Yearbook of Asian Affairs
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2013 Volume 2013 Pages 547-572

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2012年のパキスタン 司法の政治介入とエネルギー危機

概況

2012年の国内政治では,司法の積極的な政治介入が目立ち,これによって首相が交代するに至った。2013年連邦議会議員(下院)選挙へ向けた,各党の動きもみられた。とりわけ与党パキスタン人民党(PPP)と野党第1党パキスタン・ムスリム連盟ナワーズ派(PML-N)との駆け引きが目立った。国内のテロ活動は減少傾向にあるが,絶対数はいまだに多く,引き続き治安問題を抱えていることに変わりはない。

エネルギー危機は経済成長の足かせであるのみならず,政治的にも最重要課題であるといってよい。サーキュラー・デット(循環債務)を解決するための公的資金の注入が財政赤字を悪化させている。2011年9月にIMFのスタンドバイ融資が終了し,対外的な資金繰りに苦しむ政府は対国内債務を増加させた。治安問題やエネルギー不足を抱えるなか,2011/12年度は生産部門が前年度に比べて伸びたことは評価できよう。ここ数年の傾向である,海外からの労働者送金の伸びは相変わらず目覚ましかった。

2011年に悪化の一途をたどり,同年末に起こった駐アフガニスタンNATO軍によるパキスタン領内での誤爆(サラーラー誤爆)によって最悪の状態となった対米関係は,アメリカが2012年7月に,誤爆を公式に謝罪したことをきっかけに改善した。同盟支援資金(Coalition Support Fund:CSF)の再開は対外資金繰りが厳しいパキスタンにとって非常に意義が大きく,アメリカにとっての駐アフガニスタンNATO軍向け補給路の重要性とあわせて,互いに無視できない両国の関係を浮き彫りにした。対インド関係はカシミール問題という核心的争点以外では友好的であったといえよ

国内政治

「司法クーデタ」とアシュラフ新首相の誕生

2月13日,最高裁はギーラーニー首相を法廷侮辱罪で起訴した。チョウドリー最高裁長官は2009年に,PML-N指導者のシャリーフ兄弟の働きで復職して以来,ザルダーリー大統領およびPPP政府との対決姿勢をあらわにしてきた。ザルダーリー大統領は,妻の故ベーナズィール・ブットー元首相が政権を握っていた90年代から,関連予算に賄賂を要求する「ミスター10%」とマスコミに揶揄されるなど,もともとダーティーなイメージが強い。

最高裁は2009年末,ムシャッラフ軍事政権下に出された国民和解令(NRO)に違憲判断を下すことで,大統領への訴訟を停止させる法的根拠を崩していた。しかしながら,大統領には直ちに訴追を受けない特権があり,ギーラーニー首相は大統領の汚職疑惑の捜査を始めるための手続きを進めないまま2年が経過していた。このため最高裁はまず,首相が必要な手続き,具体的には1990年代に大統領がスイス企業から受けた賄賂に関する捜査・審理をスイス当局に許可する,いわゆる「スイス・レター」の作成を怠っているとして,2月13日法廷侮辱罪で首相を起訴した。最高裁は首相に,「スイス・レター」の作成を求めたが,当初から首相が従う可能性は低いと考えられていた。予想通り首相は従わず,最高裁は4月26日,首相に対し法廷侮辱罪で有罪判決を下した。

6月19日,最高裁は4月26日に遡ってギーラーニー首相の議員資格を剥奪し,失職を言い渡した。大統領は後継にマフドゥーム・シャハーブッディーン繊維相を指名したが,21日,シャハーブッディーン氏に薬物の違法取引容疑で逮捕状が出された。結局22日,ラージャー・パルヴェーズ・アシュラフ前水利・電力相が新首相に選出された。アシュラフ新首相の船出も困難が予想された。新首相は水利・電力相時代にレンタル発電機事業に絡む汚職が疑われており,「ラージャー・レンタル」とマスコミに揶揄される人物であった。同汚職についてアシュラフ新首相に法的な措置はとられていなかったが,3月30日,最高裁が捜査を指示していた。

アシュラフ首相も「スイス・レター」の作成にすぐ従ったわけではなく,司法とPPPとの確執に変化はなかった。7月9日,「法廷侮辱法2012」が下院,11日に上院を通過後,12日に大統領が署名し発効した。同法案はPPP主導で作成し,大統領と閣僚が法廷侮辱罪から免れるというご都合主義的な法律であるが,最高裁は8月3日,同法に対し憲法違反による無効判決を下した。これはアシュラフ首相を追い詰めるための布石であり,8日,首相に対し法廷侮辱罪に関する警告通知を発した。9月18日,首相は出廷して最高裁の要求を受け入れ,「スイス・レター」の作成を承諾した。10月10日,「スイス・レター」の内容につき,最高裁と政府は合意に至り,11月9日,ナーイク法相がスイス当局の「スイス・レター」受取証を示したことを受けて,最高裁は14日,首相に対する法廷侮辱罪の警告通知を取り下げた。これによって,大統領が必ずしも訴追されるわけではないが,最高裁とPPP政府の緊張関係は多少緩和されたといえよう。

「スイス・レター」訴訟をとりまく首相交代劇が,司法の政治介入の最たる例であったが,ほかにも積極的な政治介入がみられた。最高裁は9月20日,憲法違反であるとして二重国籍者の議員資格を剥奪した。対象者はPPPの政治家だけではなかったが,もともとPPP所属のマリク内相が標的にされていた。最高裁は6月4日,二重国籍を理由にマリク内相の議員資格を剥奪していた。しかし,マリク氏は5月29日にイギリス国籍を放棄していたとして,7月23日の上院議員補選を経て再び内相に返り咲いている。

2011年末の「メモゲート」(『アジア動向年報2012』参照)事件以降,軍と司法vs.政府という対立の構図であったかのようにみえたが,10月10日の「スイス・レター」合意を分岐点に,今度は司法vs.軍の構図が新たに浮上してきた。10月19日,最高裁は1996年にアスガル・ハーン退役海軍中将が提訴したミルザー・アスラム・ベーグ元陸軍参謀長およびアサド・ドゥッラーニー元三軍統合情報局(ISI)長官の選挙違反容疑につき,証拠がそろっているとして審理開始の決定を下した。具体的には,軍の元トップであった両名が1990年の総選挙において,不正に1億4000万ルピーを国庫から持ち出して政党,イスラーム民主同盟(IJI)を組織し,故ベーナズィール・ブットー率いるPPPに政権をとらせないよう画策したということである。パキスタン建国65年の歴史上,軍事クーデタは4回にわたって起こり,建国以来,半期以上が軍事政権下にあったことからもわかるように,パキスタンにおいて軍は非常に強力である。軍の元トップに司法のメスが入るのは史上初めてのことである。これに対し,キヤーニー陸軍参謀長は11月5日,「文民・軍人を問わず,安易な判断はすべきでなく,関連する機関を不必要に弱体化させるべきではない」(The News, 2012年11月6日付)と発言し暗に司法を牽制した。しかし,このようなソフトなコメントから推測できるように,キヤーニー陸軍参謀長には軍事クーデタに結びつくような強硬な姿勢,もしくは軍による政治・司法への介入を連想させるような姿勢は現在までのところみられず,この決定によって軍と司法が全面的に対立するということはなさそうである。

上院選挙と2013年下院選挙への動き

3月2日,上院議員選挙(全104議席のうち約半数の54議席改選)が実施された。与党PPPが19議席を獲得し,全41議席とした。次の半数の改選が行われるまでの向こう3年はPPPの上院における優位が保たれる。また,連立与党としても憲法の改正に必要な安定多数(議席の3分の2以上)を確保した。連立政権が不安定なまま,司法や軍との緊張が高まり,2011年末の政治スキャンダルなどでPPPの世論支持が落ちるなかでは,PPPにとって安堵の結果であったといえよう。上院での勝利は,2013年に予定される下院議員選挙で多くの議席を失ったとしても,諸法案成立にとって好ましい結果に違いない。しかし,この勝利を次期選挙への追い風と即座にみなすことはできない。上院選挙の選挙人団は国民ではなく,必ずしも民意を反映した結果ではないからである。

パキスタン史上,文民政府下の大統領が任期をまっとうしたことはない。ザルダーリー大統領はもともと国民の人気が低いこともあり,2008年の政府発足および大統領就任当時は短命政権であると大方の予想であったが,このまま2013年9月までの大統領任期を迎えそうである。

2012年を通して,次期選挙を年内に実施するだろうという憶測がもたれていた。現下院議員の任期は2013年3月であったが,野党が早期解散と年内の総選挙を求めていたことから前倒しになるとみられていた。不安定な政権を反映して,与党と野党の駆け引きも顕著であった。2月14日,第20次憲法改正法案が下院,27日に上院を通過し,28日にザルダーリー大統領が署名し発効した。改正に至るまでにはPPPと野党第1党PML-Nの駆け引きがあり,最終的にはPPPがPML-Nの要求をのむ形で草案が作成された。最大の焦点かつ憲法改正のキーポイントは,中立的な選挙管理委員会を設けること,選挙期間中の暫定内閣の発足には野党の合意が必要であることである。同じくPML-Nの要求をPPPがのむ形で7月9日,選挙管理委員会委員長をファフルッディーン・イブラーヒーム氏とすることで両党は合意に至った。

早期解散を見越して,または2013年の総選挙に備え,各党の選挙キャンペーンは白熱した。とりわけ,下院議席の54%を占めるパンジャーブ州ではPPPとPML-Nの勢力が拮抗していることもあり,各党の動きが激しかった。両党に加え,2011年末から台頭してきたパキスタン正義行動党(PTI)もパンジャーブ州を基盤としている。PTI党首はクリケットのナショナルチーム・キャプテンであった国民的スター,イムラン・ハーン氏である。PTIは弱小政党であったが,ハーン氏のクリーンなイメージに加え,反米路線を公に掲げ,反米感情の強い国民の支持を着実に増やしてきた。また,有力政治家のPTIへの鞍替えをとおして,PPPとPML-Nにとって脅威となる政党へと成長してきた。

結局,2012年中に下院選挙が実施されることはなかった。加えて,国民のなかには,2013年にも果たして下院選挙が実施されるのか,という疑問すらある。3月までに議会解散が必要だが,憲法上,野党が合意すれば解散時期を6カ月先延ばしすることが可能である。先延ばしすればするほど,次期選挙までに,軍によるクーデタや司法によるさらなる行政介入が起こる可能性は高まる。クーデタまではいかなくとも,公正・安全な選挙が実施できないなかでは,「非常事態宣言」に近いものが政府,軍,または司法から発せられる可能性もある。

マラーラ事件

PPPはリベラルであり,故ベーナズィール・ブットー元首相を象徴としていることもあって女性の権利擁護には積極的であるが,パキスタンでは総じて女性の権利が抑圧されてきた。テロ活動を続けるパキスタン・ターリバーン運動(TTP)のみならず,保守的な宗教政党も女性の権利擁護には消極的である。10月9日,女性が平等に教育を受ける権利を訴え続けてきた15歳の少女マラーラ・ユースフザイーがハイバル・パフトゥーンハー州(KP州)スワート地区でスクールバスに乗って自宅に帰るところを銃撃された。頭と首に銃弾を受けたにもかかわらず,イギリスの病院に搬送され治療を受けたマラーラは劇的に回復した。マラーラ事件は世界中の注目を浴び,国連は11月10日を「マラーラ記念日」と宣言,ノーベル平和賞にとの呼び声も上がるほどである。

マラーラは11歳のときにウルドゥー語版BBC放送にブログを開設し,ターリバーン統治下の女性の厳しい生活状況を書き続けていたことから,すでに国際的な注目を集めていた。このためTTPから目の敵にされ脅迫を受けており,TTPはマラーラ銃撃後,犯行声明を出した。10月12日,アシュラフ首相はマラーラをラーワルピンディの病院に見舞い,「過激派と武装組織の脅威を根絶する」(Dawn, 2012年10月13日付)と述べた。同日,スンニー統一評議会(SIC)は銃撃を非難し,「イスラームに反する」とファトワー(イスラーム判断)を出した。国内・国際的な非難を受けたTTPは16日,マラーラは「西側のスパイ」であり,「我々は教育に対して声を上げた理由で彼女を襲撃したのではない。ムジャーヒディーン(=イスラーム戦士)と聖戦に反対したから攻撃したのだ」「シャリーアは,イスラームに敵対すれば子どもでも殺してよいとしている」(Dawn, 2012年10月17日付)と自己弁護の声明を出した。ザルダーリー大統領は12月8日,イギリスの病院を訪れ,マラーラを見舞った。

国内の治安問題

国内のテロ活動は2011年に引き続き減少傾向を示した(対前年度比件数19%減:以下,数字はパキスタン平和研究所[PIPS]の統計による)。無人飛行機による民間人の犠牲者も,2011年末のサラーラー誤爆以降,無人飛行機攻撃の自粛期間を設けるなど,アメリカが配慮を示したことで(「対米関係」で後述)減少した(同40%減)。ただ,減少したとはいえ,2012年のテロの犠牲者は依然として2050人に上り(同14%減),パキスタンが不安定な治安問題を抱えていることに変わりはない。治安不安定の要因は主に,(1)TTPによる自爆テロ,(2)民族・部族・党派の争い,(3)宗教間の争いに分けることができるだろう。

テロの犠牲者の半数以上が,TTPによるものである。8月16日,アトックのミンハース空軍基地をTTPが攻撃,TTP側9人と軍人1人が死亡した。同基地は,核を保有しているとされ,パキスタン空軍の中枢である。また12月15日,ペシャーワル国際空港兼空軍基地がTTPにより襲撃され,4人が犠牲となった。襲撃犯の5人は16日,警察と軍によって殺害され,身元がウズベキスタン人と判明した。襲撃犯の背中にタトゥーが彫りこまれていたことで,TTPの性格についてさまざまな憶測を呼んだ。イスラームではタトゥーを禁じているため,TTPがイスラームの名を利用してテロ活動を行っていることの証左であるといった意見もあった(The Express Tribune, 2012年12月17日付)。2011年の海軍基地に始まる一連の軍関連施設の攻撃は洗練されており,アル・カーイダ的な性格をもつといわれることから,TTPとアル・カーイダ外国人テロリストとの密接なつながり,もしくはTTPがアル・カーイダ化したことが推測される。テロではないが,4月15日にKP州バンヌーで384人が刑務所を脱獄したのもTTPによる犯行であった。また,2011年に引き続き有力政治家も犠牲となった。12月22日,反ターリバーンの政治家であった大衆民族党(ANP)所属のバシール・アフマド・ビロールKP州地方政治・農村開発担当上席大臣が,TTPの自爆テロにより死亡した。自爆テロはANPの政治集会を狙ったもので,ほか8人が犠牲となった。

民族・部族・党派の争いも無視できず,2012年は増加傾向にあった。テロ件数も,民族主義・ナショナリズム運動がもともと盛んなバローチスタン州が最多であった。同州においても,ターリバーン化やラシュカレ・ジャングヴィー(イスラーム教スンニー派武装組織)などのテロリストの活動が浸透しているとされ,純粋な民族争いでは説明できなくなっている。10月12日,最高裁はバローチスタン州政府が基本的な治安維持機能を果たしていないとして憲法違反の仮命令を出した。

宗教間の争いとしては,イスラーム教のシーア派を標的にしたテロが相次いだ。大規模な惨事はシーア派の祭事アーシュラー(11月24~25日)に関連して起こり,11月21日にラーワルピンディとカラチで起こったテロなど,5日間であわせて30人以上が犠牲になった。11月6日には,シーア派の指導者アーガー・アーフターブ・ハイダル・ジャフリーが殺害された事件に端を発し,カラチの治安は急速に悪化し,続く2日間で少なくとも16人が犠牲になっていた。その他シーア派を狙った主な攻撃には,1月15日ラヒーム・ヤール・ハーン(少なくとも18人死亡),2月17日パーラチナール(同41人),2月28日コーヒスタン(同18人),4月3日ギルギット(同14人),8月16日マーンセーラー(同25人),12月30日クエッタ(同19人)があった。

経済

2011/12年度の経済概況

パキスタンの2011/12年度(2011年7月~2012年6月)の実質国内総生産(GDP)成長率は3.7%で,前年度の3.0%を上回った(Economic Survey[経済白書],2012年5月31日)。セクター別では,農業部門が3.1%,鉱工業部門が3.4%,サービス部門が4%であった。農業部門はGDPの21.1%を占めるのみだが,雇用の45%を占めるパキスタンの基幹産業であり,主要製造業(繊維,製糖)も農業部門に依存している。農業部門の主要作物である綿花(生産量,対前年度比18.6%増),サトウキビ(同5.6%増),コメ(同27.7%増)が伸びる一方,小麦(同7.4%減)は洪水により播種(はしゅ)面積が減少した。鉱工業部門の46.9%を占める大規模製造業部門は,エネルギー不足にもかかわらず健闘した(付加価値,対前年度比1.8%増)。製糖(同27.1%増)をはじめ,農業部門の伸びに支えられたところも大きい。サービス部門の伸びは前年度より鈍化したが,実体経済の伸びを反映して,その内容は悪くなかった。前年度の同部門の伸びは軍事費と公務員給与の増加に依存していたが,今年度はこれらが減少する代わりに,保険・金融(同6.5%増),運輸・通信(同1.3%増)の伸びに支えられたからである。

GDP成長をもっとも牽引するものは相変わらず,支出別GDPの75%を占める国内民間消費である。民間消費は順調な海外送金の伸びを反映して対前年度で11.6%伸び,公共消費とあわせてGDPの88.4%を占めるに至った。その一方で,民間投資は4年連続で落ち込み,GDPの7.9%を占めるのみとなった。投資の落ち込みは,ここ数年続くエネルギー不足と不安定な治安,政府部門の国内債務の増加に伴い銀行の貸付が民間に回る余地がないことが背景にある。

2011/12年度の貿易収支は,赤字が対前年度比48.9%増大し185億ドルとなった。輸出は対前年度比4.9%減の296億700万ドルであったのに対し,輸入が同10.5%増の481億5600万ドルであった。国際石油価格の上昇(原油単価,対前年度比36.6%増)によって,原油・石油製品輸入額は26.2%(対前年度比)も増加した。

一方の輸出では,最大のシェアを占める繊維・衣類が,国際的な需要の減少を反映して伸び悩んだ。このため,経常収支は前年度の黒字から46億7200万ドルの赤字に転じた。資本収支に関しても悲観的な材料ばかりであった。海外直接投資(FDI)は対前年度比で52.9%減と振るわず,FDIの落ち込みの背景にもエネルギー問題と治安問題が大きいといわれている。

このような厳しい経済状況のなか,唯一の好材料といえるのは海外からの労働者送金の伸び(対前年度比17.7%増)であろう。ここ数年の傾向を踏襲し,予想を大きく上回る132億ドルが海外の労働者から送金された(図1)。財政赤字,債務体質,貿易収支赤字とマイナスの要因が揃うなかで,7月20日,スタンダード&プアーズがパキスタンの長期政府保証債務の評価を「B-(マイナス)」と据え置いた唯一の理由が堅調な海外からの労働者送金であった。またそれほど楽観視すべきではないが,債務体質が続くなかで,インフレ率が11%と過去数年に比べ抑えられたことも評価すべきであろう。

図1  海外からの労働者送金と貿易赤字

(出所) State Bank of Pakistan, Statistical Bulletin, 各号。

財政赤字と政府債務

IMFのスタンドバイ融資は,パキスタン政府が財政赤字改善というIMFのコンディショナリティを満たさないまま,最終トランシュの支払いがなく2011年9月に終了した。財政赤字は後述するエネルギー危機とも絡み,パキスタン経済の最大の問題といってよいだろう。2011/12年度の財政赤字は当初の目標である対GDP比4.7%を大きく上回り,8.5%となった。6月1日,シャイフ財務相によって発表された2012/13年度予算案においても,当初議論されていた財政赤字の目標が4.2%から4.7%へと変更されており,選挙を控え支出が膨張気味の予算案であった。開発予算(Public Sector Development Programme:PSDP)は対前年度比20%増の8730億ルピーが計上された。

財政赤字から債務体質となり,パキスタン財政にとってさらなる足かせとなっている。2011/12年度の財政支出のうち,利子払いのみで23.7%,軍事費とあわせて40%近くを占めており,財政支出に自由がない。税収面では,納税ベースが小さいことが大きな問題である。税収の対GDP比は9.2%と昨年の8.6%よりは上昇したが,同等の所得水準の国と比較しても格段に低い。国税局(FBR)は10月1日,納税者を拡大する目的で,「2012年税務登録と施行戦略」(Tax Registration and Enforcement Initiative)案を発表,12月17日,法案として提出された。同案は税務登録していない500万ルピー以下の資産につき,わずか100ルピーの税金を支払うことで資産に法的効力を与えるというものであり,新たに1520億ルピーを徴収し納税ベースを750万人に増やす計画である。しかし,その手段が「脱税恩赦」とも呼ばれ国内外で議論を巻き起こしている。IMFは直ちに「脱税恩赦」を考え直すよう要請し,FBRの内部ですら同案には懐疑的である。過去5年にも同様のFBR「脱税恩赦」スキームがあったが,すべて失敗に終わっている。このような「脱税恩赦」は納税者のインセンティブを削ぎ,闇経済(統計で把握されている50~60%ほどの規模に上るといわれている)を増長するだろう。

財政赤字補填のための債務といっても,IMFの推薦状(いわゆるLetter of Comfort)がないため,世銀やADBなど国際機関からの支援も難しく,国外からの資金調達は難しい状況にある。IMFから借り入れた融資(総額49億3604万SDR[約76億ドル])の返済スケジュールはすでに始まっており,2012年には8回に分け総額約26億3100万ドルを返済した。IMFへの返済は2014年末まで予定され,返済がパキスタン・ルピーの下落の一要因である一方,大幅に下落するなかで返済がますます厳しくなるという悪循環に陥っており,IMFから新規借り入れせざるをえないともいわれている。為替レートは2011年末の1ドル=89.34パキスタン・ルピーから2012年末には1ドル=97.14パキスタン・ルピーへ下落した。一方で,2013年に選挙を控え自由に資金を使いたいために,IMFが要求するコンディショナリティを満たすことは難しいことから,具体的な新規融資プログラムは要求していないままである。

海外からの資金調達が厳しいため,対国内債務は激増した。2011/12年度の政府の対国内債務は1兆6540億ルピー増加し,ストックで7兆880億ルピー,GDPの39.5%の規模になった。政府は,民間市中銀行の国債引き受けが不足したため,中央銀行(SBP)からの借り入れに頼らざるをえなかった。3月13日のSBP法改正で政府は,SBPからの借り入れは各四半期末にはゼロにするとしていたが,それを守ることができず,2011/12年度下半期には3768億ルピーを借り入れた。政府のSBPからの借り入れは主に短期国債の発行を繰り返すという形でなされた。このため金融緩和へのプレッシャーが高まり,8月10日,SBPは政策金利を12%から10.5%に引き下げた。2011年9月以来の引き下げであったが,政策金利はさらに,10月5日に10%,12月14日に9.5%へと引き下げられた。これ以上金融緩和が進むと,インフレ率の上昇が懸念される。

このような厳しい状況のなか,アメリカがCSFを再開した意義は非常に大きく,同時に,アメリカに対する経済的依存度の高さも浮き彫りとなった。CSF再開は駐アフガニスタンNATO軍向けの補給路を解禁したことを受けたもので(「対米関係」で後述),アメリカは8月1日,11億8000万ドルを支払った。CSFの支払いとしては,2010年12月の6億3300万ドル以来である。さらに12月28日にも,CSF6億8800万ドルが支払われた。

エネルギー危機とサーキュラー・デット

2011年に引き続き,2012年もエネルギー不足は深刻であった。問題の本質は燃料や発電能力ではなく,サーキュラー・デットにあるといわれている。国営の発電会社(Gencos)や独立系の発電会社(IPPs)が国営の配電会社(Discos)に電力を販売するときと,Discosが末端の家庭に販売するときの料金は政府の承認を得て電力規制庁(NEPRA)が決定する。パキスタンでは,この設定料金が,送電・配電コスト,発電コストに満たず,コストと料金との差額はすべて政府補助金でまかなわれている。ところが,この補助金を政府が十分に支払っていないことがサーキュラー・デットを生み出す大きな要因である。その他,送電・配電における損失や,盗電や公共部門の料金踏み倒しなどによる不十分な料金回収もある。加えて国際石油価格の上昇により発電コストも上昇し,問題に拍車をかけている。配電会社が料金回収できず,したがって,送電,発電,石油・ガスなどの燃料販売,燃料製造もしくは輸入のどの段階でも売掛を回収できないために,サーキュラー・デットと呼ばれている。

サーキュラー・デットの規模はさまざま推測されているが,2011/12年度末で8720億ルピーである(Pakistan Observer, 2013年1月22日付)。しかも,毎月200億ルピーのペースで増え続けているといわれる,政府はサーキュラー・デット問題を解決するため,たびたび公的資金を投入してきた。1月20日,経済調整委員会(ECC)は,1600億ルピー分の銀行融資とのスワップを承認した。2011/12年度には4643億ルピーが電力部門への補助金として支払われたが,厳しい財政赤字が続くなかでは限界がある。2011/12年度の財政赤字8.5%のうち1.9%分はサーキュラー・デット問題によるものである。しかもサーキュラー・デットは膨らみ続けているため,解決どころか事態はますます深刻になっている。公的資金投入でもっとも後回しにされるのはIPPsであり,5月8日,IPPs諮問委員会は「パキスタン政府は史上初めて政府保証債務デフォルトを起こした」と発表した。諮問委員会はあわせて1700MWの発電を担う9つのIPPsを代表し,この時点で450億ルピーの売掛が未払いであった。デフォルトといっても,国債の返済不履行すなわち経済の破綻を指すのではなく,政府が保証した国営の送配電会社が支払いを履行しなかったことを指す。IPPsは7月3日,法的解決を探るべく訴訟を起こし,9月3日,最高裁は450億ルピーの支払いを命じた。9月11日,政府はサーキュラー・デット問題の解決のため,820億ルピー分の金融債券(TFCs)を発行した。一部はIPPsへの支払いに充当され,IPPsを含む発電会社はそのままパキスタン国営石油(PSO)に対する未払い債務の支払いに充当したため,結局700億ルピー分はPSOへの支払いに充当されたことになる。それでもPSOの売掛債権は1668億8000万ルピー残っており,PSOはこのままでは石油輸入代金を支払えず,石油の供給に支障をもたらすと訴えた。

サーキュラー・デットは石油などの燃料の効率的な供給を妨げ,電力不足は2011年以上に深刻であった。夏季は各地で気温が40度以上となることもあり,電力需要は増す。いまだエアコンを購入できる層は限られているが,貧困層であっても扇風機は普及している。ところが電力供給が追いつかないために,各地で連日停電が実施された。需給ギャップは,7500MW,すなわち国内電力需要の40%ほどであるといわれる(Dawn, 2012年5月11日付)。もっとも暑い5~6月に16~20時間に及ぶ停電が連日実施されたことなどから,各地で抗議のデモが頻発した。

エネルギー危機がパキスタン最重要課題のひとつであることを示唆するように,アシュラフ首相は就任翌日の6月23日にエネルギー危機解決のための会合をもった。会合では,毎日2万8000トンの発電部門への燃料供給を確保することで,1200MWの電力を新たに供給することなどが話し合われた。しかし独立系シンクタンク・パキスタン経済ウォッチ(Pakistan Economy Watch:PEW)は,「問題は燃料不足ではなく,(電力料金の)未払いにある」(The Express Tribune, 2012年7月5日付)と批判的であった。

対外関係

対米関係

2011年11月に駐アフガニスタンNATO軍がパキスタン領内で誤爆し,パキスタン兵24人が犠牲となった事件(サラーラー誤爆)を受け,NATO軍向けの物資補給路が閉鎖されていた。これは内陸国アフガニスタンに向け,カラチ港から物資(武器を除く)を輸送するルートで,中央アジアなどを通るほかのオプションに比べてコストが低く(米国防長官によると中央アジア・ルートの3分の1),NATO軍向け燃料の80%以上が運ばれていた。2011年5月のビン・ラーディン殺害に関した領土侵犯ですでに悪化していた対米関係は,誤爆以降,完全に冷え切っていた。

国家安全保障に関する議会委員会は4月12日,アメリカの無人飛行機による攻撃(後述)の中止と,誤爆に対するアメリカの無条件の謝罪を条件に補給路再開を承認した。ところが直後の15日,在アフガニスタンのイギリス大使館やNATO本部に対する攻撃があり,その背後にパキスタン,とりわけISIとつながりがあるとされるハッカーニー・ネットワーク(HN)の存在が疑われたことから,アメリカの謝罪は得られなくなった。パキスタンからみても,国民の強い反米感情を考慮する必要があり,謝罪なしに補給路を再開することはできなかった。しかし,アメリカにとってはコストの点から,パキスタンにとっては資金援助を得るという点からみて,パ米両国にとって補給路の再開は明らかに得策であった。事態は7月に急展開をみせた。3日,クリントン米国務長官はカル外相と電話会談し,アメリカ政府として初めて誤爆について公式に謝罪した。これを受けてパキスタンは,補給路閉鎖を7カ月ぶりに解除した。7カ月の間に別ルートを使用したことによるアメリカのコストは10億ドルを超えると推定される。これはパキスタンの地理的戦略性が重要であることを再認識させるとともに,両国の関係悪化に歯止めをかける重要なターニングポイントとなった。7月31日,両国間で覚書が交わされ,2015年末までの補給路使用とCSFの支払いが合意・署名された。直後の8月1日,政府はCSFとしてアメリカが拠出した11億8000万ドルを受け取った。CSFの支払いは2010年12月以来であった。

サラーラー誤爆後,中断されていた米軍の無人飛行機による攻撃は,早くも1月10日に再開された。無人飛行機はアフガニスタンとの国境の部族地域に潜んでいるとされるテロリストを攻撃対象としており,2009年にオバマ政権が誕生して以来急増していた。しかし,補給路再開に向けての交渉を円滑に進める意図があったためか,2012年の攻撃は対前年比40%減の45件であった。無人飛行機による攻撃では米軍の犠牲者がでないため,アメリカ国内の世論批判をかわすには好都合な戦略である。6月4日には北ワジーリスタン攻撃で,アル・カーイダのナンバー2のアブー・ヤヒヤーウッ・リッビーの殺害に至るなど,一定の成果を生んでいるようにもみえる。しかし無人飛行機による攻撃だけに,民間人の犠牲者も多数出ており,人道的に問題視されてきた。9月25日に発表されたアメリカのスタンフォード大学およびニューヨーク大学のロースクール共同研究によると,2004年1月から2012年9月までにパキスタン領内で2562~3325人が無人飛行機による攻撃によって殺害され,うち,民間人は474~881人,子供も176人含まれるという。他方,攻撃の効果,すなわち「重要攻撃目標」とされた人物の割合は2%にすぎず,極めて非効率であるとされた。しかし,11月にオバマ大統領が再選されたことで,しばらく攻撃は続きそうである。

対インド関係

2012年を通して,対インド関係は比較的友好であった。与党PPPは親インド的である一方,対インド関係上最大の問題であるカシミールを挟んだ領土問題の性格から,軍は対インド関係に強硬な姿勢をとってきた。このため,軍と政府とのバランスが対インド関係を理解するうえで重要である。現在のところ,軍が政治に介入するそぶりはみせておらず,PPP政府は領土などセンシティブな問題に関係しない事柄―ビザの発給簡素化,貿易と人的交流の促進―については積極的に対インド関係の改善を進めた。具体的には9月7~9日,クリシュナ印外相が来訪してカル外相と会談をもち,8日,団体観光ビザの発給を含むビザの簡素化を合意した。12月14日にはマリク内相が訪印し,同合意に調印した。

対インド関係の改善を象徴したのは,4月8日,ザルダーリー大統領がインドを「私的に」訪問したことである。国家元首によるインド訪問は7年ぶりであった。訪問自体は,イスラーム・スーフィー寺院への巡礼という私的なものであったが,マンモハン・シン印首相と昼食をともにした。私的訪問であり何か具体的な改善がみられたわけではないが,この訪問に関しては,欧米諸国がこぞって賞賛した。というのは,2014年末にNATO軍がアフガニスタンから撤退するためには,アフガニスタン情勢の安定が重要な課題であり,そのためにはパ印関係が重要な意味をもつからである。パキスタンがHNなどを通してアフガニスタンに影響力を及ぼそうとするのも,インドのアフガニスタンでの影響力を軽減するパワーバランスが目的であるとの見方が強い。

表面的な対インド関係の改善がみられる一方,最重要課題のカシミール問題については,軍だけではなくPPP政府でも本質は何ら変わっていないことを印象づける発言もあった。9月25日,大統領は国連総会の演説において,「カシミール問題は国連の調停機能が失敗したことの象徴である」と述べた。国連によると,カシミール問題は住民の意思によって解決されねばならず,それを尊重すればカシミールの領有権はパキスタンに帰属することになる。一方でインドの主張は,カシミールの領有権は1972年「シムラ協定」に基づく二国間問題であり,国連の介入する余地はないというものである。

対アフガニスタン関係

2011年に,ターリバーンとの対話において重要な役割を担うと期待されたラッバーニー前アフガニスタン高等和平評議会議長が殺害され,パキスタンの関与が疑われたことで,対アフガニスタン関係は悪化していた。関係改善への布石は,カルザイ・アフガニスタン大統領が2月16日にアフガニスタン・ターリバーンとの平和会談のために来訪したことである。カルザイ大統領は17日,ターリバーンの精神的支柱といわれるモウラーナー・サミーウル・ハクと会談した。

両国の首脳会談は国連総会のサイドラインなどいたる所でもたれてきたが,両国間の改善にとって重要なのは,11月12~14日,サラーフッディーン・ラッバーニー・アフガニスタン高等和平評議会議長が来訪し,ザルダーリー大統領,キヤーニー陸軍参謀長と会談をもったことであろう。ラッバーニー議長は殺害された前議長の息子であり,その来訪は過去2度にわたって延期されてきた。議長は,2010年にカラチで拘束された,当時アフガニスタン・ターリバーンのナンバー2であったムッラー・アブドゥル・ガニー・バラーダルの釈放を求めた。ムッラー・バラーダルの釈放がターリバーンとの交渉を成功させるために重要であると考えられていたからである。最重要人物であるムッラー・バラーダルの釈放は実現しなかったが,少なくとも9人の中堅ターリバーン服役囚の釈放が実現した。

これらの和平交渉は,2014年末に予定されているNATO軍のアフガニスタン撤退を念頭においての動きである。撤退後はアフガニスタン・ターリバーンとHNがアフガニスタンの政治において重要な役割を担うと考えられている。これを見越してパキスタンは,両者への支援を継続しているとみられている。パキスタン,とりわけISIと両者との関係は根強く,旧ソビエトのアフガニスタン侵攻まで遡る。ターリバーン指導者のムッラー・ウマルはカラチもしくはクエッタに潜んでいるといわれ,HNはパキスタンの北ワジーリスタンを本拠地にしているといわれている。パキスタンはこれらの関係をすべて否定しているが,アフガニスタン平和構築へのプロセスが進展するに従い,平和構築に協力するとアピールする一方で,アフガニスタンに影響力を及ぼすための手段をもちつづけたいパキスタンの矛盾が露呈しているようにもみえる。

対中国関係

「全天候型友好関係」といわれる中国との関係は2012年も良好であった。とりわけ,2011年からパ米関係が悪化するにつれ,中国との関係強化の動きがみられた。確かに,ミサイルや原子力関連の開発協力という経緯があり,軍事面でのパ中関係の強固な関係は揺るがない。しかしアメリカのCSF再開もあり,経済面での協力関係では軍事面に比較して劣る印象が残る。9月4日,中国当局はグワーダル港の管理権取得を発表したが,経済的なものより軍事戦略的な意図が強いようである。

パ中関係の強化は,常にアメリカとインドの注意を喚起してきた。6月21~22日,シアトルでの原子力供給グループの会合では,欧米諸国がパキスタン・パンジャーブ州で中国の協力のもと計画されているチャシュマ原子力発電所の拡張について懸念を表明した。

2013年の課題

国内政治では,2013年の下院議員選挙が果たしてスムーズに実施されるのか,が最大の関心事であろう。司法の積極的な政治介入は2013年も続くだろう。2013年1月には首相に逮捕状が出されるなど,すでに混迷している。また,同時期にムハンマド・ターヒルル・カーディリー氏率いるコーランの大道運動(TMQ)のデモ「ロング・マーチ」が実施され,その背後には軍の存在も疑われている。

経済では,引き続き財政改革,エネルギー問題の改善が喫緊の課題である。2005年に民営化されたカラチ電力供給会社(KESC)の管内カラチでは,停電の頻度も低いとの報告もあり,電力部門の民営化を通した効率化,電力料金の見直しなど政府補助金の削減が現実的な解決策のように思われる。

2013年1月,国連はアメリカの無人飛行機の攻撃につき,国際法違反の調査に乗り出した。サラーラー誤爆への公式な謝罪をきっかけに改善の兆しをみせた対米関係はどのような展開をみせるだろうか。また,同時期にはカシミールをめぐって印パ交戦が起こった。対インド関係,および2014年末に予定されるアフガニスタンからのNATO軍撤退に向けて,対アフガニスタン関係をどのように舵取りしていくか,注目されよう。

(地域研究センター)

重要日誌 パキスタン 2012年
  1月
10日 米軍,無人飛行機による攻撃再開。
10日 連邦政府直轄部族地域(FATA)ジャムルードでテロ。少なくとも35人死亡。
11日 ギーラーニー首相,軍出身の国防次官を解任。軍は首相を批判。
16日 最高裁,ザルダーリー大統領の汚職疑惑審理再開に必要な措置に関し,ギーラーニー首相に出廷を命令。首相は19日に出廷。
20日 経済調整委員会(ECC),1600億ルピー分の銀行融資とのスワップを承認。2月21日に実行される。
24日 大統領,ミャンマー訪問(~25日)。
25日 首相,スイス訪問。世界経済フォーラム(ダボス,25~29日)出席のため。演説で米軍無人飛行機による攻撃を非難。
30日 オバマ米大統領,無人飛行機による攻撃を初めて公式に認める。
  2月
1日 WTO,EUのパキスタンからの繊維製品75品目の輸入に対する関税撤廃を認める。2010年の洪水に対する救済措置。効力は2012年1月から2013年末までの2年間。
6日 首相,カタール訪問(~8日)。
6日 ラホールで薬品工場のビル倒壊。少なくとも25人が死亡。
10日 ラージャパクセ・スリランカ大統領,来訪(~12日)。
11日 ラホールの複数の病院で,心臓病の偽薬摂取により,12月中旬から少なくとも120人が死亡。
13日 最高裁,首相が大統領の汚職疑惑審理再開に必要なスイス当局宛ての書類「スイス・レター」作成を怠っているとして法廷侮辱罪で首相を起訴。
14日 第20次憲法改正法案が下院で,27日,上院で可決。28日に大統領が署名し発効。
16日 カルザイ・アフガニスタン大統領,アフマディネジャド・イラン大統領来訪。
17日 ハイバル・パフトゥーンハー(KP)州パーラチナールでシーア派を狙った自爆テロ。少なくとも41人死亡。パキスタン・ターリバーン運動(TTP)が犯行声明。
26日 ドキュメンタリー映画“Saving Face”が米アカデミー賞を受賞。パキスタン人監督初。
29日 インドに最恵国待遇(MFN)を2012年末までに与えることを閣議決定。
  3月
2日 上院議員選挙。パキスタン人民党(PPP)連立与党が安定多数を確保。
2日 FATAハイバル地区でラシュカレ・イスラーム(LI)が軍のチェックポストを攻撃。軍・武装グループあわせて少なくとも33人死亡。続き,LIのモスクを標的に自爆テロ。少なくとも23人が死亡。TTPが犯行声明。
5日 核弾道ミサイル,ハトフII発射実験。
6日 世銀,教育分野に1.5億㌦の融資を承認。
7日 ターヒル・ラフィーク・バットが新空軍参謀長に就任。
7日 日本,370万㌦の支援(補助金)に合意。
9日 ザーヒルル・イスラームが新三軍統合情報局(ISI)長官に就任。
13日 中央銀行(SBP)法改正。政府借り入れに制限。
13日 世銀,水力発電に8.4億㌦の融資,パンジャーブ州灌漑分野に2.5億㌦の融資を承認。
24日 大統領,タジキスタン訪問(~26日)。アフガニスタン地域経済協力会議出席のため。
25日 首相,韓国訪問。核サミット(26~27日)出席のため。サイドラインで,オバマ米大統領と会談。2011年5月ビン・ラーディン襲撃以来初の首脳会談。マンモハン・シン印首相とも非公式に会談。
26日 世銀,天然ガス向け2億㌦の融資,パンジャーブ州教育分野に2014/15年度までの総額3.5億㌦の融資を承認。
28日 マティス米中央軍司令官とアレン・アフガニスタン駐留米軍司令官,来訪。キヤーニー陸軍参謀長と会談。サラーラー誤爆以来初の軍トップ会談。
30日 最高裁,ラージャー・パルヴェーズ・アシュラフ前水利・電力相などが関与したとされるレンタル発電機事業に絡む汚職捜査を指示。
31日 首相,訪中。ボアオ・アジア・フォーラム出席のため(~4月2日)。
  4月
3日 ギルギットで外出禁止令。シーア派とスンニー派の対立。カラコルム・ハイウェイが封鎖され,少なくとも14人死亡。
7日 シアチェン氷河近くで雪崩。パキスタン軍駐屯地を直撃。軍人124人を含む少なくとも135人が犠牲に。
8日 大統領,インド訪問。シン印首相と私的会談。国家元首の訪印は7年ぶり。
12日 国家安全保障に関する議会委員会は駐アフガニスタンNATO軍向け補給路再開を承認。
13日 イルファーン・カーディルが新司法長官に任命される。
15日 KP州バンヌーで384人が刑務所脱獄。TTPが犯行声明。
20日 カラチ発イスラマバード行きボージャー航空機墜落。乗客乗員127人全員死亡。
25日 核弾道ミサイル,ハトフIV発射実験。
26日 最高裁,首相に法廷侮辱罪で有罪判決を下す。
  5月
5日 首相,訪英(~13日)。
8日 独立系発電会社(IPPs)諮問委員会,政府保証債務デフォルトを発表。金融証券(TFCs)の発行により解決を模索。7月3日,IPPsは訴訟へ。9月3日,IPPs勝訴の最高裁判決。
10日 核弾道ミサイル,ハトフIII発射実験。
20日 大統領,NATO首脳会議に出席(~21日,シカゴ)。
23日 部族法廷は,ビン・ラーディン潜伏先特定のためCIAに協力したとして,パキスタン人シャキール・アーフリーディー医師に,国家反逆罪で禁固33年の判決。
23日 トルクメニスタン,パキスタン,インドは天然ガスパイプライン(TAPI)に関する初の契約に署名。
24日 カル外相,訪日(~26日)。
31日 シャイフ財務相,2011/12年度経済白書発表。
  6月
1日 財務相,2012/13年度予算案発表。来年度の選挙を見越した予算に。
4日 最高裁,二重国籍を理由にマリク内相の議員資格を剥奪。同氏は7月23日,上院議員補選で選出され,再び内相に。
4日 アル・カーイダのナンバー2のアブー・ヤヒヤーウッ・リッビー,北ワジーリスタンで米軍無人飛行機の攻撃により殺害される。
5日 大統領,訪中(~7日)。上海協力機構(SCO)サミット出席のため。
5日 巡航ミサイル,ハトフVII発射実験。
6日 最高裁,チョウドリー最高裁長官の息子アルサラーンを自らの職権で調査へ。アルサラーンに賄賂を渡したとするマリク・リヤーズはドバイに出国。14日,最高裁は検察長官に対し,両者への厳格な捜査を命じた。
16日 FATAハイバル地区でテロ。少なくとも26人死亡。
19日 最高裁,4月26日の有罪判決に遡りギーラーニー首相の議員資格を剥奪,失職とする。大統領は後継にマフドゥーム・シャハーブッディーン繊維相を指名するも,21日,シャハーブッディーン氏に逮捕状が出される。
22日 前水利・電力相アシュラフ氏が新首相に任命される。
24日 大統領,ギーラーニー前首相による4月26日以降の決定事項につき憲法上の保護を与える大統領令を発令。
24日 KP州ディールでアフガニスタン・ターリバーンが越境攻撃。パキスタン兵17人が犠牲に。
  7月
3日 クリントン米国務長官,サラーラー誤爆を正式に謝罪。謝罪を受け,NATO軍向け補給路の遮断を7カ月ぶりに解除することを発表。正式な覚書署名は31日。
9日 選挙管理委員長をファフルッディーン・イブラーヒーム氏とすることでPPPとパキスタン・ムスリム連盟ナワーズ派(PML-N)が合意。13日,正式に任命される。
9日 「法廷侮辱法2012」が下院を通過。11日,上院を通過。12日大統領が署名し発効。
15日 アシュラフ首相,サウジアラビア訪問(~16日)。初の外遊。石油輸入代金支払い猶予を得るためとの憶測あり。
19日 首相,アフガニスタン訪問。カルザイ大統領,キャメロン英首相と会談。
  8月
1日 アメリカ,11.8億㌦を同盟支援資金(CSF)として拠出。
3日 最高裁,「法廷侮辱法2012」を憲法違反として無効判決。8日,首相に対し法廷侮辱罪に関する警告通知を発する。
10日 SBP,政策金利を12%から10.5%に引き下げ。2011年9月以来。
16日 アトックのミンハース空軍基地をTTPが攻撃。TTP9人,軍人1人死亡。
16日 KP州マーンセーラーでシーア派の乗るバスを標的にテロ。少なくとも25人死亡。TTPが犯行声明。
29日 大統領,イラン訪問。非同盟国首脳会議(30,31日)出席のため。30日,シン印首相と会談。
  9月
3日 ペシャーワルでアメリカ領事館公用車を狙った自爆テロ。3人死亡。
4日 中国,グワーダル港の管理権を取得と発表。
7日 クリシュナ印外相,来訪(~9日)。8日,外相会談でビザ発給簡素化に合意。
11日 カラチ衣料品工場で火災。少なくとも289人死亡。同日,ラホールの製靴工場でも火災。少なくとも29人死亡。
11日 政府は,電力部門の循環債務問題の解決のため,820億ルピー分のTFCsを発行。
11日 世銀,パンジャーブ州の開発プロジェクトに2.2億㌦融資を承認。
12日 ムハンマド中傷映画のYouTube配信を当局が禁止。16日,同映画に対する抗議デモが激化。22日,グラーム鉄道相,映画作成者の殺害に懸賞金10万㌦と発言。所属の大衆民族党(ANP)は党の見解でないと弁明。
17日 巡航ミサイル,ハトフVII発射実験。
18日 首相,最高裁に出廷し「スイス・レター」の作成を承諾。
20日 最高裁,二重国籍者の議員資格を剥奪。
24日 大統領,訪米(~27日)。国連総会出席(25日)のため。27日,カルザイ・アフガニスタン大統領と会談。
24日 首相,訪中(~27日)。世界経済フォーラム出席のため。
  10月
1日 パキスタン国税局(FBR),「2012年税務登録と施行戦略」案を発表。12月17日,法案が国会に提出される。
3日 陸軍参謀長,ロシア訪問(~6日)。
5日 SBP,政策金利を10%に引き下げ。
9日 スワートの反ターリバーン活動家少女マラーラ・ユースフザイーが銃撃を受ける。TTPが犯行声明。16日,「(マラーラは)西側のスパイ」と銃撃を正当化する声明発表。
9日 イゼトベゴビッチ・ボスニア・ヘルツェゴビナ大統領,来訪(~10日)。
10日 最高裁と政府,「スイス・レター」の内容につき合意。
12日 最高裁,バローチスタン州政府が治安維持機能を果たしていないとして憲法違反の仮命令を出す。
14日 大統領,アゼルバイジャン訪問。ECOサミット出席(15日,バク)。エルドガン・トルコ大統領(15日),アフマディネジャド・イラン大統領と会談(16日)。
14日 首相,クウェート訪問(~16日)。アジア協力対話(ACD)サミットに出席。
19日 最高裁,元陸軍参謀長および元ISI長官に対して1996年に提訴された選挙違反容疑につき審理開始の評決。軍の元トップに司法のメスが入るのは初。
  11月
6日 カラチで,シーア派指導者アーガー・アーフターブ・ハイダル・ジャフリーが殺害される。これに端を発し,7~8日にはカラチで少なくとも16人が殺害される。
7日 大統領,カタール訪問(~8日)。液化天然ガスの輸入が議題に。
9日 ナーイク法相,「スイス・レター」に関するスイス当局の受取証を示す。14日,最高裁は首相に対する法廷侮辱罪の警告通知を取り下げ。
12日 サラーフッディーン・ラッバーニー・アフガニスタン高等和平評議会議長,来訪(~14日)。
21日 ラーワルピンディ,カラチでシーア派を狙った自爆テロ。シーア派祭事アーシュラー(24~25日)と関連し,あわせて少なくとも30人が犠牲に。TTPが犯行声明。
22日 イスラーム途上国(D-8)サミット開催(イスラマバード)。
28日 核弾道ミサイル,ハトフV発射実験。失敗と報道。
  12月
3日 大統領,訪韓(~5日)。
7日 大統領,訪英(~8日)。8日,マラーラ入院先を訪問。
9日 大統領,訪仏(~11日)。
12日 大統領,陸軍参謀長,トルコ訪問。カルザイ・アフガニスタン大統領,グル・トルコ大統領と会談。
14日 マリク内相,訪印(~16日)。ビザに関する合意に調印。
14日 SBP,政策金利を9.5%に引き下げ(17日より発効)。
15日 TTP,ペシャーワル国際空港兼空軍基地を襲撃。襲撃犯5人を含む9人死亡。
17日 WHOとUNICEF協賛のポリオワクチン接種キャンペーン(~19日)の阻止を目的に,スタッフら少なくとも9人殺害される。
22日 ペシャーワルのANP政治集会でバシール・アフマド・ビロールKP州地方政治・農村開発担当上席大臣,ほか8人が自爆テロにより死亡。TTPが犯行声明。
23日 ターヒルル・カーディリー「コーランの大道運動」 (TMQ)代表が政治の汚職を非難する演説。1月14日のデモ行進「ロング・マーチ」を呼びかける。
25日 パキスタン・ムスリム連盟機能派(PML-F)所属のマフドゥーム・アフマド・マフムードがパンジャーブ州知事に就任。
28日 財務省,CSFとしてアメリカから6.88億㌦支払われたことを発表。
28日 IMFに対し2月24日から通算8度目の返済。2012年を通して総額約26.31億㌦返済したことに。

参考資料 パキスタン 2012年
①  国家機構図(2012年12月末現在)
②  政府等主要人物(2012年12月末現在)
②  政府等主要人物(2012年12月末現在)(続き)

主要統計 パキスタン 2012年
1  基礎統計1)
2  支出別国民総生産(名目価格)
3  産業別国内総生産(要素費用表示  1999/2000年度価格)
4  国・地域別貿易
5  国際収支
6  国家(連邦政府)財政
 
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