2011 Volume 2011 Pages 47-70
2010年の朝鮮民主主義人民共和国(本章では以下,「朝鮮」と略し,南北関係については「北側」とする)では,最高指導者金正日の後継者である金正恩(キム・ジョンウン)が9月から公の席に姿を現し,権力移譲の過程が始まったことが印象づけられた。
南北関係については,3月に西海で南側(韓国)の哨戒艦が沈没した事件に関して,北側の魚雷攻撃によると主張する南側と,事件に何の関係もないと主張する北側との対立が激化したうえに,11月に南側が軍事演習中の延坪島に北側が砲撃を加えるなど,緊張が走った。
経済については,食糧難などの厳しさは克服されたわけではないが,生活関連部門に力が入れられ,それなりの回復を続けた。
対外関係については,金正日の2度にわたる訪問などを通じて中国との関係強化が進められたが,アメリカとの関係改善は全く進むことがなかった。
朝鮮においては,金正日が朝鮮労働党では中央委員会総秘書(総書記)および中央軍事委員会委員長として,国家機関では国防委員会委員長として,そして人民軍では最高司令官として最高の地位にある。国防委員会委員長の地位は2009年4月9日の憲法改正で,「最高軍事機関」としての国防委員会のみならず,「最高領導者」として「国家の全般的事業」を指導するものとなった。
2010年には,国会に相当する最高人民会議が4月9日と6月7日に開かれた。4月9日の第12期第2次会議では主に国家予算に関する報告と討論が行われ,また,司法・検察機関に関して中央裁判所と中央検察所をそれぞれ最高裁判所,最高検察所に名称を変更する憲法改正があっただけで,政治的変化はなかった。
これに対して,6月7日の第12期第3次会議では大きな人事異動があった。国防委員会では,同委員兼党行政部長で金正日の妹婿である張成沢が国防委員会副委員長に就任した。張成沢の昇格は,金正日自身の提案によるものであると発表されており,金正日の後継者である金正恩の後見役として国家機構上の地位を強化したものであった。内閣でも,総理が金英日から崔永林(前平壌市党責任秘書,元最高人民会議常任委員会書記長)に交代し,副総理が国家計画委員会委員長兼任の盧斗哲と財政相兼任の朴秀吉の2人を残して,郭範基,呉洙容,朴明善の3人が解任され,新たに姜能洙(前党中央委員会映画部部長兼国家映画委員会委員長),金洛姫(前黄海南道党責任秘書),李泰南(前平安南道党責任秘書),全夏哲(前党計画財政部副部長)が任命されたほか,機械工業相の趙秉柱が副総理兼機械工業相に,電子工業相の韓光福が副総理兼電子工業相に格上げされた。
新たな総理となった崔永林と新たな副総理の1人となった全夏哲の経歴には,錦繍山議事堂書記室責任書記という共通点があり,計画経済の外にある党経済の運営に関与した経験があると見られる。今回の内閣人事は党経済の資源を計画経済のなかに組み込もうとする意思が働いているものと考えられる。
党代表者会の開催党の最高指導機関である党大会は,そもそも1980年10月10~14日の党第6次大会で5年に1度開かれることになっていたが,これを最後に開かれていない。6カ月に1度以上開かれることになっていた党中央委員会全員会議も,1993年12月8日の第6期第21次会議からは開かれていなかった。このように党の最高機関はすでに定期的な活動を停止していたが,2010年には,党大会に代わる党代表者会と党中央委員会全員会議がようやく開催されるに至った。
党代表者会は本来,1956年4月23~28日の党第3次大会での規約改正によって規定されたもので,「党の路線と政策および戦略戦術に関する緊急な問題を討議し,自己の義務を果たしていない党中央委員,候補委員,準候補委員を召喚し,委員および候補委員,準候補委員の補欠選挙を行う」ものとされ,1958年3月3~6日と1966年10月5~12日の2度開催された。1980年の党第6次大会で定められた規約でも,党代表者会の機能は同様のものであったが,『朝鮮中央年鑑(1988)』(朝鮮中央通信社1988年)で,「党代表者会は党大会と同様の意義を持つ」(109ページ)と説明されるようになった。2010年6月23日に出された,「最高指導機関選挙のための党代表者会を9月上旬に招集する」との党中央委員会政治局決定はこの解釈にもとづくようである。
ところが,「9月上旬」に開催されるはずの党代表者会は,9月21日になってようやく28日に開催すると発表された。これは7月・8月の豪雨および9月1~2日の台風による被害のため,その復旧に各地の党幹部たちが当たらざるをえなくなったためであると見られる。
党代表者会の開催に先立って,9月23日に金正日の信頼が厚いといわれる姜錫柱外務省第一副相が副総理に昇格し,27日に軍事称号授与に関する人民軍最高司令官命令と李英浩総参謀長を次帥に昇格させる国防委員会決定が発表された。このうち最高司令官命令には,金正日の息子であり後継者である金正恩に大将の称号を授与することが含まれており,金正日から金正恩への権力移譲の過程が目に見える形で進むようになったことが印象づけられた。
9月28日の党代表者会では,金正日が党中央委員会総秘書に再任され,また,同日付の党中央委員会2010年9月全員会議決定として政治局,秘書局,党中央軍事委員会の構成等が発表された。金正日は政治局常務委員,政治局委員,党中央軍事委員会委員長に再任された。また,金正恩は党中央軍事委員会副委員長に就任した。
党中央軍事委員会の構成党中央委員会2010年9月全員会議決定によって組織された党中央軍事委員会は,先に述べたとおり,金正日が委員長に,金正恩が副委員長に就任したほか,もう1人の副委員長に李英浩(政治局常務委員・次帥)が就任した。李英浩は日常的には人民軍総参謀長として活動しているため,委員会そのものの主導権はほかに兼任する日常的な職位のない金正恩にあるといえる。
このほか16人の委員が就任したが,金永春(政治局委員・国防委員会副委員長・次帥)は人民武力部長として,金正閣(政治局候補委員・国防委員会委員・大将)は総政治局第一副局長として,鄭明道(大将)は海軍司令官として,李炳哲(大将)は空軍司令官として,崔富日(上将)は副総参謀長として,尹正麟(大将)は第963軍部隊指揮官として,それぞれ人民軍で日常的な職責を担っている。金元洪(大将)は保衛司令官,金明国(大将)は作戦局長,金永鉄(上将)は偵察総局総局長の職にあることは韓国側に把握されており(聯合ニュース[韓国]2005年5月14日発,『中央日報』[韓国]2007年5月21日付および2010年2月18日付),また,崔富日(上将),崔相麗(上将)と崔京星(上将)も職位はこれまでのところ知られていないが,いずれも人民軍内で何らかの日常的な責任ある地位にあるものと見られる。
そして,委員の1人に就任した禹東惻(政治局候補委員・国防委員会委員・大将)は政治警察の機能を持つ国家安全保衛部の第一副部長であるが,同部は部長が空席であるため,実際には国家安全保衛部のトップである。同じく金京玉(大将)は党組織指導部の第一副部長であり,日常的には同部で軍隊を担当していることがわかる。同じく朱奎昌(政治局候補委員・国防委員会委員)は日常的には党機械工業部長として軍需経済を担当している。また,金正日に個人的に近い関係であることが知られている崔龍海(政治局候補委員・大将)は日常的には党中央委員会の秘書であり,同様に張成沢(政治局候補委員・国防委員会副委員長)も日常的には党行政部長である。
一方,警察業務を含む内務機関である人民保安部のトップで国防委員会委員の朱祥誠(大将)は,党政治局委員には就任したが,党中央軍事委員会には入らなかった。なお,人民保安部は2010年3月までは内閣の人民保安省であったが,4月に国防委員会直属の人民保安部に格上げされ,人民保安省傘下にあった人民警備隊も人民内務軍にその名称を変更していた。これは,人民保安部とその下の人民内務軍は,金正恩の管理下には入れられず,金正日の直接管理下に置かれたことを意味する。
行政区画の変更2010年には,2つの道(日本の県に相当)級の市が復活し,平壌市の領域が削減されるという行政区画の変更が行われた。そのうち羅先市の場合,そもそも,1991年12月28日に咸鏡北道の羅津市と先鋒郡に経済特区が設置され,1993年9月に羅津市と先鋒郡を統合して中央直轄の羅津・先鋒市とされ,2000年8月に羅先市となるとともに,中央直轄から咸鏡北道に移管されたものであった。これが2010年1月4日の最高人民会議常任委員会政令によって特別市とされ,再び中央直轄となった。
同じころ,南浦市も中央直轄への移管が行われたが,領域にも変更が加えられた。南浦市はそもそも1979年12月に,平安南道の南浦市,大安市,龍岡郡が統合されて中央直轄に移管されたものであった。直轄市の南浦市は1983年3月の区画改編で,港口区域,千里馬区域,大安区域,江西区域,臥牛島区域の5区域と龍岡郡で構成されるようになった。これが,2004年1月9日の最高人民会議常任委員会政令によって,南浦市から江西区域,大安区域,龍岡郡が分離され,江西区域が江西郡に,大安区域が大安郡,千里馬区域が千里馬郡になって龍岡郡とともにそれぞれ平安南道に所属するようになった。小さくなった南浦市は同時に「特級市」とされたが,その港口区域と臥牛島区域は廃止された。そして南浦市はまもなく平安南道に所属するようになった。しかし,2010年1月には港口区域と臥牛島区域が復活し,江西郡,大安郡,千里馬郡もそれぞれ江西区域,大安区域,千里馬区域として,そして龍岡郡も南浦市に復帰して南浦市が元の直轄市の領域を回復するとともに中央直轄に戻った。のみならず,南浦市はさらに平安南道の温泉郡を統合してさらに拡大した。
平壌では中央直轄ということには変更がなかったものの,領域に変更があった。2010年4月に平壌市の勝湖区域が勝湖郡となって黄海北道に所属するようになったこと,中和郡も平壌市から離れて黄海北道に所属するようになったことが明らかになり,7月には祥原郡と江南郡も平壌市から離れて黄海北道に所属するようになったことが明らかになった。
こうした行政区画の変更がどのような意図で行われたのかは,これまでのところ発表されていない。しかし,このことによって,地方行政機関のみならず,地方党機関も変更があるはずであり,今後の地域の開発や労働力の配分に大きな影響を与えることになろう。
南北関係の緊張と哨戒艦沈没事件韓国側との関係すなわち南北関係は,1991年12月13日に調印された「北南間の和解と不可侵および協力交流に関する合意書」によって,「国と国との関係ではなく統一を指向する過程で暫定的に形成される特殊な関係」とされている。南北関係改善の象徴的な事業としては,金剛山および開城の観光事業,開城工業地区での経済協力事業があるが,観光事業は2008年に中断されたままであり,経済協力事業もその継続が危ぶまれる状況が続いている。開城工業地区での経済協力事業については,2010年1月19~21日,2月1日と2度の実務接触が行われたが,状況は改善しなかった。観光再開についても,2月8日に実務接触が行われたが,再開には至らなかった。
北側の党と軍隊は関係改善に熱心ではない李明博政権に強い不満を持っていた。李明博政権は,朝鮮西海(黄海)での境界線問題に関しても対話をしようとせず,また,非政府団体が軍事境界線付近で風船を使って北側にビラなどを撒布する行為を続けていることに対してもそのままにしておいた。2010年1月1日に南側の団体「対北ビラ撒布国民連合」が臨津閣でビラを北側に向かって撒布すると,人民軍側は13日に,軍事実務会談北側代表団団長の通知文を南側に送り,軍事境界線付近での宣伝活動と心理戦の中止を定めた南北合意に違反していると強く抗議した。また,同13日,韓国の『文化日報』が,韓国政府が北側の「急変事態」を支援しようとする計画「復興」を作成していたことを報じると,15日,北側は国防委員会声明でこの計画を非難し,「民族挙げての聖戦を開始するであろう」と言明した。さらに,20日に南側の金泰栄国防部長官が,北側の核攻撃の「兆候」があれば「先制攻撃」を行うと発言したが,これに対して北側の人民軍総参謀部は24日,これを「宣戦布告」と見なすという声明を発表した。そして,2月8日,北側の人民保安省と国家安全保衛部は連合声明を出し,南側の国家情報院,機務司令部,国防部,統一部,外交通商部による「反平和的な策動」に「全面的な強力措置」をとると発表したが,これは韓国政府と非政府団体が自分たちの体制転覆を狙った行動を開始したとの朝鮮労働党の認識を示したものであった。
3月8~18日,韓国軍が米軍とともに恒例の合同軍事演習「キーリゾルブ」「トクスリ」を実施したが,これに対して,人民軍は8日の最高司令部報道で,人民軍全将兵,人民警備隊(現人民内務軍),労農赤衛隊(現労農赤衛軍),赤い青年近衛隊隊員に対して「高度の射撃準備完了状態」の維持を命令した。26日,西海の白翎島南西約2.5キロメートル地点で韓国海軍の哨戒艦「天安号」が沈没し,5月20日,韓国側の主導による国際軍民合同調査団がこの原因を北側の魚雷攻撃によるとの調査結果を発表したことで,南北の緊張はさらに高まることになった。北側はその日のうちに国防委員会の声明を発表して,合同調査団の調査結果を非難するとともに,根拠とされている物証を確認するための「国防委員会検閲団」を南側に派遣すると述べた。しかし,この「検閲団」提案は翌21日,南側によって拒否された。28日,国防委員会政策局は記者会見を開き,合同調査団の組織構成と調査結果を非難したうえ,合同調査団が提示した物証に対する具体的な反論を展開した。そのなかのひとつに,マジックで「1番」という文字が書かれた残骸物について,「われわれは武装装備に機械で番号を刻んでいる」という発言がなされた。また,31日にロシア海軍の専門家チームがソウルに入り,6月7日まで調査を行ったが,8日のロシア・インターファックス通信はこのチームが北側による犯行との確証を得ることができなかったと報じた。国連安保理は7月9日,議長声明を発表し,哨戒艦事件を「攻撃」によるものとしたが,ただし攻撃を行った国名には言及しなかった。一方,ロシア専門家チームの調査結果は公式発表されなかったが,チームの報告書がリークされて『ハンギョレ新聞』(韓国)7月27日付に発表された。これによると,天安号の爆発は「外部の非接触水中爆発」によるものだが,魚雷ではなく機雷の爆発である可能性が高いとの結論であった。
ただし,撃沈説が力を失ったわけではなかった。5月13日に,海軍出身の国防委員会委員兼人民武力部第一副部長の金一哲が「高齢(80歳)」を理由に突然解任された。しかし,その後,6月7日に就任した副総理のうち姜能洙は就任当時80歳,全夏哲は82歳,また,国防委員会第一副委員長の趙明録(次帥,11月6日死去)は金一哲解任当時81歳,副委員長の李用茂(次帥)は85歳であり,80歳が必ずしも高齢とはいえなかった。そのため,この解任劇が事件の責任をとらされたものという見方も成立しないわけではない。また,『中央日報』(韓国)11月27日付は,後述する延坪島砲撃で人民軍が発射したロケット砲弾下段推進体の残骸に手書きの番号があったことをその写真とともに発表した。それは,人民軍でも手書きで装備に番号を記入する場合があることを示しており,5月28日の国防委員会記者会見における反論の一部を否定するものであった。
延坪島砲撃事件南側は哨戒艦沈没事件に対する対応措置として,5月24日,軍事境界線付近での宣伝スピーカー設置などの心理戦を再開するとともに,軍事演習を強化することを発表した。これに対して,北側は25日,将領級軍事会談北側代表団団長による通知文で,スピーカーが設置されるごとに照準撃破射撃で除去すると警告した。韓国軍はこの警告を無視して設置作業を実施し,6月9日,2箇所での設置完了を発表した。6月12日,人民軍は総参謀部重大発表として,スピーカーの設置が「特大型挑発行為」「直接的な宣戦布告」だと非難,「軍事的打撃行動」に入ると警告した。また,人民軍は南側の演習強化に対しても,7月14日の国防委員会の声明を通じて,「強力な核抑止力で堂々と立ち向かう」と警告した。
韓国軍は,7月25~28日に東海で韓米合同演習「不屈の意志」,8月5~9日に西海で対潜水艦大規模演習,8月16~26日に韓米合同演習「乙支フリーダムガーディアン」,9月27日~10月1日に西海で韓米合同の対潜水艦演習を続けざまに実施したが,人民軍は対応措置を自制した。それは,米軍が6月26日に人民軍に対して,天安号事件に関する「調査結果」を説明するとの通知文を送り,対話の姿勢を示したためであろう。7月15日に,板門店で朝米軍部大佐級実務接触が開始された。またアメリカ政府は,北側の洪水被害に対する75億ドルの人道援助を実施することを9月1日に発表し,韓国側も13日,コメ5000トンとセメント1万トンなど計100億ウォン相当の水害支援を行うと発表した。
しかし,好転しつつあった状況も束の間のことであった。10月19日に北側は,南側に対して「軍事的な懸案」を話し合うための実務会談を22日に開催することを提起した。南側は提案での開催日を過ぎた後の29日になって,「北側の立場と態度が変わらない状況では会談をする意味がない」との拒否回答を示した。一方,人民軍側の「検閲団」提案に対して「将領級会談」開催を提案することで妥協点を見出そうとした米軍も対話を諦め,10月27日には朝米間の実務接触も決裂した。10月30日~11月5日に離散家族再会が実現したものの,もはや人民軍に自制を求めることは難しくなっていた。11月22日,韓国軍は首都圏と京畿道,江原道,西海上の陸海空軍共同演習「護国訓練」に入った。23日朝,人民軍はこの演習に抗議するとともに,延坪島一帯での砲射撃を中止することを要求する電話通知文を韓国軍側に送った。しかし,韓国軍としては,延坪島での砲射撃訓練の範囲は自身が境界線としている北方限界線から自領域側であるため,北側の抗議に耳を貸すつもりはなく,また,こうした訓練は従来から行ってきたものであったため,北側の要求を本気にすることもなかった。これに対して,人民軍としては南側の言う北方限界線を境界線として認定したことはなく,当該地域は自身が境界線としている海上軍事境界線から自領域側であり,そこで韓国軍が砲射撃をすることは許されなかった。
延坪島の韓国海兵隊部隊は11月23日10時15分に演習に入り,13時に西海での砲射撃を実施した。射撃は南西方向になされたが,人民軍が設定した海上軍事境界線では延坪島南西に韓国軍側の水路はあるものの,それ以外は人民軍側の領域であった。韓国側の発表によれば,13時34分に人民軍が延坪島に向けて砲撃を加え,韓国軍もこれに対抗射撃を行った。15時41分に交戦は終了したが,南側には民間人を含む死傷者が出た。(北側は27日付の朝鮮中央通信社論評で「民間人の死傷者が発生したことが事実であるなら,きわめて遺憾なこと」と発表した)。
韓国政府は11月23日のうちに南北の赤十字会談を無期延期すると発表,翌24日に水害支援の中断も発表した。そして,韓国軍は28日から12月1日にかけて米軍と西海で合同演習を実施したが,これには米軍空母「ジョージ・ワシントン」も参加した。続いて,韓国軍は6~12日,西海での射撃演習を実施した。この段階では延坪島の射撃は演習に含まれなかったが,続けて行われる13~27日の演習にこれが含まれることになった。これに対して,北側は,朝鮮中央通信5日発で発表したように「高度の冷静と自制」を維持することにし,20日の人民軍最高司令部報道では,延坪島での射撃を含んだ韓国軍の演習に関しても「卑怯者の幼稚な火遊びにすぎない」「いちいち対応する価値はない」と評するにとどまった。一方,勢いづいた韓国軍は27~31日に東海,西海,南海の23箇所で海上射撃演習を実施したが,北側はコメントすら発表しなかった。このように人民軍が静かになったのは,後述するように,中国がアメリカや韓国との積極的な外交活動に入ったためであろう。
4月9日に開かれた最高人民会議第12期第2次会議では,朴秀吉副総理兼財政相によって国家予算報告がなされた。ただし,国家予算報告は2005年実績以降,金額が公表されておらず,今回も発表されなかった。また,2009年末に行われた貨幣交換に関しても言及がなく,増加率などの数値に物価調整が施されたのかどうかも不明である。公表されたところでは,2009年収入実績が計画の101.7%執行,支出実績が計画の99.8%執行であった。予算計画では収入と支出は同額になるよう策定されるため,予算計画の収入金額(=支出金額)の1.9%相当が黒字を出すことができたことがわかる。黒字の決算は2008年から続いており,国家予算が健全に運営される体質ができたといえよう。
規模に関しても,2009年収入実績は7%増と発表され,支出実績については,計画段階で7%増であったことから,計画の執行率を乗じると6.8%増であったことが算出される。2009年収入実績については,項目に関する数値はいっさい発表されず,支出実績については,基本建設が8.6%増,科学技術が7.2%増であったこと,国防費が支出総額の15.8%であったことが発表されただけである。
2010年予算計画に関しては,収入は6.3%増,支出は8.3%増であり,いずれも2009年実績と同水準の経済成長を見越したものであった。2010年収入計画の項目については,国家企業利得金(法人税に相当)7.7%増,協同団体利得金4.2%増,固定財産減価償却金2.5%増,不動産使用料収入2%増,社会保険料収入1.9%増と発表され,収入総額で大部分のシェアを占める国家企業利得金の伸びが収入全体の伸びを主導することが予定されていることがわかる。2010年支出計画の項目については,軽工業10.1%増,農業9.4%増,金属・電力・石炭・鉄道運輸の4大先行部門7.3%増,科学技術8.5%増,人民的施策6.2%増とされ,また,国防費に支出総額の15.8%を充てると発表されている。とくに,軽工業と農業の増加率が高いのは,人民生活向上に重点を置いた党の政策が反映されたためであるといえる。
貨幣交換の影響と物価2009年11月30日~12月6日に実施された貨幣交換は,新貨幣を旧貨幣の100分の1の金額で交換するが,12月からの給料は旧貨幣のときと同じ金額で支払うというものであった。それとともに提示された新価格表によって,旧貨幣を新貨幣に交換した分は0.4~0.5倍にその価値が下がる一方,新貨幣で受け取った給料は40~50倍にその価値が上がるというものであった(『アジア動向年報2010』参照)。ただし,この実質賃上げ効果の持続性は,商品供給が円滑に行われるかどうかにかかっていた。
平壌での商品供給の例としては,在日朝鮮人紙『朝鮮新報』朝鮮語版2010年1月3日付で,第一百貨店で2009年12月22日から1週間の間に440品種,400万個の商品が供給されたこと,以前5000~7000ウォンであった毛布が1500ウォンで売られていること,1月1日だけで国産テレビが155台,毛布が550枚売れたことが報じられている。また,同紙日本語版1月27日付の記事では,国産テレビが駅前百貨店で1月1日からの1週間だけで1000台売れたことが報じられている。とくに,テレビの供給はこれまでのテレビが更新時期に入っているという事情があり,人々はテレビに関して貨幣交換による実質賃上げの恩恵を被ったようである。
しかし,テレビ以外の商品については新たな供給が遅れ気味であった。『朝鮮新報』日本語版2月26日付の記事には,貨幣交換以後,価格調整が「たびたび行われた」とあり,商品供給が軌道に乗るのが旧正月(2月14日)前になったことがうかがわれる。実際,『労働新聞』などには1月の間に商店の活動に言及した記事が見当たらず,その間,流通・商業活動が沈滞して人々の生活はかなりの不便を強いられたようである。
貨幣交換の目的のひとつである物価抑制については,こうした商品供給の状況とともに食糧生産の状況もマイナスに働いたようである。7月21~22日の豪雨によって全国的に5560余世帯の住宅と350余棟の公共建物,生産建物が破壊あるいは浸水,1万4850余ヘクタールの農耕地が浸水,埋没,流失するほどの被害があり(朝鮮中央通信7月23日発および8月5日発),8月19~20日の中国東北での豪雨と21日からの水豊湖周辺地域での豪雨によって新義州・義州一帯で7100余棟,7750余所帯の住宅が全半壊もしくは浸水,7200余ヘクタールの耕地冠水などの被害があり(朝鮮中央通信8月21日発および26日発,『労働新聞』8月23日付),さらに,9月1日の台風7号によって黄海南道で少なからぬ被害があったことが報じられている。これらの被害は当然,食糧生産に反映することになる。
食糧事情と物価に関しては,政府の求めに応じて9月21日~10月2日に現地調査を行った国連食糧農業機構・世界食糧計画(FAO/WFP)代表団の報告書に数値が示されている(“FAO/WFP Crop and Food Security Assessment Mission to the Democratic People's Republic of Korea”2010年11月16日付)。これによると2010/11穀物年度(11~10月)の穀物生産が533万3000トンで,2009/10穀物年度の517万トンを上回る見込みであるが,それでも86万7000トンを海外から調達しなければならず,そのうち54万2000トンが満たされていない。また,国家の穀物供給機関において1キログラム当たり24ウォンで販売されているコメが,平壌の統一市場において1000ウォンで販売されていたという情報も紹介されている。
コメの国家販売価格と市場価格との価格差をそのまま物価全体の状況であると考えるのは早計である。それは穀物に関して消費者には国家の販売で買う分と市場で買う分があるためである。FAO/WFPの報告によれば,2009/10穀物年度に1人当たり年間穀物需要量209キログラムに対して国家による供給量は136キログラムであった。したがって,消費者の購入する穀物に関する国家価格の分と市場価格の分の比は,136対73であることがわかる。ここで1年間の穀物需要209キログラムを消費者がすべてコメで購入すると仮定するならば,国家価格の分と市場価格の分の合計7万6264ウォンとなるが,これに対して209キログラムを国家価格だけで計算すると5016ウォンとなる。したがって,消費者が国家価格と市場価格の両方でコメを購入する金額は,国家価格だけで購入する場合の15.2倍であると算出される。一方,貨幣交換前のコメの国家販売価格は1キログラム当たり44ウォンであったが,こちらを基準にしても,8.3倍となる。このようにコメの値段から見ると,貨幣交換で国家の計画機関が予定していたよりも物価は8.3~15.2倍に上昇したと推定することができる。
経済建設での成果内閣は2010年第1四半期の工業総生産額が前年同期に比べて16%増,上半期では11%増であったと発表している(『民主朝鮮』2010年4月21日付および7月17日付)。増加率の高さから見て,工業生産については,貨幣交換に伴う流通・商業活動の沈滞が大きな影響を及ぼすことはなかったといえる。ただし,下半期以降は工業総生産に関する発表がなく,7~8月の水害復興などに資源が回されるようになったため,計画どおりの増加率を達成できなかった模様である。
主な経済施設の建設では,2010年上半期では2月9日に2・8ビナロン連合企業所が16年ぶりに化学繊維生産を再開したこと,4月29日に南興青年化学連合企業所で無煙炭ガス化による肥料生産工程が操業したこと,6月30日に平安北道の大渓島干拓地が竣工したことなどが成果として挙げられる。下半期でも,8月に礼城江発電所の2号発電所と6号発電所が操業したほか,「主体鉄」というコークスを使わない鉄の生産工程が,2009年の城津製鋼連合企業所,千里馬製鋼連合企業所保山製鉄所に続き,金策製鉄連合企業所で完成したことが10月7日の朝鮮中央通信で報道されている。
このほか,インフラ建設の資金を海外に求める新たな動きも出てきた。2010年1月20日,平壌の羊角島国際ホテルで大豊国際投資グループの第1次理事会が開催され,国防委員会委員長命令「大豊国際投資グループの活動を保障することについて」と国防委員会決定「国家開発銀行を設立することについて」および同「大豊国際投資グループ調整委員会を設立することについて」が伝達され,グループの理事長に朝鮮アジア太平洋平和委員会の金養健委員長,常任副理事長兼総裁に在中朝鮮人の朴哲洙が選出された。このグループは,大規模対外経済協力事業を「国家予算とは完全に独立したプロジェクト」で実施するものであり,具体的には,(1)当面10年で食糧,鉄道,道路,港湾,電力,エネルギーの6種の事業を実施し,当面5年内に平壌=新義州,平壌=元山=羅先,平壌=開城,恵山=金策の鉄道と道路を整備する,(2)5年,10年に分けて新たな電力生産基地と送電網を建設する,(3)国際投資法に従って開発プロジェクトに投資する25社を設立する,と発表された(『朝鮮新報』朝鮮語版3月2日付)。ただし,具体的なプロジェクトの実施については報じられていない。
2010年は中国人民志願軍の朝鮮参戦60周年に当たり,朝中間での交流が盛んであった。とくに10月25日には,平壌で中国人民志願軍参戦60周年記念群衆大会が開かれ,金正日も出席し,中国中央軍事委員会副主席の郭伯雄上将,元中国人民志願軍空軍司令官の王海らも招かれた。また金正日は,5月3~7日と8月26~30日の2度にわたり中国を訪問し,中国側の現指導部の人士とともに次期指導部に入るべき人士たちとの関係を強化した。
中国は,6者会談(朝,中,米,ロ,韓,日の6カ国協議)に朝鮮を引き戻し,協議を再開させるための努力を続けた。8月16~18日,中国の武大偉朝鮮半島問題特別代表が来訪し,朝鮮労働党の金永日国際部長や朴義春外務相らと会談して,6者会談再開などについて意見の一致を見た。27日,金正日も中国長春市で胡錦濤国家主席と会談した際,中国側の外交努力を高く評価する発言を行った。11月23日に延坪島砲撃事件が起こると,中国は「平和と安定」を強調して事態の沈静化に努めた。中国にとっては米軍と韓国軍による演習が強化されていることが大きな懸念となっており,軍事的に強い関係を持つ朝鮮の立場を尊重する必要があった。
中国は事件発生後,6者会談再開を目指して外交活動を展開した。11月27~28日に中国の戴秉国国務委員がソウルを訪問するとともに,28日,武大偉特別代表が記者会見で6者会談首席代表による緊急会合の開催を提案した。同28日に戴秉国はアメリカのクリントン国務長官と電話で会談して対話を通じた解決を訴えた。12月8~9日,戴秉国は平壌を訪問して金正日と会談したうえで,16日,訪中しているアメリカ国務省のスタインバーグ副長官と会談した。こうした中国の外交努力と人民軍の自制によって延坪島事件のエスカレーションは避けられたといえよう。
ウラン濃縮施設の公開2010年4月6日にアメリカ国防総省が発表した「核態勢見直し」(NPR)では,朝鮮がイランとともに核不拡散体制を弱体化させ国際社会の安定に悪影響を与えているとされ,核先制攻撃の対象であることが明らかにされた。さらに,アメリカは前述のように韓国軍との合同演習の規模を拡大するようになった。これに対して,朝鮮はむしろ核関連の能力を見せつけることでアメリカを対話に引き出そうとする戦術で応じた。
11月2~6日に訪朝したアメリカのコリア経済研究所のプリチャード所長は寧辺の核施設を訪問し,実験用軽水炉が建設中であることを示された。9~13日に来訪したロスアラモス国立研究所のヘッカー元所長は,この軽水炉の建設場とともに完成したばかりのウラン濃縮施設を案内された。朝鮮側はこのようにアメリカ人に核施設の状況を公開するとともに対話を要求した。そして,朝鮮側は12月16~21日に訪朝したニューメキシコ州のビル・リチャードソン知事に対して,寧辺の核施設に国際原子力機関の監視要員を復帰させることや核兵器6~7個分に相当する1万2000本の核燃料棒を国外に搬出することに同意する意思を示した。ただし,その実施についてはオバマ政権が協議に応じるか否かにかかっている。
2011年1月1日,『労働新聞』『朝鮮人民軍』『青年前衛』共同社説「もう一度,軽工業と農業に拍車をかけ,人民生活に画期的な転換をもたらそう」が発表され,2010年に引き続き,「軽工業」「農業」といった生活関連の部門に力が入れられることが示された。また,社説の構成も2010年に引き続き,経済が最初に置かれ,続いて,軍事,思想,統一および対外政策について言及された。とくに,軍事についての記述のなかに「国防工業部門は今後も,最先端突破戦の先駆者,経済全般を牽引する機関車としての使命を立派に果たさなければならない」との文が入り,軍事経済の資源が内閣の計画経済に徐々に振り向けられていく考えが示された。また,統一問題については「対決状態を1日も早く解消しなければならない」,「対話と協力事業を積極的に推し進めなければならない」と述べられ,2011年に対話を進めようとする意思を見せている。
ただし,社説で対外経済についてほとんど語られなかったことは,大豊国際投資グループの組織などの努力にもかかわらず,海外からの資金調達が依然として難しい状況にあることを示している。また,後継者の役割や権力の移譲に関する記述も見られず,金正日から金正恩への権力移譲過程の進行はゆっくりとしたものになることがうかがわれる。対外政策に関しても,「自主,平和,親善」という理念が強調されたが,具体的な記述がなく,アメリカとの関係が好転するにはまだ時間がかかると党は認識している模様である。
(地域研究センター研究グループ長代理)
1月 | |
1日 | 『労働新聞』『朝鮮人民軍』『青年前衛』共同社説「党創建65周年を迎える今年,もう一度軽工業と農業に拍車をかけ,人民生活に画期的な転換をもたらそう」発表。 |
3日 | 朝鮮中央通信,金正日の煕川発電所建設場現地指導を報道。 |
4日 | 羅先市を特別市に指定。 |
4日 | 金正日,載寧鉱山を現地指導。 |
5日 | 朝鮮中央通信,金正日の人民軍第105戦車師団管下区分隊視察を報道。 |
6日 | 朝鮮中央通信,金正日の礼城江青年2号発電所建設場現地指導を報道。 |
10日 | 朝鮮中央通信,金正日の江東弱電器具工場現地指導を報道。 |
12日 | 朝鮮中央通信,金正日の人民軍第313大連合部隊豚工場現地指導を報道。 |
13日 | 姜能洙文化相解任,安東春が就任。 |
15日 | 朝鮮中央通信,金正日の人民軍第534軍部隊傘下10月7日豚工場現地指導を報道。 |
17日 | 朝鮮中央通信,金正日の人民軍陸海空軍協同訓練視察を報道。 |
20日 | 朝鮮中央通信,金正日の興南製錬所・興南大興水産企業所・西中水産事業所現地指導を報道。 |
20日 | 大豊国際投資グループ第1次理事会。 |
23日 | 朝鮮中央通信,金正日の法廷・中央裁判所庁舎現地指導を報道。 |
23日 | 金正日,平壌小麦粉加工工場・龍城食料工場を現地指導。 |
25日 | 朝鮮中央通信,金正日の人民軍第567大連合部隊豚工場現地指導を報道。 |
25日 | 朝鮮中央通信,金正日の北中機械連合企業所・楽元機械連合企業所現地指導を報道。 |
26日 | 朝鮮中央通信,金正日の9月製鉄総合企業所・徳峴鉱山現地指導を報道。 |
27日 | 朝鮮中央通信,金正日の平安北道道路視察を報道。 |
30日 | 朝鮮中央通信,金正日の香山ホテル現地指導を報道。 |
31日 | 朝鮮中央通信,金正日の人民軍第630大連合部隊指揮部視察を報道。 |
2月 | |
2日 | 朝鮮中央通信,金正日の金野郡原平大興水産事業所現地指導を報道。 |
6日 | 中国共産党対外連絡部の王家瑞部長,来訪(~9日),8日,咸興市で金正日会見。 |
7日 | 朝鮮中央通信,金正日の2・8ビナロン連合企業所現地指導を報道。 |
8日 | 人民保安省・国家安全保衛部連合声明,韓国側の国家情報院,機務司令部,国防部,統一部,外交通商部の「反平和的な策動」に「全面的な強力措置」をとると発表。 |
9日 | 朝鮮中央通信,金正日の2・8ビナロン連合企業所再訪問を報道。 |
20日 | 朝鮮中央通信,金正日の黄海製鉄連合企業所現地指導を報道。 |
22日 | 全国記者言論人大会。23日,金正日,大会参加者と記念撮影。 |
22日 | 全国農業大会(~26日)。 |
3月 | |
4日 | 朝鮮中央通信,金正日の金策製鉄連合企業所現地指導を報道。 |
6日 | 金正日,ビナロン工場竣工慶祝咸興群衆大会に出席。 |
10日 | 国家開発銀行第1次理事会。 |
10日 | 朝鮮中央通信,金正日の煕川市内工場現地指導を報道。 |
13日 | 朝鮮中央通信,金正日の沙里院市嵋谷協同農場現地指導を報道。 |
25日 | 朝鮮中央通信,金正日の天摩電気機械工場・大興山機械工場現地指導を報道。 |
26日 | 西海で韓国軍哨戒艦「天安号」沈没。 |
29日 | 金正日,新任の劉洪才駐朝中国大使と会見。 |
31日 | 先軍時代全国科学者・技術者大会。4月1日,金正日と記念撮影。 |
4月 | |
9日 | 最高人民会議第12期第2次会議。 |
12日 | 朝鮮中央通信,金正日の金日成総合大学電子図書館現地指導を報道。 |
13日 | 朝鮮中央通信,金正日の人民軍第567大連合部隊総合訓練視察を報道。 |
14日 | 人民軍最高司令官命令,人民軍指揮成員の軍事称号昇級。 |
17日 | 金正日,煕川発電所建設場を現地指導。 |
22日 | 朝鮮中央通信,金正日の凱旋青年公園参観を報道。 |
23日 | 人民軍最高司令官命令,尹正麟を大将に,金成徳を上将に昇級。 |
23日 | 名勝地総合開発指導局,金剛山観光地区の韓国側不動産の凍結,韓国政府資産の没収,管理要員の追放を発表。 |
24日 | 朝鮮中央通信,金正日の人民軍第115軍部隊訓練視察を報道。 |
25日 | 朝鮮中央通信,金正日の人民軍第586軍部隊指揮部訪問を報道。 |
29日 | 金永南最高人民会議常任委員会委員長,上海万博開会式のため訪中(~1日)。 |
5月 | |
3日 | 金正日,訪中(~7日)。 |
12日 | 『労働新聞』,核融合実験成功発表。 |
13日 | 国防委員会決定,金一哲国防委員会委員兼人民武力部第一副部長を解任。 |
16日 | 金正日,白頭山先軍青年発電所建設場を現地指導。 |
17日 | 朝鮮中央通信,金正日の白岩郡徳浦地区ジャガイモ農場建設場現地指導を報道。 |
17日 | 朝鮮中央通信,金正日の三池淵郡諸部門現地指導を報道。 |
18日 | 朝鮮中央通信,金正日の恵山市諸部門現地指導を報道。 |
18日 | 全国商業部門活動家会議。 |
19日 | 朝鮮中央通信,金正日の大紅湍郡現地指導を報道。 |
20日 | 朝鮮中央通信,金正日の冠帽峰機械工場現地指導を報道。 |
20日 | 朝鮮中央通信,金正日の漁郎川発電所建設場・清津兎種蓄場現地指導を報道。 |
20日 | 朝鮮中央通信,金正日の龍城機械連合企業所現地指導を報道。 |
20日 | 国防委員会,天安号沈没事件に関する合同調査団の調査結果を非難,「国防委員会検閲団」の派遣を発表。21日,韓国側が拒否。 |
25日 | 祖国平和統一委員会,北南関係の全面閉鎖,北南不可侵合意の全面破棄,北南協力事業の全面撤廃を宣布。 |
6月 | |
3日 | 朝鮮中央通信,金正日の「オ・ムンヒョンの機械工場」現地指導を報道。 |
5日 | 朝鮮中央通信,金正日の南興青年化学連合企業所ガス化工程現地指導を報道。 |
6日 | 金正日,大同江果樹総合農場を現地指導。 |
7日 | 最高人民会議第12期第3次会議。崔永林総理就任。 |
12日 | 人民軍総参謀部重大発表,韓国側が軍事境界線で心理戦用拡声器を設置していることを非難,「軍事的打撃行動」に入ると警告。 |
18日 | 朝鮮中央通信,金正日の楽元機械連合企業所現地指導を報道。 |
19日 | 朝鮮中央通信,金正日の人民軍第593軍部隊軍官講習所視察を報道。 |
19日 | 朝鮮中央通信,金正日の平安北道諸部門現地指導を報道。 |
23日 | 教育省を教育委員会に改編。 |
30日 | 大渓島干拓地竣工。 |
7月 | |
7日 | 朝鮮中央通信,金正日の元山軍民発電所建設場現地指導を報道。 |
7日 | 朝鮮中央通信,金正日の人民軍第534軍部隊傘下総合食料工場醤油漬生産工程現地指導を報道。 |
8日 | 合営投資局を合営投資委員会に改編。 |
15日 | 朝鮮中央通信,金正日の大渓島干拓地現地指導を報道。 |
15日 | 朝鮮中央通信,金正日の鴨緑江水産事業所蓄養場と牡蠣養殖場現地指導を報道。 |
20日 | 朴義春外務相,ハノイでの第17次ASEAN地域フォーラム(ARF)閣僚会議とジャカルタでのアジア太平洋地域特別閣僚会議に出発(~8月7日)。 |
21日 | 北部地域で水害(~22日)。 |
29日 | 朝中経済技術協力協定調印。 |
30日 | 朝鮮中央通信,金正日の慈江道諸工場現地指導を報道。 |
31日 | 朝鮮中央通信,金正日の江界市内軽工業工場現地指導を報道。 |
31日 | 朝鮮中央通信,金正日の煕川青年電気連合企業所現地指導を報道。 |
8月 | |
2日 | 朝鮮中央通信,金正日の2・8ビナロン連合企業所現地指導を報道。 |
3日 | 朝鮮中央通信,金正日の龍城機械連合企業所先軍鋳物工場・興南肥料連合企業所ガス化施設建設場現地指導を報道。 |
3日 | 朝鮮中央通信,金正日の咸鏡南道人民消費品展示会場視察を報道。 |
3日 | 人民軍前線西部地区司令部,韓国側の海上訓練に対して,「強力な物理的対応打撃で鎮圧する決議を採択した」と発表。 |
4日 | 朝鮮中央通信,金正日の金野江軍民発電所建設場現地指導を報道。 |
21日 | 新義州一帯で洪水。 |
24日 | 朝鮮中央通信,金正日の927鶏工場現地指導を報道。 |
25日 | 朝鮮中央通信,金正日の平壌穀産工場現地指導を報道。 |
25日 | アメリカのカーター元大統領,来訪(~27日)。 |
26日 | 金正日,訪中(~30日)。 |
9月 | |
1日 | 台風7号による被害発生(~2日)。 |
11日 | 朝鮮中央通信,金正日の3月5日青年鉱山現地指導を報道。 |
12日 | 朝鮮中央通信,金正日の満浦雲花工場現地指導を報道。 |
23日 | 姜錫柱外務省第一副相,副総理就任。 |
23日 | 金桂冠外務省副相,第一副相就任。 |
27日 | 人民軍最高司令官命令,金正恩らに大将授与。 |
28日 | 党代表者会。金正日総秘書再任。同日,党中央委員会2010年9月全員会議。金正恩党中央軍事委員会副委員長就任。 |
30日 | 党の崔泰福秘書,訪中(~10月2日)。 |
10月 | |
5日 | 朝鮮中央通信,金正日の人民軍第851軍部隊協同訓練視察を報道。金正恩同行。 |
8日 | 朝鮮中央通信,金正日の国立演劇劇場現地指導を報道。 |
8日 | 金正日,党創建65周年慶祝中央報告大会に出席。 |
8日 | 金正日,5月1日競技場で大集団体操・芸術公演「アリラン」を観覧。金正恩同席。 |
10日 | 金正日,党創建65周年記念閲兵式に出席,金正恩同席。 |
17日 | 朝鮮中央通信,金正日の玉流館料理専門食堂現地指導を報道。 |
19日 | 元中国人民志願軍空軍司令官の王海,来訪(~26日)。25日,金正日会見。 |
23日 | 中国中央軍事委員会副主席の郭伯雄上将,来訪(~26日)。25日,金正日会見。 |
25日 | 朝鮮中央通信,金正日の人民軍第10215軍部隊視察を報道。金正恩同行。 |
25日 | 金正日,中国人民志願軍参戦60周年記念群衆大会に出席。金正恩同席。 |
26日 | 金正日,桧倉郡の前中国人民志願軍司令部を訪問。金正恩同行。 |
28日 | ブラジルと経済技術協力協定調印。 |
11月 | |
1日 | 崔永林総理,訪中(~8日)。 |
2日 | アメリカのコリア経済研究所のプリチャード所長,来訪(~6日)。 |
3日 | 金正日,煕川発電所建設場を現地指導。金正恩同行。 |
9日 | アメリカ・スタンフォード大学のジョン・ルイス教授,ロスアラモス国立研究所のヘッカー元所長,来訪(~13日)。 |
12日 | 朝鮮中央通信,金正日の人民軍第3875軍部隊視察を報道。金正恩同行。 |
15日 | アメリカのセンチュリー財団のアブラモウィッツ上席研究員,来訪(~18日)。 |
17日 | 朝鮮中央通信,金正日の昌城郡内工場現地指導を報道。 |
21日 | 金正日,龍淵海岸養魚事業所と龍井養魚場を現地指導。金正恩同行。 |
21日 | 朝鮮中央通信,金正日の人民内務軍熱誠者大会参加者との会見を報道。金正恩同行。 |
22日 | 朝鮮中央通信,金正日の龍湖家鴨工場現地指導を報道。 |
23日 | 朝鮮中央通信,金正日の龍城食料工場醤油職場現地指導を報道。金正恩同行。 |
23日 | 金正日,金日成総合大学平壌医学大学を現地指導。金正恩同行。 |
23日 | 人民軍,韓国軍演習中の延坪島を砲撃。 |
24日 | 朝中保健医学科学協力協定調印。 |
24日 | 朝鮮中央通信,金正日の大安親善琉璃工場・江西薬水加工工場現地指導を報道。金正恩同行。 |
25日 | 朝鮮中央通信,金正日の解放山住宅・平壌舞踊大学現地指導を報道。 |
30日 | 朝鮮中央通信,金正日の龍城機械連合企業所分工場現地指導を報道。 |
12月 | |
1日 | 朝鮮中央通信,金正日の咸興市内軽工業工場現地指導を報道。 |
1日 | 朝鮮中央通信,金正日の咸興水利動力大学現地指導を報道。 |
1日 | 国家資源開発指導局,国家資源開発省に昇格。 |
2日 | 金正日,端川マグネシア工場・端川鉱山機械工場・端川港建設場を現地指導。 |
3日 | 朝鮮中央通信,金正日の茂山鉱山連合企業所・茂山食料工場現地指導を報道。 |
4日 | 朝鮮中央通信,金正日の会寧市諸部門事業現地指導を報道。 |
6日 | 朝鮮中央通信,金正日の金策製鉄連合企業所・羅南炭鉱機械連合企業所現地指導を報道。 |
8日 | 中国の戴秉国国務委員,来訪(~9日)。9日,金正日と会見。 |
10日 | 金正日,平壌市軽工業工場・普通江百貨店を現地指導。 |
11日 | 朝鮮中央通信,金正日の平壌小麦粉加工工場・船興食料工場・香満楼大衆食堂現地指導を報道。 |
11日 | 朴義春外務相,訪ロ(~16日)。 |
15日 | 朝鮮中央通信,金正日の人民軍第522軍部隊傘下大同江鰻工場現地指導を報道。 |
16日 | 朝鮮中央通信,金正日の人民軍第2670軍部隊視察を報道。金正恩同行。 |
16日 | アメリカ・ニューメキシコ州のビル・リチャードソン知事,来訪(~21日)。 |
21日 | 朝鮮中央通信,金正日の煕川蓮河機械総合工場現地指導を報道。金正恩同行。 |
22日 | 朝鮮中央通信,金正日の煕川青年電気連合企業所・煕川発電所建設場現地指導を報道。金正恩同行。 |
24日 | 金正日,党中央軍事委員会・国防委員会での最高司令官推戴19周年慶祝宴会に出席。金正恩同席。 |
31日 | 中国丹東で朝中鴨緑江橋建設着工。 |
31日 | 金正日,柳京守第105戦車師団の訓練を視察。 |