Yearbook of Asian Affairs
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2013 Volume 2013 Pages 265-292

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2012年のタイ 憲法改正をめぐる対立と市場介入型の経済政策

概況

インラック政権は2012年に入り,その最大の政治公約と目された憲法改正の手続きに着手した。インラック政権の最大の使命とは,タクシンが党首を務めたタイラックタイ党と,その後継政党である人民の力党,タイ貢献党と続く,タクシン派政党による長期政権樹立の礎を再び築くことにある。タクシン派はこれまで,2001年以降に実施されたすべての総選挙において勝利しながらも,2006年9月のタクシン政権に対する軍事クーデタ,2008年9月のサマック首相に対する首相資格剥奪の憲法裁判所(以下,憲法裁)決定,2008年12月人民の力党に対する解党命令およびソムチャイ首相を含む党幹部の公民権5年間停止処分,と3度にわたって擁立した首相を解任された。3度のうち2度が司法による政権転覆の試み,いわゆる「司法クーデタ」である。タクシン派支持者の間では司法機関の政治介入に対する不満が高まり,現政権に対しても再び「司法クーデタ」を仕掛ける可能性を警戒している。このような背景から,タクシン派が長期政権を樹立するためには,司法介入による政権転覆を防ぐ布石を打つことが不可欠であった。したがって2012年のインラック政権の最大の政治目標は,2007年憲法の改正,とりわけ司法機関の権限を縮小することであった。一方,野党となった民主党ら,反タクシン派はこのようなタイ貢献党らの改憲の動きは,タイにおける行政府に対する監視機能を弱体化させ,首相による権力の濫用を抑制できなくなると批判し,議会の内外で抵抗した。2012年のタイ政治はこの憲法改正をめぐる駆け引きを中心に展開した。

経済面では,2011年の大洪水からの復興が2012年の最大の課題であった。インラック政権は,洪水後に積極的な財政出動を行うとともに,公約であった所得向上にむけた経済政策や消費刺激策を実現し,短期的な景気浮揚に成功した。

対外関係では,タイは2015年のASEAN経済共同体においてその優位な立場を確立するために,近隣諸国との「連結性」の強化に努めた。また,ASEANを舞台として展開される米中の駆け引きのなかで,タイはその両国との等距離外交を実現する戦略をとった。具体的には,11月にアメリカのオバマ大統領,中国の温家宝首相をそれぞれ国賓としてタイに迎え,アメリカとは安全保障面での協力強化やTPPの交渉入りを約束する一方,中国とはコメ輸出,高速鉄道建設についての協力を約束した。

国内政治

憲法改正をめぐる駆け引き

2012年タイ政治の最大の焦点は,タイ貢献党を中心とする与党連合が,2011年選挙の公約通り2007年憲法の改正を進められるか否かにあった。2007年憲法は,1997年憲法がエリート層の既得権益を脅かしかねないほどに,強力な権限を握ったタクシン首相を出現させたことへの反省にたって制定された。従って2007年憲法は,民選の首相がもつ政治権限を,司法機関および独立機関が厳しく監視・制限するよう規定されていた。行政府に対する強い監督権限を与えられた司法機関のなかでも,とりわけ行政府からの独立性が担保された憲法裁は,2008年12月,選挙で第1党となった人民の力党を解党処分にするなど,たびたびその政治的影響力を行使してきた。憲法裁を中心とする司法による政治への介入を認める2007年憲法は,与党にとって,長期安定政権の樹立のためには是が非でも改正しなければならないものであった。

ただ,この憲法改正のためには,改正手続きの場となる国会の運営対策以上に,細心の注意を要する政権運営のポイントが2つあった。それは第1に,憲法改正の過程で軍事クーデタ,司法クーデタが再発することがないように,反タクシン派と目される王室や華族,およびそこに連なる特権階級や国軍に対してあくまでも融和的に対応すること。第2に,憲法改正が最終的には国民投票の審判を受けると想定されるため,2011年選挙時に得たインラック政権に対する国民の支持を維持,強化するべく公約を速やかに実行することであった。

2012年の憲法改正をめぐる政治は,大きく分けて次の3段階で展開した。第1に憲法改正手続き案の国会での審議開始,第2に政権に対する反対運動の盛り上がり,第3に憲法裁による憲法改正の審議差し止めである。以下順を追ってみていきたい。

憲法改正案の審議開始

2月9日,与党タイ貢献党とタイ国家開発党がそれぞれ憲法改正案を下院に提出した。いずれも憲法の制定方法を定めた第291条の部分改正案であった。引き続いて憲法改正の政府案が下院に提出され,反独裁民主主義統一戦線(UDD)が提出した3案と合わせて合計6本の改正案が提出された。UDDが提出した3案については,審議対象資格認定要件に必要な5万人の署名の確認のため,審議は後回しとされ,国会は政府・与党が提出した3案の審議に着手した。タイ貢献党および政府が示した改正手続きは次のようなものであった。初めに,新憲法案起草のための憲法起草議会を設置する。憲法起草議会の議員は,まず選挙で1都76県から一人ずつの合計77人を選び,そこに国会が独自に選出する有識者22人を合わせた合計99人で構成される。次に,憲法起草議会が開会してから180日以内に新憲法案を起草する。その新憲法案は国民投票にかけられ,過半数の賛成が得られれば,国会議長を通じて国王に上奏される。最終的に,上奏された新憲法案を国王が承認すれば,憲法改正がなされるというものであった。3案はほぼ同じであるが,タイ貢献党案と政府提出案では22人の国会選出委員の内訳がわずかに異なり,タイ国家開発党案については,新憲法案を起草した後,国民投票を行う前に国会の承認を求めるプロセスがひとつ加えられている点が異なる。審議が後回しとなったUDD案は,憲法起草議員の構成に,国会が独自に指名する委員を含めず,100人の議員全員,選挙で選ばれた人物で構成するとしている。

審議入りとなった憲法改正案3案について,国会で開かれた第1読会で野党民主党は,政府・与党の憲法改正の真の狙いはタクシン元首相の復権,タクシン政権時代のような独裁体制の樹立を目指したものであり,ゆえにそのような動きには断固反対の立場を唱えた。民主党はとりわけ,(1)2006年以降の有罪判決を無効化し特定の人物の利益になるような改正,(2)「国王を元首とする民主主義体制」の変更につながる改正,(3)司法機関および独立機関の権限に関する改正,の3点については容認できないことを強調し,憲法改正に反対した。一方,憲法改正動議を提出した政府・与党は,国王もしくは王室関連の憲法規定については改正しないことに同意する意向を明らかにする一方で,憲法裁と行政裁判所の廃止もしくは両裁判所に対する監視強化については,必要不可欠な改正事項であるとの主張を繰り返した。またUDDも,2006年9月のクーデタ以後の政治対立が,司法,独立機関の裁定における「二重基準」に起因するものであり,行政府への過度の,そして偏った介入が現在の政治対立問題を生んできたと主張し,司法機関関連規定の改正については譲らない姿勢を確認した。

盛り上がる反対運動とソンティ陸軍大将の「和解法案」

憲法改正を中心とする与野党の対立構図が鮮明になるなかで,膠着状態に一石を投じるが如く,5月24日,下院和解委員会の委員長を務めるソンティ・ブーンヤラットカリン大将(2006年クーデタを指揮した陸軍大将:現マトゥプーム党党首,下院議員)が国民和解法案を国会に提出した。この和解法案は,プラチャーティポック王研究所(KPI)が下院和解委員会の要請で作成したもので,長く続くタイの政治対立の解決手法の一案を示すものであった。この和解法案においては,2005年9月15日~2011年5月10日における政治集会への参加などの違法行為,違法な政治見解表明はすべて免責されると定め,これによりタクシン派,反タクシン派双方の政治責任および刑事責任を同時に免罪することで,責任追及の応酬で膠着する政治対立に終止符を打つことを試みた。この和解法案には,国家安全保障評議会(クーデタ団)の命令で設置された機関によって訴追された者を無実とみなし,法的訴追と裁判の中止を謳う規定が加えられている。したがって,和解法案が国会で可決・成立すれば,2006年国家安全保障評議会が設立した資産調査委員会(ASC)が凍結した巨額のタクシンの資産が返還されることになる。

憲法改正案をめぐる審議が膠着するさなか,タクシンの免罪,政権復帰の道を開く和解法案を法律化するため,下院で単独過半数を占めるタイ貢献党のソムサック下院議長は,緊急議題として和解法案の審議入りを提案した。最大野党の民主党は,恩赦を目的とした和解法案が成立すれば,立法府が司法府の決定を無効化することを可能にする悪しき慣例をつくるものであり,国の司法制度の崩壊につながるとして猛反対した。しかしながら5月30日,ソムサック下院議長は審議入りの採決に移ろうとしたことから,これに怒った民主党議員らが議長席に詰め寄った。議長は民主党らによる議事妨害行為を阻止しようと,警備員を動員し,両者の間で乱闘騒ぎとなり,議場は騒然となった。議長は5月30日の採決は断念したものの,翌日には強行採決を敢行し審議入りを可決し,6月1日には和解法案の第1読会が開始された。

議会内での圧倒的多数を背景に,タイ貢献党は強権的に国会運営を進めたが,民主党は和解法案に反対する国民に反対運動への参加を強く呼びかけ,議場外でも反対運動が活発になった。民主主義人民連合(PAD)をはじめとする反タクシン派は,国会を包囲し議員の議場入りを阻止することで審議入りを延期させた。

反対運動の高まりを予見した政府側は,千人規模での国会の警備,デモ隊の排除を警察に命じたものの,PADによる国会封鎖の解除はできなかった。一方,陸軍を率いるプラユット陸軍司令官は,反タクシン派と目される人物であり,そのデモをめぐる対処判断が注目された。しかし,今回のデモ集会の制圧に軍隊を動員することはないと述べ,行動をとることはなかった。

和解法案の法律化過程に際し,与党タイ貢献党にとっての難題は,むしろ,タイ貢献党の支持基盤であるUDDの反発にどのように対処するかであった。タクシンは国会での和解法案審議直前に開催された5月19日のUDD集会において,インターネットテレビを通じて,タクシン派支持者に「正義よりもまず和解を」と呼びかけた。ところが,一部支持者たちは「和解の前提に正義がある」と反発した。タクシンが発した言葉は,犠牲者の正義のために闘う指導者の言葉ではなく,自身のタイ政界復帰を最優先させる利己的な政治家の言葉として受け取られた。そもそもUDDがタイ貢献党に投票したのは,タイ貢献党が2010年の騒乱で犠牲になった90名について,彼らが死亡するに至った真相を明らかにし,民主党や国軍の責任者を厳しく処罰することで,犠牲者にとっての正義を回復することを期待したからである。しかしながら,タクシンがそのような期待を裏切り,自身に対する責任追及の緩和と引き換えに国軍の責任を水に流そうとしたことで,UDDの一部支持者が反発した。結局タクシンは5月30日,元タイラックタイ党幹部の5年間の公民権停止処分解除を祝う記念式典でこの発言を謝罪し,タイ貢献党の支持基盤であるUDDの離反を食い止めようとした。

和解法案をめぐり,反タクシン派の反対運動が活発化し,加えてUDDとタイ貢献党の協力関係にも微妙な亀裂が走るなか,政局は新たな展開をみせた。憲法裁が6月1日,国会における憲法改正審議を中止する仮処分決定を下したのであった。野党議員および上院議員の一部が政府与党の憲法改正動議に違憲性があるとして憲法審査を請求したことに対し,憲法裁が仮処分を行ったのであった。憲法改正案の審議は国会の専権事項として,憲法裁のこの仮処分措置を与党タイ貢献党は無視することも検討したが,最終的には決定を尊重し,国会における審議中断に合意したことで,憲法改正案に対する第3読会と最終承認は延期された。初公判は7月5日と発表され,政局は新たな膠着状態を迎えた。

憲法裁による改正手続きの差し止め

7月13日,憲法裁は違憲審査に付されていた政府・与党の憲法改正動議に対し,判決を下した。この判決ではとくに次の3点が重要であった。第1に,政府与党による今回の憲法改正動議は,憲法第68条第1項が禁じる「国王を元首とする民主主義体制」の変更を図る違憲行為であり,同条第三項に規定されているようにかかる動議を提出した政党(つまりタイ貢献党)は解党処分にすべきか検討された。憲法裁はこの点について,政府与党の憲法改正案には「国王に関する規定は改正しない」と明記されているため,第68条違反には該当しないと判断した。憲法改正動議そのものは合憲と判断され,タイ貢献党解党処分も退けられた。第2に,そもそも憲法裁に,検事総長を介さずに憲法改正動議の違憲審査を行う権限があるのかについて検討された。第68条第2項には,憲法改正動議に対する異議申し立ては検事総長経由で憲法裁に訴える旨明記されているためである。この点について,憲法裁は審査受理可能であるとの判決を下し,今後も憲法裁が憲法改正過程において積極的な役割を果たす道を自ら確保した。第3に,憲法第291条に規定された改憲手続きにおいて,現憲法はその全面改正を認めているのか否かについて審査が行われた。判決では,現憲法は国会による部分改正しか認めておらず,よって,(1)国会で条項ごとに改正するか,(2)現憲法が国民投票によって成立した点をふまえ,まずは国民投票によって全面改正の是非を問うべきであると判示した。

憲法改正手続きの再検討

憲法裁の判決により,政府与党は憲法改正動議に対する一応の合憲判断を得たため,解党処分や党幹部の公民権停止処分は免れたものの,憲法起草議会を通じて新憲法を起草するという当初の計画は,事実上差し止められることになった。タイ貢献党は,この判決を受けて改憲手続きの再検討を行った。選択肢としては,判決どおり(1)条項ごとの改正を国会内で行う,(2)まず国民投票で改憲の是非を問う,もしくは(3)憲法改正は国会の専権事項として,憲法裁の判決は無視して,国会での憲法改正の第3読会をすすめるべき,の合計3案であった。

判決後は,上記3つの善後策をめぐって党内で検討を進めたが,意見は割れた。(1)の条項ごとの改正では時間がかかりすぎることが問題視され,(2)の国民投票では,最低投票率50%という高いハードルゆえに,憲法改正に失敗する可能性が指摘され,(3)の憲法裁の違憲判断を無視して国会手続きをすすめる案は,憲法裁により3度目の解党処分判決を受ける危険性が懸念され,党内の意見をまとめることができなかった。3案のなかでは(2)の国民投票案が現実的であるが,その場合,タイ貢献党の下院議員が,責任をもって自身の選挙区における投票率を向上させることが不可欠となる。それだけに,タイ貢献党は国民投票案に決断する前提として,各所属議員が選挙区民の憲法改正支持の声を醸成する時間が必要であると判断した。以上の見通しから,インラック首相はしばらく憲法改正手続きの棚上げを決め,その間党員の意見集約・状況把握に努めた。

タイ貢献党の結論が出たのは12月であった。タイの憲法記念日である12月10日,タイ貢献党など与党4党は憲法改正を推進するとした共同声明を発表し,現行憲法は2006年の軍事クーデタで成立した暫定政権が制定した非民主的なものであり,4党は立憲君主制を堅持しつつも,憲法改正を行う方針であると述べた。その後12月15日,インラック首相は,「国民投票で(憲法改正動議が)不成立に終わったとしても,部分改正の道もある」とまずは国民投票で賛意を得ることを第1の選択肢とし,次善策として国会内での部分改正を行う道筋を明らかにした。

公約の実現――国民の支持獲得・維持のために――

以上みてきた憲法改正,とりわけ全面改正を実現する前提条件として忘れてはならないのは,インラック政権が,憲法改正に向けた政局運営と平行して,選挙で得た国民の支持を維持するための政策を実行した点である。タイ貢献党が国民投票成立のために必要な有権者の過半数を確保するには,なにより2011年選挙時に掲げた公約を着実に実施し,選挙で得た支持をつなぎ止めることが求められた。タイラックタイ党から続いて,タクシン派政党がこれまで広く支持されてきた最大の理由が,「公約を実行する」という点にあり,その信用を失わないためにも,公約に掲げた諸政策を着実に実行する必要があった。公約のなかでも,国民の支持を維持する柱となったのは,国民の所得増につながる政策群,具体的には最低賃金日額300バーツへの引き上げ,籾米担保融資制度導入,そして初の新車・トラック購入の税還付の実施であった。

政府与党はまず,最低賃金を300バーツへ引き上げる政策によって,労働者層の所得増を実現し,その支持をつなぎとめることを図った。当初の予定では2012年1月からの実行であったが,国内外の産業界やタイ中央銀行の反発もあり,実施は4月1日まで延期され,加えて地域別の2段階実施へと修正された。第1段階目の4月1日には,バンコク都,パトゥムターニー県,ノンタブリー県,サムットサーコン県,ナコンパトム県,サムットプラカーン県,プーケット県の1都6県で実施され,第2段階目として2013年1月1日に全国実施となった。経済効果については識者の間で評価が分かれているものの,政治的には公約を守ったということで,極めて重要なステップとなった。

籾米担保融資制度では,農民の所得増を実現し,その支持を維持する戦略を実行した。これまで籾米1トン当たり1万1000バーツの価格保障制度が実施されていたが,それを籾米1トン当たり最低1万5000バーツを融資し,実質的にはこの価格で買い上げる政策に変更した。

初の新車・トラック購入の税還付策とは,1台目の自動車購入に対する税優遇措置である。原則1500cc以下の車種に限り,減税措置を講じるもので,これまで車を持てなかった中間層のマイカー購入を支援する政策である。政府はこれにより,中間層が生活向上を実感する効果を狙った。

これらの経済政策の効果は,現時点では評価が定まっていない。財政負担も多大であり,長期的に維持可能な政策かどうかは未知数である。数々の経済的リスクを伴う政策ではあるが,インラック政権の迅速な公約実現は,タイ貢献党の「約束したことは実行する」という政治的信用を築き上げることに着実に成功している。これが,後々憲法改正を進めるうえで,大きな効果を発揮するであろう。

南部国境3県,止むことのない暴力の応酬

憲法改正の是非をめぐり国政が展開する間,首都バンコクから約1500㎞離れた南部国境3県では治安当局者,武装組織メンバー,そして一般住民が,毎年300人以上,2004年からの累計では約3500人以上が武力衝突,テロの犠牲となっている。つまり,バンコクにおけるデモ隊と治安当局の衝突による犠牲者と比べても,毎年のように桁違いの犠牲者を出している。仏教徒が大半を占めるタイ領内にあって,かつてパッタニー王国に属した現在の南部国境3県では,住民の90%がマレー系イスラム住人であり,彼らはその生活慣習に親和的な行政制度の実現を望んでいる。しかしながら,中央政府はこれまで特別自治区などの特別措置は認めておらず,2004年,国軍が抵抗組織に対して一斉攻撃を加えたクルーセ・モスク事件を契機に,治安当局と抵抗組織との間の暴力の応酬が再燃した。

インラック政権はアピシット政権と同様に,巨額の資金と6万人を超える人員を南部国境3県の治安維持のために送り込んでいる。南部国境3県では,ほぼ全域に戒厳令が敷かれており,治安当局には令状なしの勾留,捜査など,その活動には極めて大きな権限が与えられている。その結果,誤認逮捕,不法な取り調べ,拷問などが繰り返され,数多くの被害者を生み続けてきた。戒厳令下で絶対的権限を持つ治安当局に対し,一部の武装抵抗勢力は,軍人や警察に対するテロ活動で応酬した。その結果,治安当局はより厳しい取り締まりと強引な捜査を重ねることになり,この両者の対立は一般市民を数多く巻き込み,犠牲を増やし続けてきた。治安当局による抑圧,武装勢力による報復,さらなる治安当局による弾圧と,悪循環に陥ったことで,中央政府のアプローチの有効性は疑問視されていた。

2012年に入って,インラック政権がまず打ち出したのは,国家安全保障会議(NSC)による「南部国境3県紛争解決3カ年計画」であった。この計画文書でNSCは「政府と異なる意見,イデオロギーをもち,故に政府と戦うために暴力に訴えることを選んだ」者との対話が南部国境県問題の重要なアプローチと記し,政治的イデオロギーが対立の根源にあることをバンコクの中央政府が初めて公式に認めた。タイ貢献党は2011年の総選挙時にパッタニー・マハーナコン(Pattani Maha Nakhon)と呼ばれる特別行政区の設立を公約として掲げた。その公約を実現するためにも,インラック政権は南部問題の解決に向けて南部国境県行政センター(SBPAC)の事務総長,タウィー警察大佐を中心に,南部国境3県の武装組織との対話を進めてきた。3月17日にはタクシン元首相がマレーシアのクアラルンプールで,独立派のリーダーたちとの会談をもち,この会談にはパッタニー連合解放機構(PULO)の元リーダー,ハッサン・トイブも参加し,南部国境3県の経済開発や,国軍の撤退についても話し合われたと報じられた。タクシン自身はこの会談の存在を否定しており真偽の程は不明だが,2012年当初は南部国境3県問題について,変化が起きている可能性がメディアを通じて伝えられていた。インラック政権はさらに,南部国境3県の紛争解決に向けて,これまでの軍事的アプローチを変更する方針を打ち出した。そして,南部国境3県の問題は,政治問題の軍事化に原因があるとして,令状なしの逮捕・勾留などの権限を治安当局に付与する戒厳令の一部地域での解除を検討しているとの考えを示した。

しかし,治安当局の柱となる陸軍の長たるプラユット陸軍司令官は,当初から,インラック政権の特別行政区設置のアイディアや,タウィー警察大佐主導の対話型解決アプローチにしばしば不満を表明していた。中央政府の足並みがそろわないなか,3月31日昼,ヤラー市の繁華街にあるルアムミット通り,そしてほぼ同時刻に南部の中心都市ハジャイの繁華街にあるリーガーデンプラザホテルで,爆破事件が発生した。あわせて死者16人,負傷者300人以上の大きな被害が出た。南部国境3県の外に位置するハジャイ市でも爆弾事件が起きたことで,バンコク市民の間でも衝撃が走った。7月28日には,パッタニー県マヨ地区で武装勢力が軍人4人を襲撃する様子が監視カメラに捉えられ,その映像が広くメディアを通じて流されたことで,深刻化する南部国境3県の治安状況はより多くの国民に知れわたることになった。陸軍らは,これらの爆破事件は,インラック政権の問題解決アプローチに対する南部抵抗組織による明確な異議申し立てであるとして,対話型アプローチに対する批判を強めることとなった。

バンコクにおいて政権側が任命する治安当局(SBPACとNSC)と陸軍(および陸軍が任命するISOC)の間のアプローチを巡る不和がしばしば露見するなか,問題解決のための第一の課題はバンコク側の意見統一,指揮命令系統の統一であった。政府は,8月に,タイ南部国境問題解決の省庁横断型「オペレーションセンター」の設置を閣議決定し,さらに9月には与野党会談を通じて政治的な対立を南部問題解決に持ち込まないよう協議した。12月にはオペレーションセンターの長を首相が務め,NSCのパラドーン議長(陸軍中将)が文官・武官双方をまとめる事務局長に任命され,ようやくバンコク側の意思決定プロセスの統一努力が図られつつある。ただ,その後も12月中にナラティワート県において小学校教師に対する襲撃事件が続発し,教師の安全が確保できないとして全小学校が休校に追い込まれるなど,南部国境3県での犠牲者は依然として増え続けており,中央政府内の組織変更だけでは,現実の解決には十分な効果を発揮していない。

(相沢)

経済

2012年のタイ経済は,2011年にチャオプラヤー河下流域を襲った大洪水からの復興,政権公約である経済政策の実施,長期経済戦略に基づく投資計画の策定が主要な課題であった。インラック政権が選挙公約とした経済政策(最低賃金引き上げ,初の新車・トラック購入の物品税還付策,籾米担保融資制度など)は,2012年に本格的に実施され,市場への積極介入を意図する政権の経済構想が具体化された。

堅調なGDP成長率の諸要因

2013年2月18日の国家経済社会開発庁(NESDB)の発表によると,2012年の実質GDP成長率は通年で6.4%(前年同期比)になった。2004年以降では2010年の7.8%に次ぐ高い成長率であり,2011年の0.1%から大きく上向いた。GDP成長率を四半期ごとにみると,第1四半期は前年同期比で0.4%増と上向きはじめ,第2四半期は家計支出と民間投資の増加を背景に4.2%に伸びた。第3四半期は世界経済の減速に伴う物品輸出の不調(輸出は前年同期比マイナス3.0%)などから3.0%へと若干減速したものの,第4四半期は18.9%となり,2010年同時期の3.8%,2011年同時期のマイナス8.9%に比べ,飛躍的な伸びを記録した。

タイの中央銀行は洪水被害が明らかになった2011年11月30日以降,政策金利の引き下げまたは維持を基調に,好景気を支えてきた。2012年1月25日に年3.00%へ0.25%の利下げを決めたほか,10月17日にも年2.75%への政策金利の引き下げを実施した。

2012年は,タイの経済成長率を上方に押し上げる要因がいくつか重なった。第1に,成長率算出のベースとなる前年指標が洪水被害のため通年0.1%と小さく,そのため2012年の数値は高めに算出されたことである。第2に,洪水復興関連の投資・支出が,成長を支える一要因となった。大洪水後に行われた機械の代替や建築物補修から,民間投資の伸び率は前年比14.6%の高水準であった。また洪水復興計画の一部を実施した政府投資支出も8.9%増と,成長を下支えした。第3に,後述するように,インラック政権の導入した一連の経済政策が家計の消費意欲を刺激し(通年の家計消費支出は6.6%増),民間消費が5.6%増と大きく伸びた。第4に,アジア株式市場の拡大やタイ経済回復への期待を反映して,タイの株価指数(SET指数)も一時16年ぶりの高値となり活況を呈した。2011年大洪水の最中には855.45(2011年10月4日)まで落ち込んだSET指数は,2012年12月28日に1391.93にまで伸長した。

以下,2012年の特徴的な経済政策について,洪水からの復興計画と長期投資整備計画,石油・消費財などの価格統制,最低賃金引き上げと初の新車購入の税還付策,籾米担保融資制度の順に取り上げ,現政権の経済面の課題を指摘する。

洪水からの復興計画と長期投資整備計画

インラック政権は,2011年8月の発足当初から,1942年来とされる大洪水への緊急対応とその甚大な経済的損害への対処に直面した。2011年大洪水の最中は,発足直後の政権の手際の悪さもあって深刻な社会的混乱が生じ,政権を非難する世論が高まった。そのため大洪水の収束後は,支持率回復と投資家の信頼回復をかけて,政権は迅速に復興を担う組織と復興計画の立ち上げを行った。

2011年11月10日,政府は「国家の未来構築と復興のための戦略委員会」(SCRF)と「水資源管理戦略委員会」(SCWRM)を設置し,復興計画の準備を始めた。2012年1月14日,専門家集団から構成されるSCWRMは,洪水からの復興と同時に,タイ全土の利水・治水計画,都市計画,植林・ダム建設にかかわる国土計画の見直しを行う中長期マスタープランを作成し,内閣に提出した。同計画実施には総額3500億バーツが必要と試算され,これを特別国債の発行で賄うことが発表された。

この計画の国際的な競争入札から実施までを統括する水資源管理組織として,2012年2月に,首相直下に一元的統制を敷いた特別組織「国家利水・治水政策委員会」と「利水・治水政策管理委員会」が発足し,水路・水門の補修やモニタリング地点の機材設置,道路かさ上げをはじめとする短期計画の半分近くが2012年内に執行された。2013年に予定される治水・利水長期計画の入札をはじめとする,今後の治水・利水計画が順調に進むか否かは,タイに投資する企業が国としてのリスク管理体制を評価する試金石のひとつである。

このように迅速に進んだ治水・利水の投資計画を皮切りに,インラック政権は,キティラット・ナ・ラノーン副首相兼財務相が統轄する国家ロジスティック開発委員会を中心に,各方面を総合した長期インフラ整備計画を打ち上げた。なかでも国際的に注目を浴びたのは,タイ国内の高速鉄道網構想と,タイとミャンマー・ダウェー港間を道路で結ぶ国際プロジェクトである。首都バンコクと北部・東北部・東部・南部を結ぶ国内の高速鉄道網建設は,2013年から入札を始め,総額4000億バーツを投じて2018年の完成を目指す。また,民政移管が進むミャンマーと製造・流通網を構築する国際プロジェクトは,国境からダウェー間の道路建設,石炭火力発電所,工業団地の道路,居住地,庁舎,上下水道まで総合的な開発支援を行い,2020年までに両国間の電力・ガス・鉄道網を整備し,石油パイプライン開通を目指す野心的な長期プロジェクトである。7月23日には両国首脳がダウェー国際協力プロジェクトに関する覚書に署名し,年4回もの首脳会談を通じて両国が緊密な経済関係を構築する意思を内外に示した。

長期開発計画を相互に組み合わせたこれらの投資整備計画の総額は,今後7年間で4兆2000億バーツ(うち2兆2000億バーツは特別借入による調達)と試算され,キティラット副首相は,その資金調達方法の目処を,2013年第1四半期の特別立法でつけるとした。しかし,主に政府系金融機関の融資で賄われる長期経済戦略の巨額投資が,中・長期的にタイの公的債務を増加させ,財政不健全化をもたらす懸念も指摘されはじめた。東南アジア大陸部の経済統合を視野に入れ,成長の呼び水と政府が位置づける長期投資整備計画は,積極的な政府投資が企業の成長や政府に税収増をもたらす経済効果の反面,明確な財源確保や歳入計画を政府が作成しなければ,マクロ経済の安定を脅かす可能性もある。

燃油と財の価格統制政策

インラック政権は,積極的な政府投資に加えて市場価格への介入を,経済政策のもうひとつの柱としている。2012年は,最低賃金や公務員給与の引き上げによる物価上昇の懸念から,政府は原油高騰時にエネルギー小売価格への積極介入を行った。運輸業向けの燃油価格については2012年の値上げを予定していたが,5月14日の閣議で,それを3カ月間凍結し,懸案であったガソリン,ガソホール,軽油の燃油基金拠出金を引き上げる措置も凍結した。続く5月以降も,政府は90億バーツ以上の税収減を覚悟で,軽油の個別物品税の減税期間を8月末まで1カ月ごとに延長した。

タイでは,2008年以降,家庭用の液化石油ガス(LPG)価格助成に総計1000億バーツ以上が支出されている。燃油の販売価格から拠出金を徴収し価格安定を図ってきた燃油基金は,近年の収入減と補助金負担によって200億バーツを超える負債を抱え,収支の悪化が問題化している。これまで価格統制策を優先してきたエネルギー省も,とうとう2013年1月4日には,LPGの価格自由化に3月までに段階的に着手することを発表した。LPGの価格自由化後は,現在の1キログラム当たり18.13バーツから25バーツに値上げされる予定である。同時に,屋台など低所得のLPG大量ユーザー向けには燃油基金から直接補助金を支給する計画も組まれる。なお同じく価格統制している圧縮天然ガス(CNG)については,消費者の理解を得られないとして,値上げ措置を見送った。

このほか,政府の市場統制的な姿勢を印象付けるのが,財・サービスの価格監視規制策である。価格監視規制策は,「仏暦2542年商品およびサービス価格法」を根拠に,商務省国内取引局が,物品・サービス価格の統制を政府から事業者等への補助なく行う制度である。タクシン政権時から価格監視規制の対象は急速に広がり,2003年までの財73品目・サービス20品目から2006年には財200品目・サービス20品目にまで対象が拡大していた。2006年9月クーデタ後も,同様の政策が商品値上げを禁止する国家安全保障評議会布告No.8によって試みられたものの,経済界の強い反発により2007年4月には撤回された(江川暁夫[2012]「タイ商務省による価格統制・価格監視規制について」,日本タイ協会『タイ国情報』2012年7月号,pp.53-63)。

現政権は,2012年3月8日に財39品目,サービス3品目の価格統制リストを作成した。価格監視規制も対象を財205品目・サービス20品目へと増やし,インフレ懸念の高まった2012年5月15日には,物価高騰が政治問題化したことから,4カ月間の価格凍結への協力を,小売・流通各社に求めた。こうした市場価格への政府介入は,消費者の政治的支持こそ得やすいものの,原料・生産コストの上昇を事業者に負担させ市場価格を歪める政策であるとして,タイ商業会議所ほか小売・流通業界は反発し,協定期間が終了する8月以後のリスト見直しと価格統制制度の廃止を政府に求めている。

最低賃金引き上げ

インラック政権の選挙公約のうち,もっとも議論を呼んだのは最低賃金を日額300バーツに引き上げる政策であった。現政権は,タイ経済を安い労働力・農産品に依存した輸出中心の構造から中進国的構造に転換するため,内需拡大や国民所得の増大を図るべきであると主張してきた。これに対し,タイ工業連盟,タイ商業会議所をはじめとする財界は,最低賃金の急な引き上げにより,生産コストに占める労賃比率が上昇して労働集約的産業の市場撤退を招き,企業収益のみならず雇用情勢まで悪化させるとして,反対を表明してきた。大洪水があった2011年にこの政策の導入を見送った政府は,2012年4月1日,バンコク都と周辺県5県およびプーケット県で,未熟練労働者の最低賃金を先に300バーツに引き上げ,他県でも40%の賃上げを実施した。さらにこの賃上げ後に失業率・インフレ率などの上昇がなかったことを確認のうえ,2013年1月1日から全国一律の最低賃金引き上げを決定した。タイ工業連盟は,12月18日の官民合同委員会において,生産コスト上昇の影響緩和のために,中小企業の生産コストに占める労賃上昇分を国・事業者間で補償する基金設置を要求している。

2013年には,この政策導入後の中小企業の資金繰り問題や設備投資,失業率の動向が,タイ経済の分析の焦点のひとつになるであろう。また中・長期的に,引き上げられた賃金に見合う生産性上昇がなされ企業収益・設備投資が順調に回るかなどが主要な課題となることが指摘されている。

初の新車・トラック購入の物品税還付策

インラック政権は,初の新車・トラック購入と初の住宅購入の物品税還付策を,中間層や中小事業者向けの政権公約とした。このうち,2012年に際立った経済効果をもたらしたのは,初の新車・トラック購入政策であった。2011年9月中旬に導入された同政策の還付対象は,100万バーツ未満の乗用車で排気量1500cc以下の車種,1トン・ピックアップトラックと4ドア・ピックアップトラックであった。2012年末の12月18日,この還付策への申請件数は91万件に達し,最終的な税還付額は700億バーツに達すると試算されている。

政策に需要を後押しされて,2012年のタイ自動車製造・販売市場は,対象車種を中心に,史上まれにみる活況を呈した。タイ工業連盟自動車部会,工業省,タイ投資委員会(BOI)ほかは11月23日に共同記者会見を行い,タイの自動車生産台数が初めて年200万台を突破したことを報告した。2012年末には,生産・輸出・国内販売台数ともに,タイ自動車業界の過去最高値を記録している。この政策は,2012年の景気回復に予想以上の効果を発揮しているが,2012年末の申請締め切り後,先取りされた国内需要の反動が2013年後半の自動車販売に与える影響や今後の外需の行方が注視されている。

籾米担保融資制度

農業部門の政策としては,50万バーツ以下の農民債務のモラトリアム措置,村落基金の拡充に並んで,籾米担保融資制度の再開が,大きな議論を呼んでいる。アピシット前政権は2009年より籾米1トン当たり1万1000バーツの販売価格を保証する所得保障制度を実施したが,インラック政権は,農産物価格のさらなる引き上げと農民の所得水準向上を図る方策をとるとした。具体的には,2011年雨季作米から籾米を担保に農家に融資する制度に変更し,基準価格を普通米で1トン1万5000バーツ,香り米で同2万バーツと市場価格よりかなり高めに設定した。そのため,基準価格で政府に預け入れた籾を請け戻す農家はなく,この制度は実質的に政府が融資価格で籾米を買い取る制度として機能した。

8月10日までに,政府が買い上げた籾米総量は1687万トン(精米後1000~1100万トン)に上るとされ,財務省によれば籾米の農産物価格補助政策だけで,政策経費は2012年度に2650億バーツかかったとされる。8月末,商業省は制度を開始した前年10月以降初めて,保管米を政府間で輸出する払い下げ(75万トン)を決定した。

この直前,コメ輸出業協会は政府に対して,2012年央のタイ米輸出は,国際競争が激化し輸出市場におけるコメ価格が低迷するなか,2000年以降もっとも少ない量まで減少したと指摘した。政府が農民から買い上げたコメを担保価格より低い価格で払い出ししなければ,タイのコメ輸出産業は崩壊するとの警告であった。籾米担保融資制度については,このほかにも各方面から批判が相次ぎ,政府が実質買い上げた農産物の保管費用を負担し,長期保管による政府損失が増えること,コメ生産者の品質改善にかける意欲の喪失といった問題点が指摘された。

ついに10月17日,上院議員67人が政府保管米を政府間取引で輸出する制度が国家の財政損失を招くものであり,この政府間契約が憲法第190条の国会承認を要する国際条約に当たるとして,憲法裁に違憲審査を請求した。しかし憲法裁は,訴えが売買契約書類などの根拠を欠くとして,11月16日に訴えを棄却した。

籾米担保融資制度は,農業協同組合銀行(BAAC)を通じて実施しており,政府はBAACの調達資金50%の保証と担保貸付の実施費用を後でBAACに払い戻す約束になっている。しかしBAACは,2004年のタクシン政権期以来,政府が13回実施した籾米担保事業において計1030億バーツの政府保証の支払いを滞らせていることを8月に公表した。2013年の年初には,籾米担保融資制度の採算性への懸念からBAACはインターバンク市場での資金調達に困難をきたしはじめ,BAACと政府貯蓄銀行間で資金融通の協議が始まった。今後,この政策の持続性や安定性について政策議論が生じることは必至であろう。

インラック政権は,政府支出・投資を増やし,労働者の最低賃金上昇や農民の所得向上による消費刺激策を積極的に発動して,大洪水からの復興を目指した2012年の景気浮揚に成功した。ただし,短期的な経済効果を生んだ最低賃金引き上げ策や拡張された政府投資が,果たして中長期的にもマクロ経済の安定をもたらすか,今後の展望については強い慎重論がある。とくに政府による巨額の投資計画や所得分配政策の一部が,一般財政赤字と公的債務残高の上昇をもたらすことが懸念されている。短期的な経済政策の成功と中長期の経済的課題を分けて,今後の経済動向を注視する必要がある。

(船津)

対外関係

外交における2012年のタイの主要課題は2点挙げられる。第1の外交課題は2015年のASEAN経済共同体成立で深化する経済統合を見越し,タイが域内における物流網,生産ネットワーク上の優位な立場を確立することである。その為には近隣各国との間で鉄道,道路,港湾に代表される物理的なインフラや,税関・出入国手続きの円滑化や制度の調和などの制度的なインフラの総称である「連結性」を強化することが政策課題となった。具体的には,各種交通インフラ投資を海外から誘致することが外交課題として掲げられた。一連の「連結性」強化プロジェクトの中で海外投資誘致策としてその目玉となるのが,2013年に国際入札が予定されている高速鉄道建設への投資誘致である。このプロジェクトに対して政府は,とりわけ中国,日本,ドイツに秋波を送っている。なかでも中国は,タイの高速鉄道が将来的にラオス,中国とつながることでいっそうの経済効果が生まれるとして,工事の入札に強い関心を示している。また,ミャンマーで開発が進行しているダウェー工業団地プロジェクトも,タイ政府がミャンマー政府,イタルタイ社と共同で行うインフラ開発の目玉であり,大陸部東南アジアの東西回廊の実現の鍵を握る国際プロジェクトである。本プロジェクトに対しては,アンダマン海に開かれる深海港建設に対する投資を,日本に呼びかけている。南北をつなぐ鉄道建設と東西を結ぶ道路建設を通じた交通網の整備,そして東西南北のネットワークの中心にタイを位置づけることにより,経済統合が進む大陸部東南アジアにおいて,流通網のハブとしての地位を確立するべく,政府は各国との交渉を進めている。大陸部東南アジアにおいてタイを中心に据える秩序構築は,上記のインフラ整備だけでなく,ソフト面でも進められた。そのひとつの大きなブレークスルーが,12月に施行されたタイ=カンボジア・シングルビザ制度の導入であった。これはEUと同様,統合域内における人の移動の自由を整備する一環の政策であり,メコン流域国会議参加国の間で交渉が進められていた。メコン流域国会議参加国5カ国のなかでも,タイが先行して実施したことは近隣各国への強いアピールとなった。今後は,このシングルビザ制度がメコン流域国5カ国に広がることをタイ政府は期待している。

第2の対外政策の主要課題は,ASEANを舞台として展開される米中の駆け引きのなかで等距離外交を行うことであった。11月にはアメリカのオバマ大統領,中国の温家宝首相をそれぞれ国賓としてタイに迎え,アメリカとは安全保障面での協力強化,TPPの交渉入りを約束する一方,中国とはコメ輸出,高速鉄道建設についての協力を約束した。タイ・アメリカ関係は近年みるべき成果もなく,アメリカが要請した「NASAによる気象研究」という名目でのウタパオ空港利用に対して,6月にタイ政府が最終的に要請を却下したこと,また,アメリカがミャンマーに対して戦略的なパートナーとして急速に関係強化を求めていることから,アメリカのアジア戦略におけるタイへの関心の低下が懸念されていた。そうしたなかで,国内の反発を抑えつつ,インラック政権はオバマ大統領との会談の席でTPP交渉参加を明言し,アメリカとの関係維持に努めた。コメ輸出や高速道路建設などの大型プロジェクトを抱えるタイ・中国関係が良好なだけに,歴史的に関係の深いアメリカとの関係を見直したことは,地域戦略上タイが中国,アメリカという2大大国との間でバランスをとるうえで重要な布石となった。

(相沢)

2013年の課題

2012年に行き詰った憲法改正について,インラック政権は,国軍や反タクシン派をいたずらに刺激しないよう注意しながら,王室護持の姿勢をアピールしつつ,一般国民の支持を十分に確保したタイミングで国民投票に打って出ることになるだろう。

経済面では,大洪水からの復興を目指した現政権が,2012年の経済運営において一定の成功を収めたことが評価されている。しかし,積極的な市場介入を行う現政権の経済政策と大規模な政府投資について,中長期にはマクロ経済の不安定化につながる懸念をタイ工業連盟などが表明している。また政策的に誘導された最低賃金引き上げについても,企業業績や設備投資にいかに影響し,長期的な生産性向上や産業構造の変化をもたらすか,が注目されている。

対外政策では,2013年には2つの大きな課題がある。6月には高速鉄道建設の第1期国際入札が行われるが,この入札において,有力な応札先と目される日本,中国,欧州などから,タイがいかに好条件を引き出せるかが第1の課題となるだろう。第2の課題は,南部国境3県の問題を解決するためのマレーシアの協力を取り付けることである。タイ政府は,2013年2月より武装抵抗勢力との交渉を公にし,進めている。この交渉が暴力の沈静化に効力をもつか否か,先行きは不透明であるが,交渉の仲介役となったマレーシアの協力は交渉の帰趨を左右する可能性がある。したがって,南部国境3県問題の解決にあたって交渉アプローチをとるならば,マレーシアの協力は必要不可欠であり,外交上,今まで以上に密接な二国間関係を構築することが必要となる。

(相沢:新領域研究センター)

(船津:新領域研究センター)

重要日誌 タイ 2012年
  1月
1日 深南部3県およびソンクラー県にて大洪水(~3日)。
10日 2005年5月以降の政治デモ犠牲者の遺族に450万バーツの補償金支払いを閣議決定。
10日 洪水復興と洪水防止投資の財源確保を目的とする4つの緊急勅令を閣議承認(26日官報で公示)。
18日 インラック内閣改造。
18日 首相,フィリピン訪問。アキノ大統領と首脳会談。
19日 タイ陸軍記念日の晩餐会にて,首相とプレム枢密院議長が対面。
24日 2012年度予算案成立。歳出総額は史上最大規模の2兆3800億バーツ。
24日 首相,インド訪問(~26日)。シン首相との首脳会談にて,戦略的パートナーシップを結ぶことで合意。
25日 中央銀行,政策金利の年3.00%への引き下げを決定。
27日 首相,スイス訪問。ダボス会議出席。
29日 パッタニー県にて警備隊が,一般市民を武装勢力と誤認し襲撃。4人死亡,4人重傷。後にプラユット陸軍司令官が謝罪。
31日 オラーン・チャイプラワットを首相顧問兼タイ通商代表会長に任命。
  2月
7日 治水・洪水対策の一元管理組織,治水・洪水政策委員会の設置を閣議決定。
9日 タイ貢献党,反独裁民主主義統一戦線(UDD),それぞれ憲法改正案を下院に提出。
10日 プレム枢密院議長,政府主催の洪水対策関係者慰労会に出席。首相と面会。
13日 政府,憲法改正案を下院に提出。
14日 バンコクにて爆弾事件発生。イラン人グループ逮捕。
16日 中央銀行,2011年洪水被災者にむけた金融支援供与を公示。
23日 国会,憲法改正案の第1読会開催。
24日 首相,国王に洪水対策案を上奏。
25日 国会,憲法291条(憲法制定手続)改正案,第1読会開始。
25日 UDD,コーラートにて憲法改正を求める5万人集会開催。
28日 刑事裁判所,ソンティ・リムトンクンに証券法違反などで禁固20年の実刑判決。
  3月
6日 首相訪日(~9日)。7日には野田首相と日タイ首脳会談。「恒久的な友情の絆に基づく戦略的パートナーシップに関する日タイ共同声明」発表。
6日 プラチャーティポック王研究所,下院に和解案提出。
23日 プラユット陸軍司令官,2004年パッタニー県におけるクルーセ,タッバイ事件で多数の犠牲者を出したことに謝罪。
31日 ヤラーおよびハジャイにて爆破事件。16人死亡,300人以上負傷。
  4月
1日 バンコク都と近隣5県,プーケット県の未熟練労働者の最低賃金を日額300バーツに引き上げ。22職種の職能別賃金も値上げ。
3日 首相,プノンペンで開催されたASEAN首脳会議に出席(~4日)。
4日 下院,和解案を強行審議。
10日 国会,憲法改正案の第2読会開始。
11日 タクシン元首相,ラオス・ヴィエンチャンを訪問(~12日)。
13日 タクシン元首相,カンボジア・シアムリアプ訪問。1万人以上の支持者集まる。
17日 首相,中国公式訪問(~19日)
20日 最高裁,資産報告虚偽記載でタイ貢献党チンニチャ・ウォンサワットに議員資格失効と5年間公民権停止の判決。チンニチャはインラック首相の姪。
21日 首相,メコン川流域国首脳会議(東京)出席。
22日 パトゥムターニー県第5区で下院補欠選挙。民主党推薦のキティアサックが当選,タイ貢献党推薦候補は敗北。
26日 首相,プレム枢密院議長宅を訪問。
29日 首相およびプラユット陸軍司令官,パッタニー訪問。
  5月
1日 閣議,公共交通機関(バンコクバス公団の普通バス,国鉄3等列車運賃)の一部無料化を今年9月まで延期して実施と発表。
2日 財務省公的債務管理事務局,債券市場の発展を促すためASEAN+3域内企業が発行する社債の保証システム運用を発表。
2日 中央銀行,政策金利を年3.00%に据え置くことを発表。
3日 バンコク都,高架鉄道BTSの運営会社と30年間の延長契約を締結。
5日 チェンライ市長選でタイ矜持党のワンチャイ候補当選,タイ貢献党敗北。
5日 マープタープット工業団地にて化学石油工場(Bangkok Synthetics Co.)爆発。12人死亡,129人負傷。
8日 王室批判のSMSを発信したとして不敬罪で禁固20年の刑で収監された「アーコン」ことアムポン,刑務所内で死去。
8日 イスラム諸国会議の特使,来訪。南部国境3県を訪れ,非常事態宣言解除を求める。
10日 特別事件捜査局(DSI),UDD幹部への不敬罪捜査打ち切り。
11日 首相,不敬罪を規定する刑法第112条改正の意図がないことを明言。
14日 閣議,圧縮天然ガスと液化石油ガスの価格凍結案(3カ月間)を承認。
15日 商務省,消費財販売企業に4カ月間の価格凍結を要請。
18日 憲法裁,UDD幹部ジャトゥポーンの国会議員資格はく奪。
19日 タクシン元首相,UDD集会にて,テレビ電話で「正義の前に和解を」と呼びかけ。一部支持者は「正義が和解の前提」と反発。
20日 閣議,ミャンマーのダウェー工業地帯開発支援につながる西部地域開発を承認。
20日 ウドンターニー市で,市長選が行われ,現職のイティポン市長がタイ貢献党推薦のソムポン副市長を破り再選。
24日 ソンティ・ブーンヤラットカリン和解委員会委員長,国会に国民和解法案提出。
25日 国王,アユタヤを視察。3年ぶりの地方行幸。
28日 タイ貢献党議員,国民和解法案を3案提出。
29日 アウンサン・スーチー,来訪(~3日)。サムットサーコン県視察。
30日 与党による和解法案の審議入り強行提案で,下院議場内で乱闘騒ぎ。
30日 タクシン元首相を含む111人の政治家,5年間の公民権停止期間終了。
30日 刑法第112条(不敬罪)改正を求める約2万7000人の名簿が政府に提出される。
31日 ラオスのトーンシン首相,国王と会談(インラック首相同席)。
31日 下院,与党の強行採決で和解法案審議入り。民主党は投票をボイコット。
  6月
1日 憲法裁,憲法改正審議に対する違憲審査請求を受理,下院に審議差止めを命ず。
1日 PADなどの反タクシン派,国会封鎖。
1日 下院,国民和解法案第1読会延期。
1日 首相,バンコクで開催中の世界経済フォーラム(5月31日~6月2日)出席。
2日 憲法裁,憲法改正審議の中止を命令。
2日 UDD集会にて,タクシン元首相がテレビ演説。憲法裁の決定で和解が困難に,と抗議。
2日 アウンサン・スーチー,タイ北西部のミャンマー難民キャンプ訪問(テインセイン大統領,訪タイ中止発表)。
3日 チェンマイ3区補選でタイ貢献党推薦候補勝利。
8日 国家エネルギー政策委員会,2007年に続く3回目の独立発電事業者入札(5400MWの割り当て)の実施予定を発表。
15日 タクシン元首相,訪日(~23日)。
21日 選挙管理委員会,バンコク第12区選出カルンタイ貢献党議員を資格停止処分。
28日 NASA,ウタパオ空港利用計画を断念。
  7月
3日 政府,パンサック・ウィンヤラットを首相首席顧問に任命。
7日 国王,チャオプラヤ川沿いの洪水対策を視察。
13日 憲法裁,憲法改正は国会で条項ごとの改正か,全面的改正の場合は国民投票にかけるべきとの判断を下す。
16日 警察人事委員会,アドゥン新警察庁長官を選出。
18日 プレア・ヴィヒア寺院周辺域に展開されたタイ陸軍部隊の撤退開始。
21日 シリキット王妃,入院。
22日 ミャンマーのテインセイン大統領,来訪(~24日)。
23日 インラック首相とミャンマーのテインセイン大統領,ダウェー経済特区開発,経済協力,エネルギー協力について合意し覚書に署名。
31日 パッタニー市のCSパッタニーホテル爆破事件発生。
  8月
7日 閣議,付加価値税の税率を7%のまま据え置く措置の2年延長を決定。
14日 新上院議長にニコム副議長選出。
26日 国防相,新国防次官人事を巡る対立で,サティアン現国防次官ら軍幹部を更迭。
27日 アピシット前首相,ステープ前副首相,2010年に91人の死者を出した反政府デモ鎮圧につき,DSIによる事情聴取のため出頭。
28日 国家反汚職委員会,タクシン元首相らに対し,スワンナプーム空港建設におけるCTX900疑惑の捜査を取り下げ。
30日 政府,籾米担保融資制度で買い付けたコメ売却のため初の入札を実施。
  9月
3日 レッドブル創業者の孫,警察官をフェラーリでひき逃げ。事件隠蔽工作で逮捕。
5日 中央賃金委員会,2013年1月1日からの全国最低賃金引き上げの実施を最終決定。
11日 南部国境3県の武装抵抗組織のひとつ,「ムラユ・パッタニー新思想調整機構」指導者,ワエリ・コプター・ワジ以下100人以上のメンバーが投降。
27日 刑事裁判所,UDD幹部ジャトゥポーンに執行猶予付き懲役6カ月の有罪判決。
27日 首相,国連総会出席のため訪米(~29日)。同日ミャンマーのテインセイン大統領と会談。
  10月
1日 ヨンユット副首相兼内相,辞任。
1日 新国防次官にタノンサック陸軍大将。
4日 ヨンユット・タイ貢献党党首,党首と議員を辞職。
8日 タイ貢献党党首代行にウィロート警察中将就任。
10日 憲法裁,籾米担保貸付け政策に対する違憲審査において合憲判断を下す。
10日 憲法裁,刑法112条(不敬罪)に対する違憲審査において,合憲判断を下す。
11日 最高裁,クルンタイ銀行不正融資でタクシン元首相に逮捕状を新たに発行。
13日 民主党,2010年騒乱について,タクシンの責任追求集会をルンピニー公園で開催。
16日 国家放送通信委員会,3G携帯電話で使う周波数の競売を実施。
17日 中央銀行,政策金利の年2.75%への引き下げを決定・実施。
17日 上院議員67人,政府が保管米を政府間取引で輸出する政府間契約が憲法第190条の条約締結手続きに抵触するとして,憲法裁判所に違憲審査請求。
28日 インラック内閣改造。
28日 ロイヤルターフクラブにて,サヤーム防衛団(ピタックサヤーム)によるインラック首相退陣要求決起集会に2万人集結。
31日 タイ貢献党新党首にジャルポン・ルアンスアン就任。
  11月
1日 フットサル・ワールドカップ,バンコク,コーラートにて開催(~18日)。
7日 タイ,ミャンマー両政府代表,ダウェー経済特別区開発の合同委員会初会合を実施。
8日 タクシン元首相,ネーピードーにてテインセイン大統領と会談。
12日 政府,TPP交渉参加を閣議決定。
12日 首相,イギリスを公式訪問(~14日)。
15日 タイ・アメリカ国防大臣会談にて,防衛同盟共同ビジョン調印。
17日 ヤラー市で爆発,1人死亡,33人負傷。
18日 オバマ米大統領,来訪(~19日)。
18日 タイ商業会議所,タイ工業連盟,タイ銀行協会の経済3団体,来年1月とされた最低賃金日額300バーツへの引き上げの全国実施延期を求めて,陳情書を提出。
20日 閣議,中央賃金委員会の決めた2013年1月1日からの未熟練労働者の最低賃金日額300バーツへの引き上げ実施を了承。
20日 閣議,外国人事業者の航空機部品製造・保守管理業への出資比率上限を現行の49%から70%に引き上げる航空法改正案を承認。
20日 首相,プノンペンで開催された東アジアサミットに出席。
21日 温家宝中国首相,来訪(~22日)。
22日 反政府デモ対策でバンコク中心部(プラナコン区他)に治安維持法適用(~30日)。
23日 投資委員会,工業省,タイ工業連盟,タイ自動車工業会ほかが記者会見。タイにおける自動車の年間生産台数が初めて200万台を突破したことを報告。
24日 バンコクにおいて,サヤーム防衛団(ピタックサヤーム)率いる反政府デモ。警察部隊と衝突,逮捕者138人,負傷者82人。
28日 首相,チャルーム副首相,スカムポン国防相などに対する不信任案を下院で否決。
  12月
2日 アピシット前首相,ステープ前副首相,DSIにて殺人容疑のため事情聴取。
3日 刑事裁判所,UDD元幹部のアリスマンに懲役1年の判決を下す。
5日 国王,誕生日恒例の国民向けスピーチ。
6日 ナラティワート県内にて,小学校教員を狙った殺害事件が続発したことを受け,県内の小学校閉鎖(~7日)。
11日 首相,憲法改正案審議前の国民投票を実施する意向を表明。
11日 ナラティワート県で銃乱射事件,6人死亡,内2人教員。パッタニー県でも教員2人死亡。
13日 南部国境3県およびソンクラー県の一部地区の学校,一斉休校(~14日)。
13日 首相,パッタニー県訪問。同県小学校教員の安全問題を討議。
17日 首相,ミャンマー訪問。テインセイン大統領と会談。
17日 民主党のラメート顧問弁護士,銃撃され重傷。犯人は不明。
19日 ペットカセーム通りにてパームオイル値上げ要求の農民デモ。卸売り価格1キログラム当たり2バーツから4バーツへ値上げを政府合意。
27日 タイ=カンボジア・シングルビザ政策施行。
28日 物品税局,初の新車・トラック取得の物品税還付策への還付申請件数が119.4万件に上ったと発表。

参考資料 タイ 2012年
①  国家機構図(2012年12月末現在)
①  国家機構図(2012年12月末現在)(続き)
②  閣僚名簿
③  国軍人事

主要統計 タイ 2012年
1  基礎統計
2  支出別国民総生産(名目価格)
3  産業別国内総生産(実質:1988年価格)
4  国・地域別貿易
5  国際収支
 
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