Journal of Rural Problems
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2015 Volume 51 Issue 3 Pages 233-235

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実践的な農業経営研究とは一体どのようなものか.農業経営にかかわる調査・研究に従事したことのある会員であれば,おそらく一度は発したことのある問いではなかろうか.評者は,実践的な研究には次の2種類があると考えている.一つは,農業経営の実態を多方面から客観的に分析・評価することによって経営課題の解決や制度・政策の立案に役立つ情報を提供したり,経営発展の基本方向を提示することなどによって経営者の経営方針や信念の確立に寄与したりする研究である.またもう一つは,農業経営者が行う種々の意思決定や経営管理を支援するための有用で操作性の高い手法・システムの開発・提供である.

『農業新時代の技術・技能伝承―ICTによる営農可視化と人材育成―』は,まさに上述の経営管理を支援するための手法・システム開発にかかわるきわめて実践的な研究成果であると言えよう.さらに本書は,大学,公立研究機関,民間企業,生産者とのコラボレーションによって生まれた優れた研究成果でもある.所属組織の異なる研究者や営農現場の生産者が,それぞれの専門領域を活かし,大規模農業経営で課題となっている人材育成を念頭に,農業技術・技能の円滑な伝承を可能にするための営農可視化手法を最新のICT技術を駆使して開発・提供している点に特徴がある.ヘテロの研究者集団を束ね,経営計画,リスク管理,意思決定支援等の研究領域においてこれまでにも多くの研究成果を生み出してきた南石晃明九州大学教授のリーダーシップと長年にわたる一貫した研究姿勢が本書の成果に繋がったことは疑いない.

以下ではまず,本書の章構成と主要な論述内容について,評者の視点から簡単に整理・確認しておく.

本書は12の章からなるが,内容的には,①研究課題と章構成,農業技術・技能・ノウハウ等の主要概念,研究課題へのアプローチ方法を示した第1~3章,②大規模稲作経営を対象にした技術・技能伝承の実態・課題・対応方法の分析・検討を行った第4~8章,③ICTを活用した技術・技能の伝承のための支援手法について紹介した第9~11章,④本書の要約と農業技術・技能の伝承を展望した第12章の四つのパートから構成されている.

まず第2章では,第1章での問題意識を踏まえ,経営学・心理学・産業教育学・労働科学等の文献レビュー結果を基に,「技術」「ノウハウ」「技能」「知識」の定義を行い,それらの概念間の相互関連を整理している.中でも,本書のキーワードとなっている「技能」については,既往の研究成果も踏まえ,「感覚系技能」「運動系技能」「作業判断系技能」「作業計画系技能」「経営管理系技能」の五つに区分し,それぞれの特徴を詳細に検討している.また,5種類の「技能」を構成する人間の基本能力には,「状況理解能力」「予測能力」「最適化能力」の三つが関係しているとする.こうしたことから,著者らは,技術・技能の伝承には知識としての「技術」や「ノウハウ」の学習に加え,「状況理解能力」「予測能力」「最適化能力」を向上させるための訓練や経験の果たす役割が大きいと指摘する.

続く第3章では,製造業での伝承支援手法を参考にしながら,農業の「技術」「ノウハウ」「技能」の可視化と伝承支援の考え方や手法について検討している.一部「技能」の「ノウハウ」化,一部「ノウハウ」の「技術」化が可視化によって促進される可能性を強調するとともに,「ノウハウ」化の困難な「技能」についても可視化によって「技能」の伝承支援が促進されることを,これまでに著者らが開発してきた各種可視化手法を例に挙げて具体的に説明している.

第4~8章は,第1~3章での検討結果を踏まえ,実際の大規模稲作経営おける「技術」「ノウハウ」「技能」の特性と農業者の技能習得のプロセスを,代かき作業・水管理作業・育苗作業・作業計画ごとに熟練者と非熟練者との違いに注目しながら詳細に分析している.また,各章ではそこでの分析結果に基づいて非熟練者の能力養成方策についても併せて検討している.その結果,次の4点が明らかにされている.第1に,大規模稲作経営における「知識」「技能」は一般的知識,経営固有知識,感覚的技能,運動系技能,知的管理系技能などに区分され,熟練者は膨大な数の知識と五感,精巧な動作,多様な要因等に基づいて作業管理上の各種判断や計画作成を非熟練者に比べてより適切に行っている.第2に,稲作における「知識」「技能」の構成内容として,分析対象としたすべての作業において,一般知識よりも経営固有の知識にかかわるものの方が多い.第3に,経営固有の知識にかかわる「知識」「技能」については,圃場条件や気象条件,生育状況などの多様な状況に臨機応変に対処するためのものが熟練者に数多く蓄積されている.第4に,熟練者は非熟練者に比べて,長年の経験に基づき,時々刻々変化する状況や多様な条件に応じた知識・技能のバリエーションを多く有し,作業管理に関して適切な手順・方法を判断するための技能に優れている.

第9~11章では,技術・技能の伝承支援を行うためのICTを活用した具体的手法・システムを提示している.例えば,第9章では「匠の技の継承モデル」に基づく「暗黙知継承支援手法」の提案や「多視点映像コンテンツ」の例示,第10章では営農可視化システムFVS-PCViewerの紹介,第11章ではデータマイニング手法による農作業ルールの抽出方法についての適用例の紹介等を行っている.

以上が『農業新時代の技術・技能伝承―ICTによる営農可視化と人材育成―』の概要である.以下,上記研究成果にかかわる評者のコメントを3点ほど述べておきたい.

第1は,「ノウハウ」「技能」に対して農業経営の個別性が及ぼす影響とそのウエイトについてである.本書の基本的なスタンスは,熟練者が有する「ノウハウ」や「技能」を基に,それを可視化というプロセスを通じて非熟練者に対して情報提供していくことで「ノウハウ」や「技能」の伝承効率を高めようとする点にある.その場合,本書でも明らかにされたように,農業経営(特に土地利用型農業経営)にあっては,「経営固有の知識」や個々の経営が有する個別性の影響を受けた「ノウハウ」「技能」の占めるウエイトが高いと考えられる.そのため,熟練者が有する技能を「ノウハウ」化したり「技術」化したりするには,経営ごとに作業が必要になるが,その作業を,誰が,何時,どのようなやり方で,どの程度の費用をかけて行うかが問題になる.本書では,個々の経営が自ら実施できるようなシステムの構築を目指していると思われるが(場合によっては専門のサービス提供組織を設立する必要も出てこよう),どの程度の実現可能性があるのか,今後のシステム開発の状況を見守る必要がある.

第2は,上記の点とも関係するが,ICTを活用した可視化による「技術」「技能」の伝承システムがもたらす最終的な経営成果(収益の増加やコストの削減等)についてである.本書では,農業経営者大学校の学生に対して実施した伝承システムの利用試験結果を紹介しており,技能習得における伝承システムの有効性を示唆する結果が得られている.可視化による伝承システムは,一般の工業製品の生産現場でもその有効性が実証されつつあることを踏まえるならば,間違いなく,非熟練者に対する「技術」「技能」の伝承支援に役立つものとなろう.ただし,工業生産と異なり自然条件や経営の個別性に大きく影響される農業経営(特に土地利用型経営)の場合,実際の営農現場での実証が不可欠である.本書の研究成果を受ける形で既に現場レベルでの実証試験が行われているかもしれないが,ICTを活用した可視化システムの導入が最終的な経営成果(収益性の向上)にどの程度の効果をもたらすのか,その費用対効果についての実証が待たれる.

第3は,可視化による「技術」「技能」の伝承支援システムに対する過度な期待は禁物であるという点である.本書で提示された可視化技術の現場適用可能性については現時点においても十分認められるが,その一方で,注意も必要である.例えば,著者らが既に第3章の「おわりに」で指摘しているように,可視化のもたらす技能習得意欲への悪影響の可能性については評者も危惧している.熟練者,中でも特に「匠」と呼ばれるような方々には,自らが様々な試行錯誤を体験し,苦労に苦労を重ねる中で高い「技能」を習得したり新たな「技能」を創出したりしてきた人が少なくない.一見,効率化の視点からは無駄と思われるプロセスを経ることが,結果として,「技能」の深みを増し,新たな「技能」の創出に繋がることも多いと思われる.可視化による伝承支援システムの利用場面,利用時期,利用の仕方についても吟味していく必要があろう.さらに,熟練者が有する「技能」「ノウハウ」についても,必ずしも最良であるとの保証はない.したがって,当然のことながら,熟練者が有する「技能」の「ノウハウ」化や「技術」化のプロセス,そして可視化のプロセスにおいては,熟練者が有する「技能」の科学的妥当性を個々の経営の個別性を踏まえた上でチェック・検証する作業をきちっと行っていく必要がある.

上述した3点は,本書の研究成果があってはじめて想定できるようになった課題であり,研究成果の普及を推進するためにクリアーすべき次の段階の研究上の課題である.可視化による「技術」「技能」の伝承を対象に新たな実践的農業経営研究の領域を切り拓くことになった本書は,会員はもとより,行政,普及関係者,大規模農業経営者の方々に是非一読していただきたい書である.

 
© 2015 The Association for Regional Agricultural and Forestry Economics
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