2021 Volume 57 Issue 2 Pages 90-91
冒頭で筆者は,本書を「書名『未来を語る日本農業史』そのままの気持で書きました」(ⅰ)と述べている.その言葉の通り,本書では日本農業史に関する多様な論点について伝統社会から現代へのつながりが分かりやすく整理され,日本農業のあるべき未来が展望されている.各章のテーマは,「第1章 農業類型」「第2章 国土利用」「第3章 農地利用」「第4章 農地所有」「第5章 農民」「第6章 農村」「第7章 戦争」「第8章 農地改革」「第9章 地域資源」「第10章 農業的自然」という多岐にわたるものである.さらに,「農業史こぼれ話」として11の興味深い話が紹介されている.紙幅の都合から本書で扱われている多様な論点の全てを検討することはできない.そのため,「日本農業の未来を語る」という観点から特に重要だと評者が考える3点について本書の内容を概観し,それぞれについてコメントを記述することとしたい.
まず第1は,農業と林野との関係についてである.第1章では,飯沼二郎の世界農業類型論が紹介されており,「主に草肥に依拠する日本では,農業の拡大には草山の拡大が必要」(10頁)であったことが述べられている.そして第2章では,近世の日本においては,農民が利用可能な山はほぼ全てが「草山」として管理されていたことが指摘されている.この草山は,草肥・燃料・営農資材・生活資材などを確保する場として利用されており,農家経済からみた場合に自給経済を支えていた.他方,草肥をはじめとする草山の資源が不足すると入会地紛争が多発し,草山の拡大は土砂災害といった災害も引き起こした.
このように,近世の日本において,農業と林野(草山)には資源利用の側面で極めて密接な関係があったといえる.持続可能な農業を実現するためには,地域内での資源自給のあり方を検討することが重要になると考えられる.その際には,林野(草山)の利用は魅力的な取り組みにみえる.ただし現代において,地域内での資源自給を目指して農業と林野の関係を再構築していくに当たっては,林野(草山)の過剰利用が入会地紛争や災害の誘発といった負の問題を引き起こしたという歴史的事実を忘れてはならないだろう.
第2は,「もともと農村住民も農村経済も混住的であり多就業的であり,相互の依存関係に支えられてこそ農村社会が存在していた」(106頁)という点である.第5章では,網野善彦の議論を起点として,従来,農民として捉えられてきた人々は,地域資源の多様性を反映した種々の生業を持っていたことが指摘されている.筆者は,江戸時代の農民比率が8割弱であったという従来の見解が「史料の誤読」であったとする網野の指摘を肯定したうえで,「『地域資源に対応した社会的分業(仕事の拡がりと分化)の姿を明らかにする』という観点から,圧倒的多数(8割弱)を占める『農』の内実を再検討する」(93頁)ことが重要であると述べている.
現代では,農林水産業が抱える課題の解決策のひとつとして6次産業化の取り組みが推進されている.その取り組みは,「農村住民も農村経済も混住的であり多就業的」であったという筆者の指摘に通じるものである.6次産業化の取り組みを推進する際には,各地域の地域資源に対応した社会的分業の姿を歴史的な背景から解き明かし,地域の実情に合わせた現代的なあり方を検討することによって地に足のついた取り組みが生み出されていくと考えられる.
以上の2点が示すように,日本農業史を振り返ると農の営みは各圃場や各経営体のみで完結するものではなく,地域資源や地域経済と密接につながっていたといえる.日本農業の未来を考えるうえでは,各農業経営体において農業生産の合理化・効率化を追求し,経営規模の拡大を図るといった方向だけではなく,地域資源や地域経済との関係を重視し,地域内で調和のとれた農業生産を追求していくという方向も重要になるだろう.
そして第3は,「農業を通じて二次自然をつくる」(181頁)ということが未来の日本農業が目指すべき大目標であるという筆者の主張である.ここで筆者は「二次自然」を「人の手により改変されたが,生態系を維持するかより豊富化する機能を発揮し,かつ,それを長期の安定として実現している環境」(173頁)と定義している.それを受けて,筆者は「農業を通じて二次自然をつくる」という目標を達成するための具体的な方法の一つとして「抜本的なデカップリング政策」(197頁)が必要であることを提言している.
日本におけるデカップリング政策は,たとえば,2014年に「農業の有する多面的機能の発揮の促進に関する法律」が施行されて,法に基づく事業として日本型直接支払制度が実施されている.日本農業史を踏まえたうえで筆者が考える「抜本的なデカップリング政策」の具体的な内容は詳述されていないが,その実現に当たっては,筆者も指摘する通り「世論の強い支持」(197頁)が必要になると考えられる.「世論の強い支持」に裏打ちされた「抜本的なデカップリング政策」を実現するためには,歴史的な視点から人と自然の関係のあり方を改めて問い直し,世論の理解醸成を丁寧に図っていくことが肝要となるだろう.
以上で概観した通り,本書では日本農業の未来を考えるうえで有意義な論点が多岐にわたって扱われている.しかし,農業機械・化学合成農薬・化学肥料といった農業技術の変遷に関してまとまった記述がなされていないことが少し気になった.特に第二次世界大戦以降,農業機械や化学合成農薬などといった農業技術の開発・普及によって農業生産の省力化が進展し,農業や地域社会に大きな影響を及ぼしてきた.また,化学合成農薬や化学肥料の多用は,環境汚染・健康被害といった問題を引き起こした.さらに現在では,スマート農業技術といった先端的な農業技術に対する関心も高まっている.日本農業の未来を考えるうえでは,農業技術の変遷についてもより丁寧に言及する必要があったのではなかろうか.
本書では日本農業の個性に注目し,伝統社会から現代にいたる流れが平易にまとめられている.農業の産業的な側面のみを強調した場合には,合理化・効率化という前提のもとで個性の平準化が図られることは避けがたいことかもしれない.そういった流れに抗し,日本農業の個性を尊重して「日本農業の未来を語る」ためには,日本農業史に注目していくことが重要になることを本書は改めて気付かせてくれた.また,評者の不勉強を告白してしまうことにもなるが,農業や農業史に関して「言葉だけはなんとなく知っている」という基本的な用語がいくつかあった.本書はそういった用語について,その意味を改めて確認する助けにもなった.
本書は初学者にとって貴重な文献であるだけではなく,専門家や研究者にも新たな気付きをもたらしてくれる良書である.多岐にわたる論点が分かりやすく紹介されている本書を足掛かりとして,より深い内容へと研究を進めていくことができるだろう.これから農業・農業史について学ぼうとしている初学者をはじめとして,多様な立場の方に一読をお勧めしたい.