Yearbook of Asian Affairs
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2011 Volume 2011 Pages 229-248

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2010年のカンボジア 混迷がつづくタイとの関係

概況

国内政治では,2009年から引き続き,最大野党サム・ランシー党をめぐる裁判が行われた。サム・ランシー党首はベトナム国境画定問題に関して,国外から積極的な政府批判を繰り返したが,事実上の亡命状態が続いた。ガバナンスをめぐっては,3月に反汚職法が制定されるという大きな成果が見られた。同法の下,反汚職評議会(ACC)および反汚職ユニット(ACU)が設置され,汚職を撲滅するための取り組みが開始された。どこまで中立的な立場でその力が発揮できるかは未知数であるが,透明性確保のための重要な一歩となる。

経済は,2009年後半から復活の兆しが見えており,2010年には6.7%の成長率が予測されている。縫製業が徐々に復活している一方,農業分野での積極的な輸出振興策も見られ,砂糖やコメが新たな国際市場への輸出品として注目された。また,大手日本企業の進出も決定し,今後の製造業の発展が期待される。一方,証券取引所の開設は2010年に間に合わず,2011年に持ち越された。不動産価格は回復せず,景気の完全な回復にはもう少し時間がかかりそうである。

対外関係では,タイとのプレア・ヴィヒア寺院問題やタクシン元タイ首相経済顧問就任問題で不安定な関係が続いた。8月にタクシン問題は解決したものの,予断を許さない状況である。一方,中国との経済的・政治的なつながりの深化は続いている。国連の支援を得て続けているカンボジア特別法廷(ECCC,クメール・ルージュ裁判)は,7月26日に初めての判決が出た。第1事案であるS21強制収容所長のカン・ケック・イウ被告(通称・ドゥイッ)に対して,禁固35年が言い渡された。ECCCでの裁判は少しずつ進捗を見せているが,政府の介入や予算不足等,多くの課題に直面している。

国内政治

サム・ランシー党と裁判

野党サム・ランシー党の党首で国会議員のサム・ランシーは,政府がベトナム国境を意図的にベトナムに有利なように設定したという信念に基づき,2009年10月25日にスヴァーイリアン州でベトナム国境杭を引き抜いた。1月27日,スヴァーイリアン州裁判所はサム・ランシー不在のまま,禁固2年および罰金800万リエルを命じる判決を下し,サム・ランシーと事件に関与した村人2人に対して,国境杭の賠償として5500万リエルの支払いを命じた。さらにサム・ランシーは,2月15日に,「政府がベトナムの侵入を許した証拠がある」と主張して,自らの支持者たちに対して,ビデオやウェブサイトにてベトナム国境に関する地図を公表した。このため,3月12日に公文書偽造および虚偽情報の流布の容疑で起訴された。プノンペン裁判所は,9月23日に禁固10年と罰金500万リエル,国家への賠償6000万リエルの支払いを命じる判決を出した。サム・ランシーは,2009年11月16日に国会議員としての不逮捕特権を剥奪されており,2010年はアメリカやフランスで過ごし,一度も帰国することがなかった。

同じくサム・ランシー党国会議員であるムー・ソクフオは,2009年4月以来,フン・セン首相と名誉棄損をめぐる裁判を続けてきた。6月2日,最高裁判所は,控訴裁判所の判断を支持し,ソクフオは罰金1650万リエルを命じられた。ソクフオは罰金を支払おうとしなかったが,最高裁は7月21日にソクフオの国会議員としての報酬2カ月分を罰金として差し押さえることを決定した。

2013年総選挙をにらんだ合従連衡

2008年に政界引退を宣言していたノロドム・ラナリットが,12月4日に政界復帰を宣言し,2012年のコミューン選挙および2013年の総選挙に向けて,人民党とは一線を画した王党派の再結集をめざすことを明言した。愛国党に名称を変更していた旧ノロドム・ラナリット党(2006年にフンシンペック党から分裂)も,12月11日の党大会にて党名を元のノロドム・ラナリット党に戻し,ラナリットは党首として復活した。さらに,「フンシンペック81」の名の下に王党派の再結集することも話題にのぼるようになるが,フンシンペック党内の派閥争いやラナリット側の一方的な動きが目立つのみで,本格化することはなかった。

非王党派の野党であるサム・ランシー党および人権党については,たびたび合併に向けた議論が行われてはいるものの,具体的な動きにはいたっていない。

汚職問題への取り組み

カンボジアは,トランスペアレンシー・インターナショナル(Transparency International)の腐敗指標で常に150位台を推移しており,2010年は178カ国中154位であった。国際社会からの強い要請もあり,最初の提案から15年以上の年月を経て,反汚職法が3月11日に国会で承認され,ACCおよびACUが設置された。

ACCには,国王任命者を含む11人が任命された(表1)。実働部隊として機能するACUには約80人のスタッフが所属する。ACU委員長には,従来大臣会議内に設置されていた同様の機関(反汚職ユニット)の長を務めた政府人権委員会(CHRC)のオム・イエンティエンが就任した。同法では,国会議員,大臣,裁判官,警察,軍人や公務員,NGOの代表者などが,資産公開の対象として挙げられている(反汚職法17条)。また,ACUには司法警察としての捜査権が与えられ(同23条),より強い執行力をもった機関としての活動が可能である。

ACUは,11月29日にポーサット州のトップ・チャンセレイヴット検察官およびその私的ボディガード2人が,立場を濫用し被疑者から金品をゆすったとして逮捕した。今後,彼らは裁判で裁かれる。また,11月17日には1万人以上を対象に資産公開を命じる政策を発表した。これによると,対象者は2011年1月1日~2月28日にACUに対して資産を公開しなければならない。

カンボジアにおける汚職問題の根は深い。経済界は,透明性の向上には歓迎の姿勢を示しているが,野党は,ACCやACUの独立性が担保されていないとして,実効性に疑念を抱いている。政府高官の汚職を実際にどこまで摘発できるのか,どこまで実質的な活動を行うことができるのかは,長期的に見守る必要がある。

表1  反汚職評議会メンバー

(出所) 国王勅令NS/RKT/0610/499,2010年6月12日。

コッ・ペイッ島大規模転倒事故の発生

11月22日深夜,水祭りの最終日のイベントでにぎわうバサック川中州のコッ・ペイッ島と対岸を結ぶ橋で,大規模な転倒事故が発生し353人が死亡,数百人が負傷する未曾有の惨事となった。同島は,在外カンボジア人投資会社(OCIC)が開発し,2009年に国際展示場・結婚式場などの複合施設としてオープンしたもので,水祭りの期間中は人気歌手によるコンサートが開催され多くの若者でにぎわっていた。政府は11月25日を国民服喪の日として,事故発生現場で式典を開催した。事故原因究明のため組織されたタスクフォースは,歩行者たちのパニックを事故原因とし,現場を監視していた警察や開発会社であるOCIC社の責任は追及しなかった。野党や人権NGOらは第三者による原因究明委員会の設置を求めたが,実現しなかった。

経済

経済概況

2009年後半から経済は回復基調を見せており,2010年の経済成長率は6.7%と予想(世界銀行)されている。農業関連の輸出,とくに精米とゴムの輸出が増加したこと,観光客数が復調し250万人を超えたことが好調の要因である。また,2008年の危機以降停滞していた衣料品輸出も,対アメリカ輸出は前年度比19%増加(22億1700万ドル,アメリカ発表のHSコード61および62の合計値)した。

投資については,2010年度の投資総額は26億9076万ドルと報告された(カンボジア資本による国内投資を含む,承認ベース,投資委員会)。縫製業分野への投資(1億2868万ドル,40件)は危機以前の水準に戻ったが,建設や通信などのサービスセクターでの大型投資がなく,金額ではピーク時(2008年)の25%程度にとどまった。また,投資委員会発表の金額には含まれない経済特区内への投資においては,日本企業6社の投資が承認されている。そのなかにはミネベア社(小型モーター)による5000人規模の工場建設をめざすプロジェクトが含まれ,今後のカンボジアの製造業の発展の基盤となることが期待される。

証券取引市場創設にむけた動き

2010年中の開設をめざしていた証券取引所は,準備の遅れから取引開始が次年度に持ち越された。制度的な準備が順次行われ,11月2日に取引に参加する証券会社15社にライセンスが認められた。15社の内訳は,引受証券会社として,トンヤン証券,OSKインドチャイナ証券,カナ証券,カンプー銀行証券,カンボジア・ベトナム証券,SBIプノンペン証券,プノンペン証券(計7社),ディーラーとしてサコム証券,ゴールデン・フォーチュン証券(計2社),ブローカーとしてエーシーリーダー証券,カンボジア・キャピタル証券,ソナトラ証券,CAB証券(計4社),投資アドバイザーとしてアンコールVDS証券,アンコール・キャピタル・アドバイザー(計2社)である。

証券取引市場に上場できる企業が不足しているなか,政府は,11月13日,シハヌークビル港湾公社,プノンペン水道公社,テレコム・カンボジアの3社がIPO(新規株式公開)の準備をしていることを明らかにした。ほかに,カンボジア電力公社も上場を準備しているとの報道もある。証券取引所は,当初はカムコ・シティ内に設置の予定だったが,建設が遅れたことから,11月15日,カナディア・タワー内に入居が決まった。

縫製業労働者の大規模ストライキ

縫製業は,2008年以来対アメリカ輸出の落ち込みが激しく,工場の閉鎖など大きな影響を受けたが,2009年後半から回復の兆しを見せており,2010年には対アメリカ輸出はピーク時(2007年)の9割まで回復した。

縫製業労働者の最低賃金は2006年に月額50ドルになり,2008年に物価の上昇に対処するため6ドルの特別手当が定められ,実質56ドルとなっていた。労働組合指導者たちは,6月24日までに93ドルを要求していくことで合意した。これに対し,労働・職業訓練省は6月25日に最低賃金61ドルを勧告した。労使双方が参加する労働諮問委員会(LAC)は,7月8日に最低賃金を10月1日から61ドルとすること,賃金を2014年まで据え置くことを投票により決定した。しかし,労働組合側はこの決定を不服とし,さらなる特別手当等を求めた。最大の労働組合である自由労働組合(FTU)を含む6労組は,次回交渉を10月以降とすることでカンボジア縫製業協会(GMAC)と合意した。一方,即時交渉再開を要求し続けたカンボジア労働者同盟(CLC),国家建設同盟連合(CNC)の2労組を中心としたグループは,9月13~16日に大規模なストライキを実施し,数万人規模の参加者があった(組合発表20万人,GMAC発表3万人)。政府が,9月27日に両者に交渉のテーブルにつくように要請し,ストライキは終了した。しかし,その後も一部の労働者がストライキを継続する一方,企業側がストライキを指導した労働者の工場立ち入りを禁止し,一部の指導者を告訴するなど,局所的な混乱が続いた。

GMACの主張によれば,今回のストライキにより1500万ドルの損害があった。ただし,ストライキが起きた地域は限定的であり,対アメリカ輸出の動向を見る限り,大きな影響は見られなかった。今後,同様のストライキが頻発したり,過激化することがないように,労使間のルールにのっとった交渉が求められる。

農産物の輸出の増加

政府は,増えるコメの国際的需要を商機とし,コメを「白い金」と位置づけている。コメの生産性向上と精米輸出の増加を国家四辺形戦略第2フェーズ(2008年にフン・セン首相が表明した国家開発戦略)の中核のひとつとして推進すべく,政府は8月に新政策を発表した。具体的には,生産増強,多様化,農業の商業化を軸として,インフラ建設および強化,農業技術の普及や投入物に関する改善,土地管理改革,金融,マーケティングの改善,農民組織化の推進,制度構築・制度間調整を実施する。2010年度のコメの生産については,雨季の始まりの遅れや10月に相次いだ豪雨・洪水の影響が心配されるが,700万トン強の生産が予測されている。精米については,輸出に耐えうる品質の精米工場の開業が相次ぎ,ヨーロッパや中東への輸出が開始され,コメの2010年の対EU輸出額は前年比3.5倍の350万ドルに達した。

また,EUの特恵関税であるEBA(Everything But Arms)を利用し,砂糖の輸出も始まった。40年ぶりの製糖工場として創業したコッコン・シュガー社は,カンボジアのリー・ヨン・パット・グループ(LYPグループ)とタイのコンケン・シュガー社との合弁企業である。コッコン・シュガー社は,コッコン州に1万ヘクタールものサトウキビのプランテーションを確保し,2010年から製糖工場の操業が始まった。2010年はイギリス向けに1万トンの砂糖を輸出し,今後,新しい輸出産品としての期待が高まっている。

ただし,農業開発に伴う土地紛争も頻発している。上記LYPグループは,コンポンスプー州,コッコン州にサトウキビの大規模プランテーションを擁しているが,用地のコンセッション地域に住む住人との立退き・補償問題が解決していない。とくにコンポンスプー州内のプランテーションに関しては,逮捕者が出る騒動となっている。砂糖以外にも,近年天然ゴムの中国での需要増加による価格の高騰にともない,ベトナム,中国企業や地場企業による天然ゴムプランテーションの開発が活発になっており,紛争を誘発している。今後の農業分野の発展のためには土地管理行政における改善が欠かせない。

携帯電話会社の競争激化

9社の携帯電話会社が林立するなか,競争が激化している。2009年来,ロシア系のビーライン社を中心とした低価格競争が過熱化したことから,1月,政府は最低価格を守るように各社に命じた。

国内最大手のモビテル社は,11月4日に中国銀行からの5億9100万ドルの融資を受けることが決まった。モビテル社は最大のシェアを誇るものの,2009年にサービスを開始したばかりのベトナム国営企業の子会社であるメットフォン社が短期間のうちに全国にサービスを拡大し,激しい追い上げに遭っている。低利の融資を受けたことで,サービス基盤の拡充をめざす。また,出遅れていたスマート・モバイル社とスター・セル社は,12月に合併を決定した。新しいスマート社は,第3位の携帯電話会社となる。合併は2011年1月に行われ,ネットワークが完全に統合されるのは3月からとなる。

鉱物資源開発と透明性

4月22日に,2009年に撤退したオーストラリアのBHPビリトン社が,過去にモンドルキリー州でボーキサイトの採掘権を得た際,カンボジア政府に対して2500万ドルの不正な資金提供を行っていたのではないかという疑いから,アメリカ証券取引委員会が調査に乗り出したことが判明した。これに対し,BHP社は不正を否定し,カンボジア政府も「資金は社会福祉基金として受け取り,コミュニティ支援(学校や病院建設)に使用したものである」と主張した。サム・ランシー党からの公開質問に対して政府は,同じく鉱物資源に投資を行っているフランスのトタル社も800万ドルを社会福祉基金として支払っていると回答した。

カンボジアの鉱物資源開発は,まだ大規模に商業化されていないが,タイ湾沖での石油につき,2012年12月の商業採掘開始をめざしている。ほかにも金・銅やチタンなどの鉱物資源開発が期待され,透明性の確保が必要不可欠である。

対外関係

タイとの不安定な関係

タイとの関係は,2008年のプレア・ヴィヒア寺院の世界遺産登録に端を発した周辺の国境画定問題による対立に加え,2009年11月のタイのタクシン元首相のカンボジア政府経済顧問就任により,ついには両国の大使が召還されるという異常事態が続いていた。2010年も引き続き対立状態にあり,フン・セン首相はタイ政府に対し挑発的な発言を繰り返し,タイ側でもメディアや反タクシン系市民による反発が繰り返された。そして,1月および6月には,プレア・ヴィヒア寺院周辺での小規模な武力衝突が起きた。

タクシンは1月20~21日に3度目のカンボジア訪問を行った。2月6日には,フン・セン首相夫妻がプレア・ヴィヒア寺院を訪問し,兵士を慰問すると同時に大規模な仏教の式典を行った。さらに,カンボジア国軍はコンポンチナン州で,初めての大規模ロケット砲演習を行った。タイ側でも,メディアや市民を中心として,国境地域に対する働きかけが行われた。5月1日には,反タクシン派の市民団体が国境近くのタ・モアン寺院付近に出没し,タイ側メディアも彼らをあおる報道を繰り返した。5月はバンコクでタクシン派による大規模な反政府集会が断続的に行われ,不安定な情勢が続いていたため,こういった過激な市民行動への統制がとれていなかったことがうかがわれる。

一方で,カンボジア政府は,6月22日のタイ国内での爆発物事件に関して,7月3日にタクシン派の男女2人のタイ人容疑者をシアムリアプで逮捕し,タイ政府に引き渡している。なお,彼ら以外のタクシン派活動家のカンボジア潜伏が繰り返しタイ政府から指摘されているが,カンボジア政府は否定している。

カンボジア政府は,対立解消に向けて,国際社会の介入を求めてきた。8月にフン・セン首相は国連安全保障理事会に書簡を提出し,また,ASEANに対してもたびたび解決に向けた協力要請をした。いずれも具体的な介入は行われず,解決に向けた交渉は二国間にまかされてきた。

8月23日,タクシンは「海外での仕事が多忙であるため」経済顧問を突如辞任し,それを受けて2009年11月以来召還されていた両国大使は約10カ月ぶりにそれぞれ帰任した。以後,米ASEANサミット(9月24日),アジア欧州会合(ASEM,10月4~5日),ASEANサミット(10月30~31日),CLMVサミット(11月15~16日)といった国際会議の場で,アピシット首相とフン・セン首相とが会談する機会も頻繁に持たれるようになり,両国関係は正常化への道をたどったかに見えた。

しかし,関係改善への試みは,一進一退の状況が続いた。タイ政府は,8月末に,2009年に取り消されたカンボジアへの経済支援4100万ドル(国道68号線建設)についてその再開を申し出たが,カンボジア政府はこれを拒否した。10月末,タイ国内の反タクシン派のデモ隊は,強硬な対カンボジア外交姿勢を求めた。その影響で,タイ国会は,カンボジアとの合同国境委員会の合意文書について,批准に向けた国会審議を見合わせることとなった。一方,11月に両国間のビザ免除協定が締結され,翌月から施行された。12月,タイのカシット外相が来訪し,8月に不法入国で逮捕されていたタイ人3人への恩赦が実施され,雪解けが本格化するかに見えた。しかし,その矢先,12月29日にタイ民主党国会議員であるパニット・ウィキットセートおよびタイ愛国者ネットワーク代表のウィーラ・ソムクワームキットを含む7人がボンティアイミアンチェイ州国境に不法入国し,逮捕されるという事件が起きる。2011年1月以降,彼らへの有罪判決が出され,両国の国境は再度緊張状態に戻ってしまった。

中国との蜜月期続く

中国からの投資および援助は,2010年も非常に活発に行われた。2009年12月にウイグル人難民を国外退去処分としたことで取り消されたアメリカからの軍事援助に相当する援助が,5月のフン・セン首相訪中時に約束され,6月に軍用トラック257台,軍服5万着が贈られた(合計1400万ドル分)のは,象徴的な出来事であった。10月,南シナ海における南沙諸島領有権等に関する問題が持ち上がると,カンボジア政府は中国の立場を支持する旨を明言した。10月末のASEANサミットの場で,温家宝首相はフン・セン首相に対して,プノンペン=ロクニン(ベトナム)間の鉄道建設への6億ドルの拠出を約束した。11月3~6日に来訪した呉邦国中国全人代常務委員会委員長は,420万ドルの債務免除と16プロジェクト(合計16億ドル)もの支援を約束した。さらに,12月のフン・セン首相訪中時にも,12プロジェクトへの合意・署名があったと報道されている。プロジェクトの詳細は不明であるが,タクマオ橋,新チュロイ・チョンバー橋,国道76号線(バンルン=センモノロム間)などへの支援が含まれる。

2010年に完成した中国支援による主要インフラとしては,9月開通のプレック・クダム橋(2870万ドル,975メートル,カンダール州)があり,着工したものでは,プノンペン新港(6800万ドル,30万TEU,カンダール州),ストゥン・ルッセイ・チュルム・クロム・ダム(5億5800万ドル,338MW,中国華電公司[BOT方式],2013年完成予定),ストゥン・タタイ・ダム(5億4000万ドル,246MW,中国国営重機械公司[BOT方式],2014年完成予定)が挙げられる。

カンボジア特別法廷(ECCC)

ECCCでは,7月26日,第1事案のドゥイッ被告について,人道に対する罪および1949年8月12日ジュネーブ諸条約の重大な違反(戦争犯罪)により,禁固35年の判決が言い渡された。ただし,1999年以来の軍事裁判所での違法拘留による5年の減刑,さらにECCCでの未決拘留期間を差し引かれ,実質19年の刑となる。この裁判では被害者参加の制度が設けられており,民事当事者(Civil Party)の参加があった。彼らへの補償について,判決は,被告人の公判手続き中の謝罪内容を要約し法廷のウェブサイトに掲載すること,民事当事者やS21刑務所で死亡した被害者の名前と被害を判決書のなかで確認すること,といった極めて限定的な判断にとどまった。第1審判決には,被告,検察,民事当事者のすべての当事者が不服として,それぞれ控訴をした。第2審は2011年前半に予定される。

カンボジア全土で起きた犯罪を対象としている第2事案については,9月16日に捜査終了命令(いわゆる起訴)が宣言され,2011年前半に第1審開始が予定されている。ヌオン・チア元民主カンプチア人民代表議会長,キュー・サンパン元民主カンプチア国家元首,イエン・サリー元民主カンプチア外相,イエン・チリト元民主カンプチア社会問題相の4人は,人道に対する罪,ベトナム人・チャム人に対するジェノサイド罪,1949年8月12日ジュネーブ諸条約の重大な違反,1956年カンボジア刑法上の犯罪によって起訴された。なお,被害者として民事当事者の参加を募ったところ,4128人が応募し2123人の参加が認められた。

第3・4事案は,2009年に捜査の実施が決定されたが,当初からカンボジア政府やECCC内のカンボジア人裁判官らは捜査に消極的であった。予審判事による決定で匿名のまま5人に対する捜査が開始されることとなったものの,6月7日,捜査命令嘱託書に署名をするはずであった2人の共同捜査判事のうちカンボジア人であるユー・ブンレン捜査判事は「カンボジア社会の現状を見極めたい」と主張し署名を拒否し,捜査は国際捜査官のみで開始された。

2009年に大きな問題とされた汚職は,ウット・チョーン国家会計監査機関委員長による独立監査が行われた。外部からの監視の目も厳しくなるなか,目立った汚職はなくなったように見受けられる。しかし,当初公開される予定だった監査報告書は,10月に非公開とされることが決定され,汚職防止メカニズムがどれだけ機能しているのか,依然として不安視される。

10月の潘基文国連事務総長来訪時も,フン・セン首相は第3・4事案の捜査開始やECCCそのものへの協力に対して消極的な発言を繰り返した。被告の高齢化,裁判費用の不足,カンボジア政府からの圧力など,さらなる困難のなか,裁判が続けられている。

2011年の課題

国内政治では,サム・ランシーの裁判の展開および今後の処遇がどうなるのかが,引き続き注視される。サム・ランシーは2005~2006年に不逮捕特権を剥奪され国外生活を余儀なくされた際,フン・セン首相あてに謝罪の手紙をしたため帰国することになったが,今回はどのような着地点を得るのか,最大野党の党首への対応は慎重な舵取りが求められよう。汚職について,ACCおよびACUの活動が本格化することが予想される。2011年2月末までに政府高官の資産公開が予定されているが,どれだけの実効性を伴うかによって,これら機関の今後の評価が決まってくるだろう。また,2010年12月にNGO法案が公開された。各NGO指導者の個人情報を内務省に提供し,財務諸表を経済財政省などに提出することで,団体としての透明性を高めることをうたっている。さらに法案成立180日以内にすべてのNGOに対して内務省への再登録を求めている。活動を制約する可能性があるものとして,その内容に懸念の声があがっている。

経済では,農業分野での輸出振興がさらに本格化していくことが期待される。2010年7月開設予定であったカンボジア証券取引市場は,再度延期されることとなり,2011年7月の取引開始をめざしている。ただし,上場企業数が増加し取引が本格化するまでには,さらに数年かかることが予想される。2010年には縫製業で大規模なストライキが起きた。2011年には労働組合法の制定に向けた議論が進められる。労使間においては,ルールにのっとった良好な関係構築が望まれる。

対外関係では,タイとの関係改善が喫緊の課題である。12月にタイの国会議員らが国境地帯に不法侵入し,2011年2月にはプレア・ヴィヒア寺院付近での武力衝突が勃発,ASEANから停戦監視団が送られることとなった。地域の安定と発展のために,問題の早期解決が期待される。ECCCはついに第2事案の公判が始まる。被告の高齢化が懸念されるが,いかにポル・ポト時代の大虐殺が起きたのかを知りうる被告らが何をどのように証言するのか,彼らの歴史上の責任は重い。

(地域研究センター)

重要日誌 カンボジア 2010年
  1月
20日 タクシン・タイ元首相,3度目のカンボジア訪問(~21日)。
24日 プレア・ヴィヒア寺院付近で,小規模な銃撃戦。死傷者なし。
25日 コッコン・シュガー社,製糖工場完成。
26日 首都プノンペンに韓国文化センターが開館。
27日 スヴァーイリアン州裁判所,2009年10月のベトナム国境杭事件に関し,サム・ランシー不在のまま禁固2年の判決。
  2月
6日 フン・セン首相夫妻,プレア・ヴィヒア寺院訪問。
9日 政府,携帯電話各社に対し,最低料金の厳守を命令。
23日 カンボジア特別法廷(ECCC)予算,国際ドナーによって承認される。
28日 ADB,鉄道復旧プロジェクト4億2000万ドルの支援に合意。
  3月
4日 カンボジア国軍,コンポンチナン州にて大規模ロケット砲演習実施。
5日 政府,韓国人男性とカンボジア人女性の国際結婚に人身売買事案が発覚したため,結婚一時禁止を発表(~4月末)。
8日 トゥールコーク地区の大火事で158軒が焼失。
10日 ジェトロ・プノンペン事務所開所。
11日 国民議会,反汚職法を可決。
12日 プノンペン裁判所,サム・ランシーを公文書偽造および虚偽情報流布の罪で起訴。
24日 コンポンスプー州砂糖プランテーションをめぐる土地紛争で村人2人逮捕。
24日 国民議会,チェンマイ・イニシアティブのマルチ化を批准。
31日 アメリカ,ECCCに500万ドル寄付。
  4月
4日 フン・セン首相,メコン・サミット出席のためタイ訪問(~5日)。
5日 国民議会,外国人不動産所有法を可決。
6日 ティ・ソクン森林局長,違法伐採を阻止できていないとして更迭。
8日 フン・セン首相,ASEANサミット出席(ハノイ)。
12日 2009年8月に名誉毀損で有罪判決を受けていたハン・チャクラ(野党系新聞クメール・マチャ・スロック編集者)に国王恩赦。
17日 オー・スマイッ国境付近にて,カンボジア軍とタイ軍が小規模な衝突。
19日 ナガ・ホテルを解雇された41人,労働仲裁を申し立て。
22日 オーストラリアBHPビリトン社のモンドルキリー州ボーキサイト採掘権に関し,汚職の疑いがあるとして,アメリカ証券取引委員会が捜査をしていることが判明。
27日 第15回政府・民間セクターフォーラム開催。
29日 フン・セン首相,訪中(~5月2日)。胡錦濤・中国国家主席と会談し,軍事援助の約束を受ける。
  5月
1日 タイの反タクシン系市民がタ・モアン寺院付近の国境にて抗議活動を実施。
4日 日本の石油天然ガス・金属鉱物資源機構,国家石油庁と北部陸上地域石油探査実施の覚書締結。
9日 ナジブ・ラザク・マレーシア首相来訪(~11日)。
15日 チョーライ・プノンペン病院(ベトナム資本),起工式。
17日 シハモニ国王訪日(~21日)。
20日 世界銀行,2009年9月に取り消した土地管理プロジェクトに関する審査を実施。
24日 首都プノンペン政府,ボンカッ湖に至るアクセス道路の建設を承認。開発・移転に反対する住民との対立が先鋭化。
31日 プレック・クダム橋(カンダール州)完成記念式典。
31日 国民議会,「国家戦略開発計画(NSDP)2009~2013」を承認。2013年までに,1人当たりGDP1000ドル,粗就学率99%,地方での飲料水へのアクセスを67%に改善することをめざす。
  6月
2日 第3回カンボジア開発協力フォーラム(CDCF)開催(~3日)。1億1000万ドルの支援約束。
2日 最高裁,ムー・ソクフオ議員の名誉毀損事件の訴えを棄却,有罪が確定。
8日 プレア・ヴィヒア寺院付近の国境で銃撃戦。死傷者なし。
15日 反汚職評議会(ACC)の委員任命。
23日 日本政府とカンボジア政府,ネアックルン橋建設費用119億4000万円の無償資金協力について,交換公文に調印。
24日 首都プノンペン南部に初の立体交差道路であるスカイ・ブリッジ開通。
25日 労働・職業訓練省,縫製業・製靴業の最低賃金を61ドルにすることを勧告。
  7月
3日 6月22日にタイで起きた爆発物事件に関して,男女2人のタイ人をシアムリアプで逮捕。5日にタイ政府に引き渡す。
8日 労働諮問委員会,10月1日から最低賃金を61ドルに引き上げることを決定。
9日 ECCC,ドゥイッ被告のフランソワ・ルー弁護士が辞任。後任はカンボジア人のカン・リッティアリー弁護士。
21日 最高裁,ムー・ソクフオ議員の議員報酬2カ月分を罰金として差し押さえ。
25日 フン・セン首相,シンガポール訪問(~27日)。
26日 ECCC,ドゥイッ被告に禁固35年の有罪判決。
  8月
2日 ファム・ザー・キエム・ベトナム外相来訪(~3日)。
8日 フン・セン首相,国連安全保障理事会にタイとの国境問題解決への協力を求める書簡を送付。
13日 ハオ・ナムホーン外相,ASEAN議長国ベトナムにタイとの国境問題解決に協力を求める書簡送付。
16日 スリンASEAN事務総長,来訪。タイ国境問題での平和的解決を求める。
17日 政府,新コメ生産・輸出政策発表。
20日 大臣会議,障害者の労働機会拡大のための大臣会議令を承認。
23日 タクシン,カンボジア政府経済顧問を辞任。召還されていたタイ・カンボジア両国の大使は,翌24日にタイ大使がカンボジアに,25日にカンボジア大使がタイに戻った。
26日 グエン・ミン・チエット・ベトナム大統領来訪(~28日)。
27日 タイ政府,68号線への4100万ドルの支援再開を申し出るが,29日,カンボジア政府は拒否。
  9月
13日 縫製業労働者,大規模ストライキ実施(~16日)。
13日 プラティバ・パティル・インド大統領来訪(~18日)。
16日 ECCC,第2事案について,捜査終了命令(起訴)。マーセル・ルモンド国際捜査判事辞任。代理にジークフリード・ブランク国際捜査判事(正式任命は12月1日)。
17日 ECCC内部規則改正。
20日 プレック・プノウ橋開通。これにともない,友好橋の大型車両通行が規制へ。
20日 大臣会議,シアムリアプ第2国際空港建設プロジェクトを承認。
21日 バベットおよびトロペアン・プロン国境で,ベトナム・カンボジア間の車両受け入れを1日150台から300台に倍増の合意。
22日 プノンペン裁判所,2009年1月爆発物設置事件で逮捕されていた虎頭団のソム・エック被告に禁固16年6カ月の判決。
23日 プノンペン裁判所,サム・ランシーに禁固10年の判決。
24日 フン・セン首相,米ASEANサミットに(ニューヨーク)出席。
  10月
1日 カンボジア国鉄南線の一部(プノンペン=トゥクメアスの117キロメートル)が開通。
4日 フン・セン首相,アジア欧州会議(ASEM,ベルギー)出席(~5日)。
13日 控訴裁判所,ベトナム国境事件に関して2人の村人の釈放を決定。
13日 検察,ECCCの第1事案について,控訴。
18日 首相府新庁舎,開館式典。
26日 潘基文国連事務総長,来訪(~27日)。
29日 タイ・パタヤでタイ・カンボジア国防相会談(~30日)。
30日 フン・セン首相,ASEANサミット(ハノイ)に出席(~31日)。
31日 アメリカのクリントン国務長官,来訪(~11月1日)。
  11月
3日 呉邦国中国全人代常務委員会委員長,来訪(~6日)。
4日 中国銀行,携帯電話会社最大手モビテル社に5億9100万ドルの融資を決定。
15日 CLMVサミット,プノンペンで開催(~16日)。
16日 エーヤーワディ・チャオプラヤ・メコン経済協力戦略(ACMECS)サミット,プノンペンで開催(~17日)。
17日 バッタンバン州バナン県で,対戦車地雷爆発により14人が死亡。
17日 反汚職ユニット(ACU),資産公開政策発表。
19日 ECCC,ドゥイッ被告弁護団が控訴。
22日 水祭りのイベントを開催していたコッ・ペイッ島で大規模転倒事故発生。353人が死亡。政府は,25日を国民服喪の日とした。
26日 国民議会,2011年国家予算法承認。
29日 外務・国際協力省,国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に対してベトナム山岳少数民族の難民用施設の年内閉鎖を通知。
29日 ACU,ポーサット州トップ・チャンセレイヴット検察官およびそのボディガード2人を逮捕。
  12月
2日 アジア国際政党会議(ICAAP),プノンペンで開催。
4日 ノロドム・ラナリット,政界復帰を宣言。愛国党は党名をノロドム・ラナリット党に戻す。
8日 中国銀行プノンペン支店が開店。
10日 大臣会議,プレアシハヌーク州石炭火力発電所プロジェクト承認(3億6300万ドル,700MW)。2014年操業開始予定。
13日 フン・セン首相,中国公式訪問(~17日)。
16日 NGO法草案が公表される。
20日 カシット・タイ外相,来訪。8月18日に逮捕されていた不法入国のタイ人3人は恩赦により釈放。
27日 ディピュー・モニ・バングラデシュ外相来訪。
27日 新航空会社2社(トンレサップ航空,インドシナ航空)の国内航空への参入を承認。
29日 タイ国会議員を含む7人,ボンティアイミアンチェイ州にて不法入国で逮捕。

参考資料 カンボジア 2010年
①  国家機構図(2010年12月末現在)
②  大臣会議名簿(2008年9月25日承認,2009年3月12日追加承認)

(②③④の注) F はフンシンペック党所属(それ以外は人民党所属),*は女性,**は2009年3月12日承認。

③  立法府
④  司法府

主要統計 カンボジア 2010年
1  基礎統計
2  支出別国内総生産(名目価格)
3  産業別国内総生産(実質:2000年価格)
4  国・地域別貿易
5  国際収支
6  中央政府財政
7  中央政府財政支出
 
© 2011 Institute of Developing Economies JETRO
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