Yearbook of Asian Affairs
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2012 Volume 2012 Pages 523-546

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2011年のスリランカ 進むインフラ開発,緩慢な和解プロセス

概況

内戦終結から2年余りが経過し,2011年8月,国内で常態化していた非常事態が延長されなくなった。背景には,海外からの人権侵害批判をかわす目論見もあるものの,治安が安定した証左でもある。国民の関心も経済や開発に向いている。コロンボと南部の都市ゴールを結ぶ,スリランカ初の料金制高速道路が開通したのはその象徴である。北部・東部においても地雷撤去が進み,国内避難民キャンプが閉鎖されるものの,戦後の和解プロセスは十分でない。

国内政治では,3月,7月,10月の3回にわたって地方自治体選挙が行われた。北部で24年ぶりに選挙が実施され,タミル政党が多数の議席を獲得した。その他の地域では与党統一人民自由連合(UPFA)が圧勝した。選挙の際,党内の地位をめぐる争いにより傷害事件が発生し,与党内の規律や選挙制度について議論になった。しかし,対立する野党勢は議席を大幅に減らしただけでなく,党内での分裂も顕著である。そのため,野党は現政権にとって有力な脅威とはなりえない。

内戦末期の戦争犯罪や人権をめぐっては,4月にスリランカに批判的な国連の専門家報告書が提出された。これに対し,12月に教訓・和解委員会(LLRC)によるヒアリングの結果と提言をまとめた最終報告書が国会に提出された。

GDP成長率は8.3%を見込んでいる。中間財・投資財の輸入の伸びが大きく,貿易赤字は2010年の倍以上になっている。観光客数・観光収入が大幅に伸び,海外送金も順調に増加しているが,貿易赤字を補うことは難しい。

インドとの関係では,両国間の海域で密漁をめぐって漁民・漁船の拿捕が相次ぎ緊張が高まった。しかし復興やインフラ開発でのインドの貢献は大きく,直接投資も伸びている。中国も2010年に引き続き存在感は大きく,コロンボ中心部におけるホテル,劇場建設など生活・文化面での協力も目立っている。

国内政治

335ある市町村のうち,2008~2009年に選挙が行われた11地方議会と,国内避難民(IDP)定住の遅れから選挙を延期したムライティブ県以外の322地方議会で選挙が行われた。結果は与党UPFAが圧倒的に勝利した。北部では1987年以来24年ぶりの選挙となり,タミル政党が躍進した。野党統一国民党(UNP)はわずか9議会で過半数を占めるのみであった。

301の地方議会で3月17日に一斉に選挙が行われるはずだったが,立候補受付に関して規定を満たさずに届け出を拒否された政党から異議申し立てが相次いだ。そのため係争中の選挙区については選挙が7月に延期されることになった。23地方議会は,3月にクリケット・ワールドカップ開催が予定されていたために10月に延期された。

3月の選挙では,UPFAが205地方議会で過半数を占めており大勝ともみえるが,得票数ではUPFAが55.9%,UNPが33.9%と獲得議会数に示されるような露骨な差はなかった。しかし,続く7月選挙では得票率はUPFAが61.2%,UNPが21.3%と差が開き,UNPはひとつの地方議会も獲得できなかった(表1)。10月の選挙は,おもに都市部で行われたために,都市部のキリスト教徒,タミル人およびムスリムからも支持を得ているUNPがどこまで議席を保持できるか注目された。しかし,結果はコロンボ市議会でようやく第一党になれたものの,過半数を得ることはできなかった。その他のUNPが伝統的に第一党を保持してきたキャンディ市議会(過去58年にわたりUNPが第一党)やヌワラエリア市議会で議席を大きく後退させてしまった。

表1  2011年地方議会選挙結果

(注) 3月の選挙においては,UPFAはNCと共同で立候補者をたてた地方議会を含む。7月選挙においてはTNAとTULFは連合を形成した。UPFA:統一人民自由連合,UNP:統一国民党,JVP:人民解放戦線,TNA:タミル国民連合,SLMC:スリランカ・ムスリム会議,NC:国民会議,TULF:タミル統一解放戦線。

(出所) http://www.slelections.gov.lk/より筆者作成。

後退といえば,人民解放戦線(JVP)の後退はUNPのそれよりも著しい。得票率は2006年の地方選挙では12%ほどあったものが今回は3%ほどに落ち込んでいる。

スリランカの選挙はしばしば不正が発生し,時に暴力的な様相を帯びる。今回の選挙は死傷者の数は多くなかったものの,不正に関しては,選挙管理委員会委員長が異例の苦言を呈するほどであった。とくに与党有力者が役職から得られる資源を最大限に利用して選挙運動を行う例が多発した。国営メディアは与党支持を喧伝し,公務員や警察官なども与党側の選挙運動に駆り出された。北部の選挙においてはタミル人立候補者に対して,自宅に犬の死骸を投げ込むなどの露骨な嫌がらせが横行した。与党UPFAはマヒンダ・ラージャパクセ大統領や閣僚らが現地入りし,開発プロジェクトの実施を発表するなどの熱の入れようだった。

今回際立った暴力事件は,異なる党の支持者間の抗争ではなく,選好票(PV)をめぐる与党内抗争である。スリランカでは投票する際に,有権者はまず党を選び,その党のなかから好ましい候補者を幾人か選ぶことができる。そして,それには順位がつけられる。この順位を党内で争っているのである。順位がよいほど党内での地位が高くなり,行使できる権限も大きくなるからである。今回のように,各政党の候補者の実力が拮抗していない場合,与党候補者の間でPVの取り合いとなる。UPFA党内のPV争いで3月の選挙では3人が,10月には5人が死亡した。とくに10月に発生した,現職国会議員とベテランの元議員が直接関与した事件は極端な事例であるため,注目を集めた。コロンボ近郊で,コロンボ県選出のドゥミンダ・シルバ(当選1回)とベテランの元議員で大統領のアドバイザーのバーラタ・ラクシマン・プレマチャンドラが対立し,お互いに発砲する事件が発生し,バーラタやそのボディーガードらが死亡し,ドゥミンダ・シルバも重傷を負った。この事件がきっかけで国会議員がマフィア組織と関係があったことが明らかになったこともあり,与党議員の地位を利用した目に余る選挙活動が問題となった。同時にPVをめぐる党内対立にも関心が高まり,選挙法改正についても議論がなされるようになった。

野党UNP・JVPの内紛

2004年の国会議員選挙以降,選挙に負け続けるUNPの内部では,総裁のラニル・ウィクレマシンハに対する反感が高まっていた。反発の中心にいたのは,ラナシンハ・プレマダーサ元大統領(在任期間1989~1993年)の息子のサジット・プレマダーサであった。3月の地方選挙後,サジットら改革派は首脳陣批判を強めた。首脳陣はサジットを,ベテランのカル・ジャヤスリヤと同等の副総裁に任命して,批判をかわした。しかし,サジットは副総裁に任命されてからも,ラニルが1994年から17年にわたり,党員選挙などによらずに総裁の地位に居座っていることを批判し,総裁選挙の実施を求めた。同時に,党の運営に関しても都市部の支持基盤を重視するラニルに対して,地方の草の根組織の強化を訴えた。ラニルの地位は揺らぐかにみえたが,10月に行われたコロンボ市議会選挙では過半数を得ることはできなかったものの何とか第一党の地位を保持した。そして,12月に行われた党内選挙の結果,ラニルは改革派の対立候補カル・ジャヤスリヤを破り,UNP総裁の地位を守った。サジットは,ラビ・カルナナヤケを下し副総裁に選出されている。総裁選挙が行われ,ラニルが選出されたことで,内紛はいったん収まったものの,UNPはUPFAに対して有効な反対勢力になりそうもない。

JVPでも総裁のソーマワンサ・アマラシンハと対立する一派が動き出している。反対派の中心にいるのはプレマクマール・グナラトナム(通称クマール)というケーガッラ生まれのタミル人だとされている。グナラトナムは,1980年代後半に発生したJVP武装蜂起時に殺害されたJVP活動家のランジーダンの弟で,収容所から脱獄した後に死亡したとされていた。しかし,実は生きていて身を隠しながらJVPの立て直しに貢献し,党の中枢で意思決定に実質的にかかわっていた。現在のJVPがシンハラ・ナショナリスト的な政党とみなされているのに対して,反対派はタミル人との共闘を主張しているとされる。グナラトナムは党中央委員会のメンバーだったとされているものの,本人がマスメディアに姿を現したことはなく,実態は不明である。アマラシンハ総裁らは,年末に,有力メンバーを含む反対派を党中央委員会から除名し,新たに中央委員会を立ち上げた。地方選挙の敗退と,不明なことの多いJVPの内紛は確実に有権者のJVP離れを引き起こしそうである。

内戦後の処理――人権問題とLLRC

2010年6月に潘基文国連事務総長が任命した専門家らの報告書が2011年4月に提出された。この報告書では,スリランカ政府およびタミル・イーラム解放の虎(LTTE)の犯した深刻な人権侵害や戦争犯罪を指摘している。スリランカ政府の犯した深刻な違反は次のとおりである。①広範囲に及ぶ爆撃により一般市民を殺害した。②病院や人道的な活動を行う施設を爆撃した。③人道主義的な援助を拒否した。④IDPおよびLTTEメンバーを含む紛争の犠牲者・生存者に対する人権を侵害した。⑤紛争地域以外においても,政府批判を行う者に対して人権を侵害した。具体的には,①では,政府軍に追い込まれて地峡に陣取るLTTEに対して,民間人がすぐそばにいると明らかに知っていながら広範囲に及ぶ爆撃を行った。②では,政府軍は非戦闘地区(NFZ)を指定していながら,NFZ内の病院をターゲットにして空爆を実施した。③では,スリランカ政府は国連職員や人道援助に関わるNGO職員らを当該地域から強制的に退去させただけでなく,食料や医療品などは十分に供給されているとして,援助を拒否した。④ではLTTE幹部らを処刑するとともに劣悪な環境のキャンプに長期間にわたりIDPを留め置いた,としている。

一方でLTTEによる深刻な違反としては以下の点が指摘されている。①民間人を「人間の盾」にした。②LTTE支配地域から民間人が避難しようとするのを許さなかった。③民間人が至近距離にいるにもかかわらず火力の強い武器を用いた。④子供を徴兵した。⑤民間人を強制労働させた。⑥自爆攻撃により民間人を殺害した。①では,強制的に移動させた民間人を政府軍の攻撃からの盾とした。④では,以前から問題視されていたが,内戦末期においては徴兵制がさらに強化され,それまでは1家族1人の兵士を供出することで許されていたが,それ以上が求められるようになったため,子供まで徴兵されるようになった。⑤では塹壕掘りなどに民間人が駆り出された。

6月に放送されたイギリスのテレビ局チャネル4によるドキュメンタリー番組「スリランカのキリングフィールド」は,内戦末期の様子を生々しく描いた。スリランカ政府軍が採用していたとされる「民間人死傷者ゼロ政策」を真っ向から否定する内容であった。スリランカ政府は,番組は捏造であると反論した。8月にはスリランカ国防省が報告書「人道作戦の事実に基づく検証 2006年7月~2009年5月」を発表している。

スリランカ政府は,インフラ整備・開発を主体とする経済開発を行うことで,国民の生活水準を向上させることを内戦後の最重要策としてきた。その一方で,人権・戦争犯罪問題については国内で「過去の教訓・和解委員会」(LLRC)を組織し,調査を行っているとして国際社会からの介入を拒否してきた。LLRCは2010年3月に大統領によって任命され,2010年8月から2011年2月まで各地でヒアリングを行ってきた。その結果はLLRCの最終報告書にまとめられた。報告書は当初,5月に提出されるはずであったが,実際は11月に大統領に,12月には国会にも提出され,一般に公開された。評価される点は,政府軍の攻撃により民間人の死者があったことを認めた点,独立調査委員会設立の必要性を指摘した点,北部・東部の軍事化(軍の駐留の固定化など)を危惧し,規模の縮小を提言している点などである。主要タミル政党であるタミル国民連合(TNA)や国際社会(アメリカ,イギリス,インドなど)は,提言がなされたことを評価し,提言の実行を強く求めた。同時に十分に説明責任を果たしていないとして,国際的な独立調査委員会の設置を求めた。LLRCの最終報告書の内容は,確かにタミル政党や国際社会にとっては物足りないだろう。しかし,大統領が組織し任命した委員会が,限定的とはいえ軍の戦争犯罪への関与を認めたことには意義がある。スリランカ政府は,提言内容の実施を期待されている。

非常事態宣言の解除

非常事態宣言は1983年のコロンボ暴動を契機に発令されて以来,ほぼ常態化して,容疑者の令状なしの逮捕や容疑者の最長18カ月の拘束などを可能にしていた。2002年の停戦合意により停止していたが,2005年8月のカディルガマル外相(当時)殺害をきっかけに再び発令されるようになっていた。2009年5月の内戦終結以降は2010年5月に規模を縮小したものの,取り締まるべきLTTEの活動がなくなったにもかかわらず毎月国会で延長の審議がなされ,延長されてきた。そのため野党議員やインド政府などから継続的に疑問が提示されていた。政府は,7月に年内解除の可能性を示唆していたが,8月に突然解除されることになった。大統領演説では,国外のプレッシャーからこのような決断をしたわけではなく,国内の情勢から判断したと強調したが,ジュネーブで開催される国際会議のタイミングに合わせて,人権に配慮した政策がとられていることを対外的に示す措置とみられた。そのため,完全解除とはいえない。非常事態宣言で規定されていたLTTE活動禁止,高度警戒地域(HSZ)の指定やLTTE要員の拘束などは,テロ防止法(PTA)に移管され継続することになった。

権限委譲問題

北部・東部への権限委譲は民族問題の政治的解決の鍵となる課題である。TNAと政府は2011年1月から交渉を開始したが,国連の報告書に対するTNAの反応に気分を害した政府側のメンバーが交渉を外れるなど,進展がみられなかった。5月には政府側から上院の設置の提案があった。しかし,TNAは第13次改正憲法の完全実施とそれ以上の権限委譲を要求したことで,それ以降はすれ違いが目立った。その後,政府が文書による回答をしないことを理由にTNAが協議に応じず,8月からは会合は持つものの実質的な交渉は行われないでいた。

権限委譲の懸案事項としては土地の開発権限と警察権限がある。この2つの権限は,第13次改正憲法では地方の権限として規定されているが,実際には運用されていない。スリランカ政府との交渉に見切りをつけたTNAは海外からの圧力を利用するために,アメリカやインドへの訪問を繰り返した。一方で,大統領は土地と警察に関する権限の内容については譲歩しないと6月に来訪したインド代表団に対して断言していたが,12月にメディア・情報大臣が土地に関して譲歩がありうると発言をした。しかし,すぐにその発言を撤回するなど混乱がみられる。

人権問題や和平をスリランカ独自の手法や枠組みで解決すると主張する政府は,各政党の国会議員からなる国会選任委員会(PSC)を創設し, TNAがPSCへ参加することを促している。しかし,TNAは参加に疑問を呈している。TNAはPSCでの議論がシンハラ過激派の意見に偏った方向に向かうことを危惧しているためである。TNAは,もし参加するのなら,TNAと政府との間で個別に話し合い,合意を形成したうえで,それがPSCに提出されることを前提としている。しかし,こうした合意案も無視される可能性が高く,TNAは「PSCはかつての全政党代表者会議(APRC)と同様に時間の無駄」になるとして参加を拒んでいる。権限委譲に関してはタミル政党が権限の州への委譲を求める一方で,その他の州,とくにタミル人の少ない地域においては憲法で規定されている以上の権限委譲は必要ない,との主張もあるため,話し合いによる政治的解決には時間を要するだろう。

北部・東部の復興状況

経済開発省の発表によると,地雷が埋まっている可能性があった地域の面積が内戦終結時は2061平方キロメートルだったものが,2011年末の時点で,126平方キロメートルとなっている。これまでに約76万個の地雷などを撤去した。しかし,残された地域はジャングルなどで除去作業が難しい地域である。

政府は,2009年の内戦終結以来,元LTTE要員に対して職業訓練などのリハビリに25億ルピーを費やした。1万2000人余りいた元LTTE要員は2011年末までには1000人ほどを残すのみとなっている。最大のIDPキャンプであったメニック・ファームも閉鎖される見込みである。12月の政府発表によればこれで2100世帯,1万人余りが残るのみとなったとされる。北部・東部において内戦の処理は着実に進んでいるようにみえる。

しかし,TNAが権限委譲などの政治的解決を模索するのと同時に主張しているのは,タミル人の「グリーバンス」(苦情の種)の解消である。具体的には,内戦中の行方不明者について所在を明らかにすることなどである。家族の生死や所在が不明であるため,法手続きができないばかりか心理的にも新しい生活に踏み出せないでいるためである。多くの若者が内戦中にLTTEや政府軍に連れ去られたまま行方不明となっている。また,TNA議員スマニティランが7月に国会に提出した報告書では,内戦が終結した後もタミル人らが不自由な生活を強いられていることを明らかにしている。たとえば,軍が北部の町や村で住民の生活を監視・コントロールしたり,また漁業やサービス業などの経済活動を行うことで住民の就業機会を圧迫していることが挙げられる。政策面でも,実施がとうてい困難とみられる北部での土地登録を義務づけた通達が出されるなど,強硬な政策が北部のタミル人の間に不信感を招いている。国会議員数についても,ジャフナ県における人口減少を勘案して議席数を9から5に減らす議論が行われており,国会におけるタミル人議員の減少が懸念されている。

グリース・デビル(油まみれの悪魔)騒動

北部・東部の住民と軍の危うい関係を明らかにしたのは,8月に発生したグリース・デビル騒動である。8月上旬から中旬にかけて北部や東部を中心に恐慌状態が広まった。北部・東部の住民,とくに女性たちが「グリース・デビル」の出現を恐れたのだった。グリース・デビルとは,体に油を塗りたくった泥棒やのぞき魔のことであり,油でつるつる滑るので,犯行が発覚して追いかけられても捕獲を免れるとされている。しかし,もちろん誰もそのようなことを実行するはずもなく,笑い話のような伝承であった。しかし,今回のグリース・デビル騒動は政治問題に発展した。

発端となったのは,ラトナプラ県の連続殺人事件であると解釈されている。犯行は不明な点が多かったため,地元メディアは幽霊の仕業であると書き立てた。地元警察の対応に不信感を抱いた住民らは自警団を組織して治安維持に努め,警察に代わって軍による警備を求めた。犯人は逮捕されたものの,尾ひれのついた噂は広まり,噂を模した愉快犯も発生するに至り,やがて「グリース・デビルが女性を襲う」というストーリーが独り歩きしていった。

シンハラ人の多く住む地域でも住民の過剰な反応があり,無関係の人物がグリース・デビルと疑われて殺害される事件も発生したが,より大きな事件となったのはタミル人やムスリムが多く居住する北部・東部であった。多くの場合,近所の住民が追跡するが,犯人の動きは敏捷で捕獲できず,犯人は警察や軍のキャンプに逃げ込み,姿を隠す。そして,住民の要求にもかかわらず,警察や軍は犯人を引き渡さない,というのがパターンであった。

アンパラ県ポットヴィルでは,怒った住民が警察を取り囲み,警察が住民に発砲し,住民1人が死亡した。トリンコマリー県キンニヤでは海軍基地を住民がとり囲み,兵士が住民に向けて発砲している。プッタラムでは,警官が住民に暴行されて死亡している。

グリース・デビル現象は,短い期間に集中して発生している。パターンも同一であることから,自然発生的なものではないようにみえた。北部・東部では,紛争が終わっても軍が撤退しないばかりか,住民の生活に深く介入していることに住民が不満を抱いていたために,軍・警察への不信感が高まっていた。そのため噂に駆り立てられた住民は容易に暴徒化してしまった。国際社会から非常事態宣言の解除を求められていたことに対して,いまだに治安上の問題があり,軍の存在が必要である,とアピールする意図で引き起こされたものだという推測もなされた。しかし,結局,背後関係は判然としないまま,大統領とTNA代表のサンバンダンらが9月に話し合いをもち住民保護のための組織を立ち上げることで合意して,事態は終結した。

経済

2011年の輸出額は対前年比22.4%増と順調に推移しているものの,輸入の増加率が50.4%と激増した。輸入はとくに車両が2倍に,金の輸入が6倍に拡大した。原油輸入価格の上昇およびインフラ開発のための中間財と投資財輸入が2010年に引き続き増加(それぞれ51.0%,60.3%増)したためである。貿易収支赤字は前年のおよそ倍に達した。観光客数は30.8%増えて85万人を突破し,観光収入は対前年比44.2%増の8億3000万ドルを達成した。海外送金なども,女性の家内労働者が主体であったものが男性の労働者も増えつつあり,安定的に推移している。それでも貿易赤字を補うことは難しそうだ。

農業では1,2月に北部・東部で大規模な洪水が発生し,マハ期(10~1月)のコメ収穫が対前年比24.2%マイナスとなり,第1四半期の成長率は大きく落ち込んだ。しかし,その後は回復して通年のGDP成長率は8.3%と見込まれる。

物価上昇率は,2010年は年率で6.2%,7~10月に7%を超えたことがあったものの,2011年末には6.9%となっており,インフレは抑制されているようにみえる。しかし,これはインフレ抑制を重視する中央銀行主導の経済政策によるものである。まず,消費者物価指数の基準を前回の改定からわずか2年半で改めている。本来なら少なくとも5年は固定されるべきものである。野党議員は,基準を変更することでインフレ傾向を隠蔽しようとしていると批判した。また,小麦や砂糖,ミルクパウダーなどの消費財や燃料,中間財・投資財などの多くを輸入に頼っているスリランカでは,輸入価格の上昇がインフレをもたらす。輸入インフレを防ぐために行ったのが,輸入関税の引き下げとルピーの為替維持であった。中央銀行はドルを売ってルピーを買い支えた。外貨準備額は2011年7月末の81億ドルから12月末には62億ドルに減少している。ルピー相場の維持により輸入インフレは抑えられているが,輸出入のバランスは大きく崩れている。ルピー高の状態は輸出にも悪影響を及ぼす。11月,2012年予算案演説の際に大統領がルピーの3%切り下げを発表したものの,依然としてルピー高の状態である。輸出業者は燃料・電気料金の値上げやEUのGSPプラスの停止,工場労働者の不足に悩まされているため,ルピー高はさらなる逆風となっている。

インフレを嫌う中央銀行であるが,2011年の民間への銀行融資額が対前年比34%増と予想を超えたものになっているにもかかわらず,金利引き上げ政策はとらないと表明している。民間の企業活動を促進する意図があるためだが,インフレと景気促進との間で難しい舵取りを迫られている。

経済成長率は8.3%と高い数値を達成しているものの,経済政策とその実施との間に齟齬がみられる。民間企業年金案や野菜流通におけるプラスチック・コンテナ使用命令は,関係者の反発を招き,大規模なデモを引き起こした。

企業年金法案に関して,本来ならば労働組合活動が規制されているカトナヤケ空港付近の自由貿易区(FTZ)の工場に野党関連の活動家らが入り込み,工員らをけしかけた結果,FTZで初のデモとなった。法案では10年継続して働かなければ年金が支給されず,結婚前の短期間しか就労しない傾向にある労働者らにとって,月給の2%にあたる負担分がまったく無駄になる可能性が高かったからである。5月31日にFTZ内で発生したデモは工場や機械の破壊や負傷者をだしただけでなく,警察の発砲により死者1人が発生する深刻なものとなった。政府は暴動を沈静化しようと法案に手を加えるなどしたが,結局廃案となった。このデモは,年金法案を廃案にしただけでは済まなかった。本来なら労働運動が規制され,デモが起こるはずのない場所で発生し,暴徒化してしまった結果,生産拠点としてのスリランカの信頼度が著しく低下した。国内的には輸出加工区で働くことを労働者や労働者の親らが恐れ,労働者が不足するようになった。

プラスチック・コンテナ使用命令は,流通過程における野菜の傷みを防ぎ,廃棄量を減らすために,12月11日より,袋ではなくプラスチックのコンテナを用いるように命じたものである。すでに2月には40万個のコンテナが配布されており,コンテナ購入のための融資スキームも準備されていたにもかかわらず,スムーズに開始することはできなかった。全国各地で農民や中間業者らが抗議行動を起こし,野菜・果物の流通拠点のひとつであるダンブッラでは警察が催涙ガスを用いるほどの事態に至った。大統領が業者と話し合いをもった結果,制度の運用開始を1カ月延期することになった。政府は新聞などにコンテナ使用の効用を説くイラスト広告などを掲載している。農産物の40%が流通過程で損傷すると試算されており,制度自体は流通の効率化をもたらすものであるが,業者などの既得権益集団の反対を十分予測できずにいたため,混乱が引き起こされた。

経済政策面での迷走・混乱は,緊急法案として提出された「不採算企業・遊休資産再生法」案にもみられる。法案の趣旨は,過去に民営化された事業・資産のうち「不採算」,「遊休」とみなされたものを,再び国の管理下に置こうとするものである。国有企業・資産の民営化は,国益に資することが前提とされ,引き受け事業者は価格面や税制面で優遇措置を受けていた。今回の法案では,引き受け後数年で事業を閉鎖した,あるいは開発面での国民への適切な貢献がないなどの理由で不良とみなされたケースを不採算企業・遊休資産とみなした。不採算企業として1社,遊休資産として36の土地・建物が指定された。

36の遊休資産のなかには,かつて繊維産業を促進するために払い下げられた土地やFTZ内の土地などが含まれており,その有効活用は必要である。しかし,今回,政治的に問題となったのは,UNP東部州幹部ダヤ・ガマゲとその妻が所有するセバナガラ砂糖工場が指定されたことであった。ガマゲは,UNPに多額の財政的貢献をしているとされており,今回の法案の目的はUNPの財政的基盤を弱体化させようという政治的な意味合いも強いとされている。

この法案は緊急法案として提出されたこと,何が国民の利益に資するのかが曖昧で,対象企業の決め方が上記のように恣意的であることなどに関して,民間企業は政府に対して強い不信感を表明している。政府は,今回の措置は1回限りとしているものの,商工会議所などは投資先としてのスリランカの信頼を損ねると主張している。

対外関係

2010年に引き続き,インドは復興関連での貢献が大きい。内戦中にカンケンサントゥライ(KKS)港に沈んだ船の引き上げ,鉄道,IDPのための住宅建設や修繕のほか,学校修繕や文化施設の建設,奨学金などへ資金提供も行っている。

復興関連以外では,インド・スリランカ間に位置するポーク海峡などでの領海問題が関心を集めた。内戦終結以降,インド漁船の領海侵犯と密漁が頻繁に生じていた。1月にインド漁船が何者かに銃撃され,1人が死亡する事件が発生した。インド外務次官が来訪し,スリランカ海軍によるインド人漁民への迫害防止のための覚書を提案してきた。その後も,インド漁船の侵入が頻発するに至り,スリランカ漁民らが業を煮やして2月15日にはインド漁船18隻と漁民112人を拿捕し,スリランカ警察に引き渡した。インド漁船は底引き網漁を行うため,スリランカにとって被害が大きい。

漁民の大量拿捕にインドのタミル・ナードゥ州では抗議活動が発生した(2月16日)。インド中央政府もスリランカに対して警告を発した。これを受けてスリランカ側はインド漁民らを18日に釈放している。これを弱腰とみたスリランカ漁民らは21日,ジャフナのインド領事館前で座り込みを行って抗議している。22日には大統領がインドとの間の共同委員会を活性化させ,解決の道を探ると述べている。しかし,その後も両国間では領海侵犯・密漁を行ったとする漁民・漁船の拿捕が続いている。

領海問題は存在するものの,両国の貿易取引は,輸出入額が対前年比で70%増加するなど活況を呈している。インドからスリランカへの直接投資も好調で,インドによる対SAARC諸国(南アジア地域協力連合)への投資のうち半分がスリランカに向かっている。

中国はインドと同様に,スリランカの復興後のインフラ建設に貢献している。コロンボの中心部に中国が建設した劇場が完成するなど,その存在感はますます高まっている。しかし,その一方で中国のプロジェクトに対する一抹の不信感も生じている。たとえば,第1フェーズの建設に410億ルピーを費やし,2010年11月に華々しくオープンしたハンバントタ港には大きな問題があった。港の入り口に巨大な岩があり,大型船の入港の妨げになっていることが判明した。そのためオープンから1年後に爆破を行い,追加的に159億ルピーを費やさざるをえなかった。また,512億ルピーを費やしたノロッチョライの石炭火力発電所は稼働を開始したものの故障が多発している。野党議員らは,中国からの借入れ利率がほかの国際金融機関などと比べて3~6%高いことを批判している。このように中国のプロジェクトに対して不信感があるものの,国際社会から人権関係で批判されているスリランカとしては,中国は依然として強い味方である。

内戦末期の人権侵害や戦争犯罪に対して,説明責任を果たすべきだとの国際社会から圧力は引き続き根強い。しかし,2011年5月に開催された第17回国連人権理事会では,LLRCの報告書を待つことになった模様で,スリランカの人道問題に特化した決議がなされるなどの大きな議論にはならなかった。

2012年の課題

2012年1月に来訪したインド外相がTNAに対してPSCに参加して話し合うことを促したため,TNAが軟化する可能性が出てきた。しかし,直接協議の数日前に,LLRC報告書へのTNAの意見書の内容が発表され,政府が態度を硬化させ,話し合いはキャンセルとなった。LLRC最終報告書が提出され,戦後処理の新たなスタートラインに立ったといえるものの,政治的解決には時間がかかりそうである。

戦後の和解や政治的解決のためには国内で自由な議論がなされるのが望ましいだろう。しかし,「国境なき記者団」による世界報道自由ランキング(2011~2012年)において,スリランカは前回179カ国中158位だったが163位に下落した。政府の報道統制が行われるなかで,実際に被害を受けた人々や,いまだに被害を受けている人々の意見を和解や政治的解決にどのように反映させていくかが課題である。

政府や中央銀行は,2011年と同様の経済成長を期待できるとしているが,懸念材料も存在する。2012年1月以降,モルディブとシンガポール以外からの入国には事前にビザ(有料)の申請が必要になった。ビザ取得の義務化は,拡大基調にある観光客の誘致に対してハードルになりかねない。また,イランから原油の93%(2010年)を輸入するスリランカは,石油精製施設の仕様もイラン産原油に特化しており,ほかの国からの供給にすぐに切り替えることも難しい。燃料価格の上昇やインフレに対して労働組合や野党主導の抗議デモが多発しており,いかに対処するかが課題となる。

(地域研究センター研究グループ長代理)

重要日誌 スリランカ 2011年
  1月
1日 大統領,年頭の所信表明。「すべての機会を有効に用いて経済的恩恵を平等に配分しつつスリランカ社会を繁栄させる」。
6日 地方議会解散。選挙実施は3月。
7日 インドと海上交通(フェリー運航)に関する覚書に署名。
10日 国家災害管理センター,東部・中央・北中部州で発生した大雨による洪水で82万人以上に影響が出ていると発表。各国から支援の申し出あり。
12日 ポーク海峡でインド人漁民が何者かに銃撃され死亡。
30日 ラオ・インド外務次官来訪。
31日 暴徒がLanka e news社に放火。
  2月
3日 政府・TNA話し合い。今後も定期的に協議することで合意。
4日 IMF,第6次トランシェとして2億1660万ドルを融資。
10日 政府,北部・北中部・東部州で発生した洪水・地滑り被害に330億ルピーの支出を決定。
12日 コロンボ=トゥティコリン間の貨物サービス運航開始。
15日 スリランカ人漁民らが,112人のインド人漁師と18隻のトロール漁船をポイントペドロ警察に引き渡す。
16日 ゴール=マータラ間の鉄道再開通。インド鉄道公社(IRCON)による建設。
16日 インド,タミル・ナードゥ州のカニモジ議員ら,インド人漁民の早期釈放を求めてスリランカ領事館にデモ,逮捕される。
18日 裁判所命令により,インド人漁民解放。
20日 ハンバントタに建設されたマヒンダ・ラージャパクセ国際スタジアムのこけら落としとして,クリケット・ワールドカップ(インド・バングラデシュ・スリランカの3カ国共同開催)の試合開催。
20日 LTTE首領・プラバカランの母親,ジャフナの病院で病死。
21日 政府,過去の教訓・和解委員会(LLRC)中間勧告に基づき高度警戒地区(HSZ)縮小。256戸の住宅も所有者に返還。
21日 ジャフナで漁民らがインド領事館前でインド人漁民の密漁に抗議。
22日 TNA議員ら,ジャフナとキリノッチで行われている,軍によるタミル人の『強制登録』の中止を求めて基本的人権訴訟を提訴。
23日 政府代表ら潘基文国連事務総長と会談。LLRC中間報告に基づく政府の対応などを説明。
  3月
3日 アメリカ上院,スリランカの内戦中・戦後の戦争犯罪に関する国際調査を求める決議を可決。
7日 ジャフナでTNA議員のS. シュリダランが何者かに襲撃される。
9日 閣議,付加価値税の20%から12%への引き下げ,国家建設税の引き下げを承認。
10日 ゴール=マータラ間の電車初運行。
17日 234議会で地方選挙。与党UPFA圧勝。
18日 政府,TNAと協議。TNA,ディスカッションペーパーを提出。
18日 大統領,在スリランカ日本大使館を訪問し,東日本大震災で甚大な被害を被った日本に弔意を表明。
22日 大統領,ノロッチョライ(ラク・ビジャヤ)石炭火力発電所の第1ステージ終了を宣言。
23日 UNP,ラニル・ウィクレマシンハを党指導者として認め,副総裁にカル・ジャヤスーリヤとサジット・プレマダーサを任命。
24日 閣議,都市開発を担うコロンボ大都市圏公社設立を決定。知事は大統領によって任命される。
27日 LLRC,地方での公聴会を終え,最終報告書の作成に移る。5月に大統領に提出予定(実際の提出は11月)。
28日 ロバート・ブレイク米国務次官補(南アジア担当),ワシントンで世界タミルフォーラム代表らと会談。
  4月
4日 IMF,第7次トランシェとして2億1830万ドルを融資。
7日 政府・TNA協議。TNAは,第13次改正憲法を越えるメカニズムが必要と語る。
8日 国会に年金法案提出。
12日 国連調査パネル,潘基文国連事務総長に報告書を手交。25日発表。
18日 大統領,ダカ訪問(20日帰国)。ハシナ首相と会談。
20日 大統領,インド首相と電話会談。
27日 スリランカ外務省,国連報告書は情報に偏りがあり証拠もないと批判。
29日 政府・TNA協議。TNAは州と中央との権限分担リスト廃止を要望。
  5月
4日 来訪中のロバート・ブレイク米国務次官補,スリランカの復興状況を評価。
9日 全国大学教員連盟,給与引き上げを求め,役職辞職願を提出し,スト開始。
12日 政府・TNA協議。
13日 インド,タミル・ナードゥ州選挙。全インド・アンナー・ドラーヴィダ進歩党(AIADMK)が与党に復帰。
23日 大学の新入学生に全国の軍施設で3週間のリーダーシップ研修。
24日 カトナヤケ自由貿易区(FTZ)の工場労働者らが年金法案に反対してデモ。
27日 戦勝2周年式典,ゴールフェイス・グリーンで開催。「自国の問題を自国で解決できる」として国際社会の介入を退ける。
30日 カトナヤケFTZで労働組合と警察の衝突。250人負傷。警察の発砲で1人死亡。
30日 国連人権理事会ジュネーブで開催(~6月17日)。
  6月
1日 バラスーリヤ警察長官辞職。
2日 政府,年金法案を正式に撤回。
3日 全国大学教員連盟,政府と直接協議。
8日 インド,タミル・ナードゥ州で,インド中央政府に対して,スリランカへの経済制裁を要求することなどを全会一致で決定。
11日 インドのメノン安全保障顧問,ラオ外務大臣,プラディープ・クマール国防次官来訪(2日間)。12日に大統領と会談。第13次改正憲法の実施を求める。大統領,警察と土地問題について地方へ権限委譲しないと言明。
13日 コロンボ=トゥティコリン間の旅客フェリー運航開始。
14日 イギリスのテレビ局チャネル4でスリランカの内戦末期の人権侵害に関するドキュメンタリー番組放送。
16日 大統領,ロシア訪問。メドベージェフ・ロシア大統領,胡錦濤・中国主席と会談。
22日 大学教員ら,コロンボで抗議デモ。
23日 政府,TNAと協議。政府,次回までに書面で権限委譲について解答することに。
28日 大統領,国会議員選任委員会(PSC)の設立を発言。
  7月
1日 コロンボ消費者物価指数(CCPI)基準変更。
4日 国防省,外国人の北部立ち入り許可制を撤廃すると発表。
6日 政府,TNAと協議。
11日 ロンドンの裁判所,セイロン石油公社(CPC)はスタンダードチャータード銀行に1億6173万3500ドルと利子の支払い義務があると判決。
11日 ノロッチョライ石炭発電所発電開始。
18日 ムーディーズとフィッチ,スリランカ国債の格付けを引き上げ。
20日 大統領,キリノッチ訪問。
20日 クリントン米国務長官,インド,タミル・ナードゥ州首相ジャヤラリタと対談。クリントン氏,スリランカのIDPの苦境に懸念。
21日 アメリカ下院外交委員会,スリランカに対する開発援助の条件付き停止を可決。
21日 全国大学教員連盟,スト停止。
23日 65議会で地方選挙。与党圧勝。
26日 カンケンサントゥライ港での沈没船引き上げ作業開始。
28日 政府,非常事態宣言の緩和と2011年末までの解除を発表。国内における責任を果たすためで海外からの圧力によるものでないと強調。
29日 タミル語紙『ウタヤン』の編集者,ジャフナで襲撃される。
  8月
1日 国防省,「人道作戦の事実に基づく検証2006年7月~2009年5月」を発表。
2日 商工会議所,国連専門家パネル報告書に関する民間セクターの見解を発表。
4日 政府,TNAと協議。協議後,TNAは進展がないことを批判し,10日以内に政府が具体的提案を書面で示さないならば,次回の協議を行わないと発言。
6日 経済開発大臣,マナー沖で海底油田の探索のためのボーリングを開始したと語る。
8日 大統領,中国訪問。ハンバントタ港,ノロッチョライ火力発電所について協議。人権に対しても国際社会の介入を排除した和解に向けて協力すると約束。
13日 カッタンクディでグリース・デビルをめぐり住民と警察が対立(この前後数日にわたり北部・東部を中心にグリース・デビルをめぐる騒動が多発)。
16日 モルディブ大統領,来訪(~17日)。
17日 IRCONと鉄道通信システムで調印。
17日 UNP本部で改革派議員らがハンスト。
21日 プッタラムで警察と住民らの衝突,警察官1人死亡。
25日 大統領,国会で「非常事態宣言の延長を行わないと決定した」と演説。
26日 インド・バンガロールにスリランカ領事館開設。
30日 非常事態宣言解除。
  9月
2日 ギャラップ社,スリランカ国民の91%が内戦後の大統領の業績を支持との調査報告。
12日 ブレイク米国務次官補,来訪。
16日 大統領,ニューヨークに到着,23日国連で演説。24日潘基文国連事務総長と会談。
16日 政府,TNAと協議。
19日 政府,バブニヤの難民キャンプをまもなく閉鎖すると発表。
21日 LTTEの海外資金調達・洗浄を阻止する法律成立。
29日 ガンパハ県ドンペの警察署で,留置所で容疑者が死亡したことをめぐり,近所の住民が警察署を包囲。
30日 政府,リハビリを終えた元LTTE要員1800人を解放。
  10月
2日 大統領,マナー沖に天然ガス発見と発表。
7日 政府,人権保護・プロモーションのための行動計画を国連人権委員会に提出すると発表。
8日 地方選挙投票日。コロンボ都市評議会など23市町村で選挙。
8日 選挙の投票終了間際にUPFA内部対立から銃撃。元国会議員死亡。現職国会議員が重体。
8日 マタイ・インド外務次官,来訪(3日間)。
13日 ベトナムのチュオン・タン・サン国家主席,来訪。
24日 TNA,北部・東部の土地登録義務化に対して基本的人権訴訟を最高裁に提訴。
25日 TNA議員ら,ワシントン訪問。
28日 オーストラリア・パースで英連邦首脳会議開催。大統領および外相が出席。
  11月
3日 政府,PSCに関する動議を発表。
9日 業績不振企業・不活性資産の再興法案が国会で可決。
10日 モルディブで第17回SAARC首脳会議開催。大統領が出席。
11日 ノルウェー,「スリランカ・和平プロセスに関する評価報告書」発表。
16日 政府,TNAと協議。
17日 政府,ウェブ上のニュースサイトに当局への登録を命じる。
18日 サラット・フォンセーカ元陸軍司令官白旗裁判結審。懲役3年・罰金5000ルピーの有罪判決。
20日 LLRC,最終報告書を大統領に提出。
21日 大統領,国会で来年度予算案演説。ルピーをドルに対して3%切り下げ。
23日 国会,PSC設立動議を承認。
24日 ゴーターベ国防次官,統計局が北部の人口調査を進めていると発表。
26日 南部で強風による大規模被害発生。
27日 コロンボ=ゴール南部高速道路開通式。
30日 2012年度予算案,第2読会。賛成多数で可決。UNP議員1人が党籍替えし政府案に賛成票。
  12月
3日 政府,TNAと協議。TNA,PSC参加は直接協議の内容次第。
6日 政府,TNAと協議。
8日 大統領,バリ民主主義フォーラムに出席し,演説。
11日 政府,野菜・果物の流通にプラスチック・コンテナ利用を義務づけ。各地で抗議行動多発。
14日 プラスチック・コンテナ利用義務化に1カ月の猶予期間を設けると政府発表。
15日 中国の援助による劇場がコロンボ中心部に開場。
16日 LLRC最終報告書が国会に提出される。
19日 UNP総裁選挙,ラニルがカル・ジャヤスリヤを72対24で破る。暴徒がシリコタ(UNP事務所)を襲撃。
21日 2012年度予算,賛成多数で可決。
26日 インド政府,LLRC最終報告にコメント。人道上の問題に適正に対処することを要望。第13次憲法改正以上の意味のある権限委譲を要望。
27日 モルディブ大統領,来訪。
29日 政府,権限委譲の土地と警察に関して話し合うと発表。

参考資料 スリランカ 2011年
①  国家機構図(2011年12月末現在)
②  政府要人名簿(2011年12月末現在)
②  政府要人名簿(2011年12月末現在)(続き)

主要統計 スリランカ 2011年
1  基礎統計
2  支出別国民総生産(名目価格)
3  産業別国内総生産(実質:2002年価格)
4  輸出・輸入分類
5  国際収支
 
© 2012 Institute of Developing Economies JETRO
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