Journal of Rural Problems
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2016 Volume 52 Issue 1 Pages 10-16

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1. はじめに

地方創生ということが盛んに言われるようになりましたが,国や地方自治体が頑張ってそれが実現できるものでもなく,基本的には民間の取り組みが重要です.地域において雇用を増やそうと思えば地域全体で売上を伸ばさないといけません.売上を伸ばすためには,既存の民間企業が経営を変革していく努力を重ねていくか,新しく地域でベンチャー企業が生まれるか,どちらかということになります.しかしながら,日本の農山漁村はベンチャーマインドが低く,自分たちの力で地域経済を盛り上げていくという機運が非常に低く,このことがそもそもの大きな課題だと私は捉えております.この地域農林経済学会という場では,あまり資本主義信奉者的なスタンスは馴染まないような気もいたしますが,私が岡山県西粟倉村でやってきていることは,地域全体の売上を伸ばすというとても資本主義的な営みに注力しておりますので,そのような立場の人間であるということでご了解いただけましたら幸いです.

「真に必要な地方創生支援とは何か」というお題をいただいておりますが,そんなものはそもそもないのだと思います.民間が努力するしかないテーマですから.国や地方自治体に努力してもらうなんていう発想こそが,農村漁村の疲弊を招いている根本的な原因ではないでしょうか.とは言え,民間の取り組みを育てて行くということについて,国や地方自治体ができることはないでもないです.しかし,すでにたくさんの政策メニューがあり,それがうまく使いこなさせていないことの方がより本質的な問題でしょう.霞が関の方で新しい良い制度が生み出されたとしても,地方自治体はそれを有効に使いこなす能力がないことがほとんどです.

西粟倉村は,総務省の「地域おこし協力隊」という既存制度の運用を工夫して,起業家型人材の発掘・育成を進めて一定の成果を出しています.この制度運用における工夫なども含めて,西粟倉村がどのような取り組みを行ってきたかということについて,説明をさせていただきます.

2. 西粟倉村の概要とこれまでの成果

西粟倉村の概要について簡単にご説明いたします(図1).岡山県の北東の角にある源流部の山村で,現在の人口は1,519人です.2010年の国勢調査では村の人口は1,520人なので,人口はこの5年間でほぼ横ばいとなっています.2013年に公表されて国立社会保障・人口問題研究所(社人研)が公表した推計では2015年には1,442人になると予測されていましたので,予測値よりも80人近く上振れした実績値となっております.なぜ各地で人口減少が加速しつつある中でこのような結果が出せているかというと,移住者の受け入れとローカルベンチャーの育成ということに注力してきたからです.

図1.

岡山県西粟倉村の概要

西粟倉村は2008年に「百年の森林構想」を発表し,森づくりのための人づくり,特に起業家型人材の採用活動に力を入れてきました.その結果,100名以上の移住者,ローカルベンチャー(地域に根差したベンチャー企業)が約13社誕生してその売上げの合計は約8億円となっています.その結果117名の雇用が創出され,100名以上の移住者を獲得するに至っています.私が代表をさせていただいている株式会社西粟倉・森の学校という会社は,西粟倉村でローカルベンチャーを増殖させていくためのプラットフォームとして「百年の森林構想が発表された翌年(2009年)に設立されました.具体的には2つの事業があって,1つが移住・起業支援事業つまりインキュベーションで,もう1つが木材加工・流通事業です.売上的にはほとんどが木材加工・流通事業で,製材,乾燥,モルダーという流れで原木から建築や家具の材料を仕上げていくことを基本的な機能として持っていて,在庫も森の学校がある程度抱えますので,比較的小さなリスクで家具等の製作する会社が立地しやすい環境を整えています.株式会社森の学校ホールディングスは,株式会社西粟倉・森の学校から移住・起業支援事業を引き継ぎつつ,西粟倉・森の学校を子会社化していく計画で後から新しく設立した会社です.

3. 人を起点とするローカルベンチャー育成

西粟倉村が,他の地域と何が違うかというと,何かするにしても「人を起点にしている」ということです(図2).現在,多くの自治体で,優秀な行政職員の皆さんが「地方創生」に関する計画策定に追われていると思います.その計画を誰がどう実行するかが定かでないままに,真剣にそれを実現したいという強い想いを持つ人がいないままに,計画策定が進められています.そんな計画が有効に機能するとはとても思えないわけです.本気でやる人がいるから,何かが生まれたり変わったりするわけですから.何かに本気になるためには,そこに強い関心がないといけません.森林・林業に関心がない人が,そのために本気にはなれないですから.だからどうしても解決しないといけない重要な課題があれば,その課題に強い関心を持つ人をなんとか探してこないと,どんなに計画を作っても絵にかいた餅にしかなりません.そもそも,本気でやる人が,自分で作る計画ではないと意味がなくて,誰かが勝手につくりました,でもやる人はまた別の人ですっていうことも,おかしいわけです.うまく行くはずがありません.

図2.

西粟倉村における人を起点とするベンチャー育成の方針

これはちょっと言い過ぎかもしれないのですが,敢えて申し上げますと,図のように「計画しない,合計形成しない,前例に従わない」ということを貫くべきだと私は考えています.計画も合意形成も前例主義も,個人的に責任を負わないための手段にしかなってないですから.それによりも,責任を負う覚悟で行動できる人が少しでも増える方がいいと思っています.西粟倉村の場合は,地域おこし協力隊という制度(総務省)の運用において特に顕著ですが,何かをやり遂げたいっていう人を起点に考えて,その人がやろうとすることが,常識的に理解できないようなこと,つまり行政として説明がうまくできないようなことでも,そこに誰も見いだせていなかった可能性が実はあるかもしれないって考えるだけの寛容さと度量があります.あと,明確な課題があれば,その課題解決にそもそも関心を持てる人を探しします.いずれにしても,「人を起点にする」っていうことを徹底しているのが西粟倉村です.

4. 地域おこし協力隊制度の活用

西粟倉村の地域おこし協力隊は,地域の協力をしなくてもいいということにしています.地域おこし協力隊という制度があるから使うということではなく,起業家型人材の育成を重要課題だと考えていたところに,地域おこし協力隊という使えそうな制度ができたので,その運用を工夫して有効活用する努力をしています(図3).

図3.

官民連携による地域おこし協力隊制度の活用

起業してやりたいと思うことに挑戦して,事業を軌道に乗せて人を雇用することができるようになってくれれば,それが結果として大きな地域貢献にもなります.なので,誰かの協力をするよりも,その人がやりたいと思えることを大事にしてもらうようにしています.自由と自己責任の原則で,主体的に挑戦をしてもらえる環境を整えています.やりたいと思えることを貫くということは,結果的には地域の人たちを無視するということにはなりません.むしろその逆で,本当にやりがいをもって挑戦していける状態になるためには,地域の資源や人の可能性を発掘していく作業が不可欠になるからです.地域のために協力しなければいけないという前提を置くよりも,結果として周囲の可能性を掘り起こしていくことになります.

西粟倉村の地域おこし協力隊は,誰も「地域おこし協力隊」という肩書を名乗らないことです.地域おこし協力隊というのは制度の名称であって肩書ではないという解釈が浸透しています.なので,みんな自らの屋号を名乗っています.

また,定住政策として実施されている制度でもあるにも関わらず「定住しなくて,いいんです」というキャッチコピーを使っています(図4).これも自由と自己責任の原則で,本人の人生を尊重するということを重視する姿勢の表れです.結果として定住してもらえることをもちろん望んでいるのですが,定住しないといけないという前提を置かずに,本人が精一杯のチャレンジを主体的に積み重ねた結果として,村に定着することを期待しています.

図4.

地域おこし協力隊の募集チラシ

5. ローカルベンチャーの群れを育てる

地域おこし協力隊(起業型)の選考プロセスで,ローカルベンチャースクールというものを実施しました(図5).協力隊制度を活用して西粟倉村で起業したいという人に企画書を出していただき,書類選考通過者は,ローカルベンチャースクールでプランのブラッシュアップを重ねながら,最終審査会でのプレゼンテーションに臨みます.2015年は18人がエントリーして,8名が書類選考を通過し,協力隊制度を活用して起業する権利を獲得したのは2名でした.

図5.

西粟倉ローカルベンチャースクールの様子

選考プロセスで意識しているのは,新しく西粟倉村で起業しようとする人たちを,先輩ベンチャー経営者たちが応援しサポートしていくことです.ベンチャーがベンチャーを育成し,ローカルベンチャーが群れとして育っていくことを目指しています.ローカルベンチャースクールには,地域外からベンチャー育成の専門家にも参画してもらっています.

(1) これまでの経緯

西粟倉村におけるローカルベンチャー育成については,村役場の主導で「雇用対策協議会」という組織を2007年に設置したところから取り組みが本格的にスタートしています.この雇用対策協議会は,通称「村の人事部」とも呼ばれていました.企業の人事部が将来を担うやる気と能力のある人材を集めるリクルート活動を行うのと同じ感覚で,地縁血縁に関係なく,地域の戦力を増強していくための採用活動を進める組織です.雇用対策協議会の後継組織として設立された民間企業が,株式会社西粟倉・森の学校です.2007年から移住・起業支援ということに注力し,ノウハウを蓄積し現在に至っています.すでにこれまでの成果や取り組みの特徴について述べてきましたが,どのような経緯で現在に至るかということを説明します.

(2) 2004年:自立を選択

西粟倉村は,平成の大合併の際,合併せずに単独・自立していくことを選択しました.合併すべきか,自立か,ということについて,村内ではいろいろと議論はあったようです.西粟倉村という場所で人が生き続けることを諦めたくないという強い気持ちを持つ人たちが,合併しないという状況を生み出したようです.

(3) 2005年:心産業というコンセプト

その上で,どう自立していくのか,この村はどうあるべきか,というコンセプトレベルの議論が丁寧に重ねられ,紡ぎ出されたのが「心産業(しんさんぎょう)」という言葉でした.大量生産・大量消費の都市・工業を中心とした経済の中に飲みこまれ,疲弊し続けた山村が,その悪循環から脱却するためには,まったく逆の方向に進むべきだという結論に達し,行きついたのが「心産業」でした.人と人の心のつながりを豊かにしていく地域経済,モノと一緒に心をしっかりお届けしていくような地域経済を確立していく.そういう産業のあり方を目指すべきだという方向が,心産業という言葉によって示されたのです.これが,後に西粟倉村の木材流通の変革にも強く影響します.

(4) 2006年:最初の林業ベンチャー 木薫の設立

2006年に,西粟倉村で最初の林業ベンチャーとして(株)木の里工房 木薫(もっくん,以下木薫)が生まれました.木薫を起業したのは,当時森林組合の職員だった国里哲也さん.杉と檜で最終製品にして販売していける市場として,保育・家具遊具に目をつけました.今では東京を含めてたくさんの保育園に内装・家具・遊具を納品する木薫は,今では社員数15人の会社になっています.雇用が減少していく一方の山村で,木薫というベンチャー企業が生まれ,雇用を創出していくということは,とても画期的なことでした.そして,国里さんのチャレンジがきっかけとなって,心産業を具体化していくチャレンジの連鎖が始まっていきます.私がコンサルタントとして西粟倉村に関わらせていただくことになったのもこの頃からでした.

(5) 2007年:村の人事部の設立

国里さんのチャレンジを加速させていくこと,国里さんのチャレンジをきっかけに新しいチャレンジを生み出していくことが,地域の未来を切り拓くことにつながる.チャレンジする人を発掘・育成していくことに投資していくことが重要である.そう考えた村役場は,2007年に村の人事部こと雇用対策協議会を設立します.

企業は人事部という組織を持ち,その企業の将来を担う人材の発掘に力を入れています.地域でもそれは必用なんだという発想です.雇用というものにおいて,地縁血縁を重視してきた地域の中で,やる気と能力のある人材を地域外にも求めて行くということは,地域の中では簡単に理解されることではありませんでした.しかし,役場の担当者の方は,いろいろな批判がある中,信念をもって村の人事部の立ち上げを進めました.その方はまず,役場が仲介して空き家を移住者に斡旋する仕組みを作っていきました.約70軒ある空き屋の所有者すべてと交渉し,移住者のための住宅確保を徐々に進めていきました.

(6) 2008年:「百年の森林構想」というビジョン

村役場と雇用対策協議会が連携して,「百年の森林構想」というビジョンを掲げました.挑戦者となる苗人を集めていくためにも,村としてのビジョンを示す必要がありました.やる気のある人ぜひ来てくださいと言うだけで,人を集めることはできません.そこで,「百年の森林構想」の特設ウェブサイトを立ち上げ,構想の旗揚げに際して村長のメッセージが掲載されました.そのメッセージは,「地域には捨ててはいけないものがあります.約50年前に子や孫のために木を植えた人々の想い.その想いを大切にして,立派な百年の森林に育て上げる.そのためにあと50年,あきらめずに村ぐるみで挑戦を続ける決意をしました.」というものでした.

(7) 2009年:百年の森林事業と共有の森ファンド

百年の森林構想を具体化するために,スタートしたのが「百年の森林事業」です(図6).これは,森林整備の集約化を進める「百年の森林創造事業」と,木材の加工・流通について取り組む「森の学校事業」の2つから構成されています.村全体で放置される森をなくしていくこと,そして間伐材を商品にして販売すること,この2つを両輪として一体的に進めて行くことによって,百年の森林構想を実現していくことを目指すというわけです.

図6.

百年の森林事業の全体概要図

百年の森林事業を開始するのとほぼ同時に始まった特徴的な取組が「共有の森ファンド」です.匿名投資組合という方法により小口で出資金を集めて高性能林業機械を購入,それを森林組合にレンタルして,レンタル費用を主たる原資にして出資者に配当を出していくという仕組みです.この仕組みは,必用資金の確保ということだけでなく,村の応援団を形成することを重視していました.この共有の森ファンドに出資してくださったファンドメンバーは400名以上となり,この大応援団が多くの困難を伴う事業を推進していく大きな原動力となっていきます.たくさんの人たちが応援してくれているというだけでも,この事業の関係者にとって精神的な大きな支えになります.さらに,フェイスブック等のソーシャルメディアが発達している中では,この大応援団が力を発揮してくれます.この応援団の人たちが村の情報を媒介して広げてくださるのです.共有の森ファンドという仕組みを使うことで,都市に住む人たちにも参画していただき,村の森づくりを一緒になって進めて行くという体制ができてきました.

百年の森林事業では,村役場が大きなリスクを背負います.長期施業委託の委託先としては森林組合が一般的ですが,西粟倉村では役場がそれを担うことになりました.村役場が,特別会計をつくって,村全体の森林経営の責任を役場が持つという形です.共有の森ファンドには,小口で資金調達をするということで,役場が背負うリスクを分散させてファンドメンバーに移転するという意味もあります.

役場が事業リスクを負うのは,役場が財政的にも体力があってリスクを負う力があるということもありますが,それによって儲かるのも実は役場なのです.なぜかというと,人口によって金額が大きく変わる地方交付税交付金です.現在50名ほどの村外からの移住者があります百年の森林事業を実施していくことを通じて,人口の社会増が50名あるとすると,それによる地方交付税交付金の増額は約2,500万円となります.だいたい移住者1名あたり約50万円です.村役場の百年の森林事業特別会計は,立ち上げから赤字を続けていて,「最初の10年間は投資フェーズなので,長期的に村の将来を考えるとやむを得ない赤字である」という説明が村議会などでなされていますが,実は交付金の増額も加味するとすでに役場は黒字になっているのです.移住者はさらに増加する傾向にあり,長期的には森林資源の質が飛躍的に高まり,森林整備の現場で働く人たちの技術レベルが向上し,施業の効率化も進みます.つまり,長期的にはひたすら状況は改善していくわけですから,長期戦をしっかりと丁寧に戦い続けることが重要です.そのためにも,役場にリスクを集中させるということが,役場にとって,村全体にとっても合理的な判断であったと思います.

小さな村役場ですが,百年の森林事業を担当する専任スタッフが3名もいます.普通はあり得ない体制だと思います.それだけ西粟倉村役場としても,この事業に力を入れて人的資源を集中させています.3名の専任者のうちの1名は,神奈川県庁の林業職を辞めて村に移住した女性です.ちょうど百年の森林事業が動き始めたころに,たまたま西粟倉村にその人が来てくれた時に,役場の方々と一緒になって「県庁を辞めてこの村にこないか」と勧誘したときのことを今でもよく覚えています.地権者交渉だけでも膨大な労力を必要とするこの事業をやり遂げるためには,相当な想いをもって業務を全うできるスタッフをそろえることが不可欠でしたから,必死で人材確保を進めていました.

(8) 2010年:西粟倉・森の学校の事業開始

2009年2月から会社設立準備を進めるプロジェクトチームを立ち上げ,2009年10月に設立登記,2010年4月から事業開始という流れで,株式会社西粟倉・森の学校(以下,森の学校)の立ち上げを進めました.マーケティング機能を地域が自前で持つことで,大企業や大組織の下請けから脱却していくということが森の学校のミッションでした.百年の森林事業によって生産される素材を加工して商品にすることを含めて,西粟倉村という地域全体の六次産業化を推進していく中核的な組織として発足しました.

六次産業化というのは,製造から販売までを行うわけですから,とても多様な人材が必用になります.ツアーを組んで集客を行う人,小物・雑貨・家具の商品企画を行う人,インターネット販売を含む小売の仕事をする人,建築向けの部材販売の営業を担当する人,木材加工(製材・乾燥・モルダーなど)をする人,工場の生産管理,会社全体の経理や労務管理を担当する人など,いろいろな仕事をする人を集めないといけませんでした.集中的に植人を進めて行くこの時期には,多種多様な苗人を集めることが重要でした.

森の学校は大きく2つの事業部から構成されています.1つは地域商社事業部,もう1つはニシアワー製造所(木材加工場)です.最初に地域商社事業の方から動かし始め,2010年10月にニシアワー製造所が発足しています.ほぼ全員が素人という状態でスタートした工場ですから,木材を扱って来たプロの人たち(工務店など)からは相手にしてもらえません.成熟を通り越して衰退市場に入っている木材加工業界に新規参入するわけですが,苦しい中でなんとか踏ん張っておられる先輩たちと戦っても勝ち目はありません.ですから,「競争を回避できる新しい市場を開拓する」ということを目指しました.

(9) 2011年 ユカハリ・タイルの販売開始

「競争を回避できる新しい市場を開拓する」という方針で,最初に商品開発を進めたのがユカハリ・タイルでした.「賃貸住宅に住む人のための置くだけ無垢床」というキャッチコピーで販売を始めました.家を建てる人のための木材を販売していくことが基本になっていますから,賃貸住宅向けに商品をつくれば競争を回避して新しい市場が切り拓けるのではないかと考えたわけです.それが安定して売れる看板商品となり,これから派生してオフィスビルの内装なども手掛けることができるようになってきました.そして事業開始2年目の2011年の売上は1億円に達しました.ファンドメンバーの方々の応援が非常に大きかったです.ファンドメンバーの中で会社経営をされている方がいて,「新しく事務所をつくるので,西粟倉の木で内装をやって欲しい.やったことがないのは分かっているけど,でもやってみて欲しい.」というオファーをいただけることもありました.こういう幸運があり,なんとか結果を出す.それが評判になってまた新しい仕事がもらえる.そういう繰り返しの中で,素人集団の苗人たちは,じわじわと売上を伸ばしながら技術面でも成長していきました.こうして,「原木を売る村から,製品を売る村へ」という転換が進んで行きました.

(10) 2012年:原木市場への出荷をゼロに バリューチェーンの競争力を高める

製品の品質管理などが一定レベルに達し,個性的な商品を生み出していくことができるようになった苗人たちの次のテーマは,「競争力の高いバリューチェーン」を構築していくことでした.西粟倉村では,一定の基準に合致する原木は森の学校が購入し,残りは合板工場に販売するという流れが基本になっています.西粟倉の木でできた合板を森の学校で買い戻して得意先の工務店に販売していくという準備も進めています.山側の営業力を強化し,森づくりからお客様までのバチューチェーンの競争力をどう高めて行くかということを重視してきた結果として,できるだけ村内で最終製品にして販売していくということになっていきました.市場での販売価格が立米あたり1万円のスギ原木を原木市場で販売する場合,村から原木市場までの原木運賃が2,000円/立米,市場手数料が1,000円/立米,原木市場から製材工場までの運賃が2,000円/立米ぐらいですから,バリューチェーン全体で発生する運賃と手数料の合計は約5,000円となります.なので,村内で最終製品まで持ち込むことで,バリューチェーン全体での経費は立米あたり約5,000円節約できるわけです.とは言っても,村内で収集できる材料はその大きさや質においてバラつきが大きくなります.これらの問題を解決しないと,林業の六次産業化は成立しないわけですが,そこは「工務店等のお客様と一緒になって商品開発を行う」ということによって,多品種少量生産でありながら,各商品の出口が比較的見込みがつくれることで,工場の安定稼働を実現しようとしています.そもそも必用な量が足りないとういことも起こります.これについては,比較的近くにあるFSC認証森林からの定期的な仕入れ,さらに不足する部分について周辺の原木市場から購入するという対応をとっています.以上のようにして,大量生産大量消費型の市場に関わりを持たないようにしながら,地域の森林とお客様とを,うまく繋ぐことができるようになってきています.

バリューチェーンをもう1段階進化させるために現在取り組んでいるのが内装材のプレカットです.大型の大量生産の工場ではなく,小回りが利くという特性を生かし,木材製品の価値を上げながら,工務店の施工コストを下げるということができるようになってきました.得意先工務店と共同で開発した壁板ユニットは,その工務店の設計に合わせたジャスト寸法で出荷するだけでなく,何枚もの壁板を連結してユニット化することによって,4人日かかっていた壁板工事を1人日で完了させることに成功しました.2年半前に工場が稼働したときには,工務店には全く相手にしてもらえませんでしたが,今はこのような取組を工務店と共同で進め,森づくりとつながる家づくりを探求していくことができるようになってきました.「森づくりとつながる家づくり」というのは,森から家までのバリューチェーン全体のコストを最小化し,そしてバリューチェーン全体としての価値を最大化していくということだと考えています.

(11) これまでの経緯を振り返って

雇用対策協議会と百年の森林構想のことを中心にこれまでの経緯を整理しましたので,林業・木材関係のことを中心に説明する形になりましたが,食と農業,自然エネルギー,獣害対策など多種多様なローカルベンチャーが出現するようになってきています.林業・木材関連の事業が主軸になりつつも,小規模で多様なビジネスが集積して,ローカルベンチャーの群れが育っていくことになるものと想定しています.

6. 真に必要な地方創生支援とは何か

西粟倉村は,主体的に何かをやりたいという挑戦者の発掘・育成を試みて,その結果としてローカルベンチャーの群れを育てていくということについて一定の成果を出すことができています.これは,どんな地域にも,多様な可能性があって,ローカルベンチャーが育っていく余地があるということを示唆しているものと捉えています.

では,そのような潜在的な可能性を掘り起こし,地方創生を実現するために,どのような支援策が必要なのか.残念ながら,そのための一般解のようなものを私は持ち合わせてはいません.一人一人の可能性とその地域の可能性の掛け算で,まだまだ新しい個性的なビジネスが生まれてくる余地があるという仮説をおいて,その地域なりに試行錯誤していける民間主導の取り組みが重要だと考えています.国や地方自治体が何かしてくれるのを待っているような地域は何も変わらないことは確かだと思います.

 
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