2016 Volume 52 Issue 4 Pages 229-234
作物の在来品種(伝統品種)は,世界的に急速に消失している.在来品種とは,ある作物の品種が特定の地域で繰り返し栽培され,自家採種されることにより,地域の気候風土や食文化に適応した特徴を持つようになった品種を指す.これらの品種は,育種素材のための遺伝資源として,あるいは地域の伝統的な食生活と密接に関係するものとして,文化財としての価値等を有しており,世界的にその保全の在り方についての議論が行われている.
世界各国でこのような遺伝資源の保全のためのジーンバンク(種子銀行)が設立され,中長期的な保存が行われているが,農家や農民が畑で毎年栽培することの重要性も指摘されている(西川,2010).また,在来品種を生産する主な担い手であった零細農家の減少などから,多様な主体が関わることによる管理システムを構築することが課題となっている.一方,日本では,戦後の高度経済成長期と前後して,全国で改良品種が普及し,地域で継承されてきた在来品種は急速に消失していった.在来品種は,改良品種と比較すると,形が不揃いである,病気に弱い,収穫時期がばらつくといった特徴を持っており,農家は大量出荷に向いている改良品種の栽培へと切り替えを進めていった(芦澤,2002).
他方,地域農業の戦略の1つとして,伝統的に栽培されてきた品種を活用した「伝統野菜」の取り組みが京都などで進められた.その後,90年代以降には行政などが中心となって「伝統野菜」の認定を行い,2000年代に入るとその流れは全国に広がっていった(草間,2014).しかし,行政主導の伝統野菜の保全の取り組みは,継続性の観点からも課題があり,多様な主体が参画することによる保全体制の構築が必要となる.特に,市場流通を通した普及を検討する際には,一般消費者の意向が重要な項目となる.
これまでに特定の伝統野菜(兵庫県の岩津ねぎ)の安定供給を支援するための消費者の支払意思額を算出した研究は存在する(加藤他,2007).また,京都の賀茂なすを対象に,地域ブランドの品質規定における新旧産地の関係性の分析も行われている(鬼頭,2008)
しかし,行政が認定した,特定地域の「伝統野菜」のブランド全体に対する消費者の認知度および利用(消費)の実態についての調査は見当たらない.伝統野菜は大規模な市場流通に不向きな場合が多い.よって,販売・活用方法を検討するにあたっては,伝統野菜に対する消費者の認知や意向を理解することがよりいっそう重要になる.特に,県内の消費者や県外からの観光客が,これらの消費や普及に大きな影響を与えるといえるため,これらの消費者や観光客の認知と利用の実態を把握することが必要である.
本研究では,2000年代以降に新しく取り組まれている伝統野菜を対象に,消費者の認知・意向を明らかにする.熊本県では,「ひご野菜」や「くまもとふるさと野菜」の認定が行政によって行われている.本研究ではとくに「ひご野菜」の事例を取り上げ,消費者の認知と意向の調査・分析をもとに,伝統野菜の認知度を高め普及を進めるための方策について検討する.
熊本では,「ひご野菜」という名称で熊本市が2006年に15品目を指定している.指定に先立って,選定委員会が設置され,県内の大学教員,流通業者,民間の関係者などが委員となり選定に向けた作業が進められた.具体的には,「ひご野菜」の定義や地理的な範囲,候補となる作物についての内容について,議論が行われ,候補となった品目の中から15品目が選定された.
伝統野菜の定義としては,「(1)熊本で古くから栽培されてきたもの,(2)熊本の風土に合っているもの,(3)熊本の食文化にかかわるもの,(4)熊本の地名・歴史にちなむもの」の4点にあてはまるものが選定されている.主に熊本市および近郊で栽培されている品目が対象となっている(表1).
品目 | 種 | 歴史 | 種苗管理1) | 栽培状況 |
---|---|---|---|---|
熊本京菜 | コマツナ | 江戸~ | 自/購 | 出荷中 |
水前寺もやし | ダイズ | 江戸~ | 自 | 出荷中 |
熊本長にんじん | ニンジン | 大正~ | 自 | 種有り |
ひともじ | ワケギ | 江戸~ | 自/購 | 出荷中 |
ずいき | サトイモ | 江戸~ | 自 | 出荷中 |
れんこん | ハス | 昭和初期~ | 自 | ―3) |
水前寺菜 | スイゼンジナ | 江戸~ | 挿/購 | 個人レベル栽培 |
春日ぼうぶら | カボチャ(東洋種) | 明治~ | 自 | 個人レベル栽培 |
芋の芽 | サトイモ | 江戸~ | 自 | 熊本市外産 |
熊本赤なす | ナス | 大正~ | 自 | 出荷中 |
熊本ねぎ | ネギ | 明治~ | 自 | 個人レベル栽培 |
水前寺せり | セリ | 昭和末期~ | 自 | 出荷中 |
熊本いんげん | インゲン | 昭和初期~ | 自 | ―3) |
熊本黒皮かぼちゃ | カボチャ(東洋種) | 大正~ | 2) | 主に熊本市外産 |
水前寺のり | スイゼンジノリ | 江戸~ | 自 | 熊本市外産 |
資料:熊本市経済振興局農林水産振興部生産流通課地産地消推進室(2011)を元に作成.
1)「自」自家採種,「購」種苗購入,「挿」挿し木での増殖.
2)「熊本早生黒皮」などの交配種である可能性が高い.
3)現品種は旧品種と異なる.
指定後には,行政によるパンフレットの作成,食育講座の開催などが実施され,行政・民間が連携する形での普及が行われた.行政(熊本市)の事業により,ロゴマークの作成が行われた.2011年には,九州新幹線の開通に合わせて,民間関係者や九州農政局が中心となり九州伝統野菜フォーラムが開催されている.
ひご野菜の普及を目指して,一般市民にも手軽に食べてもらうために「ひご野菜コロッケ」専門店をオープンする民間の取り組みもある.また,県内の農業高校では,生徒が「ひご野菜プロジェクト」を立ち上げ,種苗の保存や生産農家との連携,栽培法の継承,収穫した野菜を学校給食へ提供するといった活動が展開されている.
更に,2013年頃からは,JAや熊本大同青果,鶴屋(百貨店),交通センターホテル,生産者などが集まり「ひご野菜ブランド協議会」が設立された.これは,行政の支援が以前ほどは見込めなくなり,危機感を抱いた関係者によって,民間主導の取り組みを進めていくことを目的としている.
種苗管理は自家採種の形で行われている場合が多いが,3品目に関しては種苗会社での取り扱いが確認されている.生産地としては熊本市及びその近郊が主な範囲となっている.また,生産量は把握されていないが1,少なくとも9品目が市場に出荷されている状況にある(表1).出荷されている品目に関しても,在来品種でないものと一緒に,農協経由で熊本の青果卸売業者により販売される場合が見られる.在来品種としての価値は現況では市場などで評価されていないため,労力がかかる割に価格は通常の品種のものと変わらず,販売面でも不利となっている.また,生産量や時期が限られるため,直売所などのみで販売されるものもある.
ひご野菜ブランド協議会によると,認知度の低さが最大の課題であるとされている.
本研究では,この「ひご野菜」に対する認知度や利用(消費)について,消費者を対象としたアンケート調査を実施した.
(2) 調査方法熊本県内の住民および県外住民(観光客)を対象としたアンケート調査を実施し,消費者による伝統野菜の認知度,利用度,期待度といった傾向について分析を行った.調査概要は以下のとおりである.
―調査対象:(a)熊本県民500名,(b)県外住民(観光客)500名,合計1,000名.
―調査方法:Webを通じたアンケート調査(楽天リサーチへの委託).回収率100%.
―調査期間:2015年3月16日~3月25日.
―調査項目:ひご野菜の認知度,食の経験・満足度,利用の有無,利用の意向,ブランド化に対する割増の支払い意思額など.
なお,本調査における「県外住民(観光客)」とは,過去1年以内に熊本県を旅行で訪問したことのある人を指す2.回答者の属性としては,男性が67.7%,女性が32.3%であった.年代別にみると,20代以下が13.6%,30代が18.1%,40代が20.2%,50代が24.0%,60代が20.8%,70代が3.3%となっていた.
ひご野菜の認知度に関しては,県外住民では65%以上の回答者が「知らなかった」状況であったのに対して,熊本県民の間では,60%程度の回答者が何らかの形でひご野菜の存在を認知していた(表2).ただし,ひご野菜に含まれる15品目の多くを知っていた人の割合は,県民と県外住民で大きな差はなかった.このことは,ひご野菜についての詳しい情報を理解している人は,県内外を問わず少数派であることを意味している.熱心な利用者を増やすには,この層をどのようにして拡大していくかが鍵となるだろう.
「ひご野菜」を知っており,15品目全てがひご野菜に含まれていることを知っていた | 「ひご野菜」を知っており,15品目のうち多くの野菜がひご野菜に含まれていることを知っていた | 「ひご野菜」を知っており,15品目のうちいくつかの野菜がひご野菜に含まれていることを知っていた | 「ひご野菜」の名前は知っていたが,どのようなものが含まれるかは知らなかった | 知らなかった | |
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熊本県民 | 2.8 | 7.2 | 25.0 | 25.8 | 39.2 |
県外住民(観光客) | 3.8 | 5.8 | 9.0 | 16.0 | 65.4 |
資料:アンケート調査結果より著者作成.
「ひご野菜」を実際に食べたことがあるかの経験を尋ねたところ,熊本県民のおよそ半数が食べた経験を有していた(表3).一方,県外からの観光客で食べた経験があるのは2割程度にとどまっていた.ただし,県民・県外住民ともに「分からない」と回答する人が35%以上存在しており,実際には食べたことがあるものの,「ひご野菜」と認識して食べている訳ではない回答者がある程度存在していることが窺えた.特に,県内の住民にとっては,家庭や飲食店などで,「ひご野菜」とは認識されないままに食されている機会は少なからず存在すると考えられる.県内の伝統的な農産物を次の世代に継承していくという観点に立てば,ひご野菜の存在を認識してもらった上で食べてもらえるように,家庭などでの普及が重要となると考えられる.
はい | いいえ | 不明 | |
---|---|---|---|
熊本県民 | 49.2 | 14.0 | 36.8 |
県外住民 | 21.8 | 42.4 | 35.8 |
資料:アンケート調査結果より著者作成.
ひご野菜を食べたことのある回答者に対して,満足感を質問した所,表4のような傾向が見られた.概して,「不満(美味しくなかった)」と感じる回答者はほとんど見られず,全体として満足度は高い傾向にあった.県民ではおよそ73%が満足していることに対して,県外住民では9割が満足している状況にあった.これは,県外からの観光客が,地元の農産物としてのひご野菜を食べた経験を,より新鮮で有意義なものとして認識していることを示唆している.
満足 | やや満足 | 普通 | やや不満 | 不満 | |
---|---|---|---|---|---|
熊本県民 | 29.7 | 43.1 | 26.4 | 0.8 | 0.0 |
県外住民 | 50.5 | 39.4 | 10.1 | 0.0 | 0.0 |
資料:アンケート調査結果より著者作成.
実際にひご野菜を利用・購入しているかどうかを県民に質問した所,ある程度利用している人は35%程度であった(図1).購入していないとした回答者が65%と多くを占める状況にあった.しかし,ひご野菜を食べた経験のない熊本県民・県外住民に対して「食べたみたいと思うか」と聞いたところ,県内住民,県外住民ともに7割以上が「食べたい」と感じている結果となった(表5).上述したように,県外住民は65%以上がひご野菜の存在そのものを認知していない状況にあったが,機会があれば回答者の3/4が食べたいと感じていた.よって,県外住民が熊本に観光に来る際に,飲食店などで効果的にPRすることで,観光客の満足度を高めることができると思われる.
熊本県民によるひご野菜の利用・購入の頻度(n=304)
資料:アンケート調査結果より著者作成.
はい | いいえ | 不明 | |
---|---|---|---|
熊本県民 | 73.2 | 9.8 | 16.9 |
県外住民 | 74.4 | 6.9 | 18.7 |
資料:アンケート調査結果より著者作成.
更に,加工品や収穫体験なども含めて,ひご野菜をどのような形で購入・利用したいかについて質問した所,図2のような結果となった.県内住民,県外住民それぞれで「ひご野菜そのもの」や使用した食品が多くなっていたが,県民では野菜そのものを求める割合が高く(70%),一方の県外住民は加工された「食品」を求める割合が相対的に高い傾向が見られた.購入したい場所については,「現地の市場・直売所」が多くなっていることから,このような場所で「ひご野菜」という名前を明示した形での販売戦略を立てることが,利用の拡大につながるものと考えられる.
ひご野菜の利用・購入に対する消費者の意向(複数回答,n=1,000,単位:%)
資料:アンケート調査結果より著者作成.
最後に,店舗で販売されている野菜に,仮に「ひご野菜」のブランドシールが貼ってあった場合に,貼っていない場合の野菜と比較して,価格が何%増でも購入したいと思うかを質問した3(表6).その結果,価格が割増してでも買ってもよいと考える回答者は,1,000人中668人であった.うち熊本県民は336人,県外住民は332人であり,両者の間での差はほとんど見られなかった.また,具体的な割増価格としては,1–20%を選択する人が多く.1–30%までと回答した人が,全体の87.1%を占める状況にあった.熊本県民と県外住民では,1–20%の割増価格と回答した割合は熊本県民の方が高く,21–30%と回答した割合は県外住民の方がいくぶん高い状況にあった.しかし,両者の傾向には大きな差は見られなかったため,ひご野菜に対するブランド価値は,県民と県外での大きな差はないことが示唆された.
割増価格 | 1~10% | 11~20% | 21~30% | 31~50% | 51~100% | 101%~ | 合計 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
熊本県民(n=336) | 45.5 | 31.8 | 9.2 | 8.3 | 2.4 | 2.7 | 100 |
県外住民(n=332) | 37.3 | 36.1 | 14.2 | 6.3 | 2.4 | 3.6 | 100 |
合計(n=668) | 41.5 | 34.0 | 11.7 | 7.3 | 2.4 | 3.1 | 100 |
資料:アンケート調査結果より著者作成.
ひご野菜の認定に関する取組みや住民のアンケート結果から,伝統野菜の認知度・利用に関する実態について検討してきた.京野菜などと比較すると,ひご野菜は2006年に指定が行われた新しい取り組みである.15品目の中には栽培農家が1軒のみになっている品目もあり,保全のためには消費者の認知度を高め,利用を促進することが必要となる.近年,行政・民間が中心となり,ひご野菜ブランド協議会が組織され,知名度の向上のための方策が検討されている.本研究でみたように,熊本県民の方が県外住民よりも認知度が高い傾向にあるものの,ひご野菜についての詳しい情報を理解している人は,県内外を問わず少数派であることが明らかとなった.
消費者の多くは「ひご野菜」と判別できるブランドシールが貼ってあれば,1–3割程度高い価格であっても購入したいという意向を持っていた.県内・県外でも同様の傾向が見られた.よって,そのような割増価格を参考にしつつ,「ひご野菜」であることを明示することで,利用の拡大に寄与する可能性が示唆された.特に,直売所での販売に対しての期待が高く,そのような場所で「ひご野菜」を明示する形で販売することが,消費者の認知を促すと共に,普及の一助となると考えられる.合わせて,県民に関しては「住んでいる街のお店」での購入を希望する消費者も多いため,市街地の小売店(スーパー)と協力したPRが有効になると思われる.一方で,熊本では,市内および近郊に農産物直売所も多く,消費者にとって直売所で農産物を購入することは身近なものとなっている.このことからも,直売所やその運営主体と連携した取り組みを進めることが重要になると考えられる.ただし,高い価格で購入してもよいと考える理由,すなわち消費者が伝統野菜の何に優位性を抱くかについては明らかにできていない.今後の課題としたい.
調査にあたっては,北亜続子氏(ひご野菜コロッケ専門店「ひご之すけ」店主),宮本健真氏(リストランテ・ミヤモト,オーナーシェフ),持田成子氏(シニア野菜ソムリエ)及び「ひご野菜ブランド協議会」の皆様には大変お世話になった.また,熊本市農水局農政部農業・ブランド戦略課の担当者をはじめとする熊本市役所の関係者,生産農家の皆様には聴き取り調査等にご協力頂いた.記して感謝申し上げる.
本研究は熊本大学COC事業「地域志向教育研究経費」(平成26年度~27年度),科研費(25850160および16K18767)の助成を受けて実施された.