2025 Volume 61 Issue 3 Pages 167-168
本書は,著者が30年を超える海外での農学研究をまとめ,500ページを超える一冊として刊行した著作である.何もかも桁外れであり,とても面白い.著者が本書に込めた思いは,たいへん強いものがある.それは,著者自身の研究者としての体験に基づいているからである.それぞれの現場で真摯に向き合った結果としてもなお満たされぬ思いと,それをさらなる研究の糧にしようとする相克の賜物だからであろう.とても論理的な本でありながら,ほとばしる情熱が見られる.それが,本書を貫く背骨になっている.
なぜ,本書のような本が書くことができたのか.それは著者の,研究・教育人生と深く関わっている.著者は国際農林水産業研究センターで,アジアとアフリカとの国際協力の現場に立ち農業の実践的研究の最前線を担ってきた.その後,東京農業大学で10年間,教鞭を取ってきた.海外での実践的農学を経験し,かつ実践的農学を教える経験を積んできた.本書のタイトルが『国際協力と実践的農学』となった理由であろう.
アジア・アフリカなどの農業を研究している者にとって,実践的農業の研究は常に頭にある課題だ.実際にその地の農民がどのような農業を行っているかを知り,記述し,分析する.しかし,その後どうするのかというと,できればその地の農業に少しでも貢献できるにはどうしたらいいか,と考える.フィールドワーカーの多くは,一緒に暮らした人々の生活を少しでも良くしたいという気持ちから,実践農学の研究へと移る.これが,著者が言うところの研究から出発した農業研究の方向性であろう.一方,当初から,何らかの農業の改善や国際貢献を目的とした農学研究という方向性がある.著者は,これらの両方向から,研究と実践の学の間にメスを入れる必要があるとする.
著者は,以下のように述べている.「これまでの農学の世界,とりわけ国際協力における農学分野の研究状況を全体的,総括的に振り返ってみたい.」(p. 20)この目的から,本書では四つの課題を明らかにすることが試みられる.第一に「農業技術と農業経営の結びつきが弱かったのではないだろうか」,第二に「農業研究と農業開発の結びつきが弱かったのではないだろうか」,第三に「実証と実践の乖離」,第四に「農学の中の様々な分野同士の結びつきが弱かったのではないだろうか」,という四点である.
ただ,これらの課題への探求は,必ずしも表面的なものだけにとどまらない.ここが,本書の一番おもしろいところである.たとえば,実証と実践との乖離の問題において,著者は気づく.これは,誰にとっての利益であり,誰にとっての発展なのかということと,その判断を誰がしているのか,という点である.つまり,開発や協力の「主体」は,いったいどこにあるのか.海外協力の時に最も考えなければならないのは,それらの協力が主体的に行われていたかどうかという点になる.たとえば,タイのある農村に農業技術の協力が行われたとして,その主体は誰であるのか.タイの農民なのか,タイ政府なのか,それとも日本政府なのか.主体が異なると,期待される結果も違い,結果の評価も異なってくる.このことは特に重要な問題にあるにもかかわらず,これまでこのような提起は,あまりなされてこなかった.その意味でも,本書は稀有な農学書である.実践農学の書でありながら,実は「農学の本質を問う」性格を持った書だと言えよう.
農学の問題で最も問われなければならないのは,誰が主体であるかということだと,評者も考えている.かつて東畑精一は,「日本に主体としての農民は存在せず,むしろ国家や官僚こそが主体である」1と論じた.しかし,評者自身は,主体が対象国の農民にない開発では,先進国の側の利益や理屈に供するための開発でしかありえないと考えている.
次に,本書の特色は,その章別編成を見れば明らかである.
序章 問題意識と課題―国際協力における実践的農学の必要性―
第1章 実践技術と試行錯誤―ベトナムとラオスの事例に基づいて―
第2章 実践的農業経営学の模索―ラオスとモザンビークの事例を踏まえて―
第3章 農業経営管理と農民技術にみる主体性―ベトナムとタンザニアの事例を中心として―
第4章 ファーミングシステム研究の実践性―メコンデルタ総合研究プロジェクトを主な素材として―
第5章 参加型研究と参加型開発の実践性―ベトナム・ラオス・モザンビークにおける実践事例に基づいて―
第6章 貧困問題へのアプローチ―ラオス貧困村の事例を中心として―
第7章 農民組織の内発性と支援―ベトナム・メコンデルタの事例を中心として―
第8章 国際協力における実践的農家調査―失敗を乗り越えて―
終章 国際協力と実践的農学の展望
すべての章には副題が付けられており,そのほとんどが調査地における事例分析を踏まえた事例研究になっている.
しかも,各章のそれぞれが,実践的農業と開発研究が現在直面する課題に対応している.
たとえば第2章では,農業経営研究の課題が取りあげられる.実践的農学に従事している農学者は,自然科学の分野が多いのが実情であるが,政策提言の基盤になるためには,社会科学中でも農業経営学的研究をすることが重要だと指摘する.農業技術の協力が,地元の人々の農業経営にどれほど関与しているかを分析しないと,技術の改良を実践できたとしても,農業経営的には利益を出さない場合や,逆にマイナスになる場合があり,それは開発や改良とは,言えない結果になるからである.同感である.
第4章では,ファーミングシステム研究が俎上に載せられる.おそらく熱帯農業を研究している研究者ならば,誰もが一度は利用してみたことがある方法論である.しかし,ファーミングシステムとは何を意味しており,その方法論としての特徴はどこにあるのか.ファーミングシステム研究の多様な存在を,学説史を中心として整理し分析がなされている.しかも,問題解決方法論としてのKJ法や,村づくり支援法としてのTN法とも比較されている.この章を読むだけでも,若手の国際農学や国際協力を志す研究者や学生には,本書を読む値打ちがあるだろう.また熟練した研究者には,自分の研究人生を自省し,評価しなおしてみる参考になるだろう.とても,興味深い章である.
本書を読み終えてみて一つ心配になるのは,読者が本書全部をはたして読みとおすことができるだろうか,という点である.それほど,本書は大著でかつ整然と配置されている.差し込まれているコラムも,得がたい視点から適切に解説されたものである.また本書の最後には,引用文献が記載され,しかも章ごとにまとめられている.これらは著者の読書が上滑りなものではなく,きちんと読み込まれていることを保証するものであると同時に,後進の研究者への手掛かりを示していてくれる.まことに行き届いた,大著すぎる好著である.