Ajia Keizai
Online ISSN : 2434-0537
Print ISSN : 0002-2942
Articles
Minimum Wages and Agricultural Production in South Africa
Seiro Ito
Author information
JOURNAL FREE ACCESS FULL-TEXT HTML

2021 Volume 62 Issue 2 Pages 24-62

Details
《要 約》

本論文では先行研究を選択的にレビューし,南アフリカでの雇用環境を考察した後に,最低賃金への雇用者の対応について南アフリカのデータを用いて吟味した。本論文は最低賃金引き上げ幅が地域によって異なるという自然実験的側面に着目し,引き上げ前の2002年の農業生産データと引き上げ期の2007年の農業データを用いて,その効果を推計した。用いたのは一階差分推計という標準的な推計方法である。推計結果からは全般的に最低賃金引き上げが利潤を圧縮したことが示唆され,一部作物では低賃金雇用を減らしたほか,単位当たり価値を高めたことが示された。この結果は最低賃金近傍での雇用が多いと負の影響があるという先行研究,機械化が進んだという先行研究と整合的でもある。最低賃金規制は賃金率を増やしたものの,一部では低賃金雇用を減らし,熟練や機械を集約的に用いる技術の採用を促して,貧困解消目標に反する結果をもたらした可能性がある。今後の研究では最低賃金の効果を推計するには生産技術の多様性に配慮することが望まれる。政策対応としては,失われた未熟練雇用の転職先を見つけるためにも,最低賃金引き上げ前から職業訓練や他職業経験の機会を提供することで,需給双方にとって転職や採用の費用を引き下げる試みが望まれる。

Abstract

In this paper, we take the unification of agricultural minimum wages in 2003 as a natural experiment involving exogenous change in the minimum wage level and examine the Census of Commercial Agriculture to empirically investigate producer responses at the district-product group level. Results from a first-difference estimator suggest that an increase in the minimum wage reduced both profits and low-wage employment in some product groups, and these changes were masked at a more aggregate level. We also observed an increase in the unit output value in some product groups. These findings are consistent with the existing literature showing that negative employment impacts are observed when minimum-wage jobs are dominant and that increasing the minimum wage leads to mechanization of tasks and upgraded skill contents of labor. As a policy response, job training and internships prior to increasing the minimum wage should help reduce the costs of job search as well as those of hiring. Future agricultural minimum wage research should consider heterogenous production technologies and associated impacts.

 背景

Ⅰ 最低賃金規制――先行研究――

Ⅱ 南アフリカの雇用環境と農業

Ⅲ 推計

Ⅳ 推計結果

 おわりに

付論A 最低賃金に関する生産者理論

付論B 推計式の生産者理論的裏付け

付論C 付録図表

背景

経済的後背地で操業することの多い農業は,近隣にある豊富な未熟練労働を雇用することが多い。未熟練労働者とは低所得労働者とほぼ同義である。このため,農業雇用が貧困解消に与える影響は大きい。

利潤最大化を目指す雇用者は限界生産力と要素支払い(賃金)が等しい水準で生産要素(未熟練労働)を雇用する。通常の(=凸性の)生産技術では,賃金が低いほど雇用者はより多くの労働を雇用する。未熟練労働が豊富なほど労働供給圧力によって賃金は低いので,未熟練労働が豊富な経済的後背地であるほど雇用されて所得を得る人数は多い。

このような利潤最大化原則下の雇用が市場を通じた貧困解消手段といえるのであれば,規制による貧困解消手段ともいうべき方法も政策担当者に根強く支持されている。その古典的な例が最低賃金規制である。最低賃金規制は一定水準以下の賃金で労働を雇用することを禁じる規制である。規制に違反した場合,多くの国の法制では雇用者に罰則が科される。

最低賃金規制は貧困解消手段として推奨されているが,弊害も指摘されている。最低賃金規制は市場賃金以上の支払いを求めるので,雇用を減らすと予想されるからである。一般に,労働費用が増えると,雇用者は雇用量削減,利潤圧縮,生産物価格引き上げのいずれかもしくはその組み合わせで対応しなければならない[MaCurdy 2015]。社会において雇用への影響の関心が強いことから,多くの議論では雇用量削減に焦点が当てられている。しかし,どの方法が採られるかは状況に依存し,雇用者が雇用量だけを調整する必然性はない。よって,本論文では生産量への影響を推計し,最低賃金引き上げが利潤圧縮と雇用量削減に帰結したかを検討する。雇用者の対応を検討するため,本論文は全国的な代表性をもつ労働需要側の情報を用いる。

南アフリカ農業における最低賃金規制の影響を取り上げることには,南アフリカ特有の社会経済的意味もある。アパルトヘイト後の南アフリカ政府は,低賃金労働を多く雇用する農業部門に対し,政府に代わって社会福祉機能を提供することを課してきた。各種の現物支給,傷病治療費用,子女就学費用その他の非公式の支払に加え,農場に住む常被用者とその家族は退職後の住居を農場内に得る権利をもつ。もしも,最低賃金規制によって常被用者が減ると,それまで農業部門が負担してきた私的な社会福祉支出も減る。最低賃金規制が農業の機械化を促すとすれば,雇用だけでなく社会福祉機能も失われるために,貧困への影響は雇用喪失以上のものがある。

本論文は最低賃金引き上げの自然実験的側面に着目し,引き上げ前の1993年と2002年の農業生産データ,引き上げ期の2007年の農業データを用いて,その効果を推計する。用いるのは一階差分推計(first-difference estimator,もしくは,difference-in-differences estimator; DID)という標準的な推計方法である。2006年から2007年までに農村部の最低賃金引き上げ幅が大きかったため,農村部の賃金率は急速に高まった。この賃金上昇に注目し,最低賃金引き上げ幅の小さかった都市近郊部と比較することで,生産への影響を観察する。推計結果からは全般的に最低賃金引き上げが利潤を圧縮したことが示唆されたほか,一部作物では低賃金雇用を減らし,高付加価値化を促したことが示された。このため,最低賃金規制は賃金率を増やしたものの,一部では低賃金雇用を減らし,熟練労働や機械を集約的に用いる技術の採用を促して,貧困解消目標に反する結果をもたらした可能性がある。

本論文の貢献は3つある。第1に,各国および南アフリカに関する既存研究[南アフリカはBhorat et al. 2014; Garber et al. 2015]では雇用量への効果に注目が集まっていたのに対し,価格上乗せ,利潤圧縮への効果も考慮した点である。家計調査など労働供給側の情報を使った研究は全国的な代表性はあるが,労働時間や賃金の測定誤差が大きいだけでなく,雇用以外の調整をとらえられない。第2に,地域と作物ごとの多様性を考慮した点である。多様性を許容した結果,農業全体では隠れてしまう作物ごとの異質性を描写することができるようになった。これらは全国的な代表性のある労働需要側のデータを用いたことで可能になった。労働需要側の情報を使えば雇用量調整を正しく把握できるが,南アフリカを対象とした先行研究は,全国的な代表性が弱く,取り上げた作物も数種類でしかない[Conradie 2005; Murray and vanWalbeek 2007]。第3に,標準的な一階差分推計に生産者理論からの意味付けを与えたことである。これは労働や資本のデータがないときに,理論を用いて情報不足を補う手法として解釈できる。

本論文は,途上国農業における最低賃金規制が生産に与える効果を推計することを目的としている。以下では,先行研究を展望した後,生産者の反応を南アフリカのデータを用いて実証的に検討する。ただし,データの制約上,利潤を計算できないため,利潤の代理変数として生産量,作付面積,実質農業粗収益,単位当たり実質価値への影響を推計し,生産者理論の助けを借りて利潤への効果を判断する。次節では先進国が主体となっている最低賃金に関する実証研究を概観し,その理論的背景を考察する。第3節では,推計式を導出し,用いるデータを確認する。第4節では推計結果を解釈し,最終節では結果のまとめと今後の課題を示す。

Ⅰ 最低賃金規制――先行研究――

1. 実証

最低賃金の効果に関する研究は実証研究に牽引されてきた。1970~1981年に発表された論文を展望したBrown et al.[1982]が最低賃金率の雇用弾力性がティーンエージャーについて−.1から−.3と示したのを皮切りに,米国家計調査個票から負の弾力性を推計する研究が相次いだ[Neumark and Wascher 1992; 1994; Currie and Fallick 1996; Neumark 2001; Williams and Mills 2001; Neumark et al. 2004]。詳しくはNeumark and Wascher[2007]を参照のこと。

Brown et al.[1982]Brown[1999]Neumark and Wascher[2007]などは各時期を代表する包括的な展望論文であり,全体の傾向として負の弾力性を示している。しかし,展望論文は論文の取捨選択,読み取りにおいて恣意が混入することが否定できない。自然科学等で推奨されている方法に倣い,Doucouliagosand Stanley[2009]は公開された研究のすべてをもとにメタ分析し,負の弾力性に偏った出版バイアスがあること,真の弾力性はゼロに近いこと,などを主張している。ただし,出版バイアスを推計するためには仮定をおく必要があり,その仮定が満たされるかどうかは議論の余地がある[Neumark 2015(注1)

最低賃金の雇用弾力性は無視しうるか,場合によっては正であることを示した実証研究も発表されるようになった。端緒を開いたのが小売店データを用いたCard and Krueger[1994]である。先行研究[Card 1992a; 1992b; Katz and Krueger 1992]を拡充した小売店データで正の弾力性を計測し,負の効果を否定している。隣接する郡を比較した研究[Dube et al. 2010],地域を変えてデータを拡充した研究[Dube et al. 2007],地域間の多様性に配慮した研究[Allegretto et al. 2011]などでも,負の効果が否定された。

競争環境,失業率,調整期間など,雇用量変動に影響を与える要因も同時に検討する研究もある。生産物価格への上乗せを検討した研究では,生産物価格は上昇していることから,完全競争市場と整合的だと結論している[Aaronsonand French 2007; Aaronson et al. 2008]。米国データを使った研究が比較的短期間の効果を検定しているとして,putty-clay型の生産関数を導入して産業均衡を仮定し,期内とラグ付きの影響を区別したモデルを作った後,シミュレーションによって労働の賃金弾力性を検定した研究は,短期の弾力性は小さいものの,長期の弾力性は負値で大きいことを示している[Sorkin 2015]。公定価格が固定された英国の低賃金産業を対象にした研究では,雇用人数と雇用時間が減少することが示されている[Machin et al. 2003]。利潤に焦点を当てて英国企業会計データを用いた研究では利潤が減少し,雇用量調整は有意ではないものの,新規純参入が減ることが示されている[Draca et al. 2011]。一方,景気循環の影響を考慮した研究では,失業率の高い地域ほど雇用の賃金弾力性が(負で)大きく,最低賃金引き上げが雇用に負の影響を与えることを示している[Addison et al. 2013]。

途上国データによる研究も結果が分かれている。ブラジルの研究では雇用に与える影響は有意ではない[Neumark et al. 2006; Lemos 2009]が,南アフリカでは実質賃金が上昇し[Bhorat et al. 2013; 2014]負の雇用への影響が認められている[Conradie 2005; Murray and van Walbeek 2007; Bhorat et al. 2014; Garber et al. 2015]。ラテン・アメリカについては,最低賃金の影響は最低賃金近傍水準の賃金を得ている労働者に限定されるとして,雇用への影響は小さいと指摘されている[Kristensen and Cunningham 2006]。南アフリカ農業は価格を容易に上乗せすることができず低賃金労働をおもに雇用しているため,Machin et al.[2003]と同じ解釈が成り立つ可能性はある。

2. 理論

賃金上昇によって雇用が増える,影響を受けない,などの結果が果たして論理的に可能なのかを示すのが理論の役割である(詳しくは付論A参照)。経済学において最低賃金の効果を推計するには,利潤最大化,もしくは,費用最小化を想定して労働需要関数を導出し,最低賃金導入によって労働需要がどう変化するのか吟味する,という手続きを経る。

雇用への影響をおもに検討している最低賃金論争では,労働市場が完全競争的かが焦点になる。完全競争の下では,賃金を市場賃金以上に設定する最低賃金規制は利潤を低下させる。すでに雇用している労働への支払いが増え,資本に代替することで資本費用が増えるためである。不完全競争の下では,最低賃金が引き上げられると雇用が増えるという直感に反する結果もあり得ることが示されている。労働市場で買い手独占の場合には,労働の限界費用に規模の経済性があれば,雇用が増える。限界費用が下がる原因は,賃金を高めると,求職者が増える,質の高い求職者が増える,離職率を低める,などである。このように,労働費用関数の形状によって最低賃金が雇用に与える影響は異なる。一方で,利潤は競争の様相にかかわらず必ず低下する。

南アフリカ農業は直面する労働市場が競争的と断言できないが,恒常的に失業率が25パーセントを上回って求職者が多く離職者が限定的な経済である。最低賃金引き上げが影響を及ぼす未熟練労働に関わる生産過程では,賃金が上昇すると能力の高い求職者が増えたり,能力の高い離職者が減るなどは考えにくく,労働の限界費用に規模の経済性があるとは考えにくい。よって,最低賃金引き上げは雇用量を減らすことが期待される。その一方で,穀物など,作物によっては大規模化と機械化によって未熟練労働の集約度が低いために,最低賃金引き上げの影響は小さいことも予想できる(注2)。また,生産物市場は国際市場に連動しているため,生産物価格に容易に上乗せできず,費用増は利潤圧縮に帰結しやすいことも予想できる(注3)

最低賃金引き上げが農家粗収益に与える影響は,生産者理論においては利潤に与える影響と質的に同じと考えてよい。完全競争下で最低賃金が農業粗収入に与える影響を考慮するために,資本と労働を使うCES生産関数を想定する。

\[y=f(K, L)=\alpha[\beta_{L}L^{\rho}+\beta_{K}K^{\rho}]^{\frac{\phi}{\rho}}\]

ここで\(K\)は資本,\(L\)は労働,\(\beta_{K}\),\(\beta_{L}\in (0, 1)\)は生産要素重要度のパラメタ,\(\rho \in (0, 1)\)は限界生産力逓減に関するパラメタ,\(\phi \in (0, 1)\)は規模の経済性に関するパラメタである。ここでは\(\phi \geqslant \rho\)を仮定する。規模の経済逓減の仮定の下,雇用者が利潤最大化問題を解いて求める雇用と資本の量は,賃金\(w\)と資本レンタル料\(r\)の関数として表現される。それらを目的関数に代入すると生産物と生産要素の価格の関数である供給関数が得られ,完全競争市場を想定すると収入関数も生産物と生産要素の価格の関数として表した⑴を得る(注4)

\[py=(pa\phi^\phi)^{\frac{1}{1-\phi}}\left[\left(\dfrac{\beta_{L}}{w^{\rho}}\right)^\frac{1}{1-\rho}+\left(\dfrac{\beta_{K}}{r^\rho}\right)^\frac{1}{1-\rho}\right]^{\frac{1-\rho}{\rho}\frac{\phi}{1-\phi}}.\quad\quad\quad\quad(1)\]

ここからも明らかなように,農業粗収益に対して賃金は負の影響を与える。

  

\[\dfrac{\partial y}{\partial w}=\left(pa\phi^{\phi}\right)^{\frac{1}{1-\phi}}\frac{\phi}{1-\phi}\left\{\left(\dfrac{\beta_{L}}{w^{\rho}}\right)^{\frac{1}{1-\rho}}+\left(\dfrac{\beta_{K}}{r^{\rho}}\right)^{\frac{1}{1-\rho}}\right\}^{\frac{\phi-\rho}{\rho(1-\phi)}}\left(\dfrac{\beta_{L}}{w}\right)^{\frac{1}{1-\rho}}\lt 0,\]

  

\[\dfrac{\partial^{2} y}{\partial w\partial r}=\left(pa\phi^{\phi}\right)^{\frac{1}{1-\phi}}\dfrac{\phi(\phi-\rho)}{(1-\rho)(1-\phi)^{2}}\left\{\left(\dfrac{\beta_{L}}{w^{\rho}}\right)^{\frac{1}{1-\rho}}+\left(\dfrac{\beta_{K}}{r^{\rho}}\right)^{\frac{1}{1-\rho}}\right\}^{\frac{\phi(1+\rho)-2\rho}{\rho(1-\phi)}}\left(\dfrac{\beta_{K}\beta_{L}}{rw}\right)^{\frac{1}{1-\rho}}\gt 0,\]

  

\[\dfrac{\partial^{2} y}{\partial w^{2}}\gt 0.\]

完全競争下の最適な調整では,賃金上昇は雇用量だけでなく資本量も減らすため生産が減少する(注5)。完全競争に近い状態において,静学的に最適な対応から外れて生産要素を変えずに利潤圧縮だけで調整する場合には生産量は変わらない。価格上乗せによる調整をしない場合,生産者はこれら2つの調整を混合させて調整することが考えられるが,いずれも利潤が減少する。

不完全競争の場合,賃金を生産者が決めるため,政府から与えられた最低賃金がそれ以下だと利潤も雇用量も最低賃金の影響を受けない。もしも,最低賃金が生産者の決める以上の水準であれば利潤は低下する。不完全競争下で仮に賃金上昇が雇用量を増やす場合,雇用労働が増えるので生産量および農家粗収益は増える。よって,完全競争下とは逆の結果となる。一方,不完全競争でも,労働限界費用に規模の経済性がなければ,最低賃金引き上げは農家粗収益を減らす。

Ⅱ 南アフリカの雇用環境と農業

南アフリカの主要な経済問題は27.1パーセントにもなる高い失業率(2016年第四半期)である(注6)。高い失業率の背景には機能障害のある労働市場がある。機能障害の原因としては,求職者と雇用者のマッチング効率が低いことに加えて,解雇が難しいこと,最低賃金規制,手厚い社会福祉などがあるといわれる[Banerjee et al. 2008]。農業部門労働者について,図C1は最終学歴,図C2は職種,図C3は契約期間を示している。ここに見られるように,農業部門で雇用される労働者の学歴は歴史的に低い(図C1)。現在でも,農村で学校教育の質が低いことの影響を受け,農業部門被用者の職種は初歩的と分類されるものがもっとも多く(図C2),被用者の1/3近くが日雇いや季節雇いの労働者である(図C3)。農業の雇用吸収力は2014年で全就労者の4.6パーセントと高くないために,農村での失業率は高止まりしている。

南アフリカの農業部門は,黒人やカラードの非熟練労働賃金を抑える効果のあったアパルトヘイトからは,一定の恩恵を受けてきたといえる(注7)。アパルトヘイト後は,アフリカ民族会議政権は所得上昇を望む黒人支持者に配慮して,既述の雇用労働保護を導入したほか,農業では常雇用への住居提供を促し,解雇後も住居提供を義務化するなど,本来ならば政府が担うはずの社会福祉支出を農場所有者に負担させてきた。利潤や利他心などの動機から,農場所有者はこうした公的な要求だけでなく,子女の教育費用,通勤費用,食料の現物供与などの労働者からの私的要求にも応じてきた。しかし,2013年の大幅な最低賃金の引き上げ(2012年のR1503.90から2013年R2274.82,51.26パーセント),2018年5月に導入された全国統一最低賃金(nationalminimum wage)の下では,長期的な常雇用減少傾向に拍車がかかることが懸念される。生産物価格への転嫁が難しいながら他部門に比べて多くの社会福祉負担をしてきた農業部門にとって,最低賃金負担の引き上げは農村の社会福祉状況を低下させるきっかけになりかねない。最低賃金規制の効果の解釈には,このような社会経済背景をふまえることが求められる。

南アフリカで最低賃金は2003年3月初日に導入された(注8)。南アフリカでは与党アフリカ国民会議が伝統的に農村や貧しいタウンシップに票田をもっており,最低賃金制度改革はこうした支持者にアピールするために実施されたと考えられる。各産業で最低賃金は異なるが,2003年から2007年まで農業(注9)はA地区(Area A)とよばれる都市部周辺とB地区(Area B)とよばれる農村部で異なる値が指定されている。各自治体の地区区分を示した図1を一見してわかるように,数としてはB地区が多数で,大都市近郊自治体はA地区に分類されている。ただし,A地区は都市近郊を越えて農村部にも広がり,農業生産地としてB地区との違いが少ない場所も多い。2008年以降,地区別の最低賃金は解消され,農業の最低賃金は統一された。導入当初,A地区では時給4.10ランド,月給800ランド,B地区では時給3.33ランド,月給650ランドであった。最低賃金率は2~3年に一度改訂されるが,その間はインフレーションを考慮して一年ごとに増加するように設定されている。図2は最低賃金を2003年から2008年まで示している。名目では各地区ともに急速に増えている一方,実質ではB地区は増えているもののA地区では比較的安定している。とくに,地区別の最低賃金を統一することが決まった2006年以降はB地区の名目賃金の上昇率は高まり,実質賃金も高まって2007年にはA地区との差が縮小している。2008年に一気に格差をなくすと混乱が発生しかねないため,徐々に格差を縮めているためである。からはB地区,つまり,より辺境で貧しい地区のほうが最低賃金引き上げの影響が強いこと,最低賃金引き上げの大半が本稿で扱う2007年までに済んでいることがわかる。最低賃金引き上げに対応して,農業の平均賃金も上昇している。労働力調査を用いたGarber et al.[2015,Table A.1]の計算によると,2003年から2007年まで名目平均賃金率はA地区では24.55(実質で1.5)パーセント,B地区では42.32(同15.99)パーセント増加している。B地区の賃金上昇率が高いのは,最低賃金引き上げ幅がより大きかったことも原因となっていると考えるべきである。

図1 A地区とB地区(2002年)

(出所)GADM データ(version 3.6)より作成。

図2 最低賃金率(時給)

(出所)Government Gazzette 24114, 28518より作成。

注:値・線は最低賃金。実質化にはStatsSAの消費者物価指数(2000年=100)を用いた。

B地区で最低賃金引き上げ幅が大きかったのは,各地区の生産や作物の動向とは関係なく,外生的に決められたと考えてよい。労働省の審議会である雇用状況委員会資料に拠れば,B地区の農家らはA地区の最低賃金を廃止してB地区の最低賃金に統一するよう公聴会で主張している。A地区の農家らはB地区の最低賃金を廃止してA地区の最低賃金に統一する代わりに,雇用を守るためにB地区農家に対し引き上げ分を補助金支給するよう主張している。農業労働者の一部は雇用が失われてまで最低賃金引き上げは望まないとの発言をしているが,その他の農業労働者は引き上げ,労働省や雇用状況委員会は統一が必要だと主張している[Employment Conditions Commission 2006, 15; 38-39; 43]。最終的には,各地区の農家の主張は取り入れられずに,最低賃金は補助金なしでA地区の最低賃金水準に統一された。本論文では2007年に実施された商業農業調査(2006年3月~2007年2月までの生産分)を使ってその効果を捕捉する。

最低賃金規制が影響をもつためには,規制に効力がなければならない。Ashenfelter and Smith[1979]が指摘したように,規制に違反することの費用が低ければ,規制を守る誘因は減る。しかし,効力があったかどうかは先見的に決めつけるのではなく実証的に検証すべきであろう。以下で示すように,先行研究では最低賃金規制は一定の効果があったと実証的に示されている。このため,本稿もそれら成果に倣い,規制の効力が不完全ながらもあったときにどのような影響を与えたかを検証する,という考え方で検討を進める。

南アフリカでは,1997年制定の労働基本条件法(表1,Basic Conditions for Employment Act, Table2)によると,違反常習者(過去3年に4件以上)は最終的に3倍もの支払い義務が発生するが,違反を指摘されてから訴追されるまで合計3回の書状警告と合計63日間の猶予があることに加え,初回違反者は賃金の25パーセントの罰金であり,かつ,摘発確率が低いために規制の効力は低いといわれる[Bhorat et al. 2017]。規制の効力を決めるのが摘発確率と懲罰だとすれば,人々が粗放に居住し,違反を訴えることのできない不法移民就労者が多い地区では,規制を遵守している雇用者数が減ると考えられる。その一方で,国内に留まる南アフリカ国籍の労働者を雇っている限り,最低賃金規制の効力は低くないと考えられる。本論文は,現行違反摘発体制下での最低賃金規制が生産者にどのような影響を与えるか,という「治療意図に基づく効果」(intention-to-treat effects)を推計していると解釈する。

表1 労働条件基本法による最大の課徴金

(出所)Basic Conditions for Employment Act, 1997, Table2.

違反行為の罰則には罰金以外にも社会的圧力がある。違法行為をすると,農村社会では多くの住人がその事実を知ることになる。農場経営者が最低賃金を遵守しないと,短期的には利益を得ることができるかもしれない。しかし,時間が経つにつれて雇用された労働者が法的に保証された支払いを求めるようになるだけでなく,欺かれていたと感じる労働者の労働意欲は低下する可能性が労働経済学の贈り物交換(gift exchange)[Akerlof 1982]や行動経済学の最後通牒ゲーム(ultimatum game)で指摘されている[Güth et al. 1982; Camerer and Thaler 1995; Fehr and Gächter 2000]。

さらに,同業者からは競争ルールの違反者として情報共有や便宜斡旋などのネットワークから排除されかねず,長期的な利益を失う可能性がある。よって,最低賃金規制の効力が弱くなる条件は,雇用者の入退出(ターンオーバー)が激しかったり,同業者ネットワークが未発達であったり,被用者が不法移民などが考えられる。南アフリカ農業部門は家族経営が多く,家族の資産を守る意識が強いことから入退出は緩慢である。さらに,過疎地にあっても農場経営者同士は密接なネットワークを形成していることが多く,違法行為が探知されることの費用は高い(注10)

実証研究では規制に一定の効力があったと指摘されている。家事手伝いは書類などの証拠も残らない相対取引であることから最低賃金規制違反の費用が低い業種であるが,労働力調査で観察される支払賃金からは,歴史的に低い賃金を支払っていて最低賃金規制が強い影響をもたらした地区でも,規制が遵守されていることが確認されている[Dinkelman and Ranchhod 2012]。同じく労働力調査を用い,農業部門就労者と非農業部門就労者を比較した研究では,最低賃金規制導入後は農業部門就労確率が低下すること,正規契約が増えること,就労し続ける労働者の労働時間は増えること,いずれも最低賃金以下で就労している人数が多い地区ほどその効果が大きいことなどが示されている[Bhorat et al. 2014(注11)。独自のサンプル調査を用いてブドウやサトウキビに対象農家を絞った研究でも,雇用に負の影響を見出している[Conradie 2005; Murray and van Walbeek 2007]。このように,南アフリカでは,違反摘発の効力に疑問は残るが,規制が遵守されている部門もあるため,社会的圧力,雇用者の遵法意識や利他心などが効力をもっている可能性がある。

なお,本論文では最低賃金規制の完全な遵守を仮定していないことを強調しておきたい。本論文の推計が利用するのは,遵守が不完全ながらも敷かれた最低賃金規制によって,B地区での最低賃金引き上げ幅がA地区よりも高くなり,実際に支払われた平均賃金率もB地区のほうが上昇率が高かったという事実である。本論文の関心は,最低賃金引き上げ幅がより高かったB地区において,生産がA地区に比して負の影響をより強く受けたかにある。よって,遵守率がゼロでない限り,その高低は推計方法と無関係である。遵守率が影響するのはなんの効果を計測したかという推計値の解釈である。ここでは不完全な遵守の下でも観察された効果をとらえていると付記しておきたい。治療意図に基づく効果とは,遵守率が不完全ながらも政策が与えた効果をとらえる概念であり,本論文もこの効果を推計していると解釈している。

Ⅲ 推計

1. 推計式の導出

後述するように,本論文で利用可能なデータは利潤ではなく農業粗収益である。よって,本論文では以下の⑵式を推計式の出発点に設定し,それを変形して得られる⑶式を使って最低賃金の影響を検討する。本節では⑶式を使った最低賃金引き上げの効果推計値は一致性をもつことを示し,付論BではHamermesh[1986]Oreopoulos[2004]に依拠してどのような仮定の下で⑶式が生産者理論で求めた⑴式と整合的か検討し,生産者理論に基づいて推計値を解釈できることを示す。

⑵式は最低賃金の影響に関する実証研究でよく用いられる特定化である。

  

\[\ln y_{ilt}=d_{1}D_{93}+d_{2}D_{02}+d_{3}D_{07}+d_{1B}D_{Bi}D_{93}+d_{2B}D_{Bi}D_{02}+d_{3B}D_{Bi}D_{07}+ \mathbf{\gamma}'\mathbf{x}_{it}+ c_{i} + c_{l} + u_{ilt}.\quad\quad\quad\quad(2)\]

\(y_{ilt}\)は地域\(i\)の\(t\)期の農作物\(l\)からの農業粗収益の実質値(1993年価格),\(D_{Bi}\)は地域\(i\)がB地区に含まれると1,そうではない場合は0の値をとる二項変数,\(D_{93}, D_{02}, D_{07}\)はそれぞれ1993年,2002年,2007年に1の値をとり,それ以外の年は0の値をとる2項変数,\(\mathbf{x}_{it}\)は天候やマクロ経済変数など,農業粗収入に影響するその他変数のベクター,\(c_{i}\)は地域\(i\)の固定効果,\(c_{l}\)は農作物\(l\)の固定効果,\(u_{ilt}\)は平均ゼロのiid攪乱項である。この定式化では,各年に全体とB地区で生産がどのように変化したかを平均的にとらえることができる。最低賃金引き上げ幅が大きかったのは2002~2007年のB地区なので,\(D_{Bi}D_{07}\)が1となって\(d_{3B}\)がその効果を示すことになる。もしも負の影響があれば\(d_{3B}\lt0\)である。

⑵式では\(\varepsilon[D_{Bi}c_{i}]\neq 0, \varepsilon[D_{Bi}c_{l}]\neq 0\)となってOLSが一致推計量とならない可能性があるため,時間に関する一階差分\(\Delta x_{t}=x_{t}-x_{t-1}\)をとって\(c_{i}, c_{l}\)を除去する(注12)。議論に支障がないことから,以下では添え字\(l\)を省略する。

  

\[\Delta\ln y_{it}=b_{1}D_{9302}+b_{1B}D_{Bi}D_{9302}+b_{2}D_{0207}+b_{2B}D_{Bi}D_{0207}+\mathbf{\gamma}'\Delta\mathbf{x}_{it}+\Delta u_{it}.\quad\quad\quad\quad(3)\]

\(D_{9302}\)は1993年~2002年の期間に1,それ以外の時期は0の値をとる二項変数,\(D_{0207}\)は2002年~2007年の期間に1,それ以外の時期は0の値をとる二項変数である。⑵式の\(b_{2}D_{0207}, b_{3}D_{9302}\)はそれぞれ,\(d_{2}D_{03}-d_{1}D_{93}, d_{3}D_{07}-d_{2}D_{03}\)に対応する項であり,B地区ダミーとの交差項\(b_{1B}D_{Bi}D_{9302}, b_{2B}D_{Bi}D_{0207}\)も同様に\(d_{2B}D_{Bi}D_{02}-d_{1B}D_{Bi}D_{93}, d_{3B}D_{Bi}D_{07}-d_{2B}D_{Bi}D_{02}\)に対応している。\(b_{1}, b_{1B}\)は1993年~2002年期間の平均的変化とB地区の平均的変化からの乖離,\(b_{2}, b_{2B}\)は2002年~2007年期間の平均的変化とB地区の平均的変化からの乖離,と農業粗収益との結びつきを示している。つまり,⑶式では農業粗収益の実質値変化をA地区とB地区の期間ごとのトレンドに分解している。

第Ⅱ節で示したように,本論文の取り上げる最低賃金統一にともなうB地区での最低賃金引き上げは農業生産に関わりなく実施されたため,自然実験としての性質が強く,⑶式のような一階差分推計量は一致推計量となることが期待できる。最低賃金引き上げの効果を識別するために課す仮定は,現実に反して最低賃金が引き上げられなかった場合,2002~2007年期の実質生産量変化が両地区で共通のトレンドに従う,ということである(注13)。つまり,B地区がA地区と異なる生産動向を示すのは,すべて最低賃金引き上げが原因と仮定する。強い仮定であるが,この仮定を採用するのは2つ理由がある。1つ目は,実験的な政策実施が不可能な場合でも政策効果を知る必要がある場合に,しばしば採用される次善の実証方法であることである。つまり,所与のデータにおいては最善の実証方法である。2つ目は,この仮定には一定の現実妥当性があることである。最低賃金は2005年下半期までは両地区でほぼ平行に推移しており(図2),2006年に最低賃金が引き上げられなければ,生産が最低賃金に影響されるという帰無仮説の下では,生産もそのまま共通トレンドに従うことが期待できる。資本レンタル率は両地区で共通であり,生産物も統合された市場で同じ価格に面するため,気候条件と各農作物の特性を所与とすれば,資本と労働の投入が両地区で異なる理由はなく,生産も両地区で共通のトレンドに従うはずである。よって,気候条件と農作物ごとの多様性を制御できれば,一階差分推計量の識別仮定が満たされると期待できる。本論文では共変数として気象変数を加え,農作物グループごとの効果の多様性を考慮して農作物グループごとの効果も推計する。

A地区とB地区の生産が共通のトレンドを有しているという識別仮定の下では\(d_{1B}, d_{2B}\)はそれぞれ0である。1993~2002年期間で考えると⑶式では\(b_{1B}=0\)と同じである(注14)。最低賃金引き上げによってB地区のトレンドがA地区のトレンドと乖離したか検定するとき,帰無仮説は最低賃金引き上げは雇用への効果なし,つまり,\(d_{3B}=0\),なので,⑶式では\(b_{2B}=0\)の検定である。付論Bに見るように,理論値では\(d_{3B}\lt 0\),つまり,\(b_{2B}\lt 0\)となるので,雇用への影響がある場合には負の値にならないかを帰無仮説として検定するのが自然である。このように,本論文がもっとも注目するのは\(b_{2B}\)が負値にならないかである。

以上に加え,最低賃金の影響を推計するとき,以下の推計上の課題も見出すことができる。

同時性:最低賃金は経済の可処分所得や雇用量などに対応して決められる。その過程で資本費用\(r\)にも影響される。よって,最低賃金は資本費用を通じて景気循環と相関をもつ可能性がある。この場合,景気変動による労働需要変化と最低賃金の効果を分離できない。本論文ではGDP成長率を加えることで,景気循環の影響を分離することを試みる。

測定誤差:最低賃金規制は完全に遵守されていない可能性がある。よって,先に議論したように,推計量は治療意図に基づく推計量と解釈すべきである。

欠落変数:⑴式の\(a\)には人的資本が含まれるのが普通なため,雇用量は人的資本によって影響を受ける。このため,職種ごとに労働を算出するか,人的資本を加えることが望ましい。本論文は二重差分(DID)推計によって,各地域の固定的な特性と全国共通のトレンドを制御する。よって,各地域の人的資本量が同じトレンドで変化するという仮定の下,欠落変数の影響を制御したと解釈する。

効果多様性:最低賃金規制は最低賃金近傍水準の賃金を得ている労働者に影響をもっとも与えやすい。よって,賃金水準ごとの影響を見ることが望ましい。低賃金産業の代表としてケアホーム労働への最低賃金規制の効果を検討した研究によれば,最低賃金規制が遵守された結果,雇用量が減少したことが示されている[Machin et al. 2003]。本論文では作物や地域ごとの労働が異質である可能性に配慮するためにも,地域および作物ごとの多様性を許容して推計する。

ここまでは⑶式の計量経済学的な根拠を議論してきたが,生産者の最適化行動からも意味付けることができる。生産者の利潤最大化をもたらす供給関数では,資本のレンタル料変化が均一で,賃金変化は地区ごとに均一であると仮定すると,2002~2007年期間のB地区の係数\(b_{2B}\)は負値となる。生産者理論に依拠すれば賃金上昇が供給量を減らすという直感に沿う結果が得られ,推計式⑶は理論と整合的な特定化であることを確認できる。推計式の生産者理論的な裏付けについては付論Bを参照のこと。

2. データ

本論文で用いるデータは南アフリカ統計局の商業農業調査(Census of Commercial Agriculture, 1993, 2002, 2007年版)で,2002年版以前は最低賃金導入前,2007年版は最低賃金統合時の引き上げの大半が終了した2007年3月直前の2007年2月までの情報が収録されている。よって,2007年版とそれ以前の生産動向を比較すれば,最低賃金引き上げの影響を観察できる。観察単位は地方自治体(Local Municipality)であり,その中心地(Main Place)が地名として報告されている。すべての年で報告されている経済変数は農業粗収益(grossagricultural income),生産量,耕作面積である。費用は最初の2年のみ報告されている。同じ作物でも価格は異なるために価格情報は報告されていないが,農業粗収益と生産量から単位当たり価値(=農業粗収益/生産量)を計算できるので,価格や付加価値の代替指標として用いる。本データには農業粗収益30万ランド未満の零細農家は調査対象に含まれていないが,零細農家の多くは自家労働のみで生産しているため,最低賃金規制の影響を直接受けない。よって,データは最低賃金規制の直接的影響下にあるほぼすべての農家・農場を母集団にしていると考えてよい。地方自治体で生産される作物は多岐にわたるが,作物ごとのデータには欠損もあるため,商業農業調査の中区分である農産物グループの区分で合計した値を用いる。各年ごとに農産物グループに含まれる作物は異なるが,各地域で共通して変化しているために,同一比率で変化すると仮定すれば一階差分推計で集計範囲の変化を制御可能である。商業農業調査データは紙媒体をスキャンして電子化し,誤読み取りをPerlを用いて統一的に訂正した。

農業データの他に,気象条件を制御するために各地の気象変数,景気変動を制御するためにマクロ経済変数を用いる。気象データは米国商務省海洋大気局(NOAA)から南アフリカの気象台情報(計297箇所)をダウンロードした。気象データは日ごとの計測値であるが,欠損値も含むことからできる限りのデータを用いるために年ごとの統計値として計算し直した。分析に用いるのはもっとも長く観察できる気温変数で,その統計値は年間平均と年間標準偏差である。農業データの地名すべてをhttps://www.latlong.net/で検索してGIS座標を得て,各地域についてもっとも近い気象台の情報と接合した。同じ地名が複数ある場合には地図で確認してGIS座標を特定した。マクロ経済変数としてはIMFのInternational Financial Statisticsから,GDP成長率を用いた。

上記の特徴のデータを考慮すると,本論文は先行研究に比して以下の特色が期待できる。第1に,類似した生産技術をもつ生産物グループごとの比較が可能なため,効果の多様性を許容できる。第2に,生産者情報を使うために,最低賃金引き上げの生産への影響を検討することができる。南アフリカの既存研究では労働力調査など供給側の情報を用いていた。既述のとおり,雇用量調整は調整方法のひとつでしかなく,最低賃金引き上げの影響を取り逃している可能性がある。さらに,家計による賃金所得申告には誤差が大きいという短所もある。既存研究にも生産者情報を用いた研究もあるが,標本サイズが小さく,かつ,特定地域の特定作物のみを対象としていた。商業農業調査は生産者情報を提供して利潤圧縮や価格上乗せなどの調整を検討できるほか,全国規模での代表性がある。第3に,国際市場動向に影響されやすい生産物は価格への上乗せ(pass through)が困難なので,利潤圧縮や雇用量減少による調整が起きやすい。これは支払いが制度的に固定された社会福祉サービス部門を扱った研究と同じである[Machin et al. 2003]。よって,利潤や生産量への効果がより強く出ることが期待でき,所与の標本の大きさにおいて効果(が本当にある場合は)検出できる可能性,つまり,検定力が高まる。

推計の前に⑶式の結果変数である作付面積と農業粗収益を概観する。図3では,作付面積(ha)の変化を散布図で示している。上の図が1993~2002年,下の図が2002~2007年,左の列がA地区,右の列がB地区である。点は各地域の作物グループを示す。2007年の値は2006年3月~2007年2月の生産分であり,最低賃金統一に向けてB地区の最低賃金引き上げが加速していた時期の影響を示している。ノンパラメトリック回帰線が示すように,多くの点が45度線上に近く,2002~2007年のB地区はその他の図に比べて似た分布をしている。このことから,最低賃金引き上げによって作付面積は大きな影響を受けなかったことが分かる。図4は農業粗収益(単位:1000ランド)を同様に散布図として描いたものである。ここでもB地区の2002~2007年の農業粗収益がA地区よりも顕著に変化したことは見て取れない。これらからは,生産者に対する最低賃金引き上げの効果は僅少であったことが予期される。ただし,作物グループごとに変化は異なることが見て取れるため,効果の多様性を確認するためには描図だけでなく推計する必要がある。

図3 作付面積の変化,A地区vs.B地区

(出所)商業農業調査1993,2002,2007版。

注:列は(A地区,B地区)×(1993-2002年比較,2002-2007年比較)という組み合わせを列方向に地区,行方向に期間を分けて散布図を描いた。各図中の実線はノンパラメトリック回帰線(loess, span=0.75),グレー部分は95%信頼区間。直線は45度線。

図4 実質農業粗収益の変化,A地区vs.B地区

(出所)商業農業調査1993,2002,2007版。

注:列は(A地区,B地区)×(1993-2002年比較,2002-2007年比較)という組み合わせを列方向に地区,行方向に期間を分けて散布図を描いた。各図中の実線はノンパラメトリック回帰線(loess, span=0.75),グレー部分は95%信頼区間。直線は45度線。実質化には消費者物価指数を用いた。

表2は推計に用いるデータの記述統計である。商業農業調査に含まれる自治体数は398,うちB地区が338である。欠損値によってパネルを構成する自治体数は137,うちB地区が112に減るが,作物グループが複数あるために最終的な標本サイズは538,1993~2002年分が62,2002~2007年分が476,うち,後者のなかのB地区の標本が393(82.56パーセント)である(注15)。1993~2002年,2002~2007年は1993~2002年,2002~2007年の期間ダミー,B地区は統合前の最低賃金が相対的に低い農村地域のダミー変数,B地区*2007はB地区ダミーと2002~2007年期間ダミーの交差項である。粗収入単位は100万ランド,耕作面積単位は1000km2,生産量単位は1000トン,単位あたり価値(1000ランド/トン)はキロあたり粗収入額,GDP成長率はパーセント単位で,実質収入(100万ランド,1993年価格)と単位あたり価値(1000ランド/トン,1993年価格)は消費者物価指数により実質化した。

表2 記述統計

(出所)商業農業調査1993,2002,2007版より作成。

注1:1993~2002年,2002~2007年は1993~2002年,2002~2007年の期間ダミー,地区Bは統一前の最低賃金が相対的に低い農村地域。137の自治体のうち112(81.75%,うち2002~2007年期が20.54%)が地区Bに属する。B地区*2007はB地区ダミーと2002~2007年期間ダミーの交差項。耕作面積は平方km単位,生産量は1000トン単位,収入は農業粗収益(100万ランド単位),実質収入は農家実質粗収入(100万ランド単位,1993年価格),単位あたり価値は収入/生産量(1000ランド/トン単位)はパネル最終年度を除いた値。GDP成長率は%単位。実質収入と実質単位あたり価値は消費者物価指数により実質化。気温変化平均は年平均気温変分の平均値(華氏),気温変化標準偏差は年平均気温変分の標準偏差(華氏)で,各地域にもっとも近い気象台の数値。

注2:標本単位は地方自治体もしくはその中心地。

Ⅳ 推計結果

表3は農業粗収益に与える作物と地区の固定効果推計値の結果である。すべての特定化で実質農業粗収益を被説明変数として用いている。⑴は一階差分推計で最小限必要な変数のみを用いた特定化である。2002~2007年が\(b_{2}\)に当たるが,同期間の負の収入変化を示している。B地区×2002~2007年が\(b_{2B}\)であるが,点推計値は負だが\(p\)値(推計値がゼロである確率)が67パーセントと高い。\(b_{1B}\)は正の点推計値だが\(p\)値は20パーセントなので第1期は両地区のトレンドが同じであり,一階差分推計量の識別仮定を支持する傍証となっている。⑵は気温の平均値と標準偏差を加えて推計しているが,\(b_{2B}\)は負で\(p\)値は大きい。⑶は⑴に作物多様性を許容するために作物ごとの効果を推計している。B地区においては,2002~2007年期に飼料作物(\(p\)値=10%)と豆類(\(p\)値=6%)が負の変化を示している。つまり,これらの作物については,B地区で最低賃金が引き上げられてA地区よりも実質農業粗収益が減少している。その他の作物は最低賃金引き上げの効果は認められない。⑷は⑶に気候変数を加えた特定化であるが,気候変数は\(p\)値がいずれも大きく統計学的にゼロと区別できない。⑶から⑷まで,\(p\)値は小さくないながらも飼料作物と豆類への負の効果は変わらない。⑸は⑷に作物グループと気候変数の交差項を加えているが,推計値はほぼ⑷と同じである。⑹1999~2002年に関わる変数の代わりにGDP成長率を含めた推計であるが,GDP成長率に関する推計値の精度は低く,\(b_{2B}\)の推計値も統計学的にはゼロと区別できない。作物ごとに異なる効果を許要すると,一部作物で最低賃金引き上げの負の影響が観察されるが,その他の作物では影響が見られない。

表3 農業粗収益の変化,A地区vs.B地区,一階差分推計値

(出所)商業農業調査1993,2002,2007版より推計。

注1:被説明変数は地域の作物グループ農業粗収益実質値。Area Bは最低賃金が相対的に低く,2007年での引き上げ幅が大きかった地域。112の自治体(全自治体の81.75%)がArea Bに属する。農業粗収益単位は100万ランドで自然対数に変換した。実質化には消費者物価指数を用いた。作物グループの内訳と標本サイズは以下のとおり。作物グループ・ダミー変数でのデフォルト・グループは冬期穀物(winter cereals, 84),夏季穀物(summer cereals, 100),その他の作物グループは野菜(vegetables, 86, 2002-2007のみ),ナッツ,茶(nuts, tea, 3),多年生(perennials, 21),柑橘類(citrus, 48),落葉性(deciduous, 54),飼料(fodder crops, 46, 2002-200のみ),豆類(legumes,18, 2002-2007のみ),油種(oil seeds, 58, 2002-2007のみ),亜熱帯(subtropical, 20)。気温変化平均値と気温変化標準偏差は各地区の中央地点(centroid)にもっとも近い気象台で日ごとに記録された気温の年間平均と年間標準偏差。夏季穀物はトウモロコシやソルガムなど,冬季穀物は小麦や大麦など。

注2:標本単位は地方自治体Local Municipalityもしくは中心地Main Place。

注3:一階差分推計量first-difference estimatorに地方自治体レヴェルでクラスターした頑健標準誤差を用いた。括弧内は\(p\)値の100分位表示。

注4:*,**,***は\(p\)値が10%,5%,1%未満であることを示す。

最低賃金規制負担がより大きかったB地区では,一部作物を除いて,その影響は点推計値が負ながら\(p\)値が大きい。つまり,2002~2007年期のB地区の農業粗収益トレンドはA地区に比して落ち込んでいるとはいえない。一方で,表4に示したように,飼料作物,豆類,野菜類など一部作物を除き,B地区での生産水準がトレンドに比して落ち込んでいない。ここからは最低賃金引き上げが不完全競争を通じて生産量を変える経路は働かなかったと考えることができる。

表4 生産量変化,A地区vs.B地区,一階差分推計値

(出所)商業農業調査1993,2002,2007版より推計。

注1:被説明変数は地域の作物グループ生産量の対数。その他は表3注1と同じ。

注2:標本単位は地方自治体Local Municipalityもしくは中心地Main Place。

注3:一階差分推計量first-difference estimatorに地方自治体レヴェルでクラスターした頑健標準誤差を用いた。括弧内は\(p\)値の100分位表示。

注4:*,**,***は\(p\)値が10%,5%,1%未満であることを示す。

生産が落ち込んでいない作物は3つのタイプが考えられる。1つ目は,機械化が進んで未熟練労働をわずかにしか雇用していない作物である。これは穀物に多く,商業農業では機械と少人数の熟練労働で大規模に耕作している。この場合は利潤は影響を受けないと考えられる。2つ目は,未熟練労働を機械で代替することが容易な作物である。賃金上昇がきっかけとなって資本代替が進むと,生産者理論では生産量も減ることが示されているが,統計的に検出できるほど生産量を減らさなかったことも考えられる。この場合も利潤は大きく減らなかった可能性がある。3つ目は,未熟練労働を容易に解雇できず,利潤圧縮によって生産水準を維持した作物である。多年生作物,果樹(ブドウなどの落葉果樹類,柑橘類,亜熱帯果樹類,ナッツ類,茶類)など,特定の作業工程で未熟練労働を必須とする作物がこれにあたる。最低賃金引き上げの価格への上乗せがないと,雇用維持(利潤圧縮)という無調整や資本代替(雇用量減少)による調整はいずれも利潤を減少させる。そこで単位当たり価値への影響を推計したのが表5である。推計式の特定化は表3と同様である。ここでは最低賃金引き上げ後に,飼料作物,野菜,油種作物,柑橘類を除いてB地区では単位当たり価値に変化はない。このため,柑橘類を除くと,多年生作物や果樹では価格上乗せによる調整は認められず,平均的には利潤圧縮や資本代替(雇用量減少)による調整が行われたと考えられる。

表5 単位あたり価値変化,A地区vs.B地区,一階差分推計値

(出所)商業農業調査1993,2002,2007版より推計。

注1:被説明変数は地域の作物グループの単位あたり実質価値(実質農業粗収益/生産量)。その他は表3注1と同じ。

注2:標本単位は地方自治体Local Municipalityもしくは中心地Main Place。

注3:一階差分推計量first-difference estimatorに地方自治体レヴェルでクラスターした頑健標準誤差を用いた。括弧内は\(p\)値の100分位表示。

注4:*,**,***は\(p\)値が10%,5%,1%未満であることを示す。

飼料作物,野菜,油種作物,柑橘類は,最低賃金引き上げとともにB地区で単位当たり価値が高まった。飼料作物では実質農業粗収益や生産量が減少しながらも,後者の減少量がより大きいために,単位当たり価値は増えている。つまり,生産量を減らしながらも単位当たり価値をより高めている。野菜は生産量と耕作面積が減りながら単位当たり価値が増えることで,実質農業粗収益を変えていない。油種作物は実質農業粗収益が不変で,\(p\)値が大きいながらも生産量は減っているため,単位当たり価値は高まっている。柑橘類は\(p\)値が大きいながらも生産量以上に実質農業粗収益が増えたため,単位当たり価値は高まっている。これらの作物は高付加価値化したと考えてよいであろう。一般に,農業での高付加価値化は生育環境や流通をより緻密に管理し品質を高めることや,独自の個性やブランドを確立することで実現できる。多くの場合,生育環境管理,流通管理,マーケティングの改善を通じて実現されるが,そのためにはスキルのより高い労働や資本を集約的に投入する。よって,生産量が増えていない作物グループで低賃金雇用は減少したといえる(注16)。豆類は実質農業粗収益が減ったものの単位当たり価値は変わりがないため,生産物の質が変化したことは確認できない。このため,生産量と耕作面積が減少し(表C1),低賃金雇用を減らしたと考えることができる。単位当たり付加価値が変わらずに生産量を低下させた豆類の調整は完全競争下の最適な調整と同じであり,賃金上昇によって利潤率が圧縮した可能性がある。飼料作物,油種作物,野菜は,利潤の変化を議論することは難しい。

表3表4表5の推計結果をまとめたのが表6である。ここからわかるように,多くの農作物グループでは最低賃金引き上げの実質農業粗収益への効果は認められないが,作物によっては生産が減少して低賃金雇用を減らしている(豆類,飼料作物,野菜)。生産量を変えずに高付加価値化で対応している作物(油種作物,柑橘類)や,生産が減少しながらも資本集約化し単位当たり価値を高めて対応している作物(飼料作物,野菜)がある。生産量が変わらず,価格上乗せも認められないために利潤圧縮で対応した作物もある(多年生作物,落葉果樹類,亜熱帯果樹類,茶類,ナッツ類)。低賃金労働雇用の少ない穀類は影響を受けていない。農業部門を全体として扱うと,こうした農作物ごとの多様性は隠れてしまうため,技術が近似した生産過程ごとに最低賃金引き上げの影響を観察することが望ましい。また,生産物の質が変化した作物グループ,価格上乗せが認められず利潤圧縮が考えられる作物グループがあることから,最低賃金引き上げの影響が雇用量による調整だけに限定されないことも分かる。

表6 推計結果のまとめと生産者調整の解釈

注:地域の作物グループの実質農業粗収益,生産量,単位あたり実質価値(実質農業粗収益/生産量)への最低賃金引き上げの効果。油種作物は点推計値がそれぞれ実質農業粗収益で正,生産量で負,それぞれは\(p\)値が大きいながらも両者の比をとると\(p\)値が小さくなる。

おわりに

本論文では先行研究を選択的にレビューし,南アフリカでの雇用環境を考察した後に,最低賃金への雇用者の対応について吟味した。経済理論からは,労働市場が競争的かどうか,もしくは,平均採用費用の交差微分の符号によって,雇用量に与える効果が逆になることが示されている。先進国の実証結果は雇用効果が負かゼロか結果が分かれているが,一部研究では,最低賃金以下での雇用が多いと規制は雇用に負の影響を与えやすいことが示されている。

南アフリカの農業データを用いて農業粗収益に与える影響を検討したところ,影響は作物ごとに異なることがわかった。負の影響を受けた作物がある一方で,その他の作物は影響を受けていない。後者の作物数が多いことから,全体を平均すると負の影響は観察されなくなる。作物ごとの多様性を許容しながら推計することの意義がここに見出せる。負の影響を受けたなかには,生産量が縮小しながらも単位当たり価値が上昇している作物もあり,スキルの高い労働や機械を集約的に投入して低賃金雇用量が減少したと推測できる。影響を受けなかった作物では,機械化が進んでそもそも未熟練労働を多く雇用していない穀物がある。それ以外の作物では,単位当たり価値は変わらないために価格上乗せによる調整は起こらず,利潤圧縮や資本代替(雇用量減少)による調整が示唆される。これらは資本への代替による調整を見出した既存研究[Garber et al. 2015]と整合的で,農業部門では最低賃金の影響を受けやすい雇用が多いことを確かめる結果でもある。

未熟練労働を多く雇用する作物で雇用量減少や利潤圧縮が示唆されたことからは,最低賃金規制は農村部で農場所有者が提供していた私的な社会保障機能を弱める働きがあったと懸念される。被用者が農場内住居を確保する権利は法律で今後も保障され続けるものの,未熟練労働の費用を高める政策は雇い止めを通じて長期的な資本代替を促す。農村部の公教育が熟練労働者候補を供給できない現状が続けば,雇用と社会保障を提供する農場所有者に雇用される被用者数が減ることになりかねない。これは最低賃金規制の目的に反する結果であろう。農業の最低賃金引き上げは他産業での最低賃金引き上げと同時に実施される。こうした環境で農業で解雇された未熟練労働をそのまま他産業で吸収することは容易ではないため,最低賃金引き上げ前から職業訓練や他職業経験の機会を提供することで,需給双方にとって転職や採用の費用を引き下げる試みが望まれる。

本論文では農業生産に着目することで,単位当たり価値上昇や利潤圧縮など,既存研究では見出されない結果を得ることができた。しかし,本論文の推計は作物グループごとの地方自治体合計量という集計量反応を対象にしているため,生産者ごとの多様な調整を知ることはできない。今後の研究は,より小さな地理区分を観察単位として資本と労働の投入を直接観察して要素需要関数を推計する必要がある。これらは今後の課題としたい。

付論A 最低賃金に関する生産者理論

労働市場完全競争下での最低賃金規制が利潤を低下させるという帰結は,Ashenfelter and Smith[1979]に倣って関数を2次線形近似することで,下記のように示すことができる。

  

\[\pi(\underline{\mathrm w}, r, p)-\pi(w, r, p)\simeq \pi_{w}(\underline{\mathrm w}-w)-\dfrac{1}{2}\pi_{ww}(\underline{\mathrm w}-w)^{2},\]
\[=-L^{D}(\underline{\mathrm w}-w)-\frac{1}{2}\frac{\partial (-L^{D})}{\partial w}\frac{w}{-L^{D}}\frac{-L^{D}}{w}(\underline{\mathrm w}-w)^{2},\]
\[=-\Delta w L^{D}-\frac{1}{2}\eta(\Delta w)^{2}\frac{L^{D}}{w},\]
\[=-\frac{\Delta w}{w} wL^{D}-\frac{1}{2}\eta\left(\frac{\Delta w}{w}\right)^{2}wL^{D},\]
\[=-\frac{\Delta w}{w} wL^{D}\left(1+\frac{1}{2}\eta\frac{\Delta w}{w}\right),\]
\[\lt0.\]

ここで\(\pi(w,r,p)\)は利潤関数,\(\Delta w = \underline{\mathrm w}-w\),\(\eta=-\frac{\partial L^{D}}{\partial w}\frac{w}{L^{D}}\gt0\)であり,包絡線定理により\(\pi_{w}=\frac{\partial \pi}{\partial w}\)は労働需要関数の負値\(-L^{D}\)に等しい。\(\Delta w L^{D}\)はすでに雇用している労働への支払いが増える給与支払[“wage bill”, Draca et al. 2011]効果,\(\frac{1}{2}\eta(\Delta w)^{2}\frac{L^{D}}{w}\)は資本への代替による対応を示している。なお,完全競争市場であれば,費用を最小化する技術のみが生き残るため,すべての雇用者が同じ技術を用いなければならない。よって,完全競争下では,最低賃金規制による生産費用の増加は生産物価格にすべて上乗せされる。

雇用者が賃金を選べる買い手独占(monopsony)の場合,上記の議論は適切ではない。包絡線定理は賃金を利潤最大化の外生変数として想定するからこそ用いることができるためである。Manning[2006]は完全競争と買い手独占を包含する一般的な理論を提示している。そこでは労働に関わる平均費用を労働費用と呼び,労働費用は賃金\(w\)と(すでに雇用されている分を含む)労働一単位あたり平均採用費用\(c(w,L)\)からなると仮定される。

  

\[w+c(w,L).\]

平均採用費用は採用訓練費用\(H(R, w)\)に採用比率\(s(w)\)を乗じて得る。採用訓練費用は採用人数\(R\)と賃金の関数であるが,採用人数は\(R=s(w)L\)と書くことができるため,平均採用費用は下記として示される。

  

\[c(w,L)=H[s(w)L, s(w)]s(w).\]

平均採用費用\(c(w,L)\)は賃金以外の費用として定義されるが,賃金水準にも依存することが許容されている。上で見たように,採用比率は賃金の関数であり,採用訓練費用が賃金に依存することを許容しているからである。ここで\(c_{w}\), \(c_{L}\)の符号は先見的には決めることができず,さらに交差微分\(c_{wL}\)も先見的に決めることはできない。ただし,完全競争の場合には雇用量にかかわらず労働費用は一定であることから\(c_{L}=0\)であり,よって,\(c_{wL}=0\)も成り立つ。買い手独占の場合には,より多くの労働を採用する費用は逓増すると考えられるので,\(c_{L}\gt0\)である。一方,交差微分は,採用や訓練活動に賃金に応じた規模の経済性がある場合には\(c_{wL}\lt0\),賃金に応じた規模の不経済性がある場合には\(c_{wL}\gt0\),賃金水準と独立していれば(規模に関して中立であれば)\(c_{wL}=0\)である。

労働費用に関して最小化するとき,雇用者は下記の問題を解く。

  

\[\min_{\{w\}}\;w+c(w, L)\]

最小化の一階条件は下記である。

  

\[1+c_{w}(w,L)=0.\]

これを全微分すると

  

\[\frac{dL}{dw}=-\frac{c_{ww}}{c_{wL}}\]

となる。つまり,賃金が増えるときの雇用変化の方向は\(c_{wL}\)と逆の符号になる。平均採用費用に賃金に応じた規模の経済性がある場合は,賃金が増えると雇用は増える。もちろん,買い手独占者は労働費用スケジュール\(w+c(w,N)\)上で最適な賃金を選ぶことができる以上,最低賃金規制がない場合よりも利潤が増えることはあり得ない(注17)

最小化された労働費用関数(value function)を\(\omega(L)\)で示す。最小化問題に外生変数$L$に関する包絡線定理を用いると\(\omega(L)\)の偏微分係数の符号を求めることができる。

  

\[\omega'(L)=\frac{d\omega}{dL}=c_{L}(w,L).\]

\(\omega'\)の符号は\(c_{L}\)の符号に一致する。もしも,平均採用費用が雇用量の増加関数であれば,労働費用も雇用量の増加関数である。労働費用として\(\omega(L)\)を用いると利潤は下記のように書くことができる。

  

\[\pi=F(L)-\omega(L)L.\]

利潤最大化の一階条件から下記を得られる。

  

\[F'(L)=\omega(L)+\omega'(L)L.\]

右辺は労働の限界費用であるが,通常の利潤関数と違って\(w\)ではなく\(\omega\)の関数である。

最低賃金が雇用者行動にどのような影響を与えるか見るために,この一階条件に着目する。最低賃金が導入されて賃金が変更することの効果は,労働限界費用MCLをさらに\(w\)で微分し,\(w=\underline{\mathrm w}\)を課せばよい。すると

  

\[\left.\frac{d\mbox{MCL}}{dw}\right|_{w=\underline{\mathrm w}}=\left.\frac{d\{w+c(w,L)+c_{L}(w,L)L\}}{dw}\right|_{w=\underline{\mathrm w}}=1+c_{w}(\underline{\mathrm w}, L)+c_{wL}(\underline{\mathrm w},L)L.\]

仮に費用最小化賃金\(w\)が最低賃金と一致している場合,最小化の一階条件より\(1+c_{w}(\underline{\mathrm w}, L)\)はゼロなので,符号は\(c_{wL}(\underline{\mathrm w},L)\)によって決まる。労働需要量\(L\)が増えたときに賃金\(w\)が増える(=賃金\(w\)が増えたときに労働需要量\(L\)が増える)場合とは,MCLが減る場合なので,\(c_{wL}\lt0\)のケースに等しい。\(L\)が増えたときに\(w\)が減るのは\(c_{wL}\gt0\)のケースである。Manning[2006]は\(c_{wL}\lt0\)がより現実的だと述べる。理由は,第1に,実証研究で示される被雇用者規模と賃金の正の相関関係とも整合的である。従業員数が多いほど労働費用が下がるのであれば,より高い賃金を提示できる。第2に,もしも\(c(w, L)\)が\(w, L\)に乗法分離できる場合,\(C_{N}\gt0, c_{w}\lt0\)であれば成立する。つまり,労働市場が買い手独占的で労働費用が賃金と負の関係(賃金が上がると辞める人が減るので採用費用が減るなど)にある場合である。

ここまでの議論を直感的な言葉で要約すると,最低賃金の雇用に与える効果は労働の限界費用を高めるかどうかで決まる。労働の限界費用が高まれば雇用は減り,低くなれば雇用は増える。完全競争下では最低賃金規制は労働の限界費用を高める。買い手独占の場合には,労働費用関数の交差微分\(c_{wL}\)が正であれば労働の限界費用を高める。交差微分が負の場合は労働の限界費用を下げる。限界費用が下がる原因は,賃金を高めると,求職者が増える,質の高い求職者が増える,離職率を低める,などである。このように,労働費用関数の形状によって最低賃金が雇用に与える影響は異なる。南アフリカ農業のように競争的な市場環境であれば,最低賃金引き上げは雇用を減らすと予期できる。

最低賃金規制が雇用を増やすメカニズムは,買い手独占以外にも求職理論を用いて示されている[Lang and Kahn 1998]。求職理論では情報が不完備で求職者と雇用者の双方がランダムにマッチされた相手を選び合う。よりよい候補がまだいると思えば相手を却下し次のマッチング機会を待つが,待ってもよりよい候補と巡り会う確率が低いと思えば相手を受け入れる。この環境は完全競争ではないので,労働者を見つけて生産する雇用者は正の利潤を得ることができる。労働者とマッチした雇用者の利潤は正だが,マッチする前の期待利潤はゼロとしないと均衡の内容として意味がない。このため,マッチには雇用者による一定の費用投下が仮定され,この費用と同じだけのマッチ後利潤が均衡で成り立つ。ひとたびよい労働者と巡り会ったときには,労働者に自らを選ばせるために雇用者は利潤の一部を提供する。多くの論文では雇用者と労働者間の利潤分配にはナッシュ交渉過程が仮定されている。ここに最低賃金規制が導入されると,期待賃金率が上がることでより多くの労働者が職探しを始めるため,マッチ確率が変わらなくてもマッチ件数,つまり,雇用件数が増える。なお,労働者が多様な場合,より異質な労働者が求職活動をすることでマッチ確率が下がることも考えられる。この場合,雇用量が増えるか分からない。ただし,Lang and Kahn[1998]は,熟練度の高い労働者が最低賃金に影響される未熟練労働市場に参入するため,雇用が増えたとしても未熟練労働者の厚生が下がると示している。

付論B 推計式の生産者理論的裏付け

第Ⅲ節1では推計式の計量経済学的な根拠を示したが,以下では経済理論的な根拠を考えていく。CES生産関数を例に⑴式で見たように,一般に,賃金引き上げの効果は資本レンタル料率\(r\)と賃金水準\(w\)の非線形な関数として表される。よって,農業粗収益を線形方程式として推計する⑶式は,供給関数の\(r, w\)に関する線形近似と解釈できる。\(\tilde{Z}=\ln Z - \ln Z^{*}\)と書き,賃金は地区ごとに異なると考え,\(w_{A}, w_{B}\)の2つの値を想定し,資本レンタル料率は全国で均一と考えると,下記が得られる。

  

\[\tilde{y}_{i}= \grave{b}_{2A}(1-D_{Bi})\tilde{w}_{A}+\grave{b}_{2B}D_{Bi}\tilde{w}_{B}+\grave{b}_{3}\tilde{r}.\]

上式のように農業粗収益を生産要素価格に回帰すると,一次近似式の各生産要素価格の係数\(\grave{b}_{2A},\) \(\grave{b}_{2B},\) \(\grave{b}_{3}\)は負になる。\(Z=Z_{t}\), \(Z^{*}\!=Z_{t-1}\)とすれば\(\tilde{Z}=\Delta \ln Z_{t}\)であることを利用すると

  

\[\Delta\ln y_{it}=\grave{b}_{2A}(1-D_{Bi})\Delta\ln w_{At}+\grave{b}_{2B}D_{Bi}\Delta\ln w_{Bt}+\grave{b}_{3}\Delta\ln r_{t}+\Delta u_{it},\]

となる。\(\Delta\)は一階差分を示す。なお,実質農業粗収益の一階差分を取ったために,右辺の賃金と資本レンタル料率もすべてインフレを除いた実質値での差分として解釈し直すべきことに留意しよう。

A地区だけの推計値ではなくすべての地区に関する推計値を求めるために\((1-D_{Bi})\Delta\ln w_{At}\)を\(\Delta\ln w_{t}\)と書き換え,期間\(j\)の全地区とB地区の賃金差分を\(\Delta\ln w_{Bt}-\Delta\ln w_{t}=g_{B_{j}}\Delta\ln w_{t}\)と書くと,上式は以下のように書き改めることができる。

  

\[\Delta\ln y_{it} =\breve{b}_{1}\Delta\ln w_{t}*D_{9302}+\breve{b}_{1B}g_{B_{1}}\Delta\ln w_{t}*D_{Bi}D_{9302}\]
\[+\breve{b}_{2B}\Delta\ln w_{t}*D_{0207}+\breve{b}_{2B}g_{B_{2}}\Delta\ln w_{t}*D_{Bi}D_{0207}\]
\[+\breve{b}_{3}\Delta\ln r_{t}+\Delta u_{it}.\]

なお,上式では\(\breve{b}_{1}=\breve{b}_{2}\)であるが,実際には同じ値にならないことも許要するために異なる係数を付与し,そのために異なる期間ダミー変数\(D_{9302}, D_{0207}\)を掛け合わせている。同様に,1993~2002年の期間でもA地区とB地区で異なる賃金変化を許要するために,\(\breve{b}_{1B}\)という係数を準備している。

実質資本レンタル料率\(r\)のデータは得られないが,期間平均成長率\(g_{r}\)を用いれば\(r_{t}=(1+g_{r})^{k}r_{t-k}\)なので,期間\(j=1,2\)の実質資本レンタル料率変化は\(\Delta\ln r_{t}=\ln r_{t}-\ln r_{t-k_{j}}=\ln (1+g_{r_{j}})*k_{j}\)となる。実質資本レンタル料率の影響は各地域の全生産者に均一と仮定すると,期間数\(k_{j}\)の係数\(\breve{b}_{3j}\ln(1+g_{r_{j}})=\check{b}_{3j}\)として推計可能である(注18)。\(\check{b}_{3j}\)は資本レンタル料率成長率\(g_{r_{j}}\)の符号と逆の符号になるため,符号は一意に定まらない。しかし,多くの経済でそうであるように,実質資本レンタル料率が大きく減少しなければ,\(\check{b}_{3j}\)はゼロに近い,もしくは,負になることが予想される。2つの時点の期間数をk1, k2と表せば,前掲⑶式が得られる。

  

\[\Delta\ln y_{it}=\check{b}_{1}\Delta\ln w_{t}*D_{9302}+\check{b}_{1B}g_{B_{1}}\Delta\ln w_{t}*D_{Bi}D_{9302}\]
\[+\check{b}_{2}\Delta\ln w_{t}*D_{0207}+\check{b}_{2B}g_{B_{2}}\Delta\ln w_{t}*D_{Bi}D_{0207}\]
\[+\check{b}_{31}k_{1}D_{9302}+\check{b}_{32}k_{2}D_{0207}+\Delta u_{it},\]
\[=(\check{b}_{1}\Delta\ln w_{t}+\check{b}_{31}k_{1})*D_{9302}\]
\[+\check{b}_{1B}g_{B_{1}}\Delta\ln w_{t}*D_{Bi}D_{9302}\]
\[+(\check{b}_{2}\Delta\ln w_{t}+\check{b}_{32}k_{2})*D_{0207}\]
\[+\check{b}_{2B}g_{B_{2}}\Delta\ln w_{t}*D_{Bi}D_{0207}+\Delta u_{it},\]
\[=\check{b}_{1}D_{9302}+b_{1B}D_{Bi}D_{9302}+b_{2}D_{0207}\]
\[+b_{2B}D_{Bi}D_{0207}+\Delta u_{it}.\]

ここで\(b_{1}=\check{b}_{1}\Delta\ln w_{1}+\check{b}_{31}k_{1},\) \(b_{1B}=\check{b}_{1B}g_{B_{1}}\Delta\ln w_{1},\) \(b_{2}=\check{b}_{2}\Delta\ln w_{2}+\check{b}_{32}k_{2},\) \(b_{2B}=\check{b}_{2B}g_{B_{2}}\Delta\ln w_{2}\)である。実証データより\(\Delta\ln w_{1}, \Delta\ln w_{2}, k_{1}, k_{2}\)はすべて正,\(g_{B_{2}}\)は正,\(g_{B_{1}}\)はほぼゼロ,理論値では\(\check{b}_{1},\) \(\check{b}_{1B},\) \(\check{b}_{2},\) \(\check{b}_{2B},\) \(\check{b}_{31},\) \(\check{b}_{32}\)はすべて負なので,\(b_{2B}\lt0\)が期待される。

付論C 付録図表

C.1  南アフリカ農業被用者の特徴
図C1 被用者学歴(1996年)

(出所)StatsSA, Rural Survey[1997]

注: None=学歴なし,Less than matric=高卒未満,Matric or higher=高卒以上。

図C2 被用者職種

(出所)StatsSA, Census[1996]

注:農業部門のみ。

図C3 日雇・季節雇,常雇の比率

(出所)StatsSA, Commercaial Agricultural Survey各年。

注:農業部門のみ。非熟練労働は日雇と季節雇,熟練労働は常雇。

図C4 低賃金労働の多さ

(出所)StatsSA, Census[1996]

図C5 穀物作付け比率と労働者一人当たり資本フロー費用

(出所)商業農業センサス2002年より作成。

注:生産量が全国の中央値よりも多い大規模地域の集計。労働者一人当たり資本フロー費用=(資本使用者費用+燃料費用)/労働者数。各点は地域,数値は各地域の集計値,実線はノンパラメトリック回帰(loess)。資本使用者費用は資本減耗,機械設備維持費の合計,燃料費用は燃料代,電気代の合計,労働者数は管理者を除く年間常雇用者人数。資本減耗は機械設備価値の5%と仮定した。

C.2  頑健性チェック

ここでは推計式の特定化を変えても,本文中の推計結果が影響されないことを確認する。表C1は本文中の推計結果(表3など)と同じ方法で耕作面積の変化を示している。天候変数と各作物グループの交差項を含めて作物グループごとに天候の影響に異なることを許容した結果が表C2表C3表C4である。いずれも,本文中の推計結果と同様の内容であることがわかる。また,紙幅節約のために表示していないが,3時点すべてに情報のある主要な作物グループのみに2002~2007年ダミーとの交差項を用いて推計しても,結果は変わらなかった。

表C1 耕作面積変化,A地区vs.B地区,地区固定効果推計値

(出所)商業農業調査1993,2002,2007版より推計。

注1:被説明変数は地域の作物グループ耕作面積の対数。その他は表3注1と同じ。

注2:標本単位は地方自治体Local Municipalityもしくは中心地Main Place。

注3:一階差分推計量first-difference estimatorに地方自治体レヴェルでクラスターした頑健標準誤差を用いた。括弧内は\(p\)値の100分位表示。

注4:*,**,***は\(p\)値が10%,5%,1%未満であることを示す。

表C2 農業粗収益の変化,A地区vs.B地区,固定効果推計値

(出所)商業農業調査1993,2002,2007版より推計。

注:表3の注を参照のこと。

表C3 生産量変化,A地区vs.B地区,地区固定効果推計値

(出所)商業農業調査1993,2002,2007版より推計。

注:表3の注を参照のこと。

表C4 単位あたり価値変化,A地区vs.B地区,固定効果推計値

(出所)商業農業調査1993,2002,2007版より推計。

注:表3の注を参照のこと。

[謝辞]

本稿はアジア経済研究所で2016-2017年度に実施された『途上国における農業経営の変革』研究会(清水達也主査)の成果の一部である。本論文にコメントを提供した本誌匿名査読者,寳劔久俊氏(関西学院大学),塚田和也氏(アジア経済研究所),Dieter Von Fintel氏(ステレンボッシュ大学),および,研究会各メンバーに記して感謝したい。清水氏には研究会参加への機会を頂いたことへの謝意を表したい。また,長時間のインタビューに応じたDirk Pretorius,Pieter Van Der Merwwe,Andries Van Zyl,Juan Winter,Jaco Potgieterの各氏にも記して感謝したい。また,本研究の事務を担当した前嶋淳子氏(アジア経済研究所業務調整室[当時])にも深謝する。本論文に残る誤りはすべて筆者の責任である。

(アジア経済研究所開発研究センターミクロ経済分析研究グループ,2018年10月31日受領,2020年12月28日レフェリーの審査を経て掲載決定)

(注1)  Doucouliagos and Stanley[2009]はデータ・マイニングを経た論文は標準誤差を小さくすることは難しいためにeffect sizeが大きな推計結果を選び取る傾向があると仮定し,小標本の推計にeffect sizeの大きな研究が多いことを示している。先行研究のCard and Krueger[1995]も負の弾力性に偏った出版バイアスがあると指摘している。Neumark[2015]はメタ分析が展望研究の代替にはならないという高所からの批判をしているが,これはメタ分析の長所を汲み取らない指摘といわざるを得ない。

(注2)  これは⑵式のCES生産関数でβLが小さい場合である。また,付論図C5で示したように,データからも穀物作付け比率が高いほど労働者一人当たり資本フロー費用が高くなる傾向がある。

(注3)  1994年から始まったウルグアイ・ラウンドでは,南アフリカは関税構造を単純化し関税率を引き下げた結果,平均関税率(加重平均)は1993年の13.45パーセントから2002年には4.95パーセントに低下した(世界銀行統計TM.TAX.MRCH.WM.AR.ZS)。この2002年の値は同年日本の5.52パーセントよりも低く,南アフリカは開発途上国の中では際だって関税率が低いため,貿易財が国際価格に影響を受けやすい経済といえる。

(注4)     
\[\max_{\{K,L\}} \;\;\; pf(K,L)-rK-wL\]
\[s.t. \;\;\; f(K,L)=a[\beta_{L} L^{\rho}+\beta_{K} K^{\rho}]^{\frac{\phi}{\rho}}\]
\[a \gt 0, \beta_{K}, \beta_{L}\in(0,1), \beta_{K}+\beta_{L}=1,\ \rho\neq 0, \ \phi\in(0, 1)\]

ここで\(w\)は賃金,\(r\)は資本のレンタル料率である。CES生産関数の一般型として\(M\)個の生産要素\(x_{i}\), \(i=1,\dots,M\)があると,

  

\[y=a\left(\sum_{i=1}^{M}\beta_{m}x^{\rho}_{i}\right)^{\frac{\phi}{\rho}}, a \gt 0, \phi\neq 0, \rho\neq 0, \beta_{i}\in(0,1), \sum_{i=1}^{M}\beta_{i}=1\]

である。一階条件を\(x_{j}\)を使った関数として表すと下記のように表現できる。

  

\[x_{j}=\left(\frac{\beta_{j}}{w_{j}}\right)^{\frac{1}{1-\rho}}(pa\phi)^{\frac{1}{1-\phi}}\left\{\sum_{i=1}^{M}\left(\frac{\beta_{j}}{w^{\rho}_{i}}\right)^{\frac{1}{1-\rho}}\right\}^{\frac{\phi-\rho}{\rho(1-\phi)}}\]

資本と労働の2要素の場合には下記のようになる。

  

\[L=\left(\frac{\beta_{L}}{w}\right)^{\frac{1}{1-\rho}}(pa\phi)^{\frac{1}{1-\phi}}\left\{\left(\frac{\beta_{L}}{w^{\rho}}\right)^{\frac{1}{1-\rho}}+\left(\frac{\beta_{K}}{r^{\rho}}\right)^{\frac{1}{1-\rho}}\right\}^{\frac{\phi-\rho}{\rho(1-\phi)}},\]
\[K=\left(\frac{\beta_{K}}{r}\right)^{\frac{1}{1-\rho}}(pa\phi)^{\frac{1}{1-\phi}}\left\{\left(\frac{\beta_{L}}{w^{\rho}}\right)^{\frac{1}{1-\rho}}+\left(\frac{\beta_{K}}{r^{\rho}}\right)^{\frac{1}{1-\rho}}\right\}^{\frac{\phi-\rho}{\rho(1-\phi)}}.\]

ここから明らかなように,賃金率の上昇は\(L\)のみならず,生産量の低下によって相対的に余剰気味になる\(K\)の需要も減少させる。ただし,要素価格上昇の影響を直接受ける\(L\)よりも,間接的に影響を受ける$K$の減少幅はより小さい。例えば,資本\(K\),(未熟練)労働\(L\)に加えて熟練労働\(H\)の3要素生産関数を想定すると,未熟練労働の価格である最低賃金が上昇するとすべての要素需要が減るが,資本と熟練労働の減少幅が少ないために,これらの要素集約度が高まる。このように,最低賃金が上がると,資本と熟練労働をより集約的に使う高付加価値化をもたらす可能性がある。なお,規模の経済が逓減しない場合には,最小化問題を通じて同様の要素需要関数を得ることができる。

(注5)  完全競争状態では利潤はゼロだが,完全競争はアナロジーに過ぎず,現実に利潤がゼロに一致することは稀である。つまり,ここで完全競争を想定しながら得られる結果も,完全競争を字義どおりに取るのではなく傾向を示すに過ぎないことを留意すべきである。

(注6)  27.1パーセントは高くないと感じるかもしれないが,過去一週間で支払いのある労働や自営労働にわずか一時間でも就くと就労中と判断されることを念頭に置く必要がある。

(注7)  ただし,カラー・バー法(1926年)によって熟練労働は白人のみが就ける規制があったことから,熟練労働の賃金は本来よりも高くなったために農業がアパルトヘイトによって一方的に恩恵を受けたということはできない[Hutt 1964]。むしろ,非熟練労働を多用する技術採用を促したと解釈すべきである。

(注8)  南アフリカの最低賃金制度の歴史についてはBhorat et al.[2009, 3-18]を参照のこと。

(注9)  最低賃金の部門区分で「セクター8」とよばれる。後に「セクター13」に変更。

(注10)  最近では労働費用の高まりから,労働調達をアウトソースし,派遣労働を使う傾向が強まっている。農業は季節性があるために常雇用の必要性が低いのに加え,労働管理費用が高く,土地も占有されてしまうためである。派遣労働の規制逃れはより難しいために,派遣労働では最低賃金規制の効力が高いと考えられる。

(注11)  ただし,Bhorat et al.[2014]の統御群は同等の教育水準や年齢で非農業部門の非熟練職種に就いている労働者なので,比較対象として適切ではない可能性がある。とくに,非農業部門賃金が農業部門賃金の2倍以上の水準であることからも,推計結果の解釈には慎重を要する。

(注12)  固定効果推計値においても一階差分推計値と同様の結果を得た。本論では解釈が容易な一階差分推計値を用いて議論を進める。

(注13)  最低賃金率が各地区の特性に応じて内生的に決まる可能性があるとしても,統一時のB地区での引き上げが横並びに導入されたため,統一時の引き上げは外生的な変化と見なすことができる。

(注14)  推計で考慮しない農地が地区ごとに異なる変化をすれば,共通トレンドの識別仮定は満たされない。しかし,推計結果からは,\(b_{{1B}}=0\)の\(p\)値は大きいために,農地(などの考慮していないその他生産要素)が推計結果を歪めないと判断できる。この指摘をした本誌査読者Cに記して感謝したい。

(注15)  3時点のデータを用いた結果を本文では報告しているが,2002年,2007年部分だけを用いて推計しても結果は変わらなかった。3時点データを用いると標本サイズを減らさないだけでなく,一階差分推計量の識別仮定が第1期に成り立つか同時に検定できるメリットがある。

(注16)  高付加価値化は低賃金労働を集約的に投入することでも実現可能なので,低賃金雇用が増えた可能性も考えねばならないかもしれない。しかし,最低賃金引き上げに対処するために,もっとも直接に費用の上がった低賃金雇用を増やすことは生産者理論では考えにくい。(注4)で示したように,未熟練労働の賃金上昇は他の生産要素をより集約的に需要させる作用がある。

(注17)  仮に雇用が増えた場合にも,収入は増えるがそれ以上に費用が増えるために利潤は減る。雇用が減る場合に費用が減るか不明だが,減った場合にも収入はそれ以上に減って利潤が減る。英国企業会計データを用いた研究では雇用量調整は有意ではなく利潤が減少している[Draca et al. 2011]。

(注18)  すでに導入した識別のための共通トレンドの仮定は資本レンタル料率変化の影響が各地域で共通となることを含むので,厳密には追加的な仮定ではない。

文献リスト
 
© 2021 Institute of Developing Economies, Japan External Trade Organization
feedback
Top