2015 Volume 51 Issue 2 Pages 152-153
本書は新進気鋭の地理学研究者の博士論文をもとにしている.研究対象は,書名から明らかなように,国土周辺部の肉用牛繁殖経営である.本書は,上記経営を研究対象としたこれまでの成果のなかで,調査対象の「広さ」と経営動態の把握の「深さ」という点で,社会経済農学の分野(以下,農経分野)を含めてフロンティアに位置づく成果であり,個別の畜産経営に接する機会のある研究者,普及指導員,営農指導員,行政担当者にとって,数多くの有益な情報を有していると考える.さらに,本書の特筆すべき点は,「国土周辺部の肉用牛繁殖経営の正確な実態把握」にとどまらず,学問的進歩に対する果敢なチャレンジを,研究分野をまたいで行っている点である.「マクロ的な力と,ミクロ的に観察される無数の生産者の具体的対応との間を少しでも埋め合わせ,正確な現象理解に結び」つける試みに少しでも関心のある会員であれば,本書の一読を強く勧めたい.
本書は,「日本の国土周辺部における肉用牛繁殖部門の集計量としての成長を可能にしていたミクロ的基礎,すなわち成長の背後にある個別経営の動態を,できる限り丁寧に読み解く」必要があるという問題意識から出発し,次のふたつの目的を掲げている.①成長の背後にある個別経営の動態を丁寧に読み解き,冷静な見通しを与える.②地域内の個別経営の多様な動態を説明する分析枠組みを構築する.②をもとに①を行うという点で,①と②は密接不可分な関係にある.
これらの目的を達成するため,以下の4部構成となっている.まず,序論としての第Ⅰ部(計2章)は,国土周辺部農業が縮小するなか,肉用牛繁殖部門の展開と国土周辺部での例外的成長を丹念に読み解いたうえで,本書の研究課題(経営的・技術的特質,経営の特質と地域的特徴との関係,事例地域以外の動態を見通す)を明示している.
第Ⅱ部(計1章)は,上記②のふたつの分析枠組みの説明に充てられている.第1の分析枠組みは「経営群の進化」である.本書では,地域の肉用牛繁殖部門の変動を,進化生物学の進化概念を援用して,技術変化の過程を各経営の環境に対する適応過程と捉え,「経営群の進化」と呼称している.第2の分析枠組みは「適応的技術変化」である.本書では,誘発的技術革新の理論(速水)と,農家の主体的行動に焦点を当てた農業経営研究を援用して,環境変化に誘発されて新しい技術の実現を目指す生産者が,試行錯誤を繰り返すなかから現実に生み出されていく技術変化を「適応的技術変化」と定義している.
第Ⅲ部(計3章)は,以上の分析枠組みをもとに,肉用牛繁殖部門の国土周辺部での成長の背後にあった経営群の動態に関する事例研究を行っている.事例地域として,沖縄県の多良間島・石垣島,北海道の大樹町,島根県隠岐諸島の知夫里島を選出し,膨大かつ丹念なフィールド調査の結果をもとに,経営群の進化と適応的技術変化を説明している.
結論としての第Ⅳ部(終章を含む計2章)は,3地域の事例分析から,低資本経営,中資本経営,高資本経営という共通する経営タイプを抽出して,それらの特徴と動態メカニズムを整理している.そのうえで,南西諸島,北海道畑作地帯,最縁辺地域の経営群の動態と今後の展開を考察し,事例地域以外の産地の経営群の動態についても議論を展開している.終章では,経営群の動態から見えてくる成長の「中身」を読み解いたうえで,本書が行ったような地道な作業を続けることの意義(地域における産業の「根づき方」の体系的な理解)について論じている.
本書の醍醐味は,専門分化することで理論の発展を実現してきた学問の世界において,守備範囲を拡張ないし越境する形で学問的進歩に貢献しようとする果敢な姿勢と,気の遠くなるような地道なフィールド調査の実現にあると考える.守備範囲の拡張ないし越境について急いで付け加えると,著者が専門(地理学)に重きを置いていないことを意味するのではなく,逆に,専門を深めていくなかで,このような方法論にたどり着いたことを意味していると考えられる.ただし,守備範囲の拡張が「諸刃の剣」であることは明々白々であり,それだけで,多様な角度から「攻められる」可能性を高めているともいえる.以下では,この点を自覚しつつ,主に農業経営学の視点から,分析枠組みと調査手法にしぼって3点ほどコメントしたい.
第1は,肉用牛繁殖経営の太宗を占めるファミリー・ビジネスに関する理論的整理が第Ⅱ部でなされていない点である.かつて中島(1957)などが課題提起したように,一口に家族経営といっても,経営形態やファミリー・サイクルや家計の中身が異なれば,個別の経営部門に課される具体的な目標も異なり,採用される経営タイプも当然異なる.「具体的状況に置かれた各生産者の対応といった経営変化の重要な動因を捉え」,「地域内の個別経営の多様な動態を説明」するのであれば,第Ⅱ部の分析枠組みにおいて,この点を丁寧に整理すべきであろう.
第2は,地域内の経営群における個々の経営間の相互作用やネットワークについてである.本書では,個々の経営の多様な動態に接近することに成功しているが,一方で,個々の経営が単独で完結している側面(徹底的な試行錯誤など)に,より重点を置いているように読める.しかしながら,「地域内」という地理的な広がりを前提にするのであれば,地域内の個々の経営間の相互作用やネットワークを丁寧に捉える理論的整理が第Ⅱ部でも必要ではないだろうか.
第3は,調査手法の取り組みやすさについてである.本書の調査手法の特徴は,個別経営の動態を,できる限り丁寧に読み解くという地道な作業を蓄積する点にあると考える.地域における産業の「根づき方」の体系的な理解を助けるために,本書の調査手法が有効であることに異論を唱える読者は少ないであろう.しかし,このような調査手法は,膨大な時間と手間と試行錯誤を要することが容易に想像できる.つまり,本書のような調査手法は,長期のフィールド調査に割くことのできる時間を有する研究者(特に大学院生)や,多人数によるプロジェクト研究を除き,ハードルが高いように思う.より正確な経営動態の把握と,調査開始から分析結果を読み解くまでの時間的な遅れの縮小,を両立させる方法についての検討も,引き続き重要な論点となるであろう.
いずれにせよ,評者の責として記した以上のコメントは,本書の貴重な価値をいささかも減じるものではないことを強調しておきたい.
多くの若手研究者にとって,研究成果の「数」が求められ,研究の守備範囲を狭める誘因も強まるなか,本書はこのような流れに逆行している.複雑なジャングルを前に,努力を節約することなく,多大な負担を覚悟した著者の真摯な姿勢から学ぶことは多い.そして,農経分野の理論もふまえた果敢なチャレンジからは,読者の数だけ多様な論点が見つかるはずである.より多くの方々に本書を手にとっていただければと思う.