Ajia Keizai
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Book Reviews
Book Review: Hitomi Ono, Children and Childhood in Islamic Law (in Japanese)
Mina Hattori
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2022 Volume 63 Issue 2 Pages 74-77

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本書は,「子ども」をキーワードとしてイスラーム法学書(イスラーム法学という学問を記録した書物)を読み解くことにより,イスラームという宗教の規範にもとづく子育てや家族のあり方を明らかにすることを目的としている。考察の対象は,マーリク派を中心にスンナ派四法学派(ハナフィー派,マーリク派,シャーフィイー派,ハンバル派)によって前近代に書かれた法学書である。さらに,マーリク派では子どもの教育に特化した教育専門書や,法学書以外にも教育論が展開されたという特徴から,これらの文献も検討されている。分析にあたり,著者は学派内に存在する学説の「イフティラーフ」(見解の相違)に着目し,一定の範囲でのイフティラーフの許容により解決の多様性が尊重されたことを示している。イフティラーフが本書において重要な視点であることは,本書のもととなった博士学位論文のタイトル「イスラーム法の子育て観―法学者間のイフティラーフからみたマーリク派の特徴―」(東京大学大学院人文社会系研究科)からも理解される。

著者が序論でも述べているように,歴史学における「子ども観」研究は,フランスの歴史家フィリップ・アリエスが著した『<子供>の誕生―アンシァン・レジーム期の子供と家族生活―』によって一気に脚光を浴びた。アリエスは,ヨーロッパ中世から18世紀までの画像記述や墓碑銘,日誌,書簡などから「子ども」に対する当時の人々の心性を浮かび上がらせた。そして,<子供>の発見は近代の出来事であり,家族の感情はそこから芽生えたことを明らかにしている。アリエスの研究は画期的であったにもかかわらず,残念なことに「子ども観」研究はアリエス以降,飛躍的に発展したとはいえない状況にある。ましてや,イスラーム世界を対象とした「子ども観」研究は現在もなお未開拓の分野である。この点において本書は,イスラーム法学書から子ども観を読み解いた先駆的かつ独創性の高い研究に位置づけられる。

本書は序論と結論のほか,4章から構成される。章立ては以下に示すとおりである。

  •  序 論

      1.法学書を子ども観から読み解く―本書の目的

      2.本書の特徴と意義

      3.イスラーム法学書の歴史と概要

     第1章 人間の成長段階と法的能力

      1.イスラーム法における子どもの概念

      2.身体的成熟と法的能力の変化

      3.弁識能力という指標

      4.未成年者としての「子ども」と法的能力

     第2章 父の権限と子への義務

      1.実子の確定

      2.子の宗教と新生児儀礼

      3.父子相互の権利と義務

      4.父は子に対して絶対の権限をもつのか

      5.父という存在の考察

     第3章 母の役割と「子の利益」

      1.母の授乳は義務なのか

      2.乳母の雇用をめぐる問題

      3.監護をめぐる母の権利と子の権利

      4.「子の利益」を守るという価値観

     第4章 子どもへのクルアーン教育

      1.子どもへの教育を示す言葉

      2.クルアーン教師の雇用規定

      3.マーリク派法学者による教育専門書

      4.マーリク派法学者の教育論

      5.ムスリム社会の担い手としての子どもたち

     結 論 イスラーム法の子ども観が映すもの

序論では,本書の目的とともに,世界の子ども観研究における本書の位置づけと意義,対象とするイスラーム法学書について説明されている。さらに,ジェンダーの視点からイスラーム法にアプローチすることにより,従来の研究が強調してきた「ムスリム社会は伝統的に家父長制的な家族観を有する」という認識を再考する意図が示される。なお,本書においてイスラーム法は,前近代のイスラーム法学者たちによって構築されたフィクフ(天啓の規範であるシャリーアを人間の生活における具体的規範として法学者が導出したもの)を意味し,またイスラーム法学は,イスラーム法学者と呼ばれる人々が,神が人間に与えた道であるシャリーアから具体的な行動規範を導き出す学問と定義されている。研究対象とするイスラーム法学書は,9世紀から19世紀の間に各地域で著されたイスラーム法学の古典文献である。その際,著者は学派内における権威,地域および時代のバリエーション,記述スタイルの特徴,現代の研究における参照頻度などを勘案し,マーリク派以外の学派については,その権威が広く認められているもののなかから,情報量の豊富な包括的なタイプの法学書を選定している。また,マーリク派については法学書以外の著作,たとえばギリシア思想の影響を受けて9~10世紀に書かれた妊産婦や新生児のための医学書や倫理書も参照されている。ここから本書が膨大な文献を参照していることが理解される。

第1章では,人間の成長段階による法的能力の変化という観点から「子ども」に関するイスラーム法規定が考察されている。著者によれば,多くの法規定では法的能力によって成年者と未成年者が対比されており,法的能力が大きく変化する「成年者」に至る前の「未成年者」が「子ども」に位置づけられるという。さらに,未成年者は弁識能力という指標によって「弁識能力を有しない者」(乳幼児期)と「弁識能力を有する者」(7歳頃からの時期。弁識能力獲得の年齢が7歳であるという説は,「子が7歳になったら礼拝を命ぜよ」というハディースとともに参照頻度が高い)に二分される。ここで,成年者かつ理性を有する者は「ムカッラフ」,未成年者は「ムカッラフでない者」であり,神の命令によって人間が課された義務を負担するに至っていない状態の者,つまり未義務賦課者とされる。未成年者から成年者への移行は,結婚・離婚,財産行為,刑罰,戦争への参加に関する法的能力の変化にも表れるという。成年の定義は基本的にはブルーグ(成年に達すること)つまり,身体的成熟(第二次性徴。男子は精通,女子は初潮あるいは妊娠などの徴候がみられた時点)によって規定される。日々の礼拝や断食などを含む五行などの儀礼行為は,理性をもつムスリム成年男女にのみ義務づけられるという基本原則に学派の相違はなく,未成年者がこれらの行為を怠っても罰則はない。7歳になったら子どもに礼拝を命じよというのは,礼拝についての教育を開始せよという意味であり,それは保護者にとっての義務であるとするのがいずれの学派においても一般的であることが指摘されている。

第2章では,子にとって父子関係が確定されることの重要性が,養子の禁止や実子の確定,扶養,後見,相続に関わる諸規定から考察されている。父子関係の重要性はいずれの学派にも共通するという。しかし,マーリク派の場合,他の学派に比して父親の存在の意義が大きいと著者は分析する。それはたとえば,子への扶養義務は父親にのみ課され,母親や他の親族には基本的には生じないといった側面にも表れているという。また子に対する父親の強大な権力が,男性父系血族(アサバ)の紐帯を相対的に弱めていたのではないかと著者は指摘している。

第3章では,母による子育てに関して,子の授乳と監護に関する法規定から分析されている。考察からは,母親による子育てはどの学派においても好ましいと考えられている反面,母親にとって子の養育は必ずしも義務ではないことが明らかにされている。ここから著者は,「母親に子を産むだけの役目を期待するという発想でもなければ,母役割を強制する近代的なジェンダー規範とも異なる価値観を,法学者たちは示していた」(217ページ)という興味深い結論を導き出している。また,「『子に対する愛情』という表現が,父親と母親の双方にみられる点は,特筆すべき」(2~3ページ)であり,子の後見や監護といった子育てに関わる諸規定は「子の利益」を守るためのものであるという法学者の記述を明らかにしている。

第4章では,マーリク派の教育専門書が取り上げられ,子どもへのクルアーン教育に関する法学者の議論が考察されている。マーリク派の法学者たちは,教育専門書やその他の著作において,子どものあるべき姿を提示していた。そのなかでは,未成年者は成年に達するまでに一人前のムスリムとしての知識や行動を備えなければならず,父親と母親それぞれの責任のもと,しつけや教育が施されるべきであるとされる。また,クルアーンによる倫理教育や宗教教育が第一に重視されるものの,教育専門書ではクルアーンに始まる宗教教育以外にも子どもが習得すべき知識とその教育のあり方が議論されており,著者はそのような議論のなかに子どもたちへのイスラーム法学者のまなざしを読み取っている。加えて,クルアーンやハディースに直接由来しない法規定が存在することから,法学者たちは法学的な伝統を継承しつつも,それぞれの地域や時代の価値観を法学書に刻み,一定の範囲の学説のイフティラーフを許容していたことが指摘されている。

結論では,イスラーム法学書および教育専門書の分析から,(1)イスラーム法が「子ども」を固有の時期を過ごす存在として認識していく様子が,歴史のなかで次第に明らかになったこと,(2)そこでは父と子および母と子という親子の関係が重視され,その理由に愛情の深さが挙げられていることが指摘されている。さらに著者は本書から導き出された結論とヨーロッパの近代的子ども観や,夫婦と子どもを単位とする近代家族の概念との比較を試み,一定の共通点を見出している。つまり法学書からは,夫婦の絆を軸として,「家族」の構成員として子どもを位置づける近代的な家族観の萌芽を見出すことができるとしている。また,マーリク派による教育論では,クルアーンに始まる宗教教育とともに,子どもが成年になるまでに習得すべき知識とその教育のあり方が示されており,そのなかにみられる子どもに対する法学者のまなざしの存在が指摘されている。

以下,本書の魅力と意義を数点に絞って述べたい。

第一に,難解なイスラーム法学書を一つ一つ丁寧に読み解き,そこで論じられる子育てや家族のあり方,子どもという存在について,抽象的な議論ではなく極めて具体的に論じている点,さらにその際には膨大な法学書に目配りし,最終的にはそれを議論しやすい形で整理している点が挙げられる。そもそもイスラーム法学書を読み解ける研究者が世界にどれほど存在するだろうか。アラビア語の読解力以上に,イスラーム法学書独特の表現や時代背景を理解することが必要になることはいうまでもない。本研究を遂行するために著者は膨大な時間とエネルギーを費やしたであろうことは容易に想像される。また,マーリク派を中心としつつもスンナ派四法学派にも十分な目配りをしており,本書は幅広くスンナ派の法学書の特徴を理解できる最良の著作となっている。

第二に,世界の「子ども観」研究に対してイスラームからの新鮮な視座と示唆を与えている点である。本書はイスラーム法学,イスラーム研究にとどまらず,多分野に対して新たな知見をもたらすものである。なかでも筆者は,本書が教育学に多大な貢献をもたらすと考える。イスラーム世界の知的営為,とくに本書が対象とするイスラームの「子ども観」はいまだ充分に紹介されておらず,その意味において本書はイスラーム世界における子育てや家族のあり方を理解するための必読書である。

第三に,著者が法学書のなかに法学者たちの子どもへのまなざしを読み取っている点である。そもそもイスラーム法はムスリムに生き方の指針を示すもので,人間味にあふれたものである。しかし,「法」という名がついているために時には人間にとって厳しいものであるかのような印象を与えることも事実であろう。著者は前近代に生きた法学者に思いをはせながら,「子ども」に対する彼らの「心性」を読み取ることに成功している。本書の記述からは,一人の人間としての法学者に対する著者のまなざしとともに,子どもに対する法学者の温かな感情のようなものが垣間見えるのである。

第四に,アリエスが論じた「子ども」観との比較の観点から,従来のアリエスの議論に対して新たな問題提起をしている点である。アリエスによれば<子供>の発見は近代の出来事であり,家族の感情はそこから芽生えた。一方,イスラーム法学書から著者が読み解いた「子ども観」では,前近代においてすでに子どもが大人とは異なる特有の存在であることが導き出されている。つまり,イスラーム世界ではヨーロッパとは異なる展開があったことが示唆されている。<子供>の発見は非ヨーロッパ的な文脈において,果たして近代の産物であったのか,あるいはそもそも<子供>の発見と近代を関係づけて語ることが妥当なのかということが問い直されているように思われる。

以上指摘したように,本書は鋭い問題提起に満ちた優れた著作である。その上であえて批判的に検討するとすれば,以下の点になるであろうか。

第一に,本書では膨大な数の法学書が丁寧かつ忠実に読み解かれている一方,法学書が書かれた当時の社会的背景や地域性に関する考察がやや薄いように思われる。つまり,法学者が行う解釈がいかなる時代性と地域性のもとで生まれたのかという視点である。また著者は,イスラーム法が「子ども」を固有の時期を過ごす存在として認識していく様子が,歴史のなかで次第に明らかになったとしているが,そのような時代的な変化を読み取ることが若干困難であった。これらの点に関する考察が付加されれば,さらに一層深みのある分析になったように思われる。

第二に,本書で分析された法学書の解釈が,実際どのように現実の生活のなかで実践されたのかについてもう少し補足的な情報があれば,より多面的・立体的にイスラーム世界における法学書の位置づけを読者が理解できるのではないかと思われた。また,それぞれの法学書のなかで,子育てや家族,子どもに関する内容が具体的にどのような形でカテゴリー化され,どの程度の頻度で取り上げられているのかといった情報や,著者が法学書のなかで該当する箇所をどのように取捨選択したのかという点についても,補足的な説明があるとよいのではないかと思われた。

とはいえ,本書は筆者にとって待望の書であり,上述の筆者の指摘は本書に対する過大な期待ともいえる。「子ども観」研究はさまざまな専門分野が交叉する学際的な領域であり,多様なアプローチからの接近を可能にする。教育学の分野では,研究の厚い蓄積のある西洋教育思想とは対照的に,イスラームに関する教育思想はこれまでほとんど論じられてこなかった。教員免許取得のための教職課程では,ルソー,ペスタロッチ,ヘルバルト,コメニウスといった西洋由来の教育思想は教えられるが,非西洋の教育思想はほとんど取り上げられることがない。このことは,日本においては明治期以降の教育改革のなかで,西洋諸国の教育制度・教授方法などから深い影響を受けてきたことに要因があるのであろう。しかし,世界の教育研究において,イスラーム世界が長い間,等閑視されてきたことも要因の一つであると思われる。このような従来の研究の偏在という課題に対し,本書はその是正に向けて余りある貢献をしていることは間違いない。今後のイスラーム「子ども」研究の扉を開き,研究の発展可能性を示唆してくれた本書を高く評価したい。

 
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