Ajia Keizai
Online ISSN : 2434-0537
Print ISSN : 0002-2942
Book Reviews
Book Review: Aya Tsuruta, Reexamining the Genocide: The Historical Trajectory of Rwanda (in Japanese)
Takuya Misu
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2019 Volume 60 Issue 3 Pages 77-80

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今から25年前の1994年,アフリカ中央部のルワンダで虐殺事件が起こった。同年4月のジュベナール・ハビャリマナ大統領の殺害からルワンダ愛国戦線(RPF)が同国を制圧するまでの約100日間で,50万人から100万人が殺害されたジェノサイドである。フトゥ系の政府とフトゥ過激派が首謀者とされ,国際社会が虐殺阻止に有効な措置を取れないなか,多数のトゥチとフトゥ穏健派が犠牲になった。

本書はこの虐殺の意味をルワンダ史のなかで位置づけるものである。また19世紀から現在に至るまでの歴史的事実の掘り起こしも企図する。ただし分析の射程は地域史に限定されるものではなく,米欧のさまざまな史料や聞き取り資料などを利用し,地域史と国際政治史を接合する意欲的なものである。

Ⅰ 

本書は全4部構成である。まずその狙いであるが,ジェノサイドの複雑さを描き出すことで,多数派民族フトゥによる少数派トゥチの殺戮という「表層的な理解」を「更新」したいとする(1ページ)。そのうえで後のフトゥとトゥチの対立の理解には,1950年から1960年代前半の独立時の歴史の理解が不可欠であるという。そこで第1部では独立前の歴史,第2部では独立時の展開が詳述される。そして第3部では,独立後から1990年代までのルワンダ政治の特質が考察され,第4部では,20世紀末の虐殺事件を歴史的に位置づけると同時に,さまざまな角度からの評価が試みられる。

概要は以下のとおりである。序章では本書の学術上の意義と分析視角が提示される。ここではフトゥとトゥチの対立の歴史的形成過程の理解の重要性が強調される。そのうえで,あり得たかもしれない選択肢をめぐる歴史の岐路の問題,2つのエスニシティの関係とともに,それぞれの集団内部の関係にも目を向けることの重要性,さらには国内・国際・ローカルの3つの政治レベルの交錯に留意する必要性が論じられる。

第1部の第1章では,植民地化を経験したルワンダ社会の状況を取り上げる。さまざまな先行研究を参考にしつつ,フトゥとトゥチのエスニシティの発生,植民地行政の間接統治を介した,その固定化過程を示す。第2章では,独立直前の1950年代後半のルワンダにおける政党政治の出現とベルギー政府の対応を概観する。このころのルワンダの政治は,両エスニシティの対立よりもトゥチの指導者間の対立に特徴づけられるという。

次いで第2部を構成するのが第3章から第6章である。第2部では,フトゥとトゥチの対立の歴史的形成過程を考察する。第3章は,独立直前に起こったフトゥ対トゥチの暴力,いわゆる万聖節の騒乱の性質や帰結を考察する。第4章は,1960年代前半に存在し,後に幻と消えたフトゥとトゥチの政治的協調の可能性を考察する。そしてそれが幻と消えた理由として,各政治勢力の将来構想の違いや,コンゴ動乱や国連での議論といった国外の出来事の影響を取り上げる。第5章では,1960年後半から1961年1月末にかけて,この政治的協調が潰えた過程を辿る。そしてこの可能性を不可逆としたのが,クーデターと王政の廃止をともなった「革命」であったとする。加えて第6章は,「革命」が独立の形に与えた影響を論じる。

第3部は独立後からジェノサイドに至るルワンダの姿を概観し,ジェノサイド発生の理由を考察する。第7章では,独立ルワンダにおける政治とエスニシティの関係を検討し,その政治の変容やその後のジェノサイドの前兆の所在「など」について考える。また第8章では,1990年代前半の複数の危機とジェノサイドとの関係について取り上げる。そして1994年にこの事件が起こった理由を考える。

最後に第4部では,ジェノサイド後のルワンダを紹介する。第9章では1994年以降のルワンダ政治におけるエスニシティをめぐる諸問題を取り上げ,また第10章では,ジェノサイドをめぐる記憶と歴史認識の問題を取り上げる。

Ⅱ 

以上を踏まえ,本書の学術的な貢献と若干の気づきを指摘したい。ただし評者はルワンダ史の専門家ではないため,特徴のひとつである地域史と国際政治史との接合の観点から評価を行う。

評者の観点では,本書の評価点は3つある。第1の評価点として本書は,ルワンダ独立史の詳細な分析を試みるが,刮目に値するのはさまざまな資料を渉猟した点である。ルワンダの政治は国際政治の影響を受けてきた。それゆえ実証研究にはさまざまな国や勢力の史料を渉猟する必要がある。そこで本書は,ベルギー植民地関連の史料はもとより,米国政府,英国政府,国連の公式資料,さらには独立当時を知るルワンダ人への聞き取りなどを試みる。この特徴は,とくに著者が「本書の中心」とする第2部に見られる。

第2部で興味深かったのは,独立や選挙日程をめぐる国際連合を舞台とした議論の叙述である。1950年から1960年代前半,国連にはアジア・アフリカの新興独立国が大量加盟し,国連はおもに総会を舞台として反植民地主義言説にあふれる場となった。そうしたなかで国連信託統治領であったルワンダの独立は,国連総会の雰囲気に左右されかねなかった。またベルギーは米国の冷戦戦略の動向にも影響を受けた。著者は,このような事情が「脱植民地化のタイミングとやり方に影響を与えた」と考える(162ページ)。

また本書は1960年に勃発したコンゴ動乱の独立への影響を史料的に考察する。コンゴが独立直後に混乱に陥り,ベルギーがカタンガ分離を支援した事情はよく知られている。一方でこの事情が,同国の脱植民地化構想に与えた影響については,詳細があまりわからなかった。そこで本書はこの過程を描こうとする。本書は,コンゴ動乱勃発でコンゴ・ルワンダ統合の構想は潰え,ベルギーはルワンダだけの独立を構想した点を指摘する。

第2の評価点として,本書からは歴史の岐路の問題を考えさせられる。本書は,ベルギーがルワンダから退出する際にフトゥに肩入れし,フトゥとトゥチの対立を利用しようとした局面を描く。また本書は,ルワンダとコンゴの統合,タンガニーカとルアンダ・ウルンディの統合の可能性,パン・アフリカニズムに向けた動きなどから,この時期が国境線を巡ってさまざまな未来を展望した時代であったことを想起させる。もしベルギーのこのような分断統治の試みがなければ,あるいは現地社会の実態に即した国境線の変更があれば,歴史はどうなっていたのか。想像は尽きない。

第3の評価点として,比較的読みやすい叙述も本書の特徴である。この特徴は先行研究に多くを依拠する第1部と第4部から,とくに印象強く感じる。第1部は独立前の政治状況をコンパクトにまとめている。同様に第4部以降の虐殺事件およびその後の国家建設にかかわる各章もそうである。著者がこの研究の「出発点」(196ページ)と記すように,思い入れの強いパートなのであろう。定評ある先行研究を踏まえ,虐殺事件の実態やその帰結を論じている。また地域史と国際政治史の接合という点でも,第4部には興味深い叙述がある。本書は,欧米の最新情報を利用しつつルワンダと米英圏の接近の実態を論じ,またルワンダが虐殺事件を外交カードとしつつ新国家建設を行うさまを描き出す(262~271ページ)。

本書の最大の学術的特徴は,ルワンダ独立史の実証研究の端緒を担った点にある。後進研究者は,独立史研究の進め方の手がかりを得たといえる。日本で最高のルワンダ研究は,武内進一の『現代アフリカの紛争と国家』であるが,本書は独立史の叙述を通じて,同書の内容を補完するものと位置づけられる。

Ⅲ 

一方でいくつかの気づきもあった。ここでは4点ほど指摘する。まず著者も自覚するところだろうが,本書は,『ジェノサイド再考』と題するものの,1994年の虐殺に至る過程を分析した通史ではない。内容的には,とくに第2部と第3部以降のつながりのぎこちなさが気になった。

理由は,虐殺の中期的要因を充分に論じていないからであろう。著者は,1994年のジェノサイドの理解には独立時の政治状況の理解が重要だとする。しかし評者は,この主張を受け入れながらも,やはり本書が狙いとするジェノサイド理解の「更新」作業には,その発生の中期的要因の考察がより重要だと感じた。具体的には独立後のルワンダ政治に関する第3部の議論の深化である。

確かに本書が示したように,独立・「革命」時の混乱や国外離散民の問題が1994年の事件の端緒であった。またベルギーの権力再構築の思惑も絡まりながら,独立時にフトゥが権力を掌握し,エスニックの差異を政治的に利用した点は軽視できない。後の虐殺を引き起こす種は,独立・「革命」期に蒔かれたといえる。

しかし同時に注意すべきは,「革命」期のこのような虐殺が国によっては必ずしもその後も繰り返されるわけではない点である。後の国家建設過程において,社会的不満が解消され,国民統合に成功する場合もある。しかしルワンダではそうならなかった。なぜか。それは,独立から虐殺に至る約30年間に,憎しみの種が芽吹き,育まれる別の過程があったからである。

第3部では,独立後のフトゥ統治の概要が描かれる。しかし虐殺の中期的要因について考えるのであれば,離散民(難民・ディアスポラ)をめぐる政治問題を取り上げてはどうだったか。独立・「革命」は離散民にとって望郷・帰郷運動の歴史の始まりであった。離散民に刻みこまれた辛苦の歴史,そしてその帰還と権力の再掌握の論理と,その後の虐殺とのつながりを,実証的に考察するとよかった。

加えて以下の点の検討も必要があるように感じた。まず大きな問題は,現在のポール・カガメ政権の力の源泉についてである。現在,カガメ政権は,RPFによるジェノサイド阻止を,政治的正統性の切り札としている。彼らがこの事件を機に権力を掌握したことをめぐる批判や疑念も存在する。なぜ彼らは離散民であるにもかかわらず,周辺国の思惑に翻弄されながらも力を持つに至ったのか。

この考察には,ルワンダのみならず,周辺国や大国における離散民の取り扱いを分析せねばならない。本書でもウガンダの政情と絡めた説明があるが(202ページ),アミンやムセヴェニ政権で彼らが重用された理由を踏み込んで考察してもよかった。またカガメが米国に留学したのは,冷戦期に米国が中央アフリカのキーマンとしたモブツの独裁体制が揺らぐ時期であった。著者はこの問題をどう考えるのか。地域史と国際政治史の統合という意味でも,周辺国や大国にとってのルワンダ離散民の政治的利用価値の解明は,重要な学術的課題であろう。

ただし評者としては,著者に多くを求めるのは,やや酷であることも自覚する。現在のルワンダ政治と連動するこれらの論点は,研究が非常に困難だからである。資料の問題に加えて,政治性を背景としたさまざまな障害も想像される。上記の論点は,研究環境の改善にあわせた,今後の研究課題として受け取ってもらえればと思う。

2点目の気づきとしては,独立時,独立後を問わず,ルワンダ政治に対するベルギーを含む外国の影響力の分析がより必要だと感じた。これはルワンダ政治の自律性の検証である。

この点に関して本書は,フトゥ,トゥチの各政治勢力の相互作用の歴史を描くことで,基本的にはルワンダ政治家の自律性を受け入れているようである。しかし同時に本書には,第2部の独立期の叙述においてフトゥが権力を掌握することになるギタラマのクーデターのように,米国史料や状況解釈からベルギーの関与を疑う叙述もある(133~139ページ)。ではその整合性をどのように考えたらいいのか。

おそらく行うべき作業は,ベルギーが持つ力の源泉についての考察ではなかったか。評者であれば,資金,人的つながり,情報の流れを考察したと思う。コンゴの場合,欧州の政治勢力は,教会,企業,入植者,協力者等を通じて,コンゴ政治家に強い影響力を行使した。ではルワンダではどうだったのか。

とくに第2部の叙述では,当時ベルギーが置かれた異常な状況をより重視すべきではなかったか。大きな枠組みでいえば,ベルギーにとって1960年代の脱植民地化とは,コンゴ動乱で弱体化した植民地権力を再構築しつつ,望ましい形で撤退する「しんがり戦」的な性質が強い。このことを背景にベルギーは,コンゴ首相ルムンバの暗殺すら決意した(ギタラマ計画を準備したオステンド会議と同時期に彼は殺害された)。また同国が支援したカタンガは秩序を維持しており,コンゴの他地域および周辺地域が内戦等の混乱状態に陥れば陥るほど,分離を国際的に正統化できた。その意味で,ルワンダで混乱が起こることで政治的受益者となりうる立場にあったベルギーは,現地権力の急進化を阻止するためにルワンダでもなりふり構わぬ工作を展開したと考えられる。もちろん説明上の否定の可能性を意識しつつ,ルワンダを拠点とする対コンゴ反転攻勢も考えただろう。この状況下で,ルワンダ政治家はどうやって自律性を保てたのか。

また独立後のルワンダにおける争乱と外国の関係についてはどうか。独立後も武装した離散民による度重なる攻撃で,国内のトゥチの迫害が強化され,フトゥとトゥチの対立は激化し,社会の分断が固定化した。ではこの事態について,フトゥ政権の支援国ベルギーやフランスはどう考えたのか。両国は争乱が続けば軍を駐留させ武器を「売れる」立場にある。この点と虐殺の中期的要因とには何か関係があるのだろうか。

3点目の気づきとしては,随所に出てくる「国連」の表現が気になった。「国連」とは,総会を指すのか,安保理を指すのか,あるいは特定の加盟国,信託統治委員会構成国を指すのか,はたまた国連事務局のことなのか,など多義的である。これは状況に応じた丁寧な説明が必要な言葉である。例えば,第2部との関連では,当時ベルギーは,①植民地問題の処理で組織の存在意義を示そうとする国連事務局,②総会で多数派になりつつあった反植民地主義を掲げるアジア・アフリカ諸国,③安保理常任理事国で異なる立場から反植民地主義に肩入れする米ソ両国,④国際世論を介して権力掌握を図るトゥチに警戒感を抱いた[武内 2009,179-184]。これらが総じていえば,「国連」だったのである。

ルワンダ史全体でも「国連」が,時期によっては国連事務局のような主体として,あるいは加盟国間政治の場として,さまざまな形でかかわっている。「国連」のどの部分に光が当たっているのかをより意識することで,立体的なルワンダ史が描けたのではないか。

最後の気づきとして,「国際政治史におけるルワンダ史」のための分析視角を出してもよかったと感じた。評者の観点からいえば,ルワンダ史にとって重要な視角のひとつは,国際的な無関心の問題である。なぜルワンダに対する国際的関心は低く,それが政治的にどのような意味をもったのか。言い換えると,身の丈を越えた国際的な関心が突然集まることで,現地の政治がどのように変質するのか,との問いでもある。国際的な監視がないことに乗じてステイク・ホルダーはやりたい放題だったのかもしれないし,逆に国際紛争化することで各アクターが国外の権力を利用しようとし,かえって紛争が激化することも考えられる。

いささかないものねだりで的外れな指摘だったかもしれない。しかし評者としては,ルワンダ独立史研究としての本書の意義を損ねるつもりはない。本書は,熟読するほどさまざまな論点を見出すことができる刺激的な本である。この点は強調したい。また世界的にも類書が乏しいなかでの著者の向学心と努力にも感服する。ルワンダ研究の一里塚として,今後,必読書となることは間違いないだろう。

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© 2019 Institute of Developing Economies, Japan External Trade Organization
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