Yearbook of Asian Affairs
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2011 Volume 2011 Pages 197-228

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2010年のベトナム 経済が回復基調示すなか,諸問題への対応に追われる

概況

2010年の国内政治では,2011年1月に開催が予定される第11回ベトナム共産党全国代表者大会(以下,党大会)に向けた準備が中心的な課題となった。また,2010年にベトナムはASEAN議長国の職責を担っており,ズン首相をはじめとする政府関係者にとって例年以上に多忙な年となった。そうしたなか,政府は南北高速鉄道建設計画案の見直しを国会で迫られるなど,舵取りに苦慮する場面が見られた。

世界同時不況の影響から落ち込んでいた経済は回復基調が顕著となり,GDP成長率は過去2年を上回る6.78%となった。とくに急回復した輸出の伸びが成長を牽引した。しかし,マクロ経済状況は不安定なものとなった。貿易赤字の拡大とともに,年後半はインフレの進行,ドン安,金価格の高騰が一気に進み,国家銀行と財政省は対応に追われた。国内最大企業のひとつであるビナシン経済集団(ベトナム造船工業総公司を母企業とするコングロマリット)の巨額債務問題が浮上し,政府は大掛かりな再建計画に乗り出した。

対外関係では,ASEAN議長国としての職責を無事に果たした。数多くの要人の来訪,国際会議の準備,運営を無事にやりとげて得た経験知と自信は,外交面だけでなく,ベトナム人自身にとっても積極的な意義を持つ。また,中国,ロシアとの外交関係樹立60周年,アメリカとの外交関係樹立15周年,EUとの関係樹立20周年を迎えるなど,節目の年となった。

国内政治

党大会に向けて進む準備

2010年には第11回党大会の開催に向けての雰囲気づくりとともに,具体的準備が進められた。党員・幹部の規律引き締めを企図した「ホー・チ・ミンの道徳の範に従った学習と仕事」運動は年間を通して各部門,各地,各レベルで展開され,第11回党大会開催1カ月前の12月12日には実践4年間の総括会議が開かれた。国への貢献を競う愛国競争運動も各部門,各地方で展開され,12月27~28日には全国レベルの愛国競争大会が開かれた。ズン首相は党,軍,国民が愛国の伝統,民族大団結の力を発揮するよう呼び掛け,きたる党大会に向けて国民の愛国心の盛り上げを図った。

また,党大会に向けた具体的準備も周到に進められた。ノン・ドゥック・マイン書記長やグエン・フー・チョン国会議長など党大会の準備に責任を持つ党最高指導者らが1月から地方を行脚し,直接指導にあたった。農村部の行政末端単位である社,その直接上のレベルの県・郡など第3級行政区で開かれた各レベルの党大会に党政治局員,書記局員が直接出席するケースが,3月以降,Nhan Dan紙上で確認されるようになった。7月に入ると,党政治局は中央に次ぐレベルである各地方省・中央直轄市および軍・公安など重要部門の党組織代表に対し,当該対象で開かれる党大会の方針について直接指導を行った。記事によっては会場の記載が見られないが,各省・中央直轄市の代表は地元から首都ハノイに出てきて党中央本部で協議を行った模様である。党政治局から直接指導を受けた後,各省・中央直轄市および軍・公安など重要部門の党大会は相次いで開催され,2011年1月に開催が予定される全国レベルの党大会に向けて環境が整えられていった。

党中央委員会――党大会準備を中心に議論

2010年に党中央委員会総会(以下,党中央委総会)は,第10期第12回党中央委総会(3月22~28日),第10期第13回党中央委総会(10月7~14日),第10期第14回党中央委総会(12月13~22日),の3度開かれた。

最初の第10期第12回党中央委総会では,(1)2011年補充,発展版社会主義への過渡期における祖国建設綱領(以下,党綱領),(2)2011~2020年の10カ年経済・社会発展戦略(以下,10カ年経済・社会発展戦略),(3)第11回党大会における第10期党中央委員会の政治報告(以下,政治報告),(4)党条例の執行総括と補充・修正提案報告,の各草案について審議が行われた。

同総会の通報によれば,同中央委総会ではきたる第11期の重要任務として以下の点を政治報告草案に盛り込むことで意見が統一された。(1)党の領導能力・戦闘力の向上,(2)行政改革,とくに行政手続き改革,(3)人材の質の向上,(4)経済インフラ,とくに交通インフラの足並みを揃えた建設,(5)幹部・公務員・職員・労働者の給料・収入の分配関係,政策の刷新,(6)道徳,生活様式の衰退など,対処に緊急を要するいくつかの社会問題の集中的な解決,(7)汚職,濫費,官僚主義の防止・取り締まり,である。また経済面については,速やかかつ着実な発展が求められているとの認識の下,2011~2015年の主な発展指標として,年間平均GDP成長率7~8%,2015年における1人当たりGDPを2010年時の1.7倍の2100ドルにするとの数値目標が掲げられた。

続く第10期第13回党中央委総会では,(1)2010年の経済・社会発展任務・計画と2010年の国家予算実行状況,2011年の経済・社会発展計画と国家予算案,(2)2011~2015年の経済・社会発展計画と国家予算の方向性,(3)郡,県,坊(都市部の末端行政単位)における人民評議会不組織の試験的実行の状況総括と今後の方針,(4)第11期党中央委員会の人事案,などについて審議が行われた。

経済・社会発展については,党大会に関連して2020年までに近代的方向に従って基本的に工業国になるための基礎を構築することが大目標として確認された。そして,3月に開かれた第12回党中央委総会で7~8%の成長を目標にするとしていた2011~2015年の年間平均GDP成長率が,7~7.5%に下方修正された。先の党中央委総会から半年ほどを経て,国内外の経済状況とその見通しに対する変化が,成長率目標の引き下げに反映されていると考えられる。また,第13回党中央委総会では,2011~2015年におけるベトナム経済の発展と再構築の方向性について,マクロ経済の健全な安定とインフレ抑制,近代化の方向に従った工業・建設部門の発展,近代化の方向に従った全面的な農業の発展など,12の基本的項目を定めたが,そのなかでも次の3点を突破口として挙げている。(1)社会主義志向市場経済制度を完成させること。中心的課題は平等な競争環境の創造と行政改革,(2)国民教育の全面的な刷新に集中し,人材,とくに高度な質を持つ人材の源泉を速やかに発展させること,(3)交通体系・大都市インフラに集中し,いくつかの近代的な施設とともに,足並みをそろえてインフラ体系を建設すること,以上である。

2008年11月15日に国会で決議が可決され,2009年に入り具体化されて10省・中央直轄市,67県,32郡,483坊で試験的実施が動き出した,郡,県,坊の人民評議会不組織の試験的実行については,実施期間も短く,まだ長所,欠点を評価しうる段階にないことから,試験的実施の継続が決められた。この問題に関連しては,人民評議会が不組織となった県・郡,坊において省・中央直轄市の人民評議会がいかに代替作業を担っていくのかなど,さまざまな課題が浮上している。

2010年最後の第10期第14回党中央委総会では,(1)第11回党大会に提出される文献草案に対する各級党大会,国会代表,祖国戦線,人民団体,幹部,党員,人民からの意見,(2)第11回党大会に提出するための第10期党中央委員会の領導,指導点検報告,第10期党中央委員会・党政治局・党書記局の就業規則の実行状況点検報告,(3)第11期党中央委員会の人事案,について審議が行われた。同総会通報によれば,同党中央委総会において第11回党大会に提出する人事案が固められ,第11回党大会の開催日程を2011年1月12~19日とすることが決められている。他方,具体的には言及されていないものの,いくつかの問題については困難かつ複雑で,何度議論をしても合意に至らず,意見の相違がうまらないため,大会後の研究課題とすると同通報は述べている。

国会――政府活動を見る目厳しく

2010年の通常国会は,第12期第7回国会(5月20日~6月19日),第12期第8回国会(10月20日~11月26日)の例年通り2回開催された。国会の常任機関である国会常務委員会の会合は,第12期第27回会合から第12期第36回会合まで1~12月に10度開催され,通常国会への提出に向けた法案審議など,活動を継続して行った。3月15~19日に開かれた第12期第29回会合では,ブ・ヴァン・ニン財政相,グエン・ホン・クアン建設相,チュオン・ホア・ビン最高人民裁判所長官などに対する質疑が行われた。終了後,グエン・フー・チョン国会議長は「国会常務委員会における政府閣僚との質疑応答は不可欠であり,継続して実施する必要がある」と述べている。この発言には政府活動への国会常務委員会の監視を強化することに対する意欲が見て取れる。

第12期第7回国会では障害者法,食品安全法など10法案が可決された(表1参照)。また,環境保護税法,行政訴訟法,消費者権利保護法など6法案について意見が集められている。また,表2に挙げたような形で,選挙民が憂慮する問題が集約された。tuoi tre紙でも大きく報じられたように,同国会の審議のなかで多くの国民の耳目を集めたのが北部に位置する首都ハノイ市と南部に位置するベトナム経済の中心地ホーチミン市を結ぶ南北高速鉄道の建設計画案であった。政府側は高速鉄道が敷設される地方への直接的な経済・社会利益だけでなく,ほかの地域に対する波及効果も大きいとしている。しかし,ベトナム一国の2005年時のGDP 530億ドルを上回る560億ドルにも及ぶ支出見込みに対し,資金調達にたとえODAを用いたとしても,将来的な国家の財政負担への懸念が残ることなどから,多くの国会代表が反対の立場を表明した。水力発電所,原子力発電所の建設など大規模プロジェクトが進行するなかで,さらにこうした大プロジェクトを進めた場合,将来的に負債は返済できるのか,といった憂慮を多くの国会代表が共有していると考えられる。そのほかにも,空路・海路など既存の交通手段全体への影響をまず斟酌する必要があるのではないか,現在のベトナムの状況からすれば非常にロマン性が強い計画ではないかなど,さまざまな意見が出されている。しかしながら,正式採決前に行われた見込調査では57.14%の国会代表が同プロジェクトに対する決議の可決に賛成する意向を示しており,正式採決の段階まで見通しは不鮮明であった。結局,6月19日に行われた採決では,3度にわたり同プロジェクト関連決議の採決が行われ,いずれも否決された。そして,政府に対し,北部と南部を結ぶ交通体系と同様に,全国の交通総合計画を完成するべく引き続き検討を行うことを求めることが決められた。

続く第12期第8回国会では環境保護税法,国会代表選挙法・人民評議会代表選挙法修正・補充法など9法案が可決された(表1参照)。また,首都法,独立会計法,請願法など9法案,第11回党大会で協議される諸文献の草案についても意見が集められている。同会期ではヴ・フイ・ホアン工商相ら政府閣僚に続いてズン首相が質疑に登場し耳目を集めた。11月24日,ズン首相は(1)インフレ抑制と価格管理,(2)ボーキサイト(アルミニウムの原料)の開発・加工とタンラーイ(ラムドン省)とニャンコー(ダクノン省)における計画の試験的展開,(3)ビナシン経済集団について,(4)人民の生産・生活のための電力供給の保全について,(5)中部諸省の自然災害被害克服と気候変動,海水面上昇への対処に関するいくつかの主要任務,(6)農業・農村に対する投資と農業・農民・農村に関する中央決議の展開について,以上(報告順)6つの問題に関して答弁を行った。なかでも注目されたのが,上記(2),(3)の問題であった。(2)のボーキサイトの開発・加工に絡む問題は,中部高原地域におけるボーキサイト開発とアルミニウム製造プロジェクトに絡む問題である。タンラーイのアルミニウム精錬工場については2011年4月に商品生産開始,ニャンコーについては2012年末の操業開始が見込まれている。同プロジェクトが問題とされたのは,次の理由による。①大きなプロジェクトであるにもかかわらず,国会での審議を経ずに党・政府中心に進められたという印象が強いこと,②石炭・鉱山物工業集団(Tap doan Cong nghiep Than-Khoang san)が投資主となってはいるが,国民感情としていまだ中国に対する警戒感が残るなかで,エンジニアリング・資機材調達・建設工事(EPC)を中国アルミニウム集団(Tap doan Nhom Trung Quoc)が行うこと,③ハンガリーで起きたアルミニウム精錬工場の有毒な廃液貯水池の決壊事故の経験から,環境破壊への懸念が存在すること,である。ズン首相は答弁において同プロジェクトについて1度国会に報告したとした。しかし,ズオン・チュン・クォック国会代表が,「今日の人民,明日の歴史がそれぞれの人の活動を検討し評価できるように,この問題について評決がされる際には,投票者の名前を公開する」よう国会に求めたように,少なくとも一部の国会代表および国民のなかには国会での審議なしに同プロジェクトが進められたとの不信感が存在している。

次に,上記(3)のビナシン問題とは,1996年当初,垂直型企業グループ(91型総公司)として設立され,2006年に経済集団に改組されたビナシン経済集団が,世界的不況,杜撰な経営により2008年終わり頃から深刻な経営不振に陥り,巨額負債を抱えるに至った問題である(経済の項を参照)。国会代表からはこの問題に対する首相,関係閣僚の管理責任を問う声が上がった。ズン首相は「政府を率いる者として,政府の限界,弱点について謹んで責任を負う」として自身の責任を認めている。tuoi tre紙によれば,グエン・ミン・トゥェット国会代表による,政府閣僚の責任調査臨時委員会の設立提案は退けられた。しかし,チョン国会議長は「本日,首相は何度も責任を認めると述べた。人民の信頼を取り戻し,強化し,よりよく,より厳正に処理するために,今国会における質疑が具体的な責任追及をさらに促進することを我々は望む」として,ズン首相に対応を求めている。

表1  2010年の国会で可決された法律

(注) 法文名は記された原語に即して訳出している。

(出所) Nhan Dan 紙,2010年5月21日付,6月20日付,10月21日付,11月27日付にもとづき筆者作成。

表2  2009年後期国会から2010年前期国会の間に把握された国民が憂慮する問題

(出所) Nhan Dan 紙,2010年6月20日付にもとづき筆者作成。

政府――目標経済成長率達成するもビナシン問題などで守勢に

2010年,政府は4月に「マクロ経済安定・高インフレ抑制・約6.5%の経済成長達成のための方策に関する決議」を出すなど,一貫してマクロ経済安定,高インフレ抑制,一定の経済成長の達成を目標に据えて活動した(経済の項参照)。11月6日には緊急公文を出し,省級人民委員会委員長に対し,物価管理の検査組織の設立を求め,11月15日までに報告するよう指示を出すなど,強気の指導も見られた。また,政府行政手続工作専従グループによる地方訪問,関連機関における行政手続のための土曜開業,政府官房直属の行政手続検察局の組織作りなど,経済活動や生活に影響の大きい行政手続改革にも力を入れた。その結果,消費者物価指数(CPI)は11.75%となったものの,2010年のGDP成長率は6.78%(共に速報値)と目標を達成した。

しかし,2010年には政府が守勢に回った感は否めない。年初にはヴ・ディン・トゥアン元政府官房副長官,112提案(2001~2005年の国家行政管理情報化提案)委員会元委員長ら23人を被告とする,同委員会を舞台にした入札に絡む汚職事件の第1審が開かれた。さらにビナシン問題(経済の項を参照)なども顕在化した。ビナシン問題への対応では,ズン首相は8月13日にグエン・シン・フン副首相を委員長とする再建指導委員会の設立を決定すると,その3日後にはビナシン経済集団に対して(1)相応しい規模の船の建造・修理,(2)船の建造・修理に資する補助,(3)幹部・工員の職業技術の訓練・向上,以上3つの分野に力を傾注するよう指示を出した。そして,同指示を出した翌日には再建委員会第1回会合が開かれている。

民主化を求める人たちへの対応変わらず

2010年においても民主化を求めて行動する人たちへの当局の対応は従来と変わらなかった。Nhan Dan紙の報道によると,2010年1月,ハイフォン市内で最高人民裁判所によるグエン・スアン・ギア被告ら6被告に対する再審が開かれた。ギア被告はズン首相,サン党書記局常任と同じ1949年生まれである。同被告らは,ハイフォン市のライチャイ,ハイズオン市のラーイカイの2つの橋に反体制的な文言を書きつけ,また,ベトナム共産党の領導的役割を否定し政治的多元化を求めて現体制に抵抗する内容の文章を外国の雑誌に掲載し,インターネット上に流したとされ,反国家宣伝罪に問われていた。初審で懲役6年の判決を受けたギア氏らの減刑は認められなかった。5月にはホーチミン市内で最高人民裁判所による,チャン・フイン・ズイ・トゥック,レー・コン・ディン,レー・タン・ロンら3被告の再審が開かれた。3被告は互いに接点を持ちつつ,それぞれ独自の組織をつくり,反体制的内容を持つ資料を作成するなど,現体制の転覆を画策して活動していたとされ,2010年1月に開かれた初審ではトゥック被告が懲役16年,ディン被告とロン被告はともに懲役5年の判決を受けていた。ロン被告については反省が認められるとして1年半の減刑が認められたが,ほか2者については先の判決が維持されている。

2007年3月に懲役8年の判決を受け,ハナム省の監獄で服役中だった著名な民主活動家グエン・ヴァン・リー神父は,脳血管破裂に伴う病状のため,3月12日に1年間の刑の執行停止が決定された。同氏はフエ管区大司教館(Toa Tong giam muc Giao phan Hue)で療養することになった。

自然災害――繰り返される被害

2010年も多くの自然災害に見舞われた。Thoi bao Kinh te Viet Nam紙によれば,全国で死者260人超,行方不明者96人,負傷者491人,家屋の倒壊・流出6000軒超,浸水・損壊47万1985軒,耕作地31万2000ヘクタールが被害を受け,推定被害総額は16兆550億ドンに上る。10~11月に,大雨,長雨が襲った中部では,死者155人,行方不明者29人,被害総額は11兆6000億ドンに達する見込みである。政府はホアン・チェン・ハーイ副首相が被災地に飛び住民救助のために陣頭指揮をとるなど,対応に追われた。被災者支援,生活・生産インフラ復旧のため,11月後半までに7700億ドン,コメ1万7500トンの緊急支援を決定した。ズン首相は関連省庁・部門・地方に対し,とくに中部で貯水池の安全性強化,向上プログラムの実行に優先的に資金を振り向けることなど,指示を出している。毎年,自然災害による死者が数百人を超える現状の克服に向けて,取り組みのさらなる強化が求められている。

(寺本)

経済

回復傾向を見せる2010年の経済指標

統計総局が年末に発表した速報値によると,2010年のGDP成長率は6.78%であった。2009年の成長率(5.32%)のみならず,2008年の成長率(6.31%)も上回り,世界同時不況により2008年後半から落ち込んだベトナム経済は,短期間で本格的な回復軌道に乗ったといえよう。四半期ごとの成長率の推移を見ると,第1四半期は5.83%と,2009年第4四半期(6.90%)より大幅に落ち込んだものの,その後は6.40%,7.18%,7.34%と継続的に上昇した。農林水産業,工業・建設業,サービスの各部門の成長率はそれぞれ2.78%,7.7%,7.52%とすべて前年の成長率を上回った。とくに工業・建設業部門では製造業が,サービス部門では商業,ホテル・レストラン,運輸・郵便・観光,金融・銀行・保険の各分野が,8%を超える高成長を達成し,1人当たりGDPは1168ドルとなった。12月15日時点までの財政収入は,2009年の国会で承認された予算額を9.3%上回り,財政支出は予算額の98.4%となった。財政赤字の対GDP比は5.95%となり,目標値の6.2%以内に収めることができた。

2010年の経済成長を牽引したのは,回復した輸出であった。輸出額が前年を下回った2009年から一転し,総輸出額は前年比25.5%増の716億ドル超となった。過去最大の18品目で,輸出額が10億ドルを越えた。最大の輸出品は前年に引き続き縫製品であり,2010年の輸出総額は100億ドルを突破した(111億7200万ドル,前年比23.2%増)。縫製品を含む軽工業製品の輸出は,前年比で46%増という著しい伸びを見せた。また,農林水産品輸出も22.6%増を達成し,なかでもコメ輸出は670万トン,32億2000万ドルという記録的な高水準となった。農産物や石炭,鉄の輸出額増加は国際的な価格上昇の影響が大きかった。なお,ズンクワット製油所が本格的に商業運転を始めたため,原油輸出,石油輸入ともに大幅に減少している。アメリカが引き続き最大の輸出先となり,11月末時点での輸出額は128億ドル(前年比25%増,総輸出額の17.9%)となった。

一方,輸入も2009年の大幅減から一転し,前年比20.1%増の急拡大をみせ,総輸入額は840億ドルとなった。鉄やプラスチック,縫製品原料などの原材料や資材の輸入が再び急拡大に転じた。また,電子製品・コンピューターなどの生産のための機械・備品類の輸入も,引き続き輸出品目の上位を占めている。ただし,自動車輸入はマイナスに転じている。貿易赤字は124億ドルとなり,2009年の128億5000ドルをわずかに下回ったものの,引き続きベトナム経済の大きな重荷となっている。

外国直接投資の登録資本額は185億9000万ドルとなった。この額は,前年比で17.8%減という大幅な減少である。ただし,そのほとんど(93%)が新規投資案件であり,2010年12月21日時点で新規投資は969案件,総額は172億3000万ドルとなった。新規投資額に限れば,前年比2.5%増となる。分野別に見ると,不動産分野で2009年に引き続き大きな投資案件(シンガポール資本による40億ドルのクアンナム省におけるリゾート開発)があり,同分野の投資額は外国直接投資全体の36.8%を占める68億4000万ドルであった。製造業分野への投資は,全体の27.3%を占める51億ドルであった。これらの分野以外で目立った外国直接投資案件は,オランダ資本による初の大型投資案件であるモンズオン第2火力発電所案件(21億ドル)であった。なお,外国直接投資の実行額は110億ドル(前年比10%増)となり,ほぼ2008年の水準に戻った。このなかには,台湾の廣聯鋼鉄によるズンクワット経済区の45億ドルの製鉄所建設案件のように,2008年に登録されたものの,登録後に資金不足に陥り休止されていた大型案件もいくつか含まれている。

不安定なマクロ経済状況

2010年も,前年に引き続きマクロ経済の状況は不安定であった。とくに9月以降は,当局が多方面からの対応策を打ち出したにもかかわらず,ドン安,CPI(消費者物価指数)の上昇,金価格の上昇が一気に進んだ(図1)。

ベトナム経済にとって最大の懸念のひとつは,2008年以来の高インフレの再燃であった。2009年末に策定された当初計画では,2010年のCPI上昇率の目標を前年比7%としていたが,年初からインフレが続き,3月末時点で,前年同月比9.46%,2009年12月との比較でも4.12%の上昇となったため,4月にはその目標値を8%に上方修正した。財政省は8月,価格安定化を図るために,鉄,乳製品,ガソリンなど17の財,およびいくつかの分野のサービスを生産・提供しているすべての企業に対し,価格登録を義務づける財政省通知122号を公布した。しかし,その効果は小さく,4月以降いったんは落ち着きをみせていた物価は9月から再び上昇を始め,CPIが前月比1%を超える状態が年末まで毎月続いた。

11月には,国家銀行が約11カ月ぶりに金融引き締めに動いた。2009年12月から据え置かれてきた各種の政策金利は1ポイントずつ引き上げられ,基本金利は9%となった。それにもかかわらず,CPIは11月と12月には前月比でそれぞれ1.86%,1.96%の上昇を続け,最終的には12月時点のCPI上昇率は,前年同月比で11.75%,年平均でも前年比9.19%と,修正後の目標値をも大きく上回る結果となった。とくに食糧(前年同月比17.96%増),食品(同16.69%増)の価格が大きく上昇した。

通貨ドンの為替相場は2010年も下落傾向が続いた。2009年後半からの深刻なドル不足は2010年に入ってからも続き,実勢レート(貴金属店などのいわゆる「自由」市場レート)が公式レートより10%以上もドン安の状態が続いた。国家銀行は,ドンの信用低下に歯止めをかけ実勢レートに近づけることと輸出拡大を促進し貿易赤字拡大を縮小することを狙い,2月に3.4%,8月に2.1%の2度にわたる小幅なドン切下げを行った。しかしながら,9月以降,ドン相場の下落が再び始まり,11月には,公式レートで一時1ドル=2万1500ドンに迫った。

このようなドル不足とドンの信用低下は,金への資本流入を加速させる要因ともなった。2010年後半に入り世界の金相場が上昇し始めると,ベトナム国内の金価格も急上昇を始めた。10月には1テール(37.5グラム相当)=3160万ドンを超え,過去最高値を更新した。国家銀行は10月末,金価格と通貨の安定化を図るため,金による貸し付けと金の現金化を制限した。しかしこのような市場抑制的な政策は効果を見せず,金価格はさらに上昇を続け,11月には,一時1テール=3820万ドンという高値を記録した。国家銀行は,一部の企業への期限つきのクオータ付与という形で部分的な金の輸入解禁に踏み切り,さらに,財政省は金に対する輸入関税を1%から0%に引き下げた。これらの措置により12月には金価格はいったん安定した。年間を通してみると,12月末時点の金の平均価格は2009年末価格の30%増となった。

また,商業銀行がドン預金の金利引き上げ競争を続けるという事態が起こった。これは,増加する不動産などへの融資を賄うことを主な目的として,商業銀行が預金の獲得に乗り出したために引き起こされたもので,経済がバブルの様相をみせ始めたことを示している。その一方で,多くの企業は資金調達に苦慮することとなった。政府は4月に公布した,「マクロ経済安定・高インフレ抑制・約6.5%の経済成長のための方策に関する政府決議」(政府決議18号)のなかで,銀行の活動を市場の現状に応じたものとするよう求めた。これを受け,国家銀行が「合意にもとづく利子によるドン建て貸し出しに係る信用機関への指導に関する通知」(国家銀行総裁通知12号)を公布し,商業銀行の金利見直しが行われた。これは,2008年の国家銀行総裁決定16号で定められた「市中金利は基本金利の150%以内とする」という規定により年利12%となっていた市中の長期預金金利の上限を10%に引き下げ,その一方で貸出金利の上限を年12%とすることを各商業銀行に求めるための措置であった。しかしこの12号通知の公布によって,明示的な上限金利の制限が外れたことで,そのねらいとは逆に,各銀行の金利引き上げ競争はさらに過熱化していった。このため,国家銀行はその後も数度にわたり,ベトナム銀行協会を通じて金利引き下げ要請を行わざるをえなかった。11月に国家銀行が政策金利を引き上げると,市中金利はさらに上昇した。ついにテコムバンク(Techombank)銀行とシーバンク(SeABank)銀行が預金金利をそれぞれ17%,18%にまで引き上げると,国家銀行が警告を発するに至った。12月中旬,国家銀行と各商業銀行は,預金金利を14%以下とすることに合意し,違反した銀行に対して厳格な制裁が下されることが確認された。

図1  金,ドルの価格上昇(2009年12月=100)

(出所) 統計総局ウェブサイト(http://www.gso.gov.vn)。

ビナシンの経営破綻危機

2010年はビナシンの破綻危機がベトナム国民を不安に陥れた。2008年の世界的な不況を受け造船契約の破棄が相次いだことや多角経営の失敗により,ビナシンの財務状況が悪化しつつあった事実は,2009年から国会で指摘されていた。しかし,4月,政府が2005年にニューヨーク市場での国債発行を通して調達し,ビナシンに融資された7億5000万ドルの返済が困難であることが明らかになると,破綻の危機が新聞紙上などでも騒がれ始めた。国会でもビナシンに対する厳しい質問が相次ぎ,政府も思い切った対応策に乗り出さざるをえなくなった。

ズン首相は6月,この債務返済のための対策として,ビナシンの子会社12社の経営をペトロベトナム(ベトナム石油・ガス経済集団)とビナラインズ(ベトナム海運総公司)に移譲することを発表した。また,政府は国債を再発行し,この資金を当面は利子支払いに充て,3年以内に元本の返済を開始することとした。8月にはビナシン再建指導委員会が組織され,6月時点でのビナシンの債務総額が86兆ドン(約43億ドルに相当)にのぼることが公表された。

ビナシン破綻危機が明るみに出ると,社長兼会長のファム・タイン・ビンの経営責任が追及された。ビンは,近親者を経営陣に加えるなどして放漫経営を行っていただけでなく,2009年以降ビナシンが赤字に転落していたことを隠し,政府に対し黒字の報告を続けていた。ビンは7月に解任され,「経営において故意に国家の規則を破り,国家に重大な損失を負わせた」罪により,8月に逮捕された。9月には,同様の罪でビナシン子会社の幹部5人も逮捕された。

11月になると,ズン首相は本格的なビナシン再建計画を発表した。この計画により,ビナシンはその傘下の259の企業のうち216社を株式化,売却,移譲,解体などを通して整理することとなった。12月には,政府はビナシン傘下の企業が輸入した原料,物資,設備,機械の輸入関税と付加価値税の支払いを2012年末まで猶予する措置をとり,職員の未払い給与に充てるため,ベトナム開発銀行からの無利子融資を供給することも決定した。

しかし12月に入ると,今度はビナシンがクレディスイス銀行経由で2007年に調達した6億ドルの債務のうち,12月20日に返済期限を迎える第1回目の返済額6000万ドルが準備できないことが判明し,再び破綻の危機がささやかれ始めた。ビナシンはクレディスイス銀行に対して1年の返済猶予を要請し,ビナシンは利子のみを支払うことで,当面の危機を回避した。ビナシンは子会社の整理などを通して23兆ドンを調達し,さらに,総額21億ドルになる130艘の受注済みの船の建造を早急に進めることで,債務返済は可能であると主張した。

またビナシンの破綻危機は,ベトナム経済全体の国際的な信用を低下させた。8月にビナシンの監査報告が公表されると,国際的な格付け会社フィッチは,ベトナム国債の格付けを1段階引き下げた。12月にクレディスイス銀行への債務問題が浮上すると,スタンダード・アンド・プアーズとムーディーズが,それぞれベトナム国債の格付けを引き下げている。今後のインフラ事業などのための資金調達への影響が懸念される。

国有企業改革は先送り

ビナシンの破綻危機は,政府が所有者でありかつ監督責任者となる国有企業のガバナンスの問題点を浮き彫りにした。党政治局の報告によれば,政府は2006年から2009年の間に11回の監査を行ったにもかかわらず,問題点を発見できなかったという。また,国債発行による追加資金の調達や破綻回避のための税優遇や追加融資なども,今後ビナシン再建が失敗し破綻に至れば,将来の政府の財政状況を悪化させる要因となる。

2010年も,国有企業,とくに国家経済集団や総公司といった大企業の改革は,実質的には大きく進展しなかった。2006年に決定された国有企業改革プログラムが設定した国有企業改革の期限が7月1日に迫っているにもかかわらず,年初の段階では多くの国家経済集団が企業形態を転換していなかった。政府は,3月,株式化への転換途上でまだ企業価値が定まっていない国家会社(国が法定資本の100%を所有する企業)を,国が所有者となる一人有限会社に転換するという方向を打ち出し,具体的な条件や手続きを定めた。これを受け,6月末までには,ビナシンやペトロベトナム,ベトナム航空といった主要な国家経済集団が一人有限会社へと転換した。このように,国有企業改革プログラムの柱であった国家経済集団と総公司の株式化促進という方針の実現はいったん先送りされる形となり,一人有限会社に転換した国家会社は,将来条件が整い次第,株式化を行うこととなった。結局,年初から7月1日の国有企業改革の期限までに株式化された企業数が26社であったのに対し,一人有限会社への転換は57社となった。整理・清算された企業は85社あった。

相次ぐ大型インフラの完成とインフラ計画の進展

2010年には,いくつかの大型インフラが完成した。4月には,2007年の崩落事故により建設が遅れていたカントー橋が完成し,東南アジア最長の斜張橋となった。10月には,ハノイ成都1000年祭にあわせ,ハノイ郊外の旧ラン=ホアラック道路を拡張した約30キロメートルのタンロン大通りが5年間の工事を経て完成した。

また,ベトナム最大の水力発電所であるソンラ水力発電所が,当初の予定より2年ほど早く完成した。発電所の水源となるソンラダムは5月に貯水を開始し,11月には400MWの発電能力を持つ第1号発電機が稼働し,12月から商業運転を開始した。2012年までには,建設予定の6基すべての発電機が稼働する予定である。

しかし,ソンラ水力発電所だけでは電力不足を解消するには十分ではなく,電力不足は当面続くものと見られる。長期的な電力供給能力向上のため,政府は,ベトナム初の原子力発電所の建設に向けて大きな第一歩を踏み出した。2つの原子力発電所がニントゥアン省に建設されることが決定し,5月にはニントゥアン原子力発電所プロジェクト国家指導委員会が設立された。10月には,2009年末ロシアとの間で交わされた協力覚書にもとづき,工商省とロシアの連邦原子力公社(ロザトム)との間で,ニントゥアン第1発電所建設にかかる政府間協定が調印された。調印式には,第2回ASEAN・ロシア首脳会議のために来訪していたメドベージェフ大統領とグエン・ミン・チエット国家主席が同席した。同発電所建設は2014年に始まり,2020年までに発電を開始する予定である。

また,ニントゥアン省の第2原子力発電所については,日本がその建設における協力相手となることが決定した。ズン首相とASEAN関連の首脳会議のために来訪した菅直人首相との間で交わされた『アジアにおける平和と繁栄のため戦略的パートナーシップを包括的に推進するための日越共同声明』において,「ベトナム政府がニントゥアン省の第2原子力発電所における2基の発電施設建設の協力パートナーに日本を選ぶことを決定した」ことが明記された。

一方で,計画されていたもうひとつの大型案件である南北高速鉄道建設の計画は,政府の思惑どおりには進まなかった。5月国会において,交通・運輸省の報告として南北高速鉄道の投資額が1000兆ドン(約560億ドル)にのぼることが明らかにされると,国会ではその額の大きさや費用対効果を疑問視する声が相次ぎ,最終的に政府案は否決された。ただし政府は,7月の国会常務委員会で,同案件の実現を引き続き希望すると表明しており,近い将来,同計画案が国会へ再提出される可能性があることを示唆した。また日本政府は,南北高速鉄道に新幹線方式が採用されることを期待しており,前原国土交通大臣をはじめ閣僚が相次いでベトナムを訪問し,南北高速鉄道建設に対する協力を申し出ている。政府は7月,南北高速鉄道の3区間の建設に関するフィージビリティ・スタディの実施に際し,日本政府から資金援助と技術支援を受けることを決定した。

(坂田)

対外関係

ASEAN諸国との関係――議長国の職責果たす

2010年にベトナムはASEAN議長国として職責を果たした。ベトナムは「主体的,積極的そして責任を持って」議長国を務めることを基本姿勢とした。「ASEAN共同体に向けて:ビジョンから活動へ」を主たる課題として,4月の第16回,10月の第17回の2回に渡る首脳会議のほか,関連する多数の重要会議のホスト役を無事果たした。ズン首相はASEAN議長国としての立場で,6月,11月にそれぞれカナダのトロント,韓国のソウルで開催された主要20カ国・地域(G20)首脳会議へのデビューを果たした。注目されるのは,第17回ASEAN首脳会議で「ASEAN連結に関する総合計画」(Ke hoach tong the ve Ket noi ASEAN)を採択したことである。2015年までに「政治・安全保障」,「経済」,「社会・文化」という各分野の共同体を柱とするASEAN共同体の実現を目指すASEANにとって,同総合計画は共同体の実現に向けてASEAN諸国間のヒト,モノ・サービス,制度の連結性を,将来的な東アジア地域との連携拡大をも視野に入れつつ強化することを目標とする。2010年の年末にNhan Dan紙に寄せた文書のなかでズン首相も「ASEANの連結」の重要性に言及している。また,Thoi bao Kinh te Viet Nam紙にファム・ザー・キエム副首相兼外相が語ったところによれば,ASEAN公安機関首脳会議,拡大ASEAN国防相会議の初開催に向けてベトナムは積極的に動いた模様である。ズン首相は「2010年にASEAN議長国の職を成功裏に務めたことは,地域・国際参入過程におけるベトナムの顕著な成長の一歩である」としてASEAN議長国を務めた1年間を積極的に評価している。

後発ASEAN諸国との関係では,8月に第42回ASEAN経済閣僚会議(AEM)がダナン市で開かれた際,第1回カンボジア・ラオス・ミャンマー・ベトナム(CLMV)経済閣僚会議が開催され,ヴ・フイ・ホアン工商相が進行役を担った。同会議では国境地域の商業活動における潜在的可能性が未開拓との共通認識のもと,各国国境地域に存在する特別経済区(SEZ),輸出加工区(EPZ)への投資奨励などの方策が議論された。10月にはベトナムのホアビン省で発展の三角地域に関するカンボジア・ラオス・ベトナム(CLV)閣僚会合が開催され,ヴォ・ホン・フック計画・投資相が出席した。続く11月,ズン首相はカンボジアで開かれた第6回CLV首脳会議,第5回CLMV首脳会議,第4回エーヤワディ・チャオプラヤ・メコン経済協力戦略会議(ACMECS)に出席している。また,同首相は4月にタイで開かれたメコン川委員会首脳会議にも参加した。

二国間関係でもマイン書記長のラオス訪問(4月),チェット大統領によるラオス,カンボジア訪問(8月),ズン首相のミャンマー,カンボジア訪問(それぞれ4月,11月),カンボジアのシハモニ国王,シアヌーク前国王(6月),ブアソーン・ラオス首相(9月)の来訪など,最高指導者たちの交流が行われた。カンボジアとの関係では,6月に開かれた陸上国境画定・標識設置合同委員会委員長特別会合において,2012年末までの陸上国境画定・標識設置工作の終了を目標とすることが決められた。また,ミャンマーとの関係ではベトナム航空が両国を結ぶ直航便を就航させるなど,経済関係を中心に関係強化の方向が見て取れる。

中国との関係――関係深化進むも混沌とした要素も

2010年の対中国関係は,両国の外交関係樹立60周年を迎えて越中友好年と位置づけられた。1月からホーチミン博物館でベトナム通信社と中国の新華社が「越中友好の60年」写真展示会を共催し,ベトナム社会科学院が「ベトナムと中国――友好を強化し,協力を拡大し,共に発展する」をテーマとするワークショップを開催するなど,記念の年を祝す行事が行われた。ズン首相は上海万博開幕の日程に合わせて4月終わりから5月初めに中国を訪問した。ズン首相は浙江省で開かれた越中通商経済協力フォーラムなどで一層の経済交流の促進を呼びかけている。7月には工商省が中国の在ベトナム大使館と協力して工商省,計画・投資省とベトナムで活動する中国企業との対話フォーラムを開き,中国企業のさらなるベトナム進出を促した。また,9月には「市場経済・国際参入下の文化建設の推進」をテーマにして両国共産党は6度目の理論ワークショップを開催した。11月の終わりには両国の公安省間の会合がもたれ,ベトナム側のホットライン設置の提案に中国側が同意するなど,経済分野だけでなく文化,治安分野でも両国の協力関係の強化は進んでいる。

他方,両国が領有を主張するホアンサ(西沙)諸島,チュオンサ(南沙)諸島の問題では2009年に続き,多くの問題が発生した。ホアンサ諸島をめぐっては2010年の前半からホアンサ諸島海域で操業中のクアンガイ省の漁民が中国側に拿捕,拘留される事件が相次いで発生した。チュオンサ諸島をめぐっては,4月に中国が2隻の船舶に同海域での調査を命じ,5月には中国が同諸島の一部で携帯電話網を開設するなどの事態が発生した。ベトナム側は主権の侵害であるとして中国側に抗議している。また。中部高原のボーキサイト開発,アルミニウム製造プロジェクトへの中国企業の参入も,ベトナム国民が元来中国に対して持つ警戒心をあおっている(「国内政治」の項を参照)。越中関係は,関係強化が進む一方,歴史的関係に根差した対抗的な要素も顕在化し,ある意味で混沌とした状況にある。

アメリカとの関係――対中国で利害を共有,核でも協力へ

2010年,アメリカとの関係は外交関係樹立15周年を迎えた。7月にはハノイで外交関係樹立15周年を記念して「越米関係――より明るい将来に向けて」をテーマとするワークショップが開かれた。ベトナムからはファム・ビン・ミン外務次官が出席した。また,核エネルギー関係で進展があった。3月にはアメリカと核エネルギー分野における越米間協力に関する覚書に調印し,翌4月,ズン首相は核安全保障サミットに参加するためアメリカを訪問した。6月には政治・安全・国防に関する第3回目の対話がハノイで行われ,アジア太平洋地域における安全保障,枯葉剤被災者問題の解決策など,幅広い議論が行われた。中国と国際的な影響力を競うアメリカはベトナムが議長を務めた拡大ASEAN国防相会議などASEAN関連会議にも積極的に参加し,7月にはASEAN外相会議出席のため来越したクリントン米国務長官とズン首相の会談が実現した。8月には初めて国防政策に関する越米対話が開かれている。

他方,人権問題,通商問題についてはこれまでと同様に課題として残された。人権問題では,2010年にアメリカ国務省が発行した2009年人権報告(3月),2010年の国際宗教自由報告(11月)におけるベトナム該当部分は事実にもとづくものではないとしてベトナム側は強く反発した。通商問題では,ベトナムから輸出されるプラスチック袋,エビ,チャ(ナマズ科の淡水魚)について,アメリカはダンピング課税など自国産業保護の立場にもとづいて対応を模索している。このうちエビについて,ベトナム側はアメリカがベトナムから輸入したエビに対して課すダンピング課税などの措置はWTO協定に整合していないとして,紛争解決機関(DSB)にパネルの設置を求めた。対中国関係という共通の課題を持つ両国関係の強化は過去の経緯を乗り越えて双方が望むところだと思われるが,懸案問題の解決には相当の時間を要すると考えられる。

日本との関係――経済面の結び付き強めつつ多方面での協力を模索

2010年の対日本関係は,経済面における結び付きの実質的な強化が目立った。6月にはペトロベトナムの首脳が日本を訪問し,日本の大手企業による投資促進を目的とした会合を開いた。10月に菅首相が訪越した際には,ベトナム側よりニントゥアン省に建設予定の原子力発電所について,ロシアに次いで日本を建設パートナーに選んだこと,そして,レアアース(希少土)の探査・開発でも日本をパートナーとして選んだことが伝えられた。12月には「競争力強化のための投資環境整備に関する日越共同イニシアティブ」第3フェーズを実施した2年間を総括するため,同イニシアティブ評価・促進委員会高級会合がハノイで開催された。同会合では,ベトナム側の円滑で透明性のある投資・経営環境の整備に向けた努力,日本側の建設的な政策提言など双方の取り組みに対して一定の評価がなされた。両国は第4フェーズの立ち上げに合意している。日本とメコン地域諸国の会合についても,3月に高級官僚会合(ハノイ),8月に経済閣僚会合(ダナン),10月に首脳会合(ハノイ)と開催された。首脳会合では,2009年東京開催の第1回首脳会合で採択された日メコン行動計画63に盛り込まれた「緑あふれるメコンに向けた10年」のイニシアティブ,「日メコン経済産業協力イニシアティブ」の行動計画がそれぞれ採択された。また,経済・産業分野だけでなく,12月には初めて日越戦略的パートナー対話がハノイで行われ,外交,安全保障,国防,国際問題について意見が交わされた。

2007年9月に起きた建設中の事故で50人を超える死者が出た日本のODAによるカントー橋建設工事は,2010年4月に無事終了した。同じODA絡みでは2008年にホーチミン市の東西幹線道路・水環境プロジェクトの工事受注に絡み,日本企業から賄賂を受け取ったとして逮捕されたフイン・ウゴック・シ元同市交通・運輸局副局長,東西幹線道路・水環境プロジェクト管理委員会委員長を被告とする裁判が10月に開廷され,終身刑,不正に受け取った26万2000ドルは返納との判決が出された。再発防止へ向けて一罰百戒の方針が示されたものと思われる。さまざまな分野で交流が進む日越関係であるが,やはり援助を含めた経済分野における関わりを軸にして今後も関係が展開していくと考えられる。

ロシア・欧州との関係――関係強化の方向も欧州諸国の一部に「変化」も

2010年,ロシアとも外交関係樹立60周年を迎えた。1月には越ロ友好協会,ロシア大使館などが外交関係樹立60周年式典を挙行した。また,5月にチェット大統領,7月にマイン書記長がロシアを訪問し,ロシアからもメドベージェフ大統領が10月に来訪するなど,最高指導者が往来した。3月に来訪したロシアのセルジュコフ国防相とチェット大統領との会談について報じたNhan Dan紙の記事から,越ロ両国が軍事技術,国防・安全保障面の協力について具体的な話し合いを行っていることが明らかになっている。2009年にロシアはベトナム初の原子力発電所建設のパートナーに選ばれたが,6月にロシアの核法規機関のトップがベトナムを訪れた際,ズン首相は安全な運営のための法規体系の構築,人材育成面での助力を要請した。さらに12月には2010年に契約期間が切れる越ロ合弁企業Vietsovpetroによるベトナム大陸棚上の地質調査,石油ガス開発事業を継続することについて協定が締結された。8月には,第3回目となる越ロ戦略対話がハノイで開かれた。両国首脳間の頻繁な交流に象徴されるように,エネルギー・資源開発,軍事・国防面での協力を柱に,両国関係は再び強化される方向にある。

EUとの関係は外交関係樹立20周年を迎えた。節目の年を記念して11月にハノイで「ベトナムとEU関係:成果と展望」をテーマにヴ・コアン元副首相らの参加を得てワークショップが開かれた。10月にベルギーで開催された第8回アジア欧州会合(ASEM)にズン首相が出席した際,ECとの全面的なパートナーシップ・協力枠組み協定(PCA)について,将来的な正式締結に同意する文書に調印した。通商関係では,ベトナムが廃止を求めていたベトナムからの輸入自転車に対して2005年7月から課されていた反ダンピング課税が2010年7月15日から納入免除とされた。ベトナムの人権状況をめぐっては1月にベトナムで開廷された裁判(Nhan Dan紙の報道からはどの裁判か特定できない。国内政治の項を参照)について,アメリカとともに欧州諸国は懸念を表明した。外務省は内政干渉だとして一蹴している。二国関係では,9月にイギリスとの関係を戦略的パートナーシップに格上げする共同声明に調印した。フランスとの関係では,1月にベトナム航空がパリに欧州地域事務所を開設し,6月にはエアバスの親会社である欧州航空宇宙防衛社(EADS)がダナン市の航空宇宙工業区に投資することがフランス側より伝えられた。

他方,12月にスウェーデン政府から在ハノイ大使館を2011年に閉鎖することがベトナム側に伝えられた。財政的な理由とのことであり,今後の推移を見守る必要があるが,2008年に1人当たりGDPが1000ドルを超え,各国が官民そろって関心を持つ大規模プロジェクトが目白押しのなかで行われた同国の判断は,ベトナム当局に対して一石を投ずるものといえよう。

その他の国との関係

南アジアとの関係では,チョン国会議長が2月にインドを訪問した。インド紙記者の質問に答えて同国会議長は「ベトナムは常にインドを戦略的パートナーとみなしている」と述べている。10月にはインドのアントニー国防相が来訪し,ズン首相,フン・クアン・タイン国防相と会談を行った。中東との関係ではチェット大統領が4月にサウジアラビアを訪問した際,二重課税回避協定,石油ガス・鉱山物協力議定書,農業・家畜飼育・水産協力協定に調印した。ラテンアメリカ諸国との関係では,6月にペトロベトナムがベネズエラ国営石油公社(PDVSA)と石油ガス開発における協力文書に調印した。アフリカとの関係では8月にハノイで第2回ベトナム・アフリカ国際ワークショップが「ベトナムとアフリカ――持続的発展とともに協力――」をテーマとして開催され,ズン首相,キエム副首相兼外相が出席した。この機会にセーシェル,トーゴと経済・文化・科学技術協力枠組協定に調印するなど,アフリカ諸国との交流が深まっている。

また,12月に開かれた対越援助国会合では2009年と比べ微減したものの,約79億ドルの援助約束を得た。最後に,Nhan Dan紙の報道によれば,2010年の段階で,ベトナムは環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)に参加する方針を決定した。外務省は,平和と発展のために地域の連携性,協力の強化に貢献するものとしてTPPを評価している。

(寺本)

2011年の課題

2011年は新しい指導層が選ばれ,その後5年間のベトナムを牽引する指導層が決まる年となる。しかし課題は継続して存在しており,遅滞なき指導層間の引き継ぎが望まれる。国として必要と判断したインフラを整備,構築することに性急になるあまり,現在の発展段階と既存インフラとの整合性に対する配慮や国民の理解を得ることなしに大規模プロジェクトを進めることに,2010年の国会は懸念を表明した。ベトナム国民は変化を求めつつも,変化にさらされるなかで生活上の安心をも求めていると思われる。容易なことではないが,迅速かつ質の確保にも留意しつつ,国民が納得する形で諸政策を立案,執行していくことが望まれる。

回復基調にある経済は,2011年も輸出を中心に成長が期待できるが,インフレやドン安は収束を見せておらず,国家の経済運営は,当面は目先のマクロ経済安定を優先させることになるであろう。このようななかで,長期的な課題解決に向けて政府がどこまで取り組めるかが今後の課題となる。2010年に起こったビナシンの経営破綻危機は,大規模国有企業を中心とするベトナムの経済発展モデルの将来に暗い影を落とした。国有企業改革を進め,国の経済構造を大きく変えていく必要性に対する認識は高まっている。

(寺本:地域研究センター)

(坂田:地域研究センター主任調査研究員)

重要日誌 ベトナム 2010年
  1月
1日 政府,法定最低賃金改定。ベトナム企業で最大22.5%の上昇。
8日 ランソンの中国国境(友誼関)で電子税関手続き,開始。
12日 リー・シェンロン・シンガポール首相,来訪(~15日)。
13日 ベトナム航空のハノイ=大阪間直行便が就航。
25日 政府,ニューヨーク証券市場で10億ドルの10年国債を発行。
25日 ベトナム航空局,インドシナ航空の運航権を取り消し。
25日 ズン首相,世界経済フォーラム(~31日)出席のため,スイスへ。
26日 党書記局,出版活動について諸方針を決定。党の指導性を強化へ。
27日 党書記局,高齢者ケアへの取り組み強化に向けて方針示す。
  2月
1日 財政省,ディーゼル油の輸入関税を20%から15%へ引き下げ。
10日 国家銀行,ドンの対米ドル為替レートを3.4%切下げ。
23日 チョン国会議長,インド,インドネシアを訪問(~3月3日)。
25日 党政治局,政治体系の大衆工作規則公布について決定。各機関の責任を明確化。
  3月
1日 全国で平均6.8%の電気料金値上げ。
2日 ベトナム航空,ハノイ=ヤンゴン間初の直行便就航。
4日 党書記局,基礎民主規則の構築・実行と退役兵士工作の強化に関する党政治局方針の継続的実行に向けて指針示す。
9日 党書記局,検査部門で従事する幹部の人事ローテーションの促進に向けて指針。
19日 政府,株式化が実現していない国家会社を一人有限会社に転換する条件を定めた政府議定25号を公布。
22日 第10期第12回党中央委総会,開催(~28日)。党大会文献草案を討議。
30日 科学・技術省,アメリカと原子力発電技術協力の覚書に調印。
31日 第5回メコン・日本高級実務者会議,開催(ハノイ)。
  4月
2日 党電子新聞,ホーチミン市に常任機関を開設。
2日 ズン首相,ミャンマーを訪問(~4日)。その後5日開催の第1回メコン川委員会首脳会議(フアヒン)に出席。
5日 ニッサン・ベトナム社(日産自動車の現地法人),ベトナム国内で組み立てられた初の乗用車の販売開始。
6日 政府,「マクロ経済安定・高インフレ抑制・約6.5%の経済成長のための解決法に関する政府決議」(政府決議18号),公布。
8日 第16回ASEAN首脳会議,開催(ハノイ,~9日)。
8日 ズン首相,国家交通安全委員会と省級交通安全委員会の権限を明確化する決定。
10日 チェット大統領,サウジアラビア,チュニジア,アルジェリアを訪問(~15日)。
12日 ズン首相,アメリカで開催の核安全保障サミットに参加(~14日)。その後アルゼンチンを訪問(~17日)。
12日 党書記局,政治理論学習制度に関する党政治局規定の継続的厳守を求める方針示す。
13日 マイン書記長,ラオス訪問(~15日)。
14日 国家銀行,「合意にもとづく利子によるドン建て貸し出しに関する信用機関への指導に関する通知」(国家銀行総裁通知12号)を公布。預金金利を年10%,貸出金利を12%とするよう商業銀行に求める。
16日 党政治局と工業化・近代化推進における科学・技術会連合の組織,活動の強化について指示。
21日 建設省とハノイ市人民委員会,首都ハノイ建設計画を公開し,国民の意見募る。
23日 9人乗り乗用車,2500cc以上の5人乗り乗用車に対する輸入関税を83%から80%へ引き下げ。
24日 カントー橋開通。東南アジアでもっとも長い斜張橋となる。
26日 ズン首相,中国を訪問(~5月1日)。江蘇,浙江省訪問後,上海万博開幕式に出席。
30日 ホーチミンの中心部に大型商業施設,ビンコムセンターが開店。
  5月
1日 共通最低賃金を1カ月当たり65万ドンから73万ドンに引き上げ。
6日 国連と協力プログラム・計画に関する共通規則文書調印。管理手続き簡素化図る。
6日 ニントゥアン原子力発電所プロジェクト国家指導委員会初会合,開催。
8日 チェット大統領,ロシア,ベラルーシ,スイス,フィンランドを訪問(~22日)。
12日 第1回ベトナム少数民族全国代表大会,開催(ハノイ,~13日)。
13日 海運大手マークスライン,カイメップ川のSP-PSA港からアメリカ西海岸へのポスト・パナマックスクラスの直行便就航。
18日 交通・運輸副相,2012年3月までのアメリカとの改正航空運輸協定に調印。
18日 ソンラダムの貯水開始式典,開催。
20日 第12期第7回国会,開催(~6月19日)。障害者法,食品安全法などを可決。
  6月
1日 インターネットによるオンラインビジネス登録,開始。
4日 首相,「新しい農村2010~2020年国家重点プログラム」を承認する800号決定公布。
6日 世界経済フォーラム東アジア会議,開催(ホーチミン,~7日)。
7日 ベトナム・カンボジア陸上国境画定・標識設置合同委員会委員長間特別会合,開催(プノンペン,~8日)。2012年作業終了が目標に。
9日 対越援助国会合中間会議,開催(キエンザン省ラックザー,~10日)。
10日 ベトナム航空,スカイチーム・アライアンスに加盟。
16日 党書記局,視覚障害者の会に対する支援強化,活動普及への方針示す。
17日 ズン首相,原子力発電の発展の方向性を承認。2030年までに総発電の10%へ。
18日 ズン首相,記者協会に対する国家機関の継続的な認識の向上,責任強化を指示。
18日 党政治局,国有企業改革の方向性について方針。重要分野・部門に集中へ。
18日 首相,ビナシンの12の子会社と関連会社の株式をペトロベトナムとビナラインズに譲渡するという債務返済計画を発表。
19日 国会,南北高速鉄道プロジェクト政府案を否決。
22日 ペトロベトナム,東京で投資セミナー開催。
22日 シハモニ・カンボジア国王,シアヌーク前国王夫妻と共に来訪(~25日)。
26日 ズン首相,ASEAN議長国としてG20首脳会議に参加(トロント,~27日)。
  7月
1日 国有企業法が失効。
2日 党書記局,大衆情報機関に対し,青年の理想・革命・文化的生活に関する教育の質・効果について,意識の向上を求める。
8日 国家銀行,食料協会傘下の企業による100万トン国家備蓄買い付けのための融資を商業銀行に要求。
8日 マイン書記長,ロシアを訪問(~12日)。
14日 政府の人権指導委員会常任事務局,『ベトナムの人権』誌の発行式典を挙行。
14日 越中の陸上国境画定・標識設置議定書の発効を宣言する式典を挙行(ハザン省)。
14日 EU,ベトナム製自転車に対する反ダンピング課税を廃止。
19日 第4回ASEAN政治・安全保障共同体評議会会議,第43回ASEAN外相会議ほか,関連会合を開催(ハノイなど,~23日)。
21日 2009年人口・住居総合調査の結果を公布。総人口8584万6997人。50.6%が女性。
22日 ズン首相,ベトナム訪問中のクリントン米国務長官と会談。
27日 党書記局,社会道徳を損なう有害文化製品の侵入取り締まりの強化について指示。
29日 党書記局,民間企業と外国投資企業における党組織建設の推進について指示。
31日 党政治局,幹部の能力などビナシン問題の原因を分析し,解決方向示す。
  8月
1日 越僑の住宅所有条件を緩和する政府議定71号,発効。
2日 第6回ベトナム・カンボジア国境協力・開発会議,開催(プノンペン,~3日)。
4日 ビナシン元社長兼会長,ファム・タイン・ビン逮捕。
5日 ハティン省,台湾のフォルモサ社による製鉄所と港湾建設プロジェクトへの投資額の160億ドルから230億ドルへの引き上げを承認。
13日 ズン首相,ビナシン再建指導委員会の設立を決定。
17日 国家銀行,ドンの対米ドル為替レートを2.1%切下げ。
18日 党宣教委員会,第11回党大会のHP(http://daihoi11.dangcongsan.vn)を開設。
19日 ゴー・バオ・チャウ教授,フィールズ賞を受賞。
24日 ホーチミン都市鉄道2号線(ベンタイン=タムルオン間)工事開始。
24日 チェット大統領,ラオス,カンボジアを訪問(~28日)。
25日 第42回ASEAN経済閣僚会議,第1回ベトナム・カンボジア・ラオス・ミャンマー経済閣僚会議ほか関連会合,開催(ダナン,~28日)。
30日 党政治局,愛国競争運動の継続的刷新・推進に向け,幹部の認識向上など対応の方向性示す。
  9月
8日 ベトナム共産党,中国共産党と第6回理論ワークショップ共催(ダナン,~10日)。「文化建設」について経験交流。
8日 イギリスと両国関係を戦略的パートナーに格上げする声明に調印。
15日 アメリカ商務省,ベトナム産ナマズ(チャ)に対する最大130%の反ダンピング課税を決定。
15日 第11回党大会文献草案を公開。各界階層の意見を求める。
15日 ブアソーン・ラオス首相,来訪(~17日)。
20日 チェット大統領,国連会議,第2回ASEAN・アメリカ首脳会議に出席(ニューヨーク,~24日)。
20日 軍党大会,開催(~22日)。
21日 第31回ASEAN議員会議(AIPA),開催(ハノイ,~24日)。
21日 ズン首相,この日から11月30日まで全国で貧困戸調査の実施を求める指示。
23日 党書記局,2011年を「青年の年」とし,対青年工作を強化する方向示す。
25日 ハノイ都市交通,ハノイ駅=ニョン間,工事開始。
  10月
1日 リ朝によるハノイ遷都1000周年を祝う式典を開催(~10日)。
3日 旧ラン=ホアラック道路を拡張したタンロン大通り,開通。
4日 ズン首相,第8回アジア欧州会合(ASEM)に出席(ブリュッセル,~5日)。
5日 ホーチミン市党大会,開催(~8日)。
7日 第10期第13回党中央委総会,開催(~14日)。
9日 エアメコン航空,就航開始。
14日 公安省党大会,開催(~16日)。
20日 党書記局,毎年10月20日をベトナム女性の日とすることに同意の方針示す。
20日 第12期第8回国会,開催(~11月26日)。環境保護税法,行政訴訟法など可決。
26日 ハノイ市党大会,開催(~28日)。
28日 第17回ASEAN首脳会議,第5回東アジア首脳会議など関連会合,開催(ハノイ,~30日)。
30日 菅首相,メドベージェフ・ロシア大統領,来訪(~31日)。
31日 工商相,ロシア連邦原子力公社社長と原子力発電所建設に関する協定に調印(ハノイ)。
  11月
4日 政府,コメ輸出業者の登録規定を改定。5000トン以上の倉庫,毎時10トン以上のキャパシティの精米機の所有を義務づけ。
5日 国家銀行,政策金利引き下げ。基本金利は8%から9%へ。
6日 ズン首相,省級人民委員会委員長に,地方における価格管理規定の遵守検査団を設立し,15日までに報告するよう求める公文。
8日 国会,農地使用税減免の10年継続を議決。
8日 ズン首相,ビナシン再建計画を発表。傘下の259の傘下企業を43に減らし,造船関連事業に集中する計画。
9日 国家銀行,金輸入を許可するクオータを交付。2週間分の限定的な金輸入の再開。
9日 国際コメ会議,開幕(ハノイ,~12日)。
11日 ズン首相,ASEAN議長国としてG20首脳会議に参加(ソウル,~27日)。
11日 チェット大統領,日本を訪問し(~15日),APEC首脳会議などに出席。
12日 財政省,金の輸入関税を1%から0%へ引き下げ。
15日 ズン首相,カンボジアを訪問し(~18日),第6回CLV首脳会議,第4回ACMECS首脳会議に出席。
18日 ソンラダムの第1号発電機,起動。12月25日から正式な商業発電開始。
18日 外務省,アメリカ国務省発行の2010年国際宗教自由報告について,非客観的で誤ったベトナム情報にもとづくものと非難。
18日 ズン首相,2011~2013年のビナシン再建案を承認する決定。
24日 国家銀行,年内2度目となる12月31日までの金輸入クオータを交付。
30日 党書記局,第10期の汚職防止・取締り工作を総括する全国会議を開催。
  12月
7日 対越援助国会合,開催(ハノイ,~8日)。2011年の支援約束額は約79億ドル。
12日 「ホー・チ・ミン道徳の範にしたがった学習と仕事」運動の実践4年間を総括する会議を開催(ハノイ)。
13日 第10期第14回党中央委総会,開催(~22日)。
22日 ライチャウ水力発電所,建設開始。ソンラ,ホアビンに次ぐベトナムで3番目に大きな水力発電所となる予定。
22日 党書記局,第11回全国女性代表大会に向けた各級大会の領導について指示。執行委の人選における党委の指導を強化へ。
23日 スタンダード・アンド・プアーズ,ベトナム国債の信認を1段階引き下げ。
27日 第8回全国愛国競争大会,開催(ハノイ,~28日)。

参考資料 ベトナム 2010年
①  国家機構図(2010年12月末現在)
②  ベトナム共産党指導部(2010年12月末現在)
③  国家機関要人名簿
④  2011年の目標と主要指標(2010年11月8日に可決された第12期第8回国会決議より)

主要統計 ベトナム 2010年
1  基礎統計
2  支出別国内総生産(名目価格)
3  産業別国内総生産(実質:1994年価格)
4  所有形態別国内総生産(実質:1994年価格)
5  生産統計(実質:1994年価格)
6  国・地域別貿易
 
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