2021 Volume 57 Issue 1 Pages 3-7
第70回記念大会を迎え,記念大会恒例の地域農林経済学の「基本課題」「現場の捉え方」「現場を捉えるためのあり方」を再検討する.新たな令和の時代を迎え,ポスト・グローバリゼーションやポスト・コロナの未来(20~30年度)を見据えた,次世代に向けての再検討であることが,今回(昨年度大会講演→本年度大会シンポジウム)の特徴である.
(2) シンポジウム講演・報告の課題課題1[地域農林経済学が分析対象とする「地域」(農林業の現場)の新たな捉え方(分析方法)]としてビッグデータのマイニング手法が紹介される.広井良典(京都大学こころの未来研究センター)・福田幸二(日立京大ラボ)の招待講演「AIを活用した政策提言」と,南石晃明(九州大学農学研究院)の報告「農匠ナビプロジェクトによる匠の技(暗黙知)の可視化と継承支援」である.
課題2[「地域」(農林業の現場)の変容,それにともなう新たな分析課題の明示]について昨年度は,筆者が企画解題において,今後のIT化とグローバル化の進展に着目して論じた(辻村・中村,2020).IT化によって,「地域」の知識集約社会化(「AIを活用した政策提言」もその1つ)やスマート農業が促されるなど利点にも触れたが,より強調したのは,IT化による「離れてのコミュニケーション」の影響としてのコミュニティ・家族崩壊や共感力低下と,グローバル化がもたらす「安全と安心の乖離」(モノ・ヒトの急速な流通で安全な環境の整備が安心感に至らず)の問題である.そこから,コミュニティ・社会関係資本の再構築や共感力養成をめぐる分析課題の重要性を論じた.
このように,グローバル化は止まらないだろうが,同時にポスト・グローバリゼーションや人口減少社会の新たな価値観や,その下での新たな行動が高まる二極分化を想定し,新たな分析課題としてさらに,田園回帰(そのための農業・農村振興),農業経営の社会性,地域経済の固有性把握(そのための地理的表示)などの重要性を論じた.コロナの影響でポスト・グローバル化の新たな価値観の到来が早まり,また「離れてのコミュニケーション」が促され,これらの新たな分析課題の重要性がより高まるだろう.
広井・福田講演は,「地域」の30年後の姿を想定する.AIが示す30年後の分散型社会.その要素としての田園回帰や,同社会を実現する要件としての地域コミュニティの再構築の重要性が強調される.
課題3[地域農林経済学の特質(あるいは望ましいあり方)をそなえた研究の紹介]について,筆者は同じく昨年度の企画解題において,第68回大会・特別セッション(中村・本田,2019)における河村能夫の報告「地域農林経済研究は何を目指してきたか」を再整理するかたちで,地域農林経済学の特質を提示した.
その特質の中の「地域(現場の課題解決)への貢献」「研究者と実践者の交流・切磋琢磨」の度合が高い研究を,南石が報告する.
また河村は,「演繹的アプローチと帰納的アプローチの循環的補完関係(河村,2016)」も,地域農林経済学の望ましいあり方の1つであると主張する.しかし今回は,昨年度の質疑応答において望ましいあり方として議論された,「量的アプローチと質的アプローチの補完関係」をめぐり,付随する「学際的分析」「共同研究」を含めて,駄田井久(岡山大学農学部)による報告「課題への異なる視点からのアプローチ」が意義を論ずる.なお広井・福田講演も,この量的研究と質的研究の補完の1事例である.
北川太一(摂南大学農学部)が会長講演[地域農林経済学が分析対象とする「地域」とは]において主張するように,非計量的アプローチと計量的アプローチの共存は本学会の特質であり,それらをいかに繋くのかは最重要な課題である.お互いの欠点を批判し合うことが多いが,そうではなく,それぞれの利点を活かす「共働」として繋がれば,本学会の最大の強みになる.
広井・福田講演と北川講演を受け(さらに後の南石報告も踏まえ),副会長の秋津元輝・浅見淳之(京都大学農学研究科)を交えた6名を中心としてなされた,事前研究会と当日のシンポジウムにおける議論の半分を抜き出し,ともに座長の役割を果たした筆者が自らの理解に基づき,また自らの意見も加味して再整理したのが以下のものである.
2) 「地域」概念の再検討本学会においてはこれまで,分析対象である「地域」について,「農林業の現場」「マクロ(国民経済)とミクロ(個別経済主体)の中間のメゾレベル」などの意味付けがなされてきた.
広井・福田講演において「地域」は,「ローカル(地方・地元)」と同義のものである.かつ「グローバル化」への対立・対抗(する地域コミュニティの主体性)の意味なども,上乗せされているように読み取れる.このように,ポスト・グローバリゼーションの時代における望ましいあり方,価値観などを組み込んで,「地域」概念を発展させられないかというのが,秋津が提示した論点である.
ポスト・グローバル化の世界は,トランプ現象にみられる強い拡大・成長志向と一体となったナショナリズムか,ドイツや北欧などで顕著なローカルな経済循環や共生から出発し持続可能な福祉社会を志向する社会なのか.広井が予測する後者の共生社会は,AIが予測する持続可能な「地方分散シナリオ」(分散型社会)と重なる.そしてそれは,情報化(ポスト工業化)時代の「経済の空間的ユニット」のグローバル化から,ポスト情報化時代の同ユニットのローカル化への変化であり,AIが予測する持続可能でない「都市集中シナリオ」の反対側にある.
このように「地域」に,ポスト・グローバリゼーションの時代において社会を持続可能にする「ローカル化」の意味を上乗せすると,対立する「グローバル化」「都市集中」「国民経済の拡大・成長志向」への対抗という意味や,それらに対抗する主体としての地域コミュニティの意味も加わってくるだろう.このような多義的な「地域」概念を,地域農林経済分析のための基本視角の1つとして位置付けられないか.
3) IT化の意義と限界・課題福田によれば,まずAIの活用で2万回のシミュレーションをし,さらに2万シナリオから23の代表シナリオを抽出した.このように将来起こり得るシナリオを,抜け/偏りなく列挙できる.これはフォーワードキャスティング(未来予測)の手法である.次にAIの活用により,シナリオ間の分岐がいつ,どのような順番で発生するかがわかる.人が苦手な「将来の様々なできごとの関係性解明」である.これは分岐点までさかのぼってシミュレーションをくり返すバックキャスティング(未来逆算)の手法である.3回目のAIの活用により,シナリオの分岐に影響を与える要因がわかる.
ただし指標は149と比較的少なく,それらは人間が多くの候補の中から選んだものである.かつ要素間の関係(因果関係の強さおよびタイムラグ)については未来のことで,人間が推測して数字を入れた.ビッグデータ型のAIシミュレーションは,膨大な数の客観的データを集積し,要素間の関係性についても既存のデータから相関関係などを割り出しAIに計算させる.それゆえ人間の関与が多い本研究は,厳密には「ビッグデータ型」と言えない.それは限界と言うより,人間の意志決定(未来の選択)を支援するものとしてAIを位置付けているからである.またビッグデータ型であっても,究極的にはデータを人間が抽出しており,人間の認識の枠内で行っている.
情報を主観的・個性的・特殊的なもの(南石「匠の技」,北川「分析対象に対する規範・思い」,秋津「地域に対する愛着(国によって異なる)」を含む)と,客観的・汎用的でデータにしやすいもの(それゆえ知識として蓄積・伝授しやすいもの)に区分し,未来の政策・戦略などを考える時には,主観的情報の方が重要だと浅見は主張する.広井・福田の研究は「幸福度」「道徳性」など主観的情報を指標として取り込んでおり望ましいが,主観的情報のデータ化・指標化の的確さをめぐる課題は残るだろう.
また筆者は,[在来の農業・文化の体系に基づく「匠の技」の,幼少期からの「実地学習」を通した親からの技術移転]が,伝統的家族農業経営の最大の優位さだと考えている(辻村,2019).それゆえ[「匠の技」の可視化・伝承の程度が,未来の農業経営における,企業化(非家族の雇用)や集団(非家族)経営化の程度(あるいは農業経営の第三者継承,一般企業の外部からの農業参入の程度)を決めるのでは]という問題意識で,南石報告を聞かせてもらった.
運動系技能については,熟練者の作業映像に熟練者の解説を付すかたちでの技能の可視化,その視聴による疑似体験を通した伝承が,ある程度は可能であると言う.最も状況依存的で伝承が難しい経営管理系技能については,やはり「実地学習」が最も有効だが,最適化モデルやシミュレーションモデルを通した疑似体験により,同じく一部の可視化・伝承が可能であるようだ.
上記の伝統的家族農業経営の優位さは残る.しかしこの「匠の技」可視化が進めば,一般企業や法人による農業経営の増加が想定できる.農村地域において,多様な形態の農業経営がそれぞれの優位さを活かして棲み分ける未来像が見えてくる.
4) 分岐点の詳細とコロナの影響―「地域」の変容と今後の研究課題―AIは2025~27年に「都市集中シナリオ」と「地方分散シナリオ」の分岐を予測する.持続可能な「地方分散」の方へ誘導する要因トップ15の中で,「道徳性」「グローバル化」「利他的行動」「地域人口」「まちづくり」などが本学会に関連する.持続可能な社会を構築するための今後の研究課題と言えよう.逆に「都市集中」の15要因の中で,「工業化」「情報化」「大規模店の数」「貧困率」「過疎化」「食料自給率」「失業率」「私利の追求」も関連のものである.
さらに2034~37年,「地方分散シナリオ」の持続可能性に関する分岐がある.「持続可能シナリオ」へ誘導する要因トップ15は,「地域内経済循環」「地域で生み出される所得」「地方税収」「自治体財政の健全度」「地域内エネルギー自給率」「地方雇用」「地域の経済主体」「地域の人的資源」「地域ガバナンス」「Uターン・Iターン」「地元資本」など,ほとんどが本学会関連のものである.逆に「持続不能シナリオ」の15要因の中で関連のものは,「地方の空洞化」「工業化」「CO2排出量」「貧困率」「環境負荷」「1人当たりのエネルギー使用量」「自然資源の搾取」「失業率」である.
「グローバル化」が「地方分散シナリオ」へ導くが,「グローバル化」の背景にある新自由主義的な価値観およびそれに基づく行動(「私利の追求」「工業化」「大規模店の数」)は,「道徳性」「利他的行動」「地域人口(Uターン・Iターン)」「地域内経済循環」「地域で生み出される所得」などのポスト・グローバルなものに変わらないと,持続可能な「地方分散シナリオ」に至らない.昨年度提示した,コミュニティ・社会関係資本の再構築や共感力養成,田園回帰,農業・農村振興などの今後の研究課題としての重要性を,AIの予測がさらに補強してくれる.
コロナの影響を指標として加え,同様の分析方法で30年後の日本社会をシミュレートした結果が公表された(京都大学・日立コンサルティング,2021).持続可能性の観点から望ましい「集中緩和(人口改善)」への分岐が2024年に来る.さらに2028年の分岐において,「集中と分散のバランス」の観点から望ましい「都市・地方共存」への分岐を促すのは,農業を含む地方における次世代の担い手の維持・育成支援に関する政策や,元気な高齢者を増やして東京圏の活気と自立性を維持する政策である.
(2) 次世代に向けた地域農林経済学と学会のあり方 1) 討論の参加者南石報告と駄田井報告を受け,農匠ナビプロジェクトに参加する若手稲作経営者の横田修一(横田農場),企画副委員長の中村貴子(京都府立大学生命環境科学研究科),編集委員長の河村律子(立命館大学国際関係学部),若手研究者の山下良平(石川県立大学生物資源環境学部)・本田恭子(岡山大学環境生命科学研究科)・木原奈穂子(鳥取大学農学部)の8名を中心になされた,事前研究会と当日のシンポジウムにおける議論の半分を抜き出し,ともに座長の役割を果たした筆者が自らの理解に基づき,また自らの意見も加味して再整理したのが以下のものである.
2) 研究者と農業者の「共働」の意義農匠ナビプロジェクトは,地域農林経済学の2つの特質(望ましいあり方)を重ねる,つまり「研究者と実践者の交流」度合を高めることで「地域貢献」度合を高める先進事例である.
本プロジェクトにおいては,農業者がデータを提供し研究者が分析するのではなく,農業者も共同研究者であり,学会報告・論文執筆までを行う.横田によれば,研究者と討論するため農業者は,自らの経営の形態・行動についてできる限りデータで説明する.このデータ収集の効果として,自らの経営の理解が進み,またその後の経営に役立つ.普及員などの指導は標準データに基づくが,自ら収集した自らの経営のデータは,本経営体のように標準から離れる(独自性が大きい)ほど有益である.また生産現場が大きく変わり,独力での課題解決が困難な中,南石との「共働」で課題が解決したり,課題が明確になったりする.このように,交流度合の高まりが地域貢献度合を高めていく.
ただ南石はそうであるからこそ,つまり交流や地域貢献の度合が高い研究ほど,投稿論文になるまでに時間がかかると主張する.研究の生産性・効率性は低く,早く業績を得たい若手向けではないと言う.
3) 共同研究の意義地域貢献度を高めるために必要な「演繹と帰納の補完」「量的と質的の補完」「研究者と農業者の共働」.それらの「補完」「共働」により,研究の生産性・効率性の低さを補えないか.また駄田井が言うように量的研究者と質的研究者(さらには演繹研究者と帰納研究者)による,それぞれの得意な分野・利点での他の補完や,単独では見えないことが「共働」で見えてくるという意義がある.
また地域貢献度を高めるためには,「かゆいところに手が届く」多様で広範な視角が必要で,「研究者の選択・集中」より「多様な研究者」が重要になる.
4) 今後の学会のあり方多様な研究者を会員に抱えることが本学会の強みであろう.多様な会員の出会いの場,下記の若手と「若手より少し上の世代」の出会いの場,そして共同研究を促す場としての,本学会の機能を強化するとともに,農業者と研究者の出会いの場を新たに創ることも重要だろう.そのような「ハブ」機能が,若手研究者を惹き付けると山下は言う.また地域貢献度の高い研究を推奨するだけでは,若手は恐れて挑もうとしない.それを高く評価する場が必要で,本学会がその「プラットフォーム」になれないか.
さらに地域貢献度に限らず,昨年度から議論してきた様々な特質をそなえた,地域農林経済学らしい投稿論文に対して加点するなど,受理が容易になれば,それが学会誌の地域農林経済学らしさ(他の学会誌とは異なる特徴)になる.
なお本学会誌において,質的研究が受理されにくいという批判がある.河村によれば,本誌の区分はフィールド・計量・理論の3つであるが,フィールド系は「独自の調査データ」に基づき説得的な結論が導き出されていれば,しっかり評価される.
最後に木原が言うように,そもそも若手会員が少ない深刻な問題がある.留学生は多いが,帰国して退会してしまう.日本人の場合は大学院,特に博士課程に進学する者が激減している.少ない大学院生に,いかに会員になってもらえばよいか.
たとえば中村が提案した,研究内容より報告の質を評価する,修士の院生の研究報告会の開催はどうだろうか.今回の駄田井報告ように,若手より少し上の世代による研究アピールの場があれば,若手はそれを聞いて挑んでみたいと思うと,本田は言う.若手が参加しやすい地元の支部大会で,これら修士院生や「若手より少し上の世代」の報告会を実施したらどうだろうか.