Yearbook of Asian Affairs
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2011 Volume 2011 Pages 353-380

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2010年のインドネシア 政治的な停滞のなかで好調さを維持する経済

概況

第2期スシロ・バンバン・ユドヨノ政権が発足してから1年が経過した。しかし,2009年大統領選挙で圧勝した勢いとは裏腹に,第2期政権の1年目は国会との対立に翻弄された。国会は,センチュリー銀行への公的資金投入をめぐってブディオノ副大統領とスリ・ムルヤニ蔵相の責任を厳しく追及し,最終的にはスリ・ムルヤニを辞任に追い込んだ。与党の一員でありながらスリ・ムルヤニの追い落としにもっとも積極的だったゴルカル党党首のアブリザル・バクリは,これを機に与党連合内での発言権を強め,連立与党間の調整機関として設置された連立政党共同事務局の常任代表に就任した。年後半には,大蔵省租税総局職員のガユス・タンブナンによる汚職事件が,警察,検察,裁判所までを巻き込む一大疑獄事件に発展していった。この事件は,法執行機関にまで及ぶインドネシアの汚職体質がきわめて根深いことを示していた。

一方,経済は総じて良好であった。2009年の世界的な金融危機のなかでも安定的な経済成長を維持したインドネシアは,2010年も引き続き内需と石炭やパーム油などの資源・一次産品輸出の伸びが経済成長を牽引し,実質GDPは前年比6.1%の成長となった。これは世界経済の回復と資源価格の上昇という外的要因に加え,国内的にも政府が大過なく経済を運営してきた結果といえる。マクロ経済の安定を受け,外国資金が資本市場に大量に流入して株価を押し上げ,インドネシア経済の好調さを世界に印象づけた1年でもあった。一方,今後も高い経済成長を維持するためには,投資促進,とくにインフラ整備が最優先の課題であるが,なかなか前進していないというのが実情である。インフラ整備の遅れを解決するため,政府は,官民連携事業(PPP)の円滑化など投資促進のための制度を整え,またASEAN地域経済との関係も見据えて具体的な開発政策の策定に着手した。

国内政治

1年目の第2期ユドヨノ政権

2009年7月の大統領選挙で圧勝したユドヨノ大統領は,同年10月に2期目の政権をスタートさせた。政権発足前には支持率が70%を超えるなど(インドネシア調査機関LSIによる世論調査),国民の高い期待を背負っての船出であった。しかも,その期待には十分根拠があるように思われた。第1期政権では,政治や治安の安定を確保するとともに経済を成長軌道に復帰させたという実績がユドヨノ大統領にはあった。また,政権運営を支える政治基盤についても,第1期政権時に比べてより強固なものが築かれていた。与党民主主義者党が2009年4月の議会選挙で第1党に躍進し国会議席の26%を確保したことに加え,5政党が連立に加わったことで,与党連合は国会議席の76%を占めるに至った。そのため,第1期政権時に苦労した国会運営もスムーズにいくであろうと思われた。

しかし,第2期ユドヨノ政権の政治運営は,発足直後から行き詰まった。政権の移行期をはさんで,これまで汚職摘発に大きな成果を上げてきた汚職撲滅委員会(KPK)と,それを快く思わない警察・検察が激しく対立し,2人の汚職撲滅委員会副委員長を追い落とすために職権乱用の容疑が捏造されるという事件が発生した。さらに,2008年の金融不安における民間銀行に対する公的資金注入政策の是非をめぐって,政権と国会の対立が激化した。いずれの問題についても慎重に対応しようとするユドヨノ大統領に対して,指導力の欠如を批判する声が上がった。このほかにも,出稼ぎインドネシア人労働者の人権問題や国境問題をめぐって緊張の高まったマレーシアに対する外交姿勢が弱腰だと批判されたり,10月に西パプア州ワシオルで発生した大規模土石流災害への対応が適切でないと批判されたりと,大統領の政権運営に対する失望が広がった。政権発足1年となる10月20日には,全国24都市で政権批判のデモが発生し,ジャカルタではデモ隊と警察が激しく衝突して学生1人が警察の発砲で負傷するという事態に発展した。12月には,大統領に対する国民の支持率も63%にまで低下した。

新たな経済政策立案体制の模索

国会との対立が深刻化して政策遂行に支障が出るなか,政権の最優先課題である持続的な経済成長と雇用創出・貧困削減を実現するために,ユドヨノ大統領は経済政策立案プロセスの強化を図った。5月,ユドヨノは,経済政策の諮問機関として国家経済委員会(KEN)と国家イノベーション委員会(KIN)を設置した。

KENには,フランス小売大手カルフールの国内事業の買収で一躍注目されたパラ・グループ代表のハイルル・タンジュンを委員長として,24人の委員が任命された。彼らの多くは,これまでユドヨノ政権の経済政策立案や政策提言活動に関わってきた企業家や経済学者である。たとえば,第2期政権発足後の100日プログラムの立案や,インドネシア商工会議所(KADIN)が第2期政権発足にあたって提出した政策提言書「経済開発ロードマップ」の策定にあたった経済学者らが,今回ここに加わった。さらに,ヒダヤットKADIN会頭(当時)とともに財界と政権との政策対話に取り組んできたKADINの幹部ら7人もここに名を連ねている。

第1期政権下では,ヒダヤットKADIN会頭とユドヨノ大統領との良好な関係を軸に,財界の意向が経済政策の立案に反映される仕組みが構築されてきた。それが,第2期政権発足を期に,政府とKADINが共同して政策枠組みを策定するという形へと変化していった。両者の共同作業は,2009年10月29~30日に官民の関係者を集めて新政権の政策枠組みを協議した「ナショナル・サミット」という形で実現する。第2期政権発足にあたり,ユドヨノ大統領は,ヒダヤットを工業相として入閣させたが,大統領府の経済政策立案能力をさらに高めていくため,これまでは非公式な形で経済政策の立案に関与してきた経済学者や企業家らを公式の政策策定プロセスに取り込もうと新たな諮問機関が設置されたのである。

また,ヒダヤットが入閣したのち空席となっていた次期KADIN会頭には,必ずしも政権と良好な関係を持つ人物が就任するとは限らなかったことから,これまで共同作業を続けてきた財界人を政権側に取り込んでおく必要がユドヨノにはあった。実際,9月に行われたKADIN会頭選挙では,アブリザル・バクリ(ゴルカル党党首)が代表を務めるバクリ・グループ傘下の石炭大手ブミ・リソーシズ社会長スルヨ・バンバン・スリストが新会頭に選出されている。また,ヒダヤットとともに政財間の政策対話に取り組んできた企業家も,軒並みKADINの幹部ポストから退いた。

ただし,この新しい経済政策決定体制の有効性については懐疑的な意見もある。24人の委員が一致した方向性を打ち出せるのか疑問視する声もあれば,政府が取り組むべき経済政策上の課題はすでに出尽くしており,あとは政治的な決断ができるかどうかの問題であるといった批判も出されている。

センチュリー銀行疑惑とスリ・ムルヤニ蔵相の辞任

2009年後半に表面化したセンチュリー銀行救済策をめぐる大統領と国会との対立は,2010年に頂点に達した。両者の対立は,2008年10月に経営破綻したセンチュリー銀行に対して注入された公的資金をめぐる不正疑惑を国会が追及しはじめたことが発端である。同行に対する資本注入が当初予定の6320億ルピアから6兆7000億ルピアへと10倍以上に膨張していたことが判明したことをうけて,国会は,資本注入に関する政府の決定過程で不正があった可能性があるとして,2009年12月1日に,国政調査権の発動を決定した。国会による責任追及の標的は,当時インドネシア銀行(中銀)総裁だったブディオノ副大統領と金融システム安定委員会委員長を兼任するスリ・ムルヤニ蔵相の2人だった。

この不正疑惑事件では,銀行救済の名目で注入された資金がほとんどの預金者に払い戻しされず,大統領周辺や与党民主主義者党と関係のある特定の預金者が優先的に払い戻しを受けていたと噂されていた。国会のセンチュリー銀行国政調査権特別委員会は,ブディオノとスリ・ムルヤニら当時の政策決定関係者を委員会に召喚し,その責任を追及した。これに対して,両者とも,世界的金融危機に直面していたインドネシアの金融システムを保護するために銀行救済は必要な措置であり,手続きもあくまで法に則ったものだったと反論した。国会による調査では,ユドヨノ関係者の関与を示す証拠も発見されなかった。

しかしながら,国会はあくまでもブディオノとスリ・ムルヤニの責任追及を進め,2010年3月3日,「センチュリー銀行に対する公的資金注入において逸脱行為があった疑いがあり,同事件を法的に処理すべき」とする勧告を賛成多数で可決した。この勧告可決で勢いづいた国会側は,ブディオノ副大統領を弾劾し,スリ・ムルヤニ蔵相を罷免に追い込もうとした。しかし,副大統領の弾劾は憲法の規定上容易にできるものではなかった。大臣の任免権限も大統領の専権事項であり,国会には何ら権限はないが,国会側はスリ・ムルヤニが出席する委員会審議をボイコットするなど,蔵相罷免に向けて大統領側に強くプレッシャーをかけた。4月下旬には,国会の決議に従って,汚職撲滅委員会がブディオノとスリ・ムルヤニに対する事情聴取を開始するなど,大統領側は徐々に追い詰められていった。

そのようななか,5月5日にロバート・ゼーリック世界銀行総裁からスリ・ムルヤニを6月1日付で世界銀行専務理事に任命すると突然の発表がなされた。また,彼女自身も,この申し入れを受け入れて蔵相を辞任すると表明し,ユドヨノも同日中に辞表を受理した。後任の蔵相には,国営マンディリ銀行頭取のアグス・マルトワルドヨが任命された。スリ・ムルヤニ辞任で国会側もセンチュリー銀行疑惑に対する興味を急速に失い,事件の追及はうやむやになってしまった。

この経緯からも分かるように,センチュリー銀行疑惑の追及は,当初から非常に政治的な色彩を帯びたものだった。そもそも,ユドヨノ率いる連立政権は,議会で4分の3以上の議席を確保しており,連立与党が結束して政権の経済政策の中心を担う副大統領と蔵相を守ろうとしていれば,このような混乱は発生しなかった。しかし,実際には,両者の責任を追及する急先鋒が,連立与党第2党のゴルカル党と第3党の福祉正義党だった。3月3日に行われた勧告決議の採択においても,闘争民主党,グリンドラ党,ハヌラ党の野党3政党に加えて,与党連合に所属するゴルカル党,福祉正義党,開発統一党の全議員が賛成に回った(民族覚醒党の議員1人も造反して決議に賛成)。

なかでも,ブディオノとスリ・ムルヤニの追い落としにもっとも積極的だったのはゴルカル党であった。第1期政権では国民福祉担当調整相を務めながら第2期政権では入閣できなかったアブリザル・バクリ同党党首と,有能な経済学者であり,規律の取れたマクロ経済運営と大胆な省内改革を遂行して蔵相としての評価も高かったスリ・ムルヤニとの確執は,第1期政権時からたびたび取り沙汰されていた。大企業家としても,2014年の次期大統領選への出馬をうかがう政治家としても,バクリにとってスリ・ムルヤニは目の上の瘤のような存在であった。そこでバクリは,ゴルカル党の政治力を背景に,センチュリー銀行疑惑を利用してスリ・ムルヤニを辞任に追い込んでいった。ユドヨノも,国会運営を円滑に進めるためには,スリ・ムルヤニの辞任も致し方ないと判断したのである。

連立政党共同事務局の設置

センチュリー銀行疑惑をめぐる一連の政治的駆け引きのなかで議会第2党というゴルカル党の立場を強化することに成功したバクリは,与党連合内での発言権を高めることにも成功する。スリ・ムルヤニ辞任の発表がなされた翌日,ユドヨノは連立与党幹部と協議し,連立与党6政党間の調整機関として「連立政党共同事務局」の設置に合意する。その実質的なトップである常任代表には,バクリ・ゴルカル党党首が就任した。今後は,この共同事務局が与党間の政策協議の場として法案の事前審査や政治的決定の調整を行うことになった。しかし,共同事務局設置後に連立与党間の協力が大きく進んだわけではない。政府提出法案は,共同事務局内部で事前に調整が行われているが,合意が得られなければ当初案のまま国会に上程されている。もちろん,そのような法案の審議は紛糾しがちである。

このように,政府の提出する法案に対して連立与党から必ずしも協力が得られないことに加え,2010年前半の政局は前述のセンチュリー銀行疑惑で一色となったため,国会では実質的な法案の審議がほとんど行われなかった。法案審議の年次計画である国家立法プログラム(Prolegnas)の2010年版では,当初70法案が優先的に審議される予定だった。しかし,このうち年内に成立したのはわずか8法案だけで,その他の予算・決算法案や国際条約批准法案などを合わせても2010年の法案成立数はわずか16にとどまった。

一方で,国会では議員による権益囲い込みの動きばかりが目立った。たとえば,6月には,各議員に選出選挙区の開発資金として1人当たり150億ルピアを供与するという案が提案された。また,2011年度予算案策定のなかで総工費1兆6000億ルピアにのぼる新国会議事堂建設計画が持ち上がった。いずれも国民からの激しい反発が出て提案や計画は取り下げられたが,国民にとって本当に必要な政策論議もせずに利権漁りに奔走する国会議員に対して,国民の批判が強まった。

以上のように,連立政党共同事務局が設置されたからといって,連立政党間の協力が促進され,大統領と国会の関係が安定化すると考えるのは早計である。連立を組む政党間の協力が必ずしも得られるわけではないという現象は,民主化後のインドネシア政治の特徴である。大統領制では,議院内閣制と違って政権の成立と議会が制度的にリンクしていないため,そもそも連立政権を組むことが難しい。さらには,次の大統領選挙での勝利を目指している政党にとって,現職の大統領に協力するインセンティブは強くない。民主化後のインドネシアにおいては,過半数を制する政党が存在せず,有権者の投票行動も流動的なため,どの政党にも次の大統領選挙で勝利する可能性が残されている。そのような状況下で政権に協力することは,単に現職の大統領や与党を利するだけであり,与党以外の政党にとっては,閣僚ポストという利権を確保すれば,あとは自らの政治的利害の計算から政権への協力の有無を判断することが合理的である。

大統領が国会で法案を通すためには与党以外の政党の協力を得ることが不可欠である一方,連立与党の逸脱行動の可能性が大きいということを前提とすれば,大統領としては,与党連合のサイズをできるだけ大きくして,連立与党の一部の離反があったとしても国会の過半数を確保できるようにしたいと考える。そこで,ユドヨノは,政権発足前から国会第3党である闘争民主党に政権参加の秋波を送り続けている。闘争民主党内でも,メガワティ・スカルノプトリ党首の夫タウフィック・キマスや長女プアン・マハラニらが連立参加に前向きだと伝えられている。しかし,大統領選挙で2度もユドヨノに敗れたメガワティが政権参加を固辞しているため,闘争民主党の連立入りは実現していない。

ガユス事件と法執行機関の汚職

ユドヨノは,過去もっとも汚職撲滅に真剣に取り組み,もっとも多くの成果を上げてきた大統領である。とくに,捜査,逮捕,公訴の権限を与えられている汚職撲滅委員会が設置された2005年以降,中央政府から地方政府に至るまで,閣僚経験者,地方首長,政府高官,現職議員などが関与する汚職事件が次々摘発され,裁判でも実刑判決が下されるようになった。しかしながら,それでも汚職事件は後を絶たない。なかでも深刻な問題は,警察,検察,裁判所といった汚職を取り締まる主体である法執行機関が汚職事件に関与する体質にあることである。ユドヨノ政権も真に汚職を撲滅するためには法執行機関自身の浄化が必要であることを認識しており,2009年末にはクントロ・マンクスブロト開発監督・管理大統領作業ユニット(UKP4)長官を代表とする司法マフィア撲滅特別チームが設置されている。その矢先,2010年最大の汚職事件が発生した。

事件の中心人物は,31歳の大蔵省租税総局職員ガユス・タンブナンである。事件の発端は,ガユスの銀行口座に1200万ルピアの月給から蓄財するには到底不可能な230億ルピアと50万ドル以上の資金が預金されており,資金洗浄の疑いのある資金の移動がされていることを金融取引報告分析センター(PPATK)が警察に告発したことであった。この情報をもとに警察は捜査を行い,検察が資金洗浄と着服の容疑でガユスを起訴した。これに対して,タンゲラン地裁は,3月12日,ガユスを無罪とする判決を出した。

ところが,この無罪判決の裏には司法マフィアの暗躍があるとの情報が警察内部から暴露されたのである。これを暴露したのは,ススノ・ドゥアジ前国家警察刑事局長であった。ススノは,2009年に政界を揺るがした汚職撲滅委員会副委員長の権力濫用捏造事件にかかわったとして,同年11月末に刑事局長を解任されていた。次期国家警察長官のポストを狙っていたといわれるススノは,それ以来警察幹部と対決する姿勢を示していた。

このススノの暴露によって,ガユスの事件を担当した国家警察刑事局の警察官,検察官,地裁裁判長らがガユス側から金銭を受け取っており,司法プロセスを操作していたことが明らかになった。さらに,11月には,警察の拘置所に勾留されているはずのガユス容疑者が,バリで国際テニス大会を観戦している変装写真がメディアで大きく報じられるという事件が発生した。ガユスは,拘置所所長らの警察官に金銭を渡し,家族とともにバリで休暇を楽しんでいたのである。しかも,その後の捜査によって,7月以降少なくとも68回も拘置所を抜け出し,毎週自宅に帰っていたことも判明した。また,入管職員に賄賂を贈り,収監中にシンガポールやクアラルンプールなどへ旅行にまで行っていたこともその後判明している。警察内部の汚職の深刻さを示すこれらの事件に,国民は呆れるばかりであった。

捜査や公判のなかで明らかになったガユスの総資産は,1000億ルピアにのぼるとされている。これらの資産は,ガユスの勤務先であった大蔵省租税総局の異議審査局に納税額の不服を申し立てに来た個人・企業に便宜を図る見返りとして得たものである。ガユスは,2008年以降140件以上の納税者・企業からの依頼に応えて,脱税や課税逃れを幇助していたとみられている。しかも,そのなかには,バクリ・グループ傘下の鉱山会社3社(カルティム・プリマ・コール社,ブミ・リソーシズ社,アルトミン社)が含まれており,この3社からは合計700万ドル(約650億ルピア)を受け取ったとガユス自身が公判のなかで証言している。11月のバリ旅行では,ガユスとバクリ・グループ代表のアブリザル・バクリとが会っていたという疑惑も浮上している。

脱税・課税逃れの幇助を行っていた大蔵省職員はガユスだけに限らない。スリ・ムルヤニ大臣時代に大胆な省内改革を実行して汚職の一掃を目指していた大蔵省でこのような事件が発生したことは,官僚機構内部の汚職もいまだ深刻であることをうかがわせる。ガユス事件は,汚職撲滅が非常に困難であることを示すと同時に,汚職撲滅に積極的に取り組む大統領というユドヨノに対する国民の評価にもマイナスの影響を与えるものだった。

(川村)

経済

好調な経済を支える内需と資源輸出

2010年の経済は年間を通じて好調であり,GDPは6422兆9182億ルピア(速報値),実質成長率は6.1%であった。政府が2010年の予算案の前提としていた5.5%の成長率を上回る結果となったが,政府の当初予測自体が手堅く,6%程度の成長は十分可能であると指摘されていたことを考慮すると,予定通りの成長率だったといえる。

2009年に引き続き,2010年においても経済成長の源泉はGDPの56.6%を占める民間消費であり,その経済成長への寄与度は2.7%であった。一方,GDPに占める政府支出の割合は,世界金融危機への対応で緊急の景気刺激策を講じた2009年の9.0%から8.5%へと減少し,成長への寄与度もゼロとなった。前年比8.5%増となった投資(総固定資本形成)は,GDPの24.0%を占めるに至り,寄与度も2.0%と民間消費に次ぐ成長の源泉となった。輸出は前年比14.9%の増加であったが,輸入の伸びが17.3%と輸出を上回ったため,純輸出(輸出マイナス輸入)の寄与度は0.8%にとどまった。

生産部門別では,2003年以降2桁成長してきた運輸・通信部門の伸びが2010年も13.5%と堅調であった。内訳は,空輸の伸び率が前年の11.7%を上回る19.0%増を記録し,通信は前年の23.6%より低下したものの18.1%増と高い伸び率であった。このほか,輸送用機器製造が10.4%,小売が9.7%の伸びを記録するなど,経済成長が国内需要に支えられていることが分かる。内需の拡大を反映して,二輪車や自動車の製造・販売台数も過去最高を記録し,二輪車は前年比26%増の740万8687台,自動車は前年比58%増の76万4710台の販売となった。

製造業の成長率は4.5%であった。これは6年ぶりに前年を上回る成長率であったが,GDPに占める製造業の割合は前年から0.4ポイント減って25.8%と2005年からの低下傾向が続いている。鉱業のうち,輸出の伸びた石炭などの鉱物・採石部門の成長率は,前年の9.8%からは低下しているものの,6.9%と高い成長率を記録した。一方,伝統的な主要輸出鉱業品目である石油・ガスの伸びは0.4%にとどまった。鉱業がGDPに占める割合は,前年の8.3%から8.1%と微減した。このうち鉱物・採石部門の割合は4.0%となり,石油・ガスの4.1%にほぼ並んだ。

輸出は,年後半になるにつれ順調な伸びを示したことで,輸出額は前年比35.4%増の1577億ドルに達し,通年の貿易収支は黒字となった。石油・ガスの輸出は前年比47.5%増と伸びているものの,輸出に占める割合は長期的には低下傾向にあり,2010年には17.8%になった(中央統計庁資料)。より細かな品目について中銀統計(大蔵省関税総局のデータにもとづく)で見ると,前年比32.1%増となった石炭は全輸出の11.5%を占め,原油・石油製品の9.6%(前年比34.8%増)を上回った。さらに,ニッケル・錫などのその他鉱物が5.9%(同34.6%増),パーム油などの植物性油脂原料が10.0%(同35.3%増),天然ゴムが4.6%(同130.5%増)を占めており,輸出の半分以上を資源・一次産品に依存している格好である。

輸入は,前年に比べ40.1%増加し,1356億ドルとなった(中央統計庁資料)。内訳を中銀統計でみると,電子電機部品が全体の7.7%(前年比43.1%増),鉄・鋼鉄が7.0%(同40.5%増),輸送用機器が6.8%(同89.1%増),一般産業機械6.6%(同32.4%増)と,資本財が中心であった。2010年1月1日にASEAN・中国自由貿易協定(ACFTA)にもとづく関税の完全撤廃が実施されたことにともない,消費財を中心とする安価な中国製品の輸入の増加が懸念されていたが,その代表的な製品である製靴の輸入は前年比77.6%増加した。その他にも,織物用糸・繊維製品が57.8%,繊維原料が44.4%,衣類が41.1%増えるなど,当初の懸念が一部現実となった。輸入額全体も大きく伸びているため,消費財輸入の増加は必ずしもACFTAの影響ばかりであるとはいえないものの,いまや最大の輸入相手国となった中国からの輸入額の伸び率は,日本(72.4%増),タイ(64.1%増)に続く46.9%増であり,その影響は看過できない。他方,砂糖などの糖類が90.4%,自動車などの輸送用機器が89.1%伸びるなど,輸入の増加は旺盛な国内需要を反映した結果でもある。

全体的な景気の良さが貧困や失業の減少にも反映され,失業率は7.4%と前年の7.9%より改善した。労働者の最低賃金も全般的に上昇し,全国単純平均では90万8800ルピアと前年より8%上昇した。ジャカルタ特別州の上昇率は4.5%にとどまったが,中ジャワの14.8%,中カリマンタンの13.0%など,最低賃金の上昇率が10%を超えた州は12州にのぼった。貧困人口は151万人減少して3102万人となり,貧困人口比率も0.9ポイント下がって13.3%に減少した。

為替市場は,年初1ドル=9420ルピアから始まり,年末に9005ルピアで終わった(年間平均は9078.3ルピア)。中銀は,輸出拡大により増加する外貨準備と,継続的に流入する外国資金の影響を避け,政府予算の前提である1ドル=9000ルピアの水準を安定的に保ったといえる。インフレ率は,第3四半期までは比較的安定していたが,年末にかけてコメやトウガラシなどの食料価格を中心に上昇し,12月には前月比0.78%増になるなど高まる傾向にあった。その結果,通年のインフレ率は6.96%と,前年の2.78%から大幅に上昇した。

外資の流入による株式市場の活況と中銀の対応

2010年の経済の好況をもっともよく表しているのが,株式市場の動向である。年初に2534.36から始まったインドネシア総合株価指数は,ほぼ一本調子に上昇を続け,年末には3703.51と年初の1.5倍となり,インドネシアの株式市場はアジアでもっとも上げ幅の大きい市場となった。アメリカの金融緩和政策によって国際金融市場でだぶついた資金が,経済成長の見込まれる新興国に流れた。とくに2億3800万人を抱える人口大国であり,天然資源の産出国でもあるインドネシアは,魅力的な投資対象となった。

2010年に外国から流入した資金は,直接投資が127億ドルとなり,2009年の49億ドルに比べ急増している。また,証券投資は157億ドルに達し,2009年の105億ドルを大きく上回った。とくに,株式投資は2009年の8億ドルから21億ドルへと急増した。後述のように,年間を通じて6.5%で維持された高い政策金利と安定的な為替水準が,外国資金をさらにインドネシアに呼び寄せる結果となった。外国人投資家によるインドネシア証券取引所売買システムを通じた売買高の割合は,2008年の27%,2009年の25%から,2010年には31%へと上昇している。

インドネシアの株式市場は,上場企業数420社(2010年)と規模の小さな市場である。株式時価総額のGDPに占める割合も,2008年までは10%程度であった。そこに2009年から外国資金が流入し始め,2009年の株式時価総額は前年の倍となる2019兆ルピア(約2224億ドル)に,さらに2010年には3247兆ルピア(約3577億ドル)に膨らみ,GDPの5割を占めるまでに急拡大した。しかしながら,取引される銘柄は上位20~30社程度に限られ,エネルギーや天然資源関連,不動産関連,銀行株などの一部の銘柄に取引が集中した。

市場の厚みのない株式への投資には限界があり,外国資金は主に債券市場に流れている。国際収支の証券投資のうち,株式市場には21億ドルの資金が流入したのに対し,債券市場には110億ドルと5倍の資金が流入している。とくに,国債や中銀証書(SBI)などの安全資産に大量の外国資金が投資されている。1月に国際格付け機関フィッチがインドネシアのソブリン格付けを「BB」から「BB+」に格上げしたのを皮切りに,ムーディーズも6月に「Ba2の安定的」から「Ba2のポジティブ」に変更するなど,ソブリン格付けの引き上げが外国投資家のインドネシアへの信頼を高め,さらなる証券投資資金の流入を促した。一方,対外的な信頼度の上昇を背景に,政府も1月に外貨建て国債20億ドルを,11月には600億円のサムライ債を発行するなど国際市場での資金調達を順調に行っている。

外国資金の流入による過度な流動性を抑制するため,中銀はいくつかの規制を導入した。まず3月5日に,SBIを用いた週ごとの公開市場操作を月ごとに変更し,1カ月物SBIの発行を6月で停止することが発表された。続いて6月16日には,6つの規則からなる政策パッケージが発表された。ここには,7月7日からSBIの保有を1カ月以上とすることや,8月から9カ月物SBI,9月から12カ月物SBIを導入することなどが盛り込まれた。これらの施策は,外国資金だけでなく国内銀行部門の資金管理もより長期に誘導することを目的としている。

さらに,12月29日には23項目に及ぶ2010年12月政策パッケージが発表された。このなかで中銀は,引き上げ圧力のかかる政策金利BIレートを6.5%に保つことと,為替の安定を改めて目標に掲げている。1%の外貨建て預金準備率は,2011年3月から5%に,6月から8%に段階的に引き上げられる。また,2008年の世界金融危機時に撤廃されていた銀行の外貨建て借り入れ上限を復活させ,遅くとも2011年1月から銀行資本の30%を上限とすることが決められた。2010年後半,近隣諸国が国内のインフレ率の上昇を受けて金融政策を引き締める方向に転換するなかで,インドネシアでは国内経済に配慮し,政策金利を6.5%で維持しようという中銀の姿勢がこの政策パッケージからも明らかとなった。2010年第3四半期までは中銀の予想範囲内(5.3%±1%)であったインフレ率が,年末にかけて7%近くに上昇したことから,金融引き締めも議論されるようになっていた。しかし,食料・エネルギーを除くコア・インフレ率が約4%であったことから,中銀は12月も政策金利を6.5%に据え置いた(しかし,2011年2月4日には6.75%に引き上げられた)。

一方,政府はここ数年,株式市場における国営企業の新規株式公開(IPO)に積極的である。11月10日には,国営クラカタウ製鉄が新規上場した。上場時の売り出し株数は発行済み株式数の20%にあたる31億5500万株で,総額2兆6820万ルピアを市場から調達した。クラカタウの株価は上場後数分で49.41%上昇し,初日にストップ高となった。クラカタウ株の公募価格は1株850ルピアであったが,この株価の決定をめぐっては政府と国会の間で論争があった。政府が1株800~1150ルピアの価格幅の下方で株価を決定したことに対し,国会から株価が低すぎるとの批判が噴出し,上場直前に価格を950ルピアへ修正することが検討された。しかし,政府は市場の反応が悪くなることを懸念し,1株850ルピアのまま株式を上場した。他方,一部投資家に有利になるような不正な株の割り当てがあったとして,国会で問題を調査するための特別委員会の設置が求められるなど,国営クラカタウ製鉄のIPOが一時政治問題へと発展する事態となった。この問題が2011年の国営企業のIPOにも影を落とし,2011年2月に上場したナショナル・フラッグのガルーダ・インドネシア航空は,国会の批判を回避するため高めの価格設定(1株750ルピア)を行った結果,上場初日に17.3%の価格割れとなるなど市場の不評を買う結果となった。

インフラ整備と土地収用法制の遅れ

インフラ開発は第1期ユドヨノ政権以来の課題であり,2期目の政権においても最優先項目として国家中期開発計画のなかで取り上げられている。電力不足や物流の非効率性を排除することは,国内外から投資を呼び込むためにも必須である。その意味で,投資の促進とインフラの整備には密接なつながりがある。

5月25日,政府は,投資促進策として,投資法(法律2007年第25号)の細則で投資規制分野(ネガティブリスト)を定めた大統領令2007年第111号を改正し,即日実施した(大統領令2010年第36号)。投資促進を目的としたネガティブリストの改正はこれで2度目となるが,政府は今回の改正を2015年設立予定のASEAN経済共同体に向けたASEAN域内の投資サービス自由化のための戦略と位置づけ,40の分野で外資規制を緩和した。建設業では55%から67%に,専科病院・クリニックなど健康産業では65%から67%に外資の上限出資比率が引き上げられた。深刻化する電力不足に対応するため,10MWまでの小規模発電や地熱発電の分野では,95%までの外資比率が認められることになった。

一方,インフラ開発を促進するため,政府は2009年から制度の整備を進めている。政府は,2009年に国営インフラ・ファイナンス会社(SMI)とインフラ保証会社(PII)を設立したのに続き,2010年8月には,SMIと国際金融公社(IFC)やアジア開発銀行などの国際機関との共同出資により,融資や出資など長期資金を提供するインドネシア・インフラストラクチャー・ファイナンス社(IIF)を設立した。さらに,インフラ部門への投資を促進するため官民連携事業(PPP)をより積極的に活用することになり,8月18日に投資調整庁,国家開発企画庁,大蔵省との間でPPP事業促進に関する覚書が締結された。このなかでは,各機関がそれぞれの役割を通じてPPP事業の促進と支援を行うことが合意された。大蔵省は,PIIによるリスク保証や,SMIによるPPP事業の調整・準備を行う。国家開発企画庁は,PPP事業に関する政策の策定,投資調整庁は投資誘致のためのインフラ事業の情報提供などを担当する。また,民間インフラ・プロジェクトの候補として,タンジュン・プリオク港の拡張,中ジャワ地熱発電所の建設,スカルノ・ハッタ空港=マンガライ間の鉄道建設,バロンガン石油精製所の建設などがあがっている。

しかし,これらインフラ整備を進めるためには,まず周辺地域の土地収用問題が解決される必要がある。しかし,用地収用の手続きが煩雑かつ透明でないことから必要な土地の収用に時間がかかり過ぎ,インフラ整備の現場では混乱が生じている。そこで政府は,PPP事業における用地収用を簡素化するためにも,公共目的のためには土地の所有者に対して公正な対価により土地の提供を強制できることを定めた土地収用法案を国会に提出すると年初から表明していたが,法案提出は年末の12月27日にまでずれ込んだ。

開発戦略策定に向けた動き

2月2日,ユドヨノ大統領は,第2期政権発足後の100日を終えたことを受けて,全閣僚と全州の知事を西ジャワ州チパナスの大統領官邸に集め,2日間にわたる拡大閣僚会議を開催した。この会議では,100日プログラムの総括が行われるとともに,2010~2014年期の国家中期開発計画(2010年1月20日付大統領令2010年第5号)が発表された。同計画では,食糧安全保障の向上と農業再生,インフラ開発の促進,投資・事業環境の改善,エネルギー安全保障の確保などが優先政策として掲げられ,具体的な政策プログラムと行動計画が示された。

ユドヨノ大統領は,その後も閣僚と全州知事を集めて政策課題を集中的に討議する方式を踏襲し,4月にはバリ州のタンパクシリン宮殿で,8月にはボゴール宮殿で拡大閣僚会議を開催した。一連の会議では,経済成長促進策とともに貧困削減,地方政府との政策調整,公務員改革,予算執行などの問題が討議された。

さらに,12月に再びボゴール宮殿で開催された拡大閣僚会議では,長期開発計画,国家中期開発計画,年次開発計画といった政府の既存の開発計画の内容をより具体化する戦略の必要性が指摘され,大統領は「マスタープラン」の作成を関係閣僚に指示した。それを受け,2011年2月21~22日にボゴール宮殿で拡大閣僚会議が開催され,「2011~2025年インドネシア経済開発加速・拡大マスタープラン」(P3EI)の策定に入ることが明らかにされた。この計画は,州政府や国営企業などとの調整を経て,2011年4月には正式に公表される予定である。

この基本計画の主要な戦略としてあげられているのは,インドネシア経済回廊(IEDC)の推進,国内の結合性(connectivity)の強化,および人的資源・科学技術開発の3点である。このなかでもっとも具体性があるのは,経済回廊構想である。これは,政府が日本政府と国際機関である東アジア・ASEAN経済研究センター(ERIA)の協力を得て策定している計画で,1月の日本・インドネシア合同経済フォーラムで合意されたものである。経済回廊は,島嶼国であるインドネシアの地方の経済活動を有機的にリンクさせ,慢性的な高コスト体質を改善し,投資を呼び込むことを目的としている。先行する経済回廊として,東スマトラ=北西ジャワとジャワ島北岸があり,その後カリマンタン,西スラウェシ,東ジャワ=バリ=東ヌサトゥンガラ,パプアといった地域の合計6つの経済回廊の開発が予定されている。この経済回廊構想の下で,政府は主要な島すべてに経済クラスターやセンターをつくり,地方経済発展の基盤とすることを計画している。たとえば,スマトラはアグリビジネスやエネルギー関連に集中し,ジャワはサービス関連に集中するなど,それぞれの地方の特性に合わせて開発が進められることになっている。

2つ目の国内の結合性強化は,経済回廊とリンクする開発戦略である。この結合性の戦略は,2010年のASEAN首脳会議において採択された基本計画「ASEAN連結性」に着想を得ていると思われるが,基本的にはインドネシア全土を経済的につなげ,バランスのとれた開発をめざすことが目標である。とくに,経済開発の後れている地域と経済成長の中心をつなげるため,東部インドネシアの開発に力を注ぐとされており,パプア,西パプア,東南スラウェシを農業・鉱業の中心とするという構想が出されている。

ハッタ経済調整相は,この計画の実施によって2025年にはGDPが4兆7000億ルピアとなり,世界10大経済国の一角を占めるようになると発言しているが,この計画の内容自体にはとくに目新しさはなく,どのように政府が計画を実行していくかだけが問題であるという冷めた指摘もある。

(濱田)

対外関係

ASEAN・中国FTAと対中経済関係

インドネシアと中国の国交樹立60周年にあたる年であった2010年は,1月1日のASEAN・中国自由貿易協定(ACFTA)にもとづく関税の完全撤廃で年が明けた。この関税の完全撤廃を目前にした2009年末から,インドネシア国内では,この協定により海外の安価な商品が国内市場に大量に流入し,国内製造業を圧迫すると懸念する声が目立つようになった。ACFTAは多国間での協定であるが,インドネシアではもっぱら中国との二国間貿易の問題として取りあげられた。中国との貿易は近年拡大を続け,2006年以降輸入額では日本を抜きシンガポールに次ぐ第2位の輸入相手国となった。2010年においても,貿易収支が黒字になるなか,対中国の貿易収支のみが赤字となった。2010年の中国からの輸入額は217億ドルに達し,輸出額の165億ドルを上回って52億ドルの貿易赤字を計上した。

年初に関税が完全撤廃された後も,インドネシア経営者協会(APINDO)など各種業界団体が例外項目の設定や関税撤廃の猶予などを政府に対して強く求めた。中国製品に対する脅威論は,繊維・衣類,製靴産業をはじめとして,鉄鋼,電子機器,石油化学製品と幅広い分野で強く,協定の延期を要請する声が上がった。これらの要請を受け,政府は中国側と個別に228関税品目について二国間の協議を持つことを表明し,4月から協議を開始した。

FTAの延期交渉を中国側と進める一方で,政府は,安価な中国製品の氾濫に対抗するため国内で販売する製品の品質基準―2001年設立の国家標準化庁(BSN)によって導入された国内の製品規格であるインドネシア国家規格(SNI)―の対象品目を増やすとともに,規格を充たしているかどうか監督を厳格化するなど,苦しい対応を迫られた。2009年からは,商業省と情報省が共同でインドネシア製品購買キャンペーン「100%インドネシア大好き」(100% Cinta Indonesia)を繰り広げ,国産品の購買を国民に呼びかけている。こうした動きにもかかわらず,低価格で入ってくる中国製品に国産品が対抗することは難しく,工業製品,最終消費財から農産物に至るまで中国からの輸入品目は拡大している。

貿易面での国内産業の中国に対するいら立ちとは裏腹に,外国投資を呼び込みたいインドネシア政府とインドネシアの天然資源の獲得に強い関心を示す中国政府は,2010年には投資・借款の協定を多く締結している。しかし,投資調整庁の統計(石油ガス・金融を除く)で見ると,2009年のインドネシアへの中国の直接投資は6550万ドル(実施ベース)と,外国直接投資全体のわずか0.6%である(日本は6.3%)。2010年第1四半期時点でも,中国の直接投資は11位の0.4%であり,1位のシンガポール(18%),6位の日本(2.6%)などと比較すると大きくはない。

しかし,中国の投資は鉱業・採石業に集中し,当該部門で一定のプレゼンスを示している。たとえば,2010年第3四半期までの当該産業への外国投資15億ドルのうち,18.5%が中国によるものである(承認ベース)。10月25日には,ユドヨノ大統領の上海訪問に合わせて,27案件(総額50億ドル)に関する投資協定がインドネシア政府と中国政府の間で締結された。この案件のなかには4420億立方フィートのガス鉱床のあるマドゥラ鉱区のガスプロジェクト(約6億5000万ドル)が含まれるなど,インドネシアにおける中国の天然資源獲得に向けた動きは活発である。

中国によるインドネシア経済への関与は,直接投資のみではなく,大規模な借款の供与という形でも実現している。4月3日,中国政府はインドネシアのインフラ整備と輸入促進のために20億ドルの借款を提供することに合意した。11月19日には,輸送インフラに関する作業協定に両国政府が調印している。同協定では,マドゥラ島ソチャー港の建設と南スラウェシの鉄道セクターの開発に中国港湾工程公司などの中国国営企業がかかわるとされている。さらに,政府間の投資だけでなく,現在700社近い中国企業がインドネシアに投資している。国営製薬会社キミア・ファルマは中国の製薬会社と1200万ドルを共同出資して新子会社を設立するなど,中国からの投資や経済協力は今後も活発化するだろう。

出稼ぎ労働者の保護と国境問題

2009年6月,220万人のインドネシア人労働者を抱えるマレーシアで,インドネシア人家政婦が女性雇用主に暴行を受けた事件をきっかけに,国内では反マレーシア感情が高まった。これを機に始まった出稼ぎ労働者の権利保護に関する両国政府間の交渉は,5月18日にマレーシアのプトラジャヤで開催された両国政府の年次協議の場で合意に達し,覚書が締結された。この覚書では,マレーシア人雇用主がインドネシア人家政婦に対して1週間に1日の休暇を与えることや,インドネシア人本人がパスポートを所持する権利を持つことなどが定められた。

しかし,11月には,マレーシアに次ぐ出稼ぎ先のサウジアラビアで,インドネシア人家政婦が暴行を受けていた事件がまたも発覚した。インドネシア人労働者に対する海外での人権侵害事件が相次ぐなかで,有効な対策を打ち出せない政府には批判が集まった。インドネシア人労働者約100万人を抱えるサウジアラビアでは,暴行や強姦,賃金不払いなどの事件が多数発生しているが,現地政府は出稼ぎ労働者の権利保護に関する覚書の締結に対しては消極的で,インドネシア政府も対応に苦慮している。

一方,マレーシアとの間では,8月にインドネシア政府海洋漁業省職員がマレーシアの海上保安庁によって拘束されるという事件が発生した。これは,海洋漁業省の監視船がインドネシア領海内で操業していたマレーシアの漁船を拿捕しようとしたところ,逆にマレーシア領海侵犯の疑いでマレーシア海上保安庁の巡視船に拘束されてしまったという事件である。2009年にすでに悪化していた国民の反マレーシア感情はこの事件によってさらに高まると同時に,マレーシアを強く非難しないユドヨノ政権に対して,弱腰外交との批判があがった。

しかし,マレーシアによる領海侵犯は,この事件発生時点までですでに8回は発生しており,そのたびにインドネシア政府は抗議文書を送付している。マレーシアとの間には,未確定の国境線が海上だけで5カ所,陸上で少なくとも9カ所存在する。ユドヨノ政権は,国境線の画定を優先的な外交政策と位置づけており,周辺国と交渉を続けている。2010年にはシンガポールとの間で2009年3月に妥結した西部国境線画定条約が発効するなど,これまで16の国境線画定条約がユドヨノ政権下で締結に至っており,一定の成果も上がっている。

(濱田・川村)

2011年の課題

ユドヨノ大統領にとって,国会との安定的な関係を構築することが最優先の政治的課題である。連立政党共同事務局の設置後も連立内の不和は続いており,大統領は,連立の組み替えや内閣改造も視野に入れながら,多数派の形成に向けた努力を続けるだろう。これとは別に,少数派宗教に対するイスラーム急進派の暴力行為が増える傾向にあり,政府の対応が注目される。

順風満帆であった2010年に比べると,2011年の経済はいささか厳しさを増すであろう。食料価格の高騰や中東政治の混乱による国際原油価格の高騰の影響でインフレ圧力が高まっている。政府は,今後も難しい財政・金融政策の運営を迫られるだろう。また,インフラ・ファイナンスなどの制度を整えた現在,政府は土地収用問題を早期に解決し,インフラ整備を実施に移す時期に来ている。

(川村:地域研究センター)

(濱田:開発研究センター)

重要日誌 インドネシア 2010年
  1月
1日 ASEAN・中国自由貿易協定にもとづく関税完全撤廃,同日より実施。
6日 大統領,内閣官房長官にディポ・アラム経済担当調整大臣府審議官を任命。
6日 中銀,政策金利BIレートを6.5%に据え置き。この後,年間を通じて6.5%を維持。
9日 国民信託党,ハッタ・ラジャサ経済担当調整相を新党首に選出。
11日 初の日本インドネシア経済合同フォーラム,ジャカルタで開催。インドネシア経済回廊構想の推進などに合意。
13日 政府,20億ドルの外貨建て国債(グローバル債,利率5.875%,満期10年)発行。
25日 大統領,新しい大統領諮問会議(DPP)委員9人を任命。
28日 第2期ユドヨノ政権発足100日目を迎え,各地で政府を批判するデモが発生。
29日 政府,投資手続き一元化の電子システムをバタム自由貿易地域・自由港区で開始。
  2月
1日 スルヤ・パロ,ハムンク・ブウォノ10世が発起人となり,新しい政治団体ナショナル・デモクラットが設立される。
2日 大統領,全閣僚と全州知事を集め,拡大閣僚会議を開催し,100日プログラムを総括。3日,国家中期開発計画を公表。
5日 政府,北スマトラ,ドゥマイ,メラウケに農産加工業関連の経済特別区を指定。
10日 政府,3年物の個人向けシャリア国債(利回り8.7%)を発行。予定額3兆ルピアに対し8.75兆ルピアの応札。
11日 南ジャカルタ地裁,殺人事件の首謀者としてアンタサリ前汚職撲滅委員会委員長に禁固18年の実刑判決を下す。
22日 警察,アチェで発見された武装テロ訓練施設を急襲し,テロ容疑者らを逮捕。
  3月
3日 国会,センチュリー銀行に対する公的資金注入で不正があった疑いがあるとして政府に法的措置を求める内容の決議を採択。
5日 中銀,公開市場操作を各週から各月に変更。中銀証書(SBI)1カ月物は6月をもって停止と発表。
9日 警察,バンテン州でドゥルマティンら3人のテロ容疑者を射殺,2人を逮捕。
9日 大統領,オーストラリア,パプア・ニューギニアを訪問(~11日)。10日,豪連邦議会で演説し,両国間の協力促進を呼びかけ。
10日 国営電力会社PLN,地熱発電6プロジェクトを民間企業に移管すると発表。
17日 バクリ・グループの投資会社と西ヌサトゥンガラ州政府のコンソーシアムが,ニューモント社の株式7%を取得。
25日 憲法裁,ポルノ法に対する違憲審査請求裁判で,同法を合憲とする判断を示す。
27日 最大のイスラーム組織ナフダトゥール・ウラマ(NU)の新議長にサイド・アキル・シラジが選出される。
30日 大蔵省租税総局の職員ガユス・タンブナンが脱税斡旋・汚職事件の容疑者としてシンガポールで拘束される。
  4月
1日 政府,産業用ガスを15%値上げ。
1日 改正付加価値税・奢侈税法が発効。これによりイスラーム金融の二重課税問題が解決。
5日 ASEAN・中国FTAを協議するインドネシア・中国委員会が開催され,特定分野に対する措置を講じることで合意。
8日 闘争民主党,全国大会でメガワティ・スカルノプトリ党首の再任を決定。
8日 大統領,第16回ASEAN首脳会議に出席するため,ベトナムを訪問(~9日)。
8日 最高検,ガユスから賄賂を受け取っていた2人の元最高検幹部を停職処分に。
14日 北ジャカルタ・コジャ地区の墓地の土地収用をめぐり自治警察と地元住民が衝突。
14日 ジャカルタで20カ国が参加するアジア太平洋官民連携インフラ閣僚会議開催。
15日 工業省産業技術研究開発庁(BPPI),年内に9部門58品目にインドネシア国家規格(SNI)の取得を義務づけると発表。
19日 バリ州タンパクシリン宮殿で経済政策を討議する拡大閣僚会議,開催。
19日 憲法裁,宗教悪用・冒涜防止法は信教の自由に反せず,合憲と判断。
23日 汚職裁,アフマド・スジュディ元保健相に対して禁固2年3カ月の実刑判決。
23日 政府,第3次1万5000MWの発電所建設計画を発表。
26日 警察,福祉正義党の国会議員ムハマド・ミスバクフンをセンチュリー銀行の偽造L/C発行疑惑事件の容疑者として逮捕。
29日 汚職撲滅委員会,センチュリー銀行事件に関して副大統領と蔵相から事情聴取。
  5月
1日 10年ごとの全国国勢調査が始まる。
5日 ロバート・ゼーリック世銀総裁,スリ蔵相の世銀専務理事任命を発表。これをうけ,蔵相も辞任を発表。大統領,辞表を受理。
7日 連立与党6政党間の調整機関として共同事務局が設置され,アブリザル・バクリ・ゴルカル党党首が常任代表に就任。
7日 警察,ガユス事件の裁判を担当していたタンゲラン地裁判事を収賄容疑で逮捕。
10日 警察,ススノ前刑事局長を担当事件容疑者からの収賄などの容疑で逮捕。
12日 警察テロ対策チーム,13日にかけてジャワ島各地でアチェの武装テロ訓練施設に関与していたテロ容疑者11人を逮捕。
17日 大統領,シンガポール,マレーシアを訪問(~19日)。マレーシアでは,18日,出稼ぎ労働者の労働条件改善策に合意。
20日 大統領,スリ蔵相の後任にアグス・マルトワルドヨ・マンディリ銀行頭取を任命。
20日 大統領,国家経済委員会(KEN)と国家イノベーション委員会(KIN)を設置。
23日 民主主義者党,アナス・ウルバニングルム副党首を新党首に選出。ユドヨノは党最高諮問会議議長に就任。
25日 政府,投資規制分野(ネガティブリスト)を改正する大統領令2010年第36号を発布,即日実施。外資参入規制を一部緩和。
26日 大統領,気候と森林に関するオスロ会議出席のためノルウェーを訪問(~28日)。
31日 パレスチナ・ガザ地区に向かう民間人道支援団体の船がイスラエル軍に襲撃され,インドネシア人12人が拘束される。
  6月
3日 自由アチェ運動(GAM)の元最高指導者ハッサン・ティロ,アチェの病院で死去。
3日 ジャカルタ特別州議会,自動車保有に対する累進課税と娯楽施設に対する地方税の引き上げを可決(2011年1月1日より実施)。
16日 中銀,資本管理強化と金融市場発展促進のための6つの政策パッケージを発表。
20日 福祉正義党,ルトゥフィ・ハサン・イシャクを新党首に選出。
21日 格付け会社ムーディーズ,インドネシアのソブリン格付けを「Ba2の安定的」から「Ba2のポジティブ」に変更。
23日 警察テロ対策チーム,大統領暗殺計画の主犯格アブドゥラ・スナタら3人のテロ容疑者を中ジャワ州で逮捕。
24日 大統領,G20トロント・サミットに出席するためカナダに出発。28日からはトルコ,サウジアラビアを訪問(~7月3日)。
25日 汚職撲滅委員会,ユスリル元司法・人権相を汚職事件の容疑者に指定。
  7月
1日 国営電力会社PLN,7年ぶりとなる電気基本料金の平均10%値上げを実施。
7日 創立100年を迎えた第2のイスラーム組織ムハマディヤ,全国大会を開催。ディン・シャムスディン現議長が再選される。
8日 パプア州各都市で,特別自治は失敗したとして独立を問う住民投票の実施を要求するデモが実施される。
21日 インドネシア総合株価指数(IHSG)が史上初の終値3000超え。
22日 来訪中のアメリカのゲーツ国防長官,段階的かつ限定的に陸軍特殊部隊と米軍の協力を再開していく意向を表明。
22日 国営電力会社PLN,電気料金の過剰引き上げに反発する産業界と交渉し,値上げ幅を18%以内とすることで合意。
22日 インドネシア証券取引所,バクリ・グループ傘下3企業を虚偽の財務報告で罰金処分。
30日 北スマトラ州と州内10県・市政府,アサハン・プロジェクトの日本からの完全移管と地方政府の資本参加を中央政府に要請。
  8月
5日 ボゴール宮殿で経済政策を討議する拡大閣僚会議,開催。
5日 汚職撲滅委員会,バクティアル・チャムシャ前社会相を汚職容疑で逮捕。
5日 警察官による自由パプア組織(OPM)活動家拷問の映像がネットに流出。
8日 イスラーム急進派組織が西ジャワ州ブカシのキリスト教会を襲撃し,20人が負傷。
9日 警察,アブバカル・バアシールをテロ訓練施設などへの関与の容疑で逮捕。
9日 国営インフラ・ファイナンス会社SMIと国際機関の共同出資によるインドネシア・インフラストラクチャー・ファイナンス社(IIF)が発足。
13日 領海侵犯のマレーシア漁船を拘束しようとした海洋漁業省監視船が,マレーシア海上保安庁によって拿捕される。
16日 大統領,国会・地方代表議会議員を前に独立記念日演説を行う。また,2011年度予算案を国会に提出。
18日 北スマトラ州メダンで,テロリスト18人による銀行強盗事件が発生。
18日 国家開発企画庁,投資調整庁,大蔵省が官民連携(PPP)事業の促進などで覚書に調印。
30日 インドネシア・シンガポール西部国境線画定条約が発効。
  9月
1日 大統領,ダルミン・ナスティオン中銀総裁代行を新総裁に任命。
2日 副大統領,運輸相とジャカルタ州知事,首都の渋滞解消のため自動車購入規制や交通インフラ整備などの協力に合意。
3日 中銀,預金準備率を5%から8%に引き上げ(11月より適用),銀行の預貸率を下限78%,上限100%に設定すると発表(2011年3月より適用)。
22日 北スマトラ州デリ・スルダン県の警察署を武装集団が襲撃し,警官3人が死亡。
22日 憲法裁,検察法に対する違憲審査請求で,現検事総長の任命を違法と判断。大統領は,24日にヘンダルマン検事総長を解任。
25日 インドネシア商工会議所(KADIN)新会頭にブミ・リソーシズ社会長のスルヨ・バンバン・スリストが選出される。
25日 大統領,新国軍司令官にアグス・スハルトノ海軍参謀長を任命。
  10月
1日 西ジャワ州でイスラーム教宗派アフマディヤのモスクや信者宅が襲撃される。
5日 大統領,南マルク共和国運動家らがオランダで大統領を人権侵害で提訴したことをうけ,オランダ訪問を出発直前に中止。
8日 最高裁,汚職撲滅委員会副委員長ビビットとチャンドラの職権乱用疑惑事件を公訴中止とする最高検決定を不当と判断。
9日 西パプア州ワシオルで大規模な土石流が発生し,110人以上が死亡。
13日 憲法裁,最高検の出版物発禁権限を定めた公共秩序攪乱出版物保全法に違憲判決。
14日 東京で日本・インドネシア閣僚級経済協議が開催される。
17日 国軍兵士がパプア人男性を街頭で射殺する事件が発生。18日には,これに抗議するデモが暴徒化し,国軍兵士の住宅を襲撃。
17日 国軍兵士によるパプア人拷問映像がネットに流出。政府は関係者の処分を言明。
18日 インドネシア・中国国交60周年記念と中国・ASEANビジネス投資サミット参加のため,副大統領らが中国を訪問(~21日)。
18日 政府,国内在庫確保のため,タイとベトナムからコメ30万トンを輸入すると発表。
20日 第2期ユドヨノ政権発足1年を迎え,全国24都市で政権批判のデモが発生。
22日 大統領,新警察長官にティムール・プラドポを任命。
22日 汚職撲滅委員会,汚職容疑でシャムスル・アリフィン北スマトラ州知事を逮捕。
25日 大統領,中国を訪問(~26日)。両国政府,総額50億ドル,27案件の投資パートナーシップに関する覚書を締結。
25日 政府,国営クラカタウ製鉄の株式公開価格を1株850ルピアに決定。
26日 ジャワ島中部のムラピ山が噴火。12月中旬までの死者が386人にのぼる。
27日 西スマトラ州ムンタワイ島沖で地震による津波が発生,400人以上が死亡。大統領,ベトナムから緊急帰国。
29日 大統領,ASEAN関連首脳会議に出席のためベトナムを訪問(~31日)。
29日 最高検,ビビットとチャンドラ両汚職撲滅委員会副委員長の公訴を公益のために中止する特別権限を行使することを決定。
  11月
1日 オーストラリアのジュリア・ギラード首相,来訪。首脳会談で,包括的経済連携協定の締結に向けた交渉の開始に合意。
2日 中ジャカルタ地裁,センチュリー銀行との取引で偽造書類を使ったとして,ミスバクフン議員に禁固1年の有罪判決。
5日 脱税斡旋事件で拘留中のガユス被告,バリでのテニス観戦を報道される。これを許した拘置所職員ら9人が収賄の容疑者に。
9日 アメリカのオバマ大統領,来訪。大統領と包括的パートナーシップ推進で合意。
10日 中銀,3カ月物中銀証書SBIの入札を停止。
10日 国営クラカタウ製鉄の株式が公開され,初日にストップ高を記録。
11日 大統領,G20ソウル・サミット,横浜APEC首脳会議出席のため出発(~13日)。
12日 政府,600億円のサムライ債(利率1.6%,満期10年)を発行。
17日 サウジアラビアの出稼ぎインドネシア人家政婦に対する虐待事件が判明。
25日 国会,新汚職撲滅委員会委員長に司法委員会委員長のブシュロ・ムコダスを選出。
26日 大統領,新検事総長にバスリフ・アリフを任命。
  12月
2日 国会,司法委員会委員を選出。
9日 第3回バリ民主主義フォーラム開催。
13日 ジョグジャカルタ特別州法案で提案されている州知事直接選挙導入に反対する地元住民が州議会前で大規模な集会を開催。
16日 国会で政党法が可決成立。2008年政党法を改正し,政党設立の条件を厳格化。
17日 バンドン,スマラン,スラバヤに汚職裁判所が設置される。
27日 民族覚醒党ワヒド派,次期選挙参加を目指しワヒドの次女イェニを新党首に選出。
29日 中銀,23項目の金融政策パッケージを発表。
30日 ボゴール宮殿で開発戦略を討議する拡大閣僚会議,開催。

参考資料 インドネシア 2010年
①  国家機構図(2010年12月末現在)
②  第2次一致団結インドネシア内閣閣僚名簿(2010年12月末現在)
③  国軍関係主要名簿
④  国家機構主要名簿

主要統計 インドネシア 2010年
1  基礎統計
2  支出別国内総生産(名目価格)
3  産業別国内総生産(実質:2000年価格)
4  国・地域別貿易
5  国際収支
 
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