2023 Volume 59 Issue 1 Pages 1-2
第71回大会での冒頭でも申し上げましたが,本学会の最大の特徴は,複数の領域のメゾとして地域を把握すること,つまりメゾエコノミクスとしての視点にあります.今大会でとりあげる,都市と農村における混在化した地域資源の発展と利用とは,まさに都市と農村のメゾ領域の問題そのものです.さらにもう一つのメゾがあります.地域資源,特に農地を利用した経済活動は法律の下で制御されています.つまり農地法,農振法などによって,農地の利用が制限または活性化されています.これは法と経済のメゾとして農地の利用がなされているということです.そこでこのメゾを扱う「法と経済学」の考え方を紹介することで(Calabresi and Melamed(1972)),都市農業のとらえ方を考えてみたいと思います.
法と経済学での基本定理はコースの定理です.つまり,「取引費用がゼロの場合には,所有権を法がどのように割り振ろうとも,私的交渉を通じて資源の効率的な利用が達成される」というものです.工場が農家に排水を流してしまうケースを考えます(表1).工場は操業によって1000万円の利益がでますが,300万円の利益のある隣りの農家に排水を流し200万円の損害を与えます.排水をきれいにするために,工場が除害施設を建設すれば500万円かかりますが,農家がろ過装置を設置すれば100万円だとします.何も対応がなければ合計で1100万円ですので,排水処理をして1200万円を実現するのが望ましいです.そうであれば,費用の安いろ過装置を農家に導入させる法が効率的なようです.しかし工場に除害施設を建築させる法で合計800万円しか実現できなくても,交渉で農家にろ過装置を導入してもらえば,1200万円の合計利益を実現します.ただし分配額は,生まれた余剰400万円を折半して工場700万円,農家500万円で工場には不利になっています.
工場 | 農家 | (万円) | |||
---|---|---|---|---|---|
除害 | ろ過 | 工場 | 農家 | 余剰 | 合計 |
なし | なし | 1000 | 100 | 0 | 1100 |
なし | あり | 1000 | 200 | 0 | 1200 |
あり | なし | 500 | 300 | 400 | 1200 |
損害賠償 | 800 | 300 | 100 | 1200 | |
差止命令 | −100 | 300 | 1000 | 1200 |
しかし現実には交渉ができないことが多くあります.この場合に法は,損害賠償ルールと差止命令ルールという方法で解決します.損害賠償は,他人の利益を不当に侵害したときは,その損失額を侵害者が補償する法制度で工場が200万円を補償に回します.交渉ができるようになると1200万円の合計利益が実現できますが,余剰100万円を折半すると工場850万円,農家350万円が分配額です.損害賠償ルールという法では,分配額が変わります.しかし損害額が甚大である,また資源保全などの目的で取引が望ましくない場合は損害賠償ルールを用いることはできず,差止命令ルールが用いられます.工場は操業を差止められ罰金100万円が課されるとします.この場合も交渉ができるようになると1200万円の合計利益が実現できますが,今度は余剰1000万円を折半して,工場は400万円,農家は800万円が分配額となります.工場の分配額は当初の利益1000万円に比べ相当に小さく,これを予想すると工場はそもそも操業することを控えることになります.つまり差止命令ルールが威嚇として働いて,実際に差止命令が執行されなくても,工場は操業せず甚大な被害は発生しません.交渉によって法によらず合計利益が最大となりますが,個別の主体は分配額で行動を判断しますので,法が大きな意味を持つことになります.
これまで述べたことを,法と経済のかかわりという視点からとりまとめてみます.取引費用がゼロであれば法によらず交渉で,資源は効率的に利用されます.取引費用が大きければ,法が資源の効率的な利用に決定的な影響を与えます.取引費用が小さい領域では,コースの定理にしたがって交渉に任せるのが最も望ましいです.そこでは,交渉の障害を取り除く仕組みが求められますが,そのために所有権を画定していくことが必要です.したがってこの交渉に委ねる方法は所有権ルールといわれます.一方で交渉に委ねることが不可能な領域では,法的な介入が必要になります.方法として賠償額が算定できるのであれば損害賠償ルールが用いられますが,甚大な損害の場合は差止命令ルールが採用されます.
それでは,この法と経済学の枠組みで,都市周辺の地域資源利用をめぐる法律の合理性を検討してみましょう.戦後の地域資源としての農地利用を制御してきた法律は,農地法,農振法です.これは,特に農地の非農業利用が強い外部不経済をもたらすためこれを防ぎ,そして優良農地を国家が保護していくために定められた法律です.特に農地の非農業利用への転用を規制し,市街化区域,市街化調整区域,農業振興地域に線引きして,都市用途需要に対応しながら地域資源利用が制御されてきました.
農地の非農業利用の外部不経済は甚大な被害を及ぼすため,また国家による優良農地の保護が強制されているため,非農業利用を交渉の対象にすることはできません.つまり極めて取引費用が高いことになり,法的な介入が必要になります.甚大な損害は賠償額を算定することができませんので,損害賠償ではなく差止命令ルールが採用されます.実際,農地法,農振法は勧告,命令,刑事罰が規定され差止命令ルールにもとづく法制度であることがわかります.農振法第14条では勧告が,15条では命令が規定されています.農地法では第51条で許可取消,行為停止,原状回復等の措置が規定されています.さらには第64条で,刑事罰として3年以下の懲役又は三百万円以下の罰金が規定されています.違反が発見されれば農業委員会による口頭指導から,行政指導,さらには刑事告発までにいたります.実際にこのような差止命令や刑罰が執行される以前に,これらが強い威嚇となって農地の農業利用が管理されてきたといえます.
一方で,日本の経済,社会が成熟化してくるにつれて,都市周辺における農地の外部経済や,地元の農産物供給,市民農園利用などで農地機能そのものが高く評価されてきました.このような中で,地域資源管理として都市農業を振興させていくことが求められています.都市農業振興基本法(2015年)によって振興施策を推進し,都市農地貸借法(2018年)によって農地の都市住民利用を進めようとしています.
新たな法律は,都市住民と農家との取引を活性化させ,交渉を推進していく枠組みになっています.地元産の高付加価値な農産物を,積極的に都市住民に供給します.農地を都市農業者に積極的に貸し出し,また市民農園を開設して,さらに体験や学習によって,農家と都市住民との直接的な交流を進めます.また,防災,景観,環境保全など都市農業の貢献を都市住民に理解してもらいます.つまり農家と都市住民の直接的な交流,交渉によって,地域資源管理を推進していく枠組みです.直接的な交渉をささえる仕組みを法律が整備しているのです.まさにコースの定理に従って,資源利用の効率性を達成しようとする所有権ルールであるといえます.これらの法律に罰則規定などありません.都市農業をめぐる新たな法律は,都市住民と農家の交流,交渉を活性化させて,都市農業を振興させます.このようにみてきますと,法制度の仕組みの中に,常に経済合理性が埋め込まれているといえるのではないでしょうか.
農地をめぐる法を法としてみるだけでなく,経済学にもとづいてみると法のデザインの合理性が見えてきます.法と経済のようなメゾ各領域から見ることこそ本学会ならではの役割といえます.都市と農村のメゾに対し,さらに各領域のメゾをみつめる今大会シンポジウムも,大いなるアカデミックな貢献が期待できます.