2012 Volume 2012 Pages 465-496
インド国民会議派(会議派)率いる統一進歩連合(UPA)政権は,反腐敗運動への対処に苦慮している。4月から5月にかけて行われた州議会選挙では会議派は健闘をみせたが,腐敗問題に加えて,原油価格の高騰による物価上昇は人々の不満を高めた。マンモーハン・シン政権は政権イメージの低下に対処するため7月に大規模な内閣改造を行ったが,11月の総合小売業へ外資の直接投資を51%まで認める決定では大きな反発を引き起こした。アーンドラ・プラデーシュ(AP)州テーランガーナー地域の新州設立運動は分離賛成派と反対派との調整がつかず決着の見通しは立っていない。治安面では極左武装組織による武装闘争の押さえ込みは一進一退を続けている。
経済に関しては,2011年はインドにとって高いインフレ率と減速する成長に直面した1年であった。インフレ率は2010年12月から2011年11月にかけて9%を超える水準で推移したが,金融引き締め政策が功を奏し,12月には7%台半ばまで低下した。他方,経済成長率は2008/09年度の世界的金融危機の後,回復過程にあったが,2011/12年度には当初の予想から大きく減速した。この背景として,インフレ率の高止まりとこれに対する断続的な金融引き締めが製造業をはじめとする国内生産活動にマイナスの影響を与えたことが指摘されている。
国際関係ではパキスタンとの関係改善に向けて再び動き出したことが特筆される。その象徴は11月にパキスタンがインドに最恵国待遇を与える決定を行ったことである。両国にはカシミール問題が横たわっており制約は大きいが,前向きなステップが踏み出されたことは地域の安全保障にとって着実な前進である。
UPAのシン政権は腐敗問題への取り組みに苦慮している。2010年の英連邦競技大会や,2008年の第2世代携帯電話周波数帯割当免許などにからむスキャンダルが2010年に相次いで政治問題化し,政権の汚点となった。とくに後者に関して2月2日にはドラヴィダ進歩連盟(DMK)所属で元通信・情報技術相のA・ラージャが中央捜査局(CBI)に逮捕され,4月25日にはタミル・ナードゥ(TN)州首相の娘で連邦上院議員のM・K・カニモジらが起訴される事態に発展した。相次ぐスキャンダルで野党の追及は厳しくなったが,最大野党のインド人民党(BJP)もカルナータカ州首相が腐敗の嫌疑で窮地に陥っていることもあって追及は迫力を欠いた。4月28日には野党BJPのM・M・ジョシーを委員長とする決算委員会の報告書草案審議でスキャンダルが糾弾されたが,21人中会議派所属の委員11人が草案を拒否するなど混乱が相次いだ。
シン政権は相次ぐスキャンダルや物価高騰に対する批判を受けて1月19日には小規模な内閣改造を行い,3人の大臣を新たに入閣させた。さらに連邦下院は,1998年から2009年までの通信ライセンス割り当ておよび不正行為を調査する両院合同委員会の設立を2月24日に決議した。
このような状況のなか,政権を追い詰めたのはアンナ・ハザーレーによる大衆運動の盛り上がりであった。ハザーレーはガンディー主義者の社会活動家で,1990年代からムンバイなどを中心に反腐敗運動を行ってきた人物である。4月5日にハザーレーは,腐敗撲滅を求め断食を開始し中央政府に行動を迫った。最大の焦点はインド版オンブズマンにあたる「ローク・パール」法の制定である。ローク・パール法案は1968年に連邦議会に提出されたのが最初で,その後たびたび連邦議会に提出されたが成立に至らなかった。UPA政権になってからも2005年,2008年,2010年に提出された。2010年の法案ではローク・パールの調査範囲は連邦首相も含むものとされたが,首相の調査は連邦下院議長の許可が必要とされ,また基本的には審議会であって,調査報告書を関連機関に提出することが主要機能とされた。これに対してハザーレーらによる対案「人々のローク・パール」が目指すものは,自らの意志で調査を開始でき,また,単なる審議会ではなく対象者を起訴できる権限を与えられたより強力なローク・パールであった。政府は圧力に押される形で新たな草案制定のための委員会の設立を告示せざるをえなくなる。
一方,CBIがDMKの連邦繊維相D・マランの第2世代携帯電話周波数帯割当免許などにからむスキャンダルへの関与を指摘する報告書を最高裁に提出し,それを受けて,今度はマランが内閣を辞任する事件が7月7日に起こった。マランは10月10日にCBIの捜査を受け告訴されることになる。
相次いで発覚するスキャンダルとメディアによる政府批判,そして,ハザーレーを中心とする大衆運動によって政府も対応を急がざるをえなくなる。7月28日には内閣はローク・パール法案を承認し連邦議会へ提出した。しかし,在職中の連邦首相は調査対象から除外するなど,その内容はハザーレーの期待に添うものではなかった。そのためハザーレーはローク・パール法案の強化を求めて8月16日に大衆行動を再開した。政府はハザーレーを逮捕するも,運動の圧力に押され,19日には釈放し,ハザーレーは断食を再開する。結局,政府は28日に審議中の法案にハザーレーの意見を一部受け入れることで妥協を図った。これを受けてハザーレーは同日にハンストを停止した。
このようにローク・パール法をできるだけ穏健な形でまとめたい政府と,より強力な法を求めるハザーレー側の綱引きは12月まで断続的に続く。野党もこのような動きに迎合する動きをみせた。たとえばBJPのL・K・アドヴァーニ元連邦副首相は反腐敗を訴えて,10月11日にビハール州チャプラから40日にわたる「人々の覚醒のための行脚」を行っている(~11月20日)。しかし,野党側も多かれ少なかれスキャンダルは抱えており,また連邦議会という正式な民主主義のプロセスではない大衆運動によって法案が影響されることに対する反発もあり,反腐敗運動は野党をまとめるものではなかった。また運動はデリーやムンバイなど北部や西部の都市部では顕著であったが,ほかの地域では盛り上がりに欠けた。
シン内閣は12月20日に法案を承認し,22日に連邦下院に「ローク・パールおよびローク・アユクタ法案」を提出した(「ローク・アユクタ」は州レベルにおけるオンブズマン)。この法案ではローク・パールは9人の委員から構成されるが,独自の捜査部門はもたず,CBIなどほかの機関に指示して捜査を進めるものとされた。捜査対象は基本的に公務員全体に及ぶが,軍,CBIはその対象から外された。首相は調査対象に含まれることとなったが,ただし,外交,原子力,安全保障などに関する場合は除かれるとされた。法案は連邦下院を27日に通過し,上院へ送られた。審議の成り行きが注目されている。
4州,1連邦直轄領での州議会選挙4月4日から5月10日にかけてアッサム州,ケーララ州,TN州,西ベンガル(WB)州,および連邦直轄領プディチェリで州議会選挙が行われた。今回は第2次UPA政権の折り返し点で行われた選挙でもあり,結果が注目された。インド共産党(マルクス主義)(CPM)など左翼勢力は退潮が目立ち,とくにWB州では,1977年以来政権を維持してきた左翼戦線政府が政権を譲り渡すのではないかと予想された。選挙は関心の高さを反映して高い投票率を示した。開票は5月13日に行われた。表1が選挙結果である。
(注) 〈 〉内は選挙協力連合,( )内は当選者数。
(出所) インド選挙管理委員会(http://eci.nic.in)のデータより筆者作成。
アッサム州ではT・ゴゴイ率いる与党会議派は,和平と開発を掲げて選挙に突入し,39.4%の得票で78議席を獲得した。同政権は最大の懸念である民族問題で中央政府がアソム統一解放戦線(ULFA)と2月10日にデリーで直接交渉を行うなど,和平にむけて一定の成果をあげつつあることをアピールした。9月3日にULFA,アッサム州政府,中央政府の間で停戦合意が署名されている。しかし,1月上旬にアッサム州とメガヤラ州の境で民族間の衝突が起こり大規模な難民が発生するなど,不安定要因は尽きない。今回ゴゴイ会議派政府が勝利することができたのはボードーランド人民戦線との協力が得られ,かつ,野党が分裂したことによるところが大きい。
ほかの州ではすべて与党が敗北を喫した。なかでもWB州の左翼戦線の敗北は予想されたとはいえ驚きであった。ママタ・バネルジー率いる草の根会議派連合が227議席を得たのに対してCPM率いる与党,左翼戦線は62議席と大敗を喫した。もっとも得票率ではそれぞれ48.2%,40.2%と議席数ほどの差はない。左翼戦線の退潮は2007年頃から明らかとなった。ひとつの要因は,2006年の州議会選挙で勝利した後,積極的に工業開発に乗り出したものの失敗したことによる。2007年のターター自動車の工場誘致をめぐりシングールで,さらには経済特区設立のためにナンディグラムで,強制土地収用を行おうとしたが,暴力と混乱で頓挫し,政府のイメージを傷つけた。また長年政権の座にあるものの,開発が遅れていることも支持低下につながった。2008年のパンチャーヤト(自治体)選挙,2009年の連邦下院選挙では,いずれも左翼戦線は後退した。一方,1997年に会議派から分かれた草の根会議派はママタ・バネルジーのワンマン政党という性格が強く,党組織は弱体であるものの,左翼戦線政府の失敗に乗じて大衆の味方というイメージを得た。また,会議派との議席配分も同党に有利になされ,結果的に草の根会議派主導の勝利につながった。ママタ・バネルジーを首班とする新政権は5月20日に発足した。
ケーララ州でも会議派率いる統一民主戦線(UDF)が過半数ぎりぎりの72議席を得て,与党左翼民主戦線(LDF)を退けた。近年,UDFとLDFの得票率は僅差で,今回もそれぞれ42.9%,41.0%であった。前回選挙でLDFを率いたCPMのアチュータナンダンは,UDFのスキャンダルを追及し,また,「人々の利益に反する開発」の中止などを約束して選挙に勝ったが,結局大きな成果は上げられなかった。また,同氏をめぐる政権内の派閥抗争も微妙な影を落とした。これらの諸要因が勝敗を分けた。5月18日に会議派のO・チャンディを首相とするUDF政権が発足した。
TN州では全インド・アンナ・ドラヴィダ進歩連盟(AIADMK)連合が得票率51.8%で203議席を獲得し,36.9%の得票率で31議席しか獲得できなかったDMK連合に大勝した。AIADMK連合が与党DMK連合に大勝できた主要因は今回の選挙で左翼政党など諸政党と選挙協力を組むことに成功したことである。一方DMKと会議派は議席配分をめぐり3月初めに衝突し,DMKはUPAからの離脱を一時決定した。3月7日には離脱は撤回されるが,両者の関係はぎくしゃくしたものとなった。上述のようにDMKのA・ラージャ元通信・情報技術相が2月2日に汚職容疑で逮捕された事件もDMK連合のイメージを損ねたことは間違いない。また,物価高騰や頻繁な停電は,M・カルナニディ州首相による1キログラム当たり1ルピーでのコメの配分や,テレビやプロパンガスシリンダーの無料配布などの大盤振る舞いでも人々の信頼をつなぎとめることを難しくした。5月16日にAIADMKのJ・ジャヤラリタが州首相に就任した。
プディチェリでは派閥抗争から会議派から分かれたN・ランガスワミー連邦直轄領首相の全インド会議派(N・ランガスワミー派)がAIADMKと協力を結び会議派に勝利した。
政権イメージ低下に苦慮するシン政権シン政権は政権イメージを一新すべく7月12日に大規模な内閣改造を行った。財務相,内務相,国防相,外相には変更はなかったが,その他7人あまりの閣僚を交代させた。ひとつにはママタ・バネルジーがWB州の州首相に就任したことに伴い,同じ草の根会議派からD・トゥリヴェディを鉄道相に据えるなど,この間の情勢変化に対応するためであった。しかし,より重要な理由は反腐敗運動の盛り上がりによる政府批判の高まりや,州議会選挙後の6月24日に発表された石油関連製品の価格引き上げに伴う人々の不満をそらし,また,2012年のウッタル・プラデーシュ(UP)州やパンジャーブ州などの州議会選挙,さらには,2014年予定の次回連邦下院選挙に備えるためとみられている。
シン首相は,今回の内閣改造は2014年に予定される次の連邦下院選挙までで最後のもの,すなわち実質上次回選挙を見据えたものであると述べた。これがもっとも表れているのが,J・ラメーシュ環境・森林相の農村開発相への異動であった。ラメーシュは「やり手」と評され,たとえば土地収用などをめぐって長年地元民から反対されてきた韓国鉄鋼メーカー最大手のPOSCO(Pohang Iron and Steel Company)のオリッサ州での総合製鉄プラントの建設に対して,5月2日には森林環境クリアランスを出す決断を行い,州政府の意向を尊重する形でこの事案を処理した。また彼はUPA政権の看板事業で2005年に開始されたマハトマ・ガンディー全国農村雇用保障事業の策定にもかかわった。今回,同事業をはじめ農村開発の責任者としての閣内入りは農村開発で手腕を発揮することを期待されているからである。大票田である農村で開発実績を上げることは選挙で勝つための基本である。
一方,スキャンダルの発覚によってA・ラージャとD・マランが辞任したDMKからは新たな招集はなかったが,通信・情報技術相を会議派のK・サイバルの兼任として「とっておき」,DMKが新たな人選を行っても対応できるようにとの配慮がなされた。
以上のように,内閣改造の理由のひとつはUPA政権のイメージ低下を阻止し,選挙民の支持をつなぎ止めることであった。選挙民にすり寄る政府の姿勢はその後の展開でより明確になる。11月24日には,かねてより懸案となっていた複数ブランドの商品を扱う総合小売業における外資参入の問題で,政府は51%まで外資の直接投資を認めるとの発表を行った。しかし,これは膨大な雇用を抱える零細小売り部門にとっては大きな打撃となる可能性があり,国会のみならず社会的にも大きな反発を引き起こした。12月1日には全インド流通業者協会の呼びかけで,政府に抗議して流通業者が全国でストライキを行い,混乱が広がった。事態を重く受け止めた政府は5日にはコンセンサスが得られるまで決定を留保するとの声明を出さざるをえなくなった。選挙を意識して大衆の政府イメージにきわめて敏感とならざるをえない政権の姿がみて取れよう。
同じような例は,12月22日の政府の宗教的少数派に関する決定でもみられる。すなわち,中央政府はその他後進階級(OBCs)といわれる後進的な諸階層への中央政府、および中央政府下の公共部門や高等教育機関における採用留保枠27%のうち,4.5%を少数派に充てるとの決定を行った。少数派のなかで最大の人口を占めるのがムスリムであり(2001年センサスによると全人口の約13.4%),これにはムスリムを会議派に引きつけるというあからさまな政治的動機があると批判された。
テーランガーナー地域における新州設立運動AP州北西部のテーランガーナー地域は1960年代末に自治権運動が盛んになったが,その後は下火となった。しかし,2000年末にジャールカンド州,チャッティースガル州,ウッタラカンド州が生まれると再び自治州設立の機運が高まり,テーランガーナー民族会議の闘争を契機として2009年12月初めに運動は盛り上がりをみせ,中央政府もテーランガーナー地域の分離と州の設立を容認する姿勢を示すに至った(『アジア動向年報2010』参照)。これにより新州設立推進派は勢いづいたが,それはその反作用として分割反対派の動きも強め,両派の軋轢が強まった。
同地域は沿岸地域に比べて政治行政的に「差別」されてきたという認識があるとはいえ,同じテルグー語を話し,分離の必然性には疑問を拭いえない。また,沿岸地方にとって成長著しい州都ハイデラバードが「テーランガーナー州」に帰属することになれば,それを容認するのは難しい。2010年12月30日には同地域の問題を審議したシュリクリシュナ委員会報告書が政府に提出され,翌年1月6日に内容が公表された。報告書は同地域の分離は「セカンド・ベスト」であり,現状維持が現実的選択であって,テーランガーナー地域の不満は「テーランガーナー地域評議会」などを設立し,それによって解消すべきと勧告した。しかし,一旦勢いを増した新州設立運動は妥協の可能性を超えて進んだ。
2011年に入ると2月17日からテーランガーナー統一行動委員会の呼びかけで新州設立を求める非暴力不服従運動が16日間にわたって行われた。その過程で,21日にはハイデラバードで学生が治安部隊と衝突し,22日にはテーランガーナー地方で48時間のゼネストが行われた。その後も運動は断続的に続き,7月4日にはテーランガーナー地域10県で統一行動委員会によるゼネストが行われ,それと同調して翌5日にはテーランガーナー地域出身の多数の連邦下院議員,州議会議員が抗議の辞表を提出した。9月13日にも統一行動委員会の呼びかけでゼネストが開始され,24日から翌25日には交通ゼネストで州の交通が麻痺した。さらに10月15日には統一行動委員会の「鉄道を止めろ」運動により鉄道が麻痺した。
以上のように運動は勢いを失っておらず,シン政権は解決策を模索している。10月11日のシン首相やソニア総裁など会議派指導部の会議では最終的結論は出されなかった。指導部が懸念したのは「テーランガーナー州」設立を認めることが,同様の問題を抱えるマハーラーシュトラ州のヴィダルバ地域やゴルカランド問題を抱えるWB州ダージリン地方などで新たな混乱を引き起こすのではないか,同地域の分離は残されたAP州沿岸部で会議派への支持の低下につながらないか,そして,ハイデラバードにどのような影響があるか,という点であった。この運動はジャンムー・カシミールや北東地域の分離主義運動と異なり,深刻な暴力を伴うものではないが,多方面に影響を及ぼす要素をもっているため,中央政府は慎重な姿勢を崩していない。
治安対策治安対策では「ナクサライト」あるいは「マオイスト」と呼ばれる極左武装組織対策が引き続き最重要課題となっている。2009年10月に治安に関する内閣委員会は,中央政府が治安維持で深刻な困難をかかえる州政府に対して準軍隊の増派など積極的な支援を行うとの決定を行い,州政府を支援してきた。また州政府も装備の近代化,訓練の強化など警察や州準軍隊の能力の強化を行ってきた。しかしまだ,その効果は顕著ではない。2011年2月1日に内務省主催で開かれた第4回州首相会議でシン首相は,武装闘争を展開するマオイスト(インド共産党[マオイスト]など)が優位ともいえないが,州政府が前進しつつあるともいえないとの認識を示した。同時に,シン首相は開発と治安が基本的アプローチと述べマオイストが暴力を捨てれば話し合いに入る用意もあるとの従来からの姿勢も示した。
マオイストによる襲撃や治安部隊との武力衝突はジャールカンド州,ビハール州,オリッサ州,チャッティースガル州,マハーラーシュトラ州,WB州などで頻発し多くの犠牲者を出している。政府によれば2011年も600人ほどの犠牲者が出たとされる。上述のように政府の治安能力は増強されたとはいえ,決して十分とはいえない。さらにマオイストは地元住民の支持を得ている場合も多く,また,治安部隊の強引な行動が住民の反発を買う場合も多い。そのような間隙を突くことによってマオイストは戦略的に優位に行動できる面がある。
たとえば,2月16日にオリッサ州のマルカンギリ県で発生したインド共産党(マオイスト)による県長官と技官の誘拐事件はその一例である。オリッサ州政府は譲歩せざるをえず,逮捕したマオイスト指導者を解放した。その結果両名は24日までに解放されたが,州政府の対応は中央政府によって批判された。
住民,とくに「部族民」と呼ばれる後進的で社会的に弱い立場にある人々が状況によってはマオイストに協力的となるのは,抑圧的な社会構造が大きな原因であるが,治安部隊の暴力や政府の強引な政策によるところも大きい。たとえば,3月11日にはチャッティースガル州ダンテワーダ県モルパリ村でマオイスト討伐中の治安部隊が暴行を働き,多数の部族民の家屋や農地を破壊したことが報道されている。チャッティースガル州では近年,部族民の私的自衛団を武装させて「特別警察官」として治安維持にあたらせているが,教育も訓練もない若い部族民に武器をもたせ治安維持にあたらせることはさまざまな暴力事件を引き起こし,強い批判を浴びている。7月5日に最高裁はチャッティースガル州政府,中央政府に対して,部族民の民間自衛団を武装させてマオイスト取り締まりにあたらせることを不法として,即時やめるように判決を下している。
政府治安部隊は11月24日にインド共産党(マオイスト)書記局の重要メンバー,コテシュワル・ラーオをWB州パスチム・メディニプル県で殺害することに成功したが,問題の解決は武力のみでは達成できないことは明らかで,部族民の保護と社会的発展を着実に進めていくことが不可欠である。
一方,極左以外のテロも依然として社会に深刻な影を落としている。7月13日にはムンバイで3件の連続爆弾テロが起こり21人が死亡し,141人が負傷した。また,9月7日にはデリー高裁で爆弾テロが起こり,15人が死亡している。これらの犯行の背後関係は不明である。
(近藤)
2011年,インドの経済成長は減速傾向を示した。インドの実質GDP成長率は2008/09年度には世界的な金融危機の影響を受けて前年度の9.3%から6.7%まで低下したが,2009/10年度と2010/11年度にはいずれも8.4%になるなど順調に回復していた。2011/12年度についても,インド財務省と経済諮問委員会は年度当初,9.0%超という高い経済成長の達成を予測し,インド準備銀行(RBI)も2011年9月まで8.0%を予想していた。しかし,国内で高止まりするインフレ率やそれに対する金融引き締め政策がしだいに製造業をはじめとする国内生産活動にマイナスの影響をもたらしはじめ,またユーロ圏などの先進諸国を中心に世界経済の先行き不透明感が高まるなか,2011/12年度の経済成長率は,第1四半期が前年度同期比7.7%,第2四半期が同6.9%,第3四半期が同6.1%,そして年間成長率の予測値が前年度比6.9%になるなど,減速傾向を強めている。
実質GDP成長率の減速は,主に鉱工業部門で起こっており,なかでもGDPへの寄与が大きい製造業の成長鈍化が実質GDP成長率低下の4割弱を説明するなど,成長減速の主要な要因となっている(表2参照)。製造業の成長を抑制した原因としてはインフレ昂進に伴う投入・資本コストの上昇や主要な貿易相手国であるヨーロッパをはじめとする世界経済の不確実な成長見通しがあげられる。その一方,サービス業部門の成長率は2011/12年度も依然堅調であり,とりわけ商業・ホテル・運輸・通信と地域・社会・個人向けサービスは前年度を上回る成長を示している(表2参照)。なお,農業部門の成長率は前年度に比べて低下する見通しではあるが,夏作(カリフ)の主要穀物は好調であった前年度を上回り,さらに冬作(ラビ)の穀物生産も堅調なモンスーンにより良好であると予想されている。このため,農業の成長率低下は前年度の高いベース効果が作用していると考えられる。
(注) 2004/05年度を基準年とする要素価格に基づき算出。
(出所) インド統計・事業実施省中央統計局(CSO)のプレスノートに基づき筆者作成。
次に,実質GDPの成長率を支出面からみると,消費,投資,外需という主要な構成要素の成長率がいずれも前年度に比べて減速していることが分かる。このうち,消費需要の低下は高止まりしたインフレ率とこれに対する利上げに感応的な部門における需要の先細りによるものであり,投資需要は金融引き締め,プロジェクトの実施の遅れ,悪化する企業マインド,そして世界経済の減速などの諸要因によるものと指摘されている。また,外需は世界需要の不振を反映しており,製品輸出は2011/12年度前半には良好なパフォーマンスを示していたが,後半に入り減速傾向を強めている。
このように実体経済の減速が明らかになるにつれて,財務省,RBI,経済諮問委員会などの関係諸機関は2011年半ば以降,2011/12年度の経済成長率の公式予測を漸次下方修正しており,本稿執筆時点(2012年2月中旬)では財務省が7.5±0.25%,RBIが7.0%,経済諮問委員会が8.2%をそれぞれ予測している。こうした諸機関の見通しや中央統計局(CSO)による6.9%という年間予測値から,2011/12年度の成長率は6.0%台後半から7.0%台前半に収まる可能性が高い。後述のとおり,インド政府は2012/13年度から始まる第12次5カ年計画の期間中,年率で平均9.0%という経済成長を実現することを目標としている。このため,今後,国内経済を再び回復させ,高い成長過程にのせられるか否か,政策当局の手腕が試されている。
高止まりするインフレ率と金融政策の対応2011年,インドのインフレ率は前年に引き続き高い水準で推移した。インドの代表的な物価指数である卸売物価指数(WPI)の変化率は,2010年以降,インフレ率が前年同月比で8.0~10.0%という高い水準で推移してきたことを示している(図1参照)。金融政策を担うRBIは2009年10月,世界的な金融危機に対する拡張的な金融政策スタンスからの脱却を公表し,2010年3月からは断続的な金融引き締めを実施した。こうした政策運営にもかかわらず,インフレ率は2011年を通じて高止まりし,2010年12月から2011年11月まで12カ月連続して前年同月比で9.0%を上回った。ただし,2011年12月のインフレ率は7.5%に低下し,後述の金融引き締め政策による効果がようやく現れた形となっている。
(出所) インド商工業省経済諮問室(OEA)のウェブサイト(http://eaindustry.nic.in/)のデータ,RBIのHandbook of Statistics on Indian Economy 2010-11,およびRBIのプレスリリースに基づき筆者作成。
表3では,今回の物価上昇の主要な牽引要因を「食料品」,「一次産品」(食料品以外),「燃料・電力」,「製造品」(食料品以外)の4つに分け,各項目の価格上昇の影響を示している。ここでは,2009年6月から2011年11月までの期間を次の3つの時期に分けている。第1期(2009年6月~2010年4月)はWPIインフレ率が-0.4%から10.9%まで加速した「物価上昇期」,第2期(2010年5~11月)はインフレ率が10.5%から8.2%まで低下した「物価低下期」,そして第3期(2010年12月~2011年11月)は9.0%以上のインフレ率が続いた「インフレ持続期」にそれぞれ該当する。表3の変化率と寄与率からは,第1期と第2期には食料品価格の上昇率がWPIインフレを牽引していたが,第3期に入ると製造品価格の上昇率と燃料・電力価格の上昇率がインフレ全体の動きに対してより大きな影響をもっており,インフレ要因が時間とともに変化した様子が窺える。
(注) 1) 2004/05年度を基準年としている。
2) 表中の( )内の数値はWPIインフレ率に対する寄与率を示している。
(出所) インド商工業省経済諮問室(OEA)のウェブサイト(http://eaindustry.nic.in/)のデータに基づき筆者作成。
このように持続的に上昇する物価水準に対して,RBIは2010年3月から2011年10月にかけて政策利率の引き上げによる金融引き締めを継続した(図1参照)。RBIは,市中銀行のRBIからの借入利率であり,政策利率でもあるレポ・レートを2011年の1年間で7回にわたり6.25%から8.5%まで引き上げた。RBIはこうした金融引き締めのほとんどのケース(2011年は7回中5回,2010年は6回すべて)で0.25%という小幅な水準での利率引き上げを行った。これに関して,インド国内では小幅な利上げにより経済成長へのマイナスの影響が緩和されたという意見がある一方,小幅な利上げはインフレ上昇の原因であるインフレ期待を鎮静化させるうえで効果的ではなく,中央銀行は複数回の「ベイビーステップ」の代わりに,一度に大幅な利上げに踏み切るべきであったという意見も聞かれた。
RBIは2011年5月に発表した2011/12年度の金融政策声明において2012年3月時点のWPIインフレ率を6.0%と予測し,7月の第1四半期レビューではこれを7.0%に上方修正した。一般に,金融政策の変更がその効果を現すまでには1年半から2年ほどかかるといわれており,インドの政策当局も現在のインフレ水準とともに過去の金融引き締め効果を考慮しつつインフレ動向を予測しているものと考えられる。インフレ率は2011年12月に7.0%台半ばまで低下し,RBIは2012年1月には政策利率を据え置く一方,現金準備比率(Cash Reserve Ratio:CRR)を9カ月振りに引き下げるなど金融緩和姿勢をみせている。しかし,インフレ水準は依然として中央銀行が容認できる水準を上回っており,また,インドではインフレ率が4.0~6.0%を超えると,経済成長に対して中期的に悪影響を及ぼすという指摘もある。従って,インドの中央銀行は減速する国内経済とともにインフレ期待の動向に配慮して,利下げへの政策転換のタイミングを慎重に図ることがこれからの重要な課題になると考えられる。
金融政策の運営方式の変更上記のRBIによるレポ・レートの引き上げに伴い,2011年5月から10月にかけてリバース・レポ・レートと限界スタンディング・ファシリティー(Marginal Standing Facility:MSF)レートもレポ・レートと連動して自動的に引き上げられた(図1参照)。これは金融政策の操作手続きの変更によるものである。新しい操作手続きの下では,市中銀行が中央銀行に資金を預ける際の適用利率であるリバース・レポ・レートはレポ・レートから1.0%低い水準で設定され,MSFレートはレポ・レートから1.0%高い水準で設定されている。インドでは2000年以降,金融政策運営に際して流動性調整ファシリティー(Liquidity Adjustment Facility)の下,レポ・レートを上限,リバース・レポ・レートを下限とする利子率コリダーが用いられてきたが,国内流動性の状況に応じて政策利率がレポ・レートとリバース・レポ・レートの間で定まらないなどの問題が指摘されていた。今回,RBIはアメリカやヨーロッパなどの先進国の経験を参考に,レポ・レートを中心にMSFレートを上限,リバース・レポ・レートを下限とする±1.0%という新たなコリダーを設定しており,これにより操作目標である加重平均オーバーナイト・コール・レートをいっそう安定化させることが期待されている。ちなみに,MSFレートとは2011年5月から運用されているMSFスキームに適用される利率のことである。MSFスキームにはRBIに口座をもつすべての指定商業銀行が参加する権利をもち,このスキームの下,銀行各行はその預金額の1.0%までオーバーナイトで借入を行うことができることになっている。これにより,各行には予想できない流動性ショックに対する安全弁が提供されている。
第12次5カ年計画の策定国家計画委員会は,第11次5カ年計画(2007/08~2011/12年度)の最終年度にあたる2011年,第12次5カ年計画(2012/13~2016/17年度)の策定に着手した。同委員会は4月に初めての全体会議を開催し,次期5カ年計画期間中9.0~9.5%という実質GDP成長率を目標に設定した。その後,国内外の経済情勢を踏まえて,8月の国家計画委員会全体会議で承認された主要な目標や課題を示した「アプローチペーパー」では,第12次5カ年計画期間中,平均9.0%の成長を達成し,可能であれば9.2%まで引き上げることが目標として明記された。そしてアプローチペーパーは内閣の承認を経て,10月に国家開発評議会において最終承認された。
第11次5カ年計画では期間中,年率平均9.0%の経済成長を達成するという高い成長目標(実際には8.2%になる見通し)とともに,雇用拡大,地域間格差の縮小,保健と教育の普及などを通じて高成長の恩恵を広く国民,とりわけ貧困層にゆきわたらせる「包摂的な成長」の実現がスローガンとして掲げられた。今回策定された第12次5カ年計画でもこの理念は踏襲され,「より早く,より包摂的で,より持続的な成長」が目標とされている。
今回の5カ年計画における課題は,(1)成長のためのキャパシティー向上,(2)スキルの向上とより急速な雇用創出,(3)環境保護,(4)効率性と包摂性を高める市場の形成,(5)分権化と権限付与,(6)テクノロジーとイノベーションの推進,(7)将来のエネルギー確保,(8)輸送インフラの発展,(9)農村部の生活改善と農業の成長促進,(10)都市化の管理,(11)良質な教育へのアクセス拡大,(12)より適切な予防的・治療的ヘルスケアの実施などから主に構成されている。以上の主要課題の下,計画期間中は限られた財源を保健,教育,インフラ開発などの分野に優先的に予算を配分することが強調されている。とくに,前回の第11次5カ年計画では教育の拡充に予算面での焦点が当てられたが,第12次5カ年計画では保健に焦点が当てられている点がひとつの大きな特徴となっている。
マイクロファイナンスをめぐる混乱2010年,AP州で発生したマイクロファイナンスをめぐる混乱は2011年も引き続きみられ,問題はさらに深刻化した。事の発端はマイクロファイナンス機関(Micro Finance Institutions:MFIs)による回収を苦に多くの借り手が自殺したという批判を受けて,AP州政府が2010年10月15日,MFIsに対する規制を強化する「マイクロファイナンス(貸付規制)令2010」を施行したことによる(この令は2011年1月1日,「マイクロファイナンス(貸付規制)法2011」として施行された)。この法律により,同州にあるすべてのMFIsは州当局に登録のうえ,営業地域や貸付利率,業務システム,回収方法などを明らかにすることが義務づけられた。また,回収の際の高圧的な行為に対して厳しい罰則が規定され,同一の借り手に対する複数貸付の禁止や利子を元本までに制限することも定められた。さらにこの法律により,MFIsは新規貸付に際して州政府から同意書をとることも求められることになった。
インドのマイクロファイナンス産業は従来から南部諸州に集中する傾向があり,とくにAP州にはSKS Microfinance,SHARE Microfin,Asmitha Microfinなど国内でも主要なMFIsが拠点をおいてきた。しかし,今回のAP州政府の法律施行により,MFIsはこうした主要機関も含めて回収率の大幅な低下に直面しており,新規貸付はほぼ停止した状態になっている。さらに制度上,預金を集めることができないMFIsは資金調達に際して主に商業銀行や民間投資家などの外部資金に依存する傾向にあるが,銀行が不良債権化を恐れてMFIs向け貸付を減少させたことで,多くのMFIsは規模の縮小や経営悪化に直面し,いくつかの小規模なMFIsは閉鎖したといわれている。実際,インドのマイクロファイナンスの貸付残高は2010年10月以前の3000億ルピーからAP州の法律施行の影響により2011年9月には2000億ルピーまで縮小している(Business Standard,2011年9月27日)。
AP州政府の動きに対して,RBIは2010年10月,マイクロファイナンス問題の研究を目的とする委員会(委員長:Y・H・マレガム)を設置した。RBIはこの委員会から提示された報告書に基づき,関係各機関からの意見を考慮したうえで,2011年4月1日以降,MFIsとして営業する非銀行金融機関を含むすべてのMFIsに対する銀行貸付を条件つきながら優先部門貸付に分類することなどを決定した。一部の商業銀行はMFIs向け貸付が優先部門貸付に分類されることを好意的に受け止めており,今後,銀行からマイクロファイナンス部門に資金が戻る契機になる可能性がある。また,インド政府は現在,マイクロファイナンスに関する新しい法律である「マイクロファイナンス機関(開発と規制)法」の制定を検討している。この法律はMFIsに預金を集めることを認めるとともに,すべてのMFIsを規制する権限をRBIに付与する内容となっており,マイクロファイナンスに関する州政府による既存の法律を無効にする可能性をもっている。ただし,RBIはこの新しい法律に対して必ずしも賛成の立場をとっていない。
インドのマイクロファイナンスをめぐる混乱は現在のところAP州にほぼ限定されており,他州への波及はほとんどみられない。同州の主要なMFIsは今回の危機的状況に対して,AP州以外への進出拡大やマイクロファイナンス以外の事業への展開,そして銀行業への転換などを模索し,活路を見出そうとしている。また,中小規模のMFIsは合併を通じて存続を図ろうとしている。MFIs活動の縮小や停止により,それまでMFIsから借入を行ってきた貧困家計が高利貸しに依存し,再び自殺者が増加しているという報道もある(The Hindu,2011年11月11日)。このため,AP州におけるマイクロファイナンスの停滞が収束に向かうのか,あるいはAP州の混乱が近隣州にも波及するのか,事態の推移が注目される。
(井上)
インドとパキスタン関係は2008年11月のムンバイ・テロ事件以降冷え込んだが,2011年に入りようやく関係改善が軌道に乗りつつあるようにみえる。
2月6日に南アジア地域協力連合(SAARC)の常設委員会会合がブータンの首都ティンプーで行われた際に,両国の外務次官会議が開催され,幅広い項目について議論を深める必要性が確認された。また3月25日にはシン首相はクリケットのワールドカップでインド・パキスタンの試合がパンジャーブ州のモーハリで行われることから,ザルダーリー大統領,ギーラーニー首相を試合に招待した。この呼びかけに対しパキスタンはギーラーニー首相が訪問することを決定し好意的雰囲気が醸成された。パキスタン首相の来訪を前に3月28日から2日間デリーで両国の内務事務官級協議が行われ,麻薬問題や偽札問題,ビザ発給の簡略化,沿岸警備での協力などについて話し合いが行われた。また,パキスタン側は2008年11月26日のムンバイのテロ事件に関してインドの調査委員会がパキスタンへ入国することに同意した。そして30日にはシン首相,ギーラーニー首相はパンジャーブ州で両国代表によるクリケットを観戦しつつ,関係正常化に向けて幅広い問題を協議した。この後,関係改善は順調に続く。
5月31日には領有権をめぐって争われているヒマラヤのシアチェン地域の非軍事化問題で話し合いを継続することが合意された。また,6月23日にはイスラマバードで外務次官級協議が行われ,翌24日の共同記者会見では平和と協力関係の拡大のため対話を継続していくことが確認された。
両国の関係改善への姿勢は確固たるもののようにみえる。上述のように7月13日にはムンバイで連続爆弾テロが起こり,また,8月20日にはカシミールのパキスタンとの境界で銃撃戦があり,12人のゲリラとインド軍士官1人が死亡する事件が起き,さらに9月7日にはデリーでも爆弾テロが起こった。しかしこれらの事件は両国関係に大きな影響はなかった。たとえば,10月23日に悪天候のため,パキスタン領に不時着したインド軍ヘリコプターは帰還を許されている。
画期的なのは,11月2日にパキスタンがインドに最恵国待遇を与える決定を行ったことである。パキスタン国内では反対もあったが,関税の引き下げや非関税障壁の撤廃などによる貿易の拡大,さらには信頼醸成にむけて大きなステップとなった。インドは世界貿易機関(WTO)に加入した1995年に最恵国待遇を既にパキスタンに与えている。このような関係改善の方向性を受けて12月26日には,2007年以来となる信頼醸成作業委員会がイスラマバードで開催された。
以上のような関係改善の背後にはアメリカなどの働きかけがあることは確実である。それに加えて,10月4日にシン首相とアフガニスタンのカルザイ大統領の間で戦略的パートナーシップ協定が署名され,インドがアフガニスタンの治安部隊を訓練することが合意されるなど,インドの影響力が拡大するなかで,パキスタンの現実的対応の表れという側面もある。
バングラデシュとの関係――国境問題の解決バングラデシュ関係でも大きな進展があった。長年の懸案事項であった国境問題に決着がついたのである。国境画定作業は1952年から始まり,1967年にはインド・パキスタン合同調査が行われた。バングラデシュ独立後,1974年には大部分の国境について合意が成立したが,飛び地の問題や未確定部分が残った。1986年にも協議が行われたが,決着がつかなかった。しかしインドとの経済関係がますます緊密化し,また,インドに友好的なS・ハシナ率いるアワミ連盟が政権についたことで,今年に入り最終的に決着がついた。
7月30日に両国は国境地帯の治安維持,不慮の衝突防止のため国境管理取り決めに署名した。署名に当たってチダンバラン内相は,国境を越えてバングラデシュから入ってくるいかなる者に対しても発砲してはならないと,インドの警備隊に周知徹底することを明らかにした。このような問題解決の努力は続き,両国の飛び地の交換,国境未画定地の画定などが両国の合同作業グループによって行われ,8月20日にはようやく国境が画定された。9月6日にインドの訪問団がバングラデシュを訪問し両国の首相によって正式な署名が行われた。訪問団にはWB州をのぞく隣接4州の州首相が同行し経済関係を強化することが確認され,バングラデシュの既製服の無関税化などについても合意がなされた。しかしブラフマプトラ川支流のティスタ川の河川水利用についての暫定合意はならなかった。バングラデシュの国内事情から,ハシナ政権が譲歩するのは難しいという事情もあるが,同河川水に大きな利害関係を有するWB州のママタ・バネルジー州首相の同意が得られないことが大きな理由であった。同首相が同行をキャンセルしたのはティスタ川水利用取り決め案がWB州の利益に反するとの抗議の意思表明であった。
その他諸国との関係アメリカ,中国,ロシアなど域外大国との関係は比較的順調に推移した。
アメリカとの関係は順調である。3月3,4日には第11回インド・アメリカ防衛政策グループ会合がワシントンD.C.で開催され,話し合いが行われた。インドは3月20日,NATO軍のリビアに対する空爆に遺憾の意を表明したが,両国関係に影響はなかった。また,昨年に引き続き,第2回のインド・アメリカ戦略対話が7月19日に開催され,クリントン国務長官がデリーに来訪し,クリシュナ外相と会談を行った。この対話ではパキスタンとアフガニスタンから発するテロへの対処,アメリカからの兵器の購入,海洋の安全,貿易や投資の拡大,民生用原子力協力などの分野で両国関係が順調に発展していることが確認された。
注目されたのは民生用原子力協力である。6月24日に原子力供給国グループ(NSG)が,濃縮・再処理施設や技術の移転を核兵器不拡散条約(NPT)署名国に限るという新ガイドラインを発表し,インドでは技術移転などが困難になるのではないかと懸念されたからである。しかし,上述の声明からはそのような懸念は今のところ現実とはなっていない。
このようにアメリカとの関係はきわめて順調であるが,多角的国際関係の維持というインド独自のスタンスも堅持されている。12月15~17日にはロシアとの間で第12回首脳会合が行われ,シン首相はモスクワを訪問し,メドベージェフ大統領と会談した。TN州クダンクラムの原子力発電所建設推進に関する取り決めが行われ,ロシアのスホーイ戦闘機の追加発注が合意され,軍事的,戦略的衛星測位システムとしてロシアの衛星測位システム(GLONASS)の難読化高精度信号を使用する交渉が行われた。GLONASSはアメリカのGPSに対抗してソ連が作り上げ,ロシアが受け継いだシステムである。インドがGLONASSの難読化高精度信号を利用することは軍事的,戦略的にアメリカのGPSだけに頼らないことを意味する。
(近藤)
通商政策の動向近年,インドは世界各国・地域との間で自由貿易協定(FTA)やより広義の経済連携協定の締結に向けた交渉を加速させている。2010年には韓国と包括的経済連携協定,そして東南アジア諸国連合(ASEAN)とFTAをそれぞれ発効させた。また2011年に入ってからも7月にマレーシアとの間で包括的経済協力協定を発効させ,さらにオーストラリア,ニュージーランド,欧州連合(EU),そして欧州自由貿易連合(EFTA)との間でもFTA締結に向けた交渉が進められている。
このように積極的に諸外国とのFTAや経済連携協定の締結を図る背景として,インド政府が貿易,とりわけ輸出の拡大を自国の経済成長や雇用拡大につなげようとする意図をもっていることがあげられる。インド商工業省は,数年に1度,「外国貿易政策」という形で貿易目標を設定しており,最近では2009年8月に「外国貿易政策2009-2014」が公表された。そのなかでは,(1)2011年3月までに2000億ドルの輸出額(年率15%成長)の年間目標を達成すること(その後2200億ドルに引き上げ),(2)2012~2014年の3年間で輸出の年率25%成長を実現すること,(3)2020年までに世界貿易に占めるインドのシェアを2倍にすることなどの目標が掲げられた。このうち,(1)については2010/11年度の輸出額は2459億ドルになったため,この目標は達成された。これを受けて,2011年5月,シャルマ商工業相は今後3年間でインドの輸出額を5000億ドルまで倍増させる輸出戦略を発表している。このように,インドの通商政策は主に輸出の拡大に焦点を当て,世界貿易に占めるシェアの拡大を念頭においたものとなっている。
こうした状況の下,2007年1月以降,本格交渉が行われてきた日印包括的経済連携協定が2011年2月16日署名され,同年8月1日発効した。今回の協定締結により,インドは日本からの輸入の約90%を10年間で無税にし,日本はインドからの輸入の約97%を10年間で無税にすることで,協定発効後10年間で往復貿易額の約94%の関税が撤廃されることが決められた。なお,主な非譲許品目は,日本側はコメ,小麦,ミルク,砂糖,皮・皮製品であり,インド側は自動車部品および農業とその他のセンシティブ品目となっている。
日本とインドの貿易額の推移はここ数年,増加傾向にある。2000/01年度から2009/10年度にかけてインドから日本に対する輸出額は17億9448万ドルから36億2954万ドル,そしてインドの日本からの輸入額は18億4219万ドルから67億3418万ドルへと増加した。しかし,インドの貿易額全体に占める日本との輸出入額の割合はこの間,輸出については4.03%から2.03%,そして輸入については3.65%から2.34%にそれぞれ低下した。日本の貿易額全体に占めるインドとの輸出入額の割合はこの10年でいずれも上昇傾向にあることから(輸出は1.13%から2.00%,輸入は1.59%から1.63%),インドにとって日本との貿易は金額的には拡大しているが,貿易全体に占める位置づけはむしろ低下していることになる。
インドでは今回の日本との協定締結により,日印間の貿易額が2014年までに250億ドルまで拡大することが期待されており,またあわせて投資のいっそうの促進も期待されている。実際,インドは2005年に包括的経済協力協定を締結したシンガポールとの間で,その後,輸出入額がいずれも倍増するなど貿易の大幅な拡大を実現している。今回の協定を契機に,この枠組みを有効に活用することで,今後,日本とインドが貿易・投資の拡大を通じて,経済関係をいっそう緊密に発展させていくことが望まれる。
(井上)
シン政権の大きな課題は「ローク・パール」法案を成立させ,腐敗問題に抜本的に対処することである。腐敗問題は物価問題と並び今や政権のイメージに直結するものとなっており,もし法案が不成立になった場合,政権へのダメージは大きい。2012年初めにはUP州やパンジャーブ州という重要な州で州議会選挙が予定されているが,その結果はシン政権の人気を推し量る材料となるであろう。また長引くテーランガーナー問題にも区切りをつけることも要求される。極左運動は社会構造的なものであり,一朝一夕に解決は不可能であるが,社会開発をてこに住民の信頼を取り戻していくしか選択肢はない。
経済面での主要な課題としては,高いインフレ率と減速する経済成長に対する政策当局の適切な対応があげられる。2011年は政府と中央銀行はともにインフレ対応に軸足をおいていたが,国内の景気減速が鮮明になることで,2012年はインフレ動向に気を配りながらも,経済成長の勢いをいかに回復させることができるかに軸足が移ることになるだろう。また,主要な貿易相手国であるヨーロッパの景気減速は貿易,とりわけ輸出の減少を通じて,インド経済にマイナスの影響を与える可能性がある。従って,政策当局は対外情勢にも十分注意を払い,外需縮小による国内経済への影響を抑えるような政策運営を行うことも求められることになるだろう。
最後に,国際関係に関してはパキスタンとの関係改善の勢いを維持することが求められよう。この重要な隣国との関係改善なくしては地域の安定はない。
(近藤:地域研究センター研究グループ長)
(井上:地域研究センター)
1月 | |
2日 | アッサムとメガラヤの州境でラバ,ガロ両エスニック集団間の衝突。3万人を超える避難民発生(~9日)。 |
12日 | 西ベンガル(WB)州ダージリンで自治権拡大を求めて,ゴルカ人民解放戦線ゼネストを開始(~16日)。 |
15日 | インド石油会社などの国営石油販売各社,ガソリン価格の1リットル当たり2.54ルピー引き上げを発表(16日から実施)。 |
19日 | シン政権,閣僚のスキャンダル,物価上昇などの批判を受けるなか,内閣改造。 |
24日 | ユドヨノ・インドネシア大統領来訪。インフラ,鉱工業で協力を約束(25日)。 |
25日 | インド準備銀行(RBI),政策金利であるレポ・レートの6.25%から6.5%への引き上げとリバース・レポ・レートの5.25%から5.5%への引き上げを発表。 |
25日 | 「統一のための行脚」を行うためジャンムーに向かうインド人民党(BJP)指導者,ジャンムー・カシミール(J&K)州政府により拘束。 |
31日 | 中央統計局(CSO),2009/10年度の実質GDP成長率(前年度比)速報値を発表。前回改定値の7.4%から8.0%に上方修正。 |
2月 | |
2日 | 中央捜査局(CBI),元通信・情報技術相,A・ラージャほか2人を携帯電話周波数帯割当免許にからむ汚職容疑で逮捕。 |
4日 | カシミールで軍が若者を誤射。住民の抗議活動で緊張激化。 |
6日 | ブータンの首都ティンプーで南アジア地域協力連合(SAARC)の常設委員会会合。インド・パキスタン外務次官会議開催。 |
7日 | CSO,2010/11年度の実質GDP成長率(前年度比)の予測値を8.6%と発表。 |
16日 | シャルマ商工業相,東京で日本との包括的経済連携協定に署名(8月1日発効)。 |
18日 | シャルマ商工業相,プトラジャヤでマレーシアとの包括的経済協力協定に署名(7月1日発効)。 |
21日 | 経済諮問委員会,2011/12年度の実質GDP成長率を9.0%と予測。 |
21日 | アーンドラ・プラデーシュ(AP)州ハイデラバードでテーランガーナー州の設立を求める学生が治安部隊と衝突。48時間ゼネスト(22日)。 |
22日 | 政府,リビア政府による暴力を非難。インド人,脱出開始。 |
24日 | オリッサ州政府,極左マオイストの要求に譲歩。マオイスト,23日に州技官,24日に県長官を解放。 |
25日 | ムカルジー財務相,経済白書発表。2011/12年度の実質GDP成長率を9.0±0.25%と予測。 |
28日 | ムカルジー財務相,2011/12年度予算案を国会に提出。 |
28日 | CSO,2010/11年度第3四半期の実質GDP成長率(前年度同期比)の概算値を8.2%と発表。 |
3月 | |
3日 | RBI,レポ・レートの6.5%から6.75%への引き上げとリバース・レポ・レートの5.5%から5.75%への引き上げを発表。 |
3日 | ワシントンD.C.で第11回インド・アメリカ防衛政策グループ会合開催(~4日)。 |
11日 | ウッタル・プラデーシュ(UP)州マハラジガンジ県で村内対立から10人が焼殺。 |
25日 | マニプル全部族民学生ユニオン,政府の留保政策を不満とし州を経済封鎖。 |
28日 | デリーでインド・パキスタン内務事務官級協議(~29日)。 |
30日 | シン首相,ギーラーニー・パキスタン首相とクリケット観戦。関係正常化を協議。 |
31日 | 2011年国勢調査の暫定値を発表。総人口は12億1020万人となり,初めて12億人を超える。 |
4月 | |
5日 | 社会活動家アンナ・ハザーレー,腐敗撲滅を求めハンスト開始(~9日)。政府,インド版オンブズマン(ローク・パール)法制定のため委員会設立を告示(汚職取締法案起草合同委員会は4月16日から6月21日まで計9回開催)。 |
7日 | 政府,欧州自由貿易連合(EFTA)とのFTA交渉を2011年末までにまとめることで合意。 |
12日 | シン首相,BRICS,およびインド・ブラジル・南アフリカ(IBSA)会合へ参加のため中国の三亜に到着(~14日)。 |
15日 | シン首相,カザフスタン訪問。原子力や石油資源開発などに関して協定締結。 |
15日 | 最高裁,扇動教唆で拘置された社会活動家B・センの保釈を認める。18日釈放。 |
19日 | 商工業省,2010/11年度の輸出額を2459億ドルと発表。年間目標(2200億ドル)を上回る。 |
21日 | 国家計画委員会,全体会議で第12次5カ年計画(2012/13~2016/17年度)のアプローチペーパーを協議。 |
24日 | 精神的指導者サイ・ババ,死去。 |
25日 | CBI,2010年の英連邦競技会に関わる汚職容疑で会議派国会議員S・カルマディ逮捕。携帯電話周波数帯免許の割当に関する腐敗容疑で連邦上院議員のM・K・カニモジ(ドラヴィダ進歩連盟[DMK])などを起訴。 |
30日 | アルナーチャル・プラデーシュ(ArP)州の州首相D・カンドゥのヘリコプター行方不明。5月4日ブータンとの国境地帯で事故機発見,死亡確認。 |
5月 | |
2日 | 中央政府のJ・ラメーシュ環境・森林相,韓国鉄鋼メーカーPOSCOのオリッサ州での総合鉄鋼事業を条件つき承認。 |
3日 | RBI,2011/12年度金融政策声明を発表。レポ・レートの6.75%から7.25%への引き上げと貯蓄性銀行預金利率の3.5%から4.0%への引き上げを発表。 |
3日 | シャルマ商工業相,今後3年間で輸出を5000億ドルに倍増させる輸出戦略を発表。 |
9日 | 最高裁,アヨーディヤーのモスク跡地の分割に関する昨年9月のアラハバード高裁の判決を差し止め。 |
12日 | 政府,オーストラリアと自由貿易協定締結に向けた交渉開始に合意。 |
13日 | 5州の州議会選挙開票。WB州:草の根会議派と会議派連合,左翼戦線に大勝,タミル・ナードゥ(TN)州:全インド・アンナ・ドラヴィダ進歩連盟(AIADMK)大勝,ケーララ州:会議派を中心とする統一民主戦線(UDF)辛勝,アッサム州:会議派大勝,連邦直轄領プディチェリ:会議派の分派とAIADMK連合が大勝。各州で新政権発足(16~20日)。 |
14日 | 国営石油販売各社,ガソリン価格の1リットル当たり5ルピー引き上げを発表(15日から実施)。 |
24日 | シン首相,アジスアベバで開催の第2回インド・アフリカ首脳会議に参加。引き続きタンザニア訪問(26~28日)。 |
30日 | メルケル・ドイツ首相来訪(~31日)。 |
31日 | CSO,2010/11年度の実質GDP成長率(前年度比)の改定値を8.5%と発表。予測値(8.6%)から下方修正。また,2010/11年度第4四半期の実質GDP成長率(前年度同期比)の概算値を7.8%と発表。 |
31日 | 政府,2010/11年度の財政赤字を5.1%から4.7%に下方修正。 |
6月 | |
2日 | カルナータカ州議会で信任決議採択。BJP州政府,信任確保。 |
10日 | チャッティースガル州ダンテワーダ県でナクサライトによる地雷攻撃。治安部隊10人死亡。 |
16日 | RBI,レポ・レートの7.25%から7.5%への引き上げを発表。 |
23日 | イスラマバードでインド・パキスタン外務次官級協議(~24日)。 |
24日 | 政府,ディーゼル油,灯油,液化石油ガスの価格引き上げを発表(25日から実施)。 |
30日 | 政府,ガソリン価格の1リットル当たり0.27ルピー,ディーゼル油価格の1リットル当たり0.15ルピー引き上げを発表(7月1日から実施)。 |
7月 | |
4日 | 州樹立を求めるテーランガーナー統一行動委員会,ゼネスト(~5日)。 |
10日 | UP州ファテープルで列車の脱線事故。70人死亡。 |
12日 | シン政権,内閣改造。 |
13日 | ムンバイで爆弾テロ。21人死亡。 |
18日 | 中央政府,WB州政府,ゴルカ人民解放戦線の3者間で「ゴルカランド地域行政機構」設置に調印。 |
20日 | ムカルジー財務相,2011/12年度の実質GDP成長率の予測を8.6%に下方修正。 |
26日 | RBI,レポ・レートの7.5%から8.0%への引き上げを発表。 |
27日 | デリーでインド・パキスタン外相会議開催。 |
30日 | バングラデシュと国境管理取り決めに署名。 |
31日 | カルナータカ州首相B・S・イェデュラッパ,違法採掘の告発を受け辞任。 |
8月 | |
1日 | 経済諮問委員会,2011/12年度の実質GDP成長率の予測を8.2%に下方修正。 |
4日 | カルナータカ州でBJPのS・ゴウダが新州首相に就任。 |
16日 | ハザーレー,審議中のローク・パール法案強化を求めて大衆行動(~28日)。 |
19日 | チャッティースガル州ライプル県でナクサライトが警察隊を襲撃。12人死亡。 |
20日 | カシミールのパキスタンとの境界で銃撃戦。ゲリラ12人と軍士官1人が死亡。 |
20日 | 国家計画委員会,第12次5カ年計画のアプローチペーパー承認。期間中9.0%の成長目標を設定。 |
26日 | WB州で洪水被害拡大。75人死亡。 |
30日 | CSO,2011/12年度第1四半期の実質GDP成長率(前年度同期比)の概算値を7.7%と発表。 |
9月 | |
3日 | アソム統一解放戦線(ULFA),アッサム州政府,中央政府,停戦合意に署名。 |
6日 | シン首相,バングラデシュ訪問。WB州をのぞく4州首相同行。 |
7日 | デリー高裁で爆弾テロ。15人死亡。 |
13日 | テーランガーナー統一行動委員会,ゼネスト。断続的に25日まで継続。 |
15日 | 内閣,第12次5カ年計画のアプローチペーパー承認。 |
15日 | 国営石油販売各社,ガソリン価格の1リットル当たり3.14ルピー引き上げを発表(16日から実施)。 |
16日 | RBI,レポ・レートの8.0%から8.25%への引き上げを発表。 |
17日 | 政府,リビア国民評議会を承認。 |
26日 | J&K州北部のクプワラ県で治安部隊,分離主義勢力と銃撃戦。 |
10月 | |
1日 | ビハール州の洪水で死者98人。 |
3日 | シャルマ商工業相,インドネシア訪問(~4日)。4日,ジャカルタでパンゲストゥ商業相と包括的経済協力協定に向けた交渉を開始。 |
4日 | ムーディーズ,ステート・バンク・オブ・インディアの財務格付け引き下げ。 |
4日 | シン首相とカルザイ・アフガニスタン大統領,戦略的パートナーシップ協定署名。 |
11日 | チュオン・タン・サン・ベトナム国家主席来訪(~13日)。 |
11日 | BJPのL・K・アドヴァーニ元副首相「人々の覚醒のための行脚」開始(~11月20日)。 |
13日 | TN州で建設中のクダンクラム原子力発電所,村人の反対運動で封鎖。 |
17日 | シン首相,南アフリカでの第5回IBSA首脳会議に出席(~19日)。 |
22日 | 国家開発評議会,第12次5カ年計画のアプローチペーパー承認。 |
25日 | RBI,レポ・レートの8.25%から8.5%への引き上げを発表。2011/12年度の実質GDP成長率を7.6%に下方修正。 |
29日 | 訪日中のクリシュナ外相,玄葉外相と会談。 |
11月 | |
1日 | ArP州の州首相にN・トゥキ選出。州会議派内の派閥抗争が収束。 |
2日 | パキスタン,インドに最恵国待遇を与えることを決定。 |
3日 | シン首相,フランスのカンヌで開かれたG20サミット,BRICS会合に出席。 |
3日 | 国営石油販売各社,ガソリン価格の1リットル当たり1.82ルピー引き上げを発表(4日から実施)。与野党から批判が出る。 |
4日 | オリッサ州の正式名称,“Orissa”から“Odisha”に変更。 |
9日 | ムーディーズ,インドの銀行部門の格付け見通しを引き下げ。 |
14日 | 国営石油販売各社,ガソリン価格の1リットル当たり2.22~2.35ルピーの引き下げを発表(15日から実施)。 |
18日 | シン首相,バリ島で開かれた東アジアサミットに出席(~19日)。 |
21日 | グジャラート高裁任命の特別調査チーム,2004年6月の警察によるテロリスト4人の殺害事件を偽装殺人と断定。 |
24日 | 政府,総合小売業への外国直接投資の規制緩和を閣議決定。 |
28日 | マニプル州の統一ナガ評議会,国道封鎖を解除。 |
28日 | 中国,ダライ・ラマがデリーで仏教会議へ出席することに抗議。国境会談延期。 |
30日 | CSO,2011/12年度第2四半期の実質GDP成長率(前年度同期比)の概算値を6.9%と発表。 |
30日 | 国営石油販売各社,ガソリン価格の1リットル当たり0.78~0.83ルピーの引き下げを発表。 |
12月 | |
1日 | 総合小売業への51%までの外資参入を許可する政府案に抗議し全インド流通業者協会,全土でストライキ。ムカルジー財務相,5日に法案の棚上げを表明。 |
9日 | コルカタで病院が火事。91人が死亡。病院の理事ほか逮捕。 |
9日 | ムカルジー財務相,2011/12年度の実質GDP成長率の予測を7.5±0.25%に下方修正。 |
12日 | CSO,10月の鉱工業生産指数を前年同月比-5.1%と発表。 |
12日 | 全国ローク・ダル,統一進歩連合(UPA)政権に参加。党首A・シン,民間航空相に就任(18日)。 |
14日 | WB州24パルガナ県で密造酒により170人が死亡。 |
15日 | シン首相,第12回印露首脳会合でモスクワを訪問。 |
16日 | RBI,政策利率の据え置きを発表。 |
22日 | 中央政府,その他後進階級(OBCs)の27%の留保枠のうち4.5%を少数派にあてることを決定。 |
26日 | インド・パキスタン,信頼醸成作業委員会をイスラマバードで開催。 |
28日 | 野田首相来訪。 |