2021 Volume 62 Issue 2 Pages 103-106
この書評を依頼される前,本書の編集・執筆を中心的に担った研究者が集う「『韓・朝鮮半島と法』研究会」を傍聴する機会を得た。ZOOMでの研究会終了後のZOOM懇親会で,いつしか話題は本書執筆,編集そして刊行の「苦労話」となった。だれかが編者に,表紙の装丁・デザインについて質問した。
「南北の境界がはっきりしてませんよね?」
「そうなんです。グラデーションにしていますから」
「竹島はどこなんですか?」
「ちょうどタイトル文字に隠れているあたりですかね......」
とりとめのない,些細な内容の会話に思えるかもしれない。が,本書にかける編者の想いと意図が端的に伝わってきた。昨今の政治的・社会的状況のなか,編著者らのこれまでの研究が濃縮され,コンパクトにまとめられた本書の書評は,評者にとってはかなり「重い」。本書の扱うテーマを研究者として考えたことがあまりなかった評者が,この「重い」本書(内容は,著者らの知見をふまえた読みやすいものが多いが)を適切に紹介・検討できるかどうかは保証のかぎりではない。しかし,本書が専門書としてのみならず,一般書としても公刊されたことをふまえ,読後の率直な感想を記すことで,この任にあたりたい。
編者を代表して尹龍澤は「はしがき」のなかで,本書刊行の意義と編者の本書刊行の意図(目的)を「自由な研究にもとづいた『コリアの法と社会』の現状と背景,そして歴史」(iiページ)を,できるだけ正しく,そして法の専門家だけでなく,一般の人々にも知らせること,とする。それらが可能になったのは,過去の歴史と現実の政治のなかで翻弄されることなく「規範としての法を通じて政治や社会を研究する者としての矜持」(同)をもち続け,さまざまな立場の違いを超え,白熱した論議を続けてきた研究者グループが育っているからであろう。前述研究会メンバーを中心とする本書編著者は31名にものぼり,本書の豊富な内容を支えている。
また,本書は,単なる法制度の紹介にとどまらず,社会,経済とのかかわり,人々の経済活動から家族生活にかかわる法(規範)の特徴を紹介・検討することによって「コリアの法」の実相を浮かび上がらせ,「コリアの社会」の内実の多様性と豊かさを示すことを目指すものである。このことは,「日本の法と社会」を改めてみつめなおすうえで示唆に富むものとなろう。
本書は,大きな区分からいえば,Part,Chapter,Further Lesson,そして適宜挿入されたColumnから構成されている。英語表記には慣れていないので,この区分は「何?」と思わないでもないが,新鮮でしゃれた感じがするのも確かである。評者はその職責上,冒頭から読み通したが,「はしがき――本書の構成と使い方」(岡克彦,ivページ)にも記されているように,「本書の特徴からすれば,必ずしも目次の順序に従って読み進める必要」はない。いや,まず目次をみて,興味のある事項・テーマが論じられている項目を読んでみることをお薦めしたい。おそらく,その項目の著者の記述姿勢と内容に得心して,さらに別の項目は「どのように説明され,論じられているのだろうか」と次々に読み進めることになるのではなかろうか。重いテーマも多いがゆえに自由気ままに読めることの「かけがえのなさ」に後から気づかされるかもしれない。「コリアの政治や社会」に関しては,残念ながら事実と道理に基づかない書籍が何故か多いこの国にあって,本書が書店に並ぶことの意義は大きい。Part構成は,次のとおりである。
Part2《国のかたち》からみるコリア法
Part3《経済のしくみ》からみるコリア法
Part4《国際関係》からみるコリア法
Part5《分断体制》からみるコリア法
Part6《現代社会》からみるコリア法
それぞれのPartのなかに,3~8のChapterがある。ChapterとFurther Lessonとの関係は,たとえば,「Chapter23 南北離散家族と遺産争い」(中川敏宏)と「Further Lesson11 韓国で『脱北者』はどう扱われているのか」(木村貴),のように構成されている。
また,「憲法前史としての3.1運動」(鈴木敬夫),「接待文化と請託禁止法」(長谷川乃理),「南と北からみた板門店」(大内憲昭),「セウォル号特別法をめぐる争点」(高鉄雄)など,興味深いテーマがColumnとして適宜盛り込まれている。
本書の多岐にわたる豊富な内容を網羅的に紹介することは,評者の能力を超えている。以下の内容紹介は,評者の恣意的かつ独断的なものであって,個々の論考の学問的評価,研究内容の評価にかかわるものではないことをあらかじめお断りしておきたい。
Part1では,南北憲法の変遷(尹・大内),中国法の影響と朝鮮法の展開,植民地法制,独自の法発展を歪めた植民地統治などの内容をそれぞれの著者が論じている。植民地法の「依用」は,韓国では1950年代の半ばまで,朝鮮民主主義人民共和国(以下「朝鮮」)では1950年代の初めまで行われていたようである(吉川絢子)。また,日本人がみた「門中」を手がかりに植民地法制の展開を論じた論考(岡崎まゆみ),「過去事清算」とは何かを論じた論考(安部祥太),さらには刑罰法の制定と中国法の影響,独自性を分析した論考(田中俊光)などからは,新たな知見を多々得ることができた。
Part2では,南北それぞれの「国のかたち」(統治のしくみ),すなわち大統領制,地方自治,司法制度などが紹介,検討されている。韓国の裁判制度の特徴と課題を論じたChapter9(金祥洙),「悲劇的な末路をたどる大統領が多い国」の大統領制の特徴と問題点を示した論考(水島玲央),多くの「基本法」を制定し,新たな行政法分野の諸立法に積極的な韓国行政法の展開を示した論考(趙元済),違憲審査制度の日韓比較を試みた論考(牧野力也),「市民的正義」と「政治の司法化」現象を論じたChapter11(岡)など,単なる制度紹介にとどまらない,動態的な分析に接することができた。また,日韓の地方自治比較考察としての「済州と沖縄」という問題設定(尹)は,日本にとっての「沖縄」を厳しく問いかける。
「朝鮮の〈改革開放〉はあるのか?」(三村光弘)というチャレンジングなタイトルのChapterで始まるPart3は,南北の経済に関するそれぞれの法制度の違いを紹介し,その将来性を検討する。国際経済の影響を強く受ける韓国経済の理解を深めさせてくれる論考(中島朋義),法的責任のある役員に就任せずに財閥グループを統率する存在をいかに法的に統制するのかを論じた論考(長谷川),働き続ける高齢者の所得保障の問題をシンボリックに「孝から法へ」と表現した片桐由喜のChapetr14,韓国の移民・外国人労働者問題(吉川美華)など興味深く読むことができた。
「戦後最悪の日韓関係」を作り出した原因とされる「慰安婦問題」(木村)と「徴用工問題」(青木清)などを論じたChapterを含むのがPart4である。米朝関係(大内),自由貿易協定政策(小場瀬琢磨),国際人権法の実行,国際人権基準の実現をめざす判例動向(権南希),国民請願(安部)などの論考が内容の厚みを増している。青木の「1965年しかみない日本,『日帝』にこだわる韓国」という結びは印象的である。
在日コリアンのアイデンティティを不断に問い続けてきた問題でもある,南北分断と統一問題,具体的には国籍,離散家族の遺産争い,在日コリアンの相続問題,さらには脱北者の扱いなどを手がかりとして考察した論考がPart5にまとめられている。韓国では,第一共和国憲法(制憲憲法)からの一貫した南北統一の形での領土規定に加えて,現行憲法では,南北分断の現実を前提とした統一条項が設けられている(尹,20ページ)。この「分断と統一」について,韓国,朝鮮それぞれからみた論考が並べられている(國分典子・大内)。また,「国際」関係ではない両者の関係についての「南北韓特殊関係論」を中川が紹介・検討している(234ページ)。この「特殊関係論」を含め,知らないことが多かった。
Part6では,体制の異なった2つの社会の今が「家族法」の比較によって考察され(田中佑季・大内),さらには多分野にわたる法の展開を日本社会が抱える課題と比較しつつ読むことができる。儒教的伝統と親族法(吉川)・刑事法(安部),国民の司法参加(氏家仁),言論法制(韓永學),消費者法制(崔光日),不法行為法(高),農業・農業政策関連法(琴泰煥・高橋寿一),さらには協同組合法(多木誠一郎)などその内容は多岐にわたるが,いずれも比較の視点が貫かれている。たとえば,短い論考ではあるが,「日本の農業・農地政策との比較」(高橋)は,日韓比較にとどまらず,「この領域での法制度の国際比較も興味深い」(321ページ)と結んでいる。また,世界的な流れとは異なり,分野ごとの「分立協同組合法制」をとってきた日韓両国の今後のありかた(違い)を考える多木の論稿も,評者の考えたことのない領域からの問題提起であった。
本書は,単なる法・制度紹介のみならず歴史的・文化的な背景をも紹介・検討することによって,朝鮮と韓国の「法と社会」のありようを,浮き彫りにしようと試みたものである。その意味で,日本における,いわゆる「比較法研究」のこれからのあり方を具体的に示した意欲作と評価することもできよう。
たしかに,日本の「近代化」にとって不可欠の大きな影響を与えた欧米の「法と社会」の研究は重要である。しかし,それだけでは,G・スピヴァクの批判する「認可された無知」(西洋と非西洋とを,一方が理論を産出し,他方が題材・実例を提供するといった二項対立の構図でとらえようとする知的生産の構想)に安住することになろう。欧米諸国のみならず多くの非西洋諸国が,今日「日本にとっての過去であり,日本にとっての未来」を考える手がかりを示していることを忘れてはならない。外国の「法と社会」の日本への紹介,そして研究は,われわれ自身の「法と社会」のあり方を考えるうえで欠かせない。とりわけ,その共通性と相違点を考えるとき,最も近い国の研究は不可欠だろう。その研究が少なく,あるいは不自由であるとき,それは,その国の問題なのか,われわれ日本・日本人の問題なのかを改めて真摯に考えてみる必要があるのではなかろうか。本書は,明らかに韓国関係の論考が多い。しかし,このことは「あとがき」にも記されているように,編著者らの責に帰すべき問題ではない。編者らとしては,「...北朝鮮法の研究は,ごく少数の研究者で担われてきた。これからは後進の若い研究者のなかからこの国の法学研究を志す人が現れることを何よりも期待する」(327ページ)と記さざるを得ないのが現状であろう。
本書の論考には,そのテーマの性格上韓国あるいは朝鮮の法制度などの紹介にとどまるものも見受けられる。しかし,ほとんどの論考は,「二つの体制」を意識し,同時に日本という国家と国民を「問い直す」姿勢を(明記したものは多くはないが),有している。たとえば中川は,日本民法と韓国民法の歴史的繋がりから双方向の交流,さらには東アジア比較法というフィールドの創出および広がりを論じている(152ページ,161~162ページ)。
最後に評者が感じた「読みにくさ」について,あえて指摘しておきたい。とりわけ,中国・台湾や韓国・朝鮮のように,漢字表記が可能な東アジア法文化圏の国々に関する研究書・研究論文に多々みられるが,「中国ではこう表現しているから」などとして,説明(あるいは邦訳)を加えずにそのまま書かれていることがある。ヨーロッパ言語の場合,できるだけ分かりやすい日本語に翻訳し,それでも難しいときには,原語と併記されている。評者はこの問題を何度か指摘したことがあるが,漢字表記されてはいても,あくまでも「外国語」であるということが軽視(あるいは無視)されているのではないだろうか。
本書でも「控訴(韓国では,「抗訴」という)する」(91ページ)のように丁寧に書かれた箇所もある。しかし,たとえば朝鮮における「法令」という用語の意味については,関係箇所を何度か読み直したが,推測しかできなかった。本書には「下位規範(政令,決定,指示)の上位規範(憲法,法令など)に対する適合性の審査」(69ページ)と書かれている。政令が下位規範とされているし,「法令」とは別のものなので,政令とはおそらく,「法律」の意味だろうと推測した。ただ,「現行法(評者註:家族法)は2009年12月15日,最高人民会議常任委員会政令第520号で改正されている」(256ページ)など「政令」で法令を改正する旨の記述がいくつかあるので,下位規範である政令で上位規範である「法令」を改正できるのだろうか,と分からなくなった。本書を,本邦では類書のない貴重な書籍であると評価するがゆえに,編著者には,なお一層の「読みやすさ」を追求してほしい。
韓・朝鮮半島における「法のありよう」の解明を試みる本書は,編者によれば「東アジアに平和と友好の時代を築くための小さな一石」(ivページ)である。本書によって,韓・朝鮮半島の未来につながる確実な礎のひとつがおかれたに違いない。