2022 Volume 58 Issue 1 Pages 4-9
ここ数年,大会シンポジウムでは地域農林業問題研究の方法的な問題に関するテーマを取り上げてきた.第67・68回では「実験・行動経済学の地域農林業研究への応用」が,第69・70回大会では「地域農林業の現場の新たな捉え方」が掲げられている.前者は観測データのみに依存する計量分析の限界を経済実験や行動経済学の手法によって超えようとする試みであり,後者では帰納的アプローチや質的研究の重要性の再認識の必要性,量的アプローチとの融合の仕方,ビッグデータやIT化などの意義と限界が語られた.研究課題を共有しつつも計量分析研究とフィールド研究に分裂しがちな本学会において,両者の対話を深化させつづけてきたことは高く評価できると思う.ただし,それらはいずれも農業経済学の枠内での議論であったことも否定できない.
メゾ的な設定にもとづく地域農業・農村問題の理解は,やはり全体知としての性格を帯びることを宿命としており,農業経済学の領域に閉じていることは許されない.そこで,今大会では,テーマを「農林業問題研究への多様な接近」とした.そしてサブタイトルの「地域資源の発掘と持続的利用」を横軸に,隣接分野である地理学から湯澤規子氏(法政大),民俗学から山下裕作氏(熊本大),都市計画学から横張真氏(東京大)の3名に報告を,農業経済学の立場から鶴田格(近畿大),大江靖雄(東京農大)の両氏に報告に対するコメントをお願いした.従来にない学際的アプローチを通じて,地域資源問題に関する新たな課題の発見,相互の違いの認識に基づく各分野のアプローチの相対化,さらには現場に関わる研究者のありようなどについて共通認識を得ることなどが今大会のシンポジウムの目標であった.
(1) 「地域資源」という用語はいつ登場したのか?ところでサブタイトルにある「地域資源」という言葉は,一体,いつ頃から本格的に登場したのだろうか.それを知るために,さしあたり読売新聞のヨミダス歴史館,朝日新聞の聞蔵Ⅱビジュアルという二つの新聞記事データベース,および国立情報学研究所CiNiiの論文検索を利用し,「地域資源」を見出しに含む記事の出現頻度を調べてみた.紙幅の関係からここではその結果を示した図表の掲載を断念するが(大会当日は配布),それによれば,この用語が初めて登場するのは1980年代初頭である.その後1990年代前半までに永田恵十郎(1988)や目瀬守男(1990)など,地域資源論の学術的な確立を示すともいえる重要な研究成果が出されていることが注目されるが,用語の出現頻度は,新聞記事のみならず学術論文においても必ずしも多いとはいえず,この時点では専門領域の用語にとどまっているといえそうである.注目すべきは,1990年代末,とくに1999年以降に爆発的な増加がみられること,その傾向がほぼ2015年まで継続していることである.しかもこの点は新聞記事でも学術論文でも同じであった.ここからは2000年前後を地域資源に関わる言説構造に大きな変化が生じたことがわかろう.1999年はWTO農業交渉が世論の注目を集め,食料・農業・農村基本法が制定された年であった.同時に1999年前後は,日本の生産年齢人口が減少に転じ,さらに戦後農業を支えてきた昭和一桁世代がおおよそ70歳前後に達し農業からのリタイアが始まる時期にも重なる.1997年の山一証券の破綻やアジア経済危機もあわせ,近年の日本経済および農林業問題の転換を語る上で重要な時期であることを,ここでは改めて確認しておきたい.
(2) 農林資源開発史―地域資源論の前史として―以上は地域資源論についての変化であるが,農林業の資源利用をめぐる議論というだけであれば,むろんより長期の歴史を語ることができる.近年の農業史分野における近代日本の農林資源開発に関する研究は,過去の有効利用の事例を発掘するよりは,国家や資本による資源開発政策を批判的に検討することを課題としてきた.それによれば日本で資源が本格的に論じられるようになるのは昭和戦前期である.それ以前は未開拓地に眠る天然資源を意味する富源という言葉が使われていたにすぎない(佐藤,2011;野田,2013a).先の新聞記事データベースの記事検索で確かめてみると,実際には資源という言葉も富源と同程度かそれ以上の頻度で使用されているものの,内容的には富源と同じ意味である.画期となるのは国家総動員体制への準備として内閣資源局が設置される昭和初期の1927年であった.資源局を主導したのは松井春生(1932年12月資源局長官)であるが,彼はアメリカの資源保全政策を参考に,モノとしての資源に拘泥するのではなく資源の社会的利用の側面の重要性を主張,そのために松井はその書物において資源保全ではなく資源保育という語を用いている(松井,1938:33;佐藤,2011:69–76).
もっとも戦時体制期になると,日本の農林資源政策は人的資源に偏った「生産構造改革なき」国家主導の資源動員政策に矮小化されてしまう(野田,2013ab).ちなみに1943年には,食糧自給体制体制の確立を目的とした郷土食の全国調査がなされ,ここに旧五帝大の農業経済学者が動員されている(中央食糧協力会,1944).当然ながらこの調査報告には資源管理に関する地域の主体性は認められない.また,昭和戦前・戦時に農林資源開発で頻出するのは,満洲,樺太,南洋のなどの外地の資源開発であり,農林業資源政策が帝国圏の資源開発とセットで考えられていたことも当該期の日本の大きな特徴である.
戦前・戦時期を資源開発の第Ⅰ期とすると,第Ⅱ期は敗戦から高度成長期までの時期である.敗戦による帝国植民地の喪失により,戦後日本は国土の再開発が喫緊の課題となり,北海道や東北が食糧資源の生産基地として再発見される.占領期の昭和20年代には地域開発政策としてアメリカのTVAを模範とする総合開発が盛んに論じられるが,こちらも全体としてはダム建設や電源開発に矮小化,1950年代後半以降は,冷戦体制の形成下で食糧資源の海外調達が強まることで,地域はもとより「国土」を単位とする資源保育の思想も忘却されていくこととなった.1962年より開始される全国総合開発(全総・新全総)は,国土全体の工業化を目指したもので,青森県のむつ小川原開発事業のように開発の失敗により大きく傷ついた地域も少なくない.1961年農業基本法による構造改善事業も,全体としてはこうした全総の枠組みに沿った農業開発事業の一環であった.
(3) 1970/80年代の転換―黎明期の「地域資源」論を読む―こうした開発主義は,1970年代に入るとその行き詰まりが明瞭になってくる.とりわけ列島改造による土地騰貴で農地が資産化,さらに兼業化・混住化の進展もあり無秩序な土地利用が農業経済学者により深刻な問題として自覚化されことが,地域資源論が勃興する直接的な要因であった.
地域資源を題名に掲げた最初の書籍は,管見の限りでは1980年に刊行された農政調査委員会による『農村地域資源』である.実質的な執筆者は(財)農村金融研究会の坪井伸広であり,第2部には永田恵十郎も参加した座談会が収録されている.そして,理論的展望と題する第4章第4節では,地域資源の概念規定に関わって,非移転性(地域固有性),循環性,保全管理が論じられている.先の松井の「資源保育」思想の水脈に通じる側面がありつつも,国家でも資本でもなく地域を管理主体とした面的な資源の社会的利用・管理の必要性を強調している点が注目されよう.ただし,開発主義への危機感から農村集落の土地資源を守るという立場であるから,ここで念頭におかれているのは過疎地の農村ではなく,開発対象となる近郊農村の水土を軸とする地域資源である.このため非物質的な資源は当面の考察の対象から外されている.また,1970年代初頭は,国内の開発主義の限界が露呈した一方で,食料政策の観点からは1973年の世界食糧危機のインパクトが甚大であった.これを機に日本では食糧安保という言葉が定着,ブラジル・セラード開発事業を嚆矢とする国際農業協力による食糧の開発輸入政策も着手されることとなるが,この本ではこうしたグローバルな農林資源問題への言及もみられない.
その四年後に刊行された『農業と経済』1984年7月号がおそらく学術雑誌としては初めて「地域資源の有効利用」を特集,計7本の関連記事を掲載している.冒頭に西村博行の論考がおかれているが,その内容は全体としてはほぼ上述の坪井伸広による『農村地域資源』と同型の議論が展開されている.ただし「生態系も地域資源に含まれてよい」との記述や,自然景観や歴史や文化の総合的利用への言及がみられること,さらには観光農業に関する先進事例を紹介する三つの論稿が掲載されている点が目新しい.いずれにせよ,1980年代初頭に,ほぼ現在に直接つながる地域資源論の語り方の原型が形成され,その後に地域資源の概念の対象が拡張されていくといえるのではないかと思う.
(4) 3報告の内容と位置付け以上をふまえ,3報告の内容と位置づけについて述べておきたい.
第1報告の湯澤氏には,長野県伊那郡を中心に,暗黙知であった「ふるさとの味」が言語化されることで地域資源化されていく過程を,調理リテラシーの観点,および食の場所性と没場所性のせめぎ合いという観点から報告していただいた.この運動のきっかけとなったのは1981年に地理学者の市川健夫の提案により始まる長野県の「味の文化財」の取り組みであるが,このことは上述の非移転性を特徴とする集落の土地利用に傾斜した地域資源論とは異なり,生活改善運動の文脈では,非物質的な食文化の資源化(地域資源の商品化)が同時期にすでに意識されていたことを示すものであろう.
第2報告の山下氏では,インドネシア・ジャワ島の農村の民俗調査を中心に民俗文化という非物質的な資源利用が取り上げられた.日本民俗学が対象としてきたのは埋もれた価値であり,資源化される以前の状態のものである.その点からすると,山下報告のインドネシアの民間信仰を中心とする地域資源調査は,グローバルな農業開発が進行するなかで,生活に埋め込まれていた民俗文化がいかなる状況で観光資源化していくのか,それを示すものともいえる.そのさい,日本との決定的な違いは,それがもっぱら外国から持ち込まれたことであろう.
第3報告の横張氏には,国分寺市の「こくベジ」プロジェクト,佐渡市の地産地消事業の事例をもとに,従来のコンパクトシティに代わる新たな都市計画のあり方を論じていただいた.ここで強調されるのは,都市空間の凝集性・効率性を高める方向ではなく,都市を徒歩圏域の小さなユニットの集合体とすること,そのさいに都市内に混在する農地を活用した食料自給と系外からの供給からなる「リダンダントredundant」な食料供給システムを構築することである.日本の土地利用計画の特徴とされる農地法と都市計画法の二重構造は,黎明期の地域資源論が問題とした農地のスプロール化にも関わる論点であるが,これを失敗として語るのではなく,ポスト・コロナ時代の持続的な都市の食料システムの構築の可能性を開くものとして積極的に評価すると点が実に刺激的である.
以上の3報告は,農林業に関わる資源論の史的文脈に即して言えば,文化や食などの非物質的な要素の地域資源化への着目,および土地利用の激変に伴う地域資源システムの再構築の試みという点で,1980年代の地域資源論とは明白に異なる.こうした新たな位相のもとで,地域の主体性や歴史性をふまえつつ,どのような制度・運動を構想するか,その場合の学知のありようはどのようであるべきか,本シンポジウムではそれが問われることとなった.
最初に鶴田格氏より3報告に対してコメントがなされた.鶴田氏は,まず3報告が共同体のもつ知識・技能・モノを地域の主導性を保持しながらいかに外に開いていくかという問題を考える上で多くの示唆を与えるものであると評価した.ついで自身の農村研究によりつつ,タイ東北部のクメール系の人々による「緑のマーケット」ではユニークな商品群で溢れており,こうした地域主導の小さなマーケットの存在が在来知やそれに基づく伝統料理を再活性化させていることなどを紹介した.さらに,かつてイリイチが資源とコモンズを区別したことに言及しつつ,地域の主導性を維持しながらこれを外に開いていく場合に,こうした在来知と小さなマーケットが重要であるとした.その観点から,湯澤報告には「ふるさとの味」の商品化の流通範囲が域内にとどまるのか,それとも全国にまで拡大しているのかについて,山下報告にはインドネシア農村調査において民俗的観点から特有の「小商品」として有望なものはあるのかについて,横張報告には,「半分閉じて,半分開いている」ようなありようの表現にも有効ではと思われる「リダンダント」という概念の含意について説明を求めた.
次に大江靖雄氏は,地域資源の特徴として地域固有性・歴史性・不可逆性をあげたのち,農村ツーリズムに見られるように,地域文化資源の稀少性が増したことから,その価値が高まっており,これを私的イニシアティヴによる農村価値の創出につないでいくことが現在の重要課題となっている.にもかかわらず地域資源の価値が国民の共通認識になってはいない.その原因の一つとして学問分野の違いも無視できないことから,この視野の違いを認識してより相対的な視野を得ることが今回のシンポジウムの目的であろうとした.さらに今回の3報告は上記の地域固有性・歴史性・不可逆性の三要素を共有しているとしたうえで,湯澤報告に関しては,「ふるさとの味」の調理リテラシーの暗黙知が開かれたネットワークによって共有化されていくことの意義,およびそのダイナミズムを捉える上での歴史的視点の重要性を評価したうえで,しかしこのプロセスがその後の地域社会に負の作用を及ぼすことはないのかと問うた.次に山下報告については現場から問題を汲み取る研究者の語感の重要性を評価したうえで,「宗教が絡むと農村ツーリズムでの活用は難しいのでは」との見解に関してはより慎重な検討を要するのではないかと述べた.さらに横張報告について,都市内の農地の混在化をむしろ長所とみなす視点が今後の都市農業の可能性を広げるものとしたうえで,しかし混在化によって異なる主体間のコンフリクトがより頻発するのではないかと問うた.最後に大江氏は3報告への共通する問いとして,地域アイデンティティーの観点から,地域資源のCommercialization(商品化),およびこれに伴うAuthenticity(真正性)の問題について報告者の見解を求めた.
(2) パネルディスカッションコメントに続いて行われた討論では,最初に二人のコメンテータからともに出された地域資源の商品化をめぐる論点,とりわけ地域の固有性・場所性および地域の主体性をめぐる論点を軸に議論が展開された.
まず湯澤氏は,調理の暗黙知は,内外の刺激によりスパイラルに変化する中でも常に場所性に根差していること,そして域内循環を一部でも保持することが非常に重要であるとした.そのうえで鶴田氏の「ふるさとの味」の流通範囲に関する質問については,地域と全国の双方に流通していること,また秋津氏(京大)より出された料理の地域性と普遍性の違いに関しては,後者が再現可能性を追求するのに対し前者はそうではないとした.さらに大江氏の商品化の負の作用に関する問いについて,確かにレシピ化のなかでどうしてもそこからこぼれ落ちたり,また受け手が勝手にその味を変えてしまったりするという問題があるが,他方でそれによって「ふるさとの味」が更新され,新たな暗黙知が創出されるという側面もあることから,その効果は両義的であるとした.また,岩島氏(同志社大)から出された「生活改善グループが主体であれば農水省などの上からの影響があるのでは」との指摘に対しては,今回の事例は市川健夫の提案を長野県が受け止める形で開始され,地域と行政のタイアップで進められたものであるとし,地域の主体性についてはより丁寧に精査していく必要があると述べた.
山下氏は,関根氏(愛知学院大)の「フィリピンのバナナ高地栽培において地域住民との対話を外資系企業が拒否している」との指摘に触れつつ,これがインドネシアの事例と共通する点として学問の言語が当初よりもっぱら英語でのみなされていることに強い違和感を覚えたと述べた.日本との決定的な違いはこの点にあり,地域問題の議論の活性化には現地語から始めるべきであるとした.また大江氏の真正性に関する問いについては,かつては民族学においてもこうした議論があったが,現在は新たな状況を選択した地域住民の主体性を尊重すべきとの考えから真偽を問うことはなされていないと述べた.
横張氏は,全体としてヴァナキュラー(場所性)であることの価値を再認識・再定義していくことこそが切に求められていること,またグローバルなものを全否定はできず,それとヴァナキュラーなもの,その両者の特性をうまく組み合わせて活かしていくことが重要で,リダンダントの概念はまさにそうした発想に基づくものであるとした.商品化に関しても,単なる生産物ではなく場所性をうまく折り込んだ商品をシステムに組み込むようにする.そうすることで,関根氏より問われた「地域の商品化が大手資本や国家権力の支配の道具に利用されてしまうのではないか」との懸念にも対処できるのではないかと述べた.また大江氏から出された異なる主体間のコンフリクトについては,情報化の進展の中で研究集団が純化していくことの懸念の方が大きく,むしろ両者が接触していく機会が必要で,両者の軋轢を前向きに受け止めたい,痛みが伴っても包括的な社会をどう作っていくのかという次元で考えていくことが必要であると答えた.
最後に,浅見氏(京大)より地域資源の商品化における効率性・採算性についての質問が出された.これに対して,湯澤氏からは地域知財への支払いの曖昧さなどについて,山下氏からは「遊び仕事」について,横張氏からは,開発を見直すような企業への新たな投資について説明がなされた.
第2の論点は,本シンポの論題でもある学問的なアプローチの多様性についてであった.関根氏から社会問題に向き合う上で専門分野が異なる研究者がいかに連携するかに関して,あわせて座長からも現場への各学知の関わり方の違いについて質問が出された.各報告者からは自らの学問的な遍歴に沿いつつ,現実には自分たちが多様な分野を渡り歩いてきたことが語られた.湯澤氏は,現在取り組んでいる排泄物の研究はそもそも学際的でなければ全く進まないこと,また地理学では1990年代になって地域が注目されにつれ学知としてどう向き合うかが問われるようになったと述べた.山下氏は,中山間地域研究センターの経験に触れつつ,異分野の研究者がともに過ごし議論するというシンプルな方法の重要性を,横張氏は学際研究のあり方として,点描画のように専門色に特化した人材を集めてしても集団としてうまくいかない,むしろ各研究者自身が「中間色」であるようなヘテロな人間であることの方がよいと述べた.なお,この点は大江氏がそのコメントの中で,狭い領域でテクニカルな議論に終始する現状への危惧を語り,現実の問題を嗅ぎ取るセンスとデータ解析のバランスをとることの重要性を強調したことにも重なる論点であろう.
最後に,浅見氏が歴史との関わりについての見解を求めた.座長からは単系的な歴史的経緯の把握にとどまるのではなく,日本の地域資源の特徴の理解については比較史的な観点も必要であること,また横張氏からは,生産緑地における関東と関西・中京圏との違いのほか,国際比較としては都市内に農地が合法的に存在しているのは日本だけであると指摘がなされた.山下氏からは,自然と郷土史の所産として風土を論じた地理学者の三沢勝衛も長野県の出身であったこと(湯澤報告が取り上げた市川は三沢を引用して今回の「味の文化財」を動かした),また人類学者の伊藤亜人が日本の都市は農村の連続であるとし,これは日本とアフリカだけだと述べているとの紹介があった.
以上が今大会の主たる内容である.討論を通して異分野の多様なアプローチにもかかわらず「市場化と地域の固有性との矛盾・対立をいかなる形で調整していくのか」という課題意識が想像以上に共有されているとの印象を筆者は抱いたが,考えてみればこの問題はグローバル時代の社会科学の基本問題ともいえる.大江氏が述べたように,「地域資源」論は当学会にとっては実は古くて新しいテーマである.このおなじみの課題が農業経済学の専売特許ではなくなり,むしろ多くの学問分野に共有される新しい重要テーマとなってきたところに,かつてと異なるこのテーマの現在性が表現されていると思われた.