Ajia Keizai
Online ISSN : 2434-0537
Print ISSN : 0002-2942
Book Reviews
Book Review: Kei Kajisa, Community, State, and Market in Economic Development: Changing Roles in Modernizing Asian Villages (in Japanese)
Keijiro Otsuka
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2020 Volume 61 Issue 2 Pages 59-61

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経済学者は,本を書かなくなったといわれて久しい。その理由は明らかである。最近の傾向として,いわゆる英文ジャーナルでの論文掲載が研究業績になるのに対して,著書は業績にほとんどカウントされないからである。たしかに,ジャーナル論文は「国際公共財」であり,研究者の使命は研究論文をジャーナルに掲載することである。英文ジャーナルに掲載された研究論文がなければ,研究者として何もしていないことに等しい。だから日本でも英文ジャーナルでの論文掲載が重視されるようになったことは,実に望ましいことである。しかしながら,とくに事例研究を主体とした実証研究の場合,個々の研究論文が互いに補完的なことが多い。そのため,ある特定の論文だけをとりあげて評価するのでは,その研究者の真の研究業績や実力を評価することにはならない。また実証研究では,研究成果が補完的になるように意識的に積み上げて,より普遍的な結論を引き出そうと,研究の初期の段階から目指すことが多い。それは,1+1を2以上にする作業であるといっていい。このように考えると,著書とジャーナル論文の価値を直接比較するのは難しいとしても,著書も慎重に審査のうえ,優れた研究であれば研究業績としてカウントすべきであると思う。

上述の議論は,著者の加治佐敬氏にとくによくあてはまる。加治佐氏は World Bank Economic Review,Economic Development and Cultural Change,Journal of Economic Behavior and Organization,Agricultural Economics などの国際的に評価の高い経済学の雑誌に論文を発表している。それらの論文は形を変えながら,本書の屋台骨を構成している。本書の随所で,さまざまな興味深い分析が展開されているのも,こうしたジャーナル論文の積み重ねがあってこそのことである。それに加えて,個々の研究の補完性を考慮して「総合化」(Synthesis)を図ったのが本書である。フィリピンの灌漑の事例研究があるかと思えば,それとインドや中国の比較がある。また灌漑の管理に加えて,フィリピンの労働市場における共同体の役割との比較がある。比較事例研究によって,個々の論文だけでは解読できない貴重な洞察が生まれている。本書が加治佐氏の研究業績に含まれないとしたら,それは大きな間違いである。

本書の構成は,第1章で概念の整理と課題の設定がなされ,第I部「共同体と市場」で日本,フィリピン,中国,インドの灌漑の管理についての比較事例研究が行われ,第Ⅱ部(共同体と市場)でフィリピンの労働市場の分析が展開されている。読者の楽しみを奪わないように,ここでは詳しいことは述べないが,第3章のフィリピンの灌漑に関する分析は,最近の経済学・計量経済学の分析手法を駆使すると,今までは計測できないと思われていた個々人の社会的選考が可視化できるようになることを示した点で圧巻であった。灌漑水の使用価格を少し上げると節水につながるが,価格を上げすぎるとかえって共同で使用する灌漑水の管理がずさんになるという第4章の中国に関する分析は,見事というほかはない。村人が共同で灌漑用の「ため池」を管理し,希少な水を分け合って使っていたところに,個人所有のポンプ井戸が普及するようになると,共同体からの離脱がおき,共同体が崩れてため池灌漑のシステムが崩壊し,他方,地下水の枯渇のために,ポンプ井戸の所有者も不利益を被ることを明らかにした第5章のインド(タミルナドゥ州)の事例研究も,実に興味深い重要な研究である。

第6章では,非農業との兼業や転職が盛んになりつつあるフィリピンの村で,血縁や地縁に基づく村落共同体が,労働市場における市場の失敗を補う役割を果たしていることが示されている。なお第6章の分析対象となったフィリピンの村は,229ページでも解説されているように,1966年の梅原弘光先生の調査を皮切りに,1970年代の速水佑次郎先生と菊池真夫先生の調査があり,その後,多くの日本人研究者が調査をしている著名な村である。あるとき,あまりほかの人の研究をほめることのない速水先生が,第6章のもとになった加治佐論文を読んで「あんなことがあったのか。あれはいい研究だ」と,うなったことがある。評者も同感である。この速水先生の言葉は,著者には伝わっていない可能性があるのであえてここでふれることにした。続く第7章では,フィリピンの中部ルソンでの田植え労働をとりあげ,長期の雇用労働者ほど共同体的意識が高く,生産効率が高いことが示されている。

総じていえば,実態を的確に把握し,それを数量化して事態を明快に分析する著者の能力と努力には敬服する。

最近の開発経済学では,RCT(無作為比較実験)が大流行である。しかしながら,現実をよく理解したうえでRCTがなされないと,重要な研究テーマを見逃して些細なテーマにフォーカスするのみならず,そもそも現実を誤解しているために意味のない結論が得られているケースが多々ある。これについて評者は,別の機会に議論した[大塚 2020]。著者の加治佐氏の魅力は,よく現場をみて,現場を知り尽くしていることである。また,理論と現実の対話を怠らないのも加治佐氏の研究の特徴である。したがって,何が重要で,何が重要でないかの識別がしっかりしており,その結果,議論に安定感があり,結論に説得力がある。多くの若手の研究者にとって,範となる研究書である。しかし,本人にとってここまで到達した道のりは決して平坦なものではなかったらしい。そのことを書いた本書のあとがきも示唆に富み,若い研究者には一読の価値があると思う。

通常の経済学では,市場または国家が資源配分を行うことが想定されている。しかし実際には,集落や村や町といった共同体が資源配分に大きな役割を果たしている。速水佑次郎先生,Douglass North,Elinor Ostromなど,多くの傑出した経済学者が共同体の役割を再評価する研究を残している。本書もこうした研究の流れを汲むものであるが,「近代化のダイナミズムの下で,3つの組織(共同体・国家・市場)の相互関係を十分に認識したうえで,役割分担の更新を続けていく努力と知恵が今後ますます重要になってくるであろう」(36ページ)と主張していることが,本書のユニークかつ重大な点である。つまりこれまでの共同体に関する議論がスタティックであったのに対して,本書は共同体の機能と限界が経済発展の過程でダイナミックに変化していくことに着目し,新境地を開拓しているのである。これは,大きな学術的貢献であると評価できる。また著者は,共同体と国家と市場の役割分担についての議論を突き詰めている。評者は,3つの組織の役割についてここまで深く分析を行っている研究を知らない。

ただし,ひとつ気がかりであったのは,住民の移住等によって村落共同体のメンバーが代わり,共同体のたがが緩んで,経済発展とともに共同体の役割が減少していくかのような印象を本書における議論が与えていることである。確かに灌漑の集団管理や労働市場での職の紹介や斡旋などは,時間とともにその重要性を減じていくであろう。しかし,そうではない例もある。たとえば,最近途上国で最近盛んになりつつある契約栽培をあげることができる[Otsuka et al. 2016]。食品の質や安全性の重要性が高まっているなか,いわゆる高付加価値農産物(果樹,野菜,花卉,酪農製品)の生産は契約栽培によって行われることが多い。典型的な契約栽培のもとでは,契約者(スーパーマーケットや食品加工企業)は肥料や農薬の費用を農民に前貸しし,農民は生産が終了するとあらかじめ決められた価格で決められた数量と質の生産物を契約者に納めることになっている。しかし,肥料や農薬を不正に転用する可能性があり,また市場価格が予定契約価格を上回ると,契約者以外への「抜け売り」が起こるリスクもある。つまり,契約栽培の取引費用は低くないのである。そこで契約者は面倒を少なくするために,多くの小農と契約を結ぶのではなく少数の大農との契約を好む。しかし,小農が共同体を結成し,共同体が小農を代表して契約を結ぶケースが生まれている。であるとすれば,ここでは村落共同体が果たすべき役割が大きくなっている。もうひとつの例は,産業集積における生産者組合である[Hashino and Otsuka 2016]。革新的知識は産業集積内では公共財的なので,技術革新が起これば模倣も起こる。模倣があるから,革新者が手にする利潤は社会的利益よりも少ない。したがって,各生産者が別々に技術革新に取り組んでも,社会的に過少な努力しか注がれないことになる。そこで,生産者組合が結成されて外部性を内部化することが試みられている。こうした組合の活動は,歴史的には日本でもヨーロッパでもみられ,また中国やパキスタンをはじめとする現在の途上国で幅広く行われている。その中には,農村に立地する産業集積も含まれる。また話はやや古いが,怠けている小作人を罰するには,その小作人を雇った地主が契約を更改しなくなるだけでなく,農村共同体にいる地主全員がその小作人を雇うことがなくなることが肝要である[Hayami and Otsuka 1993]。ここでも,村落共同体の役割は大きい。

上述の議論は,決して本書を批判することを意図したものではない。「共同体の役割」という問題には大きな広がりがあり,ある特定のケースではその重要性が減少していくかもしれないが,ほかのケースでは増加する傾向があることを指摘したかっただけである。著者も終章で指摘しているように,残された研究課題はきわめて多い。著者の今後の活躍を,ますます期待したい。

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© 2020 Institute of Developing Economies, Japan External Trade Organization
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