Ajia Keizai
Online ISSN : 2434-0537
Print ISSN : 0002-2942
Book Reviews
Book Review: Marc Owen Jones, Ross Porter and Marc Valeri eds., Gulfization of the Arab World.
Shigeto Kondo
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2020 Volume 61 Issue 1 Pages 99-102

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Ⅰ はじめに

近年,アラブ世界におけるサウジアラビアを中心とした湾岸諸国の存在感が,政治・経済の両面で増している。かつてはアラブ民族主義の台頭と平行してエジプトがアラブ世界の政治的な中心であったが,1970年代のオイル・ブーム以降,湾岸諸国は経済的な繁栄を享受し,さらにそこで得た経済力を梃子に,アラブ世界における影響力を増していった。2010年代の「アラブの春」以降は,時には軍事力も行使してアラブ世界の政治変動に介入し,その影響力を行使する手法が多様化している。

「アラブ世界の湾岸化」を題目として掲げる本書も,一見まさにそうしたアラブ世界における湾岸諸国の影響力の増大を検討した研究書にみえ,実際に一部の章ではそうした現象を扱っている。しかし,多くの章はそうした側面を直接的には扱っておらず,むしろ歴史学,社会学,民族学の観点から,湾岸諸国内部の社会動態や湾岸諸国と周辺地域の関係を検討しており,書名との関係が想像しにくい。

そこで,本稿では本書の書名とそこに収められている論文の関係性についてまず検討する。後に詳述するとおり,本書の書名はかなり便宜的につけられた側面が強く,それと各論文の内容は必ずしも十分に調和していない。しかし,本書には書名との関係が一見明確でない論文のなかにも,十分な学術的な価値のある章が多く含まれるため,書名との関係は一旦脇におき,各論文の個別の評価も行いたい。最後に,本書が提起した「アラブ世界の湾岸化」という概念に再び立ち返り,この概念をめぐる今後の議論の発展可能性について検討したい。

Ⅱ 本書の内容

本書は,英国のエクセター大学が刊行する,湾岸諸国を対象にした「エクセター批判的湾岸叢書」(Exeter Critical Gulf Series)の第1作目という位置づけである。編者による序章と7本の論文からなり,その構成は以下のとおりである。

  • 序 章   アラブ世界の湾岸化(Marc Owen Jones, Ross Porter and Marc Valeri)
  • 第1章   アラブ世界における湾岸の指導力――ナショナリズムから「政治的ダイナミズム」を伴わないハイパー・ナショナリズムへ――(Madawi Al-Rasheed)
  • 第2章   遺産産業とUAEとカタルによる地域的文化的正統性の探求(Victoria Hightower)
  • 第3章   オマーンの「本当の」子孫――現代オマーンにおける国家の物語,血統的純粋性,トランスナショナルなつながり――(Irtefa Binte-Farid)
  • 第4章   秩序を維持する――現代におけるクウェート人化のダイナミズムとその歴史的な視点――(Manal Shehabi)
  • 第5章   イラン革命がバハレーンの論争的な政治における転機になったという説への反論(Marc Owen Jones)
  • 第6章   革命の輸入――制度変更とイエメンにおけるエジプトのプレゼンス1962-1967年――(Joshua Rogers)
  • 第7章   20世紀初頭におけるクウェート・ズバイル間の知識人層の関係――アブドゥルアジーズ・ルシャイドを事例に――(Abdulrahman Alebrahim)

まず序章において編者たちは,本書における「湾岸」が指す範囲をサウジアラビアなどの湾岸協力会議(GCC)加盟6カ国にイエメン,イラン,イラクを加えた9カ国としている。そして,本書の表題である「アラブ世界の湾岸化」については,「内在化・外在化の過程を通じた,イデオロギー,権力,影響力の投影,湾岸という概念の保持の探求」という定義を与えている。すなわち,湾岸諸国から外部への一方的な影響力の行使だけではなく,湾岸諸国内部における変化をも対象にした,広い概念として定義した。

第1章は,湾岸諸国が近年アラブ世界で指導力を発揮しようとしている背景を検討している。湾岸諸国は多様なアイデンティティが錯綜する地域であり,その中で各国はさまざまなアイデンティティを統治の道具として採用してきた。現在では,対外介入主義的なハイパー・ナショナリズムが採用されており,具体的には湾岸諸国の軍事化(UAEやカタルにおける徴兵制の復活),サウジアラビアにおける宗派主義の採用などがそれにあたるという。ハイパー・ナショナリズムの採用は,各国の体制強化に貢献する一方,周辺地域には分断をもたらしていると著者は分析する。

第2章は,UAEとカタルが文化遺産を用い,アラブ・イスラーム世界において自国の立場を強化していると分析している。伝統的にイラク,イラン,エジプト,シリア,東アラブ諸国などがアラブ世界の文化の中心であったが,UAEやカタルはアラブ世界やイスラーム世界に関する博物館・遺産プロジェクトに投資している。これによって,アラブ世界の伝統的な中心部との絆を強調し,同世界における遺産や文化の伝承者としての地位を獲得しようとしていると指摘している。

第3章は,東アフリカ系オマーン人のオマーンにおける位置づけに関する民族学的な研究である。オマーンはかつて東アフリカにまで領域を広げた海洋国家であり,東アフリカ地域との混血も進んだ。にもかかわらず,現在のオマーンでは,アラブの血筋に重きがおかれ,東アフリカ系との混血は社会においてあまり重視されていない。しかし,著者は東アフリカ系との混血オマーン人の事例をとりあげ,彼女らがオマーンのアフリカとのかかわりの歴史に,自己規定の拠り所を求めている様を描写している。

第4章は,クウェートにおける社会や労働力の「クウェート人化」と,その意味について考察している。もともと自国民の少ないクウェートは,経済発展に伴って外国人労働者を大量に受け入れてきたが,それをクウェート人に置き換えようという「クウェート人化」の動きは早くも1960年代からみられてきた。近年では,2014年の原油価格の低下による経済停滞に対する国民の不満をなだめるため,外国人労働者を排した「クウェート人化」が国民感情に押される形で,政策として進められている。このように,もはや「クウェート人化」とは単なる労働政策ではなく,国民懐柔政策でもあると論じている。

第5章は,バハレーン政治におけるイラン革命の影響について論じている。多くの研究はイラン革命が,1979年と1980年のバハレーンにおける混乱とデモの主要因になったという見方を示し,それが今日における中東の宗派対立の言説につながる素地を提供したと主張している。しかし,著者はむしろイラン革命の前からみられたバハレーンの統治家族であるハリーファ家による差別政策が,1980年前後の騒乱の最大の原因であったと結論づけている。

第6章は,1962年から1967年までのイエメンに対するエジプトの介入の意義について検討している。イエメンはそれまで部族中心の中世的な政治・社会状況にあったが,1962年にエジプトが北イエメン内戦に介入すると,エジプトはイエメンの国家機構の建設にまで協力するようになった。エジプトは自国を範にした近代的な機構をイエメンにもたらそうとしたが,実際にはイエメンの部族的な社会構造は解体されずに残り,その結果同国において国家機構と部族社会が並存する形になったと著者は結論づけた。

第7章は,現在のイラク南部のズバイルという町に存在したズバイル首長国の知識人が,19世紀から20世紀初頭にかけてのクウェートの知識人層に大きな影響を与えたことを歴史的に証明している。ズバイル首長国はアラビア半島中央部のナジュド地方からの移民によって形成され,オスマン帝国の保護下で自治を享受した。ここで教育を受けた人々が,当時のクウェートの知識人に新たなイスラーム思想をもたらし,クウェートに伝統的に存在していた保守的な思想家と論争を巻き起こしたと指摘している。

Ⅲ 評価

本書は,2016年8月に英国のエクセター大学で開催された湾岸研究学会(Gulf Studies Conference)に提出された7本の発表論文をもとにした論文集である。同学会は湾岸諸国を対象にするという特徴を有するが,発表される論文の学問分野は政治学,社会学,歴史学,文化人類学など多岐にわたっている。この年の同学会のテーマは「湾岸と広域中東―― 歴史的・現代的な視点からのトランスナショナルな動態」と広く設定されていた。本書はここで発表された7本の論文に加え,新たに書き下ろされた序章から構成されている。

本書では多様な論文を1冊の本としてまとめる必要上,それらを架橋する概念が編者の間で模索され,それが「アラブ世界の湾岸化」という用語の創出につながった。しかし,もともと7本の論文のテーマや方法論には共通点が乏しかったため,この「アラブ世界の湾岸化」という概念も非常に広く定義され,結果として不明瞭な定義となっている。

こうした経緯で形成された用語であったことから,「アラブ世界の湾岸化」という言葉から一般に想起される,近年のアラブ世界における湾岸諸国の影響力の強化といった事象は,湾岸諸国の対外介入的な側面を論じた第1章や,文化遺産を用いたUAEとカタルのアラブ世界における自国の立場の強化について論じた第2章で現れる程度となっている。それ以外の章については,そうした事象はほとんどとりあげられていない。

たとえば,第5章はイランがバハレーンに与えた影響について議論しているが,それは本書でいうところの湾岸諸国内部の議論であり,その他のアラブ世界とのつながりについては議論が及んでいない。さらに,第6章はエジプトのイエメン介入とその影響について検討しているが,どちらかというと「湾岸諸国のエジプト化」と形容した方が適切と思われるテーマであり,本書の書名とは方向性が逆になっている。

本書はむしろ湾岸諸国内部における民族間関係などといったトランスナショナルな現象に対する考察が充実している。たとえば,オマーンにおける「純粋な」オマーン人とアフリカ系との混血オマーン人の関係を扱った第3章,そしてクウェートにおける自国民化を考察した第4章がその例である。また,湾岸諸国の対外関与について議論した第1章も,湾岸諸国内部におけるトランスナショナルな現象が,積極的な対外関与の基盤になっていると議論しており,第3章や第4章と通ずるところがある。

このように,本書の各章の議論は「アラブ世界の湾岸化」という用語から一般的に想起される,最近の湾岸諸国の積極的なアラブ世界への関与というような内容とは必ずしも一致しない。しかし,そうであっても個々の論文をみた場合には,学術的に高く評価できるものが多くある。そこで,以下では評者の専門に近い第4章から第7章について個別に検討したい。

まず,第4章は「クウェート人化」の歴史的な段階を包括的・正確に論じた先駆的な研究であるが,一部では議論が十分でない部分がある。たとえば,アラブ・ナショナリズム全盛の1960年代に,クウェートに多くいたアラブ系の外国人労働者が,同国においてどのような政治的影響力をもっていたかという点は,ほとんど検討されていない。同じ外国人労働者であってもアラブ系とそれ以外ではクウェート社会への影響力が異なり,この点はもっと議論を敷衍してもらいたかった。

次に,バハレーンの騒擾はイラン革命ではなくハリーファ家による差別政策に原因があるという第5章の主張は,同国政治が外国からの強い影響下にあったという従来の主張に修正を迫る重要な指摘である。しかし,その一方でハリーファ家の政策にのみ1979年以降の騒擾の原因を求めるのにも限界がある。たとえば,ハリーファ家は1979年以前から差別政策を実施してきたにもかかわらず,なぜ1979年以降の数年間のみそれに反発する騒擾が起きたのかを,本章はうまく説明できていない。今後はハリーファ家の政策とイラン革命の影響の双方を考慮した説明が求められよう。

第6章については,イエメンに対するエジプトの介入を,サウジアラビアとエジプトの代理戦争という側面からではなく,イエメンの国家機構の形成という新たな視点からとらえ直した点が高く評価される。また,著者は同国の国家機構の形成に議論の力点をおきつつも,イエメンにおいて部族社会が根強く残る点も同時に指摘し,それが軍隊の形成など中央集権的な国家制度の確立において障害になったことを認めている。本章はイエメンという国家のあり方を考察するうえで必須の論文と位置づけられるだろう。

第7章は,ズバイル首長国という歴史的には脚光を浴びていないイラク南部にあった首長国に光を当てている。クウェート自体がアラビア半島中央部(ナジュド)からの移民が形成した首長国であり,それと同様にナジュドからの移民によって形成されたズバイル首長国との関係に焦点をおいたのはユニークな視点であり,歴史学的に高く評価できる。

Ⅳ 今後の課題

このように,本書は個々の論文で見た場合に優れた研究が多く含まれているが,「アラブ世界の湾岸化」という言葉で一般に想起される内容で全体が貫かれている訳ではない。しかし,仮にこの本の編者たちが意図していなかったとしても,「アラブ世界の湾岸化」という概念は現在の中東で起こっている現象を炙り出す可能性のある概念であり,今後この概念を用いてそうした現象を分析していく余地は大きくあるだろう。

冒頭でも触れたように,サウジアラビアを中心とした湾岸諸国は現在アラブ世界にさまざまな政治的・経済的な影響力を行使している。たとえば,かつてのアラブ世界の政治的な重心であったエジプトは,最近ではむしろ湾岸諸国が競って影響力を行使する場となっている。それは,2012年に成立したムスリム同胞団系のムルスィー政権をカタルが財政支援し,反対に2014年に成立したスィースィー政権をサウジアラビアとUAEが財政支援している様からも明らかである。

北アフリカにおいては,カタルがリビアのイスラーム主義勢力を支援しているのに対し,UAEやサウジアラビアは世俗的な軍人ハフタルを支援している。スーダンでは,サウジアラビアやUAEが同国に2019年4月に成立したブルハーン中将を議長にした暫定軍事評議会を強く支援したが,同中将は2015年のサウジアラビアなどによるイエメン介入時,それに協力するためにスーダンから派遣された陸上部隊の責任者であった。

また,ヨルダンと湾岸諸国の関係も古くて新しいテーマである。歴史的にヨルダンはサウジアラビアに対して優勢となる場面もあったが,最近では専ら湾岸諸国の影響を受ける側となっている。2017年にカタル危機が発生して以降も,同国ではサウジ陣営とカタル陣営の間で援助合戦が展開されている。同国は一時サウジ陣営に歩み寄ってカタルと距離をおいたが,現在ではカタルとの関係を元の水準に復活させている。

さらに,中東政治の伝統的な検討課題であるパレスチナ問題についても,湾岸諸国の役割が徐々に増している。古くは1982年にアラブ連盟の中東和平提案をサウジアラビアが主導したことにその起源が求められ,2003年のアラブ和平イニシアティブも同国が主導した。後者は今でもアラブ連盟の公式の中東和平政策となっている。最近では,米国のトランプ政権の中東和平政策におけるサウジアラビアの役割についても関心が集まっている。

経済面に目を向ければ,石油・天然ガスで潤う湾岸諸国はアラブ世界からの出稼ぎ労働者を多く受け入れてきた。本書の第4章でも触れられていたが,とくに経済発展で先行したクウェートはパレスチナ人やエジプト人などアラブ系の外国人労働者を多く受け入れ,そうした現象は他の湾岸諸国でもみられた。また,湾岸諸国の企業によるアラブ世界への投資も無視できない規模になっている。さらに,湾岸諸国と地理的に近接するヨルダン経済にとっては湾岸諸国との貿易も重要である。このように,外国人労働者,投資,貿易,そして上で述べた財政支援といった形で,湾岸諸国は他のアラブ諸国と経済的につながっている。しかし,湾岸諸国が他のアラブ諸国に影響力を行使する場合,これらの経済的な要素のうちどれが一番各国に対する「梃子」として有用かという議論はまだ手が付けられていない。

このように,最近の現象を対象にした政治・経済分野に限っても,「アラブ世界の湾岸化」という大枠のもとで議論できる研究課題は多く存在する。本書は分野を限定せずに広く論文を募った学会での報告をもとに成立したという事情から,その中身は必ずしも最近の湾岸諸国の政治・経済的な影響力の拡大に焦点を当てたものばかりではなかった。しかし,そうした事情があったとしても,評者は「アラブ世界の湾岸化」という広い視野を提示したことを本書の最大の学問的貢献として評価している。今後はこの概念を着想の出発点とした,最近の政治・経済的な現象を対象とした議論が増えていくことを期待したい。

 
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