2024 Volume 60 Issue 3 Pages 127-128
長年愛用され続けている農業経営学の教科書は,これまでに数多い.ただ,農業経営を取り巻く経営環境と農業経営内部の経営構造がそれぞれ大きく変動・変革するなか,最新の研究成果を土台にした教科書も求められていると考える.本書は,長年にわたり貴重な研究成果を発信し続けてきた著者が,九州大学定年退職時に出版した農業経営学の教科書である.まず,著者の長年にわたる産学官へのご貢献に対して,衷心より敬意を表したい.
本書は,イントロダクションと総括の各章のほか,3部からなる.これら3部は,本書の副題にある「農業ビジネスの動向」「農業ビジネスの経営理論」「農業ビジネスの展望」にそれぞれ対応している.
第1章では,本書が想定する農業経営主体である農業法人を対象に,「デジタル技術が社会経済を特徴づける時代」(p. 8)を含意する「デジタル時代」の,「農業イノベーションの誘発や実現の有用な要因」(p. 8)である「デジタル農業」に着目する意義と重要性について,著者らが実施した全国農業法人アンケート調査結果を参照しつつ,体系的に論じている.
第Ⅰ部では,まず第2章において,総務省・経済産業省による「経済センサス」をもとに,他産業と比較した「個人経営を除いた農林漁業」の収益性などの動向や,TKC全国会の公表データをもとに,農業生産部門別や,中小企業の他産業と比較した,黒字企業の特徴を分析している.第3章では,『農業経営研究』掲載論文のデータベースを用いて,農業経営研究のトレンドを分析し,研究対象が法人(企業)経営にシフトする傾向,人的・情報資源や経営成長・発展に関する研究の活発化,複数領域にまたがる研究の活発化について描出している.
第Ⅱ部は,「農業経営学の教科書」としての中核をなしている.まず第4章において,本書の経営理論について,「農業経営のマネジメント」を軸に解説している.本書は,農業経営を「経営資源を活用して,生命現象に関わる技術的変換を行い,付加価値を生み出す存在(組織)」,経営管理を「農業経営者が定めた社会的使命や経営目的の実現に向けて,経営資源を活用して,生命現象に関わる技術的変換を効率的に行い,生み出された付加価値を効果的に配分すること」と整理している(p. 59).そのうえで,経営目的,経営資源,技術的変換の概念を整理し,経営管理を生産/販売/財務/人材の各業務に区分した上で,リスク/情報・知識/技術・技能/人材の各マネジメントの要点を整理している.第5章では,農業経営学の系譜と既存の理論を整理し,一般経営学の経営理論の適用についてふれ,農業ビジネスで求められるとする「農業経営成長発展理論」と「農業生産デジタルマネジメント理論」を概説している.
第Ⅲ部では,まず第6章において,食料(汚染,不足)リスクに対して農業法人が取り組むべき課題を,2次資料ならびに著者らが実施した全国農業法人アンケート調査結果をもとに描出している.第7章では,著者らが実施した全国農業法人アンケート調査結果やプロジェクト研究成果をもとに,稲作経営革新の現状と,次世代の稲作農業を,先進経営の将来像,社会的役割と「棲み分け」,地域社会との関係性の各観点から展望した上で,農業経営革新の課題を,農業技術の研究開発普及と人材育成の観点から論じている.第8章では,米生産コストの国際比較を行ったうえで,国産米の国際競争力向上の方策を,目標コスト水準と,それを実現させるための技術パッケージの観点から論じている.最後に第9章では,多様な農業経営形態を,主に「家族経営」と「企業経営」の観点から整理したうえで,家族/個人/法人/企業経営の「棲み分け」や共存の重要性を指摘している.
本書の特徴は,多様な農業経営のなかから企業的な農業法人に対象を絞り,経営成長発展とマネジメントを「デジタル」を中軸に捉え直そうとしている点にある.一方で,このようなフロンティアの試みは,様々な角度から責められやすいという「諸刃の剣」の側面をも有している.以下,この点をおおいに自覚しつつ,本書のジャンルを「農業経営学の教科書」と定めたうえで,3点ほどコメントしたい.
第1は,教科書として中核をなす第Ⅱ部についてである.既存の教科書にはない本書のオリジナルは,「農業経営のマネジメント」に関する第4章と,第5章の「農業経営成長発展理論」と「農業生産デジタルマネジメント理論」に見出すことができるであろう.ただ,これらのいずれもが概説となっており,本書だけで農業経営理論として理解するには情報が不足していると考える.例えば,「農業経営のマネジメント」における「経営管理(マネジメント)の全体像」は,第4章でも引用されている伊丹・加護野(2003)をはじめとする一般経営学の理論や,既存の農業経営理論と何が異なるのか,説明が不足しているように思う.あわせて,他産業では長く「デジタル時代」下にあり,「デジタル時代の一般経営学」との異同についても今後議論を深めていく必要があるだろう.なお,第5章における農業経営理論の系譜の出典が「日本農業経営学会(2012)」と表記されているが,正確には「門間(2012a)」ないし「門間(2012b)」であろう.
第2は,教科書として捉えた場合の構成についてである.教科書としての構成の一典型は,「(ⅰ)対象となる農業経営の概念規定→(ⅱ)農業経営理論→(ⅲ)左記をふまえたうえでの各論(農業経営の実態分析や今後の展望)」であろう.しかし,本書は,最終章(総括の章を除く)に(i)の中心テーマ(経営形態)を配置している.教科書としては「逆茂木型」の印象を読者に与えてしまうように思う.
第3は,研究の方法論についてである.本書が依拠する農業経営のデータは,筆者らの「農匠ナビ1000」プロジェクト研究における4法人の実証結果のサーベイ(第7章)を除くと,2次資料か非対面のアンケート調査結果である.農業経営学におけるこれらのデータに基づいた定量的分析の重要性におおいに首肯しつつ,各クラスターの平均値や推定結果のパラメータだけでは描出できない農業経営の多様性(経営構造,農法,戦略,フロンティアの取り組み,ライフヒストリー,地域ネットワークなど)にアプローチすることも,これからの農業経営学には強く求められていると考える.この点,津谷(2008)の提言「農家や農業経営体に対するしっかりした調査に基づいた研究に立ち返る必要性」や,門間(2012b:p. 39)の指摘「生産(力)構造論的農業経営学,二重構造論的農業経営学の新たな展開の必要性」(括弧内は評者),そして,生産力構造論を農林業のフレームから実証的かつ多角的に捉え直そうとした安逹編著(1979)は,「デジタル時代」においても光彩を放ち続けている.
いずれにせよ,評者の責として記した以上のコメントは,評者を含む次代の農業経営研究者に向けられるべきであろう.