2012 Volume 2012 Pages 3-6
東日本大震災に伴うサプライチェーン混乱の影響を乗り越えて,世界経済は緩やかな回復基調を歩んだが,年末にかけて欧州財政危機が深刻化したことを受けて停滞の度を深めた。世界銀行が2012年1月24日に発表した推計によれば,2011年の世界経済成長率は3.8%にとどまったとみられ,リーマン・ショック後の混乱からの回復過程にあった2010年の5.2%に比べかなりの減速となった。2011年の世界経済減速では,先進国経済の成長率鈍化が目立った。ユーロ圏経済成長率は1.9%と伸び悩んだほか,回復傾向を見せていたアメリカ経済も成長率が1.8%に減速した。日本経済は東日本大震災に伴う混乱と円高の影響によりマイナス0.9%の成長と,大きく後退した。
世界経済の減速傾向が強まるなか,2011年のアジア途上国経済は7.9%と先進諸国を大きく上回る経済成長率を実現した。とくに,アジアの高い経済成長を主導した中国のGDP成長率は9.2%に達した。とはいえ,世界経済減速の影響は免れがたく,2011年のアジア経済の成長率は前年実績の9.5%よりスローダウンしたものとなった。 先進国との相互依存を深めているNIEsは先進国経済停滞の影響を強く受け,2011年の経済成長率は前年比半減の4.2%にとどまった。アジア諸国における2011年の経済成長率動向を概観すると,欧州債務危機の悪化とともに,年末にかけて成長率が鈍化する傾向が見て取れた。
成長鈍化のほか,アジア諸国の多くに共通した経済問題としては,物価高が挙げられる。モンゴル,ベトナム,パキスタン,ティモール・レステなど比較的低所得の国々においては物価上昇率が2桁に達した。このほか,中国,インド,香港,韓国など経済規模の大きな国・地域でも物価上昇は勢いを増し,当局は対策を迫られた。物価高を主導した要因はエネルギー価格と食糧価格の高騰であった。とくにエネルギー価格上昇はしばしばエネルギー需給の逼迫を随伴し,産業生産の阻害要因ともなった。物価高への対策として多くの国で取られたのが金融引き締めであった。韓国,中国,ベトナム,タイ,インドなど主要国においてインフレ抑制のため金利引き上げや預金準備率引き上げなどの措置が取られた。ただし,これらの金融引き締めは東日本大震災や欧州経済危機,タイの大洪水などによるダウンサイド・リスクの影響下で発動されたものであったため,各国の経済当局は難しい舵取りを迫られた。ベトナムのように金融引き締めが景気を冷やしすぎた事例もあった。
また,後述のように選挙をにらんだバラマキ的政策により財政支出増加要因が発生している国が散見され,今後の経済運営上の留意点となりそうである。韓国やマレーシアがその例といえる。多くの国が景気減速に直面した一方,天然資源に恵まれたいくつかの国は経済の失速を経験することなく高成長を維持した。インドネシアとティモール・レステがその例であろう。また,繊維・衣類産業では労賃高騰が進行する中国から南アジア方面へのシフトが進み,バングラデシュとパキスタンでは繊維製品の輸出が好調となった。とくにバングラデシュでは繊維輸出の好調がマクロ経済全体のかさ上げに貢献し,2011年の経済成長率が6.7%と過去20年間で最高の水準に達している。
輸出主導の経済構造をもつアジア諸国は,FTAによる自前の自由貿易ネットワークの構築を目指している。2011年にも各国はFTA締結を積極的に推進した。進展の見られた主要なFTA案件としては,韓国の対米FTAの批准と対EU FTAの発効,事実上の台中間FTAである経済協力枠組協定(ECFA)の発効,インドの対日・対マレーシアFTAの発効などが挙げられる。日本は現在,環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)への参加を考慮中であるが,アジアではTPPの原加盟国であるシンガポールとブルネイのほか,マレーシアとベトナムが加盟交渉を行っている。TPPに例外を求めたいとの声が根強く存在する日本の現状からすると,これらアジアのTPP先発国の動きは注目に値するものがあろう。
しかし,2011年にはアジア諸国の間で深まりゆく相互依存の輪の一部が大災害により欠けた場合の影響がどれほど深刻であるかが示された。東日本大震災は日本経済に大きな痛手を負わせただけではなく,日本からの部品・素材供給が滞ったことでNIEsをはじめとするアジア各国の工業生産と輸出に影響を与えた。また,タイの大洪水も同様の影響をアジア諸国に与えた。タイ所在の多くの工場が浸水して生産が滞り,2011年のタイ経済がゼロ成長の憂き目を見ただけではなく,近年同国が最終製品の輸出拠点あるいは部品供給拠点の役割を果たすに至っている関係で,アジア域内での工業生産も大きな影響を受けた。
一方,大災害発生時に被災国への支援が大規模かつ迅速に行われることも同時に示された。東日本大震災に際しては,台湾で200億円を超える義援金が寄せられたのをはじめとして,アジア各国で多くの義援金や物資が災害復旧のために拠出された。また,遭難者捜索を助けるための要員派遣などの人的支援も被災後速やかに行われた。
2011年の国内政治を見ると,いくつかの国では政権交代などの大きな変化があった。重要なものとしては,朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の金正日総書記死去と権力継承,ミャンマーの民政復帰とアウンサン・スーチーの政治活動再開,タイのインラック政権成立などが挙げられる。北朝鮮の権力継承は朝鮮半島情勢に少なからぬ影響を与えるものと見られるがまだ不明な点が多く,今後の推移が注目される。ミャンマーの劇的な民政復帰は同国の国際社会・経済への復帰を後押しすることとなり,その影響が注目される。ベトナムとラオスでは党大会が開かれたが,おおむね現状維持の方向が示された。タイのインラック首相はカンボジアと良好な関係にあるタクシン元首相の実妹で,同首相の就任によりこじれていたタイ・カンボジア間の国境紛争が一転収束の方向に向かった。また,シンガポールではこれまで長らく続いてきた与党人民行動党による議席独占が崩れる歴史的な状況が現出した。
2012年にはアジアの多くの国々で元首級選挙あるいは議会選挙が予定されている。2011年にはこれら選挙をにらんだ政党の集散離合が活発化したが,有権者向けのバラマキ政策の乱発なども散見された。2012年に国政級の重要選挙を控えた国・地域としては韓国,中国,香港,モンゴル,台湾,カンボジア,マレーシア,ティモール・レステなどがある。韓国では2012年の大統領と議会のダブル選挙をにらんで政党再編が本格化したが与野党ともに福祉拡大の公約を提示したため,財政への影響が懸念される。2012年の党大会を控える中国では習近平の総書記就任を見越した権力闘争も表面化してきている。総選挙を控えたマレーシアでは,深刻な財政赤字への対応策として新経済モデル(NEM)下で進められてきた財政改革が有権者の不評を恐れて進捗しなかった。
このほか,内戦・民族紛争などと関連しては,フィリピンでモロ・イスラーム解放戦線(MILF)との和平交渉が進展したほか,ティモール・レステとネパールでの国連の治安維持活動が終了し,現地に権限が委譲されている。ネパールでは長年の懸案であった国軍統合に関し,歴史的合意が成立した。
アメリカはイラクおよびアフガニスタンから手を引く一方,東アジアにシフトして中国との対決姿勢を鮮明にしている。パキスタン領内に潜伏していたウサーマ・ビン・ラーディンを米軍特殊部隊が殺害したが,このことは2001年以来の「テロと戦い」の区切りとなり,アフガニスタン駐留の米軍およびNATO軍の撤退を進める要因となった。一方,上記殺害事件はパキスタンの主権侵害の側面もあって米パ関係が悪化,ターリバーンの勢力拡大とあわせて地域安定のうえでの懸念材料となっている。
中国の海洋権益の主張は2011年にも続いた。南シナ海の南沙諸島(スプラトリー諸島)周辺海域では中国艦船によるフィリピンおよびベトナムの漁船への発砲や両国による石油探査活動への妨害などの事件が発生し,周辺諸国の警戒を呼び起こした。このほか,取り締まりに当たった韓国海洋警察官を中国漁船員が殺害して韓国の対中感情を悪化させた。これに対しアメリカは,韓国との間では防衛協力をはじめとする良好な関係を演出したほか,広域安全保障を論ずる場として性格を強めてきた東アジア首脳会議(EAS)に参加することで東南アジア諸国との防衛協力に注力しようとしている。
また,2011年にはASEANが経済協力のみならず,地域安全保障にも積極性を見せるようになったことが注目される。カンボジア・タイ国境画定での仲介のほか,2002年に中国とASEANの間で南シナ海での領有権紛争の平和的解決の重要性を確認した「南シナ海行動宣言」のガイドライン作成などの動きが見られた。これらの過程では,議長国であるインドネシアの熱心な取り組みが印象的であった。
(地域研究センター研究グループ長)