿られた世界各地の「過去」は他人事ではないのである。
Mrs. Green Apple、映画『ブラックパンサー』、松岡圭祐……。読者を惹きつける仕掛けが随所に埋め込まれ、図版の多さも理解を助ける。現代的な様々なキーワードを入り口に、著者の視点はイギリス、アフリカ諸国にとどまらず世界各地へと自在に移動する。テーマは重厚だが誰にでも手に取りやすい、知る喜びにあふれた一冊である。
津田 みわ(つだ・みわ/アジア経済研究所)