Yearbook of Asian Affairs
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2012 Volume 2012 Pages 9-16

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概況

2011年のアメリカのアジア外交は,中国の胡錦濤国家主席の1月の訪米に始まった。オバマ大統領と胡主席は米中の「共通の利益」を確認する共同声明を発出した。中国は2010年の名目GDPで日本を抜き,世界第2の経済大国の地位を獲得した。他方,日本は3月11日に東日本大震災を経験し,その後も政治と経済の混迷が続いた。アメリカのアジア外交にとっては,台頭著しい中国にどう対処し,同盟国・日本との関係をどう再構築するかが重要な課題であった。

2011年12月に,オバマ大統領はイラク戦争の終結を宣言した。アフガニスタンからも2013年までに段階的に戦闘部隊を撤収する予定である。これらが2012年のアメリカ大統領選挙を念頭に置いたものであることは,言うまでもない。こうしてアメリカは, 2001年9月11日の同時多発テロ以後のアフガニスタン紛争とイラク戦争に,10年ぶりに幕を引こうとしている。

そのアメリカが回帰しようとしているのが,ダイナミックに成長するアジア太平洋地域である。オバマ大統領はハワイでアジア太平洋経済協力会議(APEC)を主催して環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)の推進を改めて呼びかけ,また,東アジアサミットに初めて参加してアジア太平洋地域の重要性を力説し,ミャンマーとの関係改善にも乗り出した。しかし,2011年末には,朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の金正日総書記が死去するなど,東アジアには安全保障上の不安定要因も少なくない。また,2012年の大統領選挙やイラン情勢の悪化などで,アメリカのアジア外交が停滞する可能性も否定できない。

日米関係

日本の政治的混迷と日米両国の経済的停滞に,日米関係は引き続き強く拘束された。

2011年1月29日に,菅直人首相(当時)は世界経済フォーラムのダボス会議(スイス)で演説し,「今,日本には『開国の精神』が求められている」として,アメリカの強く推進するTPPや欧州連合(EU)との経済連携協定(EPA)など,貿易自由化の推進を改めて表明した。とくに,TPPについては,6月を目処に交渉参加に関して結論を出すと言明した。

しかし,その後も3月6日に前原誠司外相が政治献金問題で辞任に追い込まれるなど,菅内閣は末期的な兆候を呈していた。同じ日に,アメリカ国務省のケビン・メア日本部長が「沖縄の人はゆすりの名人」と2010年12月に発言していたと報道され(本人は発言内容を否定したが),沖縄県議会などが猛反発し,メア部長は更迭された。

こうした混迷のなかで,3月11日の東日本大震災が発生した。地震と津波,原子力発電所の事故の複合という未曾有の惨事であり,東北地方をはじめ日本に多大な被害をもたらした。それでも,被災者は整然としており,アメリカをはじめ海外の多くのメディアがこの様子を賛美した。また,「トモダチ作戦」という名の下に,アメリカは迅速に海兵隊を中心とする米軍を日本救援に派遣し,その数はピーク時には10万6000人に上った。米軍による迅速で大規模な救援活動は,日米同盟の意義を世界に誇示するとともに,日本人のなかでもアメリカへの信頼感が高まった。

しかし,震災への対応の混乱などから,菅内閣は早期の退陣を示唆してレームダック状態に陥った。他方,アメリカでも予算をめぐる与野党の対立が激化し,また,4月にはオバマ大統領が2012年の大統領選挙への出馬を表明して,選挙戦を始動した。5月には,アメリカ上院軍事委員会のレビン委員長(民主党)とマケイン委員(共和党)が,現行の普天間移設計画を「非現実的」として,嘉手納空軍基地への統合を提唱するに至った。現行計画の停滞への苛立ちの表明と見られた。

もとより,日米同盟の停滞は許されない。6月21日には,ワシントンで日米安全保障協議委員会(2プラス2)が開催された。2プラス2の開催は実に4年ぶりで,日本の政権交代以来初のことであった。この協議では,北朝鮮の挑発を抑止すること,中国に責任ある建設的な役割・国際的な行動規範の遵守を求めること,航行の自由の原則遵守などの共通戦略目標が掲げられた。アメリカは,普天間飛行場の移設とアメリカ海兵隊の沖縄からグアムへの移転を2014年中に実現することは不可能であるとし,7月までにこれを断念した。他方,アメリカ海兵隊の新型輸送機オスプレイの普天間配備は2プラス2に先だって決定し,地元はこれに反発を示した。

6月2日には,野田佳彦内閣が発足した。同月21日には,国連総会出席のために,野田首相はニューヨークを訪問し,オバマ大統領と初の首脳会談に臨んだ。普天間飛行場移設問題では,オバマ大統領が「結果を見出すことが必要な時期に近づいている」と迫った。また,TPPについては,野田首相が「議論を積み重ね,できるだけ早い時期に結論を出したい」と述べ,オバマ大統領も歓迎の意を表明した。

その後,10月27日に野田首相は沖縄県の仲井真弘多知事,名護市の稲嶺進市長と初めて会談し,普天間基地の辺野古移設に向けた「環境影響評価書」を年内に同県に提出する方針を直接伝えた。また,11月11日には,野田首相は記者会見でTPP交渉に参加する方針を表明した。ただし,「TPPには大きなメリットとともに,多くの懸念が指摘されていることは十二分に認識している」と指摘して,国内に根強い反対派への配慮を示した。

他方,11月17日にオーストラリアの首都キャンベラで,オバマ大統領はアジア太平洋地域におけるアメリカのプレゼンスと任務の拡大を「最優先事項」と語り,また,20日からインドネシアで開かれた東アジアサミットにアメリカを代表して初参加するなど,アジア重視の姿勢を明確に打ち出した。また,オバマ大統領は6月にアフガニスタンから2012年夏までに米軍を3万3000人撤収すると表明し,12月14日にはイラク戦争の終結を正式に宣言した。

このように,2001年9月11日以来10年ぶりに,アメリカは中東からアジアへ戦略の重心を移そうとしている。アメリカのこのアジア回帰を,同盟国として日本はどこまで受けとめることができるかが,今後大きく問われることになろう。

米中関係

低迷しがちな日米関係とは対照的に,米中関係は2011年初頭から動き出した。まず,1月にゲーツ国防長官が訪中し,米中の軍事対話と交流の強化で一致を見た。さらに1月18日には,胡錦濤国家主席がアメリカを公式訪問した。米中首脳会談で,オバマ大統領と胡主席は,「共通の利益」を確認して,積極的で協力的,包括的な関係を築くことで合意した。また,両者は立場の相違はあるが,人権尊重に取り組むこと,健全で安定した米中両軍関係の重要性,北朝鮮のウラン濃縮計画への懸念で一致した。中国の人民元問題については,アメリカが中国は同問題を過小評価していると主張したのに対して,中国側は改革を進め為替レートの柔軟性を高めると答えるにとどまった。このように,両者の立場は総論賛成・各論反対にとどまったが,アメリカ・ボーイング社の航空機200機の売却を含む,450億ドルの対中輸出の商談がまとまり,アメリカ経済の対中依存も浮き彫りになった。

2月8日には,アメリカ統合参謀本部のマレン議長が米軍の今後の指針を定めた「国家軍事戦略」を発表し,中国の軍拡や朝鮮半島の核問題などに対処すべく,「今後数十年にわたって,北東アジアで強力な軍事的プレゼンスを維持する」と表明した。とくに,中国に関しては,黄海や東シナ海,南シナ海での領有権の主張や,宇宙・サイバー空間での攻撃能力の拡大に「懸念を抱き続けている」と明記した。

6月25日には,ハワイで米中両国の政府高官が地域の広範な問題を話し合う「米中アジア・太平洋協議」が開催された。中国が周辺諸国と領有権を争う南シナ海問題で,アメリカ国務省のキャンベル次官補は中国に自制を促したが,中国側はアメリカの介入を拒否する姿勢を繰り返し,平行線に終わった。また,7月14日に,アメリカ国防総省はコンピューター・ネットワーク上のサイバー空間防衛に関する新戦略を発表した。3月にアメリカ防衛関連企業がサイバー攻撃を受けて,国防関連データなど2万4000件のファイルが盗み出された事実も,同時に公表された。この攻撃は外国の諜報機関によるものとされたが,特定の国名については言及されなかった。しかし,それが中国である可能性はきわめて濃厚で,安全保障面での米中の深刻な角逐がうかがわれる。8月10日には,中国軍が大連で改修していた旧ソ連軍の空母ワリャーク(約6万7000トン)が就航した。中国にとって初の空母であり,中国は東アジアで唯一の空母保有国となった。

それから程なく8月19日には,アメリカのバイデン副大統領が訪中した。同副大統領との会談で,胡主席は「地域の安全や協力,グローバルな問題でのアメリカとの協調を強化したい」と表明した。四川大学での講演で,バイデン副大統領も「米中は多くの同じ脅威に直面し,多くの同じ目的,責任を共有している」と語ったが,同時に,人権問題にも言及した。また,同副大統領は「アメリカはデフォルト(債務不履行)に陥ったことはないし,今後も決してない」と述べて,アメリカ経済への懸念の払拭に努めた。

9月21日に,アメリカ国防総省は,台湾向けに旧型戦闘機の改良部品を軸にした,総額53億ドルの武器売却を発表した。ただし,最大の焦点になっていた新型のF16戦闘機は含まれておらず,アメリカが米中関係の安定に配慮した形になった。

11月16日には,アメリカ議会の諮問機関「米中経済安全保障見直し委員会」が年次報告書を提出し,南シナ海や東シナ海での領有権問題で,中国が有事の際に奇襲攻撃や先制攻撃を加え,米軍の戦力が低下する可能性を指摘した。同報告書では,「中国人民解放軍の軍事戦略は『地域支配戦略』と表現するのがふさわしい」と述べている。

その直後の11月20日にインドネシアで始まった東アジアサミットでも,南シナ海領有権問題と関連してオバマ大統領が「海洋航行の自由」を要求して,再び中国を牽制した。しかし,中国の温家宝首相は「当事者間で解決すべき問題だ」と,従来の主張を繰り返した。

このように,米中関係は総論において協力関係が確認されながら,人権や安全保障,台湾問題,人民元問題など個別の争点では,まだまだ距離が開いている。軍事的・経済的に中国の台頭がより顕著になるなかで,アメリカもアジア太平洋地域でのプレゼンスと影響力の維持・強化に一段と熱心になっている。

朝鮮半島

2010年以来,朝鮮半島では南北の緊張状態が高まっていた。2011年2月8~9日に開かれた南北の高位級軍事会談の予備会談も決裂し,同28日から開始された米韓合同軍事演習にも北朝鮮は強く反発した。

こうしたなかで,日本の植民地支配への抵抗運動である3.1独立運動の92周年にあたって,韓国の李明博大統領は「今こそ新しい朝鮮半島の未来を切り拓く適切な時期だ。われわれはいつでも開かれた心で対話する準備がある」と呼びかけた。

5月20日には,北朝鮮の金正日総書記が中国を訪問した。2010年5月と8月に引き続き,ほぼ1年で3度目の訪中であった。金総書記は中国首脳と会談し,「中朝友好の関係を若い世代に引き継ぎたい」と強調し,後継者に決まった三男の正恩氏への中国の支持を求め,中国側もこれを受け入れる姿勢を示したとみられる。

他方,米韓関係では,10月12日にアメリカ上下両院の本会議が,韓国との自由貿易協定(FTA)の実施法案を可決した。韓国も2012年1月の発効に向けて,国会での批准手続きに入った。翌13日には韓国の李明博大統領がホワイトハウスを訪問して,オバマ大統領との首脳会談に臨んだ。オバマ大統領は,米韓同盟が「新たな章に入った」として,韓国を「朝鮮半島のみならず,それ以外の地域の安全と自由も守る強固なパートナー」と賞賛した。また,北朝鮮の核問題について,両首脳は米韓の政策の「完全な一致」を強調した。その後,11月22日に,韓国の国会は与党ハンナラ党の主導で米韓FTAを強行採決し,可決した。

12月19日に,朝鮮半島と世界に激震が走った。北朝鮮の国営のラジオとテレビが金総書記の死去を報じたのである。国営朝鮮中央通信によると,三男の正恩氏が統治に当たる。同氏は国家葬儀委員会の筆頭に位置づけられた。しかし,父・金総書記が祖父・金日成から20年をかけて権力を継承されたのに対して,正恩氏は若く,権力継承の準備期間が十分ではない。そのうえ,北朝鮮の経済はますます疲弊している。こうしたなかで,金総書記の妹・金敬姫党中央委員会政治局員やその夫・張成沢国防委員会副委員長らが正恩氏を補佐し,軍を重視し軍に依存する「先軍政治」が継続すると見られる。

金総書記死去の報を受けて,韓国は非常警戒態勢に入った。日本でも安全保障会議が招集された。アメリカのオバマ大統領も,「われわれは朝鮮半島の安定と,同盟諸国の平和と安全に引き続き関与していく」と,声明で強調した,また,訪米中の玄葉外相もクリントン国務長官と会談し,北朝鮮の平和的・安定的な体制移行をめざすことで一致した。しかし,関係諸国のこうした対応は,朝鮮半島情勢の流動性を雄弁に物語っていよう。

その他

東南アジアでは,アメリカとミャンマーの関係に大きな変化が生じた。2011年1月31日には,実に49年ぶりで新議会が招集され,2月4日にはテインセイン首相が大統領に選出され,3月30日に就任した。依然として軍部が支配権を維持しながらも,軍政から民政への移管が行われたのである。

民主化運動の指導者アウンサン・スーチー女史はすでに2010年11月に自宅軟禁から解放されている。9月中旬には,アメリカのミッチェル特別代表兼政策調整官がミャンマーを訪問し,スーチー女史と会見した。さらに11月30日には,クリントン国務長官がミャンマーを訪問し,テインセイン大統領やスーチー女史らと会見した。アメリカの国務長官のミャンマー訪問は57年ぶりであった。

他方,南シナ海の領有権問題は深刻化している。6月には,ゲーツ国防長官が新型艦艇のシンガポール配備を発表し,アメリカとベトナムとの外務次官級安全保障協議の共同声明では,南シナ海問題は「外交的手段で解決されるべき」とされた。また,クリントン国務長官も,同問題について「緊張を高め,地域の平和と安定に懸念をもたらす最近の事件を憂慮している」と語り,中国を牽制して同盟国フィリピンを防衛する決意を示した。

11月16日には,オバマ大統領が就任後初めてオーストラリアを訪問した。2011年はアメリカ,オーストラリア,ニュージーランドの3国間の安全保障条約「アンザス条約」の調印60周年に当たる。オバマ大統領はオーストラリア議会で演説し,アジア太平洋地域でのアメリカのプレゼンスを「最優先事項」と位置づけ,また,オーストラリア北部のダーウィンに2012年半ばまでに,アメリカ海兵隊200~250人を駐留させることで,オーストラリア政府と合意したことを明らかにした。数年内に2500人規模の駐留をめざすという。同大統領は「われわれは平和的な中国の台頭を歓迎する」と語り,中国脅威論を否定しながらも,中国の軍事大国化を牽制した。

2012年の課題

まず,日米関係は,東日本大震災の復旧・復興や国内政治の混乱から,引き続き混乱する可能性が高い。アメリカも大統領選挙を迎えて,さらに内向化するであろう。米中関係も引き続き,総論では協力を謳いながら,軍事的には一層競合するであろう。米韓関係は安定しているものの,朝鮮半島情勢は,金正日総書記の死去によって,流動化の可能性が一段と高まった。金正恩体制の今後と2012年4月に予定される韓国の議会選挙,12月の大統領選挙と,韓国の国内政治の変化が注目される。

2001年9月11日の同時多発テロ以来,アメリカは中東に多大な戦力と戦費を投入してきた。オバマ政権はイラク戦争の終結を宣言し,アフガニスタンからも撤兵を進めている。このように,アメリカは10年ぶりに中東からアジアに回帰しようとしている。今後アメリカは,日米,米韓,米豪といった同盟関係を柱に,東南アジアやインドとも協力を拡大し,中国を牽制しながら共存を図ろうとするであろう。

しかし,2012年は,1月の台湾総統選挙に始まり,3月のロシア大統領選挙,9月の中国の国家主席交代,11月のアメリカ大統領選挙,そして12月の韓国大統領選挙と,重要な政治日程が重なっている。日本でも衆議院の解散・総選挙になるかもしれない。アジア太平洋地域のさらなる発展のためには,関係各国の内政の安定と外交の協調が一層求められるところである。

(同志社大学教授)

 
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