Journal of Rural Problems
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Plenary Lecture
Qualitative Research Redux: Renewed Concept and Writing Method in the Social Science Case Study on Agriculture and Forestry
Motoki Akitsu
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2020 Volume 56 Issue 1 Pages 5-10

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Abstract

Although qualitative research contains a broad range of possibilities for theorization, there is no common standard to measure the degree of achievement of papers. By contrast, quantitative studies have shared methodology for statistics and numerical results that enable easier comparison between papers. In my experience reviewing submitted qualitative research papers, the important points are to set up the theoretical framework that illustrates the relationships among the introduced concepts at the beginning, to include a clear research question, to deploy a relevant empirical case study or studies, to interpret them through the use of the concepts initially introduced, and to identify new implications for future research. The paper must be equipped with several sorts of validities and, in some instances, causality as well. Social science studies of agriculture and forestry have a mission to solve the many real challenges, which is inherent in applied sciences. In this sense, the method of action research is required in the qualitative research of our field under the current conditions of rural degradation of agricultural production and local societies. Despite the difficulties posed by the new research method like action research, qualitative research can provide valuable perspectives and benefits for designing agriculture and forestry of the future.

1. はじめに

これはひとつの遺言である.私が挑戦しようとしてできなかったことでもあり,私が若かった頃のこの学会の状況を考慮するとき,やる気が出なかったことでもある.当時は,農林業問題の質的研究においても,経済的指標や合理性指標が深く浸透しており,その結果として日本の農業政策および日本農業の窮状に棹さし,それを支えることになった.しかし,その窮状が深化し農政の再考が求められる現状では異なる問題関心や研究方向が必要である.この報告をきっかけとして私にはできなかったことを次の世代に遺言として直球で伝え,託したい.

2. 質的研究の進め方

(1) 基本的心構え

質的研究に限らない論文としての基本事項をおさらいしよう.査読の場合に論文の要件としてチェックするのは,先行研究レビューの有無,レビューと連動した明確な課題設定,課題に応じたデータ蒐集,データに裏付けられた結論である.こう書くと当たり前だが,多くの質的研究の場合,この順番で実際の研究が進むのではなく,最初は広げられた問題関心のもとに調査データが蒐集され,そこから有意義な結論を導くために先行研究を再度検討して,データから説明できる内容に焦点を絞って課題化し,それに沿って先行研究を整理して,論文のストーリーを構成するという往還作業がおこなわれる.

質問票調査をおこない,それをあれこれと解析することによって,喫緊の課題にそれほど寄与のない内容であっても,とりあえずデータから得られた結論として論文の体裁を整えられる場合がある.この場合,最初に質問票調査をする際に,十分に課題が練られていたならば,喫緊の課題への寄与も大きいだろう.しかし,形式だけを整えるような論文を書いていると,質問票処理の技術は向上するかもしれないが,いうならば行政の下請け屋さんで一生を終わることにもなりかねない.研究者は行政の僕ではない.行政課題をそのまま研究課題にしてよいわけでもない.それは研究者としての怠慢である.社会全体に対するように,行政に対しても方向性を示すことが私たちの使命である(ただし,近年では行政において研究依頼する力と余裕さえ低下してきている…).

(2) ストーリーとフレーム

若い研究者からの相談を受けていると,論文のストーリーを考えるのが難しいようだ.ストーリーというと創作的であって学術的でない印象を与えるが,文章の基本には起承転結としても表現されるストーリーが求められる.論文とは自らが伝えたいことを論拠(論理と根拠)をもって主張することに他ならない.論拠をもって人びとを説得することであるといってもよい.他者に聞いて理解してもらうには,ストーリーが必要である.かつて,「キミの書くものにはドラマがある」と師匠の一人からいわれたことがあるが,私がストーリーを重視するのはそうした本人の性向からかもしれない.しかし,論文は冒頭から末尾へとリニアに読まれることを前提としている.つまり,すでに読み終えた部分を前提にして次が展開される.後の仕込みを事前におこなう必要があるという意味でストーリーが必要なのである.

ストーリーを論文の構成という観点からもう少し賢そうに言いかえると,フレームframe設定になる.これは混沌とした現実を言語で論理的に説明するためのツールであり,「理論」とも関連する.しかし,理論は発想の根源を規定する,つまり現実のどこを拾って問題化するかにおける根本的な認識のレベルに関係する.同じ現実をみても,社会学者と経済学者,生態学者では注目するところも違うし,理解のしかたも異なる.拠って立つ認識のベースが異なるからである.この認識のベースについて,自分の本拠地をもつことは重要である.計量分析のベースについて私は実感がないが,表面的には現実を数式や数値で表すという認識装置だろうか.おそらくその裏に学説と連動した根源的な認識パターンが存在すると予想される.

質的研究に戻ろう.認識を規定するベース理論だけで論文は書けない.それを前提として,あるいは意識しながら,ストーリーを構成するためのフレームを考える.フレームは,先行研究がなければ作れない.しかし,先行研究を理解すれば自動的にフレームが浮かび上がるのではない.私は先述とは別の師匠から,「秋津くん,あんまり論文ばかり読んでいるとアホになるよ」といわれたことがある.先行研究を読んでそれに入り込みすぎると,世の中が既存の研究によって敷かれた認識でしか見えなくなる.そうすると世の中の問題はすべて誰かが検討し,すでに一定の答えが出されているように思える.他者の論文フレームで見るので,それは当たり前だ.自らのフレームは先行研究とは少し外れたところで設定され,そのズレが論文の独創性を生み出す.独創性を生み出すズレは思いつきから生まれる.最近ではすっかり歳をとって頭が鈍っているが,かつては風呂の中とか,歩いているときとか,眠りかけたときとかにふとフレームづくりに役立つ発想が出てきたものだ.

(3) 事例との往還

質的研究のよいところは,「現実」がこのズレの発見の助けとなることだ.私が真剣にインタビュー調査するときには,必ず事前に調査メモを作成する.いわゆる,semi-structured interviewの手法である.そのメモには事前に予想される仮説のようなものが組み込まれている.といっても大袈裟なものではなく,この質問とこの質問とは関係がありそうだな,程度のものだ.そのために予め基本的な数値や文書資料を検討しておくことはもちろん必要である.仮説とは要素=概念間の相関関係である.思えば私たちの日常だって仮説でできている.日常行動は細分化すればactionとその結果の連鎖として構成される.行動あるいはその基礎なる考え方から結果を予想するのが仮説である.ルーチンになってそれが意識されないことも多いが,それを時々意識化してみることも必要だろう.このことは最近,私が関心をもっている食と農の倫理とも深く関連している.

話を元に戻すと,先行研究やそれまでの研究経験から想定される,まあこんな反応かなという相関関係が,調査のときに裏切られることがある.あるいは,想定していない相関関係に気づくことがある.この「おや?」という発見があればしめたもので,それをseedにしてストーリーを組み立てて論文に発展させることができる.

とはいえ難しいのは,調査メモを作る段階やそもそもインタビューを受けとめる段階で,論文のseedとして「おや?」と思えるだけの知識や経験を蓄えておくことである.質的調査が名人芸と呼ばれる所以は,その蓄積に大きく左右されるからだ.名人にはたくさんの引き出しがって,話を拾える網の目が細かいが,研究生活の初期段階ではそんな蓄積がなく,網の目も粗いので,当たり前の内容しか拾ってくることしかできない.私が質的データで論文を書こうとして悩んでいる院生たちに対応するやり方として,まず,どのジャンルで主張しようとしているのか,具体的にはどうしてそんな研究をしたいのかという問いを確認した後に,とりあえず集めてきて整理した,すなわちストーリー化しようとしているデータを見る,あるいは聞く.その段階では多くの場合,当たり前の状況,つまり皆が知っている仮説しか聞けないので,もう少し細部を聞き進めて,新しい仮説となりそうな一角を探し当てる.そこを深掘りして問いかけるが,たいていはそのような視点で調査をおこなっていないためにデータは少ない.そこでさらにその部分を意識した追加調査をおこなうよう薦める,という手順となる.一度ではうまくいかないのでそのループを何回か繰り返す.名人になると,このあたりのことが最初のインタビューなどのときに自分の中でループしておこなえるので,効率よく焦点が定まっていくのである.

(4) 息の長い研究者の養成

結局,初期段階では最初に関心と粗い網の目ですくったデータがあり,そこから並行的に学んでいる理論を参照しながら論文のフレームづくりをするという,ちょっと難しい道筋をたどることになる.ここを乗り越えると世の中を見る目ができて,後は(時間さえあれば)気持ちよく論文作成を進めることができるのだが,乗り越えるまでは生産性が落ちるので,若いうちから論文を量産しなさいという最近の研究者への要請に合わないことになる.そこで日和る.しかし末永く研究を続けたいのであれば,この期間がないと早晩息切れするし,自分の関心を一貫性をもって展開していくことができないと思う.ちなみに,また別の師匠の話の中で「自分の独自の視点を確立しなさい」という教えがあったが,その後で「秋津さんはもう持っているね」と40歳前にいわれたことがある.研究視点は新しい出会いとともに移り変わるものである.しかし,30歳代にまでにはともかくも身につけたいものだ.若い研究者の人事のときにもそのような部分を評価する姿勢を持たないといけない.これはシニアの研究者の使命である.たとえ少ない論文数でもいい研究者を見抜く能力が問われる.

3. 質的研究におけるよい論文とは?

(1) 妥当性にかかわる4つの指標

少し退屈だが,質的研究方法論の本(イン,2011)から論文の設計と評価における4つの指標を紹介して,これまでのことを確認する(pp. 45–53).

・構成概念妥当性construct validity

明らかにしようとする研究目的に対して,それを説明するための妥当なデータが選択されているか.複数の証拠源の利用,証拠の連鎖の確立,主要な情報提供者への結果のフィードバックと評価,などが対策として考えられている.

・内的妥当性internal validity

因果的(あるいは説明的)研究において問題となる.質的研究にはほかに「記述的研究」,「探究的研究」がある.原因から結果に至る説明を論理的におこなえるかどうかがその内容となる.ただし,論理的説明はひとつではない.予想されたパターンが調査の結果から得られたパターンと一致すれば,その説明の妥当性は高まることになる.複数のパターンの連鎖が予想されていたとき,その中のひとつが結果と異なれば,すべてを考え直す必要がある.

・外的妥当性external validity

研究からの発見がそのケースを超えて一般化できるかどうかにかかわる.質的研究では統計的一般化を考えてはいけない.確率の問題として蓋然性を問うのではなく,一気に「理論」へと一般化しなさいという(イン,2011:p. 51).その場合,追試が必要になる.私は,農業への新規参入・農村移住について時代別の発展過程をそれまでの調査経験から必ずしも根拠を明記せずに述べたが,それをエッセイや講演を通じて確認・追試して,これまで第一線で接する人たちから反論よりも共感を得てきた.振り返れば,こうしたプロセスも質的研究に含まれている.また事例研究する場合,どれくらいの事例を集めるといいのかと学生たちからよく聞かれる.卒論なら10例,修論なら20例くらいかなと答えているが,適当のように思えるかもしれない.質的研究の著名な方法として Grounded Theory(「データ対話型理論」)がある.その理論では,事例からパターンを見つけていくのだが,ある数を超えると新しい発見がなくなるという.その状態を飽和saturationと呼び,それ以上事例を集める必要はなくなる(シャーマズ,2008).この理論は,一気に「理論」に一般化ではなく,蓋然性を考慮して一般化をめざすものである.混乱してはいけないが,抱き合わせで外的妥当性を高めることもできよう.

・信頼性reliability

論文の内容と結論に再現性があるかどうか.文書資料は公開可能だが,インタビュー資料については,いつ,どこで,どのような人に話を聞いたかが再現性の観点から質的研究論文には必ず必要になる.たとえば,調査の日付を入れなさいという指示はこれに関連している.

(2) 質的研究の最前線

先鋭的な質的研究はもっと先を進んでいる.現実は多面的で多義的であるため,そもそもひとつの結論に達することができないということを受け入れて,映画『羅生門』(原作は「藪の中」)のようにひとつの現実をそれぞれの立場や視点から多様なものとして描く立場もある.そうなると現実の多義性が前面に出るので,ストーリー性のない論文となる.(ドラマ志向の私には,理解はできてもあまり魅力を感じないが.)たとえば,crystallizationと呼ばれる手法もそのひとつで,そこでは観察者と切り離された現実は存在せず,知識は常に部分的で情況依存的で社会的に構築されたもので権力関係に埋め込まれたものとして理解される.したがって,それ表現する手法もいわゆる論文形式だけでなく,詩や物語,ビデオや絵画としても発表される(Ellingson, 2009: pp. 1–28).しかし,それではさすがに論文の根幹である主張が曖昧となってしまう,あるいは方法論的主張のみとなってしまうため,論への固定化immersionとその作業をしばし中座して多様な観点から分析や理解を構成してみるcrystallizationとを円環的におこなうという立場もある(Borkan, 1999).先端的な質的研究法は常に進化し続けている.さらに関心のある者はSAGE社から版を重ねている『質的研究ハンドブック』などを参考にするとよい1

4. 因果型と網羅型

質的研究には,これまで中心に述べてきた因果的研究のほかに,記述的研究,探究的研究もある.記述的研究であっても,フレームは必要である.これがないと何を目的にして書いているか判然としなくなる.論文としてはフードシステムの全体像を把握するような研究がこの分類に入るだろうか.その場合も先行する理論を用いて,それを論文のフレームとして利用しながら,その批判と改良というかたちで研究が進められる.システムは個別の因果関係の連鎖である.その一点を取りだして対象にするのではなく,全体として把握することもまた意義ある研究である.

質的研究を通じて政策を考えることもある.農業政策の効果を一点突破型で計量的に評価することもできるが,末端部分においては複数の政策が総合的に働くために,地域農業や農山村社会にどのように影響を与えるのかについて,複雑な要素の交錯を念頭において研究することが必要となる.複雑な現象を複雑なままに表現することは,現在の論文の形式では困難だが,単純な要素でクリアな結論だけを追い求めていると総合的に現象を見ることのできない,一種の「痴呆化」が進行すると懸念している.

因果型論文を志すとしても,調査の段階で因果ばかりに気を取られて,「なぜ」という疑問や質問を最初から表に出してはいけないと心がけている.少し初歩的になるが,「なぜ」ではなく「どのように」を調べるようにインタビュー調査の初心者である学生たちに伝えている.人間の行動は具体的な状況の中で実行される.具体的に「どのように」行動が決定されて実施されるかの中から「なぜ」を読み取ることが,因果にたどり着くための正攻法である.「どのように」を聞くことによって前提や背景となる状況がわかり,たんに「なぜ」を聞くよりもはるかに豊富な情報が得られる.通常,1時間から1時間半のインタビュー時間も十分に間が持つことになる.

5. 質的地域農林業研究のこれから

(1) 緊急性という追い風

ずいぶんと前から私たちの学会はたいへん損をしていると感じている.農業就業人口,就業者年齢,農地面積など,農業関連の指標は低下の一途である.食料自給率もさらに下がりつつある.そうした中で,国民一般における食に関する関心は高くなっているし,国内農業についてもさすがにこのままではマズイという意識も高まっているように思える.実際,都会暮らしの若年層における地方暮らし,田舎暮らしへの関心も高まっている.なのに,そうしたトレンドをうまく引き受けて,学会の研究分野の転換が実現していない.

もうひとつの追い風はSDGsである.SDGsの17目標のうち,農業に関連するものは半数以上ある.日本では農業は環境調和的と考えられる傾向にあるが,稲作だってエネルギー効率的に考えると近代化の過程で,効率の悪い生産体系になっている.中でも機械関連と化学肥料の影響が大きい.水田から発生するメタンガスが地球温暖化に与える影響も周知のはずである.温暖化が原因とも考えられる気象変化と災害に対して,喫緊の災害対策に加えて,地球温暖化防止への対策に言及する報道はほとんどない.どうなっているのか.ともあれ地球上にこれだけの人類があふれて食を必要とする以上,それを支える農業生産は地球環境にとって脅威であり,それをいかに緩和しながら持続可能な社会を築いていくかが緊急課題のはずである.これだけ食料を輸入している日本においては,国内農業のあり方についてだけでなく,輸入先の農業にも関心を向けなければならない.(思えば,私の農学部志望は環境問題への関心からであった.)

地域農林業研究は,世界の研究トレンドとしても冷静に考えたときの課題としても,生産システムがどうあるのかという「事実」発見に終始するのではなく,どうあるべきかを新しい規準で考える時代になっている.今までも,どう効率的に生産・流通・消費するか,そのためにどうあるべきかを考えてきた.しかし,その規準で農業を考えてきた結果が現在の状況を生み出した.どう考えても転換が必要だろう.

(2) 方向としてのアクションリサーチ

社会をあるべき方向に研究を通じて転換する手法として社会実装型研究が話題となっている.質的研究が何らかの価値観を前提として,それを意識しつつおこなわれるべきことはすでに2007年のシンポジウムで述べた(秋津,2008).やっと少し世間がついてきたように感じるが,まだまだでもある.社会実装的研究では,実装しようとする目標の公共性とその共有が前提となる.そのうえで社会介入的な研究が企画される.私もこれまで住民参加型のワークショップや関係者とともに企画する食農イベントを実施してきた.それを通じて,自ら設定した目標(たとえばローカルレベルの持続可能な食農システムの構築)を持ちながらも,住民の参加と合意を得ながら,社会を目標とする方向に転換していくことを模索してきた.この研究は,いわゆるアクションリサーチaction researchと関連する.このアプローチはすでに農村計画学の分野ではお馴染みかもしれない.しかし,途上国の社会開発事業を対象にすればアクションリサーチを意識した研究もあるが(Inoue et al., 2016),そこでは開発される側と研究する側が分断されていて,研究者が対象を観察するという従来の形式を超えられていない.

社会実装型あるいはアクションリサーチ型研究の方法論は十分に確立されていない.少なくとも,それを研究論文として認めようとするとき,今までの論文の規準や考え方を拡張する必要がでてくる.アクションリサーチをテーマとしたハンドブックを概観すると(Bradbury, 2015),研究者は研究対象とする活動に自ら参加することによって,当事者のひとりとして常に反省reflectionしながら研究するという共通性が見られる.研究者は反省をふまえて再び対象に働きかけることになるが,そのプロセス自体を研究結果の中に盛り込むという方法論である.

つまり,質的調査データの中に研究者自らが登場し,対象者との相互関係のなかで出来事や考えが時系列的に変化していくような研究だろうか.1人称で語られる人類学的研究が参考になるかもしれない.たとえば,先日の短い丹波市での調査において,理念志向型全面有機と定住志向型部分有機が地域の中で密かに対立する場面に出会った.私の立場としては,付加価値をめざした部分有機であっても持続可能な食農システムへの一歩と考えているので,それらの間に調整が必要だと考えている.両者を仲介してよりよい地域農業を描く手助けをし,そのプロセスを論文化することなどは,社会実装的研究になると思う.

(3) シニアの使命と国際化

学会として課題の範囲をズラしていくには,若い研究者がそうした方向に関心をもつことも重要だが,それを認めて正当に評価するシニア研究者の度量と能力も問われる.シニア研究者は豊かな経験と学識によって挑戦的研究の意義を見極めるとともに,自身もつねに挑戦することが求められる.地域農林業研究に質的方法論を取り戻すためには,これからの若い研究者が挑戦するに値する研究アリーナを準備する必要がある.具体的には,新しい可能性をもつ論文を門前で追い払わないよう,シニアな査読者には論文の要件を含めた再考が再び求められ,その力量が問われている.歳をとったからといって手を緩めずに,次代によい社会を残そうではないか.地域農林業研究のめざすべき目標を考えるワーキンググループを設置してワークショップを実施し,学会組織自体を対象にして変化のためのアクションリサーチを試みるのもよいかもしれない.

最後に指摘したいことは国際化についてである.計量経済学分野での国際化はすでに方向性が見えている.研究手法の国際化によって共通の言語があるので,たとえデータの種類が違っても議論が可能だからである.対して,地域農林業研究における質的研究分野の国際化は,研究方法の相互理解は必要と思うが,それが研究の中心ではない.手法ではなく結果の比較研究となろう.そのときに,難解な政策ジャーゴンが飛び交うような研究では国際的な相互関心にたどり着けない.今,世界,とくに東アジアは都市化と農村の人口減少と高齢化,都市農村格差の拡大など,同時代的な課題を共有している.食と農の転換への関心などは欧米の先進諸国と共有できる部分がある.現在,日本の地域農林業についての情報は孤立している.日本特殊論を卒業して,世界と情報を共有しながら,共通の課題に対処するときである.

1  最新版としては第5版(Denzin and Lincoln, 2017)が2017年に出版されている.

引用文献
 
© 2020 The Association for Regional Agricultural and Forestry Economics
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