Ajia Keizai
Online ISSN : 2434-0537
Print ISSN : 0002-2942
Book Reviews
Book Review: Lim Chaisung, Embodying Labor: Railway Workers in the Japanese Empire (in Japanese)
Masafumi Miki
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2020 Volume 61 Issue 1 Pages 68-71

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Ⅰ 本書の概要

本書は,「近代日本をはじめとする東アジアの鉄道を対象として,労働衛生の近代性(modernity)がどのような形で実現されたのかを明らかにし,さらに帝国圏内の本国と植民地を比較し,それぞれの地域が抱えている労働衛生史的特徴を植民地性(coloniality)とともに抽出すること」(3ページ)を目的に執筆された。

日本の鉄道史研究は,国有,民営を問わず本業である輸送事業を中心に展開してきた。本書は内地と外地を横断的に分析すると同時に,労働問題,なかでもこれまでとくに照明の当たっていない衛生関係に着目した点に特徴がある。

冒頭の序章「帝国日本の鉄道労働衛生」で,鉄道の登場が移動の大量化と迅速化を進めた一方で,疾病の広域伝染の可能性を招き,公衆衛生学的観点から清潔性の維持と旅客・貨物の迅速な防疫対策の必要性をもたらしたとする。その結果残存した膨大なデータに着目した著者は,鉄道当局が一般に不規則な勤務の鉄道員に対して労働衛生学的対策を推進するようになったという。日清戦争後進行した鉄道の帝国化では労働力の現地調達を重視する一方で,人事において「日本人中心主義」をとった。それらを踏まえ,著者は①近代医療機関拡充の本国(以下,内地)と植民地(以下,外地)間の相違,②労働衛生における先駆的な繊維産業との比較,③医療機関のみならず共済組合との関係から,帝国日本の鉄道労働衛生を分析した。そして本論を,内地に関する第Ⅰ部「日本国鉄と労働衛生」と,外地に関する第Ⅱ部「植民地鉄道と労働衛生」に大別し,各章にコラム1~2点を配して構成した。

戦前日本国鉄を対象に,衛生状態の変化とそれへの対応の考察から組織内部の労働衛生システムの構築過程を解明するのが,書名と同題の第1章「鉄道員と身体(1907-1936)」である。1906~1907年に「鉄道国有法」で主要私設鉄道を買収して全国的ネットワークを形成した国有鉄道は,昼夜に跨がる列車運行システムの維持とあわせて,組織的にも巨大化して業務の複雑化を招いた。鉄道員の30~40パーセントにおよぶ深夜勤務が罹患率を高め,とくに20代現業員の死亡率が際立ち,結果的に国鉄は組織的に職員の健康状態への配慮が必要になった。一方で検修体制のシステム化した工場従事者の罹患率は国有化以前より減少したが,作業能率の低下する時間帯に負傷者が集中した。1925年に一夜にして全国の車両で取り替えを完了した快挙で知られる自動連結器は,連結手の死亡率減少に貢献した。しかし1920~1930年代の公務員負傷率や死亡率の長期的低下に対し,列車乗務員の疾病の多さは際立っていた。

第2章「戦争と労働衛生(1937-1945)」は,戦時期日本国鉄を対象に従事員側に生じた保健衛生上の問題と,それに対する国鉄当局の対策の取り組みを解明した。戦時下の国鉄では内部教育体制強化によって技術者養成の確保を余儀なくされたが,応召・入営など社会全体の人的資源の枯渇が原因して労働力の流動化も,とくに16~20歳の青少年層を中心に進行した。非熟練労働力の増加は運転事故をはじめ各種事故の増加を誘発し,その主現場は工場を最上位に,平時と異なり日米開戦後に米軍攻撃の標的化した船舶や,自動車がそれに次いだ。また生活安定のために健康保険制度の実施と共済組合規則の改正が実施され,それらは社会全体の「健民修練」の実施に呼応した国民体力管理制度に準じた。

戦前「国民病」とよばれた結核の国鉄内部での流行と対策を検討した第3章「鉄道員と結核――国鉄における『国民病』の流行――」は,まず1920年代国鉄の平均公傷病率の多くが轢死や圧傷で,疾病は極少,職場単位では工場>電気>船舶の順とする。結核の罹患率は工場>運輸・運転>電気で,著者はそこに職場の閉鎖性や,地域的には寒冷地や大都市,さらに1930年代末統計による年齢コーホートで10代後半から20代前半の青少年伝染の顕在化傾向を見出した。国鉄では罹患者に救済金支給の一方で,戦時下の増加傾向に対してツベルクリン反応,レントゲン検査に加え,結核患者の内報制度による当該者の隔離などの体制を導入した。その結果,1930年代から国内死亡率の上昇に対して国鉄内死亡率は減少した。

第4章「国鉄と医師――鉄道医の制度的展開と学知の追求――」は,戦前期国鉄従事員の健康管理と治療を担った鉄道医の位置づけや,その協会活動の展開を検討した。医療の社会化によって出現した産業医や工場医のなかで鉄道医の先駆性や,組織内医療制度の形成を考察している。国鉄従事員の勤務は,一般工場や官庁などと比較し,長時間かつ不規則,交代方式の制度が前提であった。また欧米諸国と異なり,医療サービスの安定的供給制度化の遅れた後発国ゆえ,日本の国鉄には最大級の内部医療制度が構築されたと著者はみる。そしてその制度的確立には,まず1910年代末のスペイン・インフルエンザ流行時の患者急増による嘱託化,その後管理待遇としての内部化,さらに1944年の鉄道医官制度の導入がそれぞれ画期となった。また1914年には日本鉄道医協会が設立され,結果的に従事員の身体管理が徹底でき,死亡率の低下につながったという。

外地を扱う第Ⅱ部の冒頭で台湾の鉄道労働者を分析対象とし,労働衛生管理の一面を解明するのが第5章「『南国』台湾における鉄道員と労働衛生――植民地鉄道の労働衛生管理の始まり――」である。とくに南西諸島に本格的鉄道敷設をみなかった帝国日本では,台湾で初めて鉄道衛生がマラリアをはじめ南国疾病に直面することになった。1930年代になると鉄道職員として台湾人労働者の採用が増加し,南国疾病の罹患率の高く異動の多い日本人を補填した。そして公・私傷病死亡率の掌握できる1928年統計では工作,工務など鉄道工場での罹患率が目立ち,結核を主な死因とした内地を含む他地域と異なる。また「国鉄大家族主義」の健康管理の対象は,医療施設において従業者のみならずその家族をも含む一方で,日本人のみに適用されるものでもあった。

第6章「『半島』朝鮮における鉄道員の健康と疾病――朝鮮国鉄の経営と労働衛生の展開――」は,朝鮮国鉄を対象に従事員側の衛生状態の変化と,それに対する国鉄当局の措置を検討し,植民地朝鮮における保健衛生の近代性の実現過程を明らかにした。そこでは植民地性と近代性を焦点に,日本人と朝鮮人の労働市場の対照性,すなわち宗主国の日本人を信頼可能な人的資源として管理部署に集中配置し,下層部を朝鮮人に担わせたことを問題とした。朝鮮では1910年代末のスペイン・インフルエンザによる死亡率が内地を上回り,また危険現場では朝鮮人に高い負傷率がみられた。結核など呼吸器系疾患で,日本人は工場系>営業系>運転系の職場順で罹患率が高かった。医療体制は当初外部の医療機関に治療を依頼したが,朝鮮鉄道の南満洲鉄道(以下,満鉄)への委託経営を画期に1926年に竜山鉄道医院の直営化が実現し,さらに救済制度も1915年以後朝鮮人にまで拡大することになった。

戦前の満鉄を対象に従事員の衛生状態の変化とそれに対する措置を検討し,労働衛生の近代性の実現を明らかにしたのが,第7章「『大陸』中国における鉄道員の健康と衛生――満鉄鉄道業を中心として――」である。満鉄は「満洲国」成立後に満洲国有鉄道の経営を委託され,鉄道員数が台鉄や鮮鉄を大きく凌いだが,その事業範囲の拡大に伴う雇用調整をもっぱら中国人の採用で対応した。ところが1910年代末のスペイン・インフルエンザでは職場罹患率で日本人と中国人が拮抗し,さらに死亡率では中国人の割合が高くなった。満鉄を鉄道会社よりも植民地経営機関とみる通説に立脚し,医療機関や行政管理部署の整備が進み,1912年から社員救済制度もいち早く整備された一方で,台湾や朝鮮に共通した民族差別が存在したとする。そして補論「華北交通の労働衛生」では,満鉄派遣社員を中心とした占領地鉄道であった華北交通では満鉄並みの植民地的雇用構造が踏襲されていた点を掘り起こした。

終章「帝国日本下での『健康のパラドックス』」は,帝国日本の労働衛生の実態と鉄道当局の政策と結果の分析から論点を整理して総括している。帝国日本の鉄道は集権的鉄道運営を基礎に,労働強度の低い職場=安全,若年者=壮年者より健康,という常識論を前提にしていた。しかし感染症などでは,肉体労働で低い身分層がむしろ健康性を示すという「パラドックス」が少なくなかった。また労働システムのベーシックモデルは内地の国鉄の「大家族主義」で,それを踏襲した外地である台湾や朝鮮でも日本人を中心に,そのモデルが展開した。さらに第Ⅱ部で分析した外地では下層労働現場に現地人を採用し,それに「大家族主義」的モデルを次第に拡大したが,満鉄の中国人は例外で常に「外国人」扱いであった。

Ⅱ コメント

本書は,鉄道職員の労働衛生問題について,前述した既往の鉄道史研究の空隙を埋めるにとどまらず,近年の医療史への関心の高まりに対しても示唆に富む成果といえよう。同時に労働集約型産業のひとつとして少数の管理部門と多数の現業部門という鉄道業のもつ特性が,労働衛生問題に与えた影響についても一定の展望を与えた。そして植民地研究の一翼も担う本書は,宗主国と植民地の民族間協業について架橋する成果でもある。

その一方で,本書全体に対して評者が感じた大きな疑問のひとつは,その対象がいわゆる国有鉄道に限定された点である。外地では満鉄のような特殊会社を除き,民営鉄道は全般に小規模で末端輸送を担う存在であったが,内地では事情が異なる。戦時体制移行前夜の1935年度の国有鉄道の職員総計は21万8352人で,対する民鉄(地方鉄道+軌道)のそれは9万2983人で,前者の約43パーセントに達していた(『鉄道省鉄道統計資料』による)。実数もさることながら,その時期には現在の大手民鉄の祖型が形成され,大都市とその近郊では経営・技術の両面において,その存在感が大きくなっていたはずである。とくに鉄道業では,いわゆる「公営」を民鉄に含める慣例からも,国有鉄道は純「国営」に限定される。資料の統一的収集の困難さは認めるとしても,内地の問題を論じるうえで民営鉄道は看過できない存在であろう。

また本書では言及されなかったが,戦中期の出征による鉄道員不足が日本の鉄道業界での女性採用の嚆矢であったことも周知の史実に属する。近年の女性鉄道員の増加にかんがみても,第2章でジェンダーの問題に言及し,史料的裏付けが可能であれば,平時と比較した衛生問題に触れることから新たな論点の展開にもつなげることが可能であるように感じた。

第3章の国鉄における結核罹患は,運輸・運転職場の電車運転士に多かったとし,著者はその原因を都市近郊での数多くの信号確認などによる心身疲労や運動不足に求めている。それらも一因に相違ないが,初期の電車運転台が客室から独立しておらず,ラッシュの混雑時に乗客と混乗状態になることも誘発要因ではないか。ちなみに国鉄での電車運転台の独立は1921年度の新造車からで,1924年度でも非独立運転台車両での乗客立ち入り禁止に関する通達を出す状況にあったという[電気車研究会 1977, 21-22]。また機関士や機関助士は,乗客から隔離こそされていたが,高熱ボイラーと高湿の蒸気,加えて投火炭の粉塵という環境下の狭域職場であり,本書の比較する繊維産業労働者と共通点が多い。

一方で第4章のとりあげた鉄道医の制度化は,現在も各地に存在するJR病院の成立,制度化を知るうえで重要な情報といえる。それを踏まえて評者はJR病院よりも数は少ないが,東急(東京急行電鉄)病院や名鉄(名古屋鉄道)病院など大手民鉄系病院,あるいは比較のために同様の産業医である各地の警察病院制度の成立との関係も知りたいように感じた。

本書の特徴でもある内地と外地の横断的研究視角については,とくに第5章の台湾の特殊性が顕著という印象をもった。台湾が医学部内部の学問を超越した「新しい医学史」の東アジアの先駆とされる[鈴木 2018,146]のは,その亜熱帯性気候にある。また鉄道史的に台湾は外地島のために鉄道が路線網と制度の双方で遅れ気味であった。いみじくもそれは本書の課題が鉄道インフラのみならず,気候条件という環境と密接に関係していることを示唆している。

第6章の朝鮮における職位と健康状態間の逆転現象の説明にも,伝染病や流行病とかかわって,それに罹患しやすい環境についての言及をより重視すべきであることを感じた。朝鮮は,台湾と植民地という枠組みの共通性の一方で,気候条件は本州に類似する点で,その説明に加賀美[2004]などにみられる生気候(象)学的視点が不可欠ではないか。その点は満鉄という組織の特性に,民族別の相違を絡ませて逆転現象を説明した第7章にも共通する。

本書における著者の主論点のひとつが,健康状態が身分や職階に必ずしも対応せず,職場の環境などでしばしば「パラドックス」を引き起こすことの実証にあることは終章からも明らかである。しかしその「パラドックス」は,職階など職場に内在する条件にとどまらず,前述の気候条件も重要な基盤であろう。また気候条件自体も生気候(象)学の対象とされやすいマクロな空間のみならず,大都市とその近郊で運行される電車では職員と乗客が共有し(第3章),本書が比較対象とする紡績工場などと同様に,高温多湿になりがちというミクロな空間にも関係していた。そうした観点からすれば,その罹患率や,あるいは死亡率の相違は職場環境というミクロな空間の差違の結果という読み替えも可能であり,はたして職業的身分の「パラドックス」と呼び得る逆転現象に帰せられるかどうかには疑問を感じた。

さらにいえば,それらの職場に従事する従業者の多くは,いわゆる「ブルーカラー」であり,管理部門に従事した「ホワイトカラー」は,基本的にそれらミクロな空間からは隔離されていた。逆に「ホワイトカラー」の罹患こそ,その従業地の生気候(象)的なマクロな空間の差違に表象され,同時にそれは鉄道職場に限らない。そうだとすれば,本書の議論は基本的に「ブルーカラー」が前提である点を述べておく方が説得力を増すように感じた。

武知[1992]など既存の鉄道労働にかかわる歴史研究は,いわゆる一国史的な対象のとりあげ方で,労働現場の内的問題や思想的問題を議論することが多く,その空間的差違を射程に収めること自体が少なかった。本書は,鉄道労働と帝国史の交差点を見出したにとどまらず,その交差点から生気候(象)へとつなげる課題を見出した点でも好著といえるであろう。

文献リスト
  • 加賀美雅弘 2004. 『病気の地域差を読む——地理学からのアプローチ——』 古今書院.
  • 鈴木哲造 2018. 「医療・公衆衛生」 日本植民地研究会編 『日本植民地研究の論点』 岩波書店.
  • 武知京三 1992. 『近代日本交通労働史研究——都市交通と国鉄労働問題——』 日本経済評論社.
  • 電気車研究会編 1977(初版 1959). 『国鉄電車発達史訂補』 電気車研究会.
 
© 2020 Institute of Developing Economies, Japan External Trade Organization
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