Ajia Keizai
Online ISSN : 2434-0537
Print ISSN : 0002-2942
Articles
Effects of Humanitarian Regulation on the Informal Economy and Remarginalization: Cross-border Smuggling between Morocco and the Spanish Enclave Ceuta
Saki Ishinada
Author information
JOURNAL FREE ACCESS FULL-TEXT HTML

2022 Volume 63 Issue 4 Pages 33-60

Details
《要 約》

インフォーマル経済は多くの国ぐにで,当局から黙認あるいは容認されながら行われてきた。一方,それとは異なるあり方も存在している。本稿では,当局がインフォーマル経済に対して人道的観点から規制を行うことが,従事者にどのような影響を与えるかについて,スペイン領セウタとモロッコの国境地帯で行われていた「密輸」の事例をもとに考察する。「密輸」は,関税を支払わずにセウタからモロッコに商品を持ち込むものであるが,当局が事実上管理し,従事者の労働環境の改善を目指した規制を行ってきた。このような規制が従事者に及ぼす影響を,越境者やジェンダーの視点も取り入れながら論じる。本稿は,人道的観点からなされた規制が従事者の収入を減らし,従事者をより周辺的な経済活動に追いやるという再周辺化を引き起こしたことを明らかにした。そのような再周辺化の深刻度は,越境者や女性といった脆弱な属性をもつことにより増していた。

Abstract

The informal economy operates in many countries with tacit approval or toleration from the authorities. Also, the authorities sometimes try to control informal economic activities with the aim of reducing or eliminating them. This paper examines how regulations on the informal economy, especially those implemented from a humanitarian perspective, affect its participants, by focusing on cross-border smuggling between Morocco and the Spanish enclave Ceuta. Cross-border smuggling is an informal economic activity in which the porters, most of whom are poor women, carry merchandise from Ceuta into Morocco without paying customs duties. Such smuggling has been not only tolerated but also virtually controlled by authorities on both sides through regulations, some of which are intended to improve the porters’ working conditions. This paper revealed that even regulations implemented from a humanitarian perspective have led to the remarginalization of these informal workers, reducing their incomes and pushing them into even more marginal economic activities. Analyzed from transboundary and gender perspectives, the severity of such remarginalization is increased according to the workers’ vulnerability. As cross-border workers, they must deal with the different policies of the authorities on both sides of the border. As women who have less opportunity to earn in the patriarchal society, they tend to be more greatly impacted by regulations because it is difficult for them to make up for lost income.

はじめに

Ⅰ インフォーマル経済と公的規制環境

Ⅱ スペイン領セウタとモロッコ

Ⅲ 容認された「密輸」

Ⅳ 当局の介入と規制強化

Ⅴ 招かれた再周辺化

Ⅵ 結論

はじめに

2011年に起きたアラブの春のきっかけとなったのは,1人の青年の死であった。チュニジア中部の都市シディ・ブジッドで露天商を営んでいたムハンマド・ブアジジ(Mohamed Bouazizi)は2010年12月,販売の許可を得ていないとして当局に商品や秤を没収されたうえ,暴行を受けた。その後,秤の返還を求めるも賄賂を要求されたため,それに抗議するために焼身自殺をしたとされている。彼の死を機に,中東・北アフリカ地域では独裁政権に対する抗議運動が広がり,チュニジアだけでなくエジプトやリビアなどにも大きく波及することとなった。

ブアジジの例こそ,当局とインフォーマル経済の典型的な関係性を表している。国際労働機関(International Labour Organization: ILO)によれば,インフォーマル経済は「法または実務上,公式の取り決めの対象となっていないか,公式の取り決めが十分に適用されていない労働者及び経済単位の行うあらゆる経済活動(不正な活動は含まない)」[ILO駐日事務所 2015]と定義される(注1)。公式の取り決めの対象となっていない,あるいは取り決めが十分に適用されていないこと,つまり公的な規制の不在は,現場レベルで当局による恣意的な対応のほか,暴力や賄賂の要求,詐取などを招きうる[Chen 2012; Portes and Haller 2005]。それまで黙認され,無許可でも営業することができていたブアジジも,当局による恣意的な対応により,暴力や賄賂の要求を受けたものと理解することができる。

一方,起こりうる社会的摩擦の防止や政治的利益の誘導促進のため,インフォーマル経済が政府によって容認されたり,促進されたりする場合もある[Castells and Portes 1989]。本稿では,このような容認・促進からさらに一歩踏み込み,当局から管理されながら行われていたインフォーマル経済に焦点を当てることで,当局とインフォーマル経済の関係性について論じたい。ここで取り上げる事例が,スペイン領セウタとモロッコの国境地帯で行われている「密輸」である(注2)

モロッコ北部には,セウタとメリリャという2つのスペイン領がある。これらスペイン領は欧州とアフリカが陸の国境を接する唯一の地点であり,この国境は先進国と途上国,欧州とアフリカ,キリスト教とイスラーム教の境界ともいえる。この国境地帯で暮らす人びとは,国境と不可分の生活を営んでおり,セウタと国境を接するフニデク,メリリャと国境を接するナドールというモロッコの地方都市の住民は,シェンゲン協定の特例によりスペイン領への日帰りでの往来に限って査証が免除されており,住民の多くが越境を日常のものとしている。

本稿で扱う「密輸」とは,セウタからフニデクへ食料品や衣料品といった商品を運び,モロッコ国内で販売するという越境貿易の一種である。この「密輸」は通常モロッコへの商業輸入に対して課せられる20パーセントの関税を逃れているものの,麻薬や向精神薬など違法な物品を扱う犯罪行為としての密輸行為と異なり,インフォーマル経済の一種としてみなされ,スペイン,モロッコ両国の当局から容認されて行われている。その容認の度合いは,「密輸」の商品を運ぶ「運び屋」のための専用通路が整備されたり,両国の当局によってその専用通路の運用規則が定められたりするなど,事実上の管理下にあった。この「密輸」に従事していたモロッコ人は,直接的には4万5000人,間接的にかかわっている人びとも含めれば40万人に上ると推測されている[Ferrer-Gallardo 2008]。

一方,従事者のなかでも,特に運び屋に対する人権侵害が深刻であると指摘されている[APDHA 2016]。運び屋の多くは貧困層の女性であり,商品の運搬中に当局からの暴力や性的暴行,商品の没収,賄賂の要求といった危険にさらされているほか,運搬する荷物や群衆に押しつぶされるなどして,2008年以降,少なくとも12人が死亡したことが明らかになっている(注3)。スペイン当局は運び屋の荷物の重量や往来回数を規制することで,いわゆる労働環境の改善を図っていたが,モロッコ当局は2019年10月,今後10年をめどに「密輸」を根絶させると発表し,即座に専用通路を閉鎖した。そのような状況下で2020年3月,新型コロナウイルスの影響により国境そのものが閉鎖され,「密輸」は事実上行われなくなった。

「密輸」は,本来当局の管理下にないはずのインフォーマル経済でありながら,当局の規制の影響を受けるという状況であった。それも,労働環境を改善し,従事者の人権を守るためという人道的観点からの規制がなされているという点で,インフォーマル経済の規模縮小や根絶を目的とする通常の規制とは一線を画す。さらに,「密輸」が「国家による介入の度合いが時々で大きく変容することから,常に国家の管理下にある首都近郊よりも国家との関係性の変化をより敏感に感じ取りやすい」[日下部 2015, 174]とされている国境地帯で行われていることを考慮すると,この「密輸」の事例をとおして当局やその規制とインフォーマル経済の関係を考察することができる。以上をふまえ,インフォーマル経済に対する人道的観点からの規制はどのような帰結を生むのか,それを明らかにすることが本稿のおもな目的である。また,「密輸」が国境地帯で行われていること,運び屋の多くが女性であることを鑑み,越境者とジェンダーという視点からの考察も加える。

本稿は,以下のように構成される。まず第Ⅰ節では,インフォーマル経済と公的規制環境についての先行研究を整理したうえで,「密輸」を理解するための手がかりとして越境と女性という観点からインフォーマル経済にかんする議論を整理する。同時に,本稿で明らかにすべき3つの問いを設定する。第Ⅱ節では,調査方法と調査地の概要を述べる。調査地については,スペイン領セウタとモロッコにかんして,それぞれ社会的・政治的事情をふまえながら論じ,「密輸」が生じ,発展することになった背景を論じる。これらをふまえ,第Ⅲ節から第Ⅴ節にかけて,「密輸」の様相を明らかにする。「密輸」は当局の規制という観点から,容認されて行われてきた1990年代後半頃から2017年頃までの黙認・容認期(第Ⅲ節),当局が介入するようになった2017年頃から2019年10月までの管理期(第Ⅳ節),モロッコ当局が根絶を発表した2019年10月以降の根絶期(第Ⅴ節)に分けられる。各節では当局の規制とそれに対するインフォーマル経済の従事者の対応を描いていく。最後に第Ⅵ節では,これまでの議論をもとに,当局によるインフォーマル経済に対する人道的観点からの規制が従事者に及ぼす影響を論じる。

Ⅰ インフォーマル経済と公的規制環境

1.インフォーマル経済と公的規制環境

インフォーマル経済の定義は前節でみたとおりであるが,その特徴とされているのは,おもに①技術や資本,組織の点で参入障壁が低いこと,②家族経営,③小規模な運営,④旧式の技術による労働集約的な生産,⑤規制されておらず競争的な市場であること,の5点である[Portes and Haller 2005]。公式の統計には表れないという性格から実態の正確な把握は困難であるものの,世界の労働人口の6割以上がインフォーマル経済に従事しているとされている[ILO 2018]。この割合は途上国において高い傾向にあるものの,インフォーマル経済は途上国特有のものではなく,先進国でもみられている。

このようなインフォーマル経済と当局の関係について,Chen[2012]はインフォーマル経済にかんする政策や法律,規則といった公的規制環境が過剰規制,規制緩和,規制の欠如の3つに分類されると指摘した。これらに加え,近年,開発のための法的アプローチとして,ILOはフォーマル化を進めている。フォーマル化とは,インフォーマルに発展してきた既存の慣行に権利を与え,合法経済に吸収する手順のことを指す[Siegel and Veiga 2009]。一方,これは既存の社会関係資本の分断や対立を生み出したり,低廉なサービスの供給が困難になったりするなど,弊害をともないうることが指摘されている[Lince 2011]。また,ドイツにおける家事労働のフォーマル化について分析した篠崎[2020]によれば,フォーマル化により実収入が減少することを理由に,従事者があえてインフォーマルな状態のままでいることを選好するケースもある。

本稿で取り上げる「密輸」では,規制の欠如という条件下で当局に容認・促進されていたインフォーマルな経済活動に対し,モロッコとスペインの二国が徐々に規制を設けている。ここで設けられる規制は,運び屋の荷物の重量などを制限していわゆる労働環境の改善を図るという,「人道的観点」から行われたものであった。一方,これまでの研究で扱われてきた規制とは,インフォーマル経済の規模縮小や根絶を目指すものである。このような締め付けの側面をもつ規制については,国家がインフォーマル経済に対する規制を強化することは,しばしばそのような活動が生じる条件を生み出すことにつながるという矛盾が指摘されている[Portes and Haller 2005]。それでは,「人道的観点」から行われた規制は,どのような帰結を生むのであろうか。インフォーマルな活動をさらに生じさせることではなく,従事者の人道的環境の改善につながりうるのであろうか。これが,本稿のおもな問いである。

2.越境的なインフォーマル経済と規制

「密輸」は,運び屋とよばれる従事者が,国境を越えて商品を運ぶ営みである。運び屋にとっては,越境するということはなんら特別なことではなく,日常的なことであり,日々の生活の糧を稼ぐための手段となっている。メコン地域を対象とした工藤・石田[2010]によれば,国境地帯では国境周辺住民の越境を認めるため,パスポートなしでの自由な往来を可能にする国境通行証が発行されていたり,国境を隔てた市場で購入した商品に対する免税措置が取られていたりするケースがある。これを利用して,越境的かつインフォーマルな経済活動に従事する人びとも,国境地帯では少なくない。

このような日常的に越境する人びとの分析を,Morokvasic[2003]は移民研究と接合する。モロクワシチは,労働や貿易の目的で短期間の越境的な移動をする人びとを「シャトル移民」(shuttle migrants)と位置づけた。シャトル移民とは,対象国に移住・定住しようとする移民とは異なり,できるだけ長く移動できる状態に自身を置く「モビリティのなかでの定住」を目指すかたちである。移動する(できる)ことは常に,個人や家庭にとってリスク回避戦略であり,社会関係資本であると指摘される。

その一方で,移動にはもちろんリスクもある。Walker[1999]は,国家権力は越境的な人の移動を防ぐことよりも,それを規制することに関心をもつことが多いと指摘する。国家が恣意的に支配や管理の強さを変え,往来を規制することで,それまで自由に越境していた人びとが,突然不法侵入者や難民として扱われるようになったり,排斥されたりする危険にさらされる[越田 1994; 日下部 2015]。それでは,そもそも法の保護を受けられないインフォーマル経済の従事者が越境を日常的なものとするとき,国境を挟んだ二国の規制の影響をどのように経験するのであろうか。これが第2の問いである。

3.下層の女性たち

インフォーマル経済に対する規制の影響を考察するうえで,従事者の属性を看過することはできない。アフリカなど多くの地域では,従事者に占める女性の割合が高くなっている[ILO 2016]。これは,インフォーマル経済への参入に対する障壁が低いことから,教育資本や経済資本,社会関係資本の乏しい女性でも参入しやすいことが要因として挙げられる。特に,モロッコでは世帯主の女性の多くがインフォーマル経済に従事しているとされている[Skalli 2001]。このように,フォーマル経済にアクセスできず,しかし稼がなければならない世帯主の女性にとっては,インフォーマル経済がひとつの選択肢として存在している。

一方,数の面では多数である女性であっても,インフォーマル経済内部において優位性をもつとは限らない。インフォーマル経済では,高収入が得られうる有利な仕事は男性,家事使用人といった無償の家事労働の延長線上かつ低賃金の仕事は女性のものとされている[嶋田 1998]。また,Chen[2012]は,雇用主のような収入が高く貧困リスクが低い層を男性が占め,女性は収入が低く貧困リスクが高い層にとどまるという構造を指摘した(図1)。

図1 インフォーマル経済の階層

(出所)Chen[2012]をもとに筆者訳。

この図が示す階層は,新規参入の困難さ-容易さを表しているともとらえられる。上層にいけばいくほど資本や資源,技能が求められ,下層にいけばいくほどそれらが必要とされなくなるからである。また,内部移動の可能性についても言及しておきたい。このような階層においては,下降移動は容易に起こってしまう一方で,上昇移動には相応の資本や資源,技能などが求められる。ジェンダー構造で言い換えれば,上層の男性はあらゆる仕事ができる可能性がある一方で,下層の女性はその可能性が非常に限定されているといえる。

そのような構造があるなか,近年,不況や失業といった要因により,従来女性が多数を占めていた下層に,男性が参入しているケースがあり,本稿で取り上げる「密輸」でも同様である。この場合,既存の男性優位的なジェンダー構造が維持されたまま,女性は生存戦略として活用していた下層の職からも追いやられてしまうのであろうか。本稿では,第3の問いとしてジェンダー視点を取り入れ,下層への男性の参入が女性にどのような影響を及ぼすかについて考察する。

Ⅱ スペイン領セウタとモロッコ

1.調査方法

本節では,調査方法を述べたうえで,次項から調査地であり「密輸」が行われている場所であるスペイン領セウタとモロッコについて述べ,「密輸」が行われるようになった背景を探る。

調査は2019年8月から9月,2020年2月から3月の2回にわたり,計約1カ月半実施した。おもな調査地は,「密輸」が行われていたスペイン領セウタおよび,セウタに隣接するモロッコの地方都市フニデクで,国境付近のほか,卸売業者の倉庫が立ち並ぶエリアや小売業者が集まるスークでの参与観察を行った。また,「密輸」の従事者のうち,運び屋や卸売業者,小売業者など計14人に半構造化インタビューを実施し,家族の状況や「密輸」をはじめた理由,規制によって生じた生活の変化を基本的な質問とし,回答に応じてより詳しい内容についての聞き取りを行った。本稿で取り上げる運び屋は計7名で,表1のとおり。なお,表にある名前は,本人のファーストネームをもとに名付けている。

表1 調査対象者一覧

(出所)筆者作成。

調査対象者への接近は機縁法および路上での声掛けにより,言語は正則アラビア語とフランス語,スペイン語のうち,調査対象者ともっとも意思疎通が可能であったものをそれぞれ選択した(注4)

さらに,人権問題として「密輸」の問題に取り組むモロッコとスペインのNGO計3団体のリーダーないし担当者にもインタビューを行い,これまで「密輸」がいかに生じて発展してきたのか,またどのような問題が生じているのかについて聴取した。同様に現地の新聞やインターネットでの報道を中心とした文献調査も行い,当局の政策の把握に努めた。

2.調査地の概要:スペイン領セウタ

⑴ 歴史的背景

セウタはスペイン領として,アフリカ大陸に飛び地状に位置している。セウタがはじめて西洋列強の支配を受けたのは,大航海時代の1415年のことであった。ポルトガルのエンリケ王子はこの年のセウタ征服を皮切りに,モロッコの港町を攻略していく。これはレコンキスタの一環であり,さらには金の獲得が目的とされていた。その後,ポルトガルの弱体化にともない,スペインのフェリペ2世がポルトガル国王を兼任することになった際,セウタを含むポルトガル領がスペイン領となった。1580年のことである。

セウタはかねてより,地中海の要衝であり,交易の拠点として栄えてきた。その機能はスペイン領となってからさらに強化され,1863年にはセウタは自由港の地位を得て,その重要性が増していった。植民地時代に入ると,モロッコは1912年のフェス条約によってその大部分がフランスの保護領となり,マドリッド協定によってセウタとメリリャを含む北部地域,サハラを含む南部地域,イフニにかんしてはスペインの保護領となった。

モロッコは1956年にこの二国からの独立を果たし,主権を回復した。スペインもマドリッド協定の破棄に同意したものの,セウタとメリリャにかんしては同協定以前から領有していた地域であるとして,返還には応じなかった。モロッコ側もサハラについては返還要求を行っていたにもかかわらず,セウタとメリリャについてはそれほど熱心には行わなかった。西野[1968, 35-36]は当時の報道として,「モロッコ側はこの町から出て自国内を走る道路沿いに,新しいホテルを建ててきたし,外貨を必要としているのであるから,国境閉鎖は明らかに得策とはいえない」と記している。このように,セウタがスペイン領であり続けることは,モロッコにとって経済的な利点をもたらすものでもあった。

⑵ 例外状態

このような歴史的背景を要因として,セウタはさまざまな特例を有することとなった。ここでは,そのうち特に3つを取り上げる。1つ目は,セウタの隣接地域に住むモロッコ人住民に対する査証免除措置である。これはスペインが加盟するEUのシェンゲン協定の特例として定められている。通常であれば,モロッコ人がスペインに入国する際には査証の取得が必要であり,セウタに入国する場合も同様である。しかし,先に述べたように,セウタに隣接する地域であるフニデクを含むテトゥアン地域圏(Wilaya de Tétouan)の住民は,日帰りでのセウタへの入国に限り,パスポートを提示するだけで入国することができる。査証免除によってモロッコ側からセウタに越境する正確な人数は把握されていないものの,セウタの政府代表団の推計によれば,1日当たり2万から2万5000人,車での往来にかんしていえば1万5000台とされている[Fuentes-Lara 2018]。

2つ目は,国境に商業用税関が設置されていない点である。これはモロッコが,セウタと自国のあいだに国境が存在することを認めていないことを端的に表すものとしてとらえられる。Kadiri[2018, 31]はこれについて,「モロッコが(セウタに対する)スペインの領有権を認めていないため」と指摘している。

3つ目は,セウタにおける税制優遇措置である。生活に不便な飛び地を支える策として税制優遇措置が取られることはままあるが,スペインの飛び地領であるセウタについても同様の施策がなされている。本来,商品やサービスに対してスペイン本土で課されているのは4~21パーセントの付加価値税(Impuesto sobre el Valor Añadido: IVA)である。一方,セウタではこの税は適用されていない。その代わりとして0.5~10パーセントの税率の「生産とサービス,輸入にかんする税」(Impuesto sobre la Producción, los Servicios e la Importación: IPSI)が導入されている。EUは単一市場として機能するため,原則15パーセント以上の税率のIVAを共通税制として定めており, IVAではなくより税率の低いIPSIが適用されているセウタは,EUの欧州委員会には含まれていない。

以上をふまえると,モロッコは税関の不設置という政策を通して,セウタに対するスペインの主権を否定し,自国固有の領土としてアピールしていることがうかがえる。一方,税制優遇措置からわかるように,スペインは地理的な不利益を認めたうえで,より実態に合った政策を実施していることがわかる。この国境地帯では,二国の歴史的背景に端を発し,例外状態が生まれているものといえる。これは,本稿で取り上げる「密輸」を生み出した要因でもある。つまり,査証免除措置によってセウタに渡ったモロッコ人が,税制優遇措置によって安価な商品を手に入れ,商業用税関の不在によって関税を支払うことなくそれをモロッコに持ち込む,という営みが行われるようになったのである。

3.調査地の概要:モロッコ

⑴ 「外交カード」と飛び地領

これまで述べたように,セウタとメリリャというスペインの飛び地領は,モロッコにとってはスペインに「占領」された土地であるとみなされている。たとえばセウタは,モロッコでは公的文書も含めて「占領」前の地名であるSebtaという表記がされており,政府系メディアではしばしば,「占領された町セウタ」(la ville occupée de Sebta)とも表現される。

モロッコは一方で,飛び地領を利用してきた。すでに指摘したように,飛び地領は外交関係の火種であると同時に,隣接するフニデクやナドールという地方都市,ひいてはモロッコにとって,外貨や自国民の雇用機会を獲得するための手段でもあった。そのように,持ちつ持たれつの関係を築いているからか,普段はセウタとメリリャという飛び地領が領土問題として俎上に載せられることはほとんどない。

そんななか,モロッコは長らく,移民などの存在を「外交カード」化しているとの批判を受けている[中山 2018]。そしてその一端を担うのが,領土問題の係争地であり,移民など欧州との外交問題を引き起こす要因のひとつであり,しかしながらそれでもモロッコが経済的に依存せざるをえない状況にあるセウタとメリリャという飛び地領の存在である。このような外交カード化の背景として,モロッコ側が抱く不公平感を指摘する声もある[カースルズ・ミラー 2011; Lahlou 2018]。このような欧州とのアンビバレントな関係は,「密輸」にも影響していると考えられる。田所[2018, 98-99]は「モロッコ側からみれば,『一方でスペインのような隣国の警官や税関職員がモロッコに商品が流入するのを黙認しているのに,ヨーロッパ側がモロッコに密航や密輸の取り締まり強化を迫るのはモロッコ人には耐えられない』とする意識があっても当然であろう」と述べている。

⑵ モロッコにおけるシングルマザー

「密輸」において運び屋として働くのは,離婚や死別によりシングルマザーとなった35~60歳の女性が多い。モロッコでは2004年に家族法が改正され,それまでイスラーム法にもとづく旧法のもとでは男性からしか言い出すことのできなかった離婚を,女性から言うことが可能になった(注5)。法改正後には離婚件数が増加し,それにともなってシングルマザーの数も増加した。家父長制において自ら離婚を選べるようになったことは,女性にとってただ被抑圧者であるだけでなく,主体性の奪還につながるものともいえる。

一方,家父長制にもとづくジェンダー規範そのものが変わったわけではない。Houssam[2016]は,シングルマザーの女性にとって,仕事と家族の支援の有無は,離婚後の生活の困難さを和らげるための重要な要素であると指摘する。しかし,モロッコの特に地方では「女性は家事をし,教養を深める必要はない」という考え方が残っており,モロッコ高等計画委員会(統計局)[HCP 2018]によれば,2014年の非識字率は男性が22.2パーセント,女性は42.1パーセントであった。また,女性のなかでも都市部の識字率31.0パーセントに対し,農村部では60.1パーセントに上っていた。エンナジー[2012]は女性の労働市場への参入における障壁として,非識字に加え,教育・情報の不足,技術的・職業的訓練の欠如,利用可能な資源の乏しさ,ローン利用の困難さ,公的生活への参加の少なさ,政策領域・政策決定への参加の少なさあるいは欠如,不利な法的地位,女性組織や団体の能力不足といった要因を挙げている。「女性は家庭」という価値観は女性が人的資本を身に付けるのを妨げ,このような障壁を生み出しており,女性がフォーマルな労働市場から排除されることを招いている。同時に,女性の労働自体があくまで家計の補助のためとみなされているため,女性が自立して生活できるほどの収入が得られないこともある[エンナジー 2012]。

このような状況では,世帯主として稼ぐ必要がある女性であっても,本人の人的資本によって労働市場への参入が困難であったり,家計補助用の低賃金の仕事しか見つからなかったりする。そうして少なくないシングルマザーの女性が,「密輸」のようなインフォーマル経済や,イスラーム教でハラーム(禁止行為)とされるアルコールを扱うバー,売春といったスティグマ化された仕事に水路づけられている。

Ⅲ 容認された「密輸」

1.「生存的密輸」としてのはじまり

前節では,「密輸」が生まれることとなった背景を,スペイン領セウタとモロッコに分けて述べた。本節では,「密輸」がモロッコの周辺化された地方の生存戦略としてはじまり,国家をも巻き込んで発展していったことを示す。

「密輸」のもととなる交易がはじまったのは,スペインがEUの前身となる欧州共同体に加盟した1986年頃,あるいはシェンゲン協定に加盟した1991年頃のことだったといわれている。当時の様相は密輸行為というよりは,「シャトル貿易」(shuttle trade)としてとらえるほうが的確である。シャトル貿易とは,公式の貿易の周縁に存在する記録されない(あるいは記録が不十分な)商品の国際的取引の一形態と定義される[IMF 1998]。ある国で購入したものをスーツケースや荷物に詰め,関税が掛からないように他国に持ち込むというかたちであることから「スーツケース貿易」(suitcase trade)ともよばれており,特にソ連崩壊後の移行経済において発展した[Aydin et al. 2016]。

このようなシャトル貿易には,特例のもとに合法的に行われているものもあれば,商品を隠し持って国境を越えることで違法に行われているものもある。セウタとモロッコ間の「密輸」は,査証免除の対象となるフニデクの住民がセウタに赴き,セウタのスーパーマーケットなどで購入した商品をフニデクに持ち帰り,それを自身や知人の商店や露店で販売する,というように行われていた。それは,合法と違法のいずれからも外れるものであった。モロッコの国内法では,徒歩でモロッコに持ち込む際の荷物はその重量にかかわらず個人の手荷物とみなされる。ただし,これはあくまでフニデクの住民の生活上の便宜のためであり,商業輸入は想定されていない。しかしフニデクの住民は,「セウタで購入した“自分用のお土産”を持ち帰る」という建前で商品を運ぶことで,本来課せられる 20パーセントの関税を逃れながら,事実上の商業輸入を行っていた。セウタとモロッコの国境に商業用税関が存在しないことも,このような脱法的な運搬を促すこととなった。

当時のこの営みは,フニデクの住民が自身の生活の糧を得るためであるとして,違法行為とされる麻薬などの密輸とは区別され「生存的密輸」(tahrīb ma‘yishī)とよばれていた。つまり,関税を支払わずに商業輸入を行っているという点では合法的といえないものの,しかし同時に建前を使うことで,法の穴を突きながら隠しもせずに堂々と行っていたのである。それが販売目的であることは一目瞭然であったが,モロッコ当局も容認の姿勢を貫いていた。

なぜフニデクの国境地帯で「生存的密輸」が行われるようになったのであろうか。フニデクのあるリーフ地方には,モロッコにおける民族的マイノリティであるベルベル人が居住している。前国王のハサン2世が1980年代に「未開人で窃盗団」(savages and thieves)[Soto Bermant 2015]と言及するなど,ベルベル人はモロッコにおいて周辺化された存在であった。ハサン2世は国民の貧困や開発,人権問題には無関心であるとされており,産業のない北部地域では,社会的秩序のために密輸や移民,大麻が事実上許可されていた(注6)。開発の遅れた北部地域で「生存的密輸」が発展したことは,民族的マイノリティであるベルベル人にとっての生存戦略であったと考えられる。

地中海の要衝として栄えたセウタには,諸外国からの商品が多く集まっていた。当時は「生存的密輸」によって食料品や衣料品といったものから,電化製品やトルコ製のプレタポルテ,アルコール飲料といった比較的高価なものまで,多様な商品がモロッコに運び込まれていたという。それは「生存的密輸」に従事する人びとだけでなく,周辺に住む人びとの生活をもうるおすものであった。

2.組織化と運び屋の誕生

地域住民によって営まれていた「生存的密輸」は,次第にその様相を変えていく。いつからかははっきりしないものの,次第にパトロン(patron)とよばれる業者が参入するようになったのである。パトロンについては,筆者の調査では詳細は判明しなかったものの,いわゆる元締めのような存在であり,富裕層のモロッコ人あるいは外国人で,麻薬などの密輸ネットワークをもっているともいわれている(注7)。パトロンはセウタからモロッコ側へ商品を運ぶ運び屋を雇うことで,セウタの卸売業者で販売されている商品をモロッコ国内各地に分配していた。運び屋は,パトロンに運搬という労働力を提供する代わりに報酬を得ていた。

メリリャとナドールの国境地帯で行われている「密輸」に焦点を当てたソト・ベルマントは,パトロンが「密輸」に参入するようになった背景として,移民に主眼を置いた国境管理の厳格化の影響を挙げている。国境のフェンスの建設にともない,国境地帯までの公共バスが廃止されたり,かつて複数あった周辺住民のための通路が閉鎖されたりしたことで,経済資源や公的な書類などが必要になったことが,参入の背景であるという[Soto Bermant 2015]。ソト・ベルマントの指摘はメリリャにかんするものではあるものの,同様に国境管理が厳格化されているセウタにも当てはまるものであると考えられる。

「パトロンから預かったお金で,(「密輸」する)商品の代金を支払っています。自分だけでやれば1000ディルハム稼げるところでも,パトロンを介すと抜かれて500ディルハムしか取り分がありません。でも,1人でやると商品代から全部自分で工面しなければならないから,それはちょっとハードルが高いんです」

(ムハンマド,50代男性,運び屋兼露天商,2020年2月20日)

運び屋のムハンマドは,パトロンが「密輸」によって得られる利益の一部を得ていると語る。一方これは,彼が語るように,元手が不要となる点において,初期投資をすることの難しい貧困層の人びとにとってパトロンのもとで働くことのメリットにもなっていた。

このようなパトロンの参入により,「密輸」はこの国境地帯の一大産業ともいえるほどその規模を拡大していった。その象徴ともいえるのが,1990年代からセウタのエル・プリンシペ地区(注8)に建設された「ポリゴノ」(Polígono)とよばれる倉庫街である。ポリゴノには,セウタやフニデクの小規模業者から,カサブランカやタンジェ,マドリード,バルセロナ,ブリュッセル,上海の大規模業者までさまざまな国・地域の卸売業者が並び,食料品や衣料品,酒,電化製品,雑貨などを販売していた。最盛期には,店舗の数は800ほどであったといわれている。ポリゴノは国境からほど近く,多くの「密輸」品の仕入れ先となっていた。

運び屋は,査証免除を利用して朝一番にフニデクからセウタに渡り,ポリゴノに赴く。そしてそこで,「密輸」するための商品を手に入れる。卸売業者の店舗では,商品が50~100キロほどの重さにまとめられ,すぐ担げる状態に準備されている。運び屋は商品を担ぎ,手にも持てるだけ持つと,再び国境を渡ってモロッコ側に戻る。そしてそこで待ち受けている男性に商品を受け渡し,運んだ商品の価値と量に応じて報酬を得る。待ち時間を含めればこの一連の流れだけでも1~3時間かかるが,それを時間の許す限り繰り返すのである。

ムハンマドは,かつて数往復して商品を運ぶことで,1日あたり2000ディルハムの収入が得られたという。運べば運ぶほど,高収入が得られる。そのためモロッコでは,「フニデクに行けば(「密輸」で)金が稼げる」という言説が広まり,1994年から2014年までの20年間で,フニデクの人口は111.6パーセントになり,フニデクと隣接するテトゥアンの人口も37.5パーセント増加した[Fuentes-Lara 2018]。

3.運び屋とは誰か

それでは,どのような人びとが運び屋として働いているのであろうか。APDHA[2016]は,運び屋は35歳から60歳の貧困層の女性が中心で,その多くが離婚や死別により配偶者を失っていると指摘する。もしくは,配偶者が失業していて働くことができなかったり,病気の家族の治療費を払っていたりする場合もある。運び屋の女性たちは,世帯主あるいは主たる家計の担い手としての役割を担い,生活費や子どもの学費,治療費などの費用を稼ぐことが求められている。なぜ運び屋の仕事をはじめたのであろうか。運び屋に対するインタビューで頻繁に聞かれたのが,「これしかなかった」という言葉である。

「夫とは離婚して,今は4人の子どもたちと暮らしています。運び屋の仕事をはじめたのは……フニデクではこれしかなかったのです。特に離婚してからは,1人で子どもたちを養える仕事はほかにありません」

(ファーティマ,40代女性,運び屋,2020年2月23日)

「もともとメクネスで暮らしていましたが,離婚して仕事を探すためにフニデクに来ました。メクネスでは仕事がなかったからです。運び屋をはじめたのは5年前。これしかありませんでした」

(ザキーヤ,40代女性,運び屋,2020年2月23日)

彼女たちに共通するのは,十分な教育を受けておらず,モロッコで広く用いられているフランス語も解さない点であった。たとえばファーティマは,小学校を中退し,10代に満たない年齢のときからフェズの絨毯工場で働いていたという。

運び屋の仕事は,商品を運び,受け渡すという単純なものである。必要とされるのは,査証免除の対象であることのみで,特別な人的資本は求められない。それでいて家政婦や掃除婦といった仕事よりは高い収入が得られるし,同じ高い収入が得られる売春婦になるよりは社会的にも許容されている。そうして,選択肢の限られた女性たち,特にシングルマザーが多く従事するようになっていた。

4.なぜ容認されているのか

この国境地帯では,麻薬や向精神薬の密輸の摘発が絶えない。特にモロッコは大麻の一大生産地であり,スペインの飛び地領はモロッコから欧州に大麻が流れ込む拠点として管理が強化されている。一方,運び屋が食料品や日用品を運ぶ「密輸」は関税を逃れているにもかかわらず,違法な密輸とは区別されている。そのうえで,この営みに対するモロッコとセウタのスタンスは少々異なる。

モロッコの関税・間接税事務局のナビル・ラフダル(Nabil Lakhdar)事務局長は「密輸」について,スペイン紙のインタビューに「何十年ものあいだ,私たちの側にはある種の寛容さ,そして怠惰さえありました」と語っている[El Mouden 2020]。

モロッコはこれまで,「密輸」が国家にとって有害であることを強調し,スペインに対して繰り返し抗議をしてきたという[Zurlo 2005]。モロッコにおける付加価値税と関税がそれぞれ20パーセントであることを考慮すると,最大10パーセントの税制(IPSI)が適用されているセウタから「密輸」される商品は,正規輸入品と比較して安価であり,モロッコに5億5000万から7億ユーロの損失を与えていた(注9)

「密輸」はさらに,人道的問題をも生じさせている。運び屋がセウタに渡ったり,荷物を背負ってモロッコに戻ったりする際には,特にモロッコ当局による暴力が横行していた。第Ⅰ節でみたとおり,公的な規制が存在しないインフォーマル経済では,現場レベルで恣意的な対応がとられていることは,先行研究でも指摘されている。ここでも,公的な規制がないことが現場の裁量を高め,暴力を助長していると考えられる。このような暴力の存在により,運び屋の女性が家庭で子どもにも暴力を振るったり,それによってその子どもの過激化につながったりするケースもある(注10)

そのような悪影響がある一方,「密輸」が直接的には4万5000人,間接的には40万人の雇用を生み出しているとされてきた。そのためモロッコは,ほかのインフォーマル経済と同様,雇用機会の創出・維持と天秤にかけたうえで,目をつむったり賄賂を要求したりしながら「密輸」を容認してきた。それが,ラフダルが言及した「寛容さ」であり,グレーゾーンに生きる人びとに対して代替案を検討しない「怠惰」であるといえる。そうして発展していった「密輸」は,モロッコ経済全体にとっても大きな役割を果たしてきたとされる[Ferrer-Gallardo and Planet-Contreras 2012]。

一方のセウタ,ひいてはスペインにとっては,「密輸」は密輸行為ではない。モロッコ人がセウタで合法的に合法な商品を購入し,それを自国に持ち帰って販売しているだけなのである。そのため,スペインはこの「密輸」を「非典型貿易」(comercio atípico)とよんでいる。正規の貿易とは異なるというニュアンスがありながらも,違法性を含まない語である。インフォーマル経済という性質上,その経済効果を正確に把握することは困難であるものの,計量経済学を用いた推計では,セウタの輸入の46パーセントがモロッコへと輸出され,その額は4億ユーロ超になると試算された[Fuentes-Lara 2016]。また,セウタ市内のスーパーマーケットに目を向けても,人口9万人にも満たないセウタにある店舗が,人口500万人超のバルセロナを抑え,スペイン全土でもっとも高い売上を実現しているともいわれている。このことから,「密輸」がセウタの経済に重要な役割を果たしていることがうかがえる。

「密輸」の弊害としてセウタが経験することは,イメージの悪化であった[APDHA 2016]。セウタはスペイン本土のアルヘシラスとフェリーで結ばれており,欧州にとってのアフリカの玄関口である。しかしながら,一般のスペイン人やモロッコ人だけでなく,観光客が利用するセウタとモロッコの国境検問所周辺は,背中に担いだり,転がしたりしながら大きな荷物を運ぶ運び屋たちであふれていた。制御しようとするモロッコ当局が運び屋に暴力をふるう光景も日常茶飯事である。特に,高齢の女性が腰を曲げ,大きな荷物を背負って運ぶ様子は,人権を重視する西欧的価値観をもつスペインにとっては非人道的なものであり,野蛮さそのものであった。そのためセウタは,運び屋の人権を守りながら,一大産業である「非典型貿易」を継続させることを目指していた。このように,モロッコは社会的秩序の安定のため,スペインはセウタの経済発展のためという異なる立場から,「密輸」は容認・推進されてきた。両国はそれぞれの立場にもとづき,自国の領土内で独自の対応を行っていた。

Ⅳ 当局の介入と規制強化

1.管理するスペイン

前節では,「密輸」がどのように生まれ,発展してきたかを概観した。「密輸」は脱法行為でありながらも,モロッコ側からは社会的秩序の安定と天秤にかけられ,そしてスペイン側からはセウタの利益のために容認されてきた。しかしながら,2000年代に入ってから運び屋の死亡事故が相次いだことで,そのような容認一辺倒の姿勢から転換を迫られ,おもにスペイン側による人道的観点からの規制がなされるようになった。本節では,そのような規制が従事者に及ぼした影響を考察していく。

運び屋の死亡事故が初めて明らかになったのは,2008年のことであった。同様の「密輸」が行われていたメリリャで商品を運んでいた当時41歳のサフィア・アジジ(Safia Azizi)が,通路で転倒した。当時,その場には300~400人の運び屋が集まり,人を押しのけて進もうとしていた。彼女は転倒したまま,群衆に踏みつけられた。彼女のほかにも,少なくとも7人が押しつぶされ,全員がメリリャに搬送されたが,アジジは胸部圧迫による肺出血により死亡が確認された。また,2009年には,セウタのポリゴノでの衝突により,2人の運び屋の女性が命を落とした。彼女たちの死因は,荷物の下敷きになったことによる窒息死であった。APDHA[2016]は,それらの死亡事故が記録された理由がスペインの領土で起こったものであるからだと指摘したうえで,運び屋へのインタビューから,実際にはそれよりも多くの死亡事故が起きていることを明らかにしている。

このような死亡事故を受け,スペインの市民社会は声を上げはじめた。スペインの人権団体「アンダルシアの人権アソシエーション」(Asociación Pro Derechos Humanos de Andalucía: APDHA)は,運び屋の問題を可視化したNGOである。APDHAは,死亡事故を機に2012年にモロッコ・テトゥアンで「人権デー」を開催し,運び屋の問題を俎上に載せた。そしてその結果を,「セウタとメリリャの国境における商品の運び屋にかんするテトゥアン宣言」(以下,テトゥアン宣言)にまとめた。モロッコとスペインの25以上のNGOやアソシエーションが署名したこの宣言では,運び屋の女性への人権侵害が行われていることを指摘したうえで,以下のような政策提言がなされた。

① 悲劇的な状況やハラスメント,危険をなくすために,人と荷物の往来に適していない通路の構造を変えること

② 商品の運搬にかんし,道具の利用を許可する可能性について検討すること

③ 暴力,暴行,虐待,賄賂,搾取,理由なき押収などといった法の規則と矛盾する警察の暴力を終わらせるために,両国の当局が行動を起こすこと

④ 何千人という女性が代替手段を見つけ,国境での商品の運搬という残酷で非人道的な仕事から離れられるよう,これらすべての地域の人びとと雇用の持続的な発展を目指すこと[APDHA 2012

この宣言をふまえて2016年に発表されたのが,本稿でもたびたび引用している報告書「モロッコとセウタ間の国境を越えて商品を運搬するモロッコ人女性たちの尊重と尊厳」[APDHA 2016]である。この報告書はスペイン語のほか,要約版が英語,フランス語,アラビア語,ドイツ語,イタリア語に翻訳されている。APDHAはスペインの議会や欧州議会に報告書を提出するなどして啓発活動に努めた。

このとき行われた政策提言は,実際のところ,ほぼそのまま採用されたといってもよい。セウタは2016年4月,テトゥアン宣言の①にかんし,「タラハル・ドス」(Tarajal II)とよばれる通路の整備に着手した。これは「密輸」専用通路ともいえるもので,モロッコ側とポリゴノを結んでいる。男女で通路が分かれており,運び屋を一列に並ばせるための柵も設置されている。このようなインフラ整備について,東南アジアの国境地帯を研究したWalker[1999]は,特定のルートに沿って貿易の流れを誘導し,州や国の政府が税金や通行料,商業的利益を得るための試みであると指摘している。実際,タラハル・ドスの通行には,2ユーロの通行チケットを購入する必要があった。

その後,スペインはこのタラハル・ドスの運用規則として,人道的観点からの規制を行った。通路が開通した2017年2月には,タラハル・ドスの通行が1人あたり1日1回,1日の通行可能人数が4000人に制限された。しかし当時は,1日に延べ3万人以上が通路を利用しようとしていた。もし出遅れてその日の4000人に入れなければ,稼ぎが得られなくなる。そのためこの人数制限は早い者勝ちの競争を生み出し,2017年3~8月に4人の女性が通路などで命を落とした。死亡者が女性に偏っていたことから,モロッコ側は通行可能な曜日を性別で分けることをセウタに提案した。その結果,月曜と水曜は女性,火曜と木曜は男性が利用できる曜日と定められた。体格差を考慮することで,衝突や死亡事故を減らすことを目指していたとみられる。メディアではこのほか,荷物の重量や大きさの制限が行われていたと報じられている(注11)。一方,運び屋のインタビューでは,制限を越えて運搬していた人も多く,規制が形骸化していた実情も浮かび上がる。

2018年4月には,スペインはさらに踏み込み,運び屋が背中に荷物を担いで運ぶことを禁止し,代わりにキャスター付きのカートを利用することを定めた。これは,先述のテトゥアン宣言の②に当てはまるものである。それまで運び屋は日常的に数十キロもの荷物を担いでいたため,身体的負担や押しつぶされることによる死亡事故を減らす目的があった。運び屋の仕事で腰痛になったというムハンマドは,次のように振り返る。

「背中に担いでいたときは腰を痛めてしまい,国境に行ったり行かなかったり。毎日なんて到底できませんでした。でも,カートを使うようになって,だいぶ楽になりました」

(ムハンマド,50代男性,運び屋兼露天商,2019年8月30日)

運び屋は,商品を載せたカートを押しながら,整然と一列に並んで商品を運ぶようになった。ポリゴノは民間の敷地に建設されているため,敷地内では民間の警備会社が通行チケットを販売・確認し,運び屋の通行を管理していた。また,国境付近ではスペインの治安警備隊であるグアルディア・シビルも警備を担っているほか,タラハル・ドスが閉まる午後1時ごろになると,決まってスペインの国家警察のミニバンがポリゴノ近くに現れ,2~3人の警察官が運び屋の様子を眺めていた。これは,規制により,「密輸」がスペイン当局や民間の警備会社の管理のもと行われるようになったことを示している。

このような状況をみれば,スペイン側の規制はフォーマル化に似たプロセスとしてとらえることができる。これまで論じてきたとおり,「密輸」が脱法的としてとらえられるのはあくまでモロッコ側の問題であるため,一連の規制をフォーマル化ということはできない。しかし,スペイン側の規制は運び屋を労働者のように扱うことで,セウタにおける従事者の労働環境を改善させることを目指していた。それは,フォーマル化のアプローチを援用したものであると考えられる。

「密輸」のための専用通路を設けて通行可能な人数,曜日を設定し,当局がそれらを管理することは,インフォーマルな状態で行われていた「密輸」に,事実上の許可を与えたものといえる。一方,これらの規制はあくまで運用規則としてのものであり,運び屋は身体的負担の軽減などを経験することはできたものの,日雇いとしての不安定さや,法的保護の不在というインフォーマル経済の従事者としての脆弱性が改善されることはなかった。

2.「重ね着密輸」の本格化

このような規制は,運び屋の身体的負担を一定程度軽減した一方で,収入を減らすことにつながった。たとえば,専用通路の通行が男女で分けられたことで,それまで週4日往来できていたのが,週2日に減った。運んだ商品の価値と量に応じて報酬を得ていた運び屋は,それだけを考慮して単純計算しても,収入が半減したことになる。また,カートの利用が義務付けられたことで,カートを購入する,あるいは借りるために費用が必要になった。カートは中古でも350ディルハムほどであるが,その初期投資ができない運び屋は,「密輸」をするたびに5~20ディルハムを支払い,カートをレンタルしていた(注12)

もともと貧困ゆえに運び屋をしていた人びとにとって,このような収入減,そして費用の発生は,生活の困窮に直結するものであった。運び屋は生活のため,失った収入を少しでも取り戻す必要があった。そのための動きを,トゥーリアの語りから考察したい。

トゥーリアとは,ポリゴノで出会った。その日は女性は専用通路が通れない火曜日であったが,彼女はそれでも一般の国境検問所を通ってセウタに入り,ポリゴノを訪れていた。

「専用通路を通れないときは,服の下に隠して運んでいます。だって,週2回の女性が通れる日に運ぶだけだと,全然稼げないから……。そういうときは,正規通路でセウタに来て,ここ(卸売業者)で商品を手に入れて。それでみんなで服の下に隠してモロッコに運んでいます。結局,セウタには毎日来ています」

(トゥーリア,40代女性,運び屋,2019年9月3日)

トゥーリアは,4人ほどの仲間と行動していた。筆者が話しかけたときは,仲間が卸売業者に商品を取りに行っているのを,自身の運ぶ商品が詰められたビニールのパックをクッション代わりにして座って待っているところであった。パックには,たたまれてそれぞれ個包装された新品の洋服が10着ほど入っていた。ここから商品を取り出し,服の下に隠して運ぶという。このように運んで得られるのは,40ユーロほどであるという。

運び屋として働くモロッコ人のうち,特に女性のほとんどは,ジュラバとよばれるモロッコの民族衣装を着ている。地方では日常的に着られるものであり,ストンとしたワンピースのような形状で,裾は足首まである。ポリゴノや国境付近では,このジュラバを胸元までたくしあげ,商品のズボンや下着を重ね着したり,個包装された洋服をビニールテープで身体に貼り付けたりしている様子がみられた。ジュラバを元通りにすれば,着膨れこそするものの,商品が見えなくなるのである。

人道的観点から行われた規制は,このような別のかたちの「密輸」を活発化させることになった。それが,このように服の下に隠して運ぶもので,ここでは「重ね着密輸」と表す。「重ね着密輸」は,規制以前にも物陰で目立たないように行われてきたが,規制によって専用通路の往来の機会が減ったことを機に,国境付近の広場に衣類の入った段ボールが何個も置かれ,数十人規模で「重ね着」するようになるほど活発化した。

このような「重ね着密輸」は,これまで容認・管理されて行われてきた「密輸」の規制をすり抜けるという意味で,より周辺的な行為である。専用通路を利用していたときよりも,当局から恣意的な暴力や商品の没収を受けるリスクも高まる。筆者は「重ね着密輸」をしていた運び屋が,モロッコ当局に棍棒で殴られたり,ナイフを突きつけられたりしている場面に出くわした。また,一般の国境検問所のある正規通路には,大量の洋服が山のように積み重ねられていた。これは,モロッコ当局に没収されたものであると考えられる。運び屋が運ぶ商品が没収された場合,運び屋自身の報酬が減ったり,補填する必要が生じたりするという。

この事例から読み取れるのは,インフォーマル経済に規制を行った場合,それが人道的観点からのものであっても,従事者の収入を減らし,従事者がその補填のためにより周辺的な営みに従事せざるをえなくなったという事実である。これは,人道的観点からの規制が,逆に従事者を再周辺化したものであるといえる。

インフォーマル経済に対する規制が行われる場合,通常規制の主体となるのは,そのインフォーマル経済が行われている国家であろう。一方,「密輸」では,モロッコ人が行う越境的なインフォーマル経済に対して,モロッコではなくおもにスペインが規制主体となっていた。そのため,モロッコ側でインフォーマル経済が営まれている背景や課題が解決されないまま規制が行われたことで,規制の目的である人道的配慮が表面的なものにとどまってしまったと考えられる。

また,これは先進国と途上国という構図に当てはめることもできる。経済規模や価値観が異なる先進国と途上国で行われているインフォーマル経済に対し,先進国側が“先進的な”価値観にもとづいて規制を行った結果,途上国側は先進国側の介入に対応せざるをえなくなる。しかし,それが途上国側の従事者の再周辺化を招くというひずみが生じていたといえる。

Ⅴ 招かれた再周辺化

1.「密輸」根絶を目指すモロッコ

これまで,セウタとモロッコ間の「密輸」がどのように行われ,変遷してきたかについて明らかにした。いったん,ここまでの流れを振り返っておきたい。シャトル貿易としてはじまった「密輸」は,パトロンの参入を経てその規模を拡大し,従事者としての運び屋が生まれた。運び屋には,貧困層の女性が多く従事しており,インフォーマル性を背景に当局からの暴力や暴行といった恣意的な対応にさらされていた。一方,運び屋の死亡事故や衝突が相次いだことを機に,おもにスペイン当局によって人道的観点からの規制が行われるようになった。重い荷物を背中に担ぐことを禁止するなど,運び屋の労働環境の改善に一定程度寄与したものの,それは同時に運び屋の収入を減らすことにもつながっていた。

そんななか,モロッコは2019年10月,「密輸」専用通路として使われてきたタラハル・ドスを閉鎖し,それまで長年容認してきた「密輸」の根絶を目指すと発表した。本節では,この方向転換がなぜ行われ,「密輸」や「重ね着密輸」をしてきた運び屋にどのように受け止められたのかについて述べる。

モロッコによる「密輸」の根絶の発表は,スペイン側との事前協議なしに行われた。このような一方的な決定の背景には,第Ⅱ節第3項⑴で述べた移民の「外交カード」化が影響しているとみられる。モロッコ側では「スペインはモロッコになにも言えません。欧州の安定はモロッコが握っています。なにかあれば,移民がセウタに流入しますから」(注13),スペイン側でもEUがモロッコに対して移民にかんする国境管理を外部化していることを念頭に,「これ(モロッコの一方的な決定)はモロッコによる移民政策の『副作用』です」と指摘する声があった(注14)

根絶の背景には,モロッコの衆議院議員十数名からなる調査団が2018年7月から10月にかけて行った現地調査により,「密輸」の実態が明らかにされたことがある。この現地調査は,当時相次いでいた死亡事故を受けてのものであった。「密輸」の悪影響については,セウタからの商品の流入が国内市場を損ねるといった問題が以前から指摘されていたが,2019年12月に発表された調査団の報告書(一般には非公開)によると,メリリャを含むスペイン領からモロッコに流入する商品は,10億ディルハム規模に上っていたという[A.E.H. 2020]。

また,同報告書は,「女性の状況を改善するためのすべての試みが,密輸業者(パトロン)によって搾取されていた」ことも明らかにした。たとえば,身体的負担の軽減を目的にカートの利用を義務付けたことで,運び屋の運搬量が平均50キロ増加したという。しかし,筆者のインタビューでは,背中に担いでいたときと収入が変わらなかったか減ったと答える運び屋ばかりであった。運搬量の増加が運び屋の収入増につながらなかったという例は,身体的負担が軽減された代わりに,パトロンの運び屋に対する経済的搾取が強まったともいえる。

モロッコは,「密輸」停止後の従事者への代替手段として,既存の枠組みである「人間開発にかかる国家イニシアティブ」を活用し,国境周辺に企業誘致をすることで雇用機会を創出するとしている。フリー・ゾーンを建設して保税倉庫やレストラン,駐車場などが建設される予定であり,9000人規模の雇用が生まれるといわれている。

2.運び屋の生存戦略

専用通路の閉鎖により,運び屋はそれまで行っていた「密輸」ができなくなった。多くは生まれ故郷に帰ったといい,バスターミナル近くに立ち並んでいた真新しいアパルトマンは,ほとんどが空室と化したという。町のなかにも,外壁にスプレーで「売家」と書かれた建物が増えていた。そのように生まれ故郷に帰った運び屋がどのようにこの事態に対処したのかについては,インタビューを実施することはできなかった。一方,フニデクで暮らし続けていた運び屋は,生活の糧を探さなければならなかった。筆者のインタビューでは,⑴より周辺的なかたちの「密輸」を継続する人びと,⑵別のインフォーマルな経済活動に従事する人びと,⑶収入が途絶えた人びとに分かれていた。これらをひとつずつみていきたい。

⑴ より周辺的なかたちの「密輸」を継続する人びと

モロッコによる専用通路の閉鎖は,「重ね着密輸」までを根絶することはできなかった。スペインによる規制以降,「重ね着密輸」をしていたトゥーリアは,専用通路の閉鎖以降も一般の国境検問所を通ってセウタに入国し続けていた。

「前はたくさん運んでいましたが,今は少しだけ。毎日のように国境に行くこともできなくなって,もう全然稼げなくなりました。タンジェででも,ホテルかレストラン,それか裁縫の仕事を探しています」

(トゥーリア,40代女性,運び屋,2020年2月16日)

トゥーリアは,「重ね着密輸」をすることで当面の食い扶持を稼いでいたが,それでは離れて暮らす娘のための送金には十分といえなかった。そこで,自身が幼少期を過ごしたタンジェでの仕事を探しはじめていた。彼女が例に挙げたホテルやレストラン,裁縫の仕事というのは,ジェンダー化された低賃金の仕事である。「重ね着密輸」が,もはやそれよりも稼ぎが得られない仕事と化していたことがわかる。

このように,多くの運び屋は「重ね着密輸」を細々と継続していた。特に午前中は,モロッコ側からセウタへの入国を待つモロッコ人の列は1キロ以上にもなり,国境の入り口付近の広場を越えて,幹線道路にまで伸びていた。

また,別の運び屋のサイードは,正規通路を通る際,モロッコ当局に賄賂を渡しながら「密輸」を行っていた。サイードは男性で,徒歩ではなく車でセウタに渡り,セウタで購入した毛布をトランクに積み込み,モロッコ側に持ち帰るという。普段は,露店で妻と一緒に自身が「密輸」した毛布を1枚300ディルハムで販売していた。

正規通路の検問所では,両国の当局が1台1台の車を入念にチェックしているため,常に大渋滞が起きている。モロッコからセウタに行く場合はトランクに非正規移民が隠れていることもあるし,セウタからモロッコに行く場合でも麻薬や向精神薬などがあれば検挙の対象となるからである。車に毛布を隠していても通行できるのかとたずねると,彼は売り物の毛布を手元に引き寄せ,ポケットから紙幣を取り出して隙間に挟んだ。

「たいていこうやって,仕込んでおくんですよ。まあ,直接手渡すこともあるけど。警察が車内をチェックしたとき,あれ,毛布だ,ダメなものを運んでいる,となるでしょう。でも毛布を調べたら,警察はそこに紙幣が挟まっているのを見つける。それを抜き取らせて…… そしたらほら,行っていいぞ,となるんです」

(サイード,50代男性,運び屋兼露天商,2020年2月22日)

サイードがそうやって警察に抜き取らせる賄賂の額は,1回あたり20~25ユーロ相当であるという。モロッコの物価感覚からすると安いものではないものの,それが毛布1枚相当分であることを考えると,高すぎるというほどでもないのであろう。

先行研究では,インフォーマル経済に対する規制強化は,それこそがより周辺的な経済活動を生み出すと指摘されていた[Portes and Haller 2005]。「重ね着密輸」を継続する人や,賄賂を支払いながら「密輸」を行う人も,この指摘のとおり,規制をすり抜け,より周辺的な営みに追いやられていたものといえる。

⑵ 別のインフォーマルな経済活動に従事する人びと

運び屋兼露天商のムハンマドは,「重ね着密輸」を続けていたトゥーリアと異なり,完全にセウタに入ることができなくなった。理由はわからないが,入国しようとしてもモロッコ当局に追い返されるという。もともと国境に行かない日には露天商を営み,セウタから「密輸」された洋服や靴などを販売していたが,その売上も安価な中国製品の流入により,徐々に減っていた。代わりにはじめたのが,菓子売りである。妹が作ったモロッコ菓子をバケツに入れ,それを国境のモロッコ側で売り歩くようになった。単価は1ディルハムで,ターゲットは国境付近で休憩していたり,乗り合いタクシーの人数が集まるのを待ったりしているセウタ帰りの運び屋たちである。

「かつては,何往復もして,1日に2000ディルハム稼いでいたこともあります。専用通路ができてからは,400~500ディルハムほど。そして今は,菓子を売っても1日20ディルハムぐらいにしかなりません。それでも,ないよりはましだから……。もう,3カ月も家賃を払っていません」

(ムハンマド,50代男性,運び屋兼露天商,2020年2月20日)

インフォーマル経済の特徴のひとつとして,参入障壁の低さが挙げられている[Portes and Haller 2005]。また,小川[2016]はタンザニア北西部ムワンザでのフィールドワークから,「一つの仕事で失敗しても,何かで食いつなぐ」という個人単位の生計多様化が起こっていることを指摘した。これは,ムハンマドの姿に重なる。ムハンマドが菓子売りのために費やしたのは,小麦粉や砂糖といった菓子の材料と,持ち運ぶためのバケツくらいであり,販売のための許可を得る必要もなくすぐはじめられる。こうして,小川のいうように,「密輸」ができなくなっても,新しい仕事で食いつなごうとしたのである。

⑶ 収入が途絶えた人びと

運び屋のなかには,「密輸」ができなくなったことで収入が途絶えた人びともみられた。そのような人びとは,自身の財産を切り売りすることで食いつないでいた。

「パンを買うために,7歳の子どものジャケットを売りました。子どもに泣かれて…… それがつらかったです。光熱費が払えないと,電気がすぐに止められてしまうので,光熱費を払うために冷蔵庫を売ってしまいました」

(ファーティマ,40代女性,運び屋,2020年2月23日)

ファーティマの語りからは,電気や水道といったインフラを維持するだけでなく,その日のパンを買うためにも所持品を切り売りしなければならないほど困窮した生活ぶりがうかがえる。彼女は夫と離婚し,4人の子どもたちを育てるシングルマザーである。かつては運び屋をして稼いだ金で小さな家を購入していたが,自身のがんの治療費のためにすでに売り払い,賃貸物件で暮らしていた。専用通路の閉鎖以降,すでに5カ月間家賃を滞納しており,大家から立ち退きを迫られているという。彼女は次のように続ける。

「フェズに住む母に野菜を送ってもらい,やっと食べています。それでも子どもにお菓子を買ってあげられないから,同級生の友達と違うと言って,子どもは学校に行きたくないと言うようにもなりました」

(ファーティマ,40代女性,運び屋,2020年2月23日)

このような困窮した状況そのものが,「商品化」されているのではないかと思われるケースもあった。生活の糧を失った人びとへのインタビューを行っていくなかで,筆者はセウタ在住の案内人の男性と知り合った。その男性は,外国メディアに対して運び屋の女性を紹介し,通訳を担うことで報酬を得ていた。男性は自身への仲介料を150ユーロと設定し,自身が紹介する運び屋の女性への謝礼については次のように語った。

「運び屋の女性への謝礼は,100ユーロです。女性は離婚していて4人の子どもたちがいて,仕事もなく,食べるための手段がなにもありません。それに,現状について本当のことを話すことはモロッコ当局と問題になることもあり,大きなリスクなのです」

(匿名,50代男性,案内人,2020年3月11日,whatsappにて)

ここで提示された100ユーロという金額は,フニデクでは1カ月分の家賃に相当しうる額であり,「謝礼」の域を超えているといわざるをえない。自身の財産を切り売りしていた女性に対し,彼女は自身の経験を切り売りしていたといえるのではないだろうか。

この女性を取り上げた外国メディアでは,彼女のエピソードが,「密輸」の問題の深刻さを伝えるための,ルポルタージュの核として位置づけられていた。彼女にとって,自らの経験を語ることが,新たな生存戦略となっていたことがうかがえる(注15)

本節では,専用通路の閉鎖に運び屋がどのように対応したのかについて,3つに分けてみてきた。いずれにしても,運び屋として働いていた人びとが再周辺化され,より困窮したことには変わりがない。閉鎖後の運び屋の語りでは,それまで彼らに「密輸」の報酬を支払っていたパトロンに言及されることはなかった。運び屋はパトロンを頂点とするネットワークに属していたとみることもできるが,それが危機的状況におけるセーフティーネットとして機能することも,通常のパトロン・クライアント関係にみられるようなパトロンからの庇護を受けた例も管見の限りなかった。ここに,インフォーマル経済の脆弱性をみることができる。また,ほかの仕事が見つからず,収入が完全に途絶えた人びとが女性に偏っていた。

Ⅵ 結論

本稿では,セウタとモロッコの国境地帯で行われている「密輸」に焦点を当て,その様相を明らかにしてきた。最後に,第Ⅰ節で提示した3つのリサーチ・クエスチョンをもとに,本稿で明らかにした内容を整理することとしたい。

まず,「『人道的観点』から行われた規制は,どのような帰結を生むのであろうか。インフォーマルな活動をさらに生じさせることではなく,従事者の人道的環境の改善につながりうるのであろうか」という問いに答える。「密輸」では,往来回数や重量の制限,カート利用の義務付けといった,衝突を防ぎ,運び屋の身体的負担を軽減するための規制がなされた。これはたしかに一定程度の効果はあったものの,同時にそれによって収入が減ったり,カート利用のためのコストがかさんだりしたことで,運び屋は「重ね着密輸」などより周辺的な経済活動をせざるをえない状況になっていた。このことから,人道的観点からの規制は一定の効果を出しうるものの,逆に従事者を再周辺化することがわかる。先行研究では,インフォーマル経済の縮小・根絶を目指す規制が,従事者を再周辺化させることは指摘されているが,本研究で明らかにしたのは,それがたとえ従事者の人権を守るための規制であっても,再周辺化という意図せざる結果を導き出すということである。

次に,「そもそも法の保護を受けられないインフォーマル経済の従事者が越境を日常的なものとするとき,国境を挟んだ二国の規制の影響をどのように経験するのであろうか」という問いに答える。本研究では,自身の居住国ではない国からの規制に対応せざるをえない状況が,従事者の脆弱性を一層高めうることを明らかにした。特に,先進国と途上国の国境地帯で行われている越境的なインフォーマル経済においては,営みそのものが途上国側によるものであっても,先進国側が規制主体となりがちである。従事者は自身の自国内での立場が変わらないのにもかかわらず,他国からの規制にも対応しなければならない。人道的観点からの規制が従事者の再周辺化を招くこととなったのも,規制主体であったスペイン側が,モロッコ人が「密輸」に従事することになった根本的な原因を取り除かないまま規制を行ったことが一因であろう。また,「密輸」は領土問題の係争地で行われているものであり,容認(モロッコ),推進(スペイン)と二国が立場を異にしている。二国が越境的な営みに対して共通認識をもたないことは,それぞれが行う規制が一貫性を欠くことと同義であり,運び屋はそれらに場当たり的に対応せざるをえなかった。このような場合,二国が共通認識を持たないことのひずみは,もっとも脆弱なアクターに及ぶものといえる。

最後に,「下層への男性の参入が女性にどのような影響を及ぼすか」という問いに答える。本稿では,運び屋の男女それぞれにインタビューを行い,性別による違いを調査した。その結果,男性の参入を受けて,女性がさらに再周辺化されやすいことがわかった。従事する仕事が単純労働である場合,それは人的資本や社会関係資本,経済資本の蓄積につながりにくい。そのため,女性はあとから参入してきた男性に対して先発者の優位性をもつこともなく,既存のジェンダー構造が維持されることにより,下層からも追いやられていた。これは,「密輸」の専用通路の閉鎖により,収入を失った人びとが女性に偏っていたことからもうかがえる。第Ⅰ節でみた,インフォーマル経済におけるジェンダー構造[Chen 2012]を振り返りたい。男性は,ほかの仕事を失ったときに運び屋をする,運び屋ができなくなったときにほかの仕事をする,というように,仕事を変えること,つまり階層内の移動ができていた。Soto Bermant[2015: 269]は,男性にとって運び屋は複数の選択肢のうちのひとつであり,それは「サバイバルのためではなく,金を稼ぐため」に選ばれるものであるという。一方,女性にとっての運び屋の仕事は「ほかに選択肢がない」ゆえの仕事であり,代替手段を得ることも困難であった。インフォーマル経済の特徴として参入障壁の低さが挙げられているものの,一般に低いとされる障壁であっても,人的資本や社会関係資本の乏しい貧困層の女性にとっては依然として高さのあるものとして存在しているのではないかと考えられる。

本稿では,セウタとモロッコの国境地帯で行われてきた「密輸」を考察することにより,その様相を明らかにするとともに,当局の規制と従事者の対応を明らかにしてきた。「密輸」はインフォーマルな状態のまま当局の管理下で行われてきており,そのような様相を既存の研究に加えることができたことが,本研究の意義であると考える。また,越境,女性という観点から分析を行うことで,これまであまり取り上げられてこなかった越境におけるリスクを指摘し,また,インフォーマル経済における女性の脆弱性を再確認した。そこでは特に,国境地帯において,インフォーマル経済の主体ではないほうの国家による介入が従事者の再周辺化に加担しやすいこと,周辺的なインフォーマル経済のなかでも女性が下層に位置付けられており,再周辺化のリスクにさらされやすいことがわかった。このような状況を改善するために,政策による意図せざる結果が起こることを常に想定し,それを防ぐための方策を検討しながら,政策を策定・実行していくことが求められるであろう。

[付記]

本稿は,2021年に一橋大学大学院社会学研究科に提出した修士論文を改訂したものである。執筆にあたり,小井土彰宏特任教授(一橋大学),本誌2名の査読者の先生方から貴重なコメントをいただいた。この場を借りて謝意を表したい。なお,本稿における誤りは,すべて筆者に帰するものである。

(アイ・シー・ネット株式会社,2021年9月27日受領,2022年10月14日レフェリーの審査を経て掲載決定)

(注1)  「法律の適用範囲外で行われる活動から,本来は法律の適用範囲内であるにも関わらず法そのものが不適切あるいは過度の支払いを求めるなど負担を課すものであるために法の遵守が困難となり,実際には法律が適用されていない活動も含まれる」[山本 2015]とするILOの立場をふまえれば,「密輸」は不正な活動ではなくインフォーマル経済に分類することが適当である。

(注2)  違法行為である密輸行為と区別するため,本稿で扱う密輸はかっこ書きで表す。

(注3)  同様の「密輸」が行われているメリリャとナドールの国境地帯で死亡した女性2人(2008年,2020年)を含む。セウタでの内訳は2009年女性2人,2017年女性4人,2018年女性2人,2019年男性1人・女性1人。

(注4)  一部,アラビア語モロッコ方言のみ解する調査対象者とのインタビューにかんしては,現地の案内人にアラビア語モロッコ方言とフランス語の通訳を依頼した。

(注5)  イスラーム教では従来,裁判官の前で夫が妻に「タラーク」(talaq,離婚の意)と3回唱えれば離婚が成立するとされていた。改正家族法では,妻も夫に対してこの方法を用いることが可能になった。実際には,この改正が熟知されていなかったり,保守的な男性裁判官の多くが改正家族法の履行に反対・妨害していたりする現状があり,離婚自体はいまだジェンダー化されたままである[Engelcke 2019]。

(注6)  2020年2月19日に,筆者が北部人権観測所(Observatoire du Nord des Droits de l’Homme: ONDH)事務所で行ったムハンマド・ベン・アイサ(Mohammed Ben Aissa)代表へのインタビューによる。

(注7)  2020年2月19日に,筆者がONDH事務所で行ったベン・アイサ氏へのインタビューによる。

(注8)  モロッコとの国境に隣接する地区。モロッコ人あるいはモロッコ系住民が集住している。セウタ行政は,エル・プリンシペ地区が当時,セウタでもっとも経済的に脆弱であったことから,振興策としてこの地区への倉庫街建設を決定した。

(注9)  2020年2月19日に,筆者がONDH事務所で行ったベン・アイサ氏へのインタビューによる。

(注10)  2020年2月19日に,筆者がONDH事務所で行ったベン・アイサ氏へのインタビューによる。モロッコから「イスラーム国」にかかわるシリアなどの紛争地域に渡航した人びとは1600人以上に上り,うち約800人が「イスラーム国」に参加したといわれている[在モロッコ日本国大使館 2020]。モロッコ国内の地域別の内訳は明らかではないが,フニデクは過激化の進みやすい地域であるとして知られている。

(注11)  Barlamane.com[2017]によれば,タラハル・ドスの規則として,荷物の大きさが60×60×40センチメートルに制限されていた。ポリゴノの敷地内に大きさを測る鉄枠が設置されており,メディアでは荷物を枠に通す様子が映し出されていた。また,重さも20キロに制限するよう求められていたことも指摘されている。

(注12)  カートの義務付けにともない,国境付近では,カートの貸し出しを生業とする人びとも現れた。たとえば,筆者がインタビューを行った50代の男性は,自身では50個ほどのカートを所有し,運び屋に貸し出していた。カート購入のための費用が用意できない人びとが,このようなレンタルのカートを利用していたと考えられる。

(注13)  2020年2月19日に,筆者がモロッコ北部地域で地元有識者に実施したインタビューによる。実際,2021年5月に移民8000人がセウタに流入した際には,モロッコが西サハラ問題に関連してスペインに圧力をかけるために流入を黙認したとされている[AFPBB News 2021]。

(注14)  2022年3月29日に,筆者がメールにてAPDHAの担当者に実施したインタビューによる。

(注15)  筆者は仲介人の男性に依頼をせず,この女性に直接会っていないため,彼女の意図については想像の域を出ない。しかし,女性の困窮経験が「商品化」されていたことだけでなく,それを男性の仲介人が管理するという父権的な構図に違和感を抱いている。

文献リスト
  • ILO駐日事務所 2015.「ILOの新基準を用いてインフォーマル経済の罠から抜け出す方法」(https://www.ilo.org/tokyo/information/pr/WCMS_387759/lang--ja/index.htm 2021年8月9日最終閲覧)
  • エンナジー,モハー 2012.「モロッコにおける開発への女性統合に向けたステップ」ザヒア・スマイール・サルヒー編/鷹木恵子・大川真由子・細井由香・宇野陽子・辻上奈美恵・今堀恵美訳『中東・北アフリカにおけるジェンダー――イスラーム社会のダイナミズムと多様性――』明石書店.
  • 小川さやか 2016.『「その日暮らし」の人類学――もう一つの資本主義経済――』光文社新書.
  • カースルズ,スティーブン/マーク・J. ミラー 2011.『国際移民の時代』関根政美・関根薫監訳(The Age of Migration: International Population Movements in the Modern World. London: Palgrave Macmillan Limited)名古屋大学出版会.
  • 工藤年博・石田正美 2010.「越境移動の進展と国境経済圏」石田正美編『メコン地域――国境経済をみる――』アジア経済研究所.
  • 日下部京子 2015.「国境におけるジェンダー分析のフレームワーク――メコン河流域の国境を事例として――」『境界研究』5: 169-185.
  • 越田稜 1994.「国境とくにざかい」越田稜・村井吉敬・吉岡淳編『国境の人びと――トランスボーダーの思想――』古今書院.
  • 在モロッコ日本国大使館 2020.「モロッコ安全対策情報(令和2年4月~6月期)」(https://www.ma.emb-japan.go.jp/pdf/ryoji/ryoji_anzenjoho_R2-0406.pdf 2020年10月7日最終閲覧)
  • 篠崎香子 2020.「ドイツで家事労働のフォーマル化が滞るのはなぜか」伊藤るり編『家事労働の国際社会学――ディーセント・ワークを求めて――』人文書院.
  • 嶋田ミカ 1998.「インフォーマル部門の女性労働と家族――インドネシア・中部ジャワの事例から――」『国立婦人教育会館研究紀要』2: 57-68.
  • 田所昌幸 2018.『越境の国際政治――国境を越える人々と国家間関係――』有斐閣.
  • 中山裕美 2018.「移民ガバナンスにおける地域間主義の意義――アフリカ-ヨーロッパ間の地域協議プロセスの検討から――」『国際政治』190: 33-48.
  • 西野照太郎 1968.「モロッコとスペイン領セウタ――ジブラルタル問題に対比して――」『レファレンス』18(3)29-37.
  • 山本沙希 2015.「アルジェリアにおけるインフォーマル経済の変容と経済政策効果」『外務省調査月報』2014年度(2): 1-21.
  • APDHA (Asociación Pro Derechos Humanos de Andalucía)2012. “Déclaration de Tétouan sur les femmes porteuses de marchandises aux frontières de Ceuta et Melilla.” (https://www.apdha.org/media/declaracion_tetuan_porteadoras_frances.pdf 2020年10月30日最終閲覧).
  • APDHA (Asociación Pro Derechos Humanos de Andalucía)2016. “Respeto y dignidad para las mujeres marroquíes que portan mercancías en la frontera de Marruecos con Ceuta.” (https://www.apdha.org/media/informe-mujeres-porteadoras-2016.pdf 2021年8月9日最終閲覧)
  • Aydin, Kenan, Lacin Idil Oztig and Emrah Bulut 2016. “The Economic Impact of the Suitcase Trade on Foreign Trade: A Regional Analysis of the Laleli Market.” International Business Research 9(3): 14-24.
  • Castells, Manuel and Alejandro Portes 1989. “World Underneath: The Origins, Dynamics, and Effects of the Informal Economy.” in The Informal Economy: Studies in Advanced and Less Developed Countries. eds. Alejandro Portes, Manuel Castells and Lauren A. Benton. Baltimore: The Johns Hopkins University Press.
  • Chen, Martha Alter 2012. “The Informal Economy: Definitions, Theories and Policies.” WIEGO Working Paper No.1.
  • Engelcke, Dörthe 2019. Reforming Family Law: Social and Political Change in Jordan and Morocco. Cambridge: Cambridge University Press.
  • Ferrer-Gallardo, Xavier 2008. “Acrobacias fronterizas en Ceuta y Melilla: Explorando los perímetros terrestres de la Unión Europea en el continente africano.” Documents d’Anàlisi Geogràfica 51: 129-149.
  • Ferrer-Gallardo, Xavier and Ana Isabel Planet-Contreras 2012. “Ceuta and Melilla: Euro-African Borderscapes.” Agora 4: 32-35.
  • Fuentes-Lara, Cristina 2016. “El comercio ‘atípico’ en la frontera ceutí. El caso de las porteadoras.” Revista Internacional de Estudios Migratorios 6(1): 84-107.
  • Fuentes-Lara, Cristina 2018. “Las mujeres porteadoras y el comercio irregular en la frontera de Ceuta.” in Estados de excepción en la excepción del estado: Ceuta y Melilla. ed. Xavier Ferrer-Gallardo and Lorenzo Gabrielli. Brcelona: Icaria.
  • HCP (Haut-Commissariat au Plan) 2018. “Les indicateurs sociaux du Maroc: Edition 2018.” (https://www.hcp.ma/file/200737/ 2021年8月9日最終閲覧)
  • Houssam, Touria 2016. Divorcé (e) le devenir et le vivre. Casablanca: Centre d’Etudes sur la Famille et de Recherches sur les Valeurs et les Lois.
  • ILO (International Labour Organization) 2016. Women at Work: Trends 2016. Geneva: ILO.
  • ILO (International Labour Organization) 2018. Women and Men in the Informal Economy: A Statistical Picture. Third Edition. Geneva: ILO.
  • IMF (International Monetary Fund) 1998. Shuttle Trade. Washington D.C.: IMF.
  • Lahlou, Mehdi 2018. “Migration Dynamics in Play in Morocco: Trafficking and Political Relationships and their Implications at the Regional Level.” Middle East and North Africa Regional Architecture Working Papers, No.26.
  • Lince, Sarah 2011. “The Informal Sector in Jinja, Uganda: Implications of Formalization and Regulation.” African Studies Review 54(2): 73-93.
  • Morokvasic, Mirjana 2003. “Transnational Mobility and Gender: A View from Post-Wall Europe.” in Crossing Borders and Shifting Boundaries Vol.I: Gender on the Move. eds. Mirjana Morokvasic, Umut Erel and Kyoko Shinozaki. Opladen: Leske+Budrich.
  • Portes, Alejandro and William Haller 2005. “The Informal Economy.” in The Handbook of Economic Sociology: Second Edition. eds. Neil J. Smelser and Richard Swedberg. Princeton: Princeton University Press.
  • Skalli, Loubna H. 2001. “Women and Poverty in Morocco: The Many Faces of Social Exclusion.” Feminist Review 69: 73-89.
  • Soto Bermant, Laila 2015. “The Myth of Resistance: Rethinking the ‘Informal’ Economy in a Mediterranean Border Enclave.” Journal of Borderlands Studies 30(2): 263-278.
  • Siegel, Shefa and Marcello M. Veiga 2009. “Artisanal and Small-Scale Mining as an Extralegal Economy: De Soto and the Redefinition of ‘Formalization’.” Resources Policy 34(1-2): 51-56.
  • Walker, Andrew 1999. The Legend of the Golden Boat: Regulation, Trade and Traders in the Borderlands of Laos, Thailand, China and Burma. Surrey: Curzon Press.
  • Zurlo, Yves 2005. Ceuta et Melilla: Histoire, représentation et devenir de 2 enclaves espagnoles. Paris: L’Harmattan.
  • A.E.H. 2020. “Bab Sebta: Un rapport parlementaire décrit les conditions des ‘femmes-porteuses.’” Média 24, 7 January 2020. (https://www.medias24.com/2020/01/07/bab-sebta-un-rapport-parlementaire-decrit-les-conditions-des-femmes-porteuses/ 2021年8月14日最終閲覧)
  • AFPBB News 2021.「スペイン領セウタに移民8千人殺到 モロッコとの対立深まる」2021年5月19日.(https://www.afpbb.com/articles/-/3347332 2022年8月20日最終閲覧)
  • Barlamane.com 2017. “Sebta: ouverture du Tarajal II, nouveau passage destiné aux porteurs de marchandises de contrebande (vidéo).” 27 February 2017. (https://www.barlamane.com/fr/sebta-ouverture-tarajal-ii-nouveau-passage-destine-aux-porteurs-de-marchandises-de-contrebande-video/ 2022年8月20日最終閲覧)
  • El Mouden, Wadie 2020. “Bab Sebta: Mesures draconiennes anti-contrebande: Le DG de la douane, Nabil Lakhdar, dit tout.” Le 360, 22 February 2020. (https://fr.le360.ma/economie/bab-sebta-mesures-draconiennes-anti-contrebande-le-dg-de-la-douane-nabil-lakhdar-dit-tout-209287 2021年8月14日最終閲覧)
  • Kadiri, Abdeslam 2018. “Bab Sebta: Une bombe pour deux rois.” Telquel (795): 26-33.
 
© 2022 Institute of Developing Economies, Japan External Trade Organization
feedback
Top