Ajia Keizai
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Book Reviews
Book Review: Nara Oda, The Making of ‘Traditional Medicine’: A History of Vietnam’s Medical Policies (in Japanese)
Tomokazu Okada
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2023 Volume 64 Issue 2 Pages 66-69

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Ⅰ 本書の位置

20世紀ベトナムの歴史を把握する作業は困難を極める。通史を少し概観するだけでもそのことがわかる。阮朝による王政の時代から,フランスの植民地期となり,日本軍の進駐と敗戦のあとに北ベトナムが独立を宣言するとフランスとのあいだでインドシナ戦争が勃発,さらにフランスとアメリカの援助を受けた南ベトナムが建国されたことで南北が分断され,世界中から注目された壮絶なベトナム戦争を経て,南北統一が果たされる。ベトナムは時代ごとに国家の実体が入れ替わった。ベトナムを知ることの難しさは,その政治思想や多様な民族構成,言語・文化にもあるが,歴史学の観点からすれば,とくに国家や国土の分断により歴史が断絶してしまったかのような状況が何度も繰り返されてきたところにある。そうした状況は,公文書史料の消失や分散の原因となったから,細部にまで迫る歴史の描写が難しい。それゆえに,20世紀のベトナム史は政治史の実態にも不明な部分が多く,とりわけ社会史の研究分野などはかなり立ち遅れていると言わざるを得ない。

本書は,20世紀ベトナムの医療制度に着目し,国家権力(植民地宗主国・南北分断・統一を経た複数の実体)が,それぞれの正当性の担保の一環として,ベトナムの「伝統医学」を制度化しようとしてきた過程を明らかにしたものである。これまでベトナムの伝統医学を対象とした先行研究は,その背後にベトナムの固有性を求めるナショナリズムを主要な関心事として読み取ってきた。こうした視角は,外敵を要因として沸き起こった対外ナショナリズムの観点から論じるベトナムの公定史観に強く結びつけられてきたというが,本書はこのような公定史観からはいったん離れ,客観的事実を解明する必要があるとする。しかし,公的な語りを単に否定するのではなく,そこで用いられるベトナムの伝統医学を取り込んだ医療制度の成立過程を歴史的に再叙述することを目指している。

医療史(医と病)という研究分野には蓄積がある。たとえばフランスでは1960年代以降にアナール学派から数多くの論文が出されているが,一般的にはフーコーの著作がよく知られている[フーコー 2011]。こうした医療史研究について,樺山紘一は「医と病とは,歴史に古今東西,あらゆる人間がなやみつづけたテーマであるから,トピックそれ自体に,ひろい普遍性がある」[樺山 1984, 9]として,衛生観念と医療技術,生体と環境,医の制度,身体の観念,民衆の医慣習などの多角的なアプローチが可能なことを指摘する。近年も,コロナ禍によって(あるいはそれ以前からすでに)医療史の研究分野には注目が集まっており,その関心はやはり多岐にわたるが,強いて挙げるなら,近代と「伝染病のメカニズム」,「帝国医療」,「公衆衛生」,「統治・管理」などが流行のキーワードになっているだろうか。

さて,こうした先行研究との関連から本書の位置づけを考えると,その関心は「民衆の医慣習」にあるといえる。樺山によれば,「民衆の医・病文化は,特定の時代における支配的エリートの制度化された文化と,伝統化された民族的慣習との二者とによっておおわれ,民衆がその時点においておかれている社会的・経済的条件の指示するところにしたがって,発現する」という。たとえば,「民衆が産婆―助産者やいかさまな藪医者の世話をうけ,近代医学によっては裁可されない自然系の薬品をのみ,呪術によって痛みと恐怖をやわらげていた」としても,「現実の民衆は,制度化されつつあるエリート的学識文化と,民族的文化のはざまで,多様な医慣習をうみおとしていった」のである[樺山 1984, 29-30]。このような社会史的な視角は,本書の問題意識と共鳴しているはずである。

本書は,政策史・制度史を整理しながら,ベトナムの国と文化を歴史社会のうちでとらえようとしている。研究の方法として,フランスとベトナムがそれぞれの言語で残した公文書史料を多数使用している。ベトナムの国家文書館に所蔵された史料は未公開のものが多い。本書は現代にも不断の関心を寄せ,歴史資料から追うのが難しい現代社会の諸相を社会学的な調査(アンケートやインタビュー)を駆使して明らかにしようとする。また,ベトナムという国家が辿ってきた歴史的背景を考慮し,北部と南部そして統一という地域の同異を強く意識している。そうすることで20世紀を貫通した歴史の叙述が可能になるだろう。

Ⅱ 本書の概要

序章・第1節の題目「政権を通さず,直接人々に治療を施すことができる――研究の背景――」は,本書の立ち位置を如実にあらわしている。ベトナムの公定史観,ナショナリズムに立脚した記述から脱却する方法として,ベトナムに限らず,医療制度に着目した近年の先行研究に目を配り,伝統医学という概念そのものの可変性に注目するなど新たな視角と方法を提唱している。その上で本書は,仏領期以降のベトナムを4つの時期に分けて分析する。なお,ベトナムの歴史や伝統医学に関する専門用語については,序章と各章間に解説やコラムを設けて一般読者がわかりやすく理解できるように工夫がなされている。以下,簡単なコメントを加えながら本書の概要を紹介したい。

第1章では,仏領期の西洋医療の導入にともなう医師,薬剤師,助産婦などの専門職の養成と,伝統薬をめぐる政府の規制と反発の2つの要素に着目する。「西医」という新たな医療体系の「上からの」導入は,「近代化」,すなわちそれまで存在していた医療をめぐる状況への介入を意味したが,逆説的にそれまで利用されてきた治療法や在来の薬用資源へのまなざしが強化されていく契機となったと指摘する(82ページ)。ローカルな場への「西医」の介入手段であったバー・ムー(産婆)の再教育事業や護生院(助産所)の分析は興味深く,植民地社会史の研究分野に多くの新事実と示唆を与えてくれる。

第2章と第3章では,それぞれ南北分断期の北ベトナムと南ベトナムにおける「西医」と「東医」の制度化および競合と混交の諸相に焦点を当てる。北ベトナムでは,独立宣言直後から「西医」のみならず伝統医学の「東医」との双方を利用できる医療制度の拡充が目指され,近代的な「西医」を中心に保健省が主導した「東医」の「科学化」と強力かつ単一の制度整備が行なわれたという。他方,南ベトナムでも,仏領期の伝統薬に対する規制を改変していく方法で「東医」を「制度化」する試みがあり,北ベトナムよりも「西医」の担い手との棲み分けをより意識した資格の細分化が行なわれた。「東医」の統制が進められた点が南北いずれの国家においても共通するが,とくに先行研究が少ない南ベトナムの実態を明らかにした本書の功績は大きい。

第4章では,南北統一後のベトナムにおいて伝統医学がどのように全国規模で再編されていったかを分析している。「東医」はドイモイ開始までの時期に「民族医学」と呼び替えられ,一元的な管理体制のなかに包摂された。民族医学を確立することと,民族医学と現代医学を統合することは,民族の解放と統一を成し遂げたというナショナル・アイデンティティに依る医療体系を作るという点で,ベトナム国家建設の途上の言説としてでてきたものと理解できる(219ページ)。しかし同時に,「民族医学」の積極的な利用の取り組みの均一化は困難を極めており,地域差が顕在化している点を指摘している。こうした内実を,ドイモイの経済効果やグローバル化の影響から眺めようとする視点は面白い。

第5章では,近年のベトナムにおける公的医療制度内の伝統医学の担い手が養成・教育される様相を明らかにした。アンケートなどの独自の調査により,均一な伝統医学を目指す「上からの」動きがあると同時に,標準化が難しいことを逆手に取り,治療師が自らの得意な治療を施す動きとが併存している状態にあることを突き止めている。

Ⅲ 本書の批評

本書は,伝統医学のあり方をめぐって20世紀ベトナムの知られざる事実と特質を明らかにし,新しい歴史を描き出すことに成功したといえる。副題である「ベトナム医療政策史」が示すとおり,時系列・地域ごとに諸政策・制度をつぶさに眺めた結果,北ベトナムを始点として「上からの」指示で強固な伝統医学の制度が形成されたのではなく,伝統医学に対して時々の権力が,ある時は関心を寄せず,ある時はお墨付きを与え,あるいは統制しうる範囲のみを囲い込み,「つかみどころのないまま状況依存的に規定してきた」(277~278ページ)と総括する。このことは膨大な資料の分析から導き出された結論であり,異論を差し挟むつもりはない。何よりも時間的な連続性のなかで形作られたものとして,20世紀ベトナム史に貫通するひとつの総括を与えたことは驚くべき偉業といえよう。

ただ,本書の分析には違和感が残るところがいくつかある。本書は,とくにクロイツァーやテイラーの視角に惹かれながら[クロイツァー 1994; Taylor 2005],「なぜベトナムで伝統医学が生き残ったか」という問いを,「医学と政治権力との関係性に着目」して明らかにしようとする。そうであれば,評者が感じる違和感はとりわけ「政治権力のあらわ(さ)れ方の不明瞭さ」にある。たとえば,なぜ1943年にドゥクー布令が出されたのか。これは「中国とベトナムの薬とそれらを扱う職業を定め,活動に制限を設けたものであり,植民地政府が当時普及させようとしていた西洋薬の権益を守るために作られた」(70ページ)と先行研究の指摘を引くが,その裏側に,この時期のドゥクー総督の政治的な意図をあれこれと想像するのは無駄なことであろうか。あるいは1936年に毒を含む薬科の使用の禁止が予定され,新聞や民衆から大反対にあい計画が断念された(71ページ)というが,これは同時期にフランス本国で人民戦線政府が発足して植民地に寛容な政策の方針がとられたことと何か関係があるだろうか。第二次世界大戦後に誕生した南北のベトナム新国家で,それぞれの「保健省」はいかなる目的と組織によって創設されたのか。インドシナ大学医薬学部出身の「西医」のうち,誰が,どのような条件で任官され,どのように「東医」の領域をも含む医療政策を主導するようになったのか。保健省の政治権力や「西医」に期待された役割の大きさはいかほどであったか。また,ベトナム民主共和国(北ベトナム)に組織された南薬研究会やベトナム東医薬会のような民間団体は,社会における伝統医学の有り様を明らかにしてくれる極めて興味深い対象だが,その実態の解明には踏み込めていない。「西医」にせよ「東医」にせよ,彼らのアクターとしての存在感や役割が明確に描かれていなかった印象がある。この点は,終章で著者が本書の限界として指摘した「医療制度の枠組みがもつ政治権力とミクロな医療の関係」(286ページ)に関連するだろう。

以上のような疑問が浮かんでくるのは,時々の政治権力(または団体組織,個人の立場)がアプリオリに設定され,したがって伝統医学をめぐる政策や制度もまた,その発生の過程を無視して突如発現したかのように論じられているからである。終章において,「本書は政治的な時代区分に沿って章を設けた。しかしそれは便宜的な区分であり,伝統医療をめぐる制度は,国家形成に従属したものでも時代区分に応じて切断されたものでもなく,時間的な連続性のなかで形作られていったものであった」(271ページ)と述べるが,これは本書がナショナリズム論から距離をおいた研究手法をとり,先行研究のような公定史観に入り込まない立場を宣言しているからであろう。しかし,ベトナムにおける医学と政治権力との関係性を明らかにすることが本書の目的のひとつであるならば,時々の政治権力や国家形成に「従属したもの」―つまり極めて政治的なもの―として,本書なりに20世紀ベトナムにおける伝統医学の意義を見直してみる必要があったのではないか。こうした観点では,「伝統医学が状況依存的に規定されてきた」という結論には留保が必要かもしれない。

いまひとつ評者が抱いた違和感を挙げると,本書は20世紀ベトナムの医療政策のすべてを総括しているような錯覚を与えている。本書は全体のなかで伝統医学の位置を明確に示す必要があった。すなわち「両者」のせめぎあいのなかでベトナムの伝統医学が形作られてきたというのなら,「東医」の制度化だけではなく,「西医」の制度化についても適切に整理しておかなければならない。そうすることで,近現代における伝統医学の存在意義がより鮮明に浮かび上がってきたはずである。ところで,1938年にマダガスカルで発刊された新聞に,「ベトナムの中国―安南医(médecin sino-annamite=「東医」)はいつか民衆に見捨てられてしまうのか」と問う記事が掲載されていた[Volonté 1938]。伝統医学というテーマが,ベトナムの空間的枠組みを超えた領域でも広く興味深い議論を提供しうることも最後に指摘しておきたい。

文献リスト
  • アーノルド, デイヴィッド 2019.『身体の植民地化——19世紀インドの国家医療と流行病——』見市雅俊訳 みすず書房.
  • 飯島渉 2005.『マラリアと帝国——植民地医学と東アジアの広域秩序——』東京大学出版会.
  • 岡田友和 2015.「植民地期ハノイにおける街区の住民——1930年代の小商工業者層を中心に——」『アジア経済』56(1).
  • 奥野克巳 2006.『帝国医療と人類学』春風社.
  • 樺山紘一 1984.「医と病の歴史学」二宮宏之・樺山紘一・福井憲彦編『医と病い』新評論.
  • クロイツァー, ラルフC 1994.『近代中国の伝統医学——なぜ中国で伝統医学が生き残ったのか——』難波恒雄・難波洋子・大塚恭男共訳 創元社.
  • 永島剛・市川智生・飯島渉編 2017.『衛生と近代——ペスト流行にみる東アジアの統治・医療・社会——』法政大学出版局.
  • フーコー, ミシェル 2011.『臨床医学の誕生』神谷美恵子訳 みすず書房.
  • 福士由紀 2010.『近代上海と公衆衛生——防疫の都市社会史——』御茶の水書房.
  • 見市雅俊・斎藤修・脇村孝平・飯島渉編 2001.『疾病・開発・帝国医療——アジアにおける病気と医療の歴史学——』東京大学出版会.
  • Anderson, Warwick 2006. Colonial Pathologies: American Tropical Medicine, Race and Hygiene in the Philippines. Duke University Press.
  • Monnais-Rousselot, Laurence 1999. Médecine et colonisation: L’aventure indochinoise, 1860-1939. CNRS Éditions.
  • Owhadi-Richardson, Anna. 2012. Les instituts Pasteur du Vietnam face à l’avenir: Alexandre Yersin à l’heure d’Internet. L’Harmattan.
  • Rayssac, Mathieu 2015. Les médecins de l’Assistance médicale en Indochine (1905-1939). L’Harmattan.
  • Taylor, Kim 2005. Chinese Medicine in Early Communist China, 1945-1963: A Medicine of Revolution. London: Routledge Curzon.
  • Volonté. Le 7 septembre 1938.
 
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